シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

機関車先生

2006-07-28 | シネマ か行

坂口憲二という人を「おぉ~おっとこ前やなぁ」と最初は思っていたのだけど、彼のお父さんの試合のセコンドで来ていて、そのチームが負けたときの会見で、「試合には負けたけど気合では負けていなかった」とかいう、体育会系が嫌いなワタクシが一番嫌うような発言をしたのを聞いてちょっとそれ以来あんまり好きではなくなってしまった。そして、テレビドラマをほぼ見ないので、彼の出演している作品というものを見たことがなかった。

この「機関車先生」は公開されたときから少し興味があったので、ケーブルテレビを録画して見てみた。

こういう、田舎の学校が舞台のお話っていうのはたくさんあって、中のエピソードなんかも結構似たり寄ったりだとは思うのだけど、いかんせん、ワタクシは先生、生徒ものに弱いところもあって、やっぱり感動してしまった。

口のきけない先生と生徒たちの交流が描かれるが、ストーリーも演出も何もかも驚くことはなにもない。瀬戸内の島が舞台だけど、みなの話している言葉が微妙にバラバラなのも気になった。(ま、それは目をつぶるとして)びっくりするような展開が何もないというのもある意味ではこういう作品にはつきものなので、ただ、ここで語られることを素直に受け入れるというのがいい見方かもしれない。

坂口憲二の演技を初めて見たが、ここでは口をきけない役なので台詞回しとかをどのようにする俳優なのかは分からなかったが、機関車先生の誠実な人柄、気は優しくて力持ち、でも無駄な暴力は振るわないというキャラクターによく合っていたと思う。彼が無言で頭を下げることがすごく多いのだけど、そのひとつひとつの意味をこちらがきちんと汲み取れるように出来ていたと思う。

機関車先生が下宿することになる島の産婦人科医を演じる倍賞美津子は大好きな女優さんで、どこに出てきてももの凄い存在感がある。ここでも、ちょっとアル中気味だけど、島中のみんながいちもく置く、ガラは悪いけど、心根は優しい、情に厚いおばちゃんを演じていて、ワタクシはすごく好き。関西地方の人以外とか山手のお上品な人が見るとちょっと怖いかもしれないが…

そして、島で(おそらく)唯一の居酒屋を切り盛りする女将を大塚寧々が演じていたが、ワタクシは大塚寧々を小指の先ほどもキレイと思ったことはなかったけど、(その上「俺は自分の次にお前が大事だ」なんて公言する男と結婚しちゃってバカな女だなぁ、なんて勝手に思っていたら案の定離婚したけど、そりゃ、そんな男とは離婚したほうがよっぽど幸せなんじゃないかなぁ、なんてまたまた勝手に思った)この作品の中では妙に色気があってキレイだった。こういう田舎なら彼女もキレイに見えるということか、と言うとあまりにも田舎に住む人にも大塚寧々にも失礼だな…(苦情は受け付けません)

こういう類の作品で、先生と生徒の別れってつきものだけど、どうしていつも去っていく人は黙って去って行っちゃおうとするんだろう?そして、どうしていつも見送る立場の人たちはギリギリで間に合って遠くからさよならを言えちゃうんだろう?そのパターンもちょっともういいよって思っちゃったけど、やっぱり、お別れのシーンには涙したのでした。


ワタクシと英語B面~帰国後編 「ありがとう」

2006-07-26 | ワタクシと英語
今日は久しぶりの英語編をお届けします。

英語で「ありがとう」は「Thank you」
んなもん、みんな知っとるわい。
うん。そうですね。でも、この「ありがとう」にもいろんなバリエーションがあるということをワタクシはトロント時代、そしてその後の関空時代に知った。

トロントではバリエーションを学んだわけではないけど、ワタクシが「Thanks」という表現のことを誤解していたことが判明した。
ワタクシは「Thanks」という表現はとてもアメリカ的なくだけた表現だと思っていた。しかし、トロントの英語学校で「シェイクスピア」についての授業があり、そのときシェイクスピアの本の中に「Thanks」という表現が多用されていることを知った。英文学を勉強している人には当然のことかもしれないが、ワタクシには新鮮なオドロキだった。ジェームズは「Thanksはシェイクスピアが造った言葉だよ」と言っていたけど、彼は嘘ばかり言っていたのでそれは本当かどうかいまだに分からない。ただ、シェイクスピアはたくさんの造語を造った人だから、嘘ではないのかもしれない…

トロントのあとに旅行したバルセロナでワタクシはイギリスに留学していてヨーロッパを旅行中の日本人カップルに出会った。彼らと何度か食事をしたのだけど、そのときに「カナダ人も"Thank you"の代わりに"Cheers"と言うか?」と聞かれてこれまた驚いた。ワタクシの知る限りカナダ人は"Thank you"の代わりに"Cheers"ということは絶対になかった。彼らが"Cheers"と言うのは乾杯のときだけだ。

そして帰国後、関空につとめ始め、いろんな国のお客さんと触れ合うことになった。そこにやってくるイギリス人たち。
商品を買って帰りがけに「Cheers」
おぉぉぉぉ、ホンマに言うたーーー!と初めて聞いたときは感動した。

もっと驚いたのは、オーストラリア人の「Ta」(たぁ)
「は?今なんて?“たぁ”って聞こえたけど」と初めて聞いたとき思った。それから何回聞いてもやっぱり“たぁ”に聞こえる。そして、言っているのはみなオージー。「もしかして、この人ら、ホンマに“たぁ”って言うてる?」オーストラリアに留学していた子に聞いてみた。
「あの人らなんて言ってんの?」
「たぁ」
やっぱりそうなん
“たぁ”?なんやそれーーーー
オーストラリアに留学していた子によると「Thank you」の代わりに普通に使うらしい。
マジかよーーー。

その後にゃおとケアンズに旅行に行ったとき、スーパーマーケットで買い物をして勇気を出して言ってみた。
「たぁ」
店員は無反応だった…というか普段通りな感じ。
そりゃそうよな。向こうにしてみたら別に普通のことやもん。別に反応してくれるワケはないか。ちょっとドキドキしながら使ってみた自分が少し恥ずかしかったけど、使えて嬉しかった

同じ英語でも国によって違うのは当然だけど、この「ありがとう」のバリエーションは結構カルチャーショックだったかもー。

炎のメモリアル

2006-07-25 | シネマ は行
ワタクシのブログを読んでくださっている方の中ではもうご存知の方も多いかもしれないが、ワタクシはホアキンフェニックスジョントラボルタが好きなので、これは結構贔屓め目線の感想になるかもしれません。ただ、この2人が好きなのにどうして見に行かなかったかというと、見に行く前の印象としてもひとつパンチがないなぁって感じだったからです。そして、今回ケーブルテレビで見てみると、やっぱりもひとつパンチが足りなかった。

本当にかなりストレートな脚本をストレートに演出しましたって感じの作品。もちろん、題材が題材だけに涙を誘い、胸が熱くなる類の感動ものではあるけど。奇をてらいすぎの作品が好きではないワタクシとしては好感は持てたかな。

ホアキンにしてはめずらしく“普通”な役を選んだなぁという印象ですが、こういう日常の中にいるようなヒーロー像も不器用そうな彼には似合っている。彼は普段からちょっと太っちょさんな時があるけど、この作品でも結構太っていて、(筋肉なのかな?裸のシーンがなかったので分からなかった)またあのゴツさが“普通のアメリカ人”っぽくて良かったと思う。

頼れるボスを演じるジョントラボルタがめちゃくちゃカッコ良くって参ってしまった。このところ、“いいもん”と“わるもん”をバランスよく演じていて、俳優としてはどちらにも染まり過ぎないいい位置をキープしていると思うのだが、今回の“いいもん”は最高に素敵なボスで完全に惚れ直してしまった。

消防士ものというとやっぱりどうしても「バックドラフト」を思い出してしまって、USJのアトラクションも手伝って、あれが初めてくらいの大掛かりな“火”の芸術的な映像だったので、今回の映像には大して驚くこともなかったのが少し残念。

消防士たちのガキっぽい遊びの部分には笑えるけど、ストーリーや演出としては本当にまじめぇぇぇな作品なので、ちょっと退屈に感じる部分もあるかもしれないけれど、とても良心に訴える作品であります。

ヘルボーイ

2006-07-24 | シネマ は行
アメコミが原作のものは期待しないで見る場合が多い。ワタクシはアメコミに詳しくはないし、特に興味もないから。ただ、近年映画化されているアメコミには期待しないで見たけど、結構いけるやんって感じのものが多い。とは言っても、そもそもの大前提が「期待しないで見たら」なワケだから、やっぱり期待しないというスタンスは変えないでいきたい。

この作品も例によって、期待しないで見たら良かったっていうパターンだ。

ヘルボーイについてはまたまた例によってなぁんも知らないで見たんだけど、このヘルボーイロンパールマンは外見があれだもんだから、すっかり悪者なのかと思っていた。悪者っていうか、ほら、よくあるキングコングとかゴジラみたいなその怪物が悪いわけじゃないんだけど…みたいな感じの。でも、見てみるとまったく違って、ヘルボーイは完全にいいモノだった。しかも、中身は茶目っ気のあるアメリカ青年だった。そんな彼なのに、あんな外見だもんだから、そこには苦悩があったりなんかもして、なかなかにいい感じだった。しかも、めちゃめちゃ強くてかっこいいし、ユーモアのセンスもすごくあるし。原作のキャラはどんななのか知らないけど、この映画の中のヘルボーイはワタクシはかなり気に入った。ちょっとグッズとか欲しい。

ヘルボーイとともにFBIに協力している怪人のエイブもヘルボーイとはブルーとレッドと呼び合う仲で、怪人同士、心の傷も分かり合えていて、その関係がまた良かった。

スパーキーを演じるセルマブレアはもともと目つきとかがちょっと妖怪顔っぽいところがあるから、なんの特殊メイクもなしで怪人的な役を演じていても何の違和感もなかったよ。

ストーリーは、、、こっちのほうは本当に期待しないで見て欲しい。とってもアメコミ的な展開だし、最後がかなりあっけない…すべては怪人たちのキャラクターでカバーっていうところかな。

黒幕としてラスプーチンが出てくるんだけど、このロシアの怪僧のことは詳しくじゃなくていいからほんの少しだけ知っておいたほうがいいかな。ストーリーにはあんまり関係ないかもしれないけど、「ラスプーチン」と聞いてなぁんにもピンと来ない人はちょっとだけ調べておいてから見たほうがいいかもしれない。

この「ヘルボーイ」、もともとのアメコミ人気もあってかアメリカでは結構ウケたらしく「2」も製作予定らしいんだけど、日本ではどれくらいお客さんが入ったんだろう?ワタクシは「2」もストーリーよりもヘルボーイのキャラクターに会うのが楽しみだな。

いぬのえいが

2006-07-21 | シネマ あ行
冒頭の渡辺エリ子佐野史郎がオペラの替え歌で自分の犬自慢を高らかに歌い上げるのを見て、すこぶるゴキゲンな映画が始まるのかと思いきや、オムニバスだったので色々、毛色の違う作品が並んでいた。

中村獅童主演の「ポチは待っていた」は、ありがちな忠犬ハチ公もの(また、勝手にジャンルを作ってしまった)だけど、このちょっぴり汚いめのポチがとってもいじらしくて可愛らしい。ポチって書いてあるボールを大切にずっとくわえてるんだけど、そのボールのことをみんながあまりにも「汚いボール、汚いボール」というのが妙に面白くて変なリアリティを感じた。

ワタクシは特に犬好きというわけでもないし、動物は可愛いけど、ペットを飼っている人間の自分勝手さとバカさ加減にうんざりしてしまっているんだけど、もう終わりかと思ってポケッと油断していたら、最後の「ねぇ、マリモ」にすっかりやられてしまった。

無声映画のように、映像と映像の間に台詞が文字で出て初めはちょっと回りくどいなぁとかって思っていたのに、飼い主宮崎あおいからの視点が終わって、このお話にどう決着をつけるのかと思っていたら、今度はマリモ(犬)の目線でもう一度同じストーリーが語られて、いつの間にかこの作品にすっかり引き込まれてしまっていて、最後には涙まで流してしまった。

宮崎あおいちゃんとマリモの可愛さにやられたというのもあるけど、こういうストレートな演出をここまで素直に見せられると、ひねくれた気持ちを全部捨てて、泣いてみるのもいいなぁと感じる。(でも、なんか年々涙もろくなってる気がする。歳のせいか?)

ナビィの恋

2006-07-20 | シネマ な行
ワタクシは母方から沖縄の血を受け継いでいる。母親も大阪生まれだし、ワタクシ自身のアイデンティティは完璧に「大阪人」なのであるが、母方の祖父母のアイデンティティは完全にうちなんちゅうであり、沖縄に親戚も多いからやはり沖縄には特別な思い入れを持っている。

この「ナビィの恋」、沖縄のおばあの話である。NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で沖縄ブームというのがあったが、そのときこのおばあ平良とみさんも全国的にかなり有名になった。その平良とみさんが主役である。

60年前に引き裂かれた恋人同士が再会するという途方もないこのお話。すべてが沖縄テイストでとってもかわいらしい。おじいとおばあの会話は字幕ナシではまったく何を言っているか分からない。ワタクシは子どもの頃聞いた祖母とその妹の会話を思い出した。彼らの話す琉球言葉はワタクシたちには理解不能なものであるが、今の世代が話す沖縄弁もすべてのイントネーションなどがワタクシにはとてもなつかしい響きのあるものだった。

そういう個人的な思い入れもあるので、自然とこの作品がいい作品に思えてくるのだけど、島の人たちの占いに頼ったり、家系が途絶えるということに真剣におびえたりするところはいかにも沖縄らしくて、孫の奈々子西田尚美が「だから、この島は嫌い」と言うのも大きくうなずけた。おじいやおばあのキャラクターもとても沖縄の人っぽい感じが出ていてかわいかった。

最後は愛している人とアイシテルランドに旅立つおばあだが、おじいはどうするの?という孫の問いに「おじいはまだ若いから大丈夫さぁ」と言うところがまたまたかわいくて、おじいには悪いけど60年間も離れ離れだったんだから、もう添い遂げさせてあげてと思っちゃった。そこんとこ、実はおじいもちゃーんと知っていて自分だってつらいだろうに、止めずに行かせてあげるんだよねー。いやー、おじい、かっこいいよー。

ジーア~悲劇のスーパーモデル

2006-07-19 | シネマ さ行

冒頭でカメラマンやデザイナー、スタイリストなどがジーアやファッション業界に関して短いコメントを話していくシーンがあるが、その中で一人の男性が言う台詞がもっともこの作品、ジーアそのものを端的に表している気がする。

「ファッションは芸術ではない。まして、ファッションは文化なんかじゃない。ファッションは宣伝だ。ファッションは商業的な広告に過ぎない。」

もし、ファッションが芸術だったら、もし文化だったら、ジーアももう少し救われたのかもしれない。

退屈なブロンド美人ばかりだった1980年代のモデル界にまさしく革命を起こしたスーパーモデル、ジーアアンジェリーナジョリー。彼女の自由奔放な生き方とその裏にあった孤独や哀しみ、麻薬、エイズ、セレブリティからの転落を描くこの作品。

麻薬によって身を滅ぼしていく主人公に同情はしない。彼女のトラウマや孤独や哀しみをたいしたものではないと言うつもりはないが、それでも麻薬に頼って生きることを肯定するつもりはさらさらない。恋人リンダエリザベスミッチェルだって彼女を愛してくれていたのに。この恋人リンダの哀しみを思うと涙が出た。どんなに愛しても自分が麻薬に勝てないという哀しみ。麻薬に溺れる愛する人を怖いとさえ思ってしまう哀しみ。どんなに訴えてもジーアには届かない。ジーアは孤独な精神のもろい人だったが、そのもろさが周囲の人を傷つけたし、麻薬によってハッピーになった人なんて誰一人としていない。それでも、やめられない麻薬の恐怖…「愛」じゃ救えないなんてホントに救いがないよな…

ジーアの人生を振り返ると、彼女がとても精神的に弱い人だったことが分かる。彼女は子どもの頃、母親マーセデスルールという精神的支柱を失くし、大人になりきれていない17歳でいきなり大人の世界に足を踏み入れる。アメリカの17歳だから、日本人の17歳と同じには語れないけど、それでも彼女はまだまだ自分自身が未熟で不安定なまま不安定なファッション業界というところに足を踏み入れてしまった。事務所の社長フェイダナウェイは母親のように良くしてくれた。ジーアはSOSを何度も出していた。「少し休みたい。写真の勉強がしたい。少し考える時間が欲しい」と。良くしてくれた事務所の社長もやはりどこかではジーアは“商品”だったのだろう。「今、たくさん働けば、あとでいくらでもそんなことはできる」そう言って休ませてはくれなかった。少しでも休めば次の子が取って代わる世界。もし、休んでいてもジーアがその現実を受け入れることができたかどうかは定かではない。

マーセデスルールが演じる母親が自分をかばうのに一生懸命な感じがして違和感を感じたが、このワタクシの感じた違和感というのは作り手側の意図的なものだったような気がする。多分、こういう母親だったということをそのままに見せたかったんだろうと。ジーアに起こったことを母親のせいにだけするのは責任転嫁だと思うけど、この母親にも責任の一端はあったんじゃないかと思わせる。

ジーアが死んだ後に父親が「自分の娘なんだから自分の人生をなげうってでも救ってやらなければいけなかった。」と言うシーンがあるが、死んでからじゃ遅いよ。本当に人生をなげうってでも助けてあげて欲しかった。

このジーア、まるでアンジェリーナジョリーそのものだ。のちにアンジー自身も認めているようにこの役にはあまりにも自分でも恐ろしいくらいにハマリこんでしまっていたらしい。あの妖しげな美しさ、奔放な生き方、物言い、ナイフが好きなところ、何もかもジーアとアンジーは似ている。自分がバイセクシャルなことや、過去の自傷グセ、SM趣味、ドラッグの経験などアンジーは包み隠さずに話す。そんな彼女も今では2児の養子を持ち、1児の実の子と合わせて3児の母である。彼女が「トゥームレイダー」の撮影でカンボジアに行き、その現状を知り、国連大使にまでなったことは、彼女の人生を救ったという意味でも大きな意味を持つのではないだろうか。

彼女が「ピープル」誌で“世界でもっとも美しい人”に選ばれたとき、同じく国連の仕事をしているアーティストが「彼女は映画の中ではなく、スッピンでアフリカで赤ちゃんを抱いているときが一番美しい」と話していたが、NHK衛星で放映している「アクターズスタジオインタビュー」に登場した時のナチュラルメイクの彼女を見たときは、本当に映画に出ているときより数段美しくこのコメントにももの凄く納得がいった。


ボーンスプレマシー

2006-07-18 | シネマ は行
「ボーンアイデンティティー」の続編。続編には期待はしない。そうでなくては続編は見られません。しかも1作目でジェイソンボーンマットデイモンの恋人になったフランカポテンテがすぐに死んじゃうって知ってたし。ワタクシ、そういう展開は嫌いなのです。主人公の恋人が死んじゃうのってなんだか裏切られた気がしてしまう。

というわけで、ケーブルテレビでやっていたので見たというだけだったんですが、実は結構イケました。マットデイモンが主役のわりにあんまり出演シーンは多くなかったような印象だったな…それがかえって良かったと言うとファンの人には怒られちゃいそうだけど、ワタクシ個人的にはそのほうが面白かったな。とは言え、ジェーソンボーンには人造暗殺者独特の哀愁が漂っていて好きだ。

物語はどちらかと言うとジェイソンボーンよりもボーンを追うCIAの女性指揮官ジョアンアレンを中心に進んでいた印象だった。このジョアンアレン、なんかギスギスがい骨みたいで、なのに結構中心的な存在として映画に出ていることが多い人だったから、「なんで?」と思っていたんだけど、この作品ではめちゃくちゃカッコ良かったよ。指示もテキパキしているし、きちんと人の話にも耳を傾けるしCIAには珍しく正義の人だった。内部の犯行っていうのはもう常套中の常套でアメリカの犯罪の99%は黒幕は内部にいると考えていいよね。(ハリウッドではね)

ジュリアスタイルズもいかにもアメリカの優等生って感じで顔に似合わず渋い声を出す。彼女はベラベラとボーンに情報を教えちゃうけど、別に彼女はCIA側の人間じゃないから、それだって納得がいく。

ジョアンアレンとジュリアスタイルズがカッコよくて、これでフランカポテンテも活躍してくれていたら、ここまで脇役の女性陣が主役を喰っちゃう映画もめずらしいって喜んで言えたところだったんだけどな。

スリーウィメン~この壁が話せたら

2006-07-14 | シネマ さ行

これはHBOのTVムービーなんだけど、HBOのTVムービーは質が高いものが多いし、キャストも映画並みだし、日本でもレンタルできたりテレビで放映されたりすることがあるので、ぜひ見て欲しい。

アメリカの優れたTVムービーというのは社会問題を取り上げていることが多く、この作品は妊娠中絶をテーマに3時代を生きた女性を描くオムニバスだ。「この壁が話せたら」というのは原題を日本語訳したもので、時代を隔てて同じ家に住む女性がそれぞれの物語の主人公になっている。すなわち、この家の壁は全部を見てきた、この壁が話せたら語り継がれていくはずの物語ということなんだろう。

テーマが妊娠中絶ということで、見る人にはかなりショッキングな内容も含んでいる。社会問題を考える上で参考になると思う。これはアメリカでのお話なので日本とは少し事情は違っているために、アメリカで妊娠中絶がどのようにとらえられているかをご存じない方にはさらにショッキングな内容かもしれない。

3つの物語の時代背景は、デミムーアが主演する第1話が1950年代、シシースペイセク主演の第2話が1970年代、アンヘッシュシェールが主演する第3話が1990年代である。

第1話、1950年代、妊娠中絶が違法だったころ、望まない妊娠をしてしまった女性(デミ)の哀しみや実際にモグリの医者(?)に中絶を依頼するに至るまでが描かれる。ここではかなりエグいことも描かれているので映像的にも心理的にも特に女性には厳しいものがあるので心して見て欲しい。

第2話は1970年代、女性解放の時代だ。このころは少しずつ女性の権利が認められるようになり、女性も自由に堂々と自分の意見が言えるようになってきていた。しかし、まだやはりシシースペイセクの世代は若い世代のように一足飛びに70年代に染まることは難しい。第1話から現代への過渡期と言える時代の女性の葛藤を描く。

第3話は1990年代。現代である。妊娠中絶は合法化されたが、保守系キリスト教徒たちの反対運動たるや凄まじい。女性保健センターの前で座り込みをし、中絶の相談にやってきたそれぞれの女性たちの事情などまったく無視して、「赤ちゃんは可愛いわよ。あなたはもうすでに母親なのよ。中絶は人殺しよ。」と笑顔で“正論”を投げかけてくる。大きなデモの日、事件は起きた…

妊娠中絶に賛否両論あるのは当然といえば当然だと思うが、反対派は保守系キリスト教徒たちを中心としているので、人工中絶を“罪”だ“悪魔の仕業”だと、信仰のないワタクシなどにしてみれば、ちょっとなぁ…という感じ。第3話の女性センターのスタッフが語る女性が負っている事情や苦しみなど無視してただただ“罪”だと押し付けても何も解決しない。

人工中絶については色んな問題があると思うのだが、どの時代でもどの地域でも追い詰められるのは女性であり、ひとくちに“妊娠”といってもそれぞれにさまざまな事情があることも考慮に入れなくてはならない。女性が犠牲になっているのだと女性を被害者扱いするつもりはないけれど、犠牲者になった場合であれ、女性にもその責任の一端がある場合であれ、その重荷を背負うのが女性であることには違いない。第1話のような悲劇を味わう女性が世界中にまだまだ存在していると思うが、一人でも多くの女性がその犠牲にならないで済む日が来ることを強く望む。


ヒトラー~最期の12日間

2006-07-13 | シネマ は行
地元の映画館でワンコイン上映で再上映されたので見に行きました。公開中行きたかったのだけど、時間が合わずに行けずレンタルしようと思っていた作品だったので、すごく嬉しい。ビバ!ワンコイン上映!

ヒトラーの最期の12日間ということで、ドイツが劣勢になってきたときの彼の錯乱ぶりが描かれていた。映画としてとてもうまくできているし、実際に秘書をしていたトラウドゥルユンゲアレクサンドラマリアララが語った物語だからかなり史実に近いものがあったと思う。砲撃音などももの凄く映画館が揺れんばかりの迫力であったし、ドイツ人俳優がこぞって出演しており、ドイツ映画界挙げての大作であることがうかがえる。

最終的にヒトラーブルーノガンツは自殺してしまうわけで、これは本当に彼が終局的に自分の保身ことしか考えていなかったことを表していると思う。死体がさらし者になるのを恐れてガソリンで燃やして欲しいなんていう望みだってそうだ。責任を取る気などさらさらないのだ。

ヒトラーとその側近たちがいる中央本部での様子とソ連軍に攻め立てられているベルリンの様子が平行して描かれるが、そのあまりの格差に愕然としてしまう。軍部の中には市民のことを考えてる者もいるが、ヒトラーは錯乱してしまっているし、ゲッベルスウルリヒマッテスなどは市民について「自分たちで選んだ道だ。自業自得。同情しないね」などど言う始末。

その対照が一番顕著だったのは、ヒトラーの恋人で最後には彼の妻となり共に自殺するエヴァコリンナハルフォーフが、最後を悟り妹に手紙を書くシーン。彼女は自分の死後、自分の持ち物を妹にあげると約束している。金のブレスレットやダイヤの指輪、その他の宝石…そのバックに流れるベルリン市街戦の映像。市民が無残に殺されていく中、ヒトラーの恋人は金銀財宝の形見分けの話をしている…

このエヴァという女性、かなり洗練された進んだ女性の印象だったが、反面彼女も精神的にちょっと危うい感じも漂わせていたな。ヒトラーをどのような気持ちで愛していたのかまでは分かるわけはないのだが、“総統”でないときのヒトラーは優しく紳士的だと秘書と話すシーンが印象的だった。それはヒトラーを美化しているわけでもなんでもなく、本当にそういう人だったんだろう。人間が狂気の裏にそのような性格を持ち合わせていたとしても不思議ではない。

狂気といえば、ゲッベルス夫人の狂気には言葉もない。ある意味ゲッペルス本人よりもナチに傾倒し心酔していた夫人。「ナチがなくなったあとの世界に存在する子どもたちがかわいそう」と子どもたちを殺害し、自らも夫と共に命を絶つ。狂気の果てとはこのことか。

歴史が物語る答えを知っているワタクシたちには考えがたいことだが、本当にナチに熱烈に恋していた国民がたくさんいたのだ。ナチは軍事行為で制圧してドイツの政権を取ったわけではない。信じられないことだけど、正当な選挙によって選ばれた政党だったのだ。それを考えれば、上に書いたゲッベルスの発言も事実と言えば事実なのである。ナチの罪は民衆が招いた罪でもあるのだ。

最後に秘書本人が言う「ちゃんと目を開けていれば気付けたはずだった」という台詞はどの時代でもどの場所でもワタクシたちが世界市民として心にとどめておかなければならない台詞だろう。

日本沈没

2006-07-12 | シネマ な行
ネタバレあり。

石坂浩二の髪型は言うまでもなくコイズミを意識していて、ヘドが出そうだった。この映画の中の首相はコイズミとは違って随分良識派だったけど。なんで「友情出演」なの?と思っていたら、あんなに早く死ぬからだった。そもそも「友情出演」とか「特別出演」とかなんかヤらしいからやめて欲しい。本当に「友情出演」ならクレジット出すなよって思っちゃう。すぐ死ぬ役をいい役者にやってもらうのが申し訳ないから「友情出演」とか「特別出演」とかつけるのってすごくヤらしい。ベテランでも大御所でもいい作品のいい役だと思ったらすぐ死ぬ役でも引き受けるべきだし、使う側だって作品のデキに自信があるなら、役者に媚びる必要なんてないのに。

草剛柴咲コウも好きじゃないワタクシがこの2時間15分に耐えられるかと思ったが、意外と彼ら二人だけが出ずっぱりという感じではなかったので良かった。他の役者たちの存在感がかなりあったので。及川光博「明日の記憶」に続いて良かったし、大臣を演じる大地真央が特に良かった。(これまた、コイズミチルドレンって感じだったけど、こっちもこれまた本物のコイズミチルドレンとは比べ物にならないほどの良識派だった)彼女はいつまでもおキレイだけど、皺を引っ張ってますって顔してたのが残念だった。ワタクシは40代以上の女性の自然な皺が好きだ。自然に歳を重ねていくことってすごく美しいと思う。あんな皺ひとつない40代以上の女性なんてサイボーグみたいで気持ち悪いよ。

草剛と柴咲コウのラブシーンはいらなかったけど、あれは入れないと仕方ないし許容範囲ということで。ワタクシはファンじゃないからいらなかったというだけで、ファンにとっては一番の感動シーンになるだろう。

メインのキャラクターはほとんどが良心的に行動するのに反して、群集はただブタのように我先にと逃げ惑っていてかなり醜かった。確かにあんなふうにパニックになって自分のことしか考えなくなってしまうのを責めるほどワタクシは聖人君主ではないけど、ただただ醜く逃げ惑う群集だけではなくて、もう少しそこにも心温まるエピソードを二つ三つ挿入していてくれれば、物語に厚みが出たんではないかなぁと思った。

日本が未曾有の災害に襲われるシーンの映像は結構リアルで迫力があった。やっぱり知らない外国に災害が訪れるよりよっぽどリアルに怖かった。映画を見ている最中に「なんで人間はすき好んでわざわざディザスタームービーなんか作るんやろう…しかも、なんですき好んで見に行くんやろう…ワタクシはお金出しては見ぃひんけど…あ、でもこないだ「ポセイドン」見に行ったなぁ」とかぼんやりと考えてしまった。わざわざリアルに怖いもの作ったり、見に行ったりするのって一体なんなんでしょうねぇ…自分も見に行く者の一人だけど、よく分からない心理だな。

お決まりのあなたならどうする?だけど、ワタクシなら愛する者を連れて一目散に海外へ逃げるっ!です。避難先でどうなるかなんて後で考えようと思う。とりあえず、生き残らねば。モットーは逃げるが勝ち~よ~草剛の母親長山藍子がお父さんとの思い出があるこの家に残ると言うシーンがあるけど、ワタクシは思い出は心の中にあるからOKと思っちゃう。もちろん、その場所や物や感触や匂いに思い出があるのは分かるけど、ワタクシの心が生きている限りはそこにあり続けると思うから。「残る」という判断をする人たちを責めるつもりは毛頭ないし、残る権利もあると思うけど、ワタクシはソッコーで逃げさせていただくことをここに宣言して今日の記事は終わります。

ウルトラヴァイオレット

2006-07-11 | シネマ あ行
あのミラジョヴォヴィッチがバイクで逃走するCGシーンが許されてしまうなら、もう人間の役者なんかいらない。「ファイナルファンタジー」がフルCGで映画化されたとき、もう人間の役者はいらなくなるんじゃないかなんてナンセンスなことを言っているメディアがあったが、まさにあのシーンが許されるなら人間の役者はいらない。「許されるなら」だ。ワタクシはあんなシーンは許さない。だから、人間の役者もいらなくはならない。当然だ。

ミラが好きだから、もちろん初めからプロモーションビデオを見るつもりで行った。期待なぞ、爪の先ほどもしていなかった。この爪の先ほどもない期待まで裏切られるとはすごい結果であった。ミラのプロモーションビデオが見れれば幸せだったろう。それが、カートウィマー監督の自己満足の映像を見せられただけだった。紀里谷和明監督の「CASSHERN」を見たときを思い出した。「CASSHERN」のほうが数段マシだけど。カートウィマー監督というと「リベリオン」の監督と思えばかなり納得がいく。以前、「リベリオン」はクリスチャンベールが好きということだけで取り上げた作品だけど、あのヘンテコな殺陣やストーリーの詰めの甘さなどまったくそのまんまだった。

救いは上映時間が87分ということと初めのアメコミ風の映像と監督の自己満足映像に負けてはいたが、やはり主演がミラだったことだけか…(あの腹筋は本物なんだよねスゴイよ)


スナイパー連続狙撃犯

2006-07-07 | シネマ さ行
2002年10月にワシントンDC近郊で実際に起こった連続無差別狙撃事件を追った作品。作品の始まる前と後両方に「この作品は事実を基にしているが脚色している」といった注意書きが2回も出る。この映画は事件の翌年に作られたものだし、実際の犯人の動機などがよく分からない状態であったこともあり、被害者や遺族、周辺住民への配慮だったのだろう。それにしても、翌年の映画化というのは随分早いもんだと思った。

お話は犯人を捕まえる側の警察、FBI、行政当局を中心に描かれているので、この犯人の心理だとか動機はあまり詳しくは語られず、その辺りに少し物足りなさも感じたが、これは実際の犯人の動機などが本当によく分からないという部分もあり、それを勝手に作り上げるわけにもいかないからある程度は仕方なかったんだろう。その犯人に脅かされる住民たちの恐怖感というのもイマイチ表現しきれていない部分もあったと思う。

しかし、物語の中心である警察署長チャールズS.ダットンの焦り、怒り、哀しみというものは十分に伝わってきたし、彼を取り囲む人々との摩擦や協力体制というものもうまく描かれていたと思う。馬鹿なマスコミの姿もきちんと描かれていた。(それでも馬鹿なマスコミは反省などしないだろうけど)

それにしても、実際のこの事件はあまりにも不可解で、テレビでニュースを見たときにはまたイカレた白人がやってるに違いないと思ったんだけど、(実際、こういう類の事件の犯人像のプロファイルは世界を支配しているつもりの白人の男と考えるのが定説だ)まさか、黒人が、(しかも一人は17歳という)捕まるとは思ってもいなかった。(誰かの犯行を隠すために黒人を犯人に仕立て上げたのだと主張する人もいるくらいだ)ワタクシはまったくプロファイルに当てはまらない黒人が逮捕されたことにもの凄くゾッとしたし、アメリカの犯罪史がまたまた悪い意味で進化してしまったと感じた。そして、それは他人事ではないということにも恐ろしい思いがした。

ワタクシの理解の範疇を超えていたこの事件の映画ということで、犯人の動機など何か新しい事実を知ることができるかと思ったが、その点については何も解決されないままだった。実際、分かっていないということなのだろう。そういう部分を抜きにして犯人追求に必死になる警察署長の姿にとても感銘を受けたし、犯人が分かっているのに最後まで緊張感を持って見ることができた作品だった。マイナーなのでレンタル屋でも探すのが大変かもしれませんが、もし見つけた方はぜひどうぞ。

ザ・インタープリター

2006-07-06 | シネマ さ行
暗いな~、ニコールキッドマン。なんか彼女はこういう役が多すぎる気がする。影がある役が多いですよね。やったらシリアスですよね。この役なら南ア出身のシャーリーズセロンがやりたがるんじゃないかと思いますが、彼女だと少し若すぎますね。

物語ものっけからやたらとシリアス。独裁政治が行われているアフリカの国。こっちのほうが先の作品だけど、「ナイロビの蜂」やら「サハラ」やらを見た後だったので、「またアフリカかぁ」と思っちゃいました。ここ数年、ハリウッドの目がアフリカに向き始めているのかもしれません。

お話もそこそこ面白かったけど、やっぱショーンペンがカッコよかったー。ショーンがこの手の映画に出るのってちょっとめずらしいかなーとも思ったんですが、シドニーポラック監督は誰もが認める名監督だし、役者なら彼とは仕事したいはずですね。いつも、アウトローなイメージの彼が今回はシークレットサービスの現場のボスなんて、普段ならどっちかっていうと法を守る側じゃなくて破る側の役が多いのにね。でも、あのどこかしら物悲しさをたたえた表情というのは法を破る側のときも守る側のときも同じ持ち味で、今回も奥さんを亡くしたばかりのエリートを演じていて、アウトローな彼がエリートを演じても似合っていたのがとても不思議な感覚だった。

物語はちょっと背景がややこしいだけに一生懸命見ていないと途中から分からなくなってしまう可能性ありです。ちょっと分かりにくいけど、丁寧に作られている印象はありますね。衝撃的な展開を見せるよりもヒロインの心の葛藤や、ショーンペンとの静かなやりとりに重点を置かれているようなので、ドンパチがあるわけでもなく、全体的に暗く地味です。アフリカの民族に伝わる思想なども哲学的で詩的な感じもあってそういうのもニコールとショーンに合っていたかも。ドンパチがあんまり好きではないワタクシとしては満足いくものでしたが、アクション好きな方には物足りない作品だと言えるでしょう。心理戦と演技戦を楽しむのであればオススメします。

ホワイトライズ

2006-07-05 | シネマ は行
ワタクシつくづく自分の頭がよろしくないな~と実感いたしました。と同時に「映画オタク」としても失格だなぁと。
ワタクシは映画の予備知識を先に入れるのが嫌いなので、歴史的な背景とか文化的な背景とか知っておかなければならない場合を除いて情報を入れずに見ることが多いです。最近ではケーブルテレビで片っ端から録画したものを順に見ていくのでなおのこと。この作品もそうでした。ジョッシュハートネットダイアンクルーガーが出ていること以外は恋愛もの、でも「ホワイトライズ」という題名からただの恋愛ものではなさそうだな~、くらいの気持ちで見始めました。

いきなりシチュエーションの説明なく見始めるとかなりわけが分かりません。「あぁ~これはこういうバラバラのピースがしまいに全部きれいにひとつになって全体像が分かるタイプの作品なんだな」と思いながら、こういう作品の場合ひとつでも伏線を見逃すと本当に分からなくなってしまうから、心して見ていました。

見ているうちに徐々に徐々に一体なんの話なのかが見えてきて、「そうやったんや…そうなんや…だから、こんなことに…」ってひとつひとつの事実が明らかになっていく度に、ネットをしているにゃおを横にぎゃーぎゃー騒ぎながら見ておりました。

ワタクシとしてはこんな理不尽なことで引き裂かれてしまった主人公の二人を早く一緒にしてあげてっと「早く、早く」っていう気持ちで見ていて、途中ではハリウッド版「君の名は」かよっ!という突っ込みも入れつつ最後には回りくどい演出にイライラしながらも最後はほっとしたのでありました。

そして、「あ~おもしろかったぁ」と思ったその直後から、「なんやろう、この感覚…“あ~この子が渡せへんかったから…”“あ~この子が全部消したから…”“この子が、この子が…”というこの感覚。知ってる…この話どっかで知ってる」さっきまではひとつひとつの展開に一喜一憂していたのに、直後からはずっとこの感覚にとらわれていました。まるでデジャヴを見ているかのように…

そして、ネットで調べてみた「ホワイトライズ」ヴァンサンカッセルとモニカベルッチ主演のフランス映画「アパートメント」のハリウッド版リメイクで…


あ…


アホや…


この映画見た。しかも、すげぇおもろいと思ってた!

そうや…この子がこの子がっていうの、ロマーヌボーランジェがやってた役の子や…

つくづく自分の記憶中枢がふやけちゃってることにイヤ気が差しましたね…

ま、ワタクシの馬鹿さ加減はおいといて、この作品どちらもすごく面白いです。ただ、どちらかを見てしまうと片方は種明かしされていることになるのであんまり楽しめないかも。ワタクシみたいなお馬鹿さんでない限り…「アパートメント」のほうは10年前に見たものだったので…と言い訳をしつつ…フランス語はどうも苦手という方はハリウッド版を。あのヨーロッパな雰囲気が好きという方はフランス版をどうぞ。

オマケローズバーンのあとに映るとダイアンクルーガーの美しさがより一層際立っておりましたジョッシュの眉毛はいつものごとくつながらんばかりでありました。