シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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サヨナラの代わりに

2017-03-27 | シネマ さ行

裕福な家庭に生まれ育ち弁護士エヴァンジョッシュデュアメルと恵まれた結婚生活を送っていたケイトヒラリースワンクは35歳でALSと診断される。それから彼女の生活は一変。夫はよく面倒を見てはくれていたが、誰もが彼女を病人としてしか見てくれない日々にうんざりしたケイトは介護人として面接に来た奔放で自分勝手な女子大生ベックエミーロッサムを雇うことにする。

まずこの作品のシチュエーションを聞いたとき、奔放な女子大生にエミーロッサムってめっちゃミスキャストちゃうん?と思いました。エミーロッサムに対してとても優等生的なイメージを持っていたからなんですが、そんなワタクシの勝手な想像を彼女は見事に裏切ってくれました。よなよなクラブで飲み潰れ名前も知らない男と一夜限りの関係を持ってしまうような女の子をエミーロッサムがまったく違和感なく演じていました。

夫の前でも女友達の前でもずっと「良い子ちゃん」を演じてきたと感じているケイトはベックの歯に衣着せない物言いや自由な行動にとても惹かれたのでしょう。いい加減なベックを夫エヴァンはイヤがっていたけれど、ベックといるときのケイトはとても楽しそうでした。

ケイトは以前ピアノを弾いていて、ベックは歌手志望だけど、極度のあがり症のため人前で歌えないという設定だったので、2人が音楽を通して仲良くなっていくのかなと想像していたのですが、意外にも直接的に歌を歌ったりしてつながっていくということはありませんでした。もっとさりげなく音楽が2人をつないでいた気がします。

ケイトは、自分のことをちゃんと見てくれていた男の子よりも安定しているエヴァンを選んで結婚してしまった的なことを言っていたのだけど、でも病気になる前2人がシャワーでセックスするシーンから始まっていたのが少し引っかかった。あのシーンを入れてしまうとこの夫婦がとても深く愛し合っているように見えたし、ケイトが自分自身を出せないままエヴァンと暮らしているように感じられなかった。もちろん、ケイトも自分を偽っていたということには病気になって初めて気づいたということだったのかもしれませんが。

エヴァンはエイトの看病に疲れて不倫をしてしまって、それに対してベックがすごく怒ってくれるのだけど、ベック自身は大学の教授と不倫していて、その辺はとても矛盾していた。後半ケイトにそれがバレてケンカになってしまうシーンがあって、そこはちゃんと物語の中でベックの矛盾を突いてくれていたからヨシとしよう。

結局、エヴァンはケイトの最期を辛すぎて見られないと言ってベックだけを家に残して出て行ってしまうのだけど、それに関してはおいおいそれはないだろうと思ってしまった。辛すぎるから見たくないって言って去るとかさ、人は弱いところがあるとは思うけど、そこはやっぱり踏んばらなきゃいけなかったんじゃないのかな。妻を愛してるとか言うならさ。

ケイトもベックも母親とどうしてもうまくいかないという背景があって、その辺りで2人は合うところがあったのかもしれない。他のALSの患者家族と仲良くなるところがあるけど、結局人と人の関係って血のつながりだけじゃない。血は水よりも濃いってこともあるにはあると思うけど、ケイトとベックの場合確実に赤の他人のほうが分かりあえたし支えあえた。そんなベックですら、ケイトが苦しむ声を聞いて死ぬときは1人にして放っておくという約束は守れず、ケイトのベッドルームへ駈け込んでしまう。でもそれまでの2人の関係性を見ているから、きっとケイトも許してくれるはず、いや、ベックが来てくれて嬉しかったはずと思ってしまいます。

よくある難病ものと言ってしまえばそうなのですが、ワタクシは結構好きな作品でした。

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汚れたミルク~あるセールスマンの告発

2017-03-24 | シネマ や行

パキスタンで実際にあった事件を「ノーマンズランド」などのダニスタノヴィッチ監督が映画化した作品。

新婚のアヤンイムランハシュミは妻ザイナブギータンジャリの薦めで多国籍企業に面接に行き中途採用される。大卒が条件でアヤンは家庭の事情で大学を中退していたが、これまでのセールスの手腕を上司ビラルアディルフセインに買われて採用された。

アヤンの仕事は粉ミルクを医者に売って患者にたくさん処方してもらうこと。ボスはアヤンにたんまりと接待費を渡し、自社製品はいくらでも医者や看護師にバラまけたし、医者にはいくらでも好きなスポーツのチケットなどをバラまいて、元々のアヤンの手腕もありアヤンはすぐにトップセールスマンに躍り出る。

数年後、息子もでき、妻は2人目を妊娠中。新居も買って順風満帆。そんな時、転職して初めのころに懇意にしていた医師が修学先のカラチが帰ってきて、アヤンに衝撃的な事実を告げる。

カラチでもここでもアヤンの会社の粉ミルクを汚染された水で溶かして飲んでいる貧民街の子どもたちが次々に死んでいると言うのだ。貧困層は十分な粉ミルクが買えず、薄めて飲ませたりもしていると言う。企業側はそれを知った上でとにかく売って売って売りまくれというわけで、その陰で死んでいく赤ん坊のことなど気にかけてもいない。その事実を知ったアヤンはすぐに会社を辞め、告発することにした。この先、苦難が待ち受けているとは最初はまったく思いもせずに。

大企業と国はグルになっていて、アヤンの告発をひねりつぶそうとする。彼らにとってアヤンのような一市民をひねりつぶすことなどたやすいことだった。

映画の演出として、アヤンの物語を映画化しようとするイギリスの映画会社とアヤンの打ち合わせの中でアヤンの物語が語られる。映画化する側は法律的な問題がひとつでもあっては企業側に指摘され訴えられるということで慎重姿勢だ。アヤンは当然会社の名前も実名を出してもらえると思っていたが、制作会社としては仮名でいきたいと考えている。というくだりでたった一度だけアヤンが「ネスレ」と実名を出し、制作会社側が「いや、仮名でいこう」とその後は「ラスタ社」に変更され一度たりとも「ネスレ」の名前は出てこない。映画的にはこのくだりは秀逸なんですが、とにかく、「ネスレ」です。赤ん坊が死のうが知ったこっちゃないと粉ミルクを売りまくったのは「ネスレ」です。何度も書いておきます。「ネスレ」ってたいがいこういう環境系のドキュメンタリー映画には登場するんだよなー。

まぁ確かにネスレは売っただけで使い方が間違ってるほうが悪いんじゃんと言い逃れできる案件な気もするんですよね。でも、もちろん先進国とは国の事情が違うし、水自体が汚いところがあったりとか、育児に対する情報が得られにくい地域もあったりして、お医者さんが言うんだから間違いないだろうって素直に従ってしまう人も多いのかもしれませんね。そして、それを知りながら売りまくったネスレと企業と癒着して自分が接待してもらえるからっていうだけで赤ん坊の命を粗末にした医者たちが許されていいわけがありませんよね。

この事実を知って速攻で会社を辞めたアヤンもすごいと思ったけど、家族を脅されて子どものことを心配するアヤンに「自分の子どもの命も大切だけど、その他大勢の子どもたちの命も同じように大切だ」とアヤンに闘うように説得する奥さんがすごいと思いました。そう考えられるって素晴らしいことだと思います。

アヤンの物語は1997年の出来事ですが、作中に使われている赤ん坊の映像は2013年にパキスタンで撮影されたものだそうです。この問題はまだまだ現在進行形で続いているということでしょう。

国際映画祭以外で劇場公開されているのは世界中で日本だけだそうです。BITTERS ENDという配給会社が頑張ってくれています。

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SING/シング

2017-03-22 | シネマ さ行

アニメは基本的にディズニーのものしかあまり興味がないのですが、今回誘われて見に行きました。

見に行って良かったー。使われている洋楽が世代的にもジャンル的にもどんぴしゃでもう知らない曲はないってくらいだったのでオーディションのシーンとか楽しすぎでした。

落ち目の劇場支配人バスタームーン(コアラ)マシューマコノヒーが考えついた歌のオーディション。誰でも参加できて賞金1000ドル!…だったはずが、秘書のミス・クローリー(カメレオン)ガースジェニングス(なんとこの映画の監督さん)の印刷ミスでゼロが2つ増えてしまい、なんと賞金100,000ドルってことになっちゃった。そうとは知らずにバスタームーンはオーディションにたくさんの動物たちがやって来て大喜び。

オーディションの末、選ばれたのは25匹の子ブタのお母さんロジータリースウィザースプーン、パンク少女アッシュ(ヤマアラシ)スカーレットヨハンソン、窃盗団のリーダーの息子ジョニー(ゴリラ)タロンエガートン、いんちきネズミのマイクセスマクファーレン、ノリノリブタのグンターニッククロールだった。そして、シャイ過ぎてオーディションで歌うことができなかった象のミーナトリーケリーはスタッフとして雇われることに。

バスタームーンは本当に劇場でのショーが大好きで、個性も希望もばらばらの動物たちをなんとかまとめて演出を頑張っていた。しかし、動物たちはそれぞれに事情を抱えており、バスターも100,000ドルの賞金を出さなければならないと分かりピンチに。なんとかスポンサーになってもらおうと往年の大スターナナヌードルマン(ヒツジ)ジェニファーソーンダースに来てもらって大がかりなショーを見せるが、その最中にマイクがギャンブルでモメたクマたちが乗り込んで来たり、結局みんなにバスターが100,000ドル持っていないとバレたりと大騒動。ナナのために作った巨大な水槽でのイカの照明ショーは美しかったのだが、水槽が崩壊して何もかも大量の水に流されてしまう。

バスターは劇場を諦め、父がやっていた洗車業でやっていくことにするが、崩壊した劇場跡で1人歌うミーナの歌声に励まされ、何もないところからまたみんなと一緒にショーをスタートすることを決意する。

オーディションのシーンが終わると、みんなの練習のシーンとかでちらっと曲が聴けるくらいで、ミュージカルと言うわりに歌のシーンが少なめで残念だなぁなんて思っていたら、最後のショーでたっぷりと1人ずつの歌を聴かせる時間を取ってくれて大満足でした。

108分という短い時間の中で聴きごたえのある歌をたっぷり聴けた上に、それぞれのキャラクターの背景となるお話がすべておざなりになることなく、絶妙な塩梅で配分されていて、素晴らしい出来栄えでした。笑えるシーンもたくさんあるし、じーんと涙が出そうになるシーンも。やっぱり歌のパワーってすごい。

ハリウッドの役者さんたちには歌える人が多くていつも驚かされるんだけど、今回は歌わなかったバスター役のマシューマコノヒーに一番驚かされました。彼が達者な役者だということはもちろん知っているのですが、あのテキサス男がコアラって!しかもめちゃくちゃうまい。バスターって冴えない劇場主で調子のいいことばっかり言ってるようなんだけど、どこか憎めなくてさっぱりしたキャラクターだと思ったら、マシューのキャラが反映されているのかもしれないなぁと思ったり。この人歌もうまいんだ!っていう他のキャストよりも一番意外性があってますます好きになりました。

エンドロールが終わって「早くも続編決定!」と出ると、さらにまたワクワクが続くのかと嬉しい気持ちになりました。

オマケきゃりーぱみゅぱみゅの歌を歌っていた日本のアイドルみたいな子たちに変な日本語でバスターが話すシーンは吹替え版ではどんなふうになっていたんだろ?

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なんちゃって家族

2017-03-17 | シネマ な行

チンケな麻薬の売人のデヴィッドジェイソンサダイキスはボスに渡すはずのブツと金を盗まれてしまい、その埋め合わせにメキシコから大量の麻薬を密輸入するという大きな仕事をさせられることに。どう考えても国境で捕まってしまうと悩んだ彼は、どこにでもいる普通の家族になりきって運べば怪しまれないと思いつく。

そこで、同じアパートに住むストリッパーのローズジェニファーアニストンを母親役に誘い、いつもフレンドリーに接してくる高校生ケニーウィルポーターを長男役、アパートの周りをよくうろついてる不良の女の子ケイシーエマロバーツを長女役に誘う。お金目当てとかただ退屈しのぎとかそれぞれ理由があって参加することになったメンバーが、はちゃめちゃでトラブル続きの旅をすることになる。

このブログで何度か取り上げていますが、ジェイソンサダイキスは日本では無名ですが、アメリカでは有名なコメディアン。ワタクシは結構彼好きなんですが、日本ではほとんど彼の作品は取り上げられることがないですね。ジェニファーアニストンは映画界では大成していないけど、やはり「フレンズ」で培ったコメディセンスは光るものがある。エマロバーツはこの作品のころはまだ有名とまでいってなかったのかな。当然だけど、いまより幼い雰囲気が可愛い。でも不良の役だからかなりきわどいセリフも平気で言っちゃうギャップが良いですね。ひとり真面目な童貞君を演じるウィルポーターは「ナルニア国物語」で主役4人の従兄弟役でしたね。彼がめちゃいい味出してました。

アメリカのコメディにありがちな展開で、かなり下品なシーンやセリフも多いです。ワタクシはこういう系は大好きなので非常に楽しめました。そして、こういう系の話にありがちななんだかんだ言ってみんないい奴なんだよなーっていうパターンが好きです。麻薬を密輸しようっていうのに、いい奴ってなんだよ。そんなのダメだよ、と思う人は全然ダメな作品だと思いますが。

ワタクシはだいたい邦題は好きじゃないという場合が多いですが、この「なんちゃって家族」っていうのは結構好きだな。本当に彼ら「なんちゃって家族」って感じだし。長女役のケイシーが変な男に着いて行っちゃったときのデヴィッドとローズの心配の仕方なんて、本当のパパとママみたいで笑っちゃう。童貞君のケニーにキスの仕方を教えるケイシーとローズはちょっと調子に乗り過ぎちゃって、もちろんあれは“なんちゃって”家族だからできることなんだけど。

犯罪者が主役のコメディですから、物語も不道徳だし、オチも彼らに都合よくできています。それでも笑い飛ばせる方はぜひ。

オマケコメディ映画によくあるように最後にNGシーンが流れるのですが、カーラジオでみんなで音楽を聴くシーンでジェニファーアニストンにだけ内緒で「フレンズ」のテーマソングが突然流れるというドッキリが面白かったです。

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ヤクザと憲法

2017-03-14 | シネマ や行

「ヤクザと憲法」ものすごい題名だ。題材もものすごい。こんなドキュメンタリー発表してるの、やっぱり東海テレビ。

大阪府にある指定暴力団に密着取材をしたドキュメンタリー。

暴力団対策法のきっかけともなったと言われる殺人事件で15年の服役から出所してきた会長を迎える組員たち。誤解を恐れずに言うが、この会長さんがすこぶるカッコいい。見た目が男前で若々しくて実際すぐにでもヤクザ映画の主役を張れそうなほど。このドキュメンタリーを撮らせることに何かしらのメリットを感じて応じたのだとは思うが、その面を考えてもきっと頭も良い人なのだろう。

この会長さんが大阪の西成区から飛田を抜けて新世界の居酒屋へ向かう。新世界というと最近では随分観光地化しているようでよくテレビの取材なんかも入っているが、会長さんが行く居酒屋辺りはおそらくそんな場所じゃないもっと本物の新世界。居酒屋のおばちゃんに撮影スタッフが聞く。「この人がヤクザの会長さんって知ってるんですか?」「知ってるよ」「怖くないですか?」「なんも怖いことなんかあるかいな。よう面倒みてくれるよ。あんた、警察が私らに何してくれる思う?」本物だ。おばちゃんも会長さんも。

会長さんは言う。暴力団対策法や暴力団排除条例で全国のヤクザが銀行口座を作れない、自動車保険に入れない。これわしら人権ないんとちゃうの?ヤクザが人権とは何を言うか。そんなものを守らない自分たち、そんなものを放棄したのがヤクザじゃないのか?という意見もあるだろう。ワタクシも正直どう考えたらいいか分からない。ただ犯罪者相手だからこっちも人権なんか守らなくていいというのは違う気はするんだよね。。。途中でガザ入れに来た警察の姿も映されるが、あれを見ているとどちらがヤクザだか…という感じもした。(まぁそれくらいじゃないと対抗できないのだろうけど)

山口組の顧問弁護士である山之内幸夫さんも登場する。自分も貧しい商売人の家に生まれ、ヤクザの組員たちの境遇に共感するという山之内さん。彼はとても正直に、ヤクザの世界への好奇心を語る。それがあったから彼らの顧問弁護士になったのだと。彼自身、山口組の顧問弁護士であるという立場のせいで、いちゃもんまがいの罪を検察にかぶせられて有罪判決を受け弁護士資格をはく奪されているし、それ以前に家族にも疎遠にされているけれど、それでも元をたどるとやはり自分の好奇心に勝てなかったというわけだろう。

西成区とその傘下にある堺市にあるヤクザの事務所が登場し、現役の本物のヤクザが何人も登場するのだが、なんかやたらと人当りは良くて少し拍子抜けしたりもする。しかし、その一方で「しのぎ」について行けば当然何をやったかは教えてもらえない。そりゃそうだ。一人の組員がお墓をピッカピカに掃除するシーンがあるのだけど、学校時代からこういうこと全部サボりたい人だったからヤクザになったようなもんなのになぁ、ヤクザになったら下っ端が掃除とか隅から隅までピッカピカにするんだから不思議だよね。

部屋住みと呼ばれる一番下っ端の男の子が登場するのだけど、およそヤクザのイメージからはほど遠い学校でいじめられていた青年だったのが印象的だった。戸塚ヨットスクールが昔は不良の集まりだったのがいまはひきこもりの子の受け入れ施設のようになっているのをなぜだか思い出した。普通じゃなくてつまはじきにされてきた彼はどこかでヤクザに共鳴したのだろう。

ワタクシはこの作品に登場する地域がまさにどこか分かる場所の出身なので、ヤクザの事務所の前の道を小学生が普通に通っていく光景もあまり違和感なく見ていたし、登場する組員たちの人当りの良さに少し拍子抜けすると書いたが、やはりこの映像にあるあのめちゃくちゃ重そうな鉄の扉の玄関を見ると、あぁやはりここはヤクザの事務所なんだなと実感させられる。

ヤクザの勝手な主張ばかり宣伝するプロパガンダ映画だと感じる人もいるだろうけど、ワタクシは山之内さんのように好奇心から見て、色々と考えさせらた作品でした。

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パディントン

2017-03-07 | シネマ は行

ペルーの森の奥深くからロンドンにやってきた人間の言葉を話すクマ。ロンドンのパディントン駅で「このクマをよろしくお願いします」という札をぶらさげて座っているところをブラウン一家の奥さんサリーホーキンスに声をかけてもらう。ブラウン一家の旦那さんヒューボネヴィルは初めは反対するが、奥さんに押されて正式な家が見つかるまでという約束で家に連れて帰る。クマには人間語の名前がなかったため見つけた駅にちなんで「パディントン」と呼ぶことに。

パディントンはペルーの森で人間のマナーを学んできており、とっても礼儀正しいのだが、実際の都会の暮らしが分からずにシャワーにびっくりして家じゅうを水浸しにしてしまったり、ブラウンさんの歯ブラシを耳に突っ込んで耳掃除をしたりと家の中をめちゃくちゃにしてしまう。

初めはパディントンのことを煙たがっていたお姉ちゃんジュディだったが、パディントンがたまたまスリを捕まえたところに遭遇して友達に羨ましがられ、パディントンを受け入れるようになる。

色々と騒動を起こすパディントンなんだけど、持ち前の礼儀正しさと純粋さで、ブラウンさんも彼を好きにならずにはいられず子供たちとも仲良くなって街の人気者になっていく彼を狙う黒い影があった。それはパディントンをはく製にしてしまおうとするミリセントニコールキッドマンという謎の女性だった。

パディントンはぬいぐるみとかイラストでしか知らなくて、基になっている児童書は読んだことがないのですが、原作を知らなくてもまったく問題なく楽しめました。とにかくこのクマのパディントンがすごく可愛い。礼儀正しいくせに思いこんだら一直線みたいなところもあって騒動が巻き起こっちゃう。でも、純粋で素直な性格だからなんだか丸くおさまっちゃうんですね。なんか他にはない雰囲気を持ったパディントンが可愛くてたまりませんでした。

パディントンを迎えるブラウン一家も面白くて。反抗期のお姉ちゃんがパディントンと仲良くなっていくのもいいし、それによってお母さんとも歩み寄ったりとか。頭の固そうなお父さんもパディントンをなんだかんだ言って受け入れてくれるし、家政婦のバードさんジュリーウォルターズもちょっと豪快なところもあったりして面白い。

パディントンのしゃべり方も可愛いし、素敵な声だなぁと思いながら見ていたのですが、ベンウィショーが声を担当しているとはまったく気づきませんでした。いやーこれは嬉しい驚きだなぁ。めちゃくちゃピッタリだった。最初はコリンファースで録ったけど、ポールキング監督が「やっぱり」とまたベンウィショーで録り直したという情報をネットで見たのだけど本当なのかなぁ。それならコリンファースには気の毒だけど、正解だったかも。

超子供向けの雰囲気ですが、大人でも十分に楽しめる作品だと思います。

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素晴らしきかな、人生

2017-03-02 | シネマ さ行

当然のことながら、ブログのタイトルはいつも映画作品のタイトルにするのですが、これはブログのタイトルにすらしたくないようなひどい邦題ですね。原題の「Collateral Beauty」自体が造語のようなものだし、日本語に直接訳すのは難しいとは思いますが、それなら素直に字幕で使った「幸せのおまけ」にしても良かったのでは?と思います。時期もクリスマスだし1954年の「素晴らしき哉、人生!」のリメイクかと思って間違えて見に行く人を見込んだのかと勘ぐってしまう。

ワタクシはケイトウィンスレットヘレンミレンが出ているというだけで見に行くつもりだったのですが、他の面子もかなり豪華です。

広告代理店で成功を収めていたハワードウィルスミスは社員の前でのスピーチで「愛」「時間」「死」をテーマに広告を作り、人々とつながることが重要だと話していた。そんな彼が幼い娘を亡くし、私生活も仕事もめちゃくちゃになってまったく立ち直れなくなっていた。広告代理店の仲間ホイットエドワードノートン、クレア(ウィンスレット)、サイモンマイケルペニャはハワードを心配する一方、彼が仕事をしないせいで潰れてしまいそうな会社を救う手だてを考えなければならなかった。

探偵を雇ってハワードの日常を探らせたところ「愛」「時間」「死」という概念に対して手紙を書いていることが分かる。ホイットは広告代理店にCMのオーディションに来ていた役者エイミーキーラナイトレーとその役者仲間のブリジット(ミレン)、ラフィジェイコブラティモアにそれぞれ「愛」「死」「時間」を演じてもらうことでハワードの心を開くと同時に、他の人には見えない(という設定の)概念が人物化した人に話しかけるハワードを撮影して、取締役会での権限を奪おうとしていた。

「愛」「時間」「死」に扮した役者たちがハワードの心を開いていく一方で、自分の不倫が原因で離婚し小学生の娘に異常に嫌われている「愛」が必要なホイット、会社に人生を捧げて家族を持たず精子バンクで子供を産もうと考えている「時間」が必要なクレア、ガンが再発して「死」を迎えそうなサイモンもそれぞれ役者との対話の中で自分の人生に必要なものを見つけていく。

少しずつだか心を開き始めたハワードは同じく幼い子供たちを亡くした遺族たちのセラピーに通うようになり、主催者のマデリンナオミハリスと心を通わせていくが、どうしても亡くなった娘の名前を口にすることはできなかった。

「愛」「時間」「死」という概念を演じた役者たちがそれぞれにとても魅力的。役者とは言え脚本なしの即興演技ということになるのだけど、概念のテーマに沿って核心を突くことを言ってくる。そして、やはりハワードよりもホイット、クレア、サイモンに対する影響力が実は映画の肝となる部分だったのかも。ハワードも自分の悲しみにうまく対処することはできていなかったけど、友人3人の悩みについてはちゃんと見ていたんだよねー。

肝心な題名となっている「Collateral Beauty」ですが、マデリンが自分の娘が死んでしまいそうなときに待合室で隣に座った女性に「誰が亡くなりそうなの?」と聞かれて「娘です」と答えたら「そこには必ずCollateral Beautyがあるから見落とさないで」と言われたとハワードに話します。こんな不幸な出来事の中にも必ず“幸せのおまけ”がある、と。Collateralという英語は「担保」とか「巻き添えの」という意味で「担保」は文字通りの意味で「巻き添えの」というのは戦争などで市民が殺されてしまうような「巻き添え」を指します。その言葉をこのようにポジティブな意味で使うというのはなかなかないかもしれません。不幸な出来事の中にもそれに付随して副産物的に美しい何かが生まれる。それはどんなに否定しても確かな事実かもしれません。そして、それがどんなに些細なことでもそれに目を向けることが、生きる糧になるとワタクシは解釈しました。

最後にマデリンとハワードの関係性が明らかになるとき、一瞬前に予想できましたが、マデリンの愛の深さを感じて涙せずにはいられませんでした。

結局「愛」「死」「時間」を演じた役者たちは実在したのかしなかったのか。それはそれぞれがどちらと取ってもいいのでしょう。ファンタジー的な要素をうまくドラマに落とし込んだ脚本だったと思います。

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