公開のずっと前から見に行こうと決めていた作品でした。
現代のパリのアパート。夫フレデリックピエロの一家がかつて住んでいたこのアパートを改装して娘を住まわせようとするアメリカ人ジャーナリストのジュリアクリスティンスコットトーマス。彼女は雑誌の取材でフランスのヴェルディヴ事件を追うことに。そこで調べを進めていくと夫一家が住んでいたアパートはヴェルディヴ事件のときにフランス政府に一斉検挙されたユダヤ人が住んでいたアパートだということが分かる。そこに住んでいたユダヤ人の足跡をたどると両親は収容所で死亡したという記録があるが、娘サラメリュジーヌマヤンスとその弟の消息が分からないままになっている。ジュリアは子供たち二人の行方を探る。
一斉検挙の日、サラはとっさに弟を納屋に隠し鍵をかけた。サラはすぐに帰ってこられると思い「ここから動いちゃダメよ」と幼い弟に言い聞かせ鍵を握りしめ両親とともにヴェルディヴに連行された。その後両親とも別々にされ収容所に送られたサラは、どうしてもパリの自宅に帰らなければと収容所を脱走。親切なデュフォール夫妻に助けられたサラは弟のために納屋を開けるが、すでに長い月日が経っており弟は死体で発見された。
ジュリアは夫一家がユダヤ人から奪ったアパートに住んでいたことで悩み、なかなか切り込めないでいたが、唯一事情を知っている夫の父に話を聞くことに。夫の父が幼かった頃、引っ越したばかりのアパートにサラが訪ねてきて弟の死体を発見したところに遭遇していた。その場に居合わせた夫の父の父は家も家族も何もかも失ったサラのためにサラを引き取ったデュフォール夫妻にお金を送っていた。
サラから夫の父の父宛の手紙でサラがアメリカに渡ったことを知り、アメリカに取材に出かけるジュリア。彼女はサラが死亡したことを知るが、サラの息子ウィリアムエイダンクインがイタリアにいることを知らされ会いにでかける。
自分の母親の過去を何一つ知らなかったウィルアムから「いまさら何も知りたくない」と追い返されるジュリアだったが…
ジュリアは45歳。一人娘は12歳。不妊治療も受けていたがもう諦めてしまったいま2人目を授かった。しかし、夫はもうこの年で子育てしたくないと堕胎を薦める。そんなときに出会ったサラという少女。彼女の拭い切れなかった悲しみ、背負いきれなかった重い十字架を追ううちに周りの人も傷つけてしまうことになるジュリア。それでも。夫の一家が傷つくことは分かっていてもサラの物語に光を当てずにいられなかった。それはジャーナリストとしてのジュリアの性分でもあっただろうし、母親としての責任感でもあったのかもしれない。
サラの記事を書き上げたジュリアに若いジャーナリストが言う。「ここでこんなことがあったなんてヘドが出るわ」そこでジュリアは「あなたがもしあの場にいたら何ができたと言うの?」と言い返し、簡単にジャッジすることの愚かさを問う。彼女は自分自身のあの言葉によって、自分が夫一家を糾弾してしまっていたことに気付いたのではないだろうか。あの時代に自分もいたとしたら一体何ができたのか?もし、同じことが起きたら何ができるのか?
サラに一体何が起こったのか?みたいなミステリーちっくなことが中心に描かれるのかと思ったら、サラの物語の真相は映画の中盤で判明し、その後日談やそれがジュリアやウィリアムに与えた影響などがじっくり描かれているところが非常に繊細な筋書となっている。ジュリアもジュリアの夫一家も、ウィリアムも過去を簡単に受け入れることはできなかったけれど、サラという少女は確かに存在し苦しみながら生きていた。その人生を少しでも受け止めてあげることができたら。サラの生きた意味を少しでも理解してやりたかったジュリアの熱意がウィリアムにも観客にも伝わっていく後半の展開が素晴らしい。
クリスティンスコットトーマスはフランス語と英語を喋れるイギリスの女優さんでまさにこの役にはピッタリ。今回はアメリカ人の役だったからフランス語とアメリカンイングリッシュということで彼女にとってはどちらも自分の母国語ではないということになりますね。サラを演じたメリュジーヌマヤンスも素晴らしく、あの時代を懸命に生き抜いた少女を誠実に表現してみせている。
以前からずっと見たいと思っていた作品ですが、なぜか機会を逃していました。今回やっとレンタルで見ました。
まず、ヘレンミレンがエリザベス女王を演じるというだけでかなりの興味が湧く。彼女が演じるなら絶対に間違いはない。そう思わせてくれる。しかもダイアナ妃が亡くなったあとの王室の内幕を描くという勇気のある作品だ。
ダイアナ妃が亡くなったとき、イギリス王室一家は保養地にいた。すぐにパリに飛ぼうとするチャールズ皇太子アレックスジェニングスだったが、もう王室の人間でない者のために専用機を使うとまた王室の無駄遣いを批判されることになると反対するエリザベス女王。エリザベス女王の夫フィリップ公ジェームズクロムウェルも母・皇太后シルビアシムズも女王に賛成する。
しかし、チャールズ皇太子は結局ダイアナ妃の遺体を迎えに行き王室旗をかけた棺を持ち帰りロンドンに安置する。翌日からケンジントン宮にはたくさんの花束やメッセージが所せましと置かれ、衛兵の交代の儀式もままならないほどになっていく。各国のイギリス大使館に設置された記帳の数は膨れ上がり、バッキンガム宮殿に半旗のあがらないことや、女王からなんのコメントもないことなどによって、国民の反王室感情はピークを迎えた。
首相のトニーブレアマイケルシーンは、しきたりや伝統を頑なに守ろうとするエリザベス女王に対してダイアナ妃を国民葬にし、女王からコメントも出すようになんとか説得を試みる。
ここまで王室家族のみのやりとりを克明に再現しているかのような物語というのは、執事か誰かが漏らさない限り無理だと思うんだけど、その辺は想像で描かれたものなのかな。首相とのやりとりなんかは記録として残っていると思うけど。
いつも女王の脇で好き勝手なことばかり言っているフィリップ公は、こういうときも言いたい放題言い散らかしていたし、皇太后はやはり一世代前の人だからしきたりというものに強いこだわりを見せていた。エリザベス女王本人も、もちろん伝統的な価値観というものにこだわりを見せつつも、やはりフィリップ公などとは違って、自分がすべての矢面に立たされるだけあって、現実的な対応が必要になるということを分かっていながらの苦悩というものが見えた。
それゆえに、王政そのものに反対の姿勢を取っていたトニーブレア首相でさえも、最後にはエリザベス女王の立場を守るような発言をしている。1953年からずっとイギリス連邦の女王としてその生涯を捧げてきた女王に対してブレア首相が理解を示すシーンではなぜか自然と涙が流れた。おじさん(エドワード8世)の勝手な行動で父親(ジョージ6世)に継承権が移り、その仕事の重圧からその父親も病気になってしまった立場なのに、それだけの長きに渡って重いものを背負ってきた女王にやはり尊敬の念を抱かずにいられなかったブレア首相にとても共感を覚えた。
たとえどんなに批判を受けようとも、決して品位は失わず堂々とした態度で公の場に出ていくエリザベス女王。王政に反対か賛成かということは別として人間として尊敬に値する方だという描き方をしている作品で、決して安易な王室批判ではない実直な作りになっている。
この作品で数々の主演女優賞を受賞したヘレンミレンは、本当に素晴らしい演技を見せていた。王室の人ということでやはり世間とは多少ズレたお茶目な面を見せたかと思うと、誇り高い女王の顔、孤立し傷つき苦悩する君主の顔を自在に見せる。この映画を見ている間中、本物のエリザベス女王ってどんな顔だったっけな?と思うほど、まるで本物の女王のように見えてきた。エリザベス女王だけじゃなくて他の王室のメンバーやブレア首相までよく似てる人を集めてあるんだよねー。ダイアナ妃の国民葬とかニュースとか本物の映像も多々入るので、なんだかドキュメンタリーを見ているような錯覚に陥ってしまいました。
オマケ1日本の皇室に比べて開けて自由なイメージのあるイギリス王室だけど、女王が大きなレトリバーを3頭も連れて一人で運転して狩場まで行くなんてすごいなぁと思いました。車が動かなくなった時も自分で様子を見て「シャフトが折れてるわ」なんて言うから、えーそんなこと分かんの?とびっくりしたけど、大戦中には従軍して軍用車両の整備などしていたというから驚きだ。
オマケ2ヘレンミレンが2007年のアカデミー賞主演女優賞を受賞し、翌年2008年のアカデミー賞の主演男優賞のプレゼンターを務めたとき、ダニエルデイルイスがヘレンミレンの前でひざまずき、女王が爵位を与えるときのようにオスカー像で両肩に触れたのが面白かったです。女王からイギリス人俳優へだったので、ダニエルデイルイスがとっさに取った行動のようでしたが洒落た演出でした。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
イラクの独裁者サダムフセインの息子ウダイフセインの影武者だったラティフヤヒアの自伝の映画化。
ウダイフセインドミニククーパーと同級生だったラティフ(ドミニククーパー2役)はある日ウダイに呼び出され影武者になるよう強要される。最初は断るラティフだったが、拷問され家族に危害を加えると脅され仕方なく了承する。学生時代から似ていると評判だった2人だが、より似せるために整形手術を受けさせられ、髪型を変え、入れ歯を入れさせられるラティフ。
影武者として働くようになってからはウダイの豪邸で共に暮らすことになるのだが、「狂気のプリンス」と呼ばれたこのウダイという男が完全に狂っている。父親の権力をかさに着て麻薬、拉致強姦、暴力、脅し、拷問、殺人と好き放題。そんな人間のコピーとなることを強要されてしまった誠実なラティフの恐怖の日々を描く。
2役を演じ分けるドミニククーパーが素晴らしい。まるで正反対の二人を見事に演じ分けている。しかも、演じ分けるだけではなくラティフがウダイの口調や声色を真似するという演技もしなければならない。これが非常に難しいだろうなと思う。ウダイの役とウダイの真似をするラティフの役とラティフ自身を演じないといけないし、あくまでも真似は真似であって、ウダイのときの演技とも分けなければいけない。ドミニククーパーという役者を演技派というふうには見ていなかったので嬉しい驚きだった。
あの独裁者サダムフセインフィリップクァストをして「生まれたときに殺しておくべきだった」と言わしめるほどのウダイの狂人ぶりがすごい。それをそばで見せつけられたラティフの辛さが物語を通して観客も体感させられる。それでいて、映画としてはぐいぐいと引き込まれる魅力のある物語だった。
ウダイが囲っていたサラブリュディヴィーヌサニエとの恋愛の話は映画としてフィクションでくっつけただけなのかな?と思うのだけど、暴力描写に関しては実際はあんなもんではないという話もある。映画を見ただけでも残忍さは十分に伝わるが、現実のほうがひどいというのだからここでも「狂気のプリンス」がいかに狂っていたかが分かる。
ラティフは最後に自分を取り戻そうと行動に出るあたりから少しダレた感がなくはないけれど、全体的にはスピード感があって良い作品に出来上がっている。実際にあの恐怖を体験した人には申し訳ない言い方だけど、映画としてはスリル満点の出来上がりだ。
もしあの時ラティフがウダイを暗殺していたら、影武者が本物を殺すというまさに事実は小説よりも奇なりな展開になっていただろうなぁ。そしてもしこれが完全なフィクションであったならば影武者が本物に毒されて、本物の性質にどんどん近づいてしまうという狂気のストーリーでも面白かったなと見終わってから思った。
1970年代軍事政権下のアルゼンチン。お母さんノラセシリアフォントを交通事故で亡くしたアンドレスコンラッドバレンスエラはお兄ちゃんラウタロプッチアと一緒におばあちゃんノルマアレアンドロの家で離婚したお父さんファビオオアステと暮らすことになった。
お父さんたちはお母さんと子どもたちが住んでいた家を売り、お母さんの荷物はなぜか焼き払ってしまう。8歳のアンドレスにはよく意味が分からないが大人たちは何かを隠しているような感じがする。母の家に行っても怒られるし、友達と遊んでいてボールが入ってしまった敷地に勝手に入ったことくらいでめちゃくちゃに怒られた。大人たちはお昼になるとアンドレスにお昼寝(シエスタ)をさせて何か秘密の話をしようとしている。
お母さんは反体制派の運動に手を貸していて、軍事政権下のアルゼンチンではそれが見つかったら大変なこと。一見普通ののどかな街角にも秘密警察のアジトがある。大人たちはいつも秘密警察の顔色を窺いながら、自分たちが疑われることのないよう細心の注意を払って生活していた。
そんなことは8歳のアンドレスには分かるはずもない。それでもやはりそのように暮らしいてる大人の姿が子供に与える影響というのは計り知れない。少しずつ純粋な8歳の少年の心を侵食していく大人の生き方。そして、真夜中に秘密警察が反体制派を乱暴に連行していく姿を目撃してしまったアンドレス。一緒に見ていたはずのおばあちゃんに「あれは夢よ」と言われ増す不信感。その結果できあがってしまう恐ろしい子供。
映画の前半でお母さんと楽しそうに歌い踊っていたあどけないアンドレスの瞳が、ラストシーンでこちらをゾッとさせるようなまなざしに変わっている。この「瞳」で選んだとダニエルブスタマンテ監督が言うだけあって、アンドレスを演じるコンラッドバレンスエラの瞳が素晴らしい。演技はほとんど経験がないという彼だけど、あのまなざしができる自然な演技力が備わっている。ポスターを見ている段階ではずっと女の子と思っていたほど可愛らしい顔をしているし、これからの成長が非常に楽しみな子役だ。
映画のストーリーの中では、特に軍事政権について何も語られないし説明もないので、まったく背景を知らずに見るとなんのこっちゃ分からんってことになると思いますので少し事前に調べてからご覧になってください。
ケーブルテレビで放映していたので見ました。この作品は公開時に見に行きたかったのですが見逃していたものでした。
かつてロシアのボリショイ交響楽団の天才指揮者と言われたアンドレアレクセイグシュコフは30年前楽団にいるユダヤ人の仲間をかばったために当局から指揮者の地位を追われ、現在は劇場の清掃員となっていた。劇場支配人の部屋を掃除しているとき、彼はパリから楽団への出演依頼ファックスを目にし、あろうことかそれを盗んで昔の仲間を寄せ集めてボリショイ交響楽団になりすまし、パリ公演を行うという計画を立てる。
元チェリストのドミトリーサーシャグロスマンとともに、同じように楽団を追われた仲間たちを一人一人訪ねて回るアンドレ。また一緒に楽団をやろうという指揮者の誘いに仲間たちは集まった。パリの劇場との交渉も進み、バイオリンのソリストに世界的なバイオリニストアンヌマリージャケメラニーロランを用意してもらうこともできた。
公演前日パリにつく一行だが、ユダヤ人の楽団員はパリで一儲けすることを企んでおり、共産党員のイワンヴァレリーバリノフは世界で共産党が復活するのを信じてパリで党大会を開こうとする。そして、他の楽団員もそれぞれ演奏のことなど忘れてパリを謳歌しているのだった。
アンヌマリージャケがせっかく練習に来てくれてもアンドレとサーシャしかいない。果たして彼らはコンサートを成功させることができるのか?
急なパリ行ということでパスポートを持っていない楽団員のために、同じく楽団員の一人であるロマ族のバイオリニストが全員のニセのパスポートを用意するところが笑える。写真だけ持参した楽団員はなんと空港のロビーでニセのパスポートに写真を貼ってもらってニセのハンコを押してもらって、ハイ、出来上がり。っていくらなんでもそりゃバレるっしょー。と思うけど、そこいらへんはまぁご愛嬌。ルーマニア生まれのラデュミヘイレアニュ監督の「ロシアなんてこれくらいいい加減」という痛烈な皮肉なのかな、などとも思いつつ。
前半は特に全体的にコメディ要素が強いが、自分の信条のために指揮者を追われたアンドレを応援してくれる妻イリーナアンナカメンコヴァや、仲間のドミトリーとの友情にほろりとさせられるシーンもあるし、後半に進むにしたがって、アンドレがなぜアンヌマリーを呼んだのかというミステリーも加わって少しシリアスムードになってくる。その雰囲気の転換がちょうどクライマックスの彼らの演奏シーンと重なってうまく機能している。リハもしないでどうしてあんな素晴らしい演技ができるか?ってところはちょっと納得いかないなぁという気持ちもありつつですが、最初はバラついた演奏だったのに、それがまとまっていくところではやっぱり感動してしまいました。
アンドレとアンヌマリーとの関係においては、うまくミスリードされてしまってうっかりそれに乗っかっちゃったもんで、逆に真実を知った時にちょっとなぁんだと思ってしまったけど、アンドレの奥さんが良い人だったから、アンドレの隠し子とかじゃなくて良かった。
このお話って確かにリアリティに欠けるところがたくさんあるし、いまひとつぴりっとしないなぁと思うところもあるんだけど、ロシアが舞台っていうのがなんだかミソな気がする。共産圏の人々の悲哀っていうのかなぁ。そういうのがなんだかにじみ出てるんですよね。だからこそ、このぴりっとしない感がいいのかなぁなんて思ったりしました。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
この作品賛否両論のようですが、ワタクシは好きです。
意味なく大きな悲しみに襲われたあと嗅覚を失うという病気が世界中に蔓延し始める。感染症学者のスーザンエヴァグリーンは原因を突き止めようとするがなんの手がかりもない。感染は急速に広まり始める。
スーザンは男運が悪い。ロクデナシばかり好きになる。今回も傷ついたスーザンが出会ったのはアパートの裏のレストランのシェフマイケルユアンマクレガーだった。今回もどうせロクデナシだろうと思いつつマイケルのことが気になるスーザン。自然と近づいていく二人にもこの感染症が襲う。
嗅覚を失った人々はレストランに来なくなり、余った食材でマイケルがスーザンにご馳走を作ってあげた夜、スーザンは悲しみに泣き崩れた。そのスーザンをなぐさめているうちにマイケルも大きな悲しみに襲われ同じように泣き崩れる。その後二人は嗅覚を失う。
味付けを濃くするなどの工夫でレストランにもお客が戻り始めたころ、人々は強烈な空腹に襲われそのらじゅうのものすべてを食べつくす。無我夢中で何もかも(食べ物でない物まで)食べつくしたあと、人々は味覚を消失したことに気付く。
今度こそもう人は「油と小麦粉だけで生きていける」状態になったが、マイケルは希望を捨てず、食感や温度で食べ物を感じられる料理を作りまたレストランに客は戻ってきた。
その後、急激な怒りと憎しみを抱いた人々はその怒りを発散させたあと聴覚も失ったことに気付く。
感染の広がりを防ぐため家に閉じ込められた人々。彼らを突然の幸福感が襲い愛する人とのつながりを求める。最後に視覚を失う前の瞬間に人々は愛する人の笑顔を目に焼き付け、あとは触れ合うことでしかお互いを感じることができなくなってしまう。
徐々に失われていく感覚の中、世界の混乱の中、マイケルとスーザンは愛を深めていく。スーザンにとってマイケルは秘密を打ち明けられるほど今までのロクデナシとは違い、ベッドでは一人でしか眠れなかったマイケルはスーザンとなら一緒に眠れた。
これはいわゆるパンデミックもののようで、実はラブストーリーの要素のほうがずっと強い。この謎の病の正体はなんなのか、原因は?予防法は?治療法は?などということは一切分からない。だから、この病に合理的な説明を求めたい人にとってこの作品はかなりの駄作ということになるだろう。この作品はもっとミクロの世界を覗き込んだように作られている。これをマイケルとスーザンを中心としたファンタジーとして見ればいいのだと思う。ワタクシは初めからこの作品にパンデミックものの要素は求めていなかったので、マイケルとスーザンのロマンスを中心に違和感なく見ることができた。
スーザンが感染症学者というのは、ある程度この病を説明するのに必要ということだろうけど、マイケルの職業がシェフというところが絶妙だ。順番に感覚を失っていく人々のために料理を作るマイケル。彼の独創性が人々を救う。そこに観客は希望を見出すことができる。
様々な感覚を失っていく中で、マイケルとスーザンのセックスが重要な意味を持っていると思うのだけど、ここで映るエヴァグリーンの体がとても美しい。エロい意味ではなくて。あ、エロい意味か。うん、まぁ、どちらにしても美しいと思う。
嗅覚を失くした人々がそれに関連する思い出を失ってしまうことであるとか、嗅覚を失った人々に聴覚を刺激して匂いを想像させようとするバイオリニストとか、味覚を失ってもまだ食感や料理の見た目を求めて外食する人々であるとか、味覚を失ったマイケルとスーザンがお風呂で泡やら石けんやらを食べるシーンとか、聴覚を失う前のスーザンが車の中で世界の喧噪に耳を澄ましているシーンだとか、視覚がなくなる前の幸福感だとか、時折挟まれるナレーションとか、とても詩的な表現が多くて気に入ってしまった。
視覚を失う前、お互いを求めて街を駆け巡るマイケルとスーザン。二人が擦れ違う。マイケルにはスーザンの車の音が聞こえない。スーザンにはマイケルの叫ぶ声が聞こえない。このシーンが切ない。そしてやっと触れ合うことのできた二人。訪れる闇。人類はこの闇さえ克服することができるのか。
最後に感じたのが幸福感だったおかげでそれができるような気さえするエンディングだったが、もしこれで触感まで失ってしまったら人間という生き物はどうなってしまうのか。底知れぬ恐怖も同時に味合うようにできている。
人気ブログランキングへ
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
ワタクシは「三国志」と言っても横山光輝の漫画「三国志」しか知らないのですが、この漫画の中でもっとも好きなキャラクターが関羽です。というわけで、関羽の映画があると知って見に行きました。
関羽ドニーイェンが曹操チアンウェンの捕虜となっていたときのお話を描く作品です。敵ながら関羽にほれ込んでいる曹操はあの手この手で関羽を自分のほうに引き寄せようとするが、劉備と義兄弟の誓いを交わしている関羽は絶対に劉備を裏切ることはない。曹操の戦にも参加して曹操の顔を立てたこともあり、曹操は関羽を劉備の元へ帰してやることに。そこで、関所を通らなければならないが、曹操は関羽を通してやるように命令するが、陰で別の命令が発せられていてそれぞれの関所で関羽は命を狙われる。という「過五関、斬六将」と呼ばれている部分です。
「三国志」については詳しい方がたくさんいらっしゃるので、漫画でしか知らないワタクシはあんまり深い話はできません。ただ関羽が好きという理由だけで見に行きました。敵の曹操がほれ込むだけあってやっぱり関羽はかっこいいなぁ。いつも冷静沈着で情にも厚い。そろばんを発明したとまで言われているくらいだから(この説はウソらしいけど)頭もとても良かったんでしょうね。なんせ中国では神格化されている人ですから、民衆からも支持されていたんでしょう。
映画的にはドニーイェンが主役だけあって、アクションシーンに多くの時間が割かれています。まぁ、これはこれでドニーイェンだし仕方ないなとは思いつつ、もう少し人間模様のほうを多く見たかったなという気はしました。関羽の武器、青龍偃月刀っていうんですか。あれを振り回しまくって、最後らへんは刃こぼれがひどいんですけど、あんなんで人が切れるんでしょうか?なんて言ってもこの「過五関、斬六将」のエピソードそのものが史実にはないということらしいので、あんまりリアリティを求めるてしまっても興ざめというものでしょう。
曹操のことが一方的な悪役として描かれているわけではなかったところは気に入りました。横山光輝の「三国志」では曹操はかなりの悪役に描かれていますが、色んな見方ができると思いますし曹操も彼なりに天下国家のことを考えていたことが描かれていたのが良かったです。
劉備の第三夫人綺蘭スンリーとの恋心というエピソードは、ちょっと余計かなぁという気がしました。映画的にこういうロマンスめいたものも入れておいたほうがいいかなという思惑があったんでしょうけど、却ってお話が安っぽくなってしまったと感じます。それでも劉備を決して裏切らない関羽というのを表したかったんでしょうけど。
最後はなんか思いっきり皇帝をコケにしてい終わりますが、あんなんでいいんでしょうか?中国にはもう皇帝はいないからいいのかな。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
1956年毛沢東は共産党への自由な批判を歓迎するという政策を打ち出したことで、人々は自由に発言を行うが、翌年180°方針は転換し、自由に党を批判した人々は再教育収容所へ送られる。その収容所での過酷な生活を描き出した作品。
物語は実に淡々と収容者たちの様子を映し出していく。砂漠の中の穴倉での生活。最初は強制労働をさせられていたが、中央の政策の失敗による大規模な食糧不足で収容所にも食糧が届かなくなり、作業は免除される代わりに食糧も自分たちでなんとかしろということになる。砂漠の中のわずかな草の種を食べる者、ねずみを捕まえて食べる者、具合が悪くなった収容者が吐き戻した物まで食べる者も。次々に人が死に、毎日のように誰かを砂漠に埋める。極度の飢えからその遺体を食べる者まで現れ、彼らは処罰される。
この反右派闘争というものに巻き込まれ、収容所に送り込まれ過酷な生活を強いられた人々の握りつぶされた人生をいまでも撮影許可を取らずに撮影しなければならない中国で描くというのはもの凄く勇気のいることだろうとは思うのだけど、ちょっと映画作品としては淡々としすぎていて見続けるのが辛いものがある。
物語の核となる筋がきちんとあるわけではなく、収容者個々のエピソードが時折挟まれる状態で進むにも関わらず、中盤からいきなり、董建義ヤンハオユーが自分の遺体の後始末を李民漢ルウイエに言い残して亡くなり、董建義の妻・董顧シューツェンツーが訪ねて来て夫の遺体を探して砂漠を這いずり回るというシークエンスがかなりの時間を割いて描かれ、その後李民漢が自分の師匠という老人と一緒に脱獄しようとする姿が描かれるのだけど、李にしても董にしても、それまでずっと彼らの生活を追っていたわけでもない状態でいきなりスポットライトが当てられた感じがして、見ているこちらとしては「この人誰?」ってな感じになってしまった。李が一緒に逃げた師匠のことをかばって寒いのに自分の上着を着せてやって涙するシーンも、それまで李とその師匠の交流などが特に描かれていないだけに唐突感が否めない。
収容者の悲惨な生活を見せたいだけならもっとドキュメンタリータッチの作りにするべきだし、物語として見せたいならもっときちんとした軸になるものを持ってくるべきだと思う。残念ながらこの作品はどっちつかずになってしまっている。現実に収容所に送られた人々への想いから、作品自体を批判することも遠慮されがちだと思うが、映画作品としてはちょっと物足りないと言わざるを得ない。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
年末に見に行っていたのに記事を書くのをすっかり忘れていました。と言っても面白くなかったわけではありません。
SFオタクのイギリス人クライブニックフロストとグレアムサイモンペッグはアメリカのコミコンというコミックのイベントにやって来た。レンタカーでアメリカ中西部のUFOスポットなどを回る途中エリア51で本物の宇宙人ポールセスローゲンに出会う。自らSFコミックを書き、UFOを信じ宇宙人を信じているクライブでさえ、本物の宇宙人を目の前にして卒倒してしまう。クライブが気を失っている間にポールはすっかりグレアムと打ち解けている。ポールはアメリカ政府の監禁場所から抜け出し故郷へ帰る途中だと言う。そんなポールを仲間が迎えに来るところまで送って行ってやることになった二人。
クライブとグレアムはイギリス人、宇宙人ポールは宇宙人でありながら、もう何十年もアメリカ政府に捉えられており、気分はすっかりアメリカン。このイギリス人オタクとアメリカ青年的宇宙人とのやりとりがかなり笑える。宇宙人ポールの声を担当するのがセスローゲンというだけあって、このポール、もう下ネタ爆発。セスローゲンのジョークがダメな人は全然ダメな作品。そろそろこのニックフロスト、サイモンペッグの二人やセスローゲンなども日本でも映画が好きな人なら認知しているだろうから、彼らが苦手な人は最初からこの作品を見に行ってないだろうけど。
宇宙人ポールの下ネタに拍車をかけるのが旅の途中で彼らに加わるルースクリステンウィグ。彼女は敬虔なキリスト教徒として育ったがゆえ、進化論を否定して生きてきたが、ポールの特殊な能力で「宇宙の真理」を見せつけられて今まで自分が信じてきたものがウソだったと悟り、お堅いクリスチャンだったことへの反動で、下ネタやいわゆる放送禁止用語を連発しまくる。
ポールのことはビッグガイシガニーウィーヴァーが追っており、ゾイルジェイソンベイトマンというエージェントがビッグガイの手先となって動いている。ポールは追手を振り切って自分の星に無事帰ることができるのか?
主人公の二人がイギリス人で、ルースも変な女性だし、追っているゾイルのアシスタントも変だし、宇宙人のポールが一番普通のアメリカ人っぽいところが妙に笑える。スピルバーグに「E.T.」を作るときのヒントを与えてやったとか、「X-ファイル」のモルダーはオレが考えだしたキャラクターだとか言うポールがとても面白い。(セスローゲンは本当はカナディアンですが…)
冒頭に登場した少女の存在を観客が忘れかけたところで、ちゃんとポールが覚えていて会いに行ってくれるシーンにちょっとジーンと来たりしました。ポールってやっぱイイ奴って。その少女が大人になった女性をブライスダナーが演じていたのでちょっと驚いちゃいました。ま、でもグィネスのお母さんだしやっぱり面白いこと好きな人よねーと思いましたが。
それにしても、ポールが絵に描いたような“宇宙人”の風貌なんですが、彼が普通に動いて話して何の違和感もないという映像技術にもびっくりしました。もういまや、こんなの普通になってきてるけど、それでもやっぱりすごいなぁって。
そういう映像のおかげか、宇宙人ポールが人間たちと一緒に行動しているのが自然でストーリーにも入り込みやすく、ふざけた奴だけどイイ奴な宇宙人ポールに共感してしまいました。気持ち悪い風貌なくせにイイ笑顔してるんだわ、コイツが。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
公開前から見たいと思っていた作品です。
カナダ、ケベック。母親ナワルルブナアザバルを亡くしたばかりの双子の姉弟ジャンヌメリッサデゾルモー=プーランとシモンマキシムゴーデットは母親を秘書として長年雇っていた公証人レミージラールに呼ばれ、母の遺書を渡される。ジャンヌには「あなたの父を探してこの手紙を渡しなさい」シモンには「あなたの兄を探してこの手紙を渡しなさい」というメッセージが残されていた。エキセントリックな母親の遺言を拒否するシモンに対し、ジャンヌは母の故郷レバノンへ向かい父親を探し始める。
物語は時系列には進まない。娘ジャンヌが母親の過去を辿り、それに合わせて映像では若いころの母の日々が綴られる。やがて、弟シモンも一緒に自分たちの父と兄という未知の存在を探していく。
この母と娘を演じる女優さんが似ていて、時間軸が動くたびにどっちの話かちょっと混乱してしまった。
母ナワルの過去を辿るため中東に向かうジャンヌがまず物語を引っ張るのだけど、この「中東」というのが一体どこのことなのか、中東なのにキリスト教徒って一体どこだーっ?とそれが気になって仕方なく、あまり事前情報を入れないようにしているワタクシだけど、ちゃんと調べてから来れば良かったかなぁと思いつつ見ていた。あとで調べてみるとレバノンのことだそうで、中東でありながらキリスト教徒が多く、フランスが統治していたことからジャンヌたちが行ってもフランス語で通じる人がちらほらいたわけだ。そう言えば、カナダにはレバノン移民が結構いるよね。物語としては特にこの中東の国がレバノンだと分からなくても問題なく見られます。
母ナワルがレバノン内戦の時代に激動の人生を送り、子供たちは(観客も同時に)最後に「1+1=1」という衝撃の事実を味あわされる。ワタクシも見ている最中は、この衝撃の事実に打ちのめされ、自分が字幕を読み間違えているんじゃないかと疑うほどだったけど、どうやらそういうお話らしい、ということを飲み込んでから、たくさんの疑問が湧いてきてしまった。
ナワルはプールでの過去との対面後死期を悟ったからか、わざわざ自分の過去をさぐらせるために用意周到に遺書を準備して子供たちにレバノンにまで行かせて一体何がしたかったのか?「暴力の連鎖を断ち切る」と手紙には書いてあったけど、子供たちに過去を探らせることや、父や兄に手紙を渡すことがどう連鎖を断ち切ることになるのか。母親からの遺書という形で告白文を渡されるというだけではダメだったのかな。やっぱり現地に行ってその空気から何からすべてを感じ取って欲しかったのか。どうして母がそのような人生を送らねばならなかったか。ある意味では母自身の選択によって招いた悲劇。被害者から加害者へ、そしてまた被害者へと自らが「連鎖」の一部となってしまった母の人生の総括を子供たちにしてもらいたかったのか。
時間軸がいじってあるために、その映像が映っているときには一体何のことなのか分からないシーンがいくつかある。しかし、最後の衝撃まですべてを見終わると、無駄なシーンなどひとつもない131分だということが理解でき、映像的にも演出的にも映画としてとてもよくできている作品だと感じた。
映像や演出が映画的に素晴らしいということと、ストーリーそのものが素晴らしいというのは、今回の場合少し違っていて、特にここで描かれる「衝撃」をどう捉えるかは人によってかなり違ってくると思う。ワタクシはちょっと作りこみ過ぎかなぁという気がしないでもなかった。これが「実話です」と言われたらぐぅの音も出ないところだけど、フィクションですからね…とても寓話的というか、ギリシャ悲劇的。とは言いつつ、何と言うのかなぁ、うまく言えないけどやっぱりなんかズドーンと来た作品ではありました。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
試写会が当たったので行きました。
韓国の京城(現在のソウル)からフランスのノルマンディーまで、日本、ソ連、ドイツの3つの軍隊の軍服を着て戦った男の話。宣伝ではノンフィクションのように言われていますが、監督が1枚の写真にインスパイアされたというだけで物語そのものはフィクションのようです。
日本領だった時代の韓国。軍人を祖父に持つ長谷川辰雄(のちのオダギリジョー)とその家の使用人の息子であるキムジュンシク(のちのチャンドンゴン)は、二人ともマラソンが得意ということでお互いライバルだったが、当時韓国は日本の属国だったため辰雄のほうは完全にジュンシクのことを見下していた。戦前の国粋主義教育に加え、ジュンシクの父親が辰雄の祖父夏八木勲を暗殺した疑いをかけられたこともあり、辰雄はさらにジュンシクや韓国人への憎悪を燃やしていく。
やがて二人とも青年へと成長し、オリンピックの選考会が行われる。ジンシュクは辰雄を負かしたにもかかわらず、日本側はジンシュクが他選手の進路妨害をしたとして辰雄を優勝とする。そのことに怒った韓国の群集は暴動を起こし、その罰として彼らは日本軍に強制的に徴兵される。
日本兵としてノモンハンで戦うジンシュクの前に現れたのは大佐になった辰雄だった。辰雄の国粋主義には磨きがかけられており、「皇軍は何があっても撤退しない」と言い、ソ連軍との激しい戦いの中で撤退しようとする仲間たちを次々に殺していった。その結果、彼らはソ連軍に捕虜として捕らえられてしまう。
辰雄が狂ったように皇軍は!、皇軍は!、と叫ぶ姿にはちょっと吐き気を感じてしまった。カンジェギュ監督が悪意を持ってこういう構成にしたのかどうかは分からないが、韓国人の国民感情を満足させるための作りというのがところどころに見えて、ワタクシは普段右寄りではないと思っているけど、それでも「ん?」と思うところが多々あったりもした。
ソ連軍の捕虜になってから、日本の軍隊で韓国人を虐め抜いていた者たちが、韓国人にやり返されるところがあるが、この辺りはまぁ人間の感情としては仕方ないかなという気はした。ここで、ジンシュクの親友だった男キムイングォンはユダヤ人収容所における“カポ”のような役割を果たしていた。彼は自身も囚人の身でありながら、囚人たちを監視する特権的な役割を果たしており、戦争が人間を変えてしまう様を描いている。
ここでソ連軍として戦うか死かいう選択を迫られ、ソ連軍として戦うほうを取るのだが、ジンシュクはいいとしてもあれだけ「皇軍、皇軍」と叫んでいた辰雄があっさりソ連軍に入ることを選んだことにも非常に違和感があった。あれだけの国粋主義者ならば「天皇陛下、万歳!」と叫んで死ぬほうを選ぶと思うのですがね。辰雄の主義なんてそんなもんだったんでしょうか。韓国人を虐めまくっていた日本軍の軍人山本太郎に「大佐はソ連軍の軍服がよくお似合いで」と皮肉を言われていたが、そう言いたくなる気持ちもよく分かる。ソ連軍の上官が自分と同じようなことをしているのを見て辰雄は我が身を振り返るのだが、それもあの時代の国粋主義者にしては随分ヤワだなという印象だった。
ソ連軍が壊滅状態になったとき、ジンシュクと辰雄は共に逃げ途中バラバラになってしまうが、どちらもドイツ軍に入っており、ノルマンディーで再会する。そこには連合軍のノルマンディー上陸作戦が迫っていた。
まーとにかく戦闘シーンの長いこと。リアルは戦闘シーンというのが自慢の作品のようだから、それはそれでいいのかもしれないけど、それに費やす時間を少しは人間関係をもっと掘り下げる時間に充てたほうがずっといい作品になったと思うのだけど。子供のときは仲良かったのに戦争のために敵味方に分かれた二人という話ではなく、辰雄とジンシュクは初めからいがみ合っていたのに、それが氷解するきっかけも印象としては薄く、後半になって急に“友情物語”的な演出をされてもワタクシは全然ついていけなかった。ここに納得できた人には良い作品だったんじゃないかなと思います。
アメリカの捕虜となっても助かるように最後にジンシュクが辰雄に自分に成りすませと言って死んでいくシーンは悪くはなかったですが、その後辰雄がジンシュクとしてオリンピックに出場するというところはちょっと都合よく作り過ぎじゃない?と感じました。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
両親を事故で亡くし、それ以来ふさぎ込んでいるイーノックヘンリーホッパーは、自分もその事故で死にかけて臨死体験をしたからか、日本人の特攻隊の幽霊のヒロシ加瀬亮が見えるようになり、たびたび二人でゲームをしたり話をしたり、一人の(二人の)世界にこもっていた。外出と言えば知らない人のお葬式に出ることくらい。とあるお葬式でアナベルミアワシコウスカと出会う。アナベルは余命いくばくもない病にかかっていた。
イーノックの周辺には死んだ両親、幽霊のヒロシ、お葬式、余命いくばくもない少女、と「死」ばかりが漂っていた。他人のお葬式に出かけていくというのは不謹慎で悪趣味なことなんだろうけど、イーノックにとってはある種のセラピーのようなものだったのかもしれないな。
イーノックが出会いやがて恋に落ちるアナベルは余命いくばくもないが、日々を淡々と生きている。よく映画の題材になるような生あるうちにしたいことをやりまくろう!とかそういったアクティブな行動は取らないけれど、アナベルは自分の好きなことをきちんと分かっていてその気持ちに忠実に生きているような少女だ。彼女が大好きな鳥や虫のスケッチをしたり、学名を覚えていたり、ハロウィンのお菓子を「目」「科」「属」「種」に分けていたりするシーンが素敵だった。
普通の高校生とはかなり違う青春を描いた作品で、主人公を演じる2人の演技が光る。物語の進行がとても静かなので、この2人の演技が下手だと目もあてられないということになりかねない。ミアワシコウスカの演技力というのはすでに証明済みだと思うけど、このヘンリーホッパーという子については未知数だった。しかし、イーノックという掴みどころのない役を非常にうまく演じていたと思う。
見に行く少し前に彼がデニスホッパーの息子だということを知ったのだけど、そう思って見るとなるほど顔立ちがよく似ている。デニスホッパーは汚い感じの役が多い人だったし、ワタクシの世代ではすでにおじさんだったからなかなかこの息子ヘンリーの顔と比べにくいと思う人もいるかもしれないけど、デニスホッパーの若いときにとてもよく似ている。ヘンリーを見ているとデニスホッパーもあれでなかなかの男前だったのかなと思ったりする。それにしてもデニスホッパーの息子と知った時には「息子?孫の間違いじゃないの?」と思って調べてみたら54歳のときの子だった。そりゃ、孫でもおかしくないわな。
イーノックが見る幽霊を演じた加瀬亮だけど、ワタクシは彼のプロフィールを知らなかったので、英語がネイティブな感じでびっくりした。帰国子女?と思って調べたけどアメリカにいたのは7歳までなんだよねー。だとしたら、あれは彼の努力の賜物なのか?もちろん下地はあっただろうけど、7歳だったら忘れちゃわないかな?なぜイーノックが見たのが日本の特攻隊だったのかは分からないけど、あの頃の日本人の奥ゆかしさというものがこの作品の不思議な感じによく合っていた。
ガスヴァンサント監督は60歳近い人なのに高校生の瑞々しさやぎこちなさを見事に捉え、いつまでも衰えない感性と彼の優しさを作品に投影して見せてくれる。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
年末に見てきました。以前の「バレンタインデー」が結構好きだったし、「glee」のリアミシェルが出ているのでずっと前から見に行こうと決めていました。
とか言いながら、実は内容的にはあんまり期待はしていなかったんですが。「バレンタインデー」と同じく、大人数のアンサンブルものです。
自転車便で配達をしているポールザックエフロンは、大晦日の日レコード会社の秘書イングリッドミシェルファイファーとのレコード会社主催のパーティのチケットをくれるかわりに彼女の夢を実現させるという約束を果たすためニューヨーク中を駆け回る。
ポールの姉キムサラジェシカパーカーは14歳の娘ヘイリーアビゲイルブレスリンが大晦日を彼氏とタイムズスクエアで過ごしたいと言いだし悩む。
ポールの友人でパーティ騒ぎが大嫌いなランディアシュトンカッチャーは、同じアパートの新しい住人エリーズリアミシェルとエレベーターに閉じ込められてしまった。エリーズはタイムズスクエアのイベントにバックコーラスとして出る予定で、チャンスを逃したくないと大騒ぎする。(CMで見たときは二人であみあみの中に閉じ込められていて、留置所にいるのかと思いました。ニューヨークのアパートのエレベーター、怖いです)
そのイベントには人気歌手ジェンセンジョンボンジョヴィが来る。そのジェンセンはこのイベントのシェフ・ローラキャサリンハイグルに会いに来ていた。一年前ジェンセンはローラにプロポーズしたくせにその直後に逃げてしまったのだ。アシスタントシェフのエバソフィアベルガラは何かとローラをからかいつつも彼女の恋を応援してくれている。
タイムズスクエアの年越しイベントを取り仕切るクレアヒラリースワンクは準備に取材に大忙し。警備員のブレンダンクリス“リュダクリス”ブリッジスはそんなクレアをあたたかく見守っていた。年越しのメインイベントであるボール落としのボールにトラブルが起き、呼ばれたのはベテランエンジニアのコミンスキーヘクターエリゾンド。クレアは年越しの瞬間行くところがあると会場を抜け出す。
病院で死を待っているだけのスタンロバートデニーロは、年越しのタイムズスクエアをどうしても見たがっている。スタンを献身的に看病するエイミー看護師ハルベリーも年越しには大切な予定があった。
臨月のテスジェシカビールと夫のグリフィンセスマイヤーズは新年に一番最初に生まれた赤ちゃんに賞金が出ると知って、なんとか最初に生もうと画策。それに対抗心を燃やすジェームズティルシュバイガーとその妻。
年越しパーティのためにニューヨークに向かうサムジョッシュデュアメル。昨年の大晦日に運命の女性に出会い、もし同じ気持ちなら1年後に会いましょうと言われ、今年行くべきかどうか迷っている。彼の運命の女性とは誰なのか?
「バレンタインデー」と同じくらいの人が登場します。そして、少しずつつながりがあるようなないようなという感じ。「バレンタインデー」のときはもちろんイベントがイベントだけに恋愛にまつわるLOVEの話が多かったですが、今回は恋愛だけではなく色んな形のLOVEが表現されている感じでした。
全員のエピソードを押し込めるためにちょっとした無理矢理感はありますが、まぁ大晦日という特別な日、ニューヨークという特別な場所で、なので許してあげてください。ええ話やなぁみたいな話が盛りだくさんでお腹いっぱいになります。でもやっぱりほろっときちゃいました。
「豪華キャスト」と言いつつ、映画ファンでもない日本人的にはそうでもないかなぁと。「glee」ファンのワタクシとしてはやっぱりリアミシェルの歌がボンジョヴィのバックコーラスも含めて3曲も聞けて嬉しかったです。どうしても彼女のことは贔屓目というか保護者的な目で見てしまって「glee」のレイチェル以外の役をちゃんと演じられるのかハラハラしながら見てしまいましたが、小さいときからブロードウェーに出ている彼女にワタクシなんぞの心配は無用でしょう。
今回、ジェシカビールもハルベリーもまぁ好きだけど、そこまで大好きな女優さんがたくさん出ていたわけではなかったのでちょっと物足りなかった部分はありました。ローラのアシスタントシェフを演じたソフィアベルガラが結構笑わせてくれて楽しかったな。キャサリンハイグルもやっぱコメディのセンスがあるんでしょうね。二人の掛け合いが良かったです。
こういうスターがたくさん出てるよーっていう作品は酷評されがちなのでアメリカでの評判は悪いみたいですが、ワタクシはそんなに嫌いじゃないです。「バレンタインデー」が好きだった方にはオススメの作品ですね。最後のNG集も今回も楽しいですよ。
オマケ1一度はタイムズスクエアで年越しをしてみたいなぁ、なぁんて思うんですが、「イッテQ」で7、8時間前から並んで一旦入ってしまうとトイレに行けないって言ってましたね。それを前に見ていたので、どうもあのラストを見ても「みんなトイレ我慢してるのかなぁ」と頭をよぎってしまいました。
オマケ2いつもタイムズスクエアが映ると大画面のスポンサーのTOSHIBAという文字が見えるので、少し誇らしい気持ちがします。ニューヨークの一番目立つところに日本企業の名前があるのがなんだか嬉しい気分になります。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」
いまさらですが、明けましておめでとうございます。
更新できない日々が続いておりました。
今日からまた始めたいと思います。
今年もヨロシクお願いいたします。
ではまず、(ってこれも今更感ありますが)12月25日に放映された「glee」の第3話からスタートです。
明日からは年末からたまっている映画の記事をUPいたします。
「メルセデスとレイチェル」
なんか今回メルセデスアンバーライリーが全然やる気がありません。そんなにダンス嫌いやったっけ?いままで何度かやってるDIVA対決ってやつで、メルセデスはいつもいつもレイチェルリアミッシェルにばかり主役が回るのが気に入らない様子。ダンスのブートキャンプにも遅れてきてお腹痛いとか言っちゃってるし…
このダンスのブートキャンプにサンタナナヤリベラがしれっと参加してましたね。「スー先生ジェーンリンチに内緒でグリー部に忠誠を誓った」なんて言ってたけど、スー先生に内緒じゃ意味なくないか???ワタクシはサンタナの歌がすごく好きなので戻ってくれたのは嬉しいんですけどね。
エマジェマメイズとコーチビーストトッドジョーンズとアーティケヴィンマクヘイルはナタリー役をレイチェルにするかメルセデスにするか決めかねて、もう一度同じ曲でオーディションを受けさせる。この二人のDIVA対決ってもう何回目?ここへ来てまたこれを引っ張り出してくるとは思わなかったな。レイチェルがしつこくオーディションで「I Feel Pretty」を歌うって言ってるけど、無理よ、だってもうシーズン2で登場した曲だもん。
メルセデスはブートキャンプでまた「できない」と言い、シュー先生マシューモリソンはいい加減キレてメルセデスをグリー部から追い出してしまう。
いよいよオーディション当日、結局ダブルキャストでという結論に達するが、それではメルセデスが納得せず結局辞退。レイチェルが一人で主役をやることに。
グリー部を辞めたメルセデスはシェルビーイディナメンゼルのところに行き、もうひとつのグリー部に入部してしまう。
「シュー先生とエマ」
シュー先生はエマが両親に会わせてくれなくて悩んでいるよう。コーチビーストに相談すると自分から勝手に招待しちゃえとアドバイスされる。
ビーストのアドバイスを受けてエマに内緒でエマの両親ドンモスト、ヴァレリーマハウェイをディナーに招待したシュー先生。エマはシュー先生のことが恥ずかしかったのではなく、両親のことが恥ずかしかったから会わせられなかったということが判明。エマの両親はなんと赤毛至上主義者。彼らが差別主義者であったがためにエマはOCDを患ってしまったのだ。初めてエマのOCDの原因が語られますね。その理由がまた「グリー」らしい感じ。あまりにひどい両親にシュー先生がキレてくれてエマは回復へ向かうのかと思ったけどそうでもなさそうですね。この二人はまだ前途多難?
「マイクと両親」
マイクハリーシャムジュニアのお父さんキョンシムがフィギンズ校長イクバルセバに息子のドラッグテストをさせてくれと訴える。マイクが化学でAマイナスを取ったので、何かおかしいと言うのだ。ハーバードやスタンフォードを目指しているマイクにとってAマイナスはFも同然だと。って…マイク可哀想過ぎる。ティナジェナアウシュコウィッツはマイクに本当はダンスがしたいとお父さんに言うべきと言うがマイクはまだ決心がつかない。しかし、迷った末にミュージカルのオーディションを受けることにする。
マイクはやはりダンスの夢をあきらめられないことを悟る。マイクがダンスをする姿を見たお母さんタムリントミタは「一緒にお父さんに話してあげる。私も本当はダンスの夢を叶えたかったのよ」と言ってくれる。タムリントミタ、超久しぶりに見ました。昔は顔がぱんぱんなイメージだったんですが、いい感じで歳を重ねていますね。お母さんが味方してくれて良かったねー、マイク。お母さんとのシーンはちょっと泣けました。
「生徒会選挙」
カートクリスコルファーがブリトニーヘザーモリスをリードしてしているようだけど、ブリトニーは大胆なキャンペーンでポイントを獲得しようとします。そして、なぜかそれに感化されたレイチェルまでもが選挙に出るとか言いだしてます。せっかくカートとレイチェルはいいコンビになってたのになぁ。また怪しい雲行き。
今回、楽曲がかなり充実してました。
メルセデスが歌った一曲目の「Spotlight」も良かったし、ブリトニーの「Run the World (Girls)」は、アメリカのサイトでこれをやるっていう情報だけを見て(それ以上は見ないようにして)始まる前から非常に楽しみにしていた曲でした。ブリトニーだけじゃなくてサンタナも歌ったし、ティナやクインダイアナアグロンまでダンスに参加してくれていたのが最高でした。
「It's All Over」はいままでグリーにはなかったような新しい試みという感じ。唐突にミュージカルのように歌いだすという演出はいままでほぼなかったように思います。レイチェルがあの場にいなかったのは残念だけど、ほぼ全員であんなふうに掛け合いで歌ってくれたのはすごく嬉しかったです。
DINA対決は何回目?と言いながらもレイチェルとメルセデスの「Out Here on My Own」もすごく良かった。
そして、やっとColdplay解禁の「Fix You」シュー先生がエマに対して歌う感じになってますが、他の生徒たちとの心象ともリンクして素敵なラストでした。
これで、「グリー」はしばらくお休み。って、えーーーっ!!!1月中全然ないやん(泣)!アメリカでもシーズンが始まってからなんやかんやお休みしてますからねー。毎週やってたら追いついてしまって困るのかな…はぁ、寂しいなぁ。
シーズン3になってからずっと書くのを忘れてたんですが、FOX JAPANさん、右肩に出す曲名と歌手名を小さくしてくれてありがとう。
「映画」もいいけど「犬」も好き。という方はこちらもヨロシクです。我が家の犬日記「トラが3びき。+ぶち。」