毎年アカデミー賞外国語映画賞の発表をノミネートも含めて楽しみにしている。英語圏の映画はほっといても日本で公開されるものが多いから、アカデミー賞がノミネートでもしてくれると、英語圏以外の映画も日本で公開してくれるからだ。今回受賞したこの作品。小さな映画館で順番に回っていて、先日やっと見ることができた。
恥ずかしながらワタクシはこの「ベルンハルト作戦」というのをこれまで知らなかった。ナチが大戦中にポンドやドルの贋札を作って、イギリスなどにバラまき、経済に混乱を引き起こそうとしたというのだ。そして、その贋札を作らされたのが、ユダヤ人の印刷工たち。これは実際に収容所で贋札を作らされたアドルフブルガーの原作に基づいた作品だ。
この作戦に参加させられたユダヤ人たちの苦悩を描くというものなのだが、残念ながら映画としてのデキはそんなに素晴らしいものとは言えないと思う。演出も特筆に価するほど良いものではないし、役者たちの演技もまぁ普通。音楽も映像も特に取り立てて書くほどのことはない。
ただ、実際に彼らの受けた屈辱と彼らの苦悩を考えると、非常に難しい問題だということが分かる。敵に協力しなければ、待つのは収容所での一般収容者と同じ過酷な扱いか死しかない。と言って、協力すると敵の勝利に貢献してしまう。しかし、協力したからと言って感謝などされることもない。この戦争が終われば、敵が勝ったとしても負けたとしても証拠隠滅のために殺されるだろう。ただ、敵に協力している間は他の収容者たちとは違う、あたたかいベッドと少しはましな食事とシャワー、まともな服が用意されている。
主人公サリーカールマルコヴィクスのようにとにかく今日生き延びることを第一に考えるか、ブルガーアウグストディールのようになんとか抵抗し、遅延行為をして少しでも敵の不利益になることをするか。しかし、その行為はバレれば味方全員の命を奪いかねない。ワタクシは卑劣かもしれないけど、サリーの言う「今日の銃殺より明日のガス室」という考えに近いかもしれない。あの状況下でブルガーのような行動を取るのは勇気のある行為だとは思うが、彼とて自分だけ他の収容者と同じ扱いにしてくれとは言わなかった。もちろん、それを責めるつもりは毛頭ない。
戦争が終結し、いままで隔てられていた他の一般の収容者たちと彼らが対面するシーンがとても印象的だ。骨と皮だけになり、毛髪はほとんどなく、服も着ているのか着ていないのかさえ分からないような収容者たち。贋造作戦に加わっていた彼らとは雲泥の差があった。彼らはこの瞬間どう感じただろうか?自分たちのことを幸運だと感じただろうか?ある意味では幸運だったのかもしれない。しかし、また違った苦しみを味わったことも確かである。それを比べるのはナンセンスなことなのかもしれない。あらためてナチの罪は非常に多岐に渡っているのだと再認識させられた作品だった。
恥ずかしながらワタクシはこの「ベルンハルト作戦」というのをこれまで知らなかった。ナチが大戦中にポンドやドルの贋札を作って、イギリスなどにバラまき、経済に混乱を引き起こそうとしたというのだ。そして、その贋札を作らされたのが、ユダヤ人の印刷工たち。これは実際に収容所で贋札を作らされたアドルフブルガーの原作に基づいた作品だ。
この作戦に参加させられたユダヤ人たちの苦悩を描くというものなのだが、残念ながら映画としてのデキはそんなに素晴らしいものとは言えないと思う。演出も特筆に価するほど良いものではないし、役者たちの演技もまぁ普通。音楽も映像も特に取り立てて書くほどのことはない。
ただ、実際に彼らの受けた屈辱と彼らの苦悩を考えると、非常に難しい問題だということが分かる。敵に協力しなければ、待つのは収容所での一般収容者と同じ過酷な扱いか死しかない。と言って、協力すると敵の勝利に貢献してしまう。しかし、協力したからと言って感謝などされることもない。この戦争が終われば、敵が勝ったとしても負けたとしても証拠隠滅のために殺されるだろう。ただ、敵に協力している間は他の収容者たちとは違う、あたたかいベッドと少しはましな食事とシャワー、まともな服が用意されている。
主人公サリーカールマルコヴィクスのようにとにかく今日生き延びることを第一に考えるか、ブルガーアウグストディールのようになんとか抵抗し、遅延行為をして少しでも敵の不利益になることをするか。しかし、その行為はバレれば味方全員の命を奪いかねない。ワタクシは卑劣かもしれないけど、サリーの言う「今日の銃殺より明日のガス室」という考えに近いかもしれない。あの状況下でブルガーのような行動を取るのは勇気のある行為だとは思うが、彼とて自分だけ他の収容者と同じ扱いにしてくれとは言わなかった。もちろん、それを責めるつもりは毛頭ない。
戦争が終結し、いままで隔てられていた他の一般の収容者たちと彼らが対面するシーンがとても印象的だ。骨と皮だけになり、毛髪はほとんどなく、服も着ているのか着ていないのかさえ分からないような収容者たち。贋造作戦に加わっていた彼らとは雲泥の差があった。彼らはこの瞬間どう感じただろうか?自分たちのことを幸運だと感じただろうか?ある意味では幸運だったのかもしれない。しかし、また違った苦しみを味わったことも確かである。それを比べるのはナンセンスなことなのかもしれない。あらためてナチの罪は非常に多岐に渡っているのだと再認識させられた作品だった。