シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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2014-03-26 | シネマ ま行

1960年代後半、東大安田講堂事件の後のこと。左派の週刊誌で働く沢田妻夫木聡は活動家たちの取材の中で梅山松山ケンイチと名乗る男と出会う。彼は赤邦軍という左翼団体で武装蜂起すると沢田に語る。

先輩記者の中平古館寛治には梅山は怪しいから近づくなと言われ、沢田自身も怪しいとは感じたものの、どこか人懐こく慕ってくる梅山に共感し彼を信じて取材を続けてしまう。沢田はこの仕事の前の東京のフーテンに潜入する取材でも、自分は所詮潜入取材しているだけで本物のフーテンの気持ちが分かったわけではないとか言って上司をあきれさせてしまうほど優しい性格の男だった。そこにふっと入ってきた梅山。自分は左派の運動を端から見ているだけで何もしていないという沢田の罪悪感も手伝ってか、妙に梅山に肩入れしてしまう。

この梅山という人物。沢田に語った「梅山」という名前ものちにウソだったことが分かるのだが、赤邦軍は京大全共闘の支援を受けていて、メンバーもたくさんいるかのように話していたが、京大全共闘とは沢田を介して議長の前園勇山内圭哉に会わせてもらっただけだったし、赤邦軍のメンバーと言えば梅山の他に3名くらいしかいなかった。しかし、口だけは妙にうまく恋人重子石橋杏奈のことも言いくるめていたし、沢田にもやたらと大きなことを話し、そのために資金を貸してくれとカネの無心をするのも平気なようだった。恋人にも平気でどっかでお金借りてきてなんて言っていたし、冷静な目で見れば最低な人間の部類だと思うんだけど、どこか人を惹きつけるところはあったのかなぁ。まぁ、そんなに大人数ではなかったから教祖様になれるほどってわけじゃなかったんだろうけど。

沢田は肩入れしていた梅山の赤邦軍が自衛隊に武器を奪取しに侵入して、自衛隊員を殺してしまったときもまだこれは思想犯であり、ただの殺人とは異なると信じていた。どこまでも優しい沢田とそれを利用した梅山っていう構図なんだけど、あの時代を背景にこういうことも起こり得たんだろうなという気がした。梅山に関しては間違いなくニセモノで、全共闘などに憧れ誇大妄想的に自分の活躍を夢見ていたのだろうけど、沢田にしてもある種の憧れを捨てきれずに、梅山に追随してしまったのかなという気がする。実際にもっとちゃんと裏を取ろうとすればできたと思うんですよね。なんか無意識下であえてそうしなかったのかなという気もしました。

かなり長い間梅山をかばっていた沢田だったけど、やはり最終的には自分の犯してしまった罪の重さに気付く。そして、それがあの最後の涙につながるんだと思うけど、やっぱり沢田は本当に心優しい男なのだなぁと感じた。きっと梅山のような人間はあんな涙を流す日は来ないと思う。あの時代を背景にこういうことも起こり得たと先に書いたけど、梅山のような人間はあの時代を背景にしていなくても何かしらやらかしていたんじゃないかなと思う。あーいう奴はどこにいても反省しないし、どこか病的な嘘つきって存在しますからね。梅山に関してはフィクション的に作り上げた人物みたいだけど、実際の基になった人はいまごろ何をしているのかなぁ。

ワタクシはあの時代の話が好きということもあって、彼らの衣装や車、タバコなどのアイテムも楽しみながら見ることができました。お話自体は決して明るいものではないんですが。ブッキーとマツケンの共演ってだけでも結構楽しめるし。2人とも自然体で演じているふうに見えたけど、リアリティがあってこうして自然に見えるのも2人がうまいからかなと感じました。梅山なんて本当に腹の立つ奴だったし。60~70年代の学生運動について知っておいたほうが楽しめると思います。


それでも夜は明ける

2014-03-25 | シネマ さ行

アカデミー賞作品賞を受賞した作品。アカデミー賞を取る前から見に行くつもりではあったのですが、アカデミー賞を受賞したということでさらに期待度が上がりました。

1841年、自由黒人だったソロモンノーサップキウェテルイジョフォーは仕事仲間に酔わされ眠っている間に奴隷商人に売られてしまう。自分は自由証明書を持つ自由黒人だと主張しても聞いてもらえず南部の農園の地主フォードベネディクトカンバーバッチに買われてしまう。

フォードは当時の農園主としては親切なほうだったが、フォードの下で働くジョンティビッツポールダノは、自分より頭が良くフォードのお気に入りで自分に反抗的なソロモンが気に入らず、仲間とリンチしたあげくソロモンを首つりにしてしまう。ぎりぎりのところでフォードに助けられたソロモンだが、このままそこにいてはいずれジョンに殺されると心配したフォードはソロモンをエドウィンエップスマイケルファスベンダーに売ることにした。

ここでのシーンは象徴的だ。ジョンにリンチに遭い首つり状態にされるソロモン。つま先がかろうじて地面についていてなんとか助かっている。フォードが来るまでの間、他の奴隷たちはソロモンを助けようとはしない。目を盗んで水をくれる女性はいたが、縄を解いてやろうとはしない。白人からリンチを受けた奴隷を助けたりなんかしたら、今度は自分がどんな目に遭うか分からない。ご主人様が来るまで彼らは何もできない。

ソロモンが売られた先のエドウィンエップスは狂信的な白人至上主義者で、毎日綿花の収穫が少ない奴隷をムチ打つような農園主だった。

当時、奴隷は裕福な白人たちの所有物であり、家畜も同然だった。エップスの元にいたパッツィールピタニョンゴは、エップスに慰み者にされ、そのせいでエップス夫人サラポールソンには、嫉妬から虐待されるという苦しみを味わっていた。ソロモンは初めこそフォードのところでは自分の頭の良さをさらけ出していたが、時が経つにつれ、ここではバカなふりをしているほうが有利だと知り、あまりでしゃばらないように生きていこうとするようになる。パッツィーはここでの生活が辛くソロモンに殺してくれと懇願するが、ソロモンはそれに応えてやることはできなかった。

エップス家でも象徴的な出来事が描かれていた。夫人に買い物を頼まれ町へ向かうソロモンが、脱走を試みようと道なき道を走っていたとき、白人が黒人を処刑しようとするところに遭遇してしまう。町に向かうソロモンはエップス家の札を首からぶら下げていた。ただの白人至上主義ならば、そこに出くわした黒人のことも殺してしまいそうなもんだが、そうではない。ソロモンはあくまでもエップス家の持ち物なのだ。人様の持ち物を傷つけることはできない。奴隷制とはそういうものだったのだ。

エップス家でのソロモン他奴隷たちの生活はむごたらしいものだったが、それはエップスが白人至上主義者だったからというよりもただの頭のおかしな人だったからじゃないの?と思える部分が結構あって、それは奴隷制を描く作品としてはどうなのかな~と思ったりした。実話ものだから、これが本当にあったことなんだったら仕方ないか。

これもまた本当の話なんだから仕方ないんだけど、ソロモンの奴隷生活を見せる部分にもう少しメリハリがあっても良かったような気はしますね。素晴らしい題材だし、素晴らしい演技だし、演出も悪いとは思わないけど、134分の使い方としてはちょっともったいない部分があったような。題材的にもアカデミー賞好みだと思うけど、作品賞取るほどかな?と思ってしまったな。と言ってどれが良かったかと言われると全部見てないから判断できないけど。

助演女優賞も取ってますね。ルピタニョンゴは精神的に辛い役をよくやり遂げたと思うけど、やっぱりアカデミー賞助演女優賞はニューカマーの若い女優さんが取る傾向がありますね。

最後に奴隷制に反対するカナダ人・バスブラッドピットに助けられるわけだけど、ブラピはプロデューサーってことで“おいしい”役でした。バスは信念を貫いてソロモンを助けてくれるけど、「俺だって自分が可愛いから躊躇するよ」と正直に言っていたのは好感が持てました。

ソロモンに降りかかった悲劇というのは、本当に言葉にできないものだとは思うけど、彼がバスのおかげで自由になって、それは個人の人生としては本当に良かったと心から思うけど、そもそも自由だった彼以外の生まれながらに奴隷として扱われた数千万人だか数億人だかの奴隷たちは、、、?と考えるとさらに辛くなるラストだった。パッツィーもどうなったんだろう?ソロモンは解放以降、奴隷解放運動にも励んだらしいのだけど、あの時代にそんな運動をしたというのはこれまた険しい道だっただろうと思います。彼の死について理由や場所などが分かっていないというのはそういうことに関連していたのかもしれません。

オマケ1このブログでは「キウェテルイジョフォー」という表記で統一していますが、英語の発音を聞くと「チュウェテル」と言っているように聞こえますね。これからの表記どうしようかなぁ。

オマケ2スティーヴマックイーン監督の名前が気になってしょうがないって人もたくさんいると思います。彼が生まれたとき「マックイーン」という姓から看護師が「スティーヴ」と彼を呼んだことでその名前になったそうです。


白ゆき姫殺人事件

2014-03-20 | シネマ さ行

試写会に行ってきました。湊かなえ原作ということで興味がありました。

化粧品会社社員で美人で評判の三木典子菜々緒が国定公園の山林で10か所以上をメッタ刺しにされてさらに焼かれるという事件が起こる。

うだつのあがらないテレビディレクターの赤星綾野剛のところに大学時代の同級生の狩野里沙子蓮佛美沙子から連絡が入る。彼女は殺された三木典子と同じ会社で警察から事情を聞かれたと言うのだ。話題の事件とあって、この情報に飛びつく赤星。里沙子の話によると、典子と同期入社の城野美姫井上真央という典子とは正反対の地味な先輩が怪しいらしい。美姫は事件当夜より失踪中だ。赤星は取材を進めるとともにツイッターで自分が得た情報を次々につぶやいていく。

赤星の取材過程で

里沙子
里沙子の同僚のみっちゃん小野恵令奈
美姫とつきあっていたという噂の課長の篠山金子ノブアキ
典子殺害の夜、美姫が夜9時過ぎの特急に乗るために駅までダッシュしていた姿を見たという男性社員
美姫の大学時代の親友・みのり谷村美月
美姫の中学、高校時代の同級生
美姫の初恋の人・江藤大東駿介
美姫の実家の近所の人
美姫の小学校のときの親友・谷村夕子貫地谷しほり

という沢山の人の視点から美姫が語られる。

湊かなえの作品は「告白」しか知らないのだけど、形式的には「告白」と似ていて、いわゆる「羅生門形式」で話が進む。

この形式で話が進む中で、ツイッターやワイドショー(生瀬勝久が明らかにみのもんたのパロディのワイドショーの司会者を演じているのが笑えた)の問題を浮き彫りにし、人々の先入観や優越感や事件と関わっているという外野の高揚感のようなものを映し出していく。

それと同時に真実を語っているのは誰なのか?誰のどの部分がウソなのか?犯人は一体誰か?という謎解きの面白さもあって飽きさせない。

最後に美姫自身のバージョンで、事件前後の出来事が、いや美姫の半生までも含めて語られるわけだけど、そのバージョンではそこまで色んな人が語ってきた美姫の行動のすべてが、きれいにつじつまが合ってパズルのピースがパチンとはまっていく気持ち良さがあった。美姫の行動を受け取るほうが誤解をしていたパターンの出来事などはきれいに説明がつくのだけど、ここで観客は一人だけがウソを言っていることに気付く。美姫の小学校のときの親友・夕子が「人の記憶は捏造される」と言っていたように、それぞれの記憶が少しずつ違っているのだけど、明らかにウソを吐いているのはこの一人だった。

そこでアイツが犯人か!と気付かないといけないところなんだけど、鈍感なワタクシは「どうしてあの子だけがウソを言っているのだろう?そのメリットは何?」なんてのんきに考えていたんですよね~。ワタクシミステリー系の作品は謎解きをして楽しむより、見事に騙されることを楽しむタイプなので。

これ、もしかして犯人は分からないまま終わるとかじゃないやろうなぁ…と不安に思い始めたところでちゃんと種明かしされるのでホッとしました。

それでも結局美姫の主観で語られた美姫の人生もどこまで都合よく捏造された記憶なのかは分かりようがありませんね。それは現実世界ではそうだろうとは思いますが。そして真犯人の書いたシナリオはあまりにうまく行き過ぎて現実離れしている部分もあることはありますが、物語的にはワタクシは楽しめました。

本当に美姫のことを思っていたのは夕子だけだったんですよねー。お母さん以外では。お父さんも夕子を疑っていたくせに最後に赤星に土下座されたりして「お前も疑ってたくせに」と腹が立ちました。まぁ、これも現実世界でもそんなもんかもしれません。でも夕子は実は恋愛感情として美姫を好きみたいでしたからそこはちょっと切なかったですね。

全体的なスピード感というのが少しトロいというか、ずっと同じ調子で進行するのでもう少し緩急つけてほしかったなという気がしました。原作が淡々と進むタイプの小説なのかもしれないんですが、ただただ同じテンポで進むのはこういう映画的にはちょっと退屈になってしまうところがあると思います。

井上真央はやっぱり演技がうまいですね。地味で目立たないタイプの美姫を時に不気味に演じていました。脚本をもらったときは自分が美人OLの役かと思いました。厚かましかったですね。とインタビューで言っていたのが可愛かったです。意外と菜々緒もうまかったのでびっくりしました。イメージ的に勝手に下手そうと決めつけていただけなのでうまく感じただけかなぁ?(失礼)蓮佛美沙子という女優さんをワタクシは知らなかったのですが、商材写真を見るとこの映画の印象とは全然違うので役作りだったのかと感心しました。


あなたを抱きしめる日まで

2014-03-18 | シネマ あ行

1952年のアイルランド。十代で妊娠したフィロミナソフィケネディクラークは修道院に入れられ息子を出産した後、修道院で奉仕していたが、息子を養子に出されてしまう。

50年後のある日、フィロミナジュディディンチは娘ジェーンアンナマックスウェルマーティンに、その日が息子アンソニーの50歳の誕生日であること、娘を産むずっと前に息子と生き別れてしまったことを初めて打ち明ける。ジェーンは仕事を通じて知り合ったジャーナリスト・マーティンシックススミススティーヴクーガンに母の事情を話し、息子を探してくれるよう依頼する。マーティンは政府の広報の仕事をしていたがスキャンダルに巻き込まれ失業中だった。彼はどうせ特にすることもないし、とこの話を引き受けることにする。

2人で修道院に行くが、責任者は50年前から何人か変わっており、当時の資料は火事で焼け、フィロミナの息子の行方はまったく分からないと言われてしまう。院長のシスタークレアは人当りは良いが、決して手がかりとなる何かをくれそうにはなく、当時を知る高齢のシスターたちとも話をさせてはくれなかった。その後修道院近くのバーに立ち寄ったマーティンたちは、修道院では火事などなく資料はシスターたちが自分たちで燃やした、とか、子供たちはアメリカに売られて行ったんだという話を聞き、その後調べた結果、フィロミナの息子はアメリカに渡ったことが分かり2人は一緒にアメリカへ飛ぶ。

どこにでもいる信心深い田舎の普通のおばさんフィロミナとオックスフォード大卒の政府広報まで務めたことがあるエリートのマーティンの噛みあわないやりとりがおかしい。フィロミナは一所懸命マーティンにハーレクインロマンスのあらすじを語って聞かせ、出版社が経費を出してくれた豪華なホテルではあちこちに感心しまくり、ホテルマンと立ち話をしてはマーティンをあきれさせる。旅にはお菓子を持って行き、マーティンにも飴ちゃんを薦める姿はまさにどこにでもいるおばちゃん。マーティンの言う皮肉にも全然気付かないし。時々マーティンが本気でフィロミナに苛立っているのが分かるところもあり、ほんと“オカン”って困った生き物よなぁとこちらを笑わせる。生き別れた息子を探す旅でありながら、こういうユーモアを挟んでくるのがいかにもイギリスっぽい乾いたユーモアのセンスを感じさせる。

果たしてフィロミナの息子はレーガン・ブッシュ政権で政府職員であったことが分かるのだが、数年前に亡くなってしまっていた。フィロミナはショックを受けるものの、ここから彼を知っていた人を訪ねて回る。政府職員時代の同僚が会ってくれることになり、息子はゲイだったということが分かるシーンが印象的でした。息子がゲイだったと聞いてもフィロミナは一切動じず、息子はゲイだったかもと思っていたと言うのだ。なぜなら繊細な子だったから、と。もちろん、小さいときに繊細な男の子がみなゲイになるはずはないんだけど、これこそがフィロミナがいかに50年間息子のことを思い続けていたかの証だと感じました。フィロミナは大人になった息子について、彼がどんな人間に成長しているか、常に想像していたのでしょう。いつもいつも想像する中でもしかしたらあの子は繊細な子だったからゲイになっているかもしれないわ、なんていう可能性にまで考えが及んだのではないでしょうか。

フィロミナは息子を知る同僚、一緒にアメリカへ渡って育てられたメアリー、恋人だったピートに会い、息子がアイルランドの話をしていたか?を聞いて回ります。同僚とメアリーからは聞いたことがないと言われるが、恋人ピートは彼はアイルランドに帰りたがっていて彼の養父と大喧嘩してアイルランドに埋葬したという話を聞く。そしてピートに見せてもらったビデオには生前の息子がアイルランドの修道院を訪ねる映像が入っていて、そこに埋葬されていると聞かされる。

フィロミナは50年間何度も修道院に息子の件を問い合わせていたのにも関わらず彼らは自分たちがアメリカへ子供たちを金銭と引き換えに渡していた事実が発覚するのを恐れてか、息子の消息は分からないと言っていた。そして、訪ねてきた息子に対しても母親の消息は分からないと嘘をついていた。もし、彼らが2人を引き合わせてくれていたら…マーティンは怒り心頭で修道院を訪ねて行き、無理やり当時のシスターたちのところへ行き糾弾する。その姿を見たフィロミナはマーティンを諌め、「私はシスターを赦します」と言うのだ。マーティンと同じように怒り心頭で見ていたワタクシはシスターを赦すと言ったフィロミナにまで腹が立ってしまった。ワタクシはフィロミナほど人間ができていないので…

でもカトリックのシスターたちは“快楽という罪を犯したフィロミナは当然の報いを受けた”と思っているわけで、もしかしたら自分自身もカトリック信者であるフィロミナは彼女たちに何を言っても仕方ないと分かっていたのかな。いや、多分そうじゃなくてフィロミナは悟りに近い気持ちでいたからなんだろうけど、世俗的なワタクシはそうでも思わないと納得できないよ。

フィロミナが妊娠した経緯についてはフィロミナからぽつぽつと語られるだけだけど、彼女が堂々と「彼はとても優しく私を抱いた。セックスを楽しんだ」と言っていたのには清々しい気持ちがしたな。彼女は決して被害者面なんてしなかった。カトリックだから、それで罰を受けることは分かっていてもそれでも「楽しかった」と言い切るフィロミナに共感しました。50年間十分過ぎるほどの罰を受けてきたわけだし。

息子が政府関係の仕事をしていたことで、実はジャーナリスト時代のマーティンが本人に会っていたという展開にはびっくりでした。どんな人だった?と聞かれて力強い握手の人だったよ、なんてマーティンは答えていたけど、あれは本当に思い出して答えたのか、フィロミナのことを思って嘘をついたのかはっきりとは分かりませんでした。あとで編集者に話していたマーティンの様子からは嘘ではなさそうだったけどね。

カトリック教会が子供を売っていたという衝撃的な話については、ちゃんと真相究明されているのかな。「オレンジと太陽」という作品もあったけど、まったくひどいことする聖職者がいるもんだ。

こういうお話なので、随所で涙が流れますが決してお涙頂戴な雰囲気のないスティーブンフリアーズ監督の演出が光る作品です。


ラッシュ~プライドと友情

2014-03-17 | シネマ ら行

公開から3週間くらいは経っているのかなぁ。他の映画を見るときにちょうど時間が合ったので見ました。

ワタクシはF1を全然知らないので、ジェームズハントクリスヘムズワースとニキラウダダニエルブリュールの名前を今回初めて知りました。

ジェームズハントは絵に描いたようなF1レーサー。豪傑で陽気で酒のみでセクシーで女たらしの遊び人。レースに求めるものはスリルと死と隣り合わせで生きているという実感。スージーミラーオリヴィアワイルドという有名モデルと結婚したのもレーサーとして落ち着いたほうが良いと言われたから。それでいて、レース前には必ず吐くという繊細な一面もあった。

ニキラウダはハントとは正反対。緻密に計算を重ねクルーに命じて車を少しでも早く走るように改良させる。真面目で馬鹿騒ぎなどせず、レースに出るのも自分が得意なことでお金が稼げるから。レースには常に死の危険が伴うことも理解しているがその可能性は20%(当時)。それ以上の危険は許さない。妻のマルレーヌアレクサンドラマリアララは恋愛には不器用なニキのことを理解してくれていた。

F3から顔を突き合わせていた2人は何かと衝突しながら、お互いにF1まで上り詰めた。(実際には一時ルームシェアするほど仲は良かったっぽいですが…)

この2人が各所で口げんかをして、ハントは出っ歯のラウダがネズミに似ているとか悪口を言うのだけど、ラウダが頭が切れるので彼の切り替えしがとてもうまくて面白い。まぁ、これは実際の会話ではなくて脚本家がうまいからかもしれないけど2人の人柄を非常によく表している会話の応酬で見ていて退屈しなかった。

1976年、ラウダとハントは激しい首位争いをしていた。ラウダリードで迎えたドイツの大会では朝から雨。雨が止む気配もない。レース前のドライバー会議でラウダは20%以上の危険は認めないとレースの中止を提案するが、ハントは大反対。多数決でレースは決行となるが、ラウダは大事故を起こし全身にやけどを負ってしまう。

もうこのラウダのねー、ケガとその治療のシーンの辛いこと、辛いこと。ワタクシ結構エグいシーンなんかはわりと平気なほうなんですけど、これはリアルにケガだからかなぁ、見ているのがめちゃくちゃ辛かった。やけどした皮膚を見ているだけでも十分辛いのに、痛む皮膚に無理やりヘルメットを通そうとするシーンとか、やけどした肺から膿を吸引するために口から棒を通すシーンも、もうオエーってなった。レースを休んでいる間にハントが勝っていくレースを横目で見ながら、そんな辛い治療を「もう一回してくれ」と医者に頼んだりするんだからラウダの執念ってほんとすごい。

そんな大ケガを負いながらもたった6週間で日本での今季最終レースに挑むラウダ。復帰してきたラウダにハントが「お前がケガをしたのは俺の責任だ」と素直に言うシーンが良かったですね。ハントって遊び人だけど別にイヤな奴とかじゃなくて、ほんとにただ素直な奴だったんでしょうね。ラウダのケガに自分の責任を感じていた彼は素直にラウダに謝ります。ここでラウダは「でも、こんなに早くここに戻れたのも君のおかげだ」と言う。このシーン、とても胸が熱くなりました。きっと他の誰にも分からない頂点に上り詰めた2人だけの世界っていうのがあったんでしょうね。2人は正反対で他の部分では一切分かり合うことはなかったでしょうけど、お互いがいなければ自分はここまで来れなかったという意味でお互いになくてはならない存在だということを理解していたのでしょうね。

ラウダが顔の半分がやけどした状態で復帰してきたとき「そんな顔で結婚生活がやっていけるんですか?」とかひどいことを聞いた記者のことをハントが後で殴るシーンがありますが、あれはフィクションだそうですね。でもハントの人柄を示すにはフィクションだとしても良いシーンだったと思います。

そして、もうワンシーンワタクシが胸が熱くなったシーンがあります。それはラウダがこの日本での復帰戦をなんと途中で棄権したシーンです。彼はマルレーヌと結婚したとき、「幸せは敵だ。失うものができてしまったら怖くてレースができなくなる」と言っていました。日本でのレースも大雨。でも今季最終レースとあってもちろん決行となりました。ラウダはその大雨の中、マルレーヌのことを想います。「危険過ぎる」そう言ってレースを棄権します。復帰戦、しかも優勝がかかっている。そんなレースを棄権する勇気のあるラウダに涙が出ました。辞める勇気がある人というのはなかなかいるものではありません。復帰まで無茶な治療やリハビリをしていたラウダを黙って見つめていたマルレーヌの気持ちをラウダは本当はよく分かっていたのですね。そしてマルレーヌも優しくラウダを見つめるだけで特に何も言いはしなかったけど、お互いにとても深いところで理解し合っていることがよく分かるシーンでした。

その年のレースは結局ハントが制しますが、ラウダは「ハントはその一回の優勝で満足していた」と語っていました。それも彼らしいところかもしれません。その後ハントが45歳で急逝したのもある意味では彼らしい生きざまだったのかな。映画の最後に本物の写真が出て、クリスヘムズワースより男前でビックリしました。これはラウダのほうも同じことが言えるかも。ラウダのほうはこの映画にも随分協力してくれたそうでゴールデングローブ賞にゲストで出演したりしていましたね。

F1が分からない人でも全然問題なく見られるし、感動もできる作品だと思います。ソチロスになっている人にはちょうど良い作品かもしれませんね。


やわらかい手

2014-03-13 | シネマ や行

これも公開当時興味があったのでレンタルしました。

夫を亡くした平凡な主婦マギーマリアンヌフェイスフルの孫は病気で入院している。外国で手術できるという話が持ち上がるが息子夫婦にも自分にもお金がない。そこでマギーは仕事を探すことに。偶然見つけた風俗店の「接客係募集」の張り紙を見てマギーは勇気を出して風俗店に入る。

接客係とは何かも知らずに面接を受けるマギー。オーナーのミキミキマノイロヴィッチは、マギーの手を握り採用を決める。先輩“接客係”から仕事を教えてもらうマギー。彼らの言う接客とは「手でイカせる」という仕事だった。

オーナーが東京で見て真似をしたという小さなブースには、イスが置いてあり、壁にひとつ穴が開いている。マギーはそのブースで待機し、その部屋の向こう側に客室があって、、、とまぁこれ以上説明はなくとも分かっていただけると思います。これ東京の真似したって言ってたけど、こういうのあるんですね・・・

初めはこんな仕事できないと逃げようとするマギーだったが、やはり孫のことを考えると背に腹は代えられない。しかも、孫の渡航費はすぐに必要とあって、ミキに前借を頼み仕事をすることになる。

ミキが見込んだだけあってマギーの手の評判は上々でなんと客が行列を作る売れっ子となり、別の店からスカウトが来るほどに。母親が大金を渡してきたのを不審に思った息子トムケヴィンビショップに後をつけられ風俗店での接客業がバレ、息子は大激怒。こんな金受け取れるか!と突き返すのだが。。。

マギーはどこか少しぼけっとした雰囲気のこれまでのほほんと主婦やってきましたーみたいな普通のおばさん。そんなマギーが、風俗店なんかで働き始める。孫のためっていうのがもちろん一番にあるんだけど、チンピラ風のオーナー・ミキに自分の主張を言える芯の強さも持っている。演じるマリアンヌフェイスフルがとても素敵です。マギーの戸惑いとか腹のくくり具合とかをとても自然体で見せてくれます。

息子が激怒したのには、分かるけど腹が立ったな。お前の子供のためにイヤなことも率先してやったんやろうがー!って。自分は嘆くばかりで何もしなかったくせにねぇ。でもやはり母・マギーとしては息子が怒る気持ちも分かったんでしょうね。ここで息子の妻サラシヴォーンヒューレットが「子供のためなら何でもできるって言うけれど…」と私たちにはできなかったことをお義母さんはしてくれたのよ、と夫を諭すシーンが良かったです。もともと嫁と姑の間はうまくいっているって感じではなかったけど、どちらも子供、孫のためならというところでなら団結できるんでしょうね。

ストーリーを書くと孫を助けるために風俗で働くおばあちゃんっていうことになるのですが、本質はそこではなく、平凡な主婦マギーが(一風変わったシチュエーションではあるけど)社会に出て、自分と向き合う話っていう要素があると思います。いままでヒマだから付き合ってた友人たちとの関係を見直す結果にもなったし、新しい恋まで見つけちゃって。正直マギーがミキとくっつくっていうのはビックリの展開ではありましたけど、2人とも良い人そうなので好感が持てました。

静かな展開のイギリス映画ですが、くすっと笑えるシーンも結構あって風俗が舞台とは思えないほどの落ち着き感があります。下ネタも当然たくさん出てきますが、不思議と平穏な気持ちで見られる作品です。

マリアンヌフェイスフルという女優さんのことを全然知らなかったのでググってみると、60~70年代には相当ブイブイいわせてた方みたいですね~。このマギーという役が穏やかなイメージだったので、びっくりしました。ミックジャガーの恋人だったんだー。


バッシング

2014-03-12 | シネマ は行

公開当時見たかったのですが、見逃していたのでレンタルで見ました。

2004年イラクで起きた日本人人質事件を基にしていますが、冒頭に「フィクションです」というスーパーが出るので登場人物の性格やここで起こる出来事などは実際とは多少異なるのだと思います。

この作品を見終わったときは、ブログでは取り上げないかなぁと思ったのですが、後からじわじわと考えるところが出てきて、やっぱり取り上げてみようかなと思いました。

当時、「自己責任」という言葉がメディアを駆け巡っていて、とてもイヤな気持ちになったのを覚えています。政府が危険と指定している国に勝手に行って拉致されたのだから、自己責任だ、と。これについて意見を表明するのは難しいです。確かにわざわざ危険なところへ自ら行ったのだから覚悟の上だろう、という気持ちはあります。でも、だから誘拐されても政府は知らないよ、っていうのはやっぱり違うんじゃないかなぁと思います。もちろん、当時の政府は知らないよと何もしなかったわけではなく、救出の交渉や努力をしたんでしょうけど、どんな理由であれ動機であれ自国民が外国で拉致されたことを「自己責任」と言う政府というのは非常に恐ろしいなと感じたのを覚えています。あの事件以降、様々な場面で「自己責任」という言葉が使われるようになりましたが、それを聞くたびになんかモヤっとした気持ちになるような感覚がいまでも残っています。なんかね、難しい問題だし、ワタクシの中でも答えが出ているわけではないんですが「自己責任」をやたらと正しい事として声高に叫ぶことには嫌悪感があります。強者の理論だなぁという感じがして、背筋が寒くなるんです。

ワタクシの考えはさておき、作品自体ですが、この高井有子占部房子という主人公が事件後帰国して就いたバイトをクビになったり、いつまでもしつこく嫌がらせの電話がかかってきたり、コンビニの前で襲われたり、コンビニに拒否されたりする姿が見ていてつらかったし、こういうことをする人たちがいるんだよなぁって本当にイヤな気持ちになりました。少し話はズレますが、犯罪の被害者になっても家に面白がって電話をしてくる人や嫌がらせをしてくる人がいるらしいですね。実際のこの当時でもマスコミのせいで彼らの自宅まで知られることになり、かなりの嫌がらせがあったようです。マスコミの取材のあり方などにも問題があると思います。

有子の父・孝司田中隆三が務めている会社まで苦情の電話が来るということで辞めさせられてしまう。父は有子のボランティア活動のことは応援してくれていたが、会社をクビになったことで自暴自棄になり酒浸りになり最後には自殺してしまった。この辺はおそらくフィクションの部分だと思うのだけど、あの状況で彼に強く生きろというのは難しかったのかもしれない。

この作品の主人公・有子なのだが、彼女のキャラクターがとてもふてぶてしい。コンビニではお金を節約するためなのか、3種類のおでんを買ってそれぞれ一個ずつの器に入れそれぞれの器に出汁をいっぱい入れてもらう有子。なんか変な人っていう印象だ。とにかく愛想というものが全然なくて、いつもぶすっとしている感じだった。見ている最中や見終わった直後はそこにまったく共感できなかったのだけど、見終わってしばらくするうちに、いや、待てよ、と。もしかして、彼女があんなふうにふてぶてしい人として描かれていたのは小林政弘監督の意図だったのではないかという気がしてきた。

監督は彼女をあえてふてぶてしい人として描くことで、ワタクシたち観客に疑問を投げつけているのではないか、とそんな気がしてきたのです。つまり、拉致された人が愛想の良い好感度の高い人物だったら、人々は「自己責任」と突き放しただろうか?と。ふてぶてしい有子なら「自己責任」と思われて当然だと感じてしまう人も多いのでは?と。でも、同じ国の人間が拉致されて、その人の好感度なんて関係あるのか?と。そんな疑問をぶつけられたような気がしました。

有子が「お父さんのことは大好きだったけど、お父さんは弱い人」と父親が自殺してしまってから言うシーンがあります。これを聞くとなんとまぁ冷たい人、と思う人も多いんじゃないかな。でもそれは事実で、有子はそういう事実を言わないではいられない性格なのだなぁと感じました。そして、お父さんの保険金でもう一度イラクへ行くと言います。この辺も反発される要因だとは思うのですが、ここがダメだからあそこにという有子の発想もどうかとは思うけど、彼女自身日本で頭を下げて暮らしていたって良い事はないし、もう一度イラクへ行くということに反感は覚えませんでした。何が動機であれ、どんな手段であれ、自分のしたいことを貫くしか有子にはできないと思うし、それで良いと感じました。

映画としてすごく良いかと聞かれると、そんなに、と答えると思うのですが、少し考えさせられるところがあったので取り上げてみました。

オマケ有子と父親・孝司が父と娘ではなく、兄と妹くらいにしか見えなかったので、役者さんの年齢を見ようとプロフィールを調べたら、田中隆三って田中裕子の弟なんですねー。知らんかった。そう言われれば顔立ちが似ていますね。


ホビット~竜に奪われた王国

2014-03-11 | シネマ は行

前作「ホビット~思いがけない冒険」から1年以上が経って忘れているところがある状態で見に行くのはイヤだったので、1作目をレンタルで見直してから行きました。

今回は3部作の真ん中なので、始まりも終わりも中途半端になってしまう運命ですがそれは仕方がないですね。

ビルボマーティンフリーマンがオークを見張っていると、オークと同じように恐ろしい何かを発見します。急いでドワーフたちとガンダルフイアンマッケランに報告すると、ガンダルフに何か心当たりがある様子。みなをとある山小屋へ避難させるガンダルフ。ここは誰の家?と訪ねるとその恐ろしい何か、大きな熊の家だと答えます。実はその熊は人間が巨大な熊に変身するスキンチェンジャーという獣人だと言う。その熊が人間に戻って家に帰って来た。獣人ビヨルンミカエルパーシュブラントはドワーフは嫌いだと言いますが、オークはもっと嫌いだと言い、オークと戦うドワーフを応援してくれます。

ビヨルンの家から一行はスマウグベネディクトカンバーバッチのいるはなれ山へ向かいます。秋の最後の日に鍵穴が分かるということで急いで行かなければならずドワーフたちプラスビルボ一行は、仕方なく近道である闇のエルフの森へ入って行きます。ここでガンダルフは、はなれ山の入口で待ち合わせすると言い別の道へ向かいます。

森でまず襲ってくるのが大きな蜘蛛の大群。ここでふと「あー、アラゴグ出てきたー」って思っちゃったんですけど、それは「ハリーポッター」のハグリットの蜘蛛でした。なんかハリーポッターとごっちゃになってしまうときがあります。ここでビルボが蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされているのが、また「ロードオブザリング」でフロドがぐるぐる巻きにされてミイラみたいになっていたのとシンクロしてました。

ここで一所懸命戦っているビルボとドワーフ一行にエルフの加勢が入ります。タウリエルエヴァンジェリンリリーという女性のエルフとお馴染みレゴラスオーランドブルームの登場です。彼らは原作には出てこないらしいのですが、ピータージャクソン監督が加えたのですね。レゴラスを登場させるというのは完全にファンサービスという感じです。エルフとドワーフは対立しているはずなのに、どうして助けてくれるんだろう?と思っていたら別にドワーフたちを助けてくれたのではなくて自分たちの森から邪悪な勢力である蜘蛛を追い払いたかっただけだったんですね。なので、蜘蛛が去ってからはドワーフたちはエルフに捕らえられてしまいます。ここでの蜘蛛との戦いでビルボは剣に「つらぬき丸」という名前をつけます。あれってビルボがつけた名前だったんですね。

ここで闇のエルフの王スランドゥイルリーペイス(レゴラスのお父ちゃんね。眉毛すごい)がドワーフの王トーリンオーケンシールドリチャードアーミテイジにスマウグが持っている宝石を自分にくれるならここを出してやると交換条件を出したのですが、誇り高くて頑固者のオーケンシールドはその条件を蹴ってしまい、エルフの牢獄に閉じ込められてしまいます。この牢獄でドワーフのくせに男前のキーリエイダンターナーとタウリエルの間にちょっとした恋愛感情みたいなものが生まれますね。タウリエルはレゴラスのことが好きっぽいんだけど、どうやら彼女はエルフの中でも卑しい身分らしくてレゴラスとは許されない仲っぽい。それで気持ちがちょっとキーリに傾いちゃったんですね。と言ってもエルフとドワーフの恋愛がうまくいくとは思えないんですけど。

この時代のレゴラスは「ロードオブザリング」の最初のころのように、ドワーフを馬鹿にしています。ドワーフの一人、グローインピーターハンブルトンが持っている妻の写真を見て「弟か?」と侮辱したり、「こっちの猿は誰だ?」と息子のことを言ったりします。その息子がのちにレゴラスと種族を越えた親友になるギムリなんですね~。これも完全にピータージャクソンのファンへのサービスシーンでしょう。あからさまなサービスではありますが、やはりファンとしては嬉しいものです。

例の指輪を使ってエルフに見えないように牢獄の鍵を奪ったビルボが知恵を働かせて、ドワーフをそれぞれ樽に乗せ川を下って森から逃げるシーンが楽しすぎでした。ずんぐりむっくりのドワーフが樽に入って川を流れていくなんてめっちゃウケました。その一行をオークたちが襲ってきて戦いながら川を下って行く一連のシーンでは、またもやオークを追い払おうとするエルフたちが意図せずドワーフたちを助ける形となっているのがまたこの物語らしいところ。レゴラスがドワーフたちの頭の上に乗って移動していくのがおかしくてたまりませんでした。

川を下ったあとにはドワーフと同じようにスマウグから被害を受けた人間たちの村へ。バルドルークエヴァンスという男に報酬を渡し、村に入れてもらうように交渉します。実はこのバルドという男もワケありで、スマウグを倒すことができる矢を継承する領主の子孫のようです。この村でもオークに襲われるところを実はついて来ていたタウリエルとレゴラスにまたもや助けられます。オークとの戦いで毒の矢が当たってしまったキーリはここに残って傷をいやすことになるのですが、ここに残るか一行と共に行くかでオーケンシールドと揉めてしまいますね。この先、これが変な確執にならなければいいのですが。キーリを治すためにエルフの能力を使ってくれるタウリエル。なんかどんどんええ感じになってるぞー、この2人。

ついにはなれ山にたどり着き、秋の最後の日の夕陽に照らし出されるはずの鍵穴を待ったが、鍵穴は現れずドワーフたちは失望のうちに帰って行こうとしてしまう。ビルボ一人があきらめずその場に残っていると秋の最後の日の光とは月光のことで月が出るとその光に照らされて鍵穴が出現した。ビルボの必死の呼びかけに戻ってくるドワーフたち。スマウグからドワーフの一族の聖なる石アーケン石を取り戻そうとビルボは中へと入っていく。

いよいよ待ちに待ったスマウグとの対決。ここまで長かったー。なんせ上映時間161分ですからねー。そして、ここからもまだまだ続きますよ。スマウグはねぇ、期待通りめっちゃカッコ良かったなぁ。動きとか、目とか鉤爪とか全部。ベネディクトカンバーバッチが声をやるって聞いてからへぇ~スマウグってしゃべるんやーって思ってたんですけど、ビルボとのやりとりが緊張感抜群でドキドキしました。

ドワーフたちはスマウグに金の液体をぶっかけてやっつけようとしたのかな?でも、スマウグはそんなのへっちゃらで…あのまま黄金の竜になるのかと思ったらぶるっぶるっとしておしまいでしたね。スマウグ、人間の村のほうに行っちゃったよー。ビルボが"What have we done?"って言ってたけど、ほんともう人間からしたら、何してくれちゃってるのよ!って感じですよねー。でも人間の村には竜をやっつける矢があるというフラグが立っていましたからね。一か所だけ前の戦いでウロコが取れているところがあるし。次回に向けてまたフラグ立ちまくりですね。

一所懸命ドワーフとビルボの動きを追ってしまいましたけど、この間にガンダルフはネクロマンサー(=サウロン?だよね?)と対決に行ってました。勝ち目なさそうだったなぁ。この辺りからサウロンが徐々に力を増していて、それが「ロードオブザリング」のほうの戦いにつながるってことなんですよね。あ~、これ見てたらまた「ロードオブザリング」見たくなってきた。ネクロマンサーの声もベネディクトカンバーバッチがやってるそうですね。ピータージャクソン監督って役者を使いまわすのが好きだなぁ。

ビルボは指輪を拾ったことをガンダルフに言えないでいますね。あの谷で得たのは"My courage."(勇気)と言うシーンは、courageって言うぞ、言うぞと思っていたら、本当に行ったのでちょっと嬉しかったです。でも、ガンダルフって多分もうビルボが指輪を拾ったこと気付いてますよね?

今回は、エモーショナルなシーンはかなり少なくてアクションに次ぐアクションという感じでした。次々に敵に襲われて常に「逃げろーーーー!!!」って叫んでる感じ。ドワーフって戦うことはできるし、身体も強いけど基本的に「逃げろ!」っていうスタンスなので、そこがまたユーモラスで面白いです。

次回で最終話となるわけですが、やはり原作が短いせいか重厚さという意味では「ロードオブザリング」にはかなり負けてしまいますね。登場人物も少ないし。「ロードオブザリング」では泣けるシーンも多かったけど、今回はそこまでのシーンはないかな。「ロードオブザリング」よりも単純なアクションファンタジーとして見るほうがいいのかもしれません。

オマケ1冒頭のホビット庄のシーンでピータージャクソン監督が画面の左下に登場しますね。監督はいつも自分の作品に登場するのが好きですね。ヒッチコックみたいに。

オマケ2レゴラスの瞳の色があんなに激しいブルーだったけー?と思って「ロードオブザリング」の画像を見直したんですが、やはりあんなにきついブルーではなかったですね。60年前で少し若い設定だからなのかな?エルフにとっての60年なんてあっと言う間のなんじゃないかと思うのですが。


ミスティックアイズ

2014-03-07 | シネマ ま行

これも「未公開ゾーンの映画たち」という企画で公開された作品です。

デイヴィッドベネディクトカンバーバッチとドーンクレアフォイの夫婦はデイヴィッドが幼少時代を過ごした田舎で幸せな夫婦生活を送っていた。子供がなかなかできない2人だったが、それ以外では幸せだった。ある日、軍隊にいたデイヴィッドの弟ニックショーンエヴァンスが突然2人の元へやってくる。長い間疎遠になっていた兄弟だったが、それはニックが軍隊にいたからだと聞かされたドーンは不審に思いながらもニックを受け入れる。

ニックは戦場で心に傷を負ったらしく、夜中に徘徊したり、突然大声で叫んだりすることがありドーンを驚かせるが、普段は繊細そうなニックにドーンも徐々に心を開いていく。デイヴィッドが仕事の間に子供の頃の話をよくしてくれるニックだったが、それはドーンがデイヴィッドから聞かされていた話とは少し違っていた。

兄弟の幼いころからの友人たちとも会うが、妙にギスギスした感じで会話にトゲがある。表面上は仲良くやっているが何かありそうな雰囲気だ。

ニックが登場したことによって、いままで超優しくて穏やかで理想的だと思っていた夫デイヴィッドが、実は子供の頃虐待されていて、母親を階段から突き落とした(デイヴィッドはニックがしたことにしていた)とか、子供を作ろうとドーンには言っていたくせに、実は自分が不妊症であることはずっと知っていたとか徐々に化けの皮がはがれてくる。

全体的に怪しげな雰囲気を醸し出して、見ている最中は退屈はしないけど、結局、で?って感じだった。デイヴィッドの化けの皮が剥がれても、ドーンもデイヴィッドの友達と浮気したりして、ドーンにも同情できないし。子供が欲しかったからなのかもしれないけど、それにしてもねぇ。その浮気相手の子どもができちゃってデイヴィッドとドーンで普通に育てるとか、ニックも最後にはどっか行っちゃって(デイヴィッドが殺した?)ハイ元通りみたいな顔して暮らしていけるもんなのか?

最後にその浮気相手と会ったときにはデイヴィッドも相手も気まずそうにしていたんだよねー。ってことはみんなあれが彼の子だって分かってたってこと?

結局ニックはみんなの心をかき乱すだけ乱して消えて、みんなはまた何事もなかったかのように暮らしましたとさ。みたいな話なのかなぁ。表面上は幸せそうな顔してるコミュニティにも何かしら秘密がありますよっていうことなのかな。ニックがドーンに色々と村の人たちの説明をしていたけど、それもなんか、え?この村そんな変な奴ばっかなの?って感じだったし。

ベネディクトカンバーバッチは最近、急に色々と登場している役者さんですね。顔はちょっと怖いです。でも動くとなんか独特の魅力のある役者さんだと思います。

風呂敷を広げたはいいけど、いまいち回収できないまま消化不良で終わってしまいました。怪しげな雰囲気だけは醸し出せていたと思いますが、それだけという感じで、まぁ未公開だったかもっていうのがよく分かりました。


ラヴレース

2014-03-05 | シネマ ら行

いま一番好きと言っていい女優アマンダサイフリッドが主演ということでかなり前から見に行くと決めていた作品です。

1972年アメリカで公開され大変なヒットとなったポルノ映画「ディープスロート」に出演したポルノ女優リンダラヴレースの半生をアマンダが演じるというので、どんな仕上がりなのかとちょっとドキドキしながら見に行きました。日本の宣伝文句では「清純なイメージのあるアマンダサイフリッドがポルノ女優に挑戦」って言われてますけど、アマンダって世間では清純なイメージなんでしょうか?ワタクシはめちゃめちゃエロいイメージなんですけどねぇ。アマンダは普通に立ってるだけでエロい気が。。。

「ディープスロート」っていうのは映画ファンとしては題名だけは知っていましたけど、ポルノ映画ですし、もちろん見たことはなく、70年代のポップカルチャーのひとつとしての認識しかなく、リンダラヴレースという人のことも何も知らなかったので、非常に驚くような内容でした。「ディープスロート」の詳しい内容とかそういうのは個々でググッていただくとして、「タイタニック」に匹敵するほどの興行収入を記録し一大センセーションを巻き起こした作品だったということだけ書いておきましょう。

リンダの人生がまず将来夫となるチャックトレイナーピーターサースガードと出会ったころあたりから語られます。最初のシークエンスでリンダは現在21歳。17歳のとき妊娠しその子を養子に出した過去があること。母親シャロンストーンはカトリックの教えに従って生き、娘にもとても厳しいこと。父親ロバートパトリックは優しいが母親の教育方針にあまり口を出すタイプではない。リンダ自身も母親の教えが厳しすぎるとは思っているものの、その影響下にあるためかあまり奔放な生き方ができるタイプではなさそうな、友人との会話でもちょっとお堅い雰囲気を見せる。そのことから17歳で妊娠したのもおそらく奔放さのせいではなく、そういう知識のなさからかなと思わせる部分がある。

それこそ一時はセクシーの代名詞だったようなシャロンストーンが厳格な母親という少し意外なキャスティングです。でも違和感は全然ない。彼女も芸達者な人ですね。

友人と行ったローラースケート場でチャックと出会うリンダ。バーの経営者で優しそうに振る舞うチャックに魅かれたリンダは実家を出たい気持ちもありすぐに結婚する。

チャックのバーの経営が厳しくお金のない2人。チャックの発案でリンダはポルノ映画に出ることになる。そして「ディープスロート」が思わぬ大ヒット。彼女は一気にスターダムにのし上がる。

ここまでの展開がねぇ、なんか違和感があるんですよねー。あんなにお堅そうだったリンダがポルノ映画?旦那に言われたからってほいほいそう簡単に出るかなぁ???と思いながら見ていると少しずつその内幕が明かされていく。

「ディープスロート」のヒットから6年後。なぜかウソ発見器にかけられている6年前とは風貌の全然違うリンダが映る。暴露本を出版しようとしているリンダの言っていることが本当かどうか出版社が彼女をウソ発見器にかけたらしい。そこから先ほどまで見ていたチャックとの出会いから「ディープスロート」のヒットとその後までの真実が徐々に見せられていく。

この展開の仕方が非常にうまいと思いました。最初の半分で当時の観客や世間に映ったリンダラヴレースという人の人生が語られ、あとの半分で真実が語られる。その時の世間も最初はスターになったポルノ女優としてリンダのことを見ており、暴露本によって真実を知ったわけで、映画の観客はその当時の世間が感じたことを同じように感じられる作りになっている。

その真実とは、、、

前半で見たシーンと同じシーンが別の角度から見せられる。前半では見せられなかった、見えなかった部分が暴露されていく。チャックは結婚した瞬間からリンダが嫌がるプレイを強要し、口答えすればボコボコにし、拳銃をちらつかせリンダに売春させて自分の小遣い稼ぎをしていた。耐えかねたリンダは実家に助けを求めたこともあったが、「妻とは夫に従うべき」という母親は助けてはくれず、「良い妻になりなさい」とリンダをチャックの元へ帰してしまう。リンダももちろん殴られていることは言えても、売春をさせられていることまで母親には言えなかったから結局チャックの元に帰るしかなかった。友人が手を差し伸べてくれそうなときもあったが、報復を恐れて強がって大丈夫と言ってみせた。

「ディープスロート」で成功したあとも、映画の出演料などもリンダは持たせてもらえず自由になるお金はなかった。あのリンダラヴレースとヤレる、みたいに妻を複数の男に売ったチャック。

最終的にリンダは映画の製作者の一人ロマーノクリスノースに助けを求める。このロマーノって人はマフィアだったので、リンダを匿ってくれてチャックを「二度とリンダに会わせない」と言ってボコボコにしてくれちゃうんだよねー。悪いけどこの時めちゃくちゃスッキリしてしまったよ。チャックみたいな野郎はあれくらいの報いを受けて当然でしょ。チャック演じるピーターサースガードがまたうまいんだわ。なんかキモイ役増えてきてないか?

リンダの半生を知って、旦那にそんな酷い目に遭っているなら離婚すればいいじゃないって簡単に言ってしまえる人がいるかと思うのですが、虐待や支配をされている人にとってそこから抜け出すということはそれほど簡単なことではない。リンダが自分とチャックの夫婦生活を暴露しようと考えたのも、自分が世間からポルノ女優としてずっと後ろ指を指され続けなければいけないことの辛さから抜け出したかったというのもあるだろうけど、それ以上に自分と同じような目に遭っている女性たち(または男性)を助けたかったというのが一番大きかったのではないかなと思います。実際、彼女は後世を活動家として生きていたそうですね。

リンダがウソ発見器にかけられたとき、初めの質問が「あなたはリンダラヴレースですか?」だった。彼女はそれに「もっと簡単な質問から始めてくれる?」と答える。“リンダラヴレース”という存在そのものが彼女にとって非常に複雑なものだったことを物語るシーンだった。

彼女がテレビでどうしてこんなことになってしまったのかを語り、それをテレビの向こうで両親は見ていました。自分たちの何がいけなくて娘がポルノ女優なんかになっちゃったのか?そう思っていた両親でしたが、実は娘は自分たちの言ったことを従順に実行してしまっていたのですよね。この両親も決して悪い人たちではなく、娘を良い方向に導こうとしていただけだったとは思うのですが、最後の砦として守ることをせずに突き放してしまったことは大きな間違いだったと気づきます。

ロブエプスタインジェフリーフリードマン監督は数々のドキュメンタリー作品で評価されている人たちだそうで、綿密な調査をした上でこの作品作りに挑んだそうです。上に書いたような見せ方のうまさもあって、上映時間93分とは思えない濃い内容の作品となっています。

アマンダはエロいイメージと最初に書きましたが、彼女のイメージがどうであれこの役は非常にチャレンジングだったと思います。一時はリンジーローハンも候補に挙がっていたらしいですけどね。アマンダはそばかすを書いていましたが、リンジーだったら素のままでいけたのになぁとか思いつつも、アマンダのキャリアの中でこの作品に出演したことは、これからとても大きな糧になるのではないかと思いました。

最後に本物のリンダの写真が写るのですが、それが本を発表したときの姿で、ポルノでスターになったときの姿じゃなかったところが、製作者たちのリンダへの敬意が見えてとても好感が持てました。


ダラスバイヤーズクラブ

2014-03-04 | シネマ た行

いやー、取りましたねーアカデミー賞主演男優賞&助演男優賞!W受賞でめでたいね。

1985年、ダラスに住む電気技師ロンウッドルーフマシュマコノヒーは現場で怪我をした際の病院のチェックでHIV陽性と分かり余命30日と診断される。エイズに関する正しい知識がなかった時代。エイズはホモがなる病気。俺はホモ野郎なんかじゃない。俺がエイズになんかなるわけない。と初めは医者の判断を否定するロンだったが、図書館でエイズについて詳しく調べ始める。エイズは当然同性愛者だけがなる病気ではなく、娼婦を買っていたロンがなる可能性は十分にあった。

ロンは、その頃ドイツで開発されたAZTというエイズの治療薬の実験に参加しようと考えるが、あくまでも実験段階では自分がプラシボ群に入れられるかもしれないことを知り、病院の職員に金を積み不正にAZTを手に入れてもらうが管理が厳しくなりそれもできなくなる。その職員はメキシコの医者を紹介してくれ、そこへ訪ねていくと、副作用の強いAZTよりもアメリカでは承認されていないが効果のある薬を薦められる。

ロンはその未承認の薬をアメリカに持ち込んで同じ病気の者たちに売りさばき始めた。病院で知り合ったレイヨンジャレッドレトという女装のゲイがたくさんの患者を知っているということでビジネスパートナーとなる。

未承認の薬を他人に売ることは違法だ。そこでロンは月々の会費を取って薬は進呈するという形を取る「ダラスバイヤーズクラブ」を立ち上げる。

ロンウッドルーフは典型的なカウボーイ。アメリカのテキサスのマッチョなカウボーイはゲイなんて認めるはずはない。ロンの仲間全員からロンはつまはじきにされる。エイズと分かった途端、お前もホモ野郎かとケンカになった。さらにビジネスパートナーとか言って女装のホモ野郎と仲良くしてやがる。そんなロンが以前の仲間たちの元へ戻れるはずはなかった。

それでもロンは気にしない。はっきり言って死なないようにするだけで精一杯なのだ。病院なんか頼りにならない。自分でメキシコ、日本、オランダ、中国へ飛んでいくらでも薬を調達してくる。ただロンは死にたくなかった。それだけだ。それに儲かる。一石二鳥だ。別に助けるつもりで始めたわけじゃないけど、同じ病気で苦しむ患者も助けることができている。病院よりもずっとたくさんの人たちを。

ロンの行動力は本当にすごい。海外へ飛び、時には通関するために嘘八百並べることもある。それでも、俺はやる。なぜなら死ぬから。死なないためならなんだってやってやる。これを「熱血」とか「使命感」とかそういうものを前面に押し出す演出をしなかったところがジャン=マルクヴァレ監督のすごいところだと思う。圧倒的な行動力でありながら、これはもう「情熱」なんかじゃなく「執着」だ。そこがまた良い。難病ものって基本的にワタクシは苦手なんですけど、これは一切お涙頂戴なところがなくて良かった。

この薬さえあれば、助かる人たちがたくさんいるのに、別の製薬会社と蜜月にある役所(FDA)は承認しようとしない。医者であるイヴジェニファーガーナーはその現状に絶望して病院を辞め、ロンたちの支援に回る。レイヨンと友人であったことももちろんだが、ロンの生への執着がまっすぐな行動力がイヴの気持ちを動かした。イヴを演じたジェニファーガーナーも素敵だった。

本人も当然ゲイフォビアだったロンがビジネスと割り切ってレイヨンと組むわけだけど、このロンとレイヨンの関係も妙にべたべたしていなくて良かった。ロンの“気づき”はレイヨンを自分の昔の友達に紹介するシーンでさらっと描かれていて、彼が同性愛者たちにいままでの差別心を詫びるシーンなどないけれど、ロンは十分に気づきを得たと思う。気ままにコカインやって娼婦買ってっていうロンだったけど、HIVになってからのまっすぐさとそれでもユーモアを忘れないところなんかが憎めないキャラクターでした。同じHIVにかかった女性に飛びつくところなんかもまぁご愛嬌って感じで見られたな。

FDAとの裁判に負けてしまったロンをダラスバイヤーズクラブのみんなが拍手で迎えたシーンはめちゃ泣けたなぁ。それまでの気持ちの高ぶりがすべてそこに集約されていたシーンでした。法律上ロンを勝たせるわけにはいかなかった裁判官もかなりロンに肩入れはしてくれていたね。ただ生きるために薬を飲みたいという個人の権利を国が侵害するという問題提起にもなっていました。

冒頭で書いたように男優賞をW受賞したマコノヒーとレト。どちらもオスカーだけではなくて色んな賞を総ナメ状態ですね。もちろん、納得の演技でした。マコノヒーの20キロの減量ばかりが話題になりますが、レトもかなり痩せてましたね。そして、2人とも体重の増減などに関係なく素晴らしい演技でした。