シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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7つの贈り物

2009-02-27 | シネマ な行
「幸せのちから」ガブリエレムッチーノ監督ということで、ちょっとどうかなーと思ってたんですけど、今回もう1回は信じてみようと思いまして、見に行ってみました。

うーん、信じたワタクシがバカでした。

テーマとしてはね、ベンウィルスミスの行動をどう取るかは個人によって違うし、ワタクシはそれが彼にとっての贖罪であったなら、それはそれで自由だと思うんですよ。この件に関して倫理的にどうかとかはワタクシはあんまり気にしないです。

ただ、映画の演出としてどうかというと、いい点数はあげられないなぁ。こういうテーマならもっとスリリングな演出とかハートウォーミングな演出とか切ない演出とかどうにでもやりようがあったと思うんですよ。「幸せのちから」のときもそうだったけど、全体的に演出が平坦で一本調子なんですよね。

物語に深みを与えるには、弟マイケルイーリーとか、親友バリーペッパーとの絆とか彼らの葛藤とかをもっとうまく描き出す必要があったと思うし、全盲のエズラウッディハレルソンの扱いだって、もうちょっとうまくできなかったかなぁと思う。

それにしても、、、アメリカでは臓器移植が進んでるから、事情はかなり日本と違うと思うんだけど、こんなふうに誰にあげるって他人でも指定できるんかな?できないとお話にならんよね。エミリーロザリオドーソンは“めずらしい血液型”と言っていたから、それがベンと一致してた?それで、一番近くの人だから順番的に一番なの?でも、どうやって彼女の血液型まで分かったんかな?国税局にそんな記録があるとは思えないんやけど。骨髄も移植してたけど、そんな簡単に「あの子に」って型が合うの?あれは骨髄液じゃないのかな?うーん、ちょっと分からん。それに、あれくらいの調査で「あなたは助けるに値する」ってアンタ、何様?って感じよね。まぁ、そりゃ自分の臓器が殺人犯に移植されたらイヤだろうけどさ、贖罪なわりには傲慢なのねって思っちゃった。

と、いうわけで、残念ながらしばらくガブリエレムッチーノ監督のことはちょっと信じないことにいたします。
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マグダレンの祈り

2009-02-25 | シネマ ま行
舞台は1964年のアイルランド。いとこにレイプされたマーガレットアンヌ=マリーダフ、孤児で美人であるがゆえに男たちから声をかけられてばかりいるバーナデットノラ=ジェーンヌーン、私生児を生み、その子を無理やり両親に養子に出されたローズドロシーダフィは、それぞれマグダレン修道院に連れて来られる。

マグダレン修道院とは…キリストによって改心した娼婦マグダラのマリアにちなんでつけられた名前を持つ修道院で、19世紀に“堕落した”女性や娼婦の避難場所として作られた。20世紀に入り、カトリック教会が運営するようになり、シスターたちの管理の下、収容された女性たちは洗濯場で働くようになった。(その収入は教会のものになる。シスターブリジットジェラルディンマクイーワンは嬉しそうに札束を数えている)

ここでの生活は修道院というよりも、完全に収容所、または刑務所だ。私語は許されず、10人以上がひとつの大部屋で暮らし、質素を通り越した粗末な食事に楽しみは一切与えられない。しかもそれだけではない、シスターたちや神父からのセクハラ、パワハラに満ちた世界。それが本当にこういった罰を受けるべき女性たちの収容所ならば、自由がないことなどはそれはそれである程度仕方ないことだと考えられるが、ここに入れられている女性たちのうち、本当にこのような罰を受けなければいけない女性はどれくらいいたのだろうか?

マーガレットはいとこにレイプされた被害者。それを親族に告げると、男のほうは何のお咎めもなく、家族は彼女を“恥”として、修道院に入れる。どうせ、この男が彼女が誘ったとかなんとか言ったか、親族の男たちが彼も若いんだからそれくらいしょうがないとかなんとか言ったに違いない。
バーナデットはただ美人だっただけ。確かに彼女も孤児院の柵越しにやって来る男の子たちをちょっとからかってみたり、楽しんでるふうではあったけど、それが“罪”だと言われてもって感じだし。
ローズは私生児を出産。もちろん、カトリックの世界では婚前交渉を結ぶこと自体が“罪”ではある。しかし、それを一族の恥とし、生まれた赤ん坊の顔すら見ずに養子の手続きをしてしまう両親もどやねん?そして、ローズの場合もどうせ相手の男はのうのうと何の罪も背負わずに暮らしているんだろう。
彼女たちの同部屋で少しオツムの弱そうなクリスピーナアイリーンウォルシュは神父ダニエルコステロがわいせつな行為をしてきたのを告発すると精神病院に入れられる。

舞台となっているのが、1964年ということで、これがついこないだのことかと思うとビックリなんだけど、こういった修道院が1996年まで存続していたというのだからこれまた驚きである。

こういうのを見るたびに宗教ってなんやねん?って考えさせられますね。人を救うはずの宗教が弱者を教義で縛りつけ、裏で金を儲ける。彼らこそ、“堕落”した人間なのだけど、宗教が権力を得たとき、アンタッチャブルな存在になってしまう。そして、それを助長する男尊女卑と貧困の社会。そういったアイルランドの暗部をこの映画は克明にうつしだします。

監督は自身も俳優であるピーターミュラン。淡々とした演出ながらも、マグダレンシスターズに優しいまなざしを向けている。
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ディファイアンス

2009-02-24 | シネマ た行
第二次世界大戦中、ベラルーシで同胞のユダヤ人と森の中でコミュニティーを作り上げ、ナチの虐殺から1200人もの命を救ったビエルスキ兄弟のお話。

最初、長男でこのコミュニティーのリーダーとなるトゥヴィアを演じるダニエルクレイグが、「え~ジェームズボンドやもん。そりゃ、強いしナチからも守ってくれるんちゃうん?」っていうふうに感じてしまって、ちょっとミスキャスト?って思ったんだけど、物語が進むうちにもう彼がジェームズボンドであることなどまったく忘れて、一人の寡黙な悩めるリーダーにしか見えなくなったのは、ダニエルクレイグのしっかりした演技力にあると言えるのだろう。彼が演じたトゥヴィアはカリスマ性を持ちながらも、生まれながらのリーダーという感じではなく、この過酷な状況下で誰かがみんなを引っ張っていかざるをえないという状況で、自分でも意識しないうちにリーダーになっていたという感じだった。それゆえに人間らしく悩んだり、苦しんだり、個人的な感情と戦ったりとさまざまな面を見せてくれて、とても魅力的な人物像ができあがっている。

その長男と対立する次男ズシュにはリーブシュライバーがキャスティングされている。彼はお兄さんよりもひとまわり大きく、武闘派な感じがよく出ているし、ダニエルクレイグよりもロシア語は上手だったような気がする。(いや、ワタクシ、もちろんロシア語なんてぜんぜん分からないから実際にロシア人が聞いたらどう思うのかは分からないけど)途中で仲たがいして、ロシアのレジスタンスに加わってしまうこのズシュだが、長男とは対立しつつも、いつも兄弟を想うことを忘れない心優しい男だということはきっとみんな分かっていただろうし、最後の瞬間に助けに来てくれるシーンは涙なしには見られない。この長男と次男が戦後アメリカに渡ってからもずっと一緒に商売を続けたということからも、本当はお互いを大切にしあっていたということがよく分かる。

ユダヤ人たちを取り囲むロシア人レジスタンスの思惑や、一般のロシア人でユダヤ人を助ける人たちのことなどもきちんと描かれていた。中でも、ユダヤ人を助けたことによって夫がナチに殺されたあとも夫の遺志を継ぐかのように助けてくれた奥さんが印象的だった。夫が生きていたときはユダヤ人を助ける夫に文句ばかり言っていた奥さんだったけど、本当は心の中でそんな夫の行く末を心配し、きっと誇りにも思っていたんだろうなと思えた。

こういう物語だから、数々泣けるシーンがあって、そのほとんどが悲しみや無念の涙なんだけど、唯一このビエルスキ兄弟の三男アザエルジェイミーベルの結婚式のシーンは、なんとも言えない不思議な涙がこぼれた。粉雪の舞い散る森の中、ささやかな結婚式。ナチから逃れて希望のないユダヤ人たちにとって、この結婚式が意味したものはとても大きかったんじゃないかと思えた。結婚がいいことばかりじゃなく、離婚するカップルも多い中でも、なぜか結婚式には希望というものを感じるなぁ。そして、さらにこのコミュニティーでは物資不足などで育てていけないため子供を持つことは禁じられていたが、戦争の中でドイツ人にレイプされた女性が身ごもっていて、その出産をトゥヴィアが許すシーンもすごく泣けた。たとえ、レイプされた子供でも、この状況下で身ごもった母親にとっても唯一の希望はこの赤ん坊だということに、悲しみとも感動ともどちらとも言える涙が流れた。

ナチスから逃れて森で生活したなんて言うから、せいぜい30人とかくらいかと想っていたら最終的には1200人ものユダヤ人がこのコミュニティーの中で生活し、最後に解放されたときにはその中に学校や病院、教会まであったというからオドロキだ。ユダヤ教というのは選民思想で、神は私たちユダヤ人を選んだと思っている彼らだが、信心深い教師までもが「次は別の民族をお選びください」と言ってしまうほどの状況の中で何年間も隠れて生き延びた1200人。そして、そのコミュニティーをまとめたビエルスキ兄弟。戦後彼らがこの出来事をあまり吹聴してまわらなかったのは、生き延びるためとは言え、農民から食物などを略奪したりしたこともあったからなのかもしれない。トゥヴィアが「こんな状況でもわれわれは獣ではない。人間らしく生きて死のう」と言うが、やはりこんな状況下ではそのボーダーに立たざるをえなかったのだと思う。

映画としての演出はさすがのエドワードズウィック監督で、見所もたくさんあり、ハラハラするシーンもたくさんあり、彼らしい骨太さと繊細さが絶妙に入り混じった演出で、戦闘シーンの荒々しさと彼らの心情がどちらも取りこぼすことなく描かれているところが素晴らしい。ユダヤ人に見えないキャストも多いし、英語とロシア語が入りみだりたりとちょっぴり変なとこもあるけど、細かいことは気にせず、いい物語に浸ってください。

オマケ隣に座っていた60代のおじさんが涙もろいワタクシよりも泣いていて、全然関係ないのにちょっと親しみを感じてしまいました。
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ベンジャミンバトン~数奇な人生

2009-02-18 | シネマ は行

先日、にゃおと見に行ってきました。ブラッドピットケイトブランシェット「バベル」に引き続き、大好きな二人の共演です。

ワタクシがこの二人を大好きだからかどうか分からないけど、どうもこの二人のラブストーリーの部分にばかり期待を寄せてしまっていたので、その点に関してはちょっと物足りなかったというか、いや、ラブストーリーの部分は十分あったんだろうけど、その他の部分の占める割合が大きかったので、ラブストーリーの部分がかすんでしまったような気がする。後半、物語のスポットがやっとこさ、二人の話になったと思ったら、ずっと二人の話になるんだけど、そこに行き着くまでのベンジャミンの数奇な人生の部分が長い長い。

彼の子供時代の話、青年期、戦争に行った時代を経て、船乗りとして世界を回っていた間に出会ったエリザベスアボットティルダスウィントンとのエピソードとか、いろいろと興味深くはあったけど、もうちょっとはしょっても良かったんじゃないかなーと。そのわりに実のお父さんトーマスバトンジェイソンフレミングとのエピソードとか、育てのお母さんクィニータラジP.ヘンソンとのエピソードとかはもうちょっと加えても良かったような気がするな。

まぁ、それでも十分ストーリーは面白かったと思う。ところどころ、ほろっときたり、クスクスと笑えたりするシーンもあったし、なんと言っても、80歳の姿で生まれたベンジャミン(ブラピ)がどんどん若返っていく姿は掛け値なしに面白いものだ。まぁ、それがまたブラピなもんだから映るたびに美しくカッコよくなっていくもんだから女性はため息もんだろう。それとは対照的にデイジー(ブランシェット)は歳を取っていくわけだけれども、どちらも、実年齢よりも老けている時代よりも若い時代を演じているのがすごい。これはもう演技がすごいとかそういうんじゃなくて、最新テクノロジーの勝利ってやつですけどね。メイクと、CGであそこまでできちゃうんだからなぁ。もう、役者に年齢なんて本当に関係なくなっちゃうかもしれない。でも、ワタクシは結構歳をとっていくケイトブランシェットも良かったな。彼女ならあんな素敵なおばさん、おばあさんになりそうだし。映画の中のデイジーが感じていた不安と同じような不安をケイトは感じなかったのかな。どんどんハンサムになっていくブラピとスクリーン上で並ばないといけないなんてある意味女優として勇気のいる役だったかもしれませんね。

デイジーが歳をとって、どんどん赤ちゃんに戻っていくベンジャミンを見守っている後半のエピソードはもう涙なしでは見られなかった。これはとても不道徳な言いようになっちゃうけど、あんなふうに老人が本当に赤ちゃんに戻っていくなら、こんな理想的なことはないかもしれないね。もうなにも分からなくなってしまった老人が実際に赤ちゃんの姿だったら、あんなふうに優しく抱っこされて死んでいけてとっても幸せかもしれないなぁなんて考えてしまって。こんなこと書いたら怒られちゃうかな…

それにしても、あんな形で本当のお父さんを明かされて、しかも、お父さんがそんな特殊な人で、しかもしかも、そのことについてよく話せないままお母さんが亡くなっちゃった娘キャロラインジュリアオーモンドはどんなに宙ぶらりんな状態で放っておかれたことかと思うと、なんだか後味が良くないな。彼女の中でうまく消化してくれるといいのだけど。

見ている途中で、なんだか似てるなぁと思ったのは「フォレストガンプ」です。人とは違う主人公の人生のさまざまなエピソードが語られるところが似てるのかな。フォレストガンプ、若返っていくバージョンって感じですかね。と、思ったら同じ脚本家だった。

オマケ1最初にワーナーブラザースのロゴがボタンで作られた画像が映って、集合体恐怖症のワタクシは「こんなロゴに変わっちゃったのか!気持ち悪くてイヤだ」と思っていたら、バトンのボタンだった。ほっ。そして、この「バトンのボタン」字幕読んでて、もうバトンが名字だかボタンが名字だかなにがなんだか分からなくなっちゃいました。

オマケ2写真は二人がちょうどいい年齢になったころのものです。この物語を語るなら、もっと違う写真のほうがいいんだけど、この二人のツーショットがあまりにも美しいので選んでしまいました。

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SAYURI

2009-02-13 | シネマ さ行
こないだケーブルテレビで放映されていたので見ました。

まね、なんで中国人?とか、なんで英語?とかそういう疑問はさておいて。というか、さておかなければこんな映画見れませんよ。かく言うワタクシも途中まではこれが気になって気になって仕方なかったんですよ。「あ~ナチスの映画を英語でされるとドイツ人はこんな気持ちになるのかなぁ」なんて思いながら。でも、途中からこれはハリウッドファンタジーなんだっ!と腹をくくって見ることにしました。だって、ほら、日本人だってアメリカ人役をイギリス人が演じてたって、オーストラリア人だってアイルランド人だって、気にしない人多いじゃないですか。だから、日本人役を中国人が演じてたって、そんなに目くじら立てちゃダメってことなんでしょう。

芸者は女郎とは違って、体じゃなく芸を売る仕事とか言いながら、さゆりチャンツィーイーの水揚げ(旦那に処女を捧げる)の話にほとんどの時間を割いてしまったのが、ちょっと残念でしたね。体を売って金儲けと、体を売って権力を得るっていうのが違うっていうことなのかもしれないけど。あれじゃ、芸者の良さっていうのがいまいち表現できてないと思いました。さゆりも会長さん渡辺謙に恋してるわりには自分の水揚げに関するかけ引きを楽しんでいるふうもあったし、あの辺はちょっと不思議だった。

役が良かったせいもあるかもしれないけど、さゆりの面倒を見る豆葉役のミシェルヨーがすごく良かったね。なんか若いときの倍賞美津子みたいな雰囲気でしたね。さっぱりしてて、面倒見が良くてカッコよかった。彼女も結局は権力争いにさゆりを利用してるだけかなぁという感じもしなくはなかったけど、それだけじゃない優しさを持っている芸者さんだった感じがした。

日本人の中では桃井かおりは撮影中に監督が実力を分かってくれて、大きいスター用のトレーラーに変えてくれたとか話題になってたけど、彼女の魅力はそこまで出切ってなかったような気がするな。彼女が登場するシーンはほとんど画面が暗すぎて表情があまり見えなかったし。子役の大後寿々花ちゃんはすごいね。英語も喋れないのに、あんなにセリフぺらぺら言って。この歳にしてプロって感じ。工藤夕貴はなんで、あんなに戦後のパンパンみたいなのがすごい似合っちゃうんだろうかね。ってこれ失礼なこと言っちゃってますが。彼女のことはそんなに好きじゃないけど、さすがアメリカで頑張ってるだけあって、英語は一番上手だった。

最初にも書いたように、これがザ・ハリウッドファンタジーだと思って見れば、まぁ悪くないと思います。先に書いた水揚げのかけ引きのとこなんかは“いいのか、さゆり?”と思いつつも面白かったしね。いままでぜんぜん思ったことなかったけど、チャンツィーイーも可愛かったし。「あかあさん」「置屋」「だんな」とか突然日本語になるところがあって、これはアメリカ人は理解できるのか?と心配になったけど、どうなんでしょうね。

このブログでは新作は別として、旧作は面白くなかったものをわざわざ取り上げてこき下ろそうというつもりはまったくないので、この作品もここに取り上げたということは、ある程度みなさまにオススメできるかなぁということです。もちろん、何度も書いているようにハリウッドファンタジーだということを受け入れられればという条件付きですが。
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ワンダーラスト

2009-02-12 | シネマ わ行

このブログを読んでくれている方の中には、ワタクシがマドンナのファンであることをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。マドンナはいままで、女優として映画作りに参加してきて、本人も映画はとてもむずかしいと話していますし、実際映画界では大きな成功をおさめたとは言いがたいかもしれません。彼女はそれでも、映画はむずかしい、だからこそ、いいものを作りたいといままで映画の世界に関わってきていました。そんな彼女が今回は女優ではなく、監督として映画に関わることにしたようです。マドンナが映画を監督するとなれば、まぁファンとしては見に行かないわけにはいかないでしょう。ただ、ワタクシの中でマドンナのファンのワタクシと映画オタクのワタクシがちょっと戦っていました。マドンナファンのワタクシとしては、見に行くべし!と、映画オタクのワタクシとしては、スーパースターがメガホンを握った映画…期待薄だな。が交錯していました。

果たして結果はどうだったでしょう?

うん。まぁ悪くないな。というのが見終わった感想でした。あの大物アーティスト、マドンナが監督をしているというのが、邪魔してしまうのですが、彼女も映画監督というカテゴリーではまったくの新人。そういう新人が撮ったと思えば、悪くない作品ではないでしょうか。彼女は50歳ですが、もっと若い映画学校の生徒に毛が生えた程度の年齢の子が撮ったような感覚とでも言いましょうか。この映画はまさに、マドンナが成功を収める前の自分自身を撮ったようなものですから、ある意味、その印象は正しいのかもしれませんね。

主役のAKを演じるユージンハッツは、有名な人らしいですが、ワタクシはぜんぜん知りませんでした。彼の風貌はちょっと苦手ですが、歌っているときは最高にカッコよかったですね。そして、AKの友人である、バレリーナを夢見るホリーホリーウエストンとアフリカの子供たちを助けることを夢見るジュリエットヴィッキーマクルアもそれぞれ3人ともが若いころのマドンナを表現しているようで、ストーリーは単純ですが、役者陣がそれぞれいい感じだったと思います。それに、みんな悪いこともするけど、基本的にいい子っていうのが、マドンナらしいなって思いました。マドンナってすごく若い人の可能性を信じてるところがあるからね。

キャストの中ではメインの3人ではありませんが、ホリーのストリップ劇場での面倒見役の先輩フランシーヌを演じたフランチェスカキングドンが超超カッコよかった!

AKがSMの仕事をしていたり、AKの客であるMのだんなエリオットレヴィを喜ばせようと奥さんが奮起したり、ホリーがストリップ劇場でブリトニースピアースの「Baby One More Time...」に合わせて制服で踊ったりっていうのが、マドンナらしい演出というか、ファンが楽しめるようにおまけ的につけているようで、ファン以外が見るとよく分かんないかもなってとこもありました。自分の曲は2曲しか使わなかったけど、ワタクシは使わないほうが良かったかなとも思います。ファンとしては嬉しいんだけど、やっぱり「マドンナが監督してるんだ」っていうことをいちいち思い出してしまうから。

マドンナのファンじゃなかったら、こんな映画そもそも見ないかもしれないですね。うん。まぁ確かにファンじゃなかったら別に見なくてもいいかも。でも、これが第一作ですから、まだまだ映画監督としては未熟ですが、これから良くなる可能性は秘めているんじゃないでしょうか?ファンだからやっぱり採点は甘いかな?

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ファニーゲームU.S.A

2009-02-09 | シネマ は行

おいおいおい、なんでこの映画がPG-12だぁぁぁ?大丈夫か、映倫さんPG-12っていったら、「12歳未満は保護者同伴で」だよね?いいの?保護者同伴なら見せてもいいの?せめて、R-15じゃないの?いや、この映画、確かに直接的に残虐なシーンはないよ。別の部屋にいる人物が映ってる間に、隣の部屋で殴られたり、撃たれたりするだけだよ。それで、大きな音がしてその部屋に行ってみたら血まみれの人が倒れてるだけだよ。だけだからいいのかーーーー???映倫さんは映画を取り締まる組織ってわけじゃなくて、自主的に映画を規制する団体だってことなんだろうけど、ちょっとこの映画にPG-12は甘すぎないか?ちなみにアメリカではR指定。日本のR指定とはちょっと規定が違うけど、アメリカでR指定がつくと17歳以下は保護者同伴ってことになってるみたい。基本的にアメリカのレートのほうが厳しいことが多いし、アメリカのレートのほうが常に正しいとは思わないけど、この作品に限っては日本もせめてR-15くらいにすべきなんじゃないかと思うけど…

見終わったあとは「なんで、こんな不快な映画わざわざ作るねん!?」って思ったけど、それならなんでわざわざこんな映画をお金を払って見に行くのか?ってことよね。もちろん、見るまでは不快な映画かどうかは分からないけど、ある程度どんな感じの映画かってことは分かってて見に行くわけなんよね。この作品の場合ならすごく暴力的な映画ってことは分かって見に行ってる。わざわざお金払って。そこでふと考える。それこそがミヒャエルハネケ監督の狙いなんかな?って。つまり、暴力的な映画を見に行く心理の根底には何があるのか?と。この映画は暴力を振るう人間は、捕まりもしないし、罰せられもしない。そして、被害者はたったの一人も助かることはないし、反撃のチャンスもことごとく、あまりにも簡単に犯人にひねりつぶされる。もし、犯人が捕まったら、もし最後に犯人側が殺されたら。それが普通の暴力映画だけど、じゃあ、それでいいの?と。それで、カタルシスを感じる観客。最後に被害者たちのうちたった一人生き残る人にホッとする観客。それでいいのか?と。たとえ、犯人が捕まっても死んでも、そこに存在した暴力は消えることはないのに。それまで殺された人々は生き返るわけじゃないのに。観客はカタルシスを感じ、ホッとして家に帰っていく。それでいいのか?監督は、この救いのない映画にそんなメッセージを込めているような気がする。

犯人の持つリモコンによって、巻き戻される現実。これこそが、普段ワタクシたち観客が無意識のうちにしていることなんじゃないか。何か都合の悪いことがあればリモコンで巻き戻せばいい。リセットボタンを押せばいい。そう考える現代人への痛烈な批判なんじゃないか。

と、まぁこの映画をなんとか好意的に考えようとすればこういう感想になるんだと思う。ワタクシが書いたことが本当に監督の意図なのかどうかは知らない。もしかしたら、単純に本当にちょっとイカれた人なのかもしれない…

上に書いたことに完全に相反することを書いてしまうが、上のリモコン巻き戻し&リセットボタンの感覚ってよくメディアなんかでおエライ人たちが言ってますけどねぇ。これってワタクシ個人は、「ほんまにそうかぁ?」って思います。いくらテレビゲームやら、ホラー映画やらが人気の世の中って言ったってさ、その虚構の世界と現実の世界の境界が分からなくなる人ってほんの一握りじゃねぇの?って思うんですよね。大多数の人はそんなものがファンタジーだと分かってるから楽しめるんじゃないのかって。テレビゲームとかで境界が分からなくなる人なら、それがたとえ、小説とかだとしても分からなくなるタイプの人じゃないのか?そういうタイプの人って単純に人口の数パーセントは存在するんじゃないのか?って思うんですけどねー。まー、これは単にワタクシが勝手に思ってるだけなんでまったく根拠もなにもないです。(苦情は受付ません)

話を映画に戻すと、ワタクシはオリジナルを見ていないので、比べようがないのですが、他の人の感想を見るとオリジナルのほうが、舞台がヨーロッパなことや、役者がブサイク(失礼!)なことから、ずっと陰気な感じがしたみたいですが、こっちのUSA版も十二分に陰気で恐ろしいです。ナオミワッツは演技がいつもリアルすぎて怖し、マイケルピットの育ちの良さそうなお坊ちゃま風の顔立ちが余計に怖さを増長しています。あの最後のカットのマイケルピットの顔が忘れられないんだよね。

この映画、人に薦めますか?と聞かれたら、、、軽い気持ちでは絶対に薦めないですね。こういう映画も世の中には存在するってことを理解する人ならどうぞって感じです。

オマケ冒頭に映画のレートのことを書いたので、参考までに日本の映倫の区分と、アメリカのMPAA(アメリカ映画業協会)の区分を書いておきます。

=日本の場合=
一般:特に誰が見ても問題ナシ
PG-12:12歳未満は保護者の同伴をすすめる
R-15:15歳未満は鑑賞禁止
R-18:18歳未満は鑑賞禁止

=アメリカの場合=
G(General Audiences):特に誰が見ても問題ナシ
PG(Parental Guidance Suggested):小さい子供に見せる前に保護者は内容をチェックするべし
PG-13(Parents Strongly Cautioned):13歳以下の子供に見せる前に保護者は内容をチェックすべし
R(Resteicted):17歳以下は保護者の同伴をすすめる
NC-17(No One 17 And Under Admited):17歳以下は鑑賞禁止

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チェ 39歳別れの手紙

2009-02-06 | シネマ た行
「チェ 28歳の革命」のレビューで「39歳別れの手紙」を見てからでないとこの2作品の真価は分からないと書いた。そして、“チェの部隊を密着取材しましたって感じ”とも。残念ながら、今作もまさに“チェの部隊を密着取材しました”でした。これがドキュメンタリー映画でないかぎり、それはどうなの?とちょっと思わざるをえなかったな。史実に忠実に、は分かるんだけど、それで映画として面白くなきゃ意味ないような。

今回はボリビアでキューバと同じように革命を成功させようとするチェベニチオデルトロ。このあたりの背景とか、協力しているのは誰かとか、ボリビアの現状はどんなだとか、そういうことの説明が一切ない。語られるセリフから推察はできるが、もう少し深い説明がほしいところ。それくらい知ってるでしょ?とかそれくらい調べて来いよっていうスタンスならちょっと傲慢な気がしたな。

映画の中でのゲリラ戦に占める割合が多すぎるように思う。ゲリラ部隊にいる兵たちが誰が誰だか分からない。もっとチェの内面にかかわる会話とか、そういうものが欲しかった。そんな中、いきなりマットデイモンがカメオ出演するけど、あれはとても余計だと感じた。こんなふうに“こだわって”撮ってるくせに、いきなりあーいうところでビッグネームを登場させる意味があったのかと思う。

「28歳の革命」のほうで「武装蜂起」には抵抗を感じると書いたけど、それについてゲリラの一人が「政府の圧政による暴力には耐えられても、革命の暴力はいけないというのか?」と言うシーンがあり、それにはすごく説得力があった。その説得力でなぜボリビアの農民たちを味方につけることができなかったのか?農民を集めて、現状を打破しようと訴えるシーンがあるがもう少しそういう啓蒙活動が必要だったんじゃないかと思えた。5年も準備したわりにこの失敗はなんだったんだろう?どうせ、この「失敗」のために1作品作るならもう少し掘り下げられたように思う。

チェの理想とか信念というものはある程度伝わってはくるけど、本当に彼がどう感じて日々を生きていたのかまるで分からない。映画館に立ててある宣伝ボードには子供を愛し、家族をすごく大切にしたなんて書かれてあったけど、そんな側面はまったく見えないし、キューバ革命の前に妻子はいたけど、キューバ革命で出会った女性と再婚してるよね。それで「すごく家族を愛し…」とか言われてもよう分からん。(いや、別に離婚再婚を否定しているワケではありません)

チェゲバラという人が偉大すぎて、映画の評価も上がりがちなんじゃないかとさえ思えてしまう。なんかけなしたら悪いな、みたいなね。チェ自身の評価がどうではなくて、映画としてはワタクシはいまいちでした。

オマケ28歳でも思ったけど、39歳ではますますデルトロが古谷一行に見えて仕方なかったです
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レボリューショナリーロード~燃え尽きるまで

2009-02-05 | シネマ ら行
ケイトウィンスレットがゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞したこの作品、見てまいりました。

「アメリカンビューティー」でサバーバンものを撮ったサムメンデス監督が時代を1950年代に変えてまたサバーバンものを撮ったって感じかな。「アメリカンビューティー」はやたらと絶賛されていた作品でしたが、ワタクシはあんまり好きではありませんでした。

エイプリル(ケイト)とフランクレオナルドディカプリオの喧嘩を見ていて、「バージニアウルフなんて怖くない」のエリザベステイラーとリチャードバートンを思い出してしまった。あっちのほうがちょっと陰気な感じだったけど。そして、延々続く二人の喧嘩を見ながら、「Mr.&Mrs. スミス」も延々喧嘩してたなぁなんて、全然関係ないことも考えてしまったりして。全然シリアス度が違うし、あちらの喧嘩はドンパチとド派手でしたけどね(笑)

まーとにかく、二人とも大声張り上げて喧嘩して、しかもその内容がシリアスなもんだから見ているこっちは息苦しい。キライな仕事を家庭のためにするなんていう現実にガマンして生きるくらいなら、いっそのことパリに行って心機一転頑張りましょう。仕事は私がして、あなたは好きなことに時間を使えばいいわ。いままでの7年間を取り戻すのよっていう妻の提案はまぁ確かに計画性に欠けるし、子供じみているといえばそうなんだけど、それでも、それで二人が幸せになれるなら、やっぱり叶えてあげたかったな。妻のわがままと言ってしまえばそれまでだけど、そのわがままも二人の関係をどうにかしようと思ってのことだったから、許せたのかも。

その計画がおじゃんになったことで、二人は転落の一途をたどるわけだけど、どちらかといえば、夫のほうが二人の関係を修復しようと頑張っているようで、浮気をしたことは悪いけど、彼が妻を愛していることはとてもよく伝わってきた。彼がなんとかしようともがけばもがくほど、妻の心はどんどん理解不能な域へと向かう。奥さんのほうは、ここまでくるとちょっと精神的におかしいんじゃないとさえ思えてくるほどだ。じゃなきゃ、もうちょっとちゃんと話し合えたろうしねぇ。

この映画、どう受け取ったらいいでしょうねぇ…ちょっとワタクシには分からないな。特に妻の最後の決断はよく分からなかった。倫理的にどうというのではなくてね、どうしてあそこであーなっちゃうんだろう?パリに行けなくなった時点で彼女にとってはもう何もかも絶望の果てだったのかな。「絶望を直視するのは勇気がいる」と精神異常者のジョンマイケルシャノンが言うシーンがあるけれど、一度そうやって自分たちの絶望感を直視してしまったエイプリルはもうそこから這い出ることができなくなってしまったのかもしれない。(←この精神異常者が本質を突くってのも使い古された感じがするね)

「夫婦(結婚)の現実」みたいに捉える人もいるかもしれないけど、根本的に妻を愛していた夫と夫を愛し切れなかった妻みたいなふうにワタクシには思えたけど。それが根底にあればもっと変わっていたんじゃないかと。

興味深いのはこの主役のウィーラー夫婦のほかに登場する近所のシェップ&ミリー夫妻デヴィッドハーバーキャサリンハーンと、家を紹介してくれたヘレンキャシーベイツの夫婦だ。
ウィーラー夫妻がパリに行くと知ったときのミリーの反応は嫉妬以外のなにものでもなかったし、エイプリルの最後の決断が自分のせいだと思い込んでいるシェップの夫婦は、これからも心の奥底に潜んでいる気持ちはお互い言わずに一生を過ごすんだろう。そして、ヘレンの夫は妻のグチを補聴器をシャットアウトして聞かないようにしている。
この二組の夫婦はある意味ウィーラー夫妻と並ぶ悲劇として描かれているような気がした。ウィーラー夫妻はホンネをぶつけ合って悲劇を迎え、他の2組の夫婦はホンネを隠して悲劇の生活を送る。あれ?結局これが「結婚の現実」ならホンネをぶつけ合おうが合うまいが、いいことはなにもないってことになっちゃうか?

しかし、いくらアメリカでは子供たちをベビーシッターに預けたり、近所に預けたりできるとは言え、あまりにも2人の子供たちの存在感がなさ過ぎたなぁ。まぁ、それがこの夫婦の頭の中での子供たちの存在感だったと言えば象徴的に描かれているのかもしれない。

なんだか、「かもしれない」という言い回しが多いレビューになったなぁ。んー、ほんとにぶっちゃけどう評価したらいいのかよく分からなかったからな。とにかく、ケイトとレオの再共演は楽しみました。ケイトはゴールデングローブ取ったけど、どっちもアカデミー賞ノミネートからはもれましたね。でも2人とも演技はやはり素晴らしかったです。今度共演することがもしあれば、どちらも死なないハッピーエンドにしてほしいな。

オマケアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされていますが、1950年代ということもあり、ケイトの服ももちろん素敵ですが、レオが着ている開襟シャツの模様とか刺繍とかが細かくてかわいいです。
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