シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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太陽

2006-10-31 | シネマ た行
神と崇め奉られた昭和天皇イッセー尾形が戦後「人間宣言」をするまでの葛藤をロシアの巨匠アレクサンドルソクーロフが描いたこの作品。昭和天皇の心の内が描かれる作品なので、それが事実だったかどうかはもちろん定かではない。史実に忠実に描かれているわけでもないだろう。だから、ここではあくまでもこの作品を見た感想を書くにとどめたい。

ほぼ前編に流れる不穏な音楽。時に耳障りにさえ感じるような変な機械音のようなBGM。それはそのころの日本に流れる空気感であったか、それとも昭和天皇の頭の中に流れる「神」として扱われる自分と「人間」である自分の間の不協和音であったか。「私の体は他のみなと変わらない」と主張しても侍従長佐野史郎は答えに窮する。自分を「神」と崇めているくせに、自分の主張を通してくれるわけではない。「私は誰からも愛されない」と嘆く昭和天皇。そう、「天皇陛下万歳」と叫んで何万人という若者が自分に命を捧げているというのに、本当の自分を理解し、愛している者はいない。なんという皮肉。

イッセー尾形の演技に魅せられる。自らの苦悩を呟いたかと思いきや、なにやら思いついたことをとうとうと話し続ける。それを遮られて新しいことを言われても「あっそ」と軽く言いそれに従う。ワタクシたちは昭和天皇のプライベートでの姿を知っているわけではないが、イッセー尾形は国民の前に姿を見せていたときの昭和天皇の動きなどにソックリだったし、あの「あっそ」と言う時の口調なども驚くほどソックリだった。「ラストエンペラー」の溥儀や、「セブンイヤーズインチベット」のダライラマのように、ここで描かれる昭和天皇もどこか子供のように無邪気な面も見せる。こういう高貴な人たちは周囲の環境やおいたちが似ているせいか、どこか似た雰囲気を持つものなのだろうか。マッカーサーのところでおそらく生まれて初めて自分でドアを開けるシーンや、食卓に一人残され、嬉しそうにろうそくをひとつひとつ消していくシーンなど、マッカーサーに昭和天皇には戦争責任を負わせないと思わせた無邪気な子供のような姿。可愛らしいとさえ思えるその姿をイッセー尾形がとても自然に表現していた。

戦争が終わって、疎開先から戻ってきた皇后桃井かおりに、「人間宣言」することに決めたことを伝える昭和天皇。「私は自分の運命を拒否したんだ」と誇らしげに語ったその直後、その「人間宣言」を録音した若者は自決したと侍従長から聞かされる。「でも、止めたんだろうね?」「いいえ」国民のことを第一に考え、決断したはずの「人間宣言」それを一番初めに受け止めた国民は自決した。そして、それを当然のように止めることはしなかった侍従長。このときの言いようのない悲しみや苦しみはいかばかりだったか。このシーンに、自分でも気付かないうちに涙が出ていた。何の前触れもなく突如としてポロポロと涙が出た。まるでダイレクトにその哀しみと同化したようだった。そして、このときの横目で昭和天皇をほとんどにらむように見ながらみるみる瞳に涙がたまっていく桃井かおりの演技に圧倒された。そのあとまるで夫を守るかのように子供たちの待つ大広間へと手をひっぱっていく皇后。皇后が桃井かおりというのはちょっと結びつかないがこれら一連のシーンを見ていると素晴らしいキャスティングだということが分かる。

ものすごく静かに淡々と進んでいく物語であるにも関わらず、いつまでも心にズドンと効き続ける作品である。
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ブラックダリア

2006-10-30 | シネマ は行
1940年代のハリウッドが舞台で、未解決のブラックダリア事件を基にしたサスペンスで、監督がブライアンデパルマで…というわけで結構期待して行ったんですが、、、

映像のほうは「アンタッチャブル」のときのデパルマを思わせる雰囲気。アーロンエッカートジョッシュハートネットスカーレットヨハンソンも当時の衣装がとても似合っていて、いい感じ。あの辺りの時代物が好きなワタクシにはかなり満足できる。映像そのものがハードボイルドな感じでしびれるのだ。あの時代の何が好きと聞かれるとうまく言えないけど、男性の三つ揃えのスーツに帽子、そしてタバコというファッションに、女性の小悪魔的な雰囲気になぜか昔から惹かれるのです。

物語のほうは、ブラックダリア事件とブランチャード(アーロンエッカート)、ブライカート(ジョッシュハートネット)、ケイ(スカーレットヨハンソン)の三角関係を絡ませて描いていて、絡ませるのがここまでだと良かったんだけど、後半になってブランチャードの過去の事件とケイの関係、ブラックダリア事件の容疑者との絡みが一気に暴かれるところがなんだかややこしい。ん?ん?ん?どういうこと?ってちょっと置いてけぼり喰わされちゃいました。それってワタクシがお馬鹿だからかもしれんねんけど、ちょっとブランチャードの過去の事件との絡みは必要なかったような…それならブランチャード自身の過去を示してどうしてあそこまでブラックダリア事件に固執するかとか、もうちょっとブラックダリア事件に集中してほしかったかな。その結果、ブラックダリア事件のほうもなんか中途半端だしなぁ。

事件の調査の過程で出てくる富豪の娘のヒラリースワンクっていうのは、あまりにも説得力なさ過ぎ。ブラックダリアに瓜二つの女性っていうのにも無理があるし、彼女にあういう妖艶な役をさせるのはヤメテ。ちょっと痛々しい気持ちにまでなってしまう。

ブライカートがブラックダリアが殺された現場が分かって夜中に一人で調べに行くシーンは怖かったなぁ。こういう刑事ものっていつもそうやけどさぁ、そんな殺人現場に夜中に行くなよ。昼に行け。真っ昼間に誰かと一緒に行け。怖いやろ。

これはフィクションだから、ブラックダリア事件の犯人はあれで仕方ないにしても、あのお母さんフィオナショウ(どっかで見たことあると思ったらハリーポッターの養母じゃないの)の狂気の説明もなかったし、あれじゃ初めっから頭のおかしなオバサンになってたもんね。

それにしても気になるのは、実際のところ、

WHO KILLED THE DAHLIA?
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ダウンバイロー

2006-10-26 | シネマ た行
これもいかにもジムジャームッシュな映画だったんですが、なぜだかこれは楽しんで見れました。ワタクシは音楽に詳しくないので、トムウェイツジョンルーリーっていう人が有名な歌手だってことも知らないで見ていて、最初のタイトルのときに「Music:Tom Waits」って書いてたから「出てる人が音楽も担当してるんやー、歌手かな?」とか思ったけど、ザックとジャックのどちらがトムウェイツなのかさえ知らなかった。これって、知ってる人やファンの人からしたら、「コイツ何言うてんねん」っていうようなこと書いてるんやろうなぁ…

褒められたような生き方はしていないけど、と言って犯罪者ってわけでもないザックとジャックはともにはめられて刑務所行きに。たまたま同部屋になったこの二人。初めはいがみあっているが、そのうち口もきくようになって、まぁ仲良しってわけじゃないけど、なんとなくうまくやっていたある日、同じ監房にイタリア人のボブロベルトベニーニが入ってきた。片言の英語だが、よく喋るボブとクールな二人。変な取り合わせの三人だけど、ボブのユーモアに助けられてかうまくやっていた。そのうちボブは脱走できる道を見つけたと言って三人で脱走。アメリカ南部の沼をなんとか抜けてそれぞれの道へ進む三人。

とストーリーを書くとそれだけの話。だって、ジャームッシュだもの。

ロベルトベニーニって顔があんまり好きじゃなくて、彼の出てる作品に心魅かれないんだけど、ここではすごくいいアクセントになっていて、イタリア訛りの英語も良かったし、一人でよくべらべらと自分がなぜ捕まったかとか、自分の母親の話とかしてるのが面白かった。

何度も書くけどジャームッシュだから、そのセリフが何か次の展開に関係してるとかそんなことでもなくて(あ、彼のファンならそういうのを解き明かすのかもしれないけど、普通に見てる分にはそんなものちっとも分かりゃしませんし、分かる必要もないと思うんです。)淡々と進んでいくんだけど、本当の人生ってまぁそんなもんかなと。突然、驚くような展開があることもあるけど、人生の大半はこうやってなんの伏線にもならないことをウダウダと続けてるだけなのかなと。その中のひとつひとつのシーンのクールさにファンは魅かれるのかな。(違うかったらごめんね。)

モノクロの作品だからっていうのもあると思うけど、セリフ回しとか音響の使い方とかが昔の映画を見ているような雰囲気でした。特に最後のザックとジャックが上着を交換して、握手もハグもなく別れていくシーンなんかは往年の映画を思わせる男臭さがありました。
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カポーティ

2006-10-25 | シネマ か行
「“冷血”というのはこの犯人のことか?それともこの事件を本にしようとしている君のことか?」

「彼らを助けたくはなかったのよ」

編集者(?)ボブバラバンと友人のネルハーパーリーキャスリーンキーナーがカポーティフィリップシーモアホフマンに対して言うこの2つの言葉。それが、カポーティという人を大筋で説明していると思う。

当時ではめずらしかったであろう、残虐な一家殺害事件。その犯人の一人ペリースミスクリフトンコリンズJr.に興味を持ち、(おそらく自分との共通点を感じ)それを新しい本の題材にしようと決めたカポーティ。その取材のため何度もペリーと面会し、公判を引き延ばすため、優秀な弁護士も雇ってやるが、彼は物語に決着をつけなければならない。本を仕上げるためには、ペリーに死刑になってもらわねばならない。“その狭間で苦しむカポーティ”という表現がよくされているみたいだが、“その狭間で苦しむ”こと自体があまりにも“冷血”ではないか?もちろん、この犯人は残虐な犯行から死刑になってまったくおかしくないわけだから、なんとしてでも助けてあげようなんて思わないのが普通だと思うし、犯人のほうだって助かるためにカポーティを利用してはいたわけだけど、自分が本を書き上げたいがために、いたずらに犯人たちに希望を持たせ、嘘をついたりまでもしていたカポーティを見ていると彼がその狭間で苦しんでいたというのをそのままに受け止めることがワタクシには出来なかった。ただ、この「冷血」以降、作品を完成させることがなかったというのを聞くと、それはこのときの動揺が影響しているのかなと思ったりもする。ここにカポーティという人の心の複雑さや人間としての深み(それはいい意味でも悪い意味でもなく)を感じたりできる。この作品は“これこれこういう作品です”と説明のつきにくい作品ではあるけれど、多分彼の“複雑さ”を感じることができればそれで十分なのかもしれない。

個人的には、カポーティの作品は読んだことがなく、「ティファニーで朝食を」も昔に見たけど、たいしておもしろかった記憶もない。つまり、カポーティのことはほとんど何も知らないで見たんだけど、カポーティがパーティなどで披露しているユーモアが、毒があるけれどもお茶目で見ている分には楽しかったけど、もし、自分がその場にいたら、自分が馬鹿だってことがバレないようにしなくっちゃと思って疲れてしまうかもしれないと思った。彼は気位が高く、自己顕示欲が強く、自信家だったようにも見えたが、それでも魅力的だったのは彼のもろさ、不安定さにあったのかな、と勝手に想像してみた。

この天才をこれまた天才と言っても過言ではないフィリップシーモアホフマンが演じている。この作品で彼を知った人も多いかもしれないが、彼の演技はなにもこの作品に始まったことではなく、いつもいつも素晴らしいので過去の作品をチェックしてみてほしい。ここにもいつか取り上げるけれど、特にワタクシのお気に入りは彼がドラッグクイーンを演じた「フローレス」です。カポーティもゲイで「フローレス」もドラッグクイーンだけど、普通の役を演じていて素晴らしいのは「マグノリア」。変態的なものでも平気な人は「ハピネス」を見てみてください。

あと、ワタクシの勉強不足で知らなかったけど、「アラバマ物語」を書いたネルハーパーリーが、カポーティの幼馴染だったなんてめちゃくちゃ驚いた。そのネルを演じたキャサリーンキーナーも抑えた演技が素晴らしく、彼女が現れるととたんに画面に安心感が広がるというカポーティとともに観客にとっても精神安定剤的な役割を果たしていた。
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デンジャラスマインド~卒業の日まで

2006-10-24 | シネマ た行

何度かここに書いているように、ワタクシは教師と生徒ものが好きだ。ワタクシは世の中をシニカルに見ているところもあるわりに、教師と生徒ものにはたいがいやられてしまう。これもそんな作品のひとつ。

これは1995年の作品で、今見ると、教師のルアンジョンソンを演じるミシェルファイファーも、生徒たちも微妙にダサい。なので、これから見る人はその辺はちょっとガマンして見て欲しい。

この物語、教師ルアンジョンソンの自伝を元に作られている。元海兵隊のルアンが友達の紹介で教師になったが、彼女が受け持ったのは、とんでもない不良クラス。勉強する気どころか、人の話を聞く気さえまるでない、教師が教壇に立っても屁とも思わない子たちばかりが集められたクラスだった。

そんな彼らの注目を引くためにルアンが最初に考えたのは空手。元海兵隊でならした彼女の見事な指導に生徒たちも少し話を聞くようになる。そこからが本番。彼らに文法を教えるときも「I want to die.」のようなショッキングな文章を例に出して教え始める。そしてステップアップ。彼女は彼らが興味を引くような詩を持ってきた。それはボブディランがドラックディーラーや死について歌う詩。生徒たちも徐々に彼女に敬意を持って接し始める。

このクラスの生徒たちはみなスラム街出身の子たちで、自分たちの人生になど初めから何の期待もしていない。何かを望んだところで手に入るワケなどない。それなら、初めから期待するのはやめよう。そんな生き方をしてきた子たちだ。そんな子たちにルアンは「選択する」ということの大切さを教える。“たとえ死ぬとしても、尊厳を持って死のう”そんなことを高校生に説くと教育委員会から大目玉をくらいそうだけど、この子たちに本当に必要な言葉はそういう言葉だったのだ。どんな状況下にいても自分の心の中だけは誰にも何物にも侵されないということをルアンは生徒たちに教えたのだと思う。

彼女が生徒たちの家を訪問するシーンでは、スラムの家庭のさまざまな事情が浮き彫りになり、その状況で望みを持って生きることは確かに強靭な精神力が必要だと知らされる。これは観客の気付きであると同時にルアンの気付きでもあった。

とまぁ、お固く書いてきたけど、お話はユーモラスに描かれているところと緊張感をもって描かれているシーンのバランスがとてもよく、適度に笑い適度に考えさせられるといった感じ。高校生たちもなんやかんや言いながら実は素直な子たちばかりでほっとさせられるしね。中では悲劇も起こり、理不尽な世の中であることを思い知らされもするし、そのこともあり、教師の仕事を辞めようとするルアンには「教えてたこととちゃうやんけーっ」という気もしたけど、最後の生徒たちの言動には感動した。

ワタクシはラップやヒップホップは苦手なほうなんだけど、この映画に出てくるヒップホップ系の曲に関してはメロディアスなものが多くて聞きやすくてGOODです特にCoolioの「Gangsta's Paradise」は最高にクールです。

コメント

アルカトラズからの脱出

2006-10-23 | シネマ あ行
小さい時よく「ダーティハリー」をテレビでやっていて父親がよく見ていたから、クリントイーストウッドにはあの山田康夫のイメージがついてまわって、あの声の感じや喋り方がワタクシは嫌いだったので、ひいてはイーストウッドもここ最近まで嫌いな俳優のひとりだった。それが、最近では山田康夫のイメージを忘れてきたことと、イーストウッドがすごくいい感じで歳を重ねていっているのを見ていて、だんだん好きになってきた。

そのイーストウッドの1979年の作品。イーストウッドは1930年生まれらしいから、このとき49歳。びっくりするくらいめちゃめちゃかっこいい。鍛えられた肉体(でも、これがスポーツジムで鍛えましたっていうんじゃなくて、肉体労働やストリートで鍛えられましたって感じなのがまたしびれる)、頭脳明晰で仲間を思いやる心を持った男が難攻不落のアルカトラズ刑務所に送られてくる。ただ、ここで疑問なのが、なぜこれだけ優秀な男なのに、アルカトラズに送られるほどの罪を犯したのかってことだ。映画ではこの男の犯した罪については一切語られないので、こちらは想像するしかないのだけど、こういう主人公だと、つい「きっと何かいた仕方ない理由があったに違いない」と勝手に想像してしまう。こういう脱走ものは囚人なのに、彼らに感情移入させる必要があるためか、刑務所の所長や職員はイヤな奴として描かれているし、あまり囚人の罪には触れない。それは仕方ないとして見て欲しい。

物語はこのイーストウッド扮する囚人が仲間とともにアルカトラズを脱出するまでを詳細に描いている。脱出のための道具などを作業室から持ち出したりするシーンでは間一髪で職員の目をごまかせたりして、“そんなうまいこといくかいのぉ”と思いつつも実はハラハラしながら見ていたりした。これ、実話を基にっていう話らしいけど、どこまで実話に沿ってるんだろう?

じわじわと穴を掘り脱出のときが迫る中、刑務所内で敵対関係や信頼関係が描かれ、その辺りにも深みを持たせた作品だし、とにかく、イーストウッドの男の渋さに浸れる作品であることは間違いありません

オマケそれにしてもハリウッド映画には刑務所ものが多い気がする。それってどうしてなのかな?犯罪が多いという社会的な背景が原因?でも、刑務所ものではたいがい囚人たちは悪者側じゃないんだよね。ドラマの題材になりやすいっていうのは分かるけど、特にハリウッド映画に多いっていうのは?その原因を探る研究している人いないかなぁ?
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手紙

2006-10-20 | シネマ た行

ネタバレあり。

前半から中盤にかけては、ちょっとこのドラマ大丈夫?ってヒヤヒヤもんでした。だって、なんか絵に書いたような展開っていうか、何十年前のドラマやねん!っていう展開が次々にあって、あ~くっさーみたいな感じで、うわーどうしよーって思ってたんですよ。沢尻エリカの関西弁も大阪人的にはNGだったしなぁ。(あの役はあえて関西弁じゃなくても標準語でやってくれたほうが良かったな。)それが、主人公である直貴くん山田孝之がケーズデンキの工場に移動になったあたりから後半にかけて一気にまさに加速度的に物語が面白くなっていきましたね。そこらあたりからはもうハンカチなしでは見れません。

テーマが重いし、実際のところはどうだとかそういうことはまったく分からない世界の話ではあるのだけど、あまりにも自分の日常とかけ離れていると思う一方で、いつ何時誰でもこの物語のどの登場人物になってもおかしくないことが起こるかもしれないと考えると、途端にこの物語が身近に感じられた。ひとつの犯罪が様々な人の心に影を落とす。その染みはおそらく一生消えない。その染みとどう対峙していくのか。それを丁寧に描いている。

昔のメロドラマ調の前半から一気によくなると書いたが、その起点となるのは、この作品のタイトルである「手紙」に託されたもうひとつの意味が明らかになったときだと思う。弟のために罪を犯した兄玉山鉄二とその兄の罪のせいで世間からつまはじきにされる弟との間の手紙。それともうひとつの「手紙」がこの物語を動かす。その「手紙」をきっかけに、兄の罪のせいで差別され、世間や兄を憎むようになった弟に転機が訪れる。

号泣ポイント1弟くんが被害者の遺族に会いに行くシーン。弟に背負わせた運命を知り、自分が背負う償いの重さを知った兄は被害者の遺族吹越満に毎月かかさず書いていた手紙を書くのをもうやめるという。その最後の手紙を受け取った遺族は「僕はもうこれで終わりにしようと思う。僕はもうこれでいいと思う。」と言う。加害者の家族の思い、被害者の家族の思い、そして、加害者本人の思い。そのすべてがこのシーンで語られ、そのすべてが昇華へと向かうこのシーン。

号泣ポイント2お笑い芸人をやめた弟くんだったが、昔の相方尾上寛之に兄が服役する刑務所への慰問に誘われ一度だけコンビを再結成する。数年ぶりに弟の姿を客席から見る兄。彼らの漫才に大うけする周囲をよそに彼は声を殺して号泣している。合掌しながら。思い出すだけでも涙が出そうなこのシーン。玉山鉄二の姿が目に焼きついて離れない。

以上、2つの号泣ポイントを書いたが後半はもうどのシーンがどうと言うよりずっと泣きっぱなしだったように思う。山田孝之と玉山鉄二がよく似ていて本当の兄弟のようだったし、先にも書いたが、回想シーンと手紙の朗読しかセリフのない玉山鉄二の演技がもの凄く素晴らしい。全体を通しての彼の演技が素晴らしいからこそ、最後の合掌しながら声を殺して号泣するシーンが観客の胸に迫るものになっているのだと思う。そして、感動だけではなく、さまざまなことを考えさせてもくれる作品であった。

オマケ1ケーズデンキの会長が「差別のないところを探すのではなくて、君はここで生きていくのだよ」というセリフは現実的にはもっともなアドバイスなんだろうし、あの時の弟くんには必要なアドバイスだったと思う。事実、この社会で生きていくには自分が受ける差別と折り合いをつけて生きていかなければならないし、どんな差別を受けようとも自分自身が誇りを持って生きることが大切だと思う。ただ、このセリフを実際に彼を左遷した側から言われるとそれはこの差別が存在する社会への言い訳にしか聞こえなかった。「差別のないところを探して逃げ回る」のは良くないと言いたかったのは分かるが、「差別のないところを共に作り出そう」という理念を持って彼に接して欲しかった。

オマケ2山田孝之くんが漫才師の役をやっているが、最初はネタが面白くなくて「はぁ?」と思っていたけど、そのうちネタも面白くなって、彼も本当にボケの演技がうまくてその漫才に普通に笑いそうになってしまった。山田孝之くんの演技の幅の広さに驚かされた。

オマケ3沢尻エリカの先輩おばちゃん役で、昔吉本新喜劇に出ていた山田スミ子が出ていてちょっと嬉しくなってしまった。

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ユージュアルサスペクツ

2006-10-19 | シネマ や行

注)これを読んでから見ると面白くない可能性のある作品です。

カイザーソゼって誰だよ?それはね…

ワタクシは物語を推理するのがあまり得意ではない。この作品を見たとき、監督ブライアンシンガー、天才現る、とこのブログでは何度か使っているフレーズだが、素直にそう思った。実際には監督が天才なのではなくてこれでアカデミー賞脚本賞に輝いた脚本を書いたクリストファーマッカリーに対してそう思うべきだったのだけど。

とある銃器強奪事件の容疑者として集められた5人。これがなかなかクセ者な役者揃い。ガブリエルバーン、ケビンスペイシー、スティーブンボールドウィン、ベニチオデルトロ、ケビンポラック。その6週間後、船舶炎上事故から生き残ったヴァーバル(ケビンスペイシー)はその5人に関わるこの6週間にわたる出来事、そして、伝説のギャング、カイザーソゼの存在を語り始めた。

実は、6週間前に集められた5人はみなカイザーソゼに借りがあった。カイザーソゼはそれを返させるべく秘書のコバヤシピートポスルスウェイトを通して5人に指令を出すが、、、(イギリス人のくせに“コバヤシ”って何だよ?)

カイザーソゼとは一体誰なのか、この事件の顛末は一体どこへ向かうのか、映画が始まった瞬間から1秒たりとも気を抜いていてはいけない。少しでも気を抜くと展開が分からなくなる。彼らがどうしてこんな目に遭っているのか、カイザーソゼの真の狙いとは何なのか、そして、ずっとつきまとう「カイザーソゼって誰やねん?」という疑問。果たして、カイザーソゼは実在の人物なのかという疑問さえ湧いてくる。

ワタクシは推理が苦手だから、すっかりこの脚本にやられてしまった。最後の最後までジェットコースターに乗っているような犯罪映画は初めてだった。ラストミニットに行われるタネ明かしに茫然とするしかなかった。そして、その後に訪れる何とも言えない快感。ラストシーンのためだけに存在する映画というのはジャンルとしてあると思うんだけど、これはその中でも逸品。推理の得意な人なら「あ~やっぱり」で終わってしまうかもしれないけど、それでも、そこに巧みに敷かれた伏線をひとつずつ解いていく楽しさはあるだろう。(ラスト5分で映画の中でされちゃうんだけどね)

役者ひとりひとりも魅力的なので注目してほしい。ガブリエルバーンはやっぱりいつも通り渋く、ベニチオデルトロはやせてて若くて眉毛を剃っていて今とは別人のようです。

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ディナーラッシュ

2006-10-18 | シネマ た行
これはメジャーな作品ではありません。そして、一応すじはきちんとしているものの、はっきりくっきりした起承転結があってそれを追っていくタイプの映画ではないため、とっつきにくく感じる人もいると思います。物語のほとんどがニューヨークの「ジジーノ」というイタリアンレストランを舞台に進んでいきます。

このレストランのオーナー、ルイダニーアイエロは長年のパートーナーをマフィアに殺された。一番可愛がっている副シェフはギャンブルの借金で首が回らないのに、それをまたギャンブルで取り戻そうとしている。息子のウードエドアルドバレリーニは母親が家庭料理を出していたこのレストランを創作イタリアンに変え、店はニューヨークで飛び切りおしゃれな店に変身してしまった。その息子は早くレストランを自分に譲ってくれとせっついてくる。パートナーを殺した隣町のマフィアはこのレストランの権利を譲れと脅してきている。

ルイは角のオーナーの特等席に座って、今晩のディナーラッシュを眺めながら、様々な問題にカタをつけようとしている。ディナーラッシュの時間はまるで戦争のよう。ホールではいろいろな客たちがウエイトレスに文句を言ったり、シェフを呼び止めたり、バーでは客同士が意気投合していたり、しばし停電になったり、キッチンではコックたちが喧嘩しながらも次々に料理をしあげていく。

ルイ演じるダニーアイエロが渋い。パートナーの死を嘆く顔、息子を認めながらも変化を素直に受け入れられない父親の顔、副シェフの借金を肩代わりしてやる親方の顔、そしてレストランを乗っ取ろうとするマフィアと対峙する顔。長年の経験で培ってきた自信と片付けても片付けても持ち上がる様々な問題に対する苦悩が入り混じった表情。その彼がこの“ディナーラッシュ”の間にこれらの問題にどうカタをつけるのか、それともこれは単なる雰囲気だけのおしゃれ映画で、なんとなくこの夜が更けて物語は終わってしまうのか、、、と思っていると意外なラストが待っていて、不思議なカタルシスに包まれてジ・エンド。イタリアンレストランのお話だから、“FIN”というべきか。

ニューヨーカーたちがこぞって予約を取りたがる流行のレストランの表と裏の雰囲気を味わわせてもらって、(このレストラン、本当にこの映画の監督ボブジラルディが経営しているお店らしい)その上きちんとオチもついて、こんなに“おいしい”思いのできる映画はあんまりお目にかかれない。
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サンキュースモーキング

2006-10-17 | シネマ さ行
ネタバレあり

まず、この映画の原題は「Thank You for Smoking」です。「Thank you for ~ing」で「~してくれてありがとう」ってやつですね。なんで、わざわざ「for」を取るんだろ?「サンキューフォースモーキング」ではダメなんでしょうか?…不思議だ。と、これはおいといてと。

この作品、画像が止まって主人公が観客にちょっとした注釈をつけたりするタイプの映画です。ワタクシ、こういう作りの映画、好きなんですよ。映画的な遊びに溢れていていいですね。そういう演出が向かないタイプの物語ももちろんありますが、この作品はそのテの演出にピッタリですね。

アーロンエッカートが自らをニコチンのカーネルサンダースと呼ぶ(思いっきりタバコ業界の息のかかった)タバコ研究アカデミーの広報部長ニックネイラーを演じる。この主人公の肩書きを聞いただけでも、この作品がいかにチャレンジングなものかということが想像つくだろう。タバコは今や、世界中で目の敵にされている。そのタバコを擁護するばかりか、広告宣伝し、売りまくるのが彼の目的であるのだから。ディベートというものが日本よりも随分進んだアメリカならではの面白さがここにある。彼は本当に心の底から「タバコは人体に有害でない」と思っているのか、、、それは誰にも分からない。それは問題ではないのだ。彼がどう思っているかは問題ではない。彼がそれをいかに理論立てて、ときには理論をすりかえてでも、対極の人々を論破するか、それだけが問題なのだ。そして、飛び交う情報に惑わされず自分の頭で考えること、そして判断すること、その大切さを彼は息子ジョーイキャメロンブライトのクラスメートの前で語るシーンがあるが、実際にそれこそが情報社会に生きるワタクシたちにとってもっとも大事なことだと思う。映画の最後で彼が「息子が18歳になってタバコを欲しがったら1パック買ってやる」というのも、そう息子が自分で判断したならば、それを尊重するということなんだろう。でも、これってタバコだからまだそう言えるけど、麻薬とかだったら言えないような…マリファナよりタバコの毒性のほうが危険とかも言われているし、難しいところじゃないの?とかって思ってしまいそうだけど、この作品で語られることは「タバコがどうだ」「麻薬がどうだ」ということではないというのがまたミソなのだ。それが何に関することであれ、世の中にはこんなにも「情報操作」ということが行われているんですよ、あなたはそれを知った上で何もかも判断しないといけませんよ、という警告とそれをしている政府、企業、それを鵜呑みにする大衆を皮肉っている。そこがこの作品の面白いところ。

この映画の中でニックが「映画スターたちにもう一度タバコを吸わせよう」と企画するシーンがあるが、実際にハリウッドの現代ものではもう悪い奴やダメな奴以外はタバコを吸っていない。スターがタバコを吸う姿は本当にカッコよく、真似したくなるもんだ。だから、スターに吸わせないというのは子供の教育を考えるといいことなのかもしれないが、ワタクシなんかは寂しいと感じちゃうな。「グッドナイト&グッドラック」なんて最高にカッコよかったもんなぁ。あ~こう思うのがいけないんだろうけど。今の風潮としてハリウッドスターがタバコを吸うシーンを出させないのは仕方ないとしても、昔のスターがタバコを持った写真を他のものを持っているように合成したりするのは、あまりにもナンセンスだし、正に「情報操作」という意味で変な怖さを感じたりもするなぁ。それにしても、これはとても興味深いことなのだけど、この映画、さんざんタバコを擁護しておいて、しかも主役はタバコ産業の広報担当で本人はもちろん喫煙者という設定でありながら、彼がタバコを吸うシーンがまったくないのだこれはハリウッドの方針に従ったのではなくて演出上のシャレだと思うのだけどね。

さて主役のアーロンエッカートだが、彼はまったくハンサムではないけど、自分がほぼ出ずっぱりで2時間ひっぱっていける俳優だということをこの作品で証明してみせた。昨日「サスペクトゼロ」を書いたばかりだが、「サスペクトゼロ」も地味ながら彼が主人公を演じ、いい感じでストーリーを引っ張っていた。

この作品には彼以外にもクセ者が結構揃っている。ワタクシのお気に入りは主人公ニックの友人たちMODスクワットである。アルコール業界の広報ポリーマリアベロ、銃器製造業界の広報ボビーデヴィットコークナー。MODとはMarchant of Deathの頭文字を取ったもので、タバコ、アルコール、銃の揃い踏みで「死の商人たち」ってわけだ。彼らは扱う商品は違っても境遇はほぼ同じというわけで週に一度集まって、お互いの苦労を分かち合ったり、新しいディベートの方法に知恵を出し合ったりしている。この3人がそれぞれの商品による死人の数を比べたりするところは、真面目に見るとまったく趣味が悪いけど、死人の数が少ない銃業界のボビーがスネるとこなんか、ブラックで笑える。

そして、誰よりもやってくれちゃうのが、報道記者ヘザーを演じるケイティホームズ。ここでは「見事なおっぱいを持つ美人記者」という役どころで、本当にケイティホームズが見事なおっぱいの持ち主なのかどうかは残念ながら披露されていなかったので分からなかったが、まぁ、可愛い顔して「取材はレストランでも飛行機の中でもヤリながらでも私には同じことよ」なぁんてさらっと言っちゃうような役で、「エイプリルの七面鳥」に続いて、またまたケイティホームズの女優としての行く先に注目したい気にさせられる役どころであった。

あとは出てくれるだけでもう嬉しい気分になっちゃうロバートデュバルがタバコ業界のドンを演じていたり、ハリウッドの大物プロデューサーにロブロウも昔からの映画ファンなら嬉しいところだし、そのアシスタントでハリウッド独特の変なテンションの軽さを持ったジャックをうまく演じるアダムブロディはこれから間違いなく注目されるであろう俳優さん。

ストーリーのほうも、色んな出来事を織り交ぜながら、きちんとニックと息子ジョーイの関係も描き、なるほどと思わせるセリフをたくさんちりばめて飽きさせない。ただ、意味深なセリフが多いのと展開がいろいろなところへ行くのできちんとついていかないとつまらなくなるので要注意です。

饒舌な作品につられたのかワタクシも饒舌になっていつもの3倍くらい書いてしまいました

オマケオープニングのキャスト&スタッフ紹介が、いろいろなタバコのパッケージにその商品のロゴでそれぞれの名前を載せていてすごくクールでした。ワタクシの名前でも作ってほしいなぁ。
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サスペクトゼロ

2006-10-16 | シネマ さ行
ただのサイコ殺人ものだと思っていたら、ひとひねり効いた作品だった。欲を言えば、もう少し焦点を絞ってスマートにまとめてほしかったっていうのはあるんだけど、普通のサイコものとは違うという意味で、紹介してもいいかなと思える作品です。

ワタクシはよくあるサイコサスペンスものだと思って見たから面白かったというのがあるのかもしれません。となると、これで普通のサイコものとは違うと言っちゃってるからこれを読んで見た人は「なぁんや」ってなるかもしれません。

ここで言われる超能力を使って犯人を捕えるっていうのはワタクシは「うさん臭い」と思ってるんだけど、実際にそういうセクションがFBIにあって、それで事件が解決しているのなら、それに文句を言う気はさらさらありません。むしろ、大歓迎、どんどんやっちゃってって感じ。ただ、日本のテレビなんかでやってるのは、「こんな感じでこんな風景のところに…」とかってはっきりしたこと言わなくってイライラしちゃう。木があって、川があってとかさ、たいがい遺体を捨てるってそんなとこじゃないの?って思っちゃって。本当に超能力で事件が解決するならそれこそ警察いらんなぁっちゅうか、事件が起こる前に警告だせるよなぁって思ったりしちゃうわけです。超能力を信じる信じないではなくて、それができるならもっと生かしてほしいなと。この映画のように超能力者が苦しんでるとかだったらかわいそうですけどね。そのせいで犯罪も起きちゃうし…でも、この超能力者が殺していたのは連続殺人犯ばっかだし、天に代わって裁きを下すってなんか必殺仕事人みたいね。もう、そんなことしてくれちゃうなら、わざと彼を野放しにして成敗してもらえって思っちゃうのはきっとイケナイ思想なんだろうけど、正直ちょっと思ってしまうのです。

それと、もうひとつ、ここに出てくる「サスペクトゼロ」ですが、それもワタクシはいてもおかしくないと思うのです。いわゆる連続殺人犯っていうのはFBIなどでよくやっているプロファイリングっていうのにひっかかってしまって、パターンを読まれて逮捕されますよね。でも、そういう動きってもうみんなが知ってるし、プロファイリングは一般の人間だって勉強できるから犯人がわざとそれを惑わすようにするというか、そもそもゼロのようにパターンを持たない連続殺人犯がいてもおかしくはないなと。けど、連続殺人を快楽で行うような奴らは、自分のやったことを世間に注目してほしくて、「こんなスゴイことをやったのは俺なんだ」って知らせたくてしょうがないっていうのが多いから、ゼロみたいに捕まらずにずっとそれをし続けるってことができないんだろうな。…ってこんなこと書くと、ワタクシがまるでゼロのような奴が現れるのを望んでるみたいに聞こえちゃうけど、そこんとこは誤解しないで下さいね。そういう変な趣味はございませんので。

って随分映画の内容から離れてしまいました。「超能力者」と「サスペクトゼロ」がキーワードだということは分かってもらえましたかね。急に差し込まれてくる映像のせいで、ちょっと分かりにくい展開ですが、ワタクシはベンキグスレーの怪演とちょっとアングルの違うサイコサスペンスを楽しめました。
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ライアーライアー

2006-10-13 | シネマ ら行
パパが一日だけ嘘をつけなくなりますように。

ママモーラティアニーと離婚して別々に暮らしているパパジムキャリーは、僕ジャスティンクーパーとの約束をお仕事で破ってばかり。その度にその場しのぎの嘘ばかり。今日も僕の誕生日パーティーに来るって言ってたのに、来てくれなかった。そんなパパにうんざりした僕は誕生日ケーキのろうそくを吹き消す前にそう願ったんだ。本気でね。

この子がろうそくを吹き消した20時15分から24時間、パパは嘘をつけなくなっちゃうんです。パパのお仕事は弁護士。そう、依頼人を勝訴に導くためには嘘もつかなくちゃいけないお仕事です。今回の離婚訴訟では特に…

ここからは、ジムキャリーの顔面芸、全身芸のオンパレード。まさに彼の独壇場。この映画はジムキャリーだからこそ面白くなった映画。嘘をつけない彼が自分の口から思ってることがポンポン飛び出して自分でもビックリ、のたうちまわって嘘を言おうとしたり、思わず飛び出した真実に自分でウケちゃったり、嘘をつけないがために真実も言わずにおこうと言葉を発するのを必死で抑えたり。まぁとにかくいそがしい。そうやって、一人で格闘してるジムキャリーの姿がおかしくておかしくて、笑ってる間に彼はふと自分が今までしてきたこと、息子への気持ち、息子の気持ちに気付くのです。

この映画を見ていて思ったのは「嘘をつけない」っていう設定で脚本を書くのって逆に難しいだろうなぁと。普段、「嘘」とまでは言わないけど、上司や異性には本当に思っていることを言わないときってたくさんありますよね。劇中でジムキャリーも言っていますが、大人の世界にはある程度の嘘は必要不可欠なわけですから。それが、できない主人公のセリフって書くのが難しそう。でも、イヤな奴にハッキリと面と向かってそれを言えちゃったりして、書いているほうもストレス解消になってたりして。

映画の後半の展開はまさに絵に書いたとおり。クライマックスの飛行機を追いかけるシーンはやりすぎ感は否めませんが、ジムキャリーのやりすぎついでということでそこには目をつぶりましょう。ジムキャリーの例の演技が全開なのであれが嫌いな人はちょっとパスかも。あと、出番は少ないですが、ジムキャリーの秘書役の女優さんがいい味を出しているので、注目して見てください。
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ミラーズクロッシング

2006-10-12 | シネマ ま行
ジョエル&イーサンコーエン兄弟を好きだと言うといかにも“通”っぽい感じがするのだけど、ワタクシは作品によって好きだったり嫌いだったり。「ファーゴ」は嫌いだけど、「オーブラザー!」は好きとかね。そんな彼らの作品の中で初めて素晴らしいと思ったのはこの作品だった。

これはアイリッシュ系ギャングとイタリア系ギャング、そしてその間を立ち回るハメになる主人公トムガブリエルバーンのお話で、映像が美しく、1920年代から30年代のギャングの世界に浸れる作品。とは言っても、「ゴッドファーザー」のような巨大な組織という感じでもなく、巻き込む人間の数もずっと少ない、2つの勢力の小競り合いといった感じ。主人公のトムは渋く頭のいい奴でありながら、アイリッシュ系のボスアルバートフィニーの女マーシャゲイハーデンに手を出すわ、ギャンブルでは負けが込んでいて、胴元の手下にしこたま殴られるわで、ダメな男の典型でもある。主人公が完璧でないから、そういう男の弱みからこの物語が展開していくわけで、それにどう決着をつけるのか、見ているほうは静かに静かにハラハラさせられる。ハラハラさせ方までもが渋いのである。

このお話はとにかく、セリフが多い。しゃれたセリフも多いし、これはギャング映画ではよくあることだけど、今画面に登場していない人の裏切り話なんかがセリフとして語られるから、誰が誰で、どっち側の人間で、どういう思惑を持って動いているのかが分かっていないと途中でワケが分からなくなるから注意してほしい。

題名になっている“ミラーズクロッシング”での暗殺シーンを境に、物語は急展開を見せるが、不思議なのは、ここでトムに命乞いするバーニージョンタトゥーロはトムと同じようにちょっとマヌケだが、頭は悪くない、小ズルイ男で、あとから考えてみるとトムとバーニーはちょっと似たもの同士のようなところもあるのに、トムには好感が持てて、バーニーには嫌な印象を持ってしまうのは、彼らのルックスの違いだけではないんだろう。それは、トムがバーニーよりも確固たるプライドに基づいて行動をしているからかもしれない。コーエン兄弟の作品には、表面上だけではない深い意味が隠されているようなんだけど、ワタクシにはそこまで深読みすることはできない。ただ、そんなことをしなくても映像美と展開の面白さを味わうことは十分にできる作品だと思う。ドンパチの多い映画を見慣れている方には新鮮なギャング映画かもしれない。
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チャーリーとチョコレート工場

2006-10-11 | シネマ た行

なにはなくともUMPA LUMPASがとにかく最高なのです。

ティムバートンジョニーデップのコンビが苦手なワタクシは期待低めで見始めました。チャーリー役を演じる男の子フレディハイモアのことも「ネバーランド」のとき“可愛くないなぁ”と思っていたし。

でも、冒頭のチョコレート工場内部からチョコレートが全世界に発送されていく様子が、ワタクシ好みの始まり方で、今回は他に憎ったらしいガキどもが出てくるせいか、フレディ君も可愛く思えて思ったより随分楽しめる内容でした。

この映画を見てワタクシは結構おどろいてしまった。すごく子供向けのお話なんだと思っていたら、エグいエピソードで彩られていて子供向けと思って小さいお子さんを連れて行った親御さんたちはちょっと後悔したんじゃないかとさえ思う。ワタクシはこういうブラックな笑いが好きだけど、受け付けられない人たちもいるんじゃないかな。

ワタクシは可愛い子供は大好きだけど、可愛くない子供は嫌いという都合のいい子供好きだから、ここに出てくるような憎ったらしいガキどもはこのチョコレート工場で遭ったような悲惨な目に遭ってくれるとスッキリしちゃう。もちろん、実生活でそんなことを望んでいたら犯罪者一歩手前だけど、こういうファンタジーな映画の中のことだからお許し願いたい。

上にも書いたけど、とにかくチョコレート工場で働くUNMPA LUMPASディープロイが最高で、憎たらしいガキどもが一人一人悲惨な目に遭う度にヘンテコな歌とダンスでお見送り~してくれちゃうのだ。こればっかりは見てもらわないと、言葉で彼らの面白さを表現することは不可能ですね。彼らの存在がなければ、このお話をこんなに好きにはならなかったかも。でも、これはかなりツボにはまる人と「はぁ」ってなる人の差が激しいかも。ワタクシは完全にツボにはまっちゃいました。

ジョニーデップの気持ち悪さは言うまでもなく…と言うと、彼には熱狂的なファンが多いので非難されそうですが、、、苦情は受け付けません。でも、このウィリーウォンカの場合、“気持ち悪い”というのは褒め言葉にもなるんではないかと思って言っております。ウィリーウォンカは不思議ちゃんなキャラだけど、なかなか彼もブラックなキャラで面白い。プラス、父親との確執をチャーリー君のおかげで克服しちゃったりなんかして、最後には“甘い人生”も手に入れて、なんかえぇ話やーんっていうラストがナイスぅ。思いがけず、あったかい気持ちになっちゃったよ。

オマケ1チョコレート工場見学ツアーが始まってチョコレートの川を船で行くシーンがありますよね。あの船乗りたーい。これってどこの会社の映画だっけ?USJとかにできればいいのになぁ

オマケ2チャーリーがゴールデンチケットが当たったとき、お金のない家庭事情を気にして「100ドルで買ってくれる人に売るよ」というと「お金は毎日いっぱい印刷されてるんだ。いつかうちにまわってくることもある。でも、そのチケットは世界に5枚しかないんだよ。絶対に売っちゃいけないよ。」というおじいちゃんデヴィットケリーのセリフが素敵でした。

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花咲ける騎士道

2006-10-10 | シネマ は行
まず、ヴァンサンペレーズのファンのみなさま、この記事を読んで不愉快になられる可能性があるということを先に申し上げておきます。

この作品を見始めてから、ずーーーーっとずーーーーっとヴァンサンペレーズって誰かに似てるよなぁ…絶対、日本人で似てる人がおるなぁ…って思いながら見ていたんです。そして、小一時間ほど経ったころ、、、あーーーーっ誰に似てるか分かったーーーっ

ネプチューンの名倉潤っ

まさか、、、気付いた自分でも疑いましたよ。そして、もう一度よく見てみました。
やっぱり、やっぱり名倉やー。
非難を浴びることは承知の上で言わせていただいてます。「インドシナ」のころ、“目線だけで女性を妊娠させる”というワケは分からんがとにかくセクシーってことが言いたいわけね、というキャッチフレーズを持っていた彼も今ではすっかり名倉。初めから心細かった頭髪も心細いを通り越して崖っぷち。
でも、安心してください。ちゃーんとイロオトコの役ですから。それも、相手役はペネロペクルスですから。

ペネロペはいつものように可愛いらしくって、セクシーで、という独特のアンバランスな魅力全開。(ワタクシの贔屓目全開か?)個人的には男勝りないでたちで銃を撃つその姿が逆に女性らしいセクシーさを倍増させている。フランス語のセリフは声がペネロペのままだったので、吹き替えてないと思うんだけど、上手かどうかはワタクシにはまったく分からない。ただ、耳には彼女の英語よりは良かったな。スペイン語を話す彼女がやっぱりベストだけれど。

物語は1952年の作品のリメイクなこともあってか、とても単純で他愛もない展開。過大な期待は禁物というところかもしれないが、それなりに楽しめるといったところかな。ヴァンサンペレーズに関する大発見()とペネロペの可愛さを紹介したいがゆえの本日の記事でした
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