シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

乙女の祈り

2006-03-31 | シネマ あ行
この作品を始めて見た時、これでデビューしたケイトウィンスレットの圧倒的な存在感にかなりぶったまげた。彼女の存在感もこの作品が素晴らしいひとつの要素だ。「この娘は大物になる」そんな予感がした。っと、こんなことを今言っても信じてもらえないかもしれないが…

そして、もうひとつたまげたのが、(これはのちになのだけど)これを監督したのがあの「ロードオブザリング」のピータージャクソンということだ。彼はこのニュージーランドで起こったスキャンダラスな事件をとてもユニークな方法で映画化している。作品の雰囲気や主役の二人のイマジネーションの世界がいかにもピータージャクソンしているのだ。

私立の高校に通う女子高生二人ジーナメラニーリンスキーとジュリエット(ケイト)。フランス語の授業で自分にフランス語の名前をつけるとき「アントワネット」と付けるジュリエット。このあたりからも彼女の自信満々な性格が垣間見える。自信満々で聡明で反抗心旺盛で好奇心、想像力も豊かなジュリエットにどんどん魅かれていくジーナ。二人は子供の頃長い間入院していたなどの共通点があり、長い時間を過ごすうち、自分たちの世界を作り上げていく。そして、自分たちの世界ほど崇高なものはないと信じ、周りの人間は愚鈍で何も理解しないと思い始める。そんな二人に同性愛の疑いを抱き、引き裂こうとする親たち。二人にとって邪魔なものは生きている価値さえない。そんな勝手な価値観が事件へとつながる。

思春期の女の子二人が作り上げた自分たちだけの世界。自分たちのことはお互いにしか分からない。大人は誰もかれも分かってくれない。それが「愛」なのか「恋」なのか、それともただの「思い込み」なのか。そういう時期には陥りやすい状態なのかもしれない。その「情熱」が「狂気」へと変わるとき、もう誰も止めることはできない。その「狂気」に完全に浸ることができた二人はある意味において幸せだったのかもしれない。

事件の顛末やその時の状況よりも「二人の世界」にフォーカスしたこの作品。あの想像・創造の世界を表現するにはピータージャクソンはぴったりだったと言える。彼が作ったからこそ、実際の事件を基にした平凡な映画にならずに、一風変わってはいるが、素晴らしい出来と言える作品になったと思う。

「もう二度と会わない」という条件で二人は刑務所から保釈されたらしいが、その後どんな人生を歩んだのか気になる。


ワタクシと英語B面~帰国後編 偉そうな人たち

2006-03-29 | ワタクシと英語

ワタクシの友人でも、ブログを通してのお友達でも“にゃおとの日常”や“ワタクシと英語”のジャンルをもっと書いてとおっしゃる方が多いので、今日はひとつ書いてみました。楽しみにしてくださる方が多いようなのでこれからも書いていきたいと思います。

とか言いつつ今回の記事は英語には関係ないです。ごめんなさい。
今日は、関空で出会った偉そうな2つのグループを紹介します。

1、飛行機会社の人間が偉そうだ。

ワタクシが働いていた店ではよく行列ができることがあった。その行列をすっとばしてツカツカとカウンターにやって来る人がいる。日本の航空会社の人だ。2社しかないのではっきり書くが、、、たとえばこんなふう。

JAL:「JALですけど」 (でたーっ!このいきなりの宣言)

ワタクシ:「はぁ、、、何でしょう?」 (分かっているがわざと言うワタクシ)

JAL:「JALですけど」 (それはさっき聞いた)

ワタクシ:「はい。何か?」 (だから、何やっちゅうてんねん)

JAL:「あのーうちのお客様を先にお通ししてくださいませんかねー。うちの手違いで、、、」     (お前さんらの尻拭いをこっちにさすな。関係ないんじゃ)

ワタクシ:「みなさま、同じように並んでいただいておりますので後ろへどうぞ」 (笑顔で刺す)

JAL:「あの、JALなんですけど」 (だから、それはさっきからなんべんも聞いてるっちゅうねん)

ワタクシ:「それが、、、?みなさま、同じように並んでいただいておりますので」 
(さっさと後ろ行かんかい。みんな順番に待っとんじゃ、ボケ)

お姉ちゃん、明らかに不満そうに後ろへ、または利用せずに去っていく、、、そして、後から上の人間にチクったりしやがる!

ワタクシはそのお客さんが何かかわいそうな状況にない限りは絶対に先に通したりはしてやりませんでした。ワタクシが雇われていた上の者は先に通してあげてっていうスタンスやったけど、ワタクシはそんなこと許せなかった。みんな順番待ってんのに。しかも、自分らの手違いの尻拭いに使うし。

しかも、自分とこのお客様~ってヘーコラするくせに、海外の車椅子のご老人に英語を喋れないスタッフとかを平気でつけて、ワタクシたちに通訳させるし、全然客のことなんて考えてへん。ふざけんな。

2、ビジネスクラスの人間が偉そうだ。

ビジネス:「僕、ビジネスクラスなんだけど」 (でたーっ!このいきなりの宣言)

ワタクシ:「申し訳ございません。ワタクシどもでは特別なサービスはございませんので」 (あくまでも笑顔。それがどうした、ボケ)

ビジネス:「えっ、何もないの?ふーん」 
(何にも買えへんのかい。おとといきやがれ)

とか言ってねー、その後航空会社にうちの店で無礼を受けたとか言いつけやがって。何も無礼なんかしてへんやんけ。しかも航空会社も航空会社でうちの店に何ともならんのかとか言いやがって。お前さんらとは関係ない店なの。あんたらには普通より高いお金払ってるかもしれんけど、うちらには何も払ってないでしょうが。

不思議なことに、同じ高いお金を払っていてもファーストクラスの人は偉そうじゃないんですよ、ファーストクラスの人は。偉そうなのはいつもビジネスクラス。ファーストクラスに乗れない人間が偉そうにしてんじゃねーよ。こちとらビジネスクラスにも乗れんけど、、、って全然言い返せてない、、、けど、本当にそうなんですよ。ファーストクラスに乗るほどの人はねぇ、人間できてる人が多いっすよ。小金持ちたぁ一味違うね。

、、、なんかボヤキ(ひがみ?)になってしもた。もちろん、飛行機会社の人でも、ビジネスクラスの人でもいい人はいましたよ。いっしょくたにしてごめんね。あくまでも一般的にこういうことがあったということで苦情は受け付けません。


大通りの店

2006-03-29 | シネマ あ行
1965年チェコスロバキアの作品。アカデミー賞外国語映画賞受賞。主演女優賞ノミネート(アイダカミンスカ)。

1930年代後半~1940年代初頭ナチよりの政府が誕生したスロバキアではアーリア化政策が取られ、ユダヤ人は事業を所有することが禁止された。そこで大工のトーノヨーゼフクロネルにユダヤ人ラウトマンアイダカミンスカの店の管理人になれという指示がでる。もとより、ナチをいいように思っていなかったトーノだが、「これで金持ちになれる」とウキウキの妻や妻の姉、党の有力者であるその夫に後押しされて、イヤイヤながらもラウトマンの店の管理人をやり始める。このラウトマンさんはもうかなりの高齢のおばあさんで店はたいして儲かってもいないが、ユダヤ人のコミュニティがなんとかみなで面倒をみていた。

トーノはナチよりの人間ではないからラウトマンさんにも親切だったし、そこのユダヤ人コミュニティともうまくやっていた。うちに帰ると妻には「早くラウトマンの隠し財産を手に入れろ」とか言ってきて、尻をたたかれたが、トーノは適当にやりすごしていた。

しかし、ついにユダヤ人への政策が厳しくなってきてユダヤ人は収容所に送られることになる。なんとか、ラウトマンさんを助けようとするトーノだが、ラウトマンさんは耳が遠くてトーノの言うことをきちんと聞いてくれない。焦るトーノ。今日はユダヤの安息日だけど、店を開けていないとユダヤ人がいると思われる。必死に店を開けるトーノ。事情を知らず「安息日に店を開けるなんて」と文句をいうラウトマンさん。トーノと一緒にこちらも焦る。ラウトマンさん、奥に隠れてないとナチにばれちゃうよ。奥でじっとしてて。お願いだから。そのラウトマンさんへの思いが自分の恐怖に変わっていく。「もし、ユダヤ人をかくまっているとバレたらどうしよう。俺が殺されちまう」ラウトマンさんを助けなきゃという思いと自分が殺されるという恐怖で気も狂わんばかりのトーノ。トーノは英雄でもなんでもないただの冴えない男。自分の良心とこんなばあさんのために死にたくないという思いがもう彼の心と頭の中でぐちゃぐちゃになってくる。ぉああああああーーーーっ。その末に起こる悲劇。ナチが直接手を下したわけではないが、間違いなくナチに罪のある悲劇である。

広場に建設されているナチを賞賛する塔がクライマックスに向けて着々と空高く完成していく。第三帝国の完成を見るようなその不気味さ。

トーノが通りを歩くときには不穏な音楽がバックで流れ、ラウトマンさんの家では平穏な音楽が流れる。それが後半、ラウトマンさんの家の中でも不穏な音楽が流れ、ここにもナチの恐怖が浸透してきたことが分かる。火事の煙や漏れたガスが扉の下の隙間から入ってくるように恐怖が家の中まで満ちる。人の心を支配する恐怖に寒気のする一作である。

ハリーポッターと秘密の部屋

2006-03-28 | シネマ は行
この「ハリーポッター第二作目」の主役は空飛ぶ青い車と屋敷しもべ妖精ドビーとギルデロイロックハート先生である。

1作目では出番のなかったウィーズリー家のパパマークウィリアムズが持っている青い車。マグル(人間)のものを魔法で改造した車だ。冒頭、これに乗ってロンルパートグリントたちがハリーダニエルラドクリフを迎えに行き、ウィーズリー家のママジュリーウォルターズにしこたま怒られる。その横で「ちゃんと飛んだか?」と小声のパパ。マグルに興味があり、新学期の準備についてきたハーマイオニーエマワトソンの両親(ともにマグル)にもコソコソと何か質問している。でもこのパパ、いざとなったらすごく頼りになるいいお父さんなんだよねー。

屋敷しもべ妖精のドビーはワタクシが原作を読んでいる時に想像していたそのまんまの見かけで登場したので、目をこすりたくなってしまうほどだった。あの声と自分に罰を与えるところと人の話を聞かないところにはちょっとイラっとしてしまうところもあるけど、憎めない奴でこのシリーズでは重要な役どころだ。ただ、「3,4作目」では映画では出て来なくて残念だけど。

そして、ギルデロイロックハート先生ケネスブラナー。この役をケネスブラナーが演じると聞いたときは少し驚いた。彼が普段演じているよりもかなり軽めな役だからだ。ワタクシはこの役は、ヒューグラントかジュードロウがやるかなと思っていた。このロックハート先生に女性はみな夢中なんだけど、「なによ、コイツ」とか言いそうなハーマイオニーまで夢中なのには参ってしまった。ハーマイオニーの乙女心を初めて見た瞬間でしたね。

ワタクシはハーマイオニーが大好きなんですけど、この「2作目」ではハーマイオニーの最高の見せ場があります。マルフォイトムフェルトンにマッドブラッド(穢れた血)と言われて傷ついているところをハグリットロビーコルトレーンに慰められるシーン!ハグリットは「お前さんに使えない呪文があるか?あんな言葉気にする必要なんかねぇ」と言いハーマイオニーの手を取る。その時のハーマイオニーの表情っ!目に涙をウルウルと溜めながら、黙ってうなづく。かわいい。かわいずぎる。エマの成長に立ち会ってるっ!って感じがまたいい。あ、ワタクシ変態的なシュミは一切ございませんよ。念のため。

ハーマイオニーに「マッドブラッド」と言ったマルフォイに「ナメクジ食え」と魔法をかけようとするロンもカッコよかった。結局は杖が折れていてバックファイアになっちゃうんだけど、そこがまたロンらしくもあり、ハーマイオニーを思う気持ちが初めて表れているシーンでいいですねぇ。

今回、ハリーはクライマックスでバジリスクと戦うんだけど、このバジリスクがうつぼのようでチープに見えたのは残念でした。ま、個人的には戦いのシーンは結構どうでもいいタイプなんですけどね。
ハーマイオニーは後半、石にされて登場しなくなって残念なんやけど、最後に元に戻ってハリーとロンに駆け寄っていくシーンも最高に可愛いです。ハリーとはハグするくせにロンとは照れちゃってしないんですよね。意識してるから逆に?あー、あまずっぱいなぁ

「穢れた血」と「純血」といった差別心についてのことや、ハリーがヴィルデモートと似ているのになぜスリザリンではなく、グリフィンドールに行ったかをハリーが「僕がそうしたいと言ったからなだけだ」というとダンブルドア先生リチャードハリスが「それこそが大切。人はどういう人間かよりも何を選択するのかが大切だ」と教えてくれたりと、真面目な要素もきちんと踏まえている。

この先、さらにダークな世界へ向かうこのシーリーズを予感させるこの「2作目」。ワタクシの中では筋としてはシリーズ中一番イマイチなんだけど、書いた以外にも結構名シーンのある作品なのです。

オマケうちの家にドビーのことを「座敷しもべ妖怪」と言った奴がおる。「…?なんか違うぞ。屋敷しもべ妖精っ!」一瞬分からんかったやんけーっ

イーオンフラックス

2006-03-27 | シネマ あ行

シャーリーズセロン初の“プロモーションビデオ”発売!となれば見に行かないわけにはいかんでしょう。と公開から少し経ちましたがやっと見て参りました。

とにかく、シャーリーズがあんな衣装で走り回ってぶっ放しまくっちゃってるんですよ、内容なんてどうでもいいでしょ。

というわけで初めから内容なんて期待しちゃあいませんよ。

し・か・し、ま、結構イケてるんちゃいますか?評判は良くないみたいです。それも分かります。もちろん、ありがちな設定、ありがちなストーリー、ありがちな悪役ってとこですから。けどワタクシはもっとワケの分からんのを想像していたのできちんと筋道だったストーリーだし、あとあと心に残るようなもんではないかもしれんけど、意外と結構面白いやんと思いました。とは言え、あくまでも「プロモーションビデオ」だということは忘れずに。

監督カリンクサマが日系だからという日本的な世界観はワタクシ個人的にはそんなに好みではないのですが、西洋の人には近未来的な感じがするのでしょうね。桜が葉桜なのが残念でした。

イーオン(シャーリーズ)が超人的に強く美しくそれでいてどこかはかない。そのはかなさが同じく超人的に強くて美しいアンジェリーナジョリー様とはちと違う。アンジー様はちと恐い。シャーリーズはちとはかない。あ~どっちも好きで選べないけど…って選ぶ権利なんぞワタクシめにはありません。分かっております。ワタクシなんぞ多分イーオンを助けるあの「まっくろくろすけシルバーバージョン」(えっ?それ、全然まっくろちゃうやんって?まぁええから。)の小さい一粒くらいにしか相当しませんです。ハイ。

個人的には現実世界のイーオンより脳内世界の白い頭巾のシャーリーズのほうがキレイで好きだったなぁ。シャーリーズがキレイなんて1+1=2みたいなもんで書く必要なんてまったくないんですけどね。それでも書いてしまいます

この作品はシャーリーズだけじゃなくて他の女性もいいですね。まず、妹アメリアワーナー。彼女はこれからきっと輝き始めるでしょう。そして、フランシスマクドーマンド。不思議な威厳を持った役です。最後にイーオンと共に戦うシサンドラ(名前もカッコイイ)ソフィーオコネドも超カッコイイ。彼女は戦うために足に手を移植してるんですよ。チンパンジーみたい。彼女に「あなたもやれば?」と言われて「靴が好きだから」というシャーリーズがまたかわい…あっ、またシャーリーズのことに戻ってしまった…だって、やっぱりシャーリーズのプロモーションビデオなんやもーん。

ええーい、こうなったらシャーリーズのことで締めよう。帰りにうちのにゃおが言ったんです。「シャーリーズって黒髪も金髪も似合うよな」そう言われて考えた。「黒髪にしてるときは金髪の姿が思い出せなくて、金髪にしてるときは黒髪の姿が思い出されへんなぁ」ハリウッド広しと言えどもここまで黒髪も金髪も似合う女優さん、彼女以外になかなかいませんね。

オマケ1冒頭でイーオンとキスする仲間の男、どっかで見たことあると思ったらシャーリーズの恋人のスチュワートタウンゼントやったんですね。キスする相手役でカメオ出演なんて相変わらずですねー。

オマケ2イオングループさん、協賛すれば良かったのになー


プロデューサーズ

2006-03-24 | シネマ は行
ネタバレあり。

な、なんと、ヒトラーはゲイだった!?

しかも、ただのゲイじゃないよ、とってもgayな(楽しい)ゲイだよ。




「コーラスライン」や「シカゴ」などもそうだけど、こういうブロードウェイの大ヒットミュージカルを映画化してくれると、ブロードウェイに行けないワタクシのような人間にとっては非常にありがたい。しかも、初回公演のオリジナルキャストであるネイサンレインマシューブロデリックがやてくれるんだからこんなに楽しみなことはない。さらにそこにウマサーマンも加わるとあって映画ファンは彼女にミュージカルは務まるかという不安とともにまた楽しみも増したのである。

まぁー、さすがブロードウェイで大ヒット、トニー賞12部門受賞だけあって、始まりの部分からもうかなりハイテンション、超特急ですっ飛ばしてくれます。

主演の二人は当然のごとく息もピッタリ、早回しで踊って歌ってるような動きの中できちんと絡んでる。

このマシューブロデリックという人は昔はアイドルっぽい感じで映画でもあのベイビーフェイスでなんとなく頼りない高校生なんかを演じてたりもしたけど、最近ではあのベイビーフェイスはそのままに体格だけ随分おっさんになってしまった感じ。ネイサンレインは劇中で「デブデブ」って言われてるけど、マシューだって結構デブやで。ネイサンと二人でドアに挟まるシーンなんか「この子デブ二人めっ」って思ったもん。それにしても、敏捷なテブだが…少しひょうきんな感じのする容姿の彼だけど、あそこまで崩れてるのは初めて見たかもしれない。あの「宝物」を奪われたときのヒステリックぶりなんて途中から「ん?誰かに似てるぞ。この声とか特に。ん?でも誰や~」と考えていると「そうやっ!!!」マシューが甲高い声で子供みたいに文句言うところは、な、な、なんとあの“オースティンパワーズ”ことマイクマイヤーズにそっくりではないかーーーーっ!

とか思いながら爆笑していると、イカレドイツ人の脚本家ウィルフェレルが出てきたり、ゲイの演出家ゲイリービーチロジャーバートが表れて(この二人がほほを寄せてこちらを向くショットが最高)またまた爆笑。だんだん映画を見ているのを忘れて本当に舞台を見ているような感覚に陥ってくるほど、出演者の熱演がリアル。

ミュージカルだから当然楽曲がいいのだけど、ワタクシはゲイの演出家の二人が歌う「keep it gay」(題名は知らん)のナンバーが最高。思い切りベタなんだけど、「楽しい」のgayと「同性愛」のgayを引っ掛けて「ミュージカルはgayでなくっちゃ」とゲイに歌わせる。このベタなしゃれっ気がいかにもミュージカルしてる。

そして、もう一曲ネイサンレインが刑務所でそれまでの経緯を説明しながら歌うナンバーも一番のネイサンの見せ場。(あ、婆ちゃんたちとのナンバーも見せ場だけどね)途中で入るマシューの物まねもさすが長い間知ってるだけあってよく似ている。

試写会場で最後に拍手が起こったのだけど、それがとてもよく分かる。映画じゃなくて舞台を見ているような気になったのはワタクシだけではなかったんやね~。

エンドロールが流れ始めても帰らないで、ちゃんと最後まで見てね。

ブロークバックマウンテン

2006-03-23 | シネマ は行

ネタバレあり。

善でもなく、悪でもなく、正しいでも間違っているでもなく、ただそこに「愛」が在った。ただそれだけ。そんな気がした。

この物語は話の筋自体は単純なのに、その内容はとても複雑な感じがした。イニスヒースレッジャーとジャックジェイクギレンホール。正に「出会ってしまった二人」である。愛し合いながらも当然のように結ばれることはなく、お互いに結婚し子供も持つ。時代や地域が違えばもしかしたらすんなり結ばれたかもしれない二人。世の中の「当たり前」に従って結婚したことによって本人たちも傷ついたし、それぞれの妻、子供も傷つけたろう。けど、他に二人が選べる道はあったろうか?

確かに二人の生き方は不誠実には違いない。けど、そこには抗うことのできない「愛」が存在した。本人たちにも決して抗うことのできない「愛」が。

ヒースレッジャーとジェイクギレンホールが素晴らしい。初めて別れるとき、ジャックとの別れを思って吐きながら号泣するイニス。4年ぶりの再会に自分たちを抑えることができない二人。今週末は子供と過ごすからとイニスに言われ泣きながら車を飛ばしてメキシコへ向かうジャック。「愛」に苦悩する二人を非常に繊細に演じている。

そして、常にその「愛」の陰となり、犠牲となる二人の妻ミシェルウィリアムスアンハサウェイの細やかな表情で見せる演技も素晴らしく、彼女たちのどこにもぶつけられない怒りや哀しみが表現されている。

ただ単純に愛する人と一緒にいることができない二人の気持ちを思うと胸が張り裂けそうだった。紆余曲折を経て、ジャックを“抱きしめて”生きることを決めたイニスに涙が止まらない。エンドロールが流れ、「彼は友だちだった」という曲が流れる間もずっとずっと。


白バラの祈り~ゾフィーショル、最期の日々

2006-03-22 | シネマ さ行

ネタバレあり。

「どんなに困難でも正直に生きる」

それを正に死守して生きたゾフィーショルユリアイェンチと仲間たち。

ゾフィと尋問官モーアアレクサンダーヘルトの息詰まるやりとりが心に刻まれる。残虐な拷問はないのに、キリキリと胃が痛くなるようなやりとりだ。しかしその中に観客は彼女が処刑されたことを知りながらも、何か希望が生まれるのではないかと期待してしまう。モーアはナチの信奉者であるが、決して良識のない人間ではない。ナチの影響下でないところで出会っていたらもしかしたら談笑できたかもしれない二人。そして、モーアに同じ年頃の息子がいたからか、女性であるゾフィーを罰するのが忍びなかったからか、それとも尋問する中で彼女の聡明さに気付きそれを殺すことに罪悪感を感じたのか、モーアは取引を持ちかける。敵と取引をしてでも生き延びて、反ナチ運動を続けるという選択肢もあった。しかし、彼女の崇高な精神はそれを許さなかった。

そんなゾフィーもやはり処刑前、両親(フランツシュターバーペトラケリング)と顔を合わせたときには涙を流す。このときの父親のセリフが印象的だった。「お前を誇りに思う」と。自分の思想を受け継ぐがゆえに死んでいく我が子。張り裂ける思いであろう。このセリフはおそらくゾフィーが一番聞きたかった言葉ではなかったか。

その涙を尋問官モーアに見られたときゾフィーは言う。「家族に別れを言った涙よ」“私は後悔していない”モーアにそう伝えたかったに違いない。それは、敵への憎しみからか?ワタクシはそれだけではないような気がする。モーアという“人”に対して伝えたかったその思い。“私たちはこうやって死んでいくことに誇りを持っている。それがあなたに分かるときが来る”とゾフィーがモーアに託した気持ちだったような気がした。と言ってしまうのは拡大解釈のしすぎか?

最後まで息が詰まるようなこの映画は最後の最後、彼女たちの処刑のシーンで幕を閉じる。なんの大きな前置きも儀式もないギロチン。おそらくもっとも“効率的”なやり方で彼女たちはナチに殺される。その音がとてつもなく恐ろしい。

ゾフィが空を見上げ、「どうしてこんなに天気がいいのかしら」と言うシーンや同室のエルゼヨハンナガストドロフや最後にタバコをくれる看守に人間的な温もりを感じながらも、その対極にあるナチの恐ろしさが浮き彫りにされた作品だった。

日本ではあの戦争があったから今の平和があるというような言い方をする人たちがいるが、今の平和があるのはあの戦争があったからではなく、ゾフィーのような人たちが歴史の陰で戦っていたからだと言いたい。自分ならどうするかと振り返ることさえできなくなるほどに圧倒されてしまった。けど、それではいけないと思う。


サウンドオブサンダー

2006-03-20 | シネマ さ行

金曜日に試写会に行ってまいりました。

なんかこの話ってなんで「サウンドオブサンダー」っていう題名なのかな?原作があるしきっとなにか深い意味があるんだろうなー。

過去をいじってしまい現在が変わってしまって大変なことになるっていうお話ですね。ヒヒが巨大化して恐竜みたいなしっぽもあって、コウモリも海ヘビ(?)も異常にデカい。植物も毒のトゲを持って人間に襲い掛かってくる。とにかく、みんなとっても凶暴なのだ。

とにかく、びくーーーーっとさせられるシーンが多くて心臓に悪いなぁ。音もやたらとデカくて、ちょっと脅かしかたが古典的です。

恐竜とか巨大動物とかのCGはそこそこいけてるのに、街の様子が結構ちゃっちいのはなんでやろう?低予算なのか、わざとレトロな感じを出そうとしてたのか?エドワードバーンズジェミマルーパーが街を歩くシーンなんてブルースクリーンの前を歩いているんだなーっていうのが丸出しになっていたし…

ラストは結構あっけないもんだったけど、2時間半にもなる最近の長すぎるディザスター物に比べるとそのほうが良かったのかも。変なふうに進化した「人類」にはみな嘲笑だったけど。(その6500万年の進化を経た末の人類なら元に戻さなくても適応してるんじゃないの?という疑問は置いておいて)

ワタクシ個人的には6500万年の進化がおかしくなって巨大生物がいっぱいいたから、大嫌いなカエルが巨大化して凶暴化して出てきたらどうしようとそればかり気になっていたりしたのだった。

オマケ「ラブアクチュアリー」のミアハイケマカッシュが冒頭に出てきて重要な役かと思いきや、エドワードバーンズを誘惑するだけだった…(哀)


ハリーポッターと賢者の石

2006-03-17 | シネマ は行

「シネマ日記」をこれまで読んでくださっている方はご存知だと思いますが、ワタクシはポッタリアンであります。なのに、これまで「賢者の石」と「秘密の部屋」を取り上げてなかったので、今回取り上げようと思います。

まず、「賢者の石」はみなさんご存知の通り、「ハリーポッター」シリーズの第一弾でありますから、ハリーダニエルラドクリフが自分が魔法使いだということを知り、魔法の世界を初めて知るということがほぼメインであります。つまり、ハリーがする魔法の世界でのさまざまな初めての経験を通してワタクシたちも“これから始まるハリーポッターの世界観とはこういうものですよ”ということを知ることになる。まぁ、取扱説明書のようなもんでもある。

絵や写真が勝手に動いたり、学校の階段が動いたり、フクロウが手紙を運ぶ役だったりというような魔法の世界の紹介とともに、これから先ハリーと一緒に冒険をする仲間たちの紹介編でもある。

一番先にハリーを魔法の世界に紹介するハグリットロビーコルトレーンはダンブルドア校長リチャードハリスに忠実で常にハリーの味方だけど、言ってはいけない秘密をばらしたり、ヴォルデモートのつづりが分からなかったりとお茶目な面が多い。

ホグワーツ魔法学校へ向かう汽車の中で出会うのはハリーの親友になるロンルパートグリントと(われらが←あ、ワタクシだけか)ハーマイオニーエマワトソンである。ここではちょっとドンくさめのロン(でも、最後のチェスシーンはカッコよかった)と優等生で(最初は)イヤなやつなハーマイオニーの性格がよく表れている。ここで、ハーマイオニーはハリーの壊れためがねを魔法で直してあげるのだけど、この先、彼女は何度もハリーのめがねを直してあげることになるのだ。

この他、ロンが魔法界ではよく知られているウィーズリー家(みんな赤毛)の子だということやロンの兄弟やハーマイオニーが死ぬよりも学校を退学になることのほうを恐れていたりというちょっと笑えるエピソードも入れられる。このときのロンの反応が最高だ。

この3人はトロールと一緒に戦い、それをハーマイオニーが全て自分のせいだとハリーとロンをかばったあたりから急速に仲良くなる。ワタクシはこのあたりの流れが自然で結構好きだ。

他にも優しいまなざしで生徒を見守り、百味ビーンズを食べて「耳クソ味じゃ」とか言ってるお茶目なダンブルドア校長や、マクゴナガル先生マギースミス、勇気を持って友達に注意をしてグリフィンドールに10ポイントもたらす普段はトロいネビルロングボトムマシュールイスなど好きなキャラクターを挙げだすとキリがない。

ハリーポッターの世界はダンブルドア先生にしても、マクゴナガル先生にしても、スネイプ先生アランリックマンにしても、えこひいき満載の世界である。ダドリーハリーメリングはひどい目にあうし、ハリーはマクゴナガル先生からニンバス2000をもらえたりするし、授業中もスネイプ先生はグリフィンドールから減点するし。はっきり言ってあまり教育的でないし、それを嫌う人もいるだろう。でも、ワタクシはその教育的でないところが結構好き。それでいて、ハリーのママがハリーに愛を残して死んでいったことや、賢者の石が「それを捜し求めるが使おうとしない者」にだけ与えられるなど、感動するようなエピソードもある。このひねくれた部分とストレートな部分のバランスがこの物語の魅力だと思う。

子供たちの演技がまだかなり未熟なところもあるし、この1作目は少し子供向けな感じもあるけれど、この先のハリーポッターを見ていくには必ず通らないといけない作品なので、入門書のつもりでご覧ください。


1999年の夏休み

2006-03-16 | シネマ さ行

…な、なに、これ?これって深津絵理ちゃうん?えっ?でも男の子?なんじゃこら?

深夜にテレビを何気なくつけたときやっていた映画。その時は途中からだったから話もワケが分からんかった。分かったのは、女の子たちが男の子に扮して芝居をしていること。このお話の中では彼女たちは「男の子」という設定だった。

それから、何年も経ってケーブルテレビでこの映画をやっていた。まだ、深津絵理が15歳で水原里絵という名前で出ていたころの作品だ。

あとで調べてみると、原作は漫画で舞台化されたりもしているお話らしい。

それにしても、、、漫画も舞台も普通に男の子たちが男の子を演じている。
この作品では女の子たちが男の子を演じ、しかも内容は「少年同士の愛」である。

少年たちの中にあるゲイの世界という設定は対して珍しくもないし、その上に非現実的なファンタジー(オカルト?)がくっついているという趣向はちょっと珍しいにしても、最後まで見てもよく分からない話だし…

ただ、気になるのはこの映画がどういう層をターゲットに作られたものなのかということだ。ワタクシは見ている間中そのことばかり気になって仕方なかった。

ターゲットはゲイの人?ショタコン系の人?けど、演じてるのは女の子。ということはストレートの男性?んんんーよく分からん。どういうご趣味の方が見たら一番喜ぶのかしら???ってそんなこと考えさせるのがこの作品の趣旨ではないと思うけど、、、気になる…誰か教えてくれーーーっ!と、特に良かったわけではないのに気になりすぎて取り上げてしまいました

15歳のふかっちゃんが見たい方はどうぞ。


トゥームレイダー2

2006-03-14 | シネマ た行
この作品、特に好きではありません。「1」もそうだったけど、いくらなんでもそれはチープすぎるやろう?って感じが否めないからです。

それでも、

やっぱり見ずにはいられない。だってアンジェリーナジョリーだものっ!

「1」ではすじはもうどうでも良かったワタクシもララクラフトことアンジェリーナジョリーの衣装には釘付けでした。

黒づくめビタビタの戦闘服も白Tに黒の革ジャンもそして、シベリア(かどっか、もう忘れた)に行ったときのフード付きの毛皮のコートも超カッコイイ。アンタ、それじゃあ凍え死にますよ、なんて野暮なアドバイスは引っ込めといてください。

「2」でも衣装を楽しみにしていたんだけど、「2」はいまいちバリエーション少なかったですね。

けど、「2」でもあのクイッと上がる左眉は健在。あの表情でクキッとにらまれたら、虫けらのようなワタクシなんぞプチッと殺られちゃいそうです。

馬に横乗りで拳銃ぶっ放したりとかする姿もシビれたなぁ。(なんでわざわざ横乗り?イギリスの淑女やからか?でもカッコイイからなんでも許す)

わざわざ、空からパラシュートでやって来た彼女に「どうしてもっと楽な方法で来ない?」と聞くと、 「だって、つまんないでしょ」と答えたり、

昔付き合っていた男に「一度は愛した俺を撃てない自分が恐いんだろう?」と言われ、「あなたを撃てる自分が恐いのよ」と言うララ。

うっひょー、かっこいいねぇ。こんなこと言える女優はアンジェリーナくらいだし、それが似合っちゃうのも彼女くらいのもんですよね。申し訳ないけど、日本のエロかっこいいとか言ってる誰かさんとはが違います。エロカッコ良くてエロ恐いです。アンジーのプロモーションビデオとしてどうぞ。


ナルニア国物語~第一章ライオンと魔女

2006-03-13 | シネマ な行

兄ちゃん、カッコイー。カッキーン!

ネタバレあり。

お兄ちゃんピーターウィリアムモーズリーも次男エドマンドスキャンダーケインズもいつの間にあんなに剣がうまくなったんやろうかぁぁぁ?とか白い魔女ティルダスウィントンの最後もあっけなかったなぁ、とかアスランリーアムニースンも生き返るのん自分で知っとったんかーい、とか突っ込むところはその他もいっぱいあります。それに目をつぶれない人は全然面白くないでしょう。

どうしても、「ロードオブザリング」と比べられる運命にあるこの作品。印象としては「ロード~」よりも子供向けって感じ。「ロード~」は子供にはちょっと難しいし、暗すぎるもんね。作品のクオリティも「ロード~」もほうが高いとワタクシ個人的には思うけど、それでもこの作品もなかなかに可愛らしくて楽しみました。

なによりも、一番先にナルニア国を見つける末っ子のルーシージョージーヘンリー(この子はあの悲鳴でキャスティングされたんかな?と思うくらいのナイスな悲鳴)とミスタータムナスジェームズマカヴォイの交流がめちゃくちゃ可愛いし、お姉ちゃんスーザンアナポップルウェルも決して美人とは言えないけど、途中からはキレイに見えてきてしまう。

ナルニア国の存在をすぐに信じてくれるカーク教授ジムブロードベンドは一番子供みたいで出番は少ないけど、すごく印象に残った。「どうしてルーシーを信じてあげないの?」とお兄ちゃん、お姉ちゃんに話すところは、純粋な心を失わないことの素晴らしさにじんとする。

タムナスさんが握手を知らなくて「SHAKEするのよ」とルーシーに言われ、本当にルーシーの手を持って振ってしまうところとか、エドマンドが乗った馬をただの馬扱いすると「私はフィリップです」と言われたりするというような、こちらの世界とナルニアの世界とのカルチャーギャップなんかもあって楽しかったし、つっこみどころはいっぱいあるなぁと思いつつ、最後らへんには「兄ちゃん、かっこいー」と思ったり、彼らが大人になってしまって「えっ、子供たちの帰りを待ってたお母さんはどうなったん?」とか真剣に考えてしまったりして、実は結構はまっていた。

この先、アダムの息子たちとイヴの娘たちがどんな冒険を繰り広げるのか楽しみにせずにはいられないガキっぽいワタクシなのであった。

オマケ1個人的には大好きなトラと白くまが悪もんだったのがちょっと悲しかったな…

オマケ2こんな“文部省推薦”が付きそうな映画音楽に、いつもCDジャケットに「歌詞に不適切な表現があります」と書かれているアラニスモリセットの曲が使われていて少しビックリしました。ワタクシはアラニス好きなので嬉しかったけど。彼女の声って少し神々しいところがあるのでこういう物語には合っていると思います。


ロッキーホラーショー

2006-03-09 | シネマ ら行
1973年のイギリスで生まれたこの舞台ミュージカル。イギリスでは小さい劇場から始まって大きい劇場へと移っていき大ウケしたこの作品もブロードウェイに行くとウケなかったらしい。そして、1975年に映画化されたが、これもポシャってたらしい。

が、、、

この作品のカルト的な人気に目をつけた20世紀フォックスが翌年、ニューヨークでミッドナイト上映すると、「映画を見に行く」というよりも「パーティーに行く」という感覚で訪れた観客たちで大盛況。その後、この伝説的な作品は今現在でも新たな伝説を作りながら生き続けている。


なぁんて、ちょっとカッコよく書いてみたものの、実際にはワタクシはおうちで寝っころがりながら独りで鑑賞した。ださっ…(哀)

いやーこれ、ほんとにワケの分からない映画だねぇ。

若いジェネットスーザンサランドン(!)とブラッドが雨の夜に迷い込んだ屋敷の主人ティムカリーがイカれた博士で人造人間を作っている…そして、ここの屋敷には異常な客が集まってわけの分からんパーティをしていたりもする…

もう、とにかくワケは分かりましぇーーーん。しかぁし、何がすんばらしいってね、このイカれた博士がな、な、なんと

トランシルバニア星雲トランスセクチュアル星から来たスウィートなトランスヴェスタイドっつーんだぜっ。

キャー、素敵っ!と言わずして何と言うのだ。

このティムカリーが最高にイカしてるのだ。この作品を見るまではティムカリーを気持ち悪いおっさんとしか思ってなかったワタクシは猛反省彼がいなかったら、「プリシラ」もワタクシの大好きな「ヘドヴィグアンドアングリーインチ」も存在しなかったんじゃないかと思えるくらいの教祖様~そりゃ、あなた、仮装してパーティに行きたくもなるでしょうよ。

彼がやるとワケの分からんナンセンスも、いや、デカダンス、と肯定的な目で見れちゃうんだから不思議。あなたも一度このカオスを経験してみてはどうかしら?








ハムナプトラ

2006-03-08 | シネマ は行
この映画の原題、「THE MUMMY」
聞いた瞬間、「もうええって」って思いましたね。エジプトを舞台に冒険家の男ブレンダンフレイザーが美女レイチェルワイズと一緒に秘密の扉を開ける?そんな感じなんやろ?どうせ。もうそんなん今まで何べんも見たし。もうええし。そう思って見には行きませんでした。もともと、アドベンチャーものってあんまり好みではないし。それで、レンタルに出たときに見てみたんですよね。

フタを開けてみるとこれが結構面白くてビックリしました。ブレンダンフレイザーもレイチェルワイズも好きっていうのもあるかもしれないけど、レイチェルのお兄ちゃん役のジョンハナーが、こういう映画には絶対いるオトボケ役でいい味を出していて、敵役のイムホテップを演じたアーノルドヴォスルーもこれ以上ないくらいのハマリ役でした。まぁ、もちろんこの敵役もザコはすぐ殺しても主役級はもったいつけて殺そうとするから失敗しちゃうというパターンですけどね。それでも、悲劇的な要素を持ったイムホテップが少しもの悲しく見えて素敵でした。

ブレンダンとレイチェルはどこか往年のハリウッドスターのようなノスタルジックな雰囲気を持っていて、このツーショットがよくお似合いでした。お堅い学者のレイチェルがワイルドなブレンダンに魅かれていくところとかも定番だけど、可愛らしかったですね。

この作品は1999年のものですから、まだ、VFXにそれほど見慣れていなかったワタクシはその映像のすごさにめちゃめちゃ驚きました。あの時は従来の作品ではなかったシーンに本気で鳥肌もんでしたね。スカラベのシーンとか「うぇー」ってホントに自分の体がかゆーいような感じになったし、イムホテップが再生していく姿とか、超リアルでした。あのVFXの力がなかったら、この作品はチープな感じがしてしまったんじゃないかなと思います。あれから5、6年でもうVFXなんて珍しくもなんともなくなったんですから、ホントに技術の進歩に驚くばかりですね