シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ヘルタースケルター

2007-02-28 | シネマ は行
チャールズマンソンのこともシャロンテート事件のこともなんとなくは知っていたけど、ここまでエグい話やとは思っていなかったので、この作品を見てとてもショックを受けた。

ネットで検索すると「ヘルタースケルター」という映画は1976年の作品しかヒットせず、ワタクシの見た2004年バージョンはアメリカのヤフーで発見したのだけど、そこの情報によると1976年のものはテレビ映画だったようで今回のものもそうなのかもしれないけれど、はっきりしなかった。1976年版は裁判の様子にスポットが当てられていたらしいが、2004年版では、マンソンファミリーの様子やその犯行、チャールズマンソンジェレミーデイビスの発言などにスポットが当てられていた。

マンソンファミリーの生活の様子もかなり詳細に描かれていたが、こういうカルト集団の典型である強烈なカリスマ性を持ったリーダーとそれに盲目的に従う信者たち、そして、そこへ新しく入った者の戸惑いなどが分かりやすく描かれていた。彼らの生活ぶりは外から見るとかなり疑問に思う部分が多いのだが、洗脳されてしまうとそんなおかしな部分も見えなくなってしまうのだろうと思うとかなりゾッとする。マンソンファミリーには男性も女性も同じ数くらいいて、ドラッグをやって乱交状態になったりもしていたし、不必要な発言で殴られたり、女性が食事を口にできるのは犬が食べ終わった後、とかいうまったく理不尽なルールがあったにもかかわらず、ファミリーの女性たちの中でどっぷり漬かってしまっている者たちはマンソンに惹かれ自分たちが虐げられているという感覚を持っていない。その中にも、新しく入った子クレアデュバルはかなり戸惑いを感じていたし、ファミリーの暴力性に怯えて逃げられなくなっていた子たちもいたようだ。

チャールズマンソンは黒人と白人の戦争が起こると予言し、それを「ヘルタースケルター」と呼んでいたようだが、それはビートルズの「ホワイトアルバム」を自分へのメッセージと思い込んだところから始まったらしい。そして、自身も曲を書いたりして、ビーチボーイズのアルバムに参加したりしていたなんてまったく知らなかったので、めちゃめちゃ驚いてしまった。特に、ビーチボーイズに詳しくないワタクシはビーチボーイズと言えば、なんか能テンキなハッピーゴーラッキー的なイメージしかなかった。そんな彼らにチャールズマンソンが陰を落としていたとは…

その「ヘルタースケルター」とやらは、黒人が白人を虐殺し始めるということらしく、実際にはそんなことが起こらないから、シャロンテート他何人もの殺人はマンソンファミリーが黒人の代わりに裕福な白人を殺害して、それを黒人のせいにし「ヘルタースケルター」をおっぱじめようという、完全にイカレタ犯行だったわけであるが、それにしてもその殺害の方法が一人一人、何十回も刃物で刺して殺していて、その血で壁にメッセージを残すという残忍極まりないものだったなんて。まさか、ここまでと思っていなかったワタクシは本当に度肝を抜かれたし、一人で見ているのが怖くなってしまった。

この犯行が明るみに出たとき、もっとも盲目的にマンソンを崇拝していた女の子は、警察に捕まっても自分たちのしたことが正しいことだと信じきっているから、ベラベラと犯行の内容をしかも得意げに話す。(これは、見ていて滑稽でもあり、もっとも恐ろしいところでもあったが、ある意味でこの集団の中では彼女の行動がもっとも“正しかった”のかもしれない)一方、リーダーであるマンソンは、なかなか犯行のことを話さない。しかも、彼は自分では一切手をくだしていないからその点もやっかいだ。こういう点もまさにカルト集団の典型的な例を示しているようだ。

そして、最後に驚かされたのはワタクシは彼がとっくに死刑になって死んでいると思っていたのだが、現実には彼は仮釈放の可能性がある終身刑に処されているという。おそらく彼が仮釈放になることはないだろうと考えられているみたいだけど、もし仮にそんなことにでもなったら、世界中に彼のシンパがいることを考えるともの凄く怖い。。。

それにしても、こんな男にどうして惹かれるんだろうと不思議でしょうがなかったのだけど、映画を見ているときにワタクシもふと「まぁ、言っていることの中には正しいこともあるなぁ」などとぼんやり思ってしまっていた。そして、ワタクシがそう思った矢先、クレアデュバル扮するマンソンファミリーに恐れをなして逃げ出した女性が言った。
「チャールズマンソンは真実の中から嘘を作り出すのがうまい」この瞬間ワタクシは“ハッ”とした。そうだ。「正しいこともあるなぁ」なんてぼんやり思っているうちにその隙間に真実の中から巧妙に作り出した嘘が入り込んできてしまう。こういう心理って恐ろしい。(マンソン自身がそれを“嘘”だと思っていたかどうかは不明だが)

映画として“良い”と言ってしまうには内容が内容だけに抵抗があるが、マンソン役のジェレミーデイビスの演技は素晴らしいし、残虐映像に気をつけて、見てみる価値はある作品だと思う。

やさしい嘘

2007-02-26 | シネマ や行
これは旧ソ連のグルジアという国のお話です。カンヌ映画祭では国際批評家週間大賞っていう賞を取ったらしい。変な名前の賞だけど、カンヌ映画祭にはメインの映画祭のコンペと平行して、「監督週間」と「批評家週間」というのがあって「批評家週間」には新人監督の作品がジャーナリストたちに公開されるらしい。その週間のなかでの大賞を取った作品ということだろう。

なんとな~くとっつきにくい作品が賞を取ることが多いカンヌの賞だが、この作品もあまり映画を見ない人にとってはとっつきにくいかもしれない。旧ソ連の小さな国の話だし、言語はよく分かんないし、展開は静かすぎるくらいだし。ただ、内容は変にひねったところがないから、その辺にはとっつきにくさはない。

エカおばあちゃんエステールゴランタンはパリにいる息子オタールからの手紙を楽しみにしている。目の弱ったおばあちゃんにいつも孫娘のエダディナーラドルカーロワは手紙を読んであげている。エカおばあちゃんの娘であるエダの母親マリーナニノホスマリゼはおばあちゃんとうまくいっていない。おばあちゃんも息子ばかりを愛している印象でうまくいっていないのも仕方ないように見える。

そこへオタールがパリの工事現場の事故で死んでしまったという訃報が入る。マリーナは年老いた母親にその事実を隠そうとオタールからの手紙を偽造したりしているが、孫娘のアダはおばあちゃんに嘘をついていることに反対している。

お話は静かに進んでいくが、セリフの中には家族や親子の関係を考えさせられるものが秘められているし、反発する2組の母と娘(おばあちゃんとお母さん、お母さんと孫)が本当はどのように思い合っているかを巧みに表現している。

題名になっている「やさしい嘘」というのが、原題のままなのかどうか分からないのだけど、まさにこの物語は「やさしい嘘」が題材になっている。上に書いた娘のマリーナと孫のアダがおばあちゃんにつく嘘、おばあちゃんが彼女たちにつく嘘、そして最後に娘(とおばあちゃん?)が母親につく嘘。すべての嘘が家族を思いやるやさしさに溢れている。正直さというのは大切なものであるし、美徳であることは事実ではあるが、時と場合によっては「正直に言わない」ということも思いやりになるという心温まるお話だ。

ワタクシはこの映画を見て、子供のときから見ている吉本新喜劇を思い出した。親元を離れて暮らすヤクザな息子がいる。親に安心してもらおうと自分はヤクザではなく、会社の社長をしていると嘘をついている。その親が息子に会いに来る。それを哀れに思ったヤクザの組長以下仲間たちはその息子が社長であるという芝居を打ってやる。それを見た親は安心したわと言うが、本当は息子が社長なんかじゃないことに気づいている。っていう感じの、吉本新喜劇にはよくあるパターンのお芝居。新喜劇では途中におふざけ満載なのであるが、基本的な筋はこの映画も変わらないものだ。新喜劇もカンヌも同じテイストってことか

さくらん

2007-02-23 | シネマ さ行
うーむ。だな。。。

監督蜷川実花、極彩色の江戸時代。全然カンケーないのは分かっていてもかぶるなぁ。ソフィアコッポラ、マカロン色のロココ時代。二人とも父親は偉大な監督、演出家だし。筋はたいしたことないけど、映像は楽しめるかなーみたいな映画も。なんかもの凄いぶっ飛び感を期待したけど、意外とこじんまりとしてたなーっていう印象も。

うちのにゃおが漫画好きで「さくらん」はうちにあって単行本が発売されたときに読んでいた。漫画を読んだ感想は安野モヨコの絵って顔が一緒で誰が誰か分かんない(それはどの作品でもそうだけど、「さくらん」では女性が着物と同じような日本髪だから余計に)っていうのと、お話はまぁまぁ、そこそこ面白いかなぁ、、、って感じ。

原作に対してその程度の感想しか持っていないのだから、映画になっても筋にはそんなに期待していなかった。その分、映像や音楽や間合い、テンポで魅せる映画だろうと。そして、製作側もそういうことに力を入れたんだろうなーってことは分かるんだけど、それが成功していたかと考えると、そこは「うーむ」になってしまう。

映像はね、狙いは分かるけど、景色とかセット、町並みの美しさだけでいうと大島渚の「愛のコリーダ」なんかには到底かなわない。まぁ、そこと戦おうとしているわけではないだろうけどさ。ごめんね、どうしても比べちゃったよ。花魁道中も、今まで映画で見た中でこんな安っぽい花魁道中見たことないって感じだったし。あれが狙いなの?あ、でもひぐらし土屋アンナのゼブラがらの帯は好きだった。音楽は椎名りんごということでかなり期待してたけど、ぶっ飛び感薄し。土屋アンナはやっぱ深キョンがいなくちゃダメかな?若者のカリスマもいいけど、もう少し演技を磨かなきゃね。彼女が演技を磨けばすごくいい女優になれると思う。がんばってほしい。

夏木マリはもう言うことなしのハマリ役。いつ見てもほんとにかっこいい人。菅野美穂木村佳乃の体当たりっぷりはやっぱり褒めとかなきゃいかんでしょうね。ただワタクシはこういう日本人の濡れ場ってなんか変に生々しくて苦手。ちょっと気持ち悪くなるっていうか頭痛がするっていうか。それは彼女たちのせいではないんです。彼女たちはすごく頑張ってたと思います。

ま、「安野モヨコの漫画が原作の吉原」っていうのを忘れなければこんなもんと思えるかな。

あんまりいいこと書かなかったけど、蜷川実花さんはまだ若いしこれからもどんどん活躍してほしい。蜷川実花しかり、土屋アンナしかり、後々になって、まだ荒削りな原石を見たんだなと思えれば損はない作品でしょう。

善き人のためのソナタ

2007-02-21 | シネマ や行

いくつもの賞を受賞し、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされていることに納得のよくできた作品。

「ベートーヴェンの「情熱のソナタ」を聴いてしまうと、他人の頭をなでたくなる。革命なんてできなくなる」とあのレーニン※が言ったという。

「この曲を本気で聴いたものは悪人になれない」
東ドイツの体制に反対する劇作家ゲオルグドライマンセバスチャンコッホがそう言いながら、ベートーヴェンの「情熱のソナタ」をピアノで弾き、恋人クリスタ=マリアジーラントマルティナゲデックに聴かせる。それを同時に聴いているのは、屋根裏でこの家を完全監視しているヴィースラー大尉ウルリッヒミューエ。盗聴器のヘッドフォンから聴こえてくるそのソナタにそっと涙を流すヴィースラー大尉。

ヴィースラー大尉はガチガチの体制派。東ドイツの国家保安省シュタージで、反体制派を取り締まる任務をしている。尋問のプロで、その陰湿な尋問の仕方を生徒に説く姿は異様で、聞いているこちらは寒気がするほどだ。「尋問される者を眠らせない手法は非人道的ではありませんか?」という質問をした生徒の座席表にそっとペンでバツ印をつけるあたりも、本当に赤い血が通っているのかと思わせるほどの冷血っぷり。そんな彼がベートーヴェンの「情熱のソナタ」に触れ、徐々に変わっていく。

ヴィースラーにとって「情熱のソナタ」はきっかけではあったけれど、それだけではなく、体制派の上官ウルリッヒトゥクールが信念を持った共産主義者だからというわけではなく、「よらば大樹の陰」とばかりに、出世のために体制派でいることや、大臣が芸術家にほんの少しの自由を与えてやるかわりに、もともとものにしたかったクリスタに言い寄ってレイプしたりするような腐った姿を目の当たりにしたり、反体制派の恋人たちの愛や、仲間たちとのやりとりを聞くうちに冷血動物のようだったヴィースラーのかたくなな考え方が変わっていく姿を静かに表現している。

監視国家という恐ろしい背景を巧みに描き出しながら、その中に生きる個人個人の生き方に焦点をあてる演出が素晴らしい。劇作家ドライマンと女優クリスタの愛情とは対照的なヴィースラーの孤独な生活を表現し、その上、国家保安省と反体制派の息詰まる攻防を純粋にスリラーとして楽しむこともできる。

演出としては、東ドイツの寒々とした空気感が手に取るように伝わってくるようだし、ヴィースラーの変化を派手に表現するのではないやり方が余計にリアルでもある。何度も訪れる反体制派を捕まえるチャンスを彼はわざと逃がす。それがどんなに危険なことであるかを彼以上に知っている人間はいないというのに。

この作品はかなりワタクシのツボにはまる系の作品ですねぇ。途中でクリスタが仕方なく大臣に体を捧げるところから、それを止めるヴィースラーのところ辺りですでにボロボロ泣いてました。後半は涙がぜんぜん止まりませんでした。(劇場中で一番泣いてたのはワタクシかも?)

監視国家の恐ろしさを考えるとクリスタのしたことも責めることはできないと思うし、国は自殺者の数を伏せているっていうのを告発するシーンがあるけど、ある意味クリスタも国に殺されたようなもので、国のせいで死んだ人がまた増えてしまったことになる。ヴィースラーがなんとかクリスタに自分が味方であることを伝えようとしている姿や、死ぬ間際の彼女を抱き上げて、「僕が証拠を隠しておいたから大丈夫だよ」と伝える姿に胸が苦しくて苦しくて、なんともやるせない気持ちだった。あの瞬間、クリスタは全てを理解しただろうか?恋人が自分のせいで捕まったりしないことや、ヴィースラーが味方だったことを。

これが1984年の話で、たった23年前のことなんだと考えるとあまりにも恐ろしくなる一方で、今現在だってこんなふうに政府が国民の暮らしを監視している国家だって存在するだろうことを忘れちゃいけないとも感じたし、今から考えてみればの話だけど、ベルリンの壁が壊れるたった5年前の話だから、5年後にはこんなことで誰も死ななくていい社会になっていたのにと思うと(これは実話じゃないけど)クリスタの死が余計に痛ましい。実際には壁が壊れるほんの1週間前であろうが、乗り越えようとして殺された人はいただろう。ものすごく虚無感に襲われるような話だ。

ドライマンは壁が崩壊したあと、資料館で自分が国家に監視されていたこと、HGWXX7という人が監視していたことを知る。ここで、ドライマンはHGWXX7がなぜか自分をかばっていたことを知り、それは一体誰かと尋ねるのだけど、資料館の職員がいとも簡単にヴィースラーの身元を教えてくれるんですよねぇ。これって、本当にこんななのかなぁ?実際にこんなこと教えてたとしたら報復とか起こらないんだろうか?

演出も素晴らしかったが、演技もまた素晴らしくヴィースラー役のウールリッヒミューエはよくもまぁあんなに無表情でいられるなというくらい無表情なのに、その中でヴィースラーの内面を表現していて素晴らしかったし、クリスタ役のマルティナゲデックは「マーサの幸せレシピ」のときとは完全に別人のようで、セクシーなクリスタを見事に演じていた。「マーサ…」のときにもいいなぁと思ったけど、今回ですっかり、彼女のファンになりました。

オマケ国家保安省の若い役人が国の長であったホーネッカーをネタにしたジョークを言うシーンがある。このジョークがなかなか良かったので、紹介しておきます。
ホーネッカーが朝起きて東の窓に太陽にあいさつした。
「おはよう、太陽」
太陽は言った。「おはよう、ホーネッカー」
昼になってまた同じ窓から太陽にあいさつした。
「こんにちは、太陽」
太陽は言った。「こんにちは、ホーネッカー」
夕方になってまた同じ窓から太陽にあいさつした。
「こんばんは、太陽」
太陽は言った。「俺は西側だよ。バーカ」
これを上官に披露した若い役人、裏切ったヴィースラーとともにしっかり窓際に飛ばされておりました。。。

※初め間違えて「スターリン」と書いておりました。ご指摘通り訂正いたします。失礼いたしました。


真夜中の銃声

2007-02-19 | シネマ ま行

ワタクシ、ショーンペンのファンなのですが、この作品のことは恥ずかしながら何も知らず、ケーブルテレビのオンエアで知った次第です

これはサマセットモームという人の小説が原作なんだそうだけど、このサマセットモームという小説家のこともワタクシは名前しか知らないので、ちょびっと調べて見ると、なんとこの人あの「007」で有名なイギリスの「MI6」で諜報部員として働いていて、その後スパイ小説なんかを書いていたらしい。本物のスパイが書くスパイ小説って面白そう。でも、この作品はスパイ小説ではありません。一応、クライムサスペンスっていう触れ込みになってるけど、クライムサスペンスっていうよりも、メロドラマに近いような…

第二次世界大戦前の不穏な空気の流れるイタリア、フィレンツェに集まった上流階級の人たち。そこにいるイギリス人未亡人メアリークリスティンスコットトーマスを中心に展開するストーリー。上流階級の未亡人なんてクリスティンスコットトーマスのためにあるような役。(彼女ってどこか石田ゆり子に似てませんか?顔がすごく似ているわけじゃないんですけど、なんか高貴な人なんか貧乏臭いんかよう分からん顔って感じが似てる。ワタクシは二人とも好きなんですけどね)この人がイノセントな顔して、体面気にしまくって、慈悲深いように見せかけて実は悪いことをやってのけちゃうんですよね。まぁ、本当はそんなうまく遊んだりできない人が慣れないことするんじゃないわよってことなのかもしれないけど。

彼女と恋に落ちるアメリカ人男性ローリーを演じるのがショーンペン。彼が上流階級ボンボンの色男なんて、どうなん?と思ったけど、実はこのローリー、結構反抗心のあるリベラルな男なところがショーンペンらしく、ベラベラと女性を口説くところも意外にはまっていた。「ザ・インタープリター」のときもそうだったように、彼のイメージとはかけ離れた役もやっぱりきちんとこなしてしまう。さすが、演技力に定評のある実力派。ワタクシがファンだから贔屓目も大いにあるとは思いますが…ワタクシにはすごくカッコよく見えたし、クリスティンスコットトーマスも好きだから、二人の恋を応援してしまう、、、

が、いくらワタクシがこの二人を応援しちゃうって思ってみてもなぁ…さすがにちょっとヒドいような気がする。そりゃ、例の彼ジェレミーデイビスは自殺だったわけだから、誰にも罪はないと思うよ。でもだからこそ、山ん中に捨てちゃわないでも良かったんじゃないの?さすが、上流階級、自分たちの保身に必死ですな…リベラルなローリーまでその手助けをしちゃうんだから。って見ていない方にはなんのことかさっぱりだと思うんですが。ゴメンナサイ。

この倫理観には問題があるにせよ、映画としてはこの次はどうなるのかとワタクシは結構楽しめましたね。ラストの展開に賛否はあるだろうとは思うんですが、メロドラマとしてはよくできていると思いますし、主役の二人のキャストもいいし、脇を固めるアンバンクロフトもさすがの貫禄で、こういう大ベテランの活躍はとても喜ばしく感じます。


ロードオブザリング~王の帰還 スペシャルエクステンデッドエディション 後編

2007-02-16 | シネマ ら行
この戦いがひと段落したあと、ピピンとメリーは再会します。いつもはメリーのほうがしっかりしてるけど、ここではピピンが倒れこんでいたメリーを探し出します。「ボクを見つけてくれたんだね」と言うメリー。この再会シーンも感動。そして、怪我をして休んでいるエオウェンとファラミアの間にはなにやらロマンスが生まれている様子…あら、エオウェン、アラゴルンのこと好きだったんじゃ…?ま、でもアラゴルンとアルウェンの間には誰も入れないからね、ファラミアにして正解よ。

フロドとサムはどうしてたかと言いますと、フロドはますます指輪の魔力に支配され、みるみる弱っていってます。そんな判断力のにぶったフロドにゴラムはうまく取り入って、サムを悪者に仕立て上げ、フロドとサムを仲たがいさせてしまいます。残り少なくなったレンバス(エルフにもらった食べ物。一口でおなかいっぱいになるらしいんやけど、みんな何口も食べてるのはナゼ?)を自分は食べないでフロドにあげることまでしていたのに。そして、きちんと帰りの分の食べ物を残しておいてフロドにも観客にも希望を与えてきたのに。かわいそうなサム。どんなにサムが泣いて訴えてもフロドは信じてくれないのです。あんなにフロドに尽くしてきたのに、ゴラムに騙されたフロドはサムを追い払ってしまうのです。フロドへの怒りとサムの悔しさを考えるとここもすごく胸が痛いです。でも、サムはもちろんフロドを見捨てたりしません。ちゃんとこっそりフロドについて行っています。

ゴラムは隙あらばフロドから指輪を奪おうと考え、大蜘蛛のおばばが住む洞穴へとフロドを騙して連れて行きます。フロドはまんまと引っかかっちゃうんだよなぁ。ここで、サムが助けてくれなかったら本当にゴラムに指輪を取られていたよ。フロドはこの大蜘蛛のおばばの糸にグルグル巻きにされちゃうんだけど、そのフロドの姿がおかしくっていつもププッと吹き出しちゃうのです。すごく深刻なシーンなのに、フロドがミイラかマトリョーシカに見えちゃうんですよ。あれ、もうちょっとなんとかならんかったんかなぁ。しかも、オークにさらわれちゃうし…もう「3」ではほとんどサム一人の奮闘記って感じになっちゃって、どっちが主役だか分からない感じ。この洞窟でガラドリエル様にもらったエアレンディルの光を武器として使うんだけどさー、ガラドリエル様に文句を言うのは勇気がいるけど、これってイマイチ役立ってないんじゃ…?もうちょっと強い武器をくれれば良かったんだけどなぁ。きっと、ガラドリエル様にはワタクシのような卑しい人間ごときには分からない意図がおありになるんでしょう。しかし、サムの抵抗空しくフロドはオークにさらわれちゃうんだよね。あのマトリョーシカのまま…

ミナスティリスでの戦いを終え、本当に最後の最後、残り少ない兵でアラゴルンたちは精一杯サウロンの目をフロドたちからそらせるために戦い続ける。サウロンの目をこちらに向けるために危険を冒して、硝子玉でアラゴルンはエレンディルの剣をサウロンに見せます。そのとき、アルウェンの死を見てしまったアラゴルンはブローチを落とし、ブローチは粉々に…こんなに主人公たちに不吉な予兆ばかり見せる物語が他にあるでしょうか?

みな、さすがにもう死を覚悟した戦い。「エルフの隣で死ぬとはな」というギムリに「友達の隣でなら?」と尋ねるレゴラス。胸が熱くなるシーンです。そして、アラゴルンは初めからかっこいいんだけど、このシリーズを通して「2」「3」と加速度的にカッコよくなっていきますねぇ。この最後の戦闘のときなんてケタ外れにカッコいいです。それは多分、彼が王としての自覚を持ち、エレンディルの剣を持つにふさわしい人間になっていた過程をワタクシたちが目撃しているからなのでしょう。

オークがごちゃごちゃともめている間にオークからサムはフロドを助け出す。フロドが死んだと思って取っておいた指輪をフロドに返すとき、指輪の誘惑がこの二人の間にまで起こります。でも、もちろんサムはそんなものよりフロドのほうが大切な忠実な友達なのです。サムはもう歩けないというフロドにホビット庄の話を聞かせてやりますが、もうそんなものを思い出す余裕はフロドにはありません。ここで、サムは「指輪の重荷は背負えなくてもあなたは背負えます」と泣かせるセリフを言ってフロドを背負い、アラゴルンたちがサウロンの目をそらしている間に滅びの山の裂け谷へ。いよいよ、指輪が葬り去られるんですが、、、その方法が、、、やっぱり、フロドってダメダメだった…いや、フロドは指輪の魔力に支配されてるから仕方ないんだよね。ここまで、耐えられたことこそ、すごいことなんだよね。だから、最後のことはちょっと大目に見てやって。きっと、他の者ならここまでも耐えられなかったんだよ。ガラドリエル様が認めたフロドだもの。

指輪が葬り去られたあと、崩れるモルドールの中で、フロドとサムが故郷ホビット庄の思い出話をしますね。フロドも指輪を捨ててホビット庄の話ができるようになっています。覚悟はしていたもののいよいよもう二度と見ることはできないということが現実味を帯びてきた故郷のことを話すサム。後半はフロドより大活躍のサムが、それでもフロドを気遣う様子にまたまた涙です。と、そこへ、、、大きな鷹が飛んでくるではありませんか。ガンダルフが乗った鷹が。おーーーーい、その大きな鷹で初めからモルドールまで運んでくれたら良かったんちゃうん?と思わず突っ込んでしまった。いや、そんな基本的なこと言ったら、ガンダルフの魔法でみんなやっつけろよーとかっていう話にまでなっちゃいますので、そこんとこ目つぶれない人は見ちゃダメ。というか、そういうタイプの人はそもそもきっとこんな大長編に手を出したりしないか。

エルロンドの館で、傷ついた体を癒す一行。意識を戻したフロドの目にはガンダルフが。アラゴルン、レゴラス、ギムリ。そして、ピピンとメリー。最後にはサムの姿が。何も言わなくても分かり合う二人。「1」の最後にバラバラになって以来の旅の仲間の集合。ボロミアが欠けているけれど、ついに再会できた仲間たちに、本当に良かったね、良かったねという気持ちになり、もう後半は涙がまったく止まりません。

そしてついに、アラゴルンが王としてゴンドールに帰還します。この「王の帰還」という邦題、すごくカッコいいと思いませんか?すごくナイスな訳だと思います。ガンダルフによって、王冠を与えられるアラゴルン。旅の仲間たちもそれ以外の共に戦った仲間たちも国中の民衆もミナスティリスに集まっています。エルフからの祝福に応えるアラゴルンに思わぬ嬉しいサプライズ。永久の国へ向かう途中にアラゴルンとの子供の幻を見て、やはり彼との限りある生を選んだアルウェンがアラゴルンの妻となるべくそこに立っていたのです。アラゴルンはここで、まるで王様とは思えないような情熱的なキスをアルウェンにするんですねー。アラゴルン、ほんっとにラブラブなんだもんねー。アルウェンだって、アラゴルンを置いて去って行くわけないよね。なんせ、ガラドリエル様をして、それ以上の贈り物はありませんと言わしめたエルフのペンダントをアラゴルンに捧げているくらいだもんね。(映画では「1」の中でアルウェンから直接渡されるペンダントですが、原作ではアルウェンが自分のおばあさんであるガラドリエルにアラゴルンがロスロリアンを通ったら渡してくださいと託されたものだったんです)

この戴冠式には、もちろんフロド、サム、メリー、ピピンも出席しているのですが、彼らが王に向かっておじぎをするとアラゴルンが言うのです。「君たちは誰にもおじぎする必要なんかないよ」と。そして、王自身がこの4人のホビットたちにひざまずきます。それをうけてその場にいた全員が彼らに対してひざまずくのです。このシーンも何度見てもトリハダが立ちますね。小さき人たちがついにやった。一番小さいホビットたちがこんな偉業を成し遂げるなんて一体誰が予想しただろう。中つ国の者たち全員が小さき人たちにひざまずくなんて。こうして全員にひざまずかれて、ホビットの4人はなんとなく気恥ずかしいような所在なさげにしているところがなんとも愛らしいです。あ、でもピピンは一人で誇らしげな表情をしていて、それがまたピピンらしいです。

ついに、ホビット庄にもどった彼らは平和なときを過ごします。サムはロージーと結婚し、(彼らの結婚式ではなぜかピピンがブーケを受け取っちゃう。ピピン、最後まで笑わせてくれます)フロドはビルボが書いていた物語の続き「指輪物語」を書き始めます。原作ではホビット庄に戻った彼らと生き残ったサルマンの戦いが描かれていて、もう指輪も消滅したことだし、戦いはいいよと思っているところでの展開で、ちょっと辟易していたので、ここはすっかり平和的に日常に戻ってくれて映画のほうの組み立てのほうがワタクシは好きです。こうして幸せに暮らしましたとさ、めでたし、めでたし、で終わるのかと思いきや、フロドがなんとエルフたちの最後の船にガンダルフやビルボと共に乗せてもらうと言うのです。旅の途中にナズグルにやられた傷は一生癒えず、指輪から受けた影響も完全に消えるものではなく、そういう者はこの俗世では生きていけないということなんでしょうか。フロドが去ることを別れの瞬間まで知らされていなかったサム、メリー、ピピンの3人の辛さを考えると胸が締め付けられるようでした。ガンダルフは「すべての涙が悪しきものではない」と泣きなさいと言ってくれる。このとき、ホビットの4人はガラドリエル様にもらったお揃いのマントとブローチをしていて、見ているこっちはそれで余計に心が痛むんですよねぇ。そして、一人一人との別れ。サムのおでこにフロドがキスをする。こんなずんぐりむっくりの二人で、こんなに美しいシーンが作られるなんて普通では考えられません。

こうして、やっと本当にやっと終わりを迎える壮大なお話。これが、トールキンが自分の子供にベッドタイムストーリーとして聞かせようと書き始めた物語とは到底信じられません。そして、原作とは異なる部分がありつつも、この物語を映像にしてみせたピータージャクソン監督の執念すら感じられる素晴らしい映画史に残る作品です。感想と言ってもなんだかあらずじのようなものになってしまいました。お話が壮大なために少しずつピックアップするのも難しいですね。見る前はこういう冒険ものにここまで涙させられるとは思っていませんでした。こんなに何度も見たい作品になるだろうとも。この作品はおそらく、これからもずっとワタクシのベストの映画のひとつに入っていくと思います。

みなさま長い長い「ロードオブザリング」祭りにお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました

ロードオブザリング~王の帰還 スペシャルエクステンデッドエディション 前編

2007-02-15 | シネマ ら行

いよいよ、クライマックス。この壮大な物語はどのように終わりをつげるのでしょうか。

「3」の冒頭、ゴラムがどのようにして指輪を得たのかが語られる回想シーンがあります。ゴラムはスメアゴルという名前のホビットで、友達と釣りに行ったときにたまたま指輪を発見しています。このとき、この友達と指輪を奪い合い、指輪欲しさのあまり友達を殺してしまいます。ここで、ひとつ分からないのはゴラムは指輪と長い年月を共にしたために二重人格になったわけじゃなくって、スメアゴルのときから二重人格なんですよねー。その辺がワタクシは今でも理解できないでいます。最初から持っていた気質が指輪によって増幅されたって感じなんでしょうか?そして、このスメアゴルからゴラムになっていく途中の姿がゴラムになりきった今現在よりもずっと気持ち悪いです。

アラゴルンたちと合流したときのメリーとピピンは戦利品の食料をほおばり、パイプを吸ってすっかり元の陽気なメリーとピピンの戻っていて、すんごく嬉しい気持ちにさせてくれます。ローハンでの戦いを終えたアラゴルンたちは彼らの変わらない姿を見てあきれ顔ですが、本当はすごく安心しているのが分かります。エントにめちゃくちゃにされたアイゼンガルドに残るサルマンとグリマと白の勢力が対決しますが、ここでは民を無残に殺されたセオデン王が怒りをあらわにし、その姿にジーンときます。怒りをあらわにしているのに、元はローハンの民であったグリマを助けようとしたりするんですよね。セオデン王、カッコよすぎです。このアイゼンガルドでのヘビの舌グリマとサルマンの運命は原作とは違います。サルマンもグリマも原作ではあっさり死なないんですが、本当の敵はサルマンではないので映画のようにここでとっとと消えてもらってさっさと進んでもらってOKでした。

その後、一行はローハンで祝杯をあげるのですが、ここはまたちょっと一息つけるシーンです。レゴラスはどうやらお酒初体験らしく、一口飲んでちょっぴり変な顔をしています。そんなレゴラスをギムリは馬鹿にしますが、レゴラスが「指先がぴりぴりしてきた。効いてきたようだ。」と言っているころ、ギムリはもうベロベロ。さすが、エルフはお酒にも強いんですね。

ピピンはアイゼンガルドで初めて見たときからサルマンの硝子の玉が気になっていたようですね。祝杯のあと、ついついそれを守るガンダルフが寝込んでいる間に触ってしまいますが、このときのガンダルフ、なんと目を開けて寝ているんですよ。こういうところがお茶目。

その硝子玉を通してゴンドール(ボロミアがいた国)の都ミナスティリスが燃えているのを見てしまうピピン。硝子玉を通してサウロンに指輪を持っているものだと思われてしまう。ガンダルフはそのピピンを連れ、ミナスティリスに警告をしに行くことに。ここで、初めてピピンとメリーが離れ離れになるのです。小さいときからいつも一緒で、離れ離れになったことのない二人の切ない別れ。もう二度と会えないかもしれない二人に胸が痛くなります。

ゴンドールはボロミアの父親デネソールジョンノブルが執政を行っている。最愛の息子ボロミアを失い悲しんでいるデネソールに、ガンダルフから何も喋るなと言われていたピピンは我慢できずに名乗りでてしまう。ボロミアは自分をかばって死んでいった。僕はあなたに忠誠を誓うと。ここはまたまたボロミア好きのワタクシにはたまらないシーン。ボロミアは死んでしまったけど、ピピンは彼に最大の感謝と敬意を抱いている。でも、デネソールの政権への執着ぶりにはさすがにちょっと引いてるみたい。

いよいよ戦闘が始まろうというとき、ゴンドールからローハンまで戦いの始まりを知らせるのろしが次々にあげられるシーンはトリハダもの。自分たちがピンチのときには助けてくれなかったゴンドールを助けることを拒んでいたセオデン王もこの時ばかりはありったけの兵を出してくれる。「3」ではセオデン王の見せ場が結構多いです。ピピンもファラミアが小さいときに使っていたゴンドールの白い木の紋章のついた鎧を着せてもらう。この白い木の紋章がめちゃくちゃカッコいい。デネソールのそばについていたピピンが歌を歌えと言われて歌う美しい歌声と戦闘のシーンが重なり、悲しくも芸術的で美しい。

ミナスティリスに戻ったファラミアに会ったガンダルフがフロドたちと出会ったのはいつごろかと聞くと「二日前」とファラミアが答えるシーンがあって、“え~まだあれってたった二日前のことなのかよ~”って劇場公開のときは1年も開いてしまっているからビックリしたけどDVDで通して見ても、あまりにも暗い道のりなのでたったの二日前とは到底思えない。

一方、ローハンからミナスティリスに向かうアラゴルンの元には、エルフのエルロンドがアラゴルンの先祖がかつてサウロンの指を切り落としたエレンディルの剣を打ち直して届けてくれ、そのときに多勢に無勢な彼らのため、アラゴルンの命令を果たし、解放されることを待っているゴーストの話を教えてくれる。それを聞いたアラゴルンはゴーストが潜む洞窟へ独りで行こうとするが、レゴラス、ギムリも独りでは行かせないと一緒に向かう。ギムリは怖がっているけど強がってみせているんですよね。レゴラスもそんなギムリをからかったりして。二人のパートナーシップはもうここでは当たり前のやりとりになってきています。ゴーストの洞窟から出てきたあと、敵の軍勢を目のあたりにしてアラゴルンは打ちひしがれてしまいます。こんな弱気なアラゴルンは珍しい。しかし、ゴーストが参加してくれるおかげでまた希望が出るのです。

その間、ローハン軍は出陣していくが、ピピンのことが心配なメリーをエオウィンが隠れて戦闘に連れて行ってくれる。エオウィンも女性ながら、出陣したいために兜で顔を隠して兵の中に紛れ込んだ。彼女にはメリーの気持ちがすごくよく分かるんですね。このエオウィンが、もっとも手強い敵の一人を倒すことになる。

苦戦を強いられる中、海のほうからゴーストたちを引き連れてやってくるアラゴルンたち。ここで、一斉に攻撃を仕掛けるゴーストのシーンも素晴らしいです。この映像も素晴らしいけど、ゴーストの援軍ってサイコーよね。だって、もう死んでるんだから殺せないんだもの。

この戦いでもレゴラスとギムリは殺した敵の数を争っています。オリファントという(言わずもがな)象に似ている怪物の上で何人もの敵をやっつけるレゴラスに「それで一人分だ」というギムリ。この物語を通してどんどん仲良くなっていくエルフとドワーフを見ているのはとても微笑ましいですね。

この戦闘で傷を負ってミナスティリスに連れて帰られたファラミアを見て、死んだと思い込んだ父デネソール。この人完全にご乱心。つーか、最初っから変やったけどな。まだ生きてるファラミアを火葬しようとし始めた。もう、この辺は何が何やら…デネソールはワタクシ好きじゃないので、この辺りのシーンはちょっと飛ばしたい気分。イカレじじい、いい加減にしてくれよってね。なんとか、ピピンとガンダルフでファラミアは助け出したものの父ちゃんのほうは引火して焼かれちゃった。ま、これは仕方ないか、、、

戦いのさなか、怖がるピピンに死後の世界の話をしてやるガンダルフ。死をむやみに怖がる必要はないと諭され、ピピンも観客も勇気を奮い立たせるのです。この戦いではエオウィンが大きな敵を倒すと書きましたが、それはナズグルの首領です。セオデン王をかばい、ナズグルの首領と一騎打ち。「人間の男に私は殺せん」というナズグルを刺し、「私は男ではない」というしびれる決めゼリフを残してくれます。


ロードオブザリング~二つの塔 スペシャルエクステンデッドエディション 後編

2007-02-14 | シネマ ら行
「2」ではもう一つのアラゴルン、レゴラス、ギムリのグループが一番活躍します。(まぁ、「2」だけじゃなくてほとんどそうなんですが)この物語はフロドを主人公としながらも、周りの役どころも決してただの脇役ではない、すべてが重要な役割を担っているというところがとても魅力的。フロドに共感できない人も絶対にどこかに共感できるキャラクターがいるはずだし、そのキャラクターがみんな活躍してくれますから。

「2」では彼らはあらたに騎馬民族ローハンの民たちに出会います。ローハンではウルク=ハイやオークどもが無差別に村人を殺している様子が描かれ、闇の勢力の力が増していることが示されます。荒野でエオメルカールアーバン率いるローハンの騎馬軍に出会った3人は敵と間違われ取り囲まれます。このときのギムリの無礼に対して、エオメルが怒るのですが、そのエオメルになんとレゴラスが逆ギレして矢を向けるのです。いつも冷静なはずのエルフのレゴラスがドワーフのギムリために怒りをあらわにするというシーンで、この二人の友情が芽生え始めているのが分かります。ここを仲裁するのはもちろんアラゴルン。だんだん3人の役割が確立されてきていますね。

メリーとピピンをさらったオークたちをこのローハン軍が皆殺しにし、その際メリーとピピンも殺されてしまったと勘違いした一行。一瞬、悲しみにくれるが、ここで あのブローチを発見彼らの足取りをたどるアラゴルンの勘が良すぎる…エルフのレゴラスがそうするならまだしもいくらさすらってたからってそんなことまで分かるかー?ってほどに彼らの行動を理解します。アラゴルンはただの人間とはひと味もふた味も違うってことなんでしょうねぇ。

そして、この3名はメリーとピピンを探しに森へ入り、なんと死んだはずのガンダルフに出会うのだぁぁぁぁ。「あぁ、やっぱりガンダルフがあんなとこで死んでしまうわけはないよなぁ。しかし、魔法使いやからって生き返るとかアリか?ひょっとしたらワタクシの大好きなボロミアも生き返るんかもしれん!」という希望を抱いたワタクシ。でも、ガンダルフって厳密に言うと死んだってわけじゃないんよね?地獄の底にバルロクと一緒に落ちてそこで戦って勝ったんだよね。それで、白の魔法使いとなって復活してきた。先にガンダルフはメリーとピピンに会っており、3人を安心させる。彼らのことはエントに任せて、闇の勢力に襲われているローハンを助けに行くことに。メリーとピピンをエントに任せればいいことが起こるとかそういうことは分かるのよねぇ、ガンダルフ。。。もちろん、彼の魔法が万能ならこんな物語いらなくなっちゃうからな。ふむ。

ローハンへ着いた彼らは、セオデン王バーナードヒルの城に入る前に武器を渡すように言われます。ガンダルフは魔法の杖を「老人から杖まで奪う気か!」と言って持ち込むのです。このときのアラゴルンのあきれたような、感心してるような表情がキュート。サルマンの手先蛇の舌グリマブラッドドゥーリフに魔法をかけられて息子のセオドレドがオークに殺されても気がつかなくなってしまっているローハンのセオデン王をガンダルフが正気に戻し、闇の勢力との戦いに加わるように話をする。正気を取り戻したセオデン王は初老なのにめちゃくちゃかっこいいです。その甥のエオメルはたよりになる騎馬の隊長。その妹のエオウィンミランダオットーは荒馬に優しく語り掛けるアラゴルンに心惹かれている様子。ここでのアラゴルン、アルウェン姫のことを考えながらもちょっとまんざらでもなさそうなのが気になる…永遠の命を持ちエルフの国へと旅立つアルウェンを忘れるためなのかなぁと思ったりもしたけどさぁ、、、アラゴルン、いかんよ、人間の娘にうつつを抜かしては。ワーグという名の魔狼に襲われて死にかけたときに助けてくれたのはアルウェンやったでしょ。あれは実際に助けたわけではなくて薄れいく意識の中で思い出したのがアルウェンってことなのかな。だとしたら、やっぱりアラゴルンの心にはアルウェンしかいないよね。

セオデン王は戦うことを渋り、村人をヘルム峡谷へ避難させる道を選ぶ。しかし、皮肉にもそこが最大の戦いの場になってしまう。ガンダルフはなぜか援軍を約束し、5日目の朝、東から戻ると言って去っていきます。ここもガンダルフの都合のいい予言が炸裂ですねぇ。。。いや、もう突っ込むまい。

ヘルム峡谷への道のりは少しゆったり。ギムリがドワーフの女性は見た目が男と変わらないからドワーフには男しかいないと思われてるとか話したり、エオウィンの作ったシチューが不味くて、アラゴルンは彼女が見ていない間に捨てようとしたり。

ここでのエオウィンとアラゴルンの会話で驚きの事実が判明します。エオウィンのおじいちゃんとアラゴルンは昔、共に戦った仲だったと。そのころ、セオデン王はまだ小さい子供だったと。つまり、アラゴルンはなんと87歳長寿を誇るドゥネダインの家系だっつーんだよ。いや、いくら長寿でも…このままいくといくつまで生きるんでしょうか?まるで、聖書のようですね。ちと、横道に逸れますが、小さくて可愛いフロドたちだって三十代から五十代の設定だし、レゴラスなんてデーモン小暮閣下かっちゅうくらいのノリだろうしなぁ。色んな常識を超越しとります。ってそりゃそうか。

さきほども少し触れましたが、ヘルム峡谷に向かう途中一向はワーグに乗ったオークに襲われます。ワーグに襲われて崖から落ちたアラゴルンはアルウェンの助けを受けて遅れてヘルム峡谷へ到着。このときの歓迎ぶりがそれぞれの友情を表していて胸が熱くなりますね。そして、セオデン王の間への扉を開けるアラゴルンの姿がすんげぇかっこいいです。予告編でも使われていた映像なので、宣伝部もかっこいいと思ったのかも。

村人たちに老人と子供しかいないのを見てギムリとレゴラスが珍しく弱腰に。「全員が死ぬ」というレゴラスですが、「それなら私も一緒に死ぬ」というアラゴルンの決意を聞いて考えを改める。やはり、彼らの友情はここへきてかなり厚くなっています。またまた、ギムリが長すぎる鎧を引きずって戦い前のひと笑いもあります。

さてさて、このローハン軍と共にオークどもと戦うヘルム峡谷での戦いは「ロードオブザリング」全編の中でもかなり盛り上がるシーン。来てくれないと思っていたエルフの軍隊も来てくれるしなぁ。感動したアラゴルンが思わず、ハルディアに抱きつくところはこちらも感動してしまいます。でも、ハルディアはこの戦いで命を落としてしまうんですよね。殺されない限りは永遠に生きることのできるエルフが命を落とすのはとても悲しいことです。短い登場ながらもハルディアが好きだったワタクシは余計にショックでした。

この戦いの最中にもギムリとレゴラスは殺した敵の数を争ったりして少しの笑いを提供してくれます。ヘルム峡谷でのもっともお気に入りのシーンはアラゴルンとギムリのシーン。少し離れた橋での戦いに飛び込んで参加しようとしたとき、アラゴルンが「でも、(飛ぶには)遠すぎるよ」と言ってギムリの顔を覗き込む。このときのアラゴルンが珍しく茶目っ気のある顔をしている。「1」では絶対に俺を投げるなと言っていたギムリもこの戦いの中にあっては「俺を投げろ」と言う。アラゴルンの作戦勝ち。「ただし、誰にも言うなよ」とギムリ。ヘルム峡谷の戦いはこういうファンタジーものにつきものの戦いのシーンなんだけど、敵と味方が入り乱れているにも関わらず、戦況がとても分かりやすく描かれているところが素晴らしい。ワタクシはいつも戦闘シーンとかになると見る気がちょっとなくなるんだけど、この作品は戦闘シーンが苦手なワタクシも大丈夫でした。

そして、セオデン王は形勢が悪く弱気になりかけたとき、5日目の朝を迎え東の空から昇る太陽にガンダルフの約束を思い出して、また戦う決意をします。そこへ、ガンダルフがエオメルの騎馬軍を連れ、背中からさす朝日とともに、オークを蹴散らすのです。ここでの攻防に勝利した白の勢力はまだこれからやってくる戦いへの決意を新たにして、「2」は幕を閉じます。「2」は真ん中のお話なので、中途半端に始まって中途半端に終わるような印象がどうしてもありますが、それでも、途中の見所はたっぷりのお話です。

ロードオブザリング~二つの塔 スペシャルエクステンデッドエディション 前編

2007-02-13 | シネマ ら行

「二つの塔」は戦いの場面が多く、ほとんどグレーな世界なので、見るほうもかなり正念場といった感じです。もともと9人で始まった旅もガンダルフとボロミアを亡くし、「フロドとサム」「メリーとピピン」「アラゴルン、レゴラス、ギムリ」という3つに別れていき、お話もこの3つのグループと敵の動きというふうにあちこち動きますので、少し見づらい印象はあるかと思います。

まずは、「フロドとサム」のチームですが、さっそくサムがガラドリエル様からもらったエルフのロープで崖を降りています。さすが、エルフの不思議なロープ。二人の体重を支えていたのに、二人が下に降りたら、スルッとほどけました。サムの自慢の結び目だったのに。このときのフロドとサムのやり取りといい、崖の下が見えなくてフロドが落ちたかと思いきやストッと下の道に着いたりするこの一連のシーンは「2」以降のフロドには珍しい笑いのシーンです。しかし、これ以降「2」ではフロドがどんどん指輪の魔力にとりつかれていき、かなり疲れた様子です。

そこへ持って来て、ビルボの前に指輪を所有していて失くして以来、ずっとしつこく指輪を取り返そうとしているゴラムアンディサーキスもこのグループに加わります。「1」では遠くからフロドたちにつきまとっていただけだったゴラムですが、フロドたちだけでは道が分からず堂々巡りしてしまうので、ここからモルドールの滅びの山への案内人として連れて行くことにするのです。サムはゴラムを連れて行くことに反対なんですけど、フロドはゴラムに案内をさせようというのもあったけど、同じ指輪所有者として、かなり同情を寄せているんですよね。それだけ、フロドも指輪の魔力の怖さを理解し始めたってことなんでしょうね。フロドはゴラムと話もしたりして、断片的にゴラムの過去も触れられます。ゴラムは一体何者なのか?スメアゴルって一体誰なのか?ここではまだはっきりとは分からないのですが、どうやらもともとこんな気持ち悪い姿ではなかったような雰囲気も。このゴラムのCGは不気味なまでにリアルで、実際にこんな生き物がいるかのよう。肌のヌルヌル感とかまで伝わってきてゴラムの体臭がこちらまで臭うかのような気さえします。

ゴラムに連れられてモルドールの黒門までやってきた彼ら。しかし、軍勢が多すぎて入ることはできません。しかも、黒門の近くにいるのが敵の軍にバレそうになって、エルフのマントで身を隠します。ここでも、「1」の伏線が映画公開版ではなかったので、こんなマントでどうやって?と思ったんですが、実は姿を隠せるエルフの不思議なマントだったんですね。納得。結局、黒門から堂々と入ることなどできるはずもなく、ゴラムは別の道を案内すると言うのですが、この辺りから、ゴラムの評価がフロドとサムの間で随分違ってきていて、仲良しの二人に不協和音が聞かれるようになってきます。フロドってば、あんなに忠実なサムの言うことよりもゴラムの言うことを聞いちゃうんだよー。ムカツク。でも、サムはそれはフロドが指輪の重荷に耐えているからってガマンしてるんだよね。いい子だなぁ、サムは。

ゴラムはどうやら二重人格のようで、一人で善と悪に別れて話し合ってるんですよね。この辺りではフロドに優しくしてもらって、善の人格が勝ちそうになってるから、優しいゴラムになってくれると思ったんですけどねぇ…

フロドとサムは途中で、ボロミアの弟ファラミアデヴィットウェンハム率いる軍につかまっちゃうんですけど、ここでは事情を知らないファラミアにスパイだと疑われたり、死んだボロミアのことで責められたりして、彼らがたどってきた過酷な道のりを考えるとファラミアには腹が立ってしまいました。会った瞬間はボロミアの弟だからすごく手厚く彼らを扱ってくれると思ったのに。彼もやっぱりゴンドールのために指輪を利用すべきと、指輪ごと彼らをゴンドールへ拉致ろうとまでしたのにはビックリでしたね。ファラミアがそんな悪キャラだったとは。でも、ナズグルに襲われかけたフロドにサムが「悪いことばかり起こった世界が元に戻るわけはない。けど、そう思えても新しい日はやってくるのです」と言うのを聞いていて、心を開いてくれたようです。ここでのファラミアの心の変化は正直ちょっとよく経緯が分からないんですが、なにはともあれ、理解してくれて良かった。ここではファラミアの回想としてボロミアが登場するのが、ワタクシとしてはすごく嬉しかったですね。彼ら兄弟は仲良かったのに、父親がボロミアばかりを贔屓してファラミアが傷ついていたことなんかがその回想で示されます。でも、ボロミアはファラミアをかばって父親に話をしたりして、またまたお兄ちゃん優しい~ファラミアの軍に捕まっている時のゴラムはまた気持ち悪いったらないですよ。池のところで魚を捕ろうとしてるとこなんて、もう吐き気がしましたね。でも、ここでファラミアの軍の扱いが悪かったためにまたゴラムの悪い人格が登場しちゃうんですよね…ファラミアに悪気があったわけではないけど、これでまたフロドとサムの前途が多難になったんだよなぁ。もおーファラミアー

「2」の後半で、サムがフロドの冒険の話を将来、ホビット庄の子供たちが話して聞かせてとせがむんだろうなぁと想像しているとき、「もう一人の話を忘れているよ、サム。子供たちは言うさ、“勇者サムワイズギャムジーの話を聞かせてよ”ってね」とフロドが言ってくれます。フロドの旅はサムなしでは考えられません。ここでも、ワタクシ絶対泣いちゃうんですよね。サムはフロドを守るためだけに危険な道のりを共にしているわけです。その大好きなフロドにそう言われて、サムがどんなにか嬉しいだろうと想像するとどうしても泣けちゃうのです。二人ともすごくキレイなフロドはブルー、サムはグリーンの瞳をしていて、その瞳がきらきらと輝きながら話してる様子がなんとも愛おしいんです。

ここではまだよく分からないんだけど、ファラミアが「あんなところへフロドたちを案内する気か!」と言ってゴラムに向かって怒っていたキリスウンゴルへフロドたち3人が向かうところで「2」は終わります。また「3」へと不吉な予感…

さて、オークにさらわれたメリーとピピンですが、あとで自分たちを探してくれるであろう仲間がいることを信じてさらわれていく道中でエルフにもらったブローチをわざと落としていくのです。これも劇場公開版で伏線の場面がカットされていて残念なシーンのひとつ。メリーとピピンはオークどもがもめてる間に命からがら逃げ出し、森に逃げ込みます。彼らが森の中で出会うのが木の髭と言われるエントジョン=リスデイヴィス(そう。ギムリと同じ俳優さんが声を担当しているのです)木の番人とでも言うんでしょうかね。しかし、なんせ寿命の長い生き物なので、話が通るのが遅い遅い。最後にはこちらの味方になってアイゼンガルドのサルマンクリストファーリーをやっつけてくれるんですけど、それもピピンの気転の利いたやり方のおかげで、それがなければ、いつまで会議を続けていたことか…なんせ、「おはよう」を言い合うだけで一日中かかってしまうんですから。ワタクシはこのエントにほとほとイライラしてたんですが、最後のあの一掃作戦を見るといつも胸がすっとするので、エントは大好きなんです。

エントの水を飲むとメリーとピピンの背が伸びるのですが、これは映画版ではカットですね。背の低いホビットがちょっとの成長を争う姿が、ほのぼのしてていいんですよね~。まぁこれは話の大筋には関係ないのでワタクシはすごく好きなシーンですが、カットされても仕方ないシーンだったかもしれませんね。


ロードオブザリング スペシャルエクステンデッドエディション 後編

2007-02-09 | シネマ ら行
一行は態勢を立て直すためエルフの女王が住むロスロリアンへと向かいます。女王ガラドリエルはワタクシの大好きなケイトブランシェット。彼女ほど、神々しく、見るものに畏怖の念を抱かせるエルフの女王ガラドリエルにふさわしい女性がいるでしょうか?この作品は全体的にキャスティングが素晴らしいですが、中でもこのガラドリエルのキャスティングはこれ以上ないほどにパーフェクトです。(ミシェルファイファーとか、「ナルニア国物語」のティルダスウィントンとかジュリアンムーアとか、ぽい人はいるけど、やっぱり断然ケイトブランシェットよなぁ)

ロスロリアンで一行を出迎えたのはエルフのハルディアクレイグパーカー。初めは指輪を持ち込む一行をイヤがりますが、アラゴルンの説得に応えてガラドリエル様のもとへ案内してくれます。このハルディアが「2」ではかっこいいところをみせてくれるんですよね。

このエルフの女王、ガラドリエル様はいかにもエルフらしく、少し意地悪そうでもある孤高の精神を持っている。旅の仲間たちは、エルフと仲の悪いギムリでさえも、彼女にすべてを見透かされて畏怖の念を抱いた様子。そんな彼女とて、冥王の指輪には魅力を感じるよう。彼女がフロドの指輪を見たときに見せる表情、怖すぎます。こんなにも美しくてこんなにも怖い。でも、自らを指輪の誘惑にさらし、それに打ち勝った彼女はフロドに「もっとも小さき者でも世界を変えることができるのです」と勇気をくれる。そういう様々な面を持ったエルフならではの魔力をケイトブランシェットはまるで本当に持っているかのようです。

彼らがロスロリアンを発つときにガラドリエル様はそれぞれにお土産を用意してくれる。敵の目を欺くことができるエルフのマントを全員に羽織らせ、マルローンの葉をかたどったブローチで留めてくれました。そして、それぞれに合ったお土産を用意してくれたのですが、ギムリはエルフの女王になんて媚びないぞなぁんて初めは言っていたくせに、ガラドリエル様の美しさにすっかりやられてしまって、彼女の御髪を恐れながらもお願いし、女王様もそれに答えてくれるんですよねぇ。このときのケイトブランシェットの笑顔は格別です。そのことをあとで夢心地に話すギムリもまた可愛い。アラゴルンにはアルウェンのブローチ以上の贈り物はないと言ってくれますが、不死の命を捨てるかどうかの決断は彼女のものだという賢明なアドバイスも。サムはエルフのロープをもらうのだけど、原作では庭師の彼に、ロスロリアンの土もあげていて、きちんとそれを最後にホビット庄に帰ったときに庭の土として使うのです。どうして、こんな素敵なシーンを映画に入れなかったのかとても不思議。というか、そもそもその土のところだけじゃなくて、ガラドリエル様のお土産のシーンは劇場公開のときはカットされてるんですよねー。なんでやねん!ピータージャクソン監督って偉大だと思うけど、ここをカットしちゃったことだけは納得いかん。だってさ、ここをカットしちゃってるから、みんながロスロリアンを出たあとおそろいのマントをつけてることは注意深く見てないと分かんないし、マントもマルローンのブローチもこのあと重要なアイテムになっているのに、その前の伏線がばっさりないんだもんなぁ。

ロスロリアンを出て旅を続ける一行。ついにボロミアが指輪の誘惑に屈してしまうときが来る。ボロミアは王の血を引きながら先祖が犯した過ちのため血を呪い、隠れるようにして暮らしているアラゴルンと、王がいなくなったあと、ゴンドールの国をなんとか治めてきた執政である自分の一族のことを考えました。指輪はわれらが持つべきだ。ゴンドールに力を呼び戻し、その後、きちんと指輪を捨てに行けばいい。あぁ、ボロミア駄目だよぉぉぉ。これまで、ホビットたちを一番守ってあげてたのはボロミアじゃないかぁ。指輪の誘惑に負けないで。と思ったのもつかの間、ボロミアはフロドが一人になったときを見計らい指輪を奪おうと襲い掛かります。このときのボロミアがすごく悲しい。フロドに襲い掛かりながらもふと我に返り、フロドに泣いて謝罪するボロミア。人間ゆえの弱さと執政として国を治めるつらさを指輪につけこまれたボロミアが一層愛おしく思えます。ボロミアからからくも逃げ出したフロドが次に出会ったのは彼を探しに来たアラゴルン。誰も信じられなくなっていたフロドは後ずさり、指輪を彼に差し出して「あなたはこれを葬り去れるのか?」と聞きます。このときのアラゴルンが最高にかっこいい。一瞬、指輪に誘惑されたアラゴルンもフロドの前にひざまずき、フロドの手をゆっくりと閉じながら「できるなら最後まで君と行きたかった。」とこれ以上指輪の犠牲者を出さぬよう一人で行こうとしているフロドの心を察知して言うのです。あぁアラゴルン、あなたに一生お仕えしますという家臣が大勢いる王になるであろう人、という気がしてきます。

フロドを送り出した後、オークどもに襲われる一行に合流したアラゴルン。指輪の誘惑から立ち直ったボロミアもオークと戦っていました。ここで、またもや悲しい出来事が。フロドを襲ったことを懺悔するかのように、ホビットたちをかばうボロミア。たくさんのオークたちを相手に戦っている間に離れたところにいるウルク=ハイが放った矢がボロミアに当たってしまう…それでも、メリーとピピンをかばいながら戦い続けるボロミアに容赦ない矢の雨。その間にメリーとピピンもオークどもにさらわれてしまう。息絶えるまでオークと戦い続けた彼もついに最後のときを迎える。アラゴルンに抱かれ、あれだけ反目していた彼を王とついに認め、「My Brother, My Captain, My King」と彼に最高の賛辞を言いながら、息を引き取るボロミア。ボロミア好きのワタクシは何度見ても涙が止まらないシーン。

いよいよ、「1」の最後が近づいてくる。たった一人で旅を続けるため一人で川の向こう岸に渡ろうとするフロド。そのあとを追いかけるサム。泳げないくせに川に入っていくサム。フロドの船に助けられ、泣きべそをかきながらフロドに訴える。何があっても絶対に一人で行かせはしないと。ここでも、サムの気持ちを考えると涙が溢れてくるシーンです。おっちょこちょいだけど、フロドを想う気持ちは世界中の誰にも負けないサム。彼はこの物語を真に引っ張っていくキャラクター。この先もこのサムに何度も感動させられるのであります。

フロドとサムは指輪を捨てる旅へ。アラゴルン、レゴラス、ギムリはメリーとピピンを助ける旅へとそれぞれ駆け出していく後ろ姿を見送りながら物語は「二つの塔」へと続くのであります。

ロードオブザリング スペシャルエクステンデッドエディション 前編

2007-02-08 | シネマ ら行
いよいよやってきました「ロードオブザリング」祭り ってこれ、このブログのみの勝手な企画です。随分前に「映画バトン」の好きな映画5本中に選んだ「ロードオブザリング」シリーズ。しかし、これまで取り上げたことはなかったのです。なぜかと言うと、このブログを始めたときには映画館で見てからも、DVDを買って見てからも時間が経っていたから、大好きな作品だけにきちんと見直してから書きたかったんです。正月休みに3部作すべてを、しかもスペシャルエクステンデットエディションという監督が劇場版で泣く泣くカットした場面を加えたバージョンをにゃおと通しで鑑賞。208分、214分、250分の全部で11時間12分という超超大作。感動も新たにみなさまにお届けいたします。大好きな作品の感想ほど書きにくいのでうまく書けるかどうか分かりませんし、あまりにも長いので感想というよりも好きなシーンを並べて順番に紹介するって感じになってしまうかとは思います。しかもこの作品はマニアの方が多い作品で、ワタクシなぞマニアには程遠くかなりフィーリングだけで書いていくことになると思いますが、まぁとにもかくにも「ロードオブザリング」祭りの始まりで~す

1作目は「旅の仲間」ですが、邦題では公式には副題はついていないようです。ここは、これから始まる長い長い旅の導入部です。のんきで楽しいホビット庄から物語は始まりますが、ここでの明るい色彩、ホビットたちののんきな姿を目に焼き付けておきましょう。フロドバギンス(ボクちゃん体は小さいけど首だけは太いのよでおなじみの)イライジャウッドがビルボバギンスイアンホルムからサウロンの「ひとつの指輪」を受け取り、それを「滅びの山」に捨てに行く暗い暗い道中、あなたもあの牧歌的で美しいホビット庄、小さいホビットのおうち、食いしん坊のホビットたちをなつかしく思い出すことになるでしょうから。このホビット庄では彼らの友人である魔法使いガンダルフイアンマッケランと陽気なホビットコンビメリードミニクモナハンとピピンビリーボイドたち、そしてフロドの盟友で庭師のサムワイズギャムジーショーンアスティンが紹介されます。ここでメリーとピピンがいたずらするガンダルフのドラゴンの花火が圧巻。このいたずらがこの二人のキャラクターをうまく表現していますね。

フロド、サム、メリー、ピピンが旅の途中で出会うのがさすらいの人アラゴルンヴィゴモーテンセン。(別名をストライダーというのですが、原作では馳男(はせお)さんと訳されていてなんだかちとマヌケな感じがします)彼らの出会いのシーンもかわいい。アラゴルンが味方だと分からないホビットたちは手に手にそこらへんの棒切れやらを持って彼に襲いかかろうとします。小さいホビットが一所懸命フロドを守ろうとする姿がとても微笑ましい。この5人でいるときに一行は指輪を追うナズグルたちに襲われるのですが、ナズグルの登場シーンの映像と音楽が実に荘厳で美しい。そして、半分腐敗したような馬に乗っているナズグルも敵ながらもの凄くカッコよくて美しい。それだけに余計怖い。ナズグルがフロドが寝ていると思ってベットを刺すところなんて心臓バクバクもんです。アラゴルンが目を離したスキにフロドがナズグルに刺されちゃうしなぁ。アラゴルン、フロドから離れるんじゃないよぉ、まったく

傷を負ったフロドを助けてくれるのが美しいエルフの姫でアラゴルンの恋人アルウェンリヴタイラー。(彼女は出番はそう多くないのですが、少しふくよかな感じが柔らかい優しさをかもし出していて、この役によく合っています)彼女がフロドを父エルロンドヒューゴウィーヴィング(「マトリックス」のミスタースミス&「Vフォーヴェンデッタ」のVですね。あんまり、エルフ顔じゃないなぁ)の元へ連れて行ってくれるとき、追いかけてくるナズグルをエルフの魔法で追い払ってくれます。このときアルウェンが起こした水しぶきが白馬となってナズグルに襲い掛かる魔法の映像は鳥肌もので、このシリーズの中でもかなり上位ランクに入るワタクシお気に入りのシーンです。でも、この魔法の白馬がどっと押し寄せてきた時、その呪文を唱えたアルウェンも一瞬ビックリしたような顔をするのはなんでやろ?彼女自身もそこまで強い魔術が使えるとは思ってなかったんかな?

アルウェンの父エルロンドのところでようやく指輪のことが各種族の代表たちで話し合われます。ホビットたち4人、合流したガンダルフ、アラゴルン、人間の国ゴンドールのボロミアショーンビーン、エルフの闇の森の王子レゴラスオーランドブルーム、ドワーフのギムリジョン=リスデイヴィス、結局フロドが指輪を持ち、この9人が滅びの山目指して旅を始めることになる。(ピピンはなんのこっちゃよう分かってないけどとりあえず参加)ここでやっと本格的に「旅の仲間」の旅が始まる。ここに至るまで実に1時間半。前置きが異常に長い物語なんですよね。それに辟易する人も多いようです。

フロドが旅立つ前にビルボが餞別として、エルフの剣(sting、つらぬき丸)とミスリル(ドワーフの鎧)をくれるのですが、この時にもう一度指輪を触らせてくれとねだるんです。そのときの彼は一瞬怪物のような顔になります。普段穏やかなビルボだけに見ているこっちもビックリですが、あとから考えるとこのときはまだ指輪の魔力の怖さをフロドは十分に気づいていなかったということになるでしょう。

ここからは吹雪の山を登り、ドワーフの谷モリアを抜ける道へと一行は向かいます。この道中でエルフとドワーフがいがみ合っていることや、ボロミアがホビットを小さい人たちと言って可愛がり、剣のてほどきなどもしてやっている姿が描かれます。しかし、ボロミアにはもう一つの顔があり、人間の国ゴンドールのために指輪を利用しようとしているのです。彼らの旅はのっけから困難だらけですが、モリアでは大勢のオーク、トロル、火の怪物バルログが現れます。このバルログから逃げるとき、ボロミアがホビットたちを守ってあげ、彼らが飛べないところはボロミアからアラゴルンへとホビットのパスが飛ぶ。ここでホビットよりは大きいが人間より体の小さい、誇り高きドワーフのギムリがひとこと。「俺のことは投げるなよ」ギムリはこの旅を通してずっとお調子者のピピンと並んで笑いのパートを引き受けているのです。頑固だけど、愛嬌のある愛すべきドワーフなのです。このバルログに立ち向かったガンダルフは谷底へと落ちていってしまいます。「(わしを待たずに)行け、愚か者たちよ」と言って落ちて行くガンダルフ。打ちひしがれる一行。「ウソ…ガンダルフがここで死んじゃうなんてありえない。この先どうすればいいんだよ、ガンダルフぅぅぅ」ってホビットと一緒に泣いちゃいました。オークの追撃を考え、先を急ごうとするアラゴルンにまたまた、ボロミアが「(悲しんでいる)彼らを休ませてやれよ」と優しさを見せます。ここもジーンと来るシーン。

ウィンブルドン

2007-02-07 | シネマ あ行
これはもの凄いベタなラブコメディですね。そんなベタなラブコメにキルステンダンストポールベタニーが出演するなんてなんだか意外。キルステンダンストって色んなタイプの作品に出てるけど、ここまでストレートなラブコメってなかったような気がするし、ポールベタニーはファンの人には悪いけど、恋愛ものの主役はるような顔ではとても、、、って感じですよね。いや、ワタクシは好きですけど、どっちかって言えばちょっと怖い顔つきですもんね。ラブコメって基本的に主人公を演じる俳優が嫌いだとちょっと入り込みにくいので、この二人が嫌いな人はバカバカしくて見てられないかも。

ポールベタニーはベテランのテニス選手ピーターでもう落ち目で引退を考えてるっていう役で年齢的にも合ってますし、ちょっと情けない感じのひょろさ加減と表情もぴったりです。かたや、キルステンのほうは、とどまることを知らない勢いで世界ランキングを赤丸上昇中の新人テニスプレーヤーリジーを演じます。この正反対の二人の恋愛模様が軽いタッチで描かれるのです。

この二人、置かれている状況も正反対なら、性格もかなり反対。ポールはテニスよりも友情や家族が大事。おうちも結構金持ちですが、それを鼻にかけるようなところはまったく、ハングリー精神に欠け、根っからのポケッとしたおぼっちゃんタイプ。リジーは教育パパにテニスの英才教育を受け、人の気持ちなんか踏み倒しても試合に勝つことが大事。そして、その英才教育のせいでちょっと屈折していて、教育パパへの反抗のために、簡単に男と寝てしまうというちょっとアダルトチルドレン気味な女の子。

この二人の対照的なところは衣装にも表れていますね。ピーターはイギリスのお堅い感じのフレッドペリー。リジーは今どきな感じのプーマのユニフォームを着ています。

さてこの二人ですが、リジーの軽さゆえ、二人は出会って速攻でそういう関係になります。二人ともウィンブルドンというテニス界でもっとも大切なトーナメントの真っ最中だから、「(おつきあいは)軽くね」と言いつつ、どちらともなく夢中になり、、、

そして、互いに夢中になればなるほど、ポールは成績があがるのに、リジーのテニスは乱れていく。(恋をするとファーストサーブが乱れるらしい)テニスが乱れたことによってパパにも恋愛中ということがすっかりバレて、当然猛反対に合うし、マスコミは騒ぐし。さて、どうなるこの二人?っていう典型的な展開。

リジーの尻の軽さを父への反抗ゆえと分析したワタクシは彼女に対してイヤな感情を抱かなかったけど、違う捉え方をした人には彼女の好感度は低いかも。父親に反対されても「大人なんだから自分で決めろよ」という部分をもうちょっと掘り下げてくれれば最高の作品になったかなという思いがありつつも、リジーのキュートで頑固なところとポールの誠実でストレートなところが可愛くて、見る前はこの二人の組み合わせはありえないカップリングと思っていたのに、ラストシーンではもの凄くお似合いに見えました。こういう単純なラブコメ好きなんですよ~

リジーがちょっとした会話でもすぐに下ネタのダブルミーニングを持った言葉を言ったりするのが、彼女のあけっぴろげな性格をさりげなく表していたり、ポールのエージェントジョンファブローが実はいい人だったり、(ウィンブルドンでの決勝戦のときの彼が最高)ポールのパパバーナードヒルとママのケンカや仲直りも可愛らしく描かれていて好きだなぁ。スポーツを世界レベルでやってる人からしたら、こんな大きな大会の最中にふざけんなって言うかもしれんけど、その辺はご愛嬌。まぁ、固いことは言わんといたって下さいな。

オマケ1テニスのファンには嬉しいサービスとして元一流テニスプレーヤーのクリスエバートとジョンマッケンローがアナウンサーと解説者として登場していますね。でも、この二人ってこういうのに出るのが好きなんかな。よくカメオ出演とかしてますね。

オマケ2ワタクシは昔、シュテフィグラフのファンでずっとテニスを深夜に起きて見ていた時代がありました。彼女は打つときにまったく声を出さずにクールに試合をする選手で今でも史上最高のタイトルをたくさん持っています。今は、特に好きな選手はいなくってテニス観戦からも遠ざかっていますが、この映画を見たらなんだかまたテニスが見たくなりました。(この映画のテニスシーンはへちょいんですけどね

オマケ3そんなわけで、ちょっとテニス界のこともいっとき詳しかったんですが、ウィンブルドンって世界4大大会の中でももっとも伝統と格式を重んじる大会で、出場選手は白のユニフォームしか着ちゃいけないんですよね。(この映画の中の選手のユニフォームに注目してみてください。)観客も格式を重んじていて、この映画であるようにあんなふうに大声で叫んだり、みんなで選手の名前をコールしたりってことはワタクシが知る限りでは考えられないです。だから、この映画をウィンブルドン側が協力してセンターコートまで貸してくれたというのは少し驚きです。

アドルフの画集

2007-02-05 | シネマ あ行
1918年第一次世界大戦後のミュンヘン。裕福な家の出のユダヤ人マックスロスマンジョンキューザックは戦争で片腕を失いながらも画商として成功しつつある。そんな彼が出会った画家志望の青年アドルフヒトラーノアテイラー。彼は戦争から戻り、苦しい生活を強いられていた。マックスはそんなヒトラーに同情し、いい絵が書けたらうちで売ってやると言う。ヒトラーは絵を描きながらも生活を保障してくれる軍隊で生活をし、彼らのプロパガンダを広めるため集会で反ユダヤの演説などをしていた。マックスはヒトラーに軍隊での演説なんかよりも絵に専念するように叱咤激励するのだが…

これはもちろん史実に基づいた話ではなく、ヒトラーが画家を目指していたことをヒントに作られたフィクションなのであるが、物語としてとてもよく出来ている。こういう物語を作ると、どうしてもヒトラーを肯定的に受け止めていると批判が出がちだが、この物語がヒトラーが行った反ユダヤ政策の肯定につながるとはワタクシには思えない。

ただ、一人の人間の人生として考えたときに、「もしあのときこうだったら」という考えはたとえそう考えることが無駄だと分かっていても必ず存在する。それはたとえヒトラーでも同じこと。ヒトラーがもし画家として成功していたら。その「もし」から逆に考えを広げていって作られたのがこのお話である。

裕福なユダヤ人マックスとみすぼらしいヒトラーを対比させてこの物語は進む。反ユダヤの思想はこの時点ですでに浸透しているし、ヒトラーの中にも十分芽生えていたものだが、まだこの時点ならば、いかようにも転ぶことができたであろう歴史。マックスとヒトラーの間で揺れ動くこの先のユダヤ人の運命。本人たちの気づかないうちにユダヤ人の運命が彼らによって綱引きされているようだ。この映画の中でマックスがどういう行動を取ろうと、実際に殺された何百万人の命が帰るわけではないというのは当たり前なのだけど、見ている間は思わず、「マックス、頑張れ。あなたの言動ひとつで彼を、そしてたくさんのユダヤ人を救えるんだ」と思って、ついつい手に汗握ってしまう。

ついに、ヒトラーの非常に素晴らしい絵が出来上がり(それは彼の第三帝国の思想から生まれたものではあったが)個展をさせてやると息巻くマックス。もうこの演説が最後だと軍に別れを告げカフェでマックスを待つヒトラー。

もしもあのとき…このラストに胸が詰まる。

若き日のヒトラーを演じるノアテイラーが似てるとも似ていないとも分からないけど、独特の雰囲気をかもし出していて、危うい不気味さと繊細さのようなものをうまく表現していたし、映像に表れる終末観やマックスが発表するアートなどもなかなかの見ものである。

ドリームガールズ

2007-02-02 | シネマ た行
そんなに興味はなかったんですが、ゴルーデングローブの作品賞(ミュージカル・コメディ部門)、助演男優、助演女優賞を取ったということで、むくむくと興味が湧いてきたところへラッキーなことに試写状が届いたので行ってまいりました。

この作品が舞台ミュージカルの映画化というのは知っていたんですが、シンガーたちがライブで歌う場面以外はセリフのみなのかなと勝手に思っていんです。でも、それはワタクシの勝手な思い込みでした。シンガーが舞台で歌う歌に加えて、セリフの途中でいきなり歌いだしたりとか、ダンサーが登場してその後ろで踊ったりとかっていう典型的なミュージカルでした。それでも、登場する人たちがほとんどシンガーか作曲家という設定なので、歌い始めてもあのミュージカル特有の違和感は少なかったですね。

背景は1960年代のモータウンサウンドの黎明期から全盛期へ向かう音楽シーン。この「ザ・ドリームズ」は「ダイアナロスとシュープリームス」がモデルとなっているらしく、ビヨンセノウルズもかなりダイアナロスを意識していたと思う。ビヨンセは歌手としても女優としても特に好きというわけではないけど、やはり歌はすごくうまいし、美人だなぁと改めて感じた。彼女は白人っぽくしてるよりもこんなふうに黒髪にしてるほうがキレイだと思うんだけどなぁ。彼女が出ている映画は「オースティンパワーズ」しか見たことがないから、添え物的な役しかしないorできないのかなと思っていたら、結構がんばっていたと思う。彼女の歌がからまない作品も見てみたいと思った。

ゴールデングローブの助演男優と助演女優はエディマーフィジェニファーハドソンが受賞したが、確かに二人とも素晴らしかったと思う。エディマーフィはコメディアンだけど、歌もうまくて最近目立った活躍がなかっただけに嬉しかった。こういうコメディアンの人たちってたいがい歌とかもうまいですね。ジェニファーハドソンはアメリカの「アメリカンアイドル」という新人発掘番組から出てきた子らしいけど、彼女は役の上でビヨンセよりも歌がうまいという設定だったけど、実際彼女の声はとてもパワフルでビヨンセよりもうまいという設定にまったく無理がなかった。そして、歌だけではなくて新人なのに演技も非常にうまかったと思う。彼女が歌う「One Night Only」とビヨンセが歌うバージョンのどちらも良くて気に入りました。

今回、賞は取っていないけど、ジェイミーフォックス「Ray」のような変身演技ではないのに、まるで別人のようで成功するためには手段を選ばない男を巧みに演技じていた。

お話はミュージカルというジャンルの中でもかなりしっかりしていると思う。モータウンサウンドが黒人だけの音楽からテレビの普及と共に世界的なものへ広がっていく様子、成功の陰で傷つく者、初心を忘れて成功に溺れる者などがきちんと描かれていて、その合間にシンガーのパフォーマンスが随所にちりばめられていて飽きさせることなく2時間10分魅せてくれる。映画の中で、ローカルラジオの黒人局でしか流れなかった曲をメジャー局に流すというシーンがあるが、この映画も同じように黒人コミュニティばかりが見る黒人映画ではなく、多くの世界の人が見る黒人映画と言えるだろう。

オマケワタクシは映画でミュージカルを見ていていつも思うのですが、セリフから突然歌いだすとき、いきなり別で録った音源に口を合わせているようになるでしょ?あれが嫌いなんですよね。たとえ、歌に入ってもセリフと同じような音で歌ってくれたらもっと自然に感じるのにな。