シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

エディットピアフ~愛の賛歌

2011-01-27 | シネマ あ行
これも随分前にケーブルテレビで放映していたのですが、長い間ハードディスクに入ったまま放置していました。

マリオンコティアールをちゃんと認識して見たのって「パブリックエネミーズ」だったと思います。「TAXi」シリーズはずっと見てたし「ビッグフィッシュ」も見たけど、全然彼女のことは意識して見てなかったので。「パブリックエネミーズ」を見たときにはすでに「エディットピアフ」でアカデミー賞を受賞した子って分かってた時期だったのかな。「パブリックエネミーズ」は作品自体あまり好きじゃないのもあって、全然魅力的と思わなかったのですが、その後の「NINE」「インセプション」と続いて、さすがアカデミー賞取っただけある女優さんだと感じました。そして、やっとその受賞作品を見ることに。

エディットピアフという人は、ワタクシが生まれるずっと前に亡くなっているからよく知らないけど、なぜか「ピアフ」というのが「スズメ」という意味から取られたということだけは知っていた。あ、あともちろん彼女の歌声と数々の名曲は。彼女の歌声については“知っている”とまでは言えなくても、小耳にはさんだことさえないという人はほぼ皆無と言っても過言ではないのではないでしょうか。

さて、このピアフさん、結構苦労しはったんですねぇ。母親にほぼ捨てられ、父親は仕事の関係で祖母の経営する売春宿においてけぼり。そこでは売春婦たちに優しくされたようですが、失明の危機に陥ったり。父親が迎えに来たら無理やり優しかった売春婦たちとも引き離され、大道芸人である父親と一緒に街に出て歌い。彼女の才能はそこで花開くんですね。

本当の彼女がどんな人だったのか分かりませんが、この作品で見る限り、なんだか自由奔放な人だったようで。自由奔放というのも良い意味なら良いんでしょうけど、彼女の場合、なんかわがままが目立ってましたね。あれだけの才能があったからあのわがままが許されたんだか、あれだけの才能があったから誰にも注意されず、わがままが助長されたのか。それだけじゃなくて、2歳のわが子を病気で亡くしたり、殺人の疑いをかけられたり、交通事故に遭ったり、不倫したり、本当に波乱万丈な人生だったようです。

40いくつのはずの彼女が、どうしてあんな老婆のような歩き方をするのか途中分からなかったんですが、リウマチを患っていたんですね。そのせいでモルヒネ中毒にもなってしまって。なんだか随分かわいそうな人生だったんだなと思いました。その分歌にかける想いというものがすごかったのかもしれません。

映画の作り自体に関しては、時間軸がいじってあって、それがあんまり効果的ではないいじり方のような気がしました。話があっちへ行ったりこっちへ行ったりちょっと分かりにくかった。時間軸がいじられている作品というのはワタクシは結構好きなほうなんですが、この作品に関してはちょっと分かりにくさが目立ってしまいました。なんか腰の据わりが悪いというか、こっちが彼女を理解しようとしているのに、どんどんおいてけぼりをくらう感じがイヤでした。

マルセルセルダンジャン=ピエールマルタンスとの恋愛もなんか唐突に始まって唐突に終わったような感じで。彼女には他にもたくさんロマンスがあったようですね。多分彼女の人生を知っている人にとってはこの作品は彼女の人生のダイジェスト版という感じだったのかも。

やはりでも、この映画が素晴らしいと思えるのはマリオンコティアールの熱演のおかげですね。実際のピアフの映像を見ると、ちょっと本人よりも崩し過ぎじゃないの?と思えるほどの不細工さで。歌は残念ながら、ピアフ本人の吹き替えだったらしいですね。吹き替えでアカデミー賞取っちゃうなんて、やっぱりあの演技の素晴らしさが認められたということですね。



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未来を写した子どもたち

2011-01-26 | シネマ ま行

イギリス出身の女性カメラマン・ザナブリスキは、インドのカルカッタにある売春窟で生まれ育った子供たちに写真を教えていた。売春婦の取材に行き、その子供たちに写真を教えるようになったらしい。

売春窟に生まれた子供たちは、ほぼ全員が学校には行っていない状態だ。母親は売春婦で、父親はだいたいの場合いないか、いても麻薬中毒か、ポンビキかってところ。子供たちは、写真を学んでいるときとても生き生きしている。日本にいると忘れがちだが、子供というものはきっと何でも学びたいという欲求があるのだろう。ほとんどの場合、家の手伝いをさせられるか外で何かの労働力にされている子供たちにとって、「学ぶ」ということは何物にも代えがたい貴重な経験なんだろう。それに、ここの子供たちにとって、写真を学んでいる時間というのは、「現実逃避」できる時間でもあるのだ。

この売春窟では、代々売春が行われているようだ。つまり、女の子は近い将来(おそらくローティーンから)売春婦になることを決定づけられているし、男の子にしても、それこそポンビキになるか、まぁまともな職に就けることはないだろう。途中ちょっと分からなかったのは、とある女の子の家は代々売春婦なんだけど、カースト制度の上位にいるって言ってたんですよねー。それでも、代々続く家業は売春っていうのがすごく不思議なんですけど、それ以上の説明が映画の中ではなかったので、謎のままです。

子供たちの中には本当に才能を発揮して、素晴らしい写真を撮る子も出てきたりするんですよね。それで、海外に行くチャンスがあったりもしますけど、なかなか彼らが今の生活を抜け出すってとこまではいかない。

ザナブリスキさんは、写真を教えるだけではなくて、彼らを学校に通わせてあげようと奔走します。出生証明書やら、身分証明書やらを集めるのに苦労し、反対する親を説得し、売春窟の子供たちを受け入れてくれる学校を探し、HIV検査も受けさせ、やっと何名か学校の寮に入れることができたけど、そのうちのほとんどが途中で自分たちの家に帰ってきてしまった。事情はそれぞれだけど。親も反対する人と子供は学校に行かせて、この生活から抜け出させたいと思っている人に分かれていましたね。他人のザナブリスキさんがどれだけ懸命になっても、やっぱり当事者たちにそのつもりがないとどうしようもないんですよね。もちろん、ザナブリスキさん始め多くの方がいまも活動を続けて、救われた子供たちは増えているんでしょう。

どこの国のどんな状況に生れ落ちるかを子供たちは選べないんですよね。よく「子供は親を選んで生まれてくる」なんていうスピリチュアルな考え方がありますけど、あんなの、幸せボケした人たちの話だと思います。世界中にはこんなところに生まれてきたくなかったと思っている(もしくは、本人は情報が少なすぎてそれに気づいてさえいない)子供たちがゴマンといるのだと思います。子供に売春させるような親を選ぶ子供がどこにいると思いますか?(もちろん、その親にもそういう状況になった責任がない場合もあると思いますが)それでも、子供たちは親を恨んでなんていないんですね。子供というものはそういうものなのでしょう。

彼らが大人になるとき、この現実が少しでも改善されているといいのですが。

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アメリカばんざい~crazy as usual

2011-01-25 | シネマ あ行

この映画、日本人ももちろんだけど、それよりアメリカ人が見るべきでは???これは2008年製作の作品で、それ以前のアメリカを追ったドキュメンタリーなので、示される数字などはたったいまの状態とは異なるが、2009年にオバマが大統領になったとは言え、状況としてはそう大差ないと考えて良いだろう。

家が貧乏だったため、職業訓練のためにと入隊した男性。彼は軍に入り、軍がリクルートするときに使う「様々な職業訓練が受けられて除隊後は就職に困らない」とか「大学に行くために奨学金を得られる」とかいう文句は嘘っぱちだということに気付き、それプラス、戦争に行くことは人を殺すことということに気付き、イラクに派遣前に軍から逃げ、軍法会議にかけられ刑期を終えた後、現役の軍人の悩み相談や、高校生に軍の実態を教えてまわるNPO法人で活動している。

軍の志願受付所の前に陣取って「close」のサインを掲げているおばあちゃんたち。彼女たちは何回逮捕されてもこの場所に帰ってくる。

イラク戦争から帰って、PTSDを負ってしまった男性。アメリカに戻ってからも外出したときはいつも警戒しないではいられない。学生のころの生き生きした写真を見つめ、母親は涙を流す。

イラク戦争で息子を亡くした母親。平和を訴えるデモに参加する。

イラク戦争の劣化ウラン弾で被爆した兵士。全身の骨がぼろぼろで様々な健康障害を負い、毎日10種類近くもの薬を飲んでもベッドから起き上がれない日がある。

軍の施設の近くの町ではたくさんの住民がガンや白血病に苦しんでいる。

ホームレスの支援をしているボランティア団体。ホームレスの3分の一は帰還兵だと言う。仕事に就けず、普通の生活になじめず、最終的にはアルコールやドラッグの力を借りることになる。

海兵隊のブートキャンプ。若い男女がこれから厳しい訓練によって洗脳される。

戦争から帰ってきた兵士や、戦争に行った息子や娘を亡くした親御さんに、本当に本当にこういう言い方をしては申し訳ないということは分かっているんだけど、アメリカ人が戦場はこんなにひどかった、あんなにひどかったというふうに言っているのを聞くと「あなたたち、温泉旅行でも行くつもりでイラクに行ったの?」という気持ちになる。ひどい言い回しだってことは分かってるんだけど、なんかね、、、あんなに戦争をしている国なのに、“戦争”がなんなのか、もしかして知らないの?という気持ちになってしまうのだ。いや、もちろんワタクシだって戦争を知らない。実体験していないのに、エラそうに言うなと言われても仕方ないけど、それでも少なくとも、戦争なんてひどいもんだってことくらいは知っている。人を殺し合って、爆弾が落ちたら内臓が飛び散って。たいがいの日本人はおじいちゃん、おばあちゃんから聞いたり、テレビで見たりした実体験の話だけで十分に「戦争なんてイヤだ」って気持ちになってると思う。そこがアメリカは決定的に違う。戦争に行くのは英雄的な行為で、戦争そのものだって正義の行為なのだ。それがアメリカのプロパガンダ。それが、「もしかしたら間違っているのかも」とやっとこさ、思い始めたのがこの作品に登場する人々。

期せずして、先日の「ヒバクシャ」と重なるような内容があった。劣化ウランとアメリカ国内の核施設の問題だ。どうやら「ヒバクシャ」で紹介されていたハンフォードだけではないらしい。

「グラントリノ」の映画評にも書いたが、アメリカという国には常にどの時代にも「帰還兵」が存在する。戦争をすることでこの大きな国を運営しているようなものだ。帰還兵のPTSDなんて、ベトナム戦争のころからずっと言っていたと思うんだけど、アメリカ国内ではそんな報道はされていないの?何度同じことを繰り返せば気が済むんだろう。

それでも、軍隊に志願する子供たちがいる。彼らは軍隊に入らなければ、食べていけない。大学にも行けない。だから、軍隊に入ることを選ぶのだ。アメリカでは、使命感に燃えた若者たちがじゃんじゃん志願してくると思ったら大間違い。金持ちの子は軍隊に志願なんてしない。「志願兵」がまるで「愛国者の鑑」のように思う人も多いだろうけど、実際にはそれも嘘っぱちだ。それなら、政治家の子供は全員志願させればいい。

しかし、日本にも「核が抑止力として存在するのは仕方がない」って言ったり、他国に武器を売れるようにしようとか画策する政治家がうようよいて本当にイヤになる。彼らはこの作品を見るべきだね。いや、奴らはこの作品を見たってはなから一般庶民のことなんてどうでもいいから関係ないか。

「ヤギと男と男と壁と」の記事のところで、「アメリカにヒッピー以外の平和主義者はいないの?」なんて失礼なことを書いてしまったけど、今回この作品でたくさんヒッピー以外の平和主義者のアメリカ人の姿を見ることができた。「愛国主義」の国でこのような声を挙げるのは非常に勇気がいることだろう。彼らに憲法九条をどう感じるか率直に聞いてみたいと思った。

オマケ非常に小さな映画館での上映で観客も10人いるかいないかくらいのところだったのですが、撮影・編集をされた栗原良介さんが来られていた。とても気さくに「なんでも質問してください」と言ってくださり、見終わったあと山ほど聞きたいことがあったのですが、一人のおじさんに捕まって色々質問されていたようでしたので、話をせずに帰りました。残念…


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デューデート~出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断

2011-01-24 | シネマ た行
「ハングオーバー」のトッドフィリップス監督があのザックガリフィアナスとまたおんなじような映画を撮ったっていうので、見に行って来ました。ロバートダウニーJr.も出てるし。

今回は、(って別に「ハングオーバー」とは関係ないんですが)空港でたまたま出会ったピーター(ダウニーJr.)とイーサン(ガリフィナーキス)がひょんなことから車でアメリカを横断することになっちゃうというロードムービー。

ってか、あんなことで飛行機搭乗拒否リストにまで載るか?ってまぁ、この映画に「現実には」なんて持ち込んで考えてたら全然面白くないので、そういうことは一切考えないようにしましょう。

ピーターは5日後に迫った妻ミシェルモナハンの出産に間に合うようにLAに帰らなければならず、イーサンはLAでエージェントと約束をしていた。

このイーサンという男がちょっとイカレてる。これは「ハングオーバー」のアランと同じなんだけど、イーサンのイカレっぷりとアランのイカレっぷりってなんかちょっと微妙に違った。何がどう違うって説明できませんが…

今回の話は2人きりなので、「ハングオーバー」ほど話の広がりがなく、しかもイーサンだけがおかしいんじゃなくて、ピーターもちょっとキレやすい人で、なんかもうメチャクチャ。そりゃイーサンみたいな人と一緒にいたらキレる気持ちも分かるけどね。もうちょっと普段から冷静沈着で怒ったこともないような人がイーサンのおかげで爆発するっていう設定のほうが面白かったんじゃないかなと思うけどな。ロバートダウニーJr.だから、いつかキレそうな気配があるしな。次から次に色んなことが起こるんだけど、なんせ2人なのでちょっと手詰まり気味になっちゃう感じがあったな。2匹目のどじょう感ありありでしたな。どうせなら途中からダリルジェイミーフォックスも一緒に乗せて3人になったほうが広がりがあったかも。

ドラッグやってぶっ飛んじゃうとことかは「ハングオーバー」とパターンが同じだね。ただ、今回はそれでメキシコ国境渡っちゃうから事態は深刻。それでも、イーサンのイカレパワーで乗り切ってしまうのですが。あそこでピーターは「なんてことしてくれるんだ!」って怒るのかと思いきや、「君は僕のヒーローだ」とかって感動しちゃってましたけど、あれってまだラリってたんでしょうか。

ピーターが銀行でキレた相手が、イラク戦争の帰還兵でカウンターの向こうで分からなかったけど、実は車いすに乗ってる障がい者で、そいつに滅多打ちにされるっていうシーンがかなりブラックで、大丈夫か?と心配になったけど、この作品からブラックさを抜いたら何も残らないのかも。亡くなったイーサンのお父さんの遺灰もさんざんブラックネタに使われていましたし。なんせコーヒーと間違えられて飲まれてるしねってか、コーヒー缶に入れるからやねんけど。最後、グランドキャニオンから遺灰を撒くとき、ふわーっとちゃんと撒くんじゃなくて、缶ごとびゅいーーーんって投げたら面白かったのになぁ。それか、「ビッグリボウスキ」みたいにぶわーって顔に遺灰がかかるのかと思ってた。結局あれはお父さんの遺灰ってのはウソっていうオチかと思ってたんだけど、それはなかったですね。

関係ないと言いつつ、ついつい比べてしまって申し訳ないんだけど、「ハングオーバー」のほうは、バチェラーパーティという設定だったので、そのはじけっぷりに可愛さもあって良かったと思います。今回のはやはり先に書いたように2匹のどじょう感は否めませんが、「ハングオーバー2」も製作されるということですので、本家の(?)2匹のどじょうがどんなふうか楽しみにしています。

オマケあんなところにひさびさにジュリエットルイスが登場したので、ビックリしました。なんかあれって彼女の素っぽいような…


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ソーシャルネットワーク

2011-01-21 | シネマ さ行

ゴールデングローブ賞のドラマ部門で作品賞、監督賞、脚本賞、作曲賞を受賞しましたね。

ワタクシはfacebookをしていないし、SNS全般に興味がなくてmixiにも入ったことないんだけど、監督はデヴィットフィンチャーだし、アメリカで公開されたときから話題になっていたので、興味があって見に行ってきました。ただ、これ自体はおそらくかなりのフィクションなんだろうから、事実はこの際無視して映画のことだけを書きます。

映画の冒頭(のちにfacebookの生みの親となる)マークザッカーバーグジェシーアイゼンバーグとその彼女エリカルーニーマーラがパブで話している。マークは異常に早口でエリカもなんとかその早口についていっているけど、どうも会話が噛みあわない。「ん?なんか変な奴」と思っているとエリカも我慢できなくなったようで、「あなたとはもうこれきりよ」と言うがマークはしつこく食い下がる。“これきりにしないで”とお願いしている立場にしてはなんだか上から目線。「なんかムカつくな、コイツ」

映画の主人公の第一印象が「ムカつく」なんて、ほぼありえない。あったとしても、それはイヤな奴がイイ奴になるよっていうストーリーの場合でこっちもそれを分かって見ているパターンのやつなんですが、この作品の場合は違う。マークはとにかく物語の間中ずっとムカつく奴だった。

エリカに振られた腹いせにマークはブログにエリカの悪口を書き連ね、その勢いでハーバード大の名鑑にハックして、ファイスマッシュという女の子の写真を並べどっちかhotかと投票させるサイトをぶち上げる。それはたちまち学生の間で話題になり、なんとハーバード大のサーバーがパンク。

映画が始まってからここまでの勢いがすごい。観客はここまでで一気にこの話に引き込まれてしまう。フェイスマッシュについては下品な発想なんだけど、女子は「げーっ」っていうリアクションで、男子は必死で「右!」「左!」と言い合っているのがなんだか可笑しかった。

実際に訴訟は和解に至っているわけだから、もう終わったこととして考えないといけないんだろうけど、どう考えてもやっぱりマークはfacebookのアイデアをパクってるよね。確かにあの双子キャメロン&タイラーウィンクルボスアーミーハマーがSNSというものを考え出したわけでもなんでもないけど、彼らにその話をもちかけられたから、マークはfacebookを作れたんだよね。それを彼らの依頼を引き受けたふりして、裏でfacebook作っちゃったのはやっぱりマズかったんでない?(ところで、あの双子ってアーミーハマーが一人で演じていたんですよね。本物の双子みたい。やっぱ現代の映像の技術ってすごいですね)

あの双子の場合は、まぁあれだけ成功すればそれに群がる人たちもいるよねーという感じがしないでもないんですが、当初マークに出資を頼まれたエドゥアルドサベリンアンドリューガーフィールドに関しては、かなりかわいそうだったな。マークはエドゥアルドを金ヅルとしか思ってないのか?というふしがあって、エドゥアルドの気持ちなんてまるで考えてないですね。マークのことを本当に友達だと思ってくれていたのはエドゥアルドぐらいなのにね。エドゥアルドはグルーピーとしてついてきたクリスティブレンダソングをちゃんと彼女として付き合っていたし、良い子だったのになぁ。エドゥアルドも甘かったとは言え学生同士であんな裏切り方するなんてひどい。

マークが信奉しているナップスターを開発したショーンパーカーをジャスティンティンバーレイクが演じているんですが、彼ってもう少しハンサムだと思っていたんだけど、なんかヘンテコな顔だった。ショーンパーカーもかなりムカつく男として描かれているんですけど、見ていてすごくムカついたので、ジャスティンもなかなかに演技がうまいってことですかね。

まぁ何と言っても「世界はオタクが回している」んですなぁ。マークのあの早口のしゃべり方には辟易してしまったけど、まったくオタクって万国共通なところがある。その言語が分からなくてもしゃべり方とか仕草とかどうしてあんなに共通しているんでしょうか?それを思うとジェシーアイゼンバーグの演技ってすごいなぁ。

結局、全世界5億人をつないだfacebookの創設者にはただの一人も友達がいないっていう皮肉なお話だったわけですが、実生活でたくさん友達がいて楽しくやってる人なら、誰かとネットでつながろうなんて思わないのかもしれません。ショーンパーカーに言われた通りに名刺に"I'm CEO, Bitch."って書いちゃうところとか、最後にエリカに友達登録を依頼して返事を必死で待ってるとこなんて"How pathetic!"(痛ましいというか、情けないというか…)と思っちゃいましたけど、そういう彼だからこそ作れたのがfacebookだったのかも。

デヴィットフィンチャーがマークをアスペルガーのボーダーという感じで描いたと言っていたらしく、それを聞いてちょっと納得がいきました。彼の友達や訴訟に対する態度はどう考えても少し変だもの。(アスペルガーを“変”と表現するのは差別的に捉えられるかもしれませんが、そういう事情を知らなければやはり周囲は“少し変”と感じるのがアスペルガーの特徴でもあるかと思います)

デヴィットフィンチャーって「セブン」以外は「ファイトクラブ」とか「ゾディアック」とか「ベンジャミンバトン」とかまぁ好きだけど、メチャクチャ良いわけでもないっていう映画が多かったんですが、今回の作品はものすごくテンポがいいし、時間軸をいじってあるのにとてもスマートに進行して、観客をまったく飽きさせず、まさにマークがfacebookに求めていた“クール”な作品で、素晴らしかったです。アカデミー監督賞も取っちゃうかな?

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愛する人

2011-01-20 | シネマ あ行

見ている間中、じわじわと涙が流れて仕方がなかった。こういうの、弱いんですよねー。特に14歳で妊娠し、娘が産まれた直後にすぐ養子に出さざるをえなかったカレンアネットベニングの痛々しい姿に、前半から彼女が何をしていてもうるうるきてしまった。カレンは37年経っても1秒たりとも娘のことを忘れたことはなく、毎日日記のように娘への出さない手紙を書き、渡せない誕生日プレゼントを買う。そんなカレンの生活を映画の冒頭数分で見えてしまうロドリゴガルシア監督の手腕はすごい。ちなみに製作総指揮は、アレハンドロゴンザレスイニャリトゥ。あーもうワタクシただただ、“アレハンドロゴンザレスイニャリトゥ”って書きたいだけでした。失礼。

物語は3方向から進んでいく。前述のカレン。そして、その娘で37歳になるエリザベスナオミワッツ。彼女は自分が里子に出されたことで深く傷ついた人生を送っていることが分かる。いや、彼女は非常に優秀な弁護士で、一見すると順風満帆な人生を送っているように見えるのだけど、実は他人の家庭をわざと壊してみたり、すぐに上司サミュエルL.ジャクソンと愛人関係になってみたり、住むところを転々としたりして他者と深くかかわることを避けて暮らしていることが分かる。おそらく彼女は他者とかかわることで傷つくことを避けている。「もう二度と傷つきたくないの」そう言いながら日々を暮らしているかのようだ。それでも、エリザベスは何回住むところを変えても絶対に実の母親のホームタウンに帰って来て暮らしてきた。いつか、実の母親が自分を探してくれたときに見つけられるようにと。

もうひとつの物語は、上の2つとは一切関係がないように進んでいく。妻に原因があり子供ができなくて、今まさに養子をもらおうとしている夫婦ジョセフとルーシーケリーワシントン。彼らの描写は、カレンがエリザベスを養子に出した時代と現代との違いを表現するためにあるのかなぁと思っていたら、最後の最後に思わぬ形でつながった。

3つの物語が最後の最後につながるまで、まるでバラバラに描かれているんだけど、どこのシークエンスもロドリゴガルシア監督らしく非常に丁寧に描かれていてまったく違和感がない。それぞれの過去に由来するそれぞれの性格というものをその時々に起こる出来事を通して、巧みに表現しているところが素晴らしい。

カレンが母親アイリーンライヤンを亡くし、家政婦エルピディアカリーロとその娘や職場のパコジミースミッツに徐々に心を開いていく様子や、エリザベスが予期せぬ妊娠を通して頑なだった心を溶かしていく様子、14歳の盲目の少女との出会いも自然で、ルーシーとその母親S.エパサマーカーソンとの関係の描き方、すべてが繊細で丁寧に描かれているところが非常にワタクシ好みだったな。

ルーシーのお母さんは、ルーシーには口うるさくてうっとおしい母親だったけど、赤ちゃんをかかえて発狂するルーシーに「赤ちゃんの世話をするのはあなたが世界初だとでも思っているの!」と叱りとばすシーンは非常に良かった。

カレンが14歳のときに妊娠した相手のトムデヴィットモースと再会してセックスして別れるシーンがあるんですが、あれでカレンはトムへの気持ちに終止符を打つことができたんでしょうね。それで、思い切ってパコのところへ飛び込むことができたということでしょう。

パコの励ましで娘を探すことにしたカレンが、養子縁組の協会に手紙を残した同じころ、妊娠したエリザベスも協会に手紙を残していたのに、受付の人の手違いで二人が会うことができなかった、なんてさ、ヒドイ脚本だよ。それにエリザベスがお産で死んでしまうっていうのも、ヒドイ脚本だと思った。ええーーーっ、そりゃないよーーーって。「ヒドイ」っていうのはデキが悪いという意味でのヒドイではないんですけどね。カレンとエリザベスは会わせてあげたかったな。たとえ短い間でも。協会の人は"I"m very sorry."なんて言ってたけど、sorryで済む話かーーーー!!!

災難だったのは、エリザベスが妊娠したときに診察したお医者さんエイミーブレネマンですね。エリザベスは母親と同じ轍を踏まないようにか、卵管結索手術を受けていたのに、妊娠してしまったので、エリザベスの意向も聞かずに「始末する日の日程を相談しましょう」なんて言っちゃって、エリザベスに「私がどうしたいかも知らないで!」と怒りを買ってしまいましたね。しかも、「FUCK」より悪い言葉まで言われて。そりゃ、エリザベスの意向も聞かずにそんなことを言っちゃったお医者さんもお医者さんだけどさ、卵管結索までしてるんだから、当然子供はいらないものと思うでしょうよ。あれじゃちょっとお医者さんがかわいそう。

ちょっと物語から離れてしまいましたね。ルーシーの世界観はアメリカ人にはめずらしいあっぱれなまでの無神論で、パコの娘は非常に信心深かったりと、色んな人の価値観が登場するけど、やっぱり誰もが否定できない“縁”というもので彼女たちがつながっていく姿が心に深く染み入ってきます。(“中絶”ではなく“産んで養子に出す”というのもキリスト教的な価値観からきていると思いますし、ルーシーが「やっぱり養子なんて不自然な仕組みだってどうして誰もはっきり言わないの?」というのもひとつの価値観で、それぞれの出来事から色々と考えさせられるところがありました)

アネットベニング、ナオミワッツ、ケリーワシントンの演技もそれぞれに女性たちの心の機微を非常に素晴らしく表現していました。それを支える周りの役者陣もとても良かったですね。みんな地味だけどリアルでした。

欲を言えば、エリザベスにはもっと幸せになってほしかったけど、ある意味では彼女も幸せな気持ちで死んでいったのかもしれないなと見終わったあとに思いました。エリザベスがつないだ最後の“縁”によってカレンもルーシーも幸せな人生を過ごしてほしい、きっと過ごせると感じました。

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クイール

2011-01-19 | シネマ か行
犬系の作品は確かにほろっとくるものが多いんだけど、作品全体としてはイマイチだったかなぁと思う作品が多かったので、この「クイール」も全然期待しないで見始めました。

パピーのころのクイールを演じる仔犬が可愛すぎる仔犬というのは、どの仔もたいてい可愛いもんだけど、このクイールを演じている(おそらく複数だろうけど)仔犬は、もうほんとずば抜けて可愛い。

パピーウォーカーの手を離れて、訓練所に入ってからも、おっとりさんのクイールは、ちょっとドンくさくて盲導犬としてやっていけるのかなぁ?と思わせるのだけど、ある日訓練士の多和田椎名桔平が「マテ」と号令をかけ、号令をかけたままそれを忘れて長い間用事をしていたにもかかわらず、その間ずっと待っていたクイールに盲導犬としての才能を見出します。

クイール、すごいなぁ。本気でプロが訓練をすればそういう犬もできあがるのかもしれないけど、クイールの場合ほとんど教えられなくても「マテ」と言われてずっと待っていたんですよね。これは、やはり生まれ持った性格なのかなと思います。クイールは本当は盲導犬の血筋ではなかったけど、このおっとりさ加減が盲導犬に向いていたんですね。

目が見えない渡辺満小林薫は、再三盲導犬訓練所の所長多和田から盲導犬を使うことを薦められていたけど、犬が嫌いだから断っていた。確かに、目の見えない人で、犬が嫌いな人は大変ですよね。犬が好きであっても盲導犬と息を合わせて街を歩くのは大変だろうに、犬が嫌いならなおのこと。それに、もし盲導犬を使いたくても犬アレルギーとかだったら悲惨ですね。って話がズレましたが。

渡辺さんは、通りすがりに多和田にけしかけられて、クイールの実力を知ることになるのですが、クイールを正式に引き取るようになるまでがまた大変なんですね。いくら訓練の入った犬だからと言って、「ハイ、どうぞ」と渡されて簡単に家に帰れるわけではない。しばらく訓練所で一緒に寝泊まりして、人間も同じように訓練を受けてやっと引き渡しとなる。この時の渡辺さんはまだまだ犬が嫌いで他の人たちみたいにうまくいかなかったんですよね。でも、渡辺さんが徐々にクイールの魅力に引き込まれていくのが分かります。ワタクシも犬を初めて飼うまでは、あんまり犬が好きじゃなかったので、この辺の渡辺さんの気持ちがよく分かりました。そして、結局犬の魅力に取りつかれることも。

パピーのころのクイールも可愛かったけど、成犬になってからのクイールを演じている犬もこれまた超可愛かったです。ラブラドールは可愛い犬だと思いますが、クイールを演じた子たちは特別可愛かったなぁ。

渡辺さんの家族のシーンも結構自然で良かったな。子供たちとか奥さんとかが徐々にクイールを受け入れていく様子がうまく描かれていました。あの長男坊がクイールを家にいれて、ちょんまげをかぶせておしゃべりしているシーンは本当は大人としては怒らなきゃいけないんだろうけど笑っちゃいました。

後半は、もう悲しくてねー。クイールと仲良く暮らしていた渡辺さんが入院してから、クイールは結局他の人につくこともなく、デモンストレーション犬で終わってしまうんですね。これは何か理由があったのかな?原作を読んでいないから分からないんですが。それがクイールにとって悲しいことだったかどうかは分かりません。渡辺さんが亡くなってしまって、クイールには何が何か分からなかったかもしれないけど、優しくしてくれたパピーウォーカーさんのなつかしい家で晩年を過ごし、そこで生涯を終えることができたのは、クイールにとっては幸せだったんじゃないでしょうか。自分が犬を飼っているからかもしれませんが、最後は涙が止まらなくなってしまいました。やっぱり犬が死ぬ場面とかはどうしてもね。

最初に期待せずに見始めたからかもしれませんが、犬系の作品の中では良かったと思います。盲導犬の訓練の様子とか、オーナーになるまでの訓練とかも見せてくれているし、子供たちにも「盲導犬とは」というのを知らせる意味でも良い映画ではないでしょうか。

ヒバクシャ~世界の終わりに

2011-01-18 | シネマ は行
ワタクシは「被爆者」と聞けば、当然のように広島・長崎の原爆被害者を思い浮かべる。このドキュメンタリーも広島・長崎の話なのだろうと思って見始めた。

すると、鎌仲ひとみ監督はイラクにいる。イラクの病院。多くの子供たちが入院している。イラクでは米軍が使用した劣化ウラン弾の影響でガンや白血病で亡くなる子どもが急増。14歳の少女ラシャは「私を忘れないで」というメモを鎌仲監督に残して死んで行ってしまう。アメリカは当然「劣化ウランとそれらの病気の関連性には科学的根拠がない」としている。「科学的根拠がない」どこの政府もお得意のセリフのようだ。

監督は広島で被爆した85才の医師、肥田舜太郎氏に会い、被爆者の抱える様々な病気についてのお話を聞く。先日見た「二重被爆」というドキュメンタリー映画の中で、その二重被爆者の証言VTRを見たフランス人の女性が「彼らは被爆しているのに随分長生きなのね。そこに矛盾を感じるわ」と言っていた。確かに被爆者の中には高齢まで生き続けている方も多い。フランス人の女性がこのようなセリフを言ったということは、彼らが抱える病気に関してきちんと説明がされなかったされなかったのだろう。被爆して何の健康被害もなく高齢まで元気に過ごしている方などいないのではないだろうか。でも、とにかく彼らの病状は一定ではなく、若い者・次世代に被害が出るため、長生きしているからといって、原爆の被害が出ていないというのではまったくない。しかし、肥田舜太郎先生がおっしゃるようにどの病気の原因が被爆であると限定できないために、国などは補償から逃れやすいのだろう。

その後、肥田舜太郎先生と監督はアメリカのワシントン州にあるハンフォード核施設の周辺に住むトムベイリー氏に会いに行く。ハンフォード核施設では、広島・長崎に落とされた原爆も製造され、現在では米国最大級の核廃棄物問題の場所となっている。ハンフォード核施設の周辺に住む住民たちは、長年健康被害に悩まされ、ガンや白血病による死者も多く、流産も多く、この土地を去る者もあるが、トムベイリーのように政府に対して被爆の被害を訴えている住民は少ないようだ。アメリカという国で政府に対してそのような発言をすることは「非国民」というレッテルを貼られる原因となる。日本人も政府に対してアクションをすることがヨーロッパに比べて少ない国民性を持っていると思うが、アメリカでは少し原因が違うようだ。「愛国者」とされることが誇り高いと考えられる国で政府を相手に被害を訴え出るというのは困難なことらしい。

しかし、このハンフォード核施設の話を聞いていると、まったくもっておっとろしい話がバンバン飛び出してくる。こんなことを聞かされて、それでもトムのことを「非国民」と言えるメンタリティは一体どこから来るのかと不思議に思ってしまう。人間は信じたくないことをなかなか信じようとはしない生き物なのか、信じたくないことにフタをして生きていく者なのか。

もちろん、このハンフォード核施設の話というのはアメリカのことだけではない。日本でも周辺国から流れてくる放射能の影響など、肥田先生が個人的に調べているグラフに現れているのだが、これが「科学的根拠」として取り上げられることはまずないだろう。「因果関係」というものはものすごくトリッキーなものだけに、自分の側に都合の良いようにいくらでも解釈されるからだ。

このドキュメンタリーを見たあと、ワタクシの中の「被爆者」の定義というものが、大きく変化した。恥ずかしながら知らないことがたくさんある。これからもこのことについて調べていきたいと思った。

アンストッパブル

2011-01-17 | シネマ あ行

トニースコット監督とデンゼルワシントンが組むのはこれで5本目?随分デンゼルワシントンがお気に入りのようです。しかも、前作の「サブウェイ123激突」に引き続き列車もの。まぁ、全然題材としては関係ないんだけど、あまりにも似たようなものが主役の作品を連続で撮るっていうのは普通の監督なら避けたいところだと思うんだけど、トニースコットはそんなこと気にしない。「だって、関係ないしー、面白ろけりゃいいやん。オレが撮りたいんやから。オレが面白くするから」ってな感じか。

この暴走列車、近年によくありがちなテロとかそういうのではない。特に悪役がいるわけじゃなくて、ただ整備係イーサンリプリーの怠慢で暴走を始めたもの。乗せている危険な物質もありがちな核とかそういうんではなくて危険な化学薬品。この辺がなんかイイ。

ベテラン機関士のフランク(ワシントン)と新米のウィルクリスパインは最初は反発し合いながらも、この事故に力を合わせて立ち向かっていく。暴走する列車、前方には社会見学の小学生を乗せた列車。どうやってこの子供たちを救うかがメインになるのかと思いきや、子供たちの列車は早々に回避。えっ?もう?これであとの時間大丈夫?って思ったんだけど、まだ危機はやってくる。

前方に危機、とはいえ、ただただ列車は暴走を続けるだけなのに見ているほうは全然飽きないんですね。2人の機関士のプライベートな話も盛り込みつつ、フランクの娘たちやウィルの妻子のほうにカメラが向くのはほんの短い時間。トニースコットはケチな回想の時間なんて作らないし、無駄な映像なんて1秒もなく99分間まさに暴走し続ける。しかも貨物列車で30両とかつながってるからその迫力たるやものすごい。

フランクのプライベートの話のところで娘の誕生日を忘れてて娘がスネてるっていうシーンがありますが、この娘がもうハイティーンだか、20代前半かってところで。そんな歳でパパに誕生日忘れられてスネるなんていかにもアメリカ的。日本なら「ファザコン?」と思います。

暴走する列車と、追いかけるフランクとウィルと、指令室にいるコニーロザリオドーソンとがほとんどメインで進むんですが、この指令室にいるコニーがなかなかいいんです。暴走する列車を止めるために重役たちが考え出した手段より、フランクとウィルを信頼してくれる。それも、特に根拠があるわけじゃなく「彼らったらいいわね」みたいな感じで。まぁ、現実にはそうはいかないでしょうけど、このコニーには胸のすく思いがしました。

しっかし、もともとの事故の原因となった整備士の仕事のしかたもマズイし、事故が起こってからの何の反省もない態度もヒドイし、ウィルだって連結の車両数間違っといてふて腐れてたし、もうこれ日本じゃちょっと考えられないような感じなんですけど。これ全世界に流しちゃって大丈夫か、アメリカ?

デンゼルワシントンって、若くて颯爽とした役者さんと思っていたら、いつの間にこんなにベテランになっちゃったの?という感じ。いや、ずっと彼の作品は見続けているんですが、年取った感じがしたのってやっと前作の「サブウェイ123激突」からな気がする。もう57歳なんだから当然なんですけどね。

だいたいこういうののパターンとして、年を取ったほうが最後に若者を助けて死んでいくっていうのがあって、今回もそれか?それか?死ぬのか、デンゼルワシントン?と思っていたら、2人とも助かって良かった。途中で死んじゃった機関士もいたから手離しでってわけにはいかないけど、主役の2人は死ななくて良かった。そして、ヒーロー2人って言われていたけど、最後にオイシイところで登場したネッドをちゃんと入れてやって。まぁ、記者会見で一人ゴキゲンにくっちゃべってたからいいか。


しあわせの雨傘

2011-01-14 | シネマ さ行

久々に劇場で見たい!と思ったフランス映画。フランソワオゾン監督の作品は何作か見ていますが、やはり「8人の女たち」が印象的だったかな。今回は予告を見て面白そうだと思ったのとカトリーヌドヌーヴも好きなので見に行くことにしました。

まず、舞台が1977年ということで、ファッションや政治、文化の面で現代とはまったく違い、この物語にとてもフィットしています。フランスでさえまだ男尊女卑だった時代に退屈な専業主婦スザンヌ(ドヌーヴ)が心臓発作で倒れた夫ロベールファブリスルキーニに代わって労働運動に揺れる雨傘工場の切り盛りをすることに。

スザンヌの掲げる経営方針は夫のものとは正反対の「友愛の精神」日本人は、誰かさんのせいでこの言葉を聞くとちょっと笑っちゃう感じだと思うんですが、「友愛の精神」そのものには何の罪もなく、実際に大切な精神だと思います。実の娘ジュエルジュディットゴドレーシュにまで「ママのような“飾り壺”にはなりたくない」とバカにされるような世間知らずだと思われていたスザンヌですが、友愛の精神あふれた工場経営に意外な手腕を発揮して、夫がいない数か月の間に労働者の意欲もアップ、収益もアップ、すべてがうまくいったと思っていたときに夫が休暇から戻ってきてしまい、娘を取り込んで妻を工場から追い出してしまう。され、スザンヌはどう反撃するのか!?

スザンヌの過去の情事の相手ババン議員としてジェラールドパルデューが登場するのですが、ドヌーヴに比べるとドパルデューまでもが、なんだかヒヨっ子に思えてきちゃう。しかも、情事の相手はババン一人かと思ったら、出るわ出るわ。あんなにさらっと告白されちゃうと、なんだかなんでもないことのように思えてしまう。「だって、仕方なかったのよ。あの頃の私は若くて美人で」なんてセリフ、いくら架空のセリフでもドヌーヴにしか言えないよ。夫の浮気に泣き寝入りしているだけかと思ったら、息子ローランジェレミーレニエの本当の父親が誰かさえはっきり分からないほどだなんてねー。でもさ仕方ないよ、だってドヌーヴだもん、だってフランス人だもん。

そのドパルデューとドヌーヴにクラブでダンスを踊らせたり、最後にドヌーヴに歌わせたりと、オゾン監督ってもうまるでドヌーヴと同世代で何本も一緒に撮ってきた仲かのような演出を見せてくれますが、監督まだ43歳という若さなんですよねー。これには本当にびっくりしてしまいます。ドヌーヴにあんなジャージまで着せちゃうし。(と言っても70年代風で襟とかなんかオシャレな感じのするジャージなんですけど)彼がゲイということもあって、息子のローランは結局ゲイってカミングアウトするのかなと思っていましたけど、それはなかったですね。なんか妙に匂わせてた気がしましたが。

まだ70年代後半だけど、スザンヌが「私は80年代の女よ」と言って夫に反撃を開始するところは、本当に清々しかったです。もちろん、お話はあまりにもとんとん拍子に行き過ぎますが、そんなことはどうでもいいって思えるくらいスザンヌは魅力的でした。

デザートフラワー

2011-01-13 | シネマ た行

ソマリアの砂漠から逃亡し、ロンドンで世界的トップモデルとなったワリスディリーリヤケベデの伝記ということで、「アンビリバボー」だか「仰天ニュース」だかでも見たし、興味があったので年末に見に行きました。

全然予備知識を入れないで見る派のワタクシとしては予告で見た限り、ワリスがスーパーモデルとして成功していく様を描いた華やかなファッション系伝記なのかなと思っていたら、実は後半にはFGM(女性器切除)の問題が大きく取り上げられていて少しびっくりしたのだけど、やっぱり映画の宣伝としては女性器切除に関する問題提起の話をするよりも、ファッション界の話としておいたほうがお客さんが集まりやすいからかなと思ったりしました。予告でも、ワリスが友人のマリリンサリーホーキンスに切除の話をするシーンが登場しますが、それはあくまでのサブ的な登場なのかと思っていたら後半はそれがほぼメインでした。

ワリスがロンドンでマリリンと知り合ってから、有名なカメラマン、ドナルドソンティモシースポールに見出され、モデルとして成功していく前半はわりと笑えるシーンなども多く、サクセスストーリーとして見ることができます。

マリリンとの奇妙な出会いは本当なのかなぁ?あれが本当なら、まさしく「縁」ってやつでしょうね。ワリスがイギリスにいられるように偽装結婚してくれるニールクレイグパーキンソンは単純に良い人なのかと思ったら、下心ありまくりでちょっと残念でした。ティモシースポールは久しぶりに良い人の役をしているのを見たなぁ。どうも「ハリーポッター」でのイメージが強くなりすぎて、なんか悪いことをたくらんでいるのではないかとついつい思ってしまったけど、本当に良い人だった。ワリスたちが住んでいたところってなんかよく分かんなかったけど、ホテルみたいな、アパートみたいな。あそこの経営者のおばさんも口ではなんだかんだ文句言いながら結局ワリスたちを助けてくれる良い人で良かった。

ワリスがマリリンにFGMのことを告白してから、お話は一気にFGMのほうへ傾いていきます。彼女が雑誌「マリークレール」の女性記者に初めてFGMについて告白し、その記事が話題になって、彼女は国連大使となりFGM廃絶運動を行うようになっていった経緯が描かれます。

ここでただのサクセスストーリーだと思っていた人は結構面食らったんじゃないかなぁ。FGMについての世間一般の認知度っていうのはワタクシは分からないんだけど、もしかしたらこれで初めて知った人もいたのかもしれませんね。こういうことをきっかけに知ってもらえるっていうのは良い事なのかもしれません。ワリスデイリー他たくさんの方がFGM廃絶の運動をしているにもかかわらず、なかなか思うようには廃絶に進んではいないようで、映画の最後に流れた現在でもFGMをされる女性の数というのはワタクシにとってもショッキングでした。FGMを伝統や文化であるとして禁止の方向に持っていくことができない国があり、国が禁止したとしてもそれぞれの集落で秘密裡に行われる行為を取り締まることも難しいということでしょうか。

劇中でもワリスがロンドンの病院で、ソマリア出身の男性看護師に「一族の恥さらしだ」と言われるシーンがありますね。ロンドンで生活しているソマリアの男性でさえあんな考え方なのですから、その国で生活している男性の意識が変わるというのが難しいというのがよく分かります。あのとき、ワリスがその男性の言葉に屈してしまうのかと心配しましたが、彼女は勇気を出して手術を受けることになりほっとしました。

映画的な話をすると、最後のほうがちょっと突然に時間が経ってしまっていて、少し分かりにくい構成になっていました。全体的に編集が雑な感じがあったのが残念でした。ワリスの役を演じたリヤケベデはエチオピア出身のモデルということですが、ワリス本人とよく似ていてとても美しい人でしたね。


キックアス

2011-01-12 | シネマ か行

これは前評判が良くて、ちょっと期待しすぎちゃったかなーという感想でした。

コミックオタクの冴えない高校生デイヴアーロンジョンソンが“キックアス”と名乗り、本当のスーパーヒーローになろうとするのだけど、実際はネットで買ったダサいコスチュームを身にまとっただけ。別に強いわけでもなんでもないんだけど、彼がチンピラたちのケンカを止めている映像がユーチューブで流れて一躍有名に。そんな彼が、本当にスーパーヒーローになるべく父親“ビッグダディ”ニコラスケイジから訓練を受けている“ヒットガール”クロエグレースモレッツに出会う。

冴えない高校生と言ってもやっぱり主役を張るくらいだからよく見るとアーロンジョンソンくんは結構ハンサムですね。しかし、あのダッサい“キックアス”のコスチュームにはまいりました。劇中なんでみんなそんなに笑わないでいられるの?と思っちゃったけど、アメコミのヒーローのコスチュームも結構笑えるのが多いからなぁ。アメリカ人はあれでも平気なのか?

この作品のヒットの要因は小学生のヒットガールが汚い言葉を発しながら、ばんばん人を殺していっちゃうとこなのかな。この意外性がたまらなく痛快。ドンくさいキックアスを尻目に最新の武器を駆使してばっかばっか悪者を殺していっちゃうんだからね。そりゃR15指定にもなるわな。アメリカってこういうのは日本よりうるさいんじゃなかったっけー?

実際お固いことを言えば、小学生の女の子にこんな役をさせるなんて絶対ダメーーーーってなるところだと思うんだけど、なんだろーねー、このスッキリ感は?やっぱり、人間やっちゃダメってことを堂々とされるとなんか逆に気持ち良くなっちゃうのかなぁ。もちろん、それは実生活ではないからなんだけど、やっぱ映画とかってそういう現実には叶わないことができちゃう世界なわけだから、それを実践されるとスッキリしてしまうのかも。

物語はちょっと中盤まどろっこしくて、ちょっと退屈になってしまったんですが、最後までヒットガールはカッコ良かったなぁ。このクロエちゃんは「(500)日のサマー」でもこまっしゃくれた子の役だったけど、あの時も全然イヤミじゃない感じで良かったんですよね。美人タイプではないので、これから大人になっていくにつれてどんなふうになるか予想がつかないのですが。注目の子役です。

なぜか映画館でワタクシの隣に座った高校生か大学生くらいの女の子が映画の間中ずーっとケタケタクスクス笑ってたんです。「え?ここって笑うとこ?」っていうところでもずーーーーっと。なんかもうすべてがツボに入ってしまったのかなぁ?ワタクシは彼女のせいでちょっと冷めてしまった部分もあったような気が。デイヴが憧れの女子とデイトできるようになったと思ったらゲイだと勘違いされていて、それ故に仲良くなれちゃって複雑な気分になるところとか、デイヴのおかげで友達のオタク野郎にまで彼女ができちゃうところとか結構ウケました。

なんだか続編ができるというウワサですが、ヒットガールが大きくなっちゃったら全然意味がなくなるので早くしないとね。


白いリボン

2011-01-11 | シネマ さ行

平日の昼間で空いているだろうと思って時間ギリギリに行ったらいっぱいだった。小さい映画館とは言え、やはりカンヌ映画祭パルムドールの威力はすごいな。

ミヒャエルハネケだし、パルムドールだし、これはもう多分…予想通りやっぱり、あぁ、「ピアニスト」の悪夢ふたたび

考えてみればミヒャエルハネケの作品は「ピアニスト」と「ファニーゲームU.S.A.」しか見ていない。「ピアニスト」はダメだったけど、「ファニーゲームU.S.A.」は好きだったワタクシにはまだ未知数の監督だった。そして、あの悪夢ふたたびだったのだ。

んー、と言っても決して退屈とかそんな作品ではないんです。映像のうまさとかこの村全体の不気味さとか子供たちの秘めた怖さとかそういうのはすごく伝わってくるんですけどね。思えば「ピアニスト」もそうで。見ている最中は決して退屈じゃなかった。ただ終わってから結局「で?」っていうのが同じかな。

これを「で?」って言っちゃうのは映画オタクとしてはどうなの?って思われちゃうかもしれないですね。いや、分かるんですよ、色んな評論家が言っていることは。ただねぇ、ここに登場する子供たちの世代がナチスを支える世代っていうのはなんかズルいなって思いました。だって、そんなの歴史をひっくり返して見れば、「あー、この残忍な子供たちがね、なるほど」なんて思えちゃうかもしれないけど、ナチスを支えた世代って別に他の世代に比べて特別残忍だったわけでもなんでもないし、閉塞感のあった世代っていうのを表現したいのかもしれないけど、あれくらいの大人の偽善なんて現代でもいつの時代でも珍しくもなんともないんじゃないかな?あの小さな村で起こったことくらいなら普通にどの時代もどこの村でも起こりそう。それをナチスと結びつけるのは短絡的過ぎるし、ともすれば歴史を誤りかねないし、ナチスを分析することによって平和をもたらそうとしている人類の努力を無駄にしてしまうことになりかねないような気がする…とまで書くのは大げさだとしても評論家の言っていることも「まぁそれは分かるけれども」とした上でやっぱりワタクシはこの作品は好きではないかな。

2人の子供がリンチされて見つかるシーンがあるけど、あれをあの子供たちがやったのだとしたら、本当に残忍だしそれを犯人探しもしっかりしないまま過ごしていくこの村の人たちがあまりにも恐ろしいとは思うけど、あそこまでの犯罪となると、それを放置することがちょっと現実離れしてしまった感があった。もっと細かい悪なのかそうでないのかというボーダーあたりでウロウロしてくれたほうがゾッとする感覚があったんじゃないかなー。

まぁ、ハネケだし、パルムドールだし、こんな感じって分かってたしぃ、ってな気持ちになりました。


樺太1945年夏 氷雪の門

2011-01-07 | シネマ か行
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
本年も「シネマ日記」よろしくお願いいたします。

年末年始に見た映画がたまっているのでぼちぼちUPしていきたいと思います。

この作品は12月に見ました。

第二次世界大戦の終戦日を迎えても停戦せずに、樺太を自分たちの領土にしようと攻撃をやめなかった当時のソ連と樺太の真岡町で電話の交換手をしていた女性たちを描く。実は1974年に制作された作品だそうですが、当時ソ連の圧力で上映されなかったワケありの作品らしいです。1974年当時と言えば東西冷戦真っ只中ですから、日本政府もソ連を刺激することは避けたかったということでしょうか。

1974年の作品ですから、往年の役者さんたちがたくさん登場します。しかも当時で10代後半から20代前半といった年代の女性たちですから、いまでも活躍している女優さんたちが多いです。ざっと挙げるだけでも、仁木てるみ岡田可愛藤田弓子木内みどり赤木春恵南田洋子丹波哲郎田村高廣若林豪黒沢年男といった方々が出演しています。残念ながら、すでに亡くなった方も何名かいますが。

さて、お話のほうですが、樺太で空襲もなく戦時中とは言えそれなりに平和に過ごしていた電話交換手の女性たち。薬屋の娘が少しサッカリンを家から取ってきて、枕から取った小豆でぜんざいを作ったりして、物資が少ないながらも、若い女性らしく、音楽やおしゃべりを楽しんだりしながら、電話交換手という責任の重い仕事をこなしていた。

いままで樺太には空襲もなく、東京から親戚が疎開してきている家族もいるほどだったのに、終戦直前からソ連が樺太の領地を今のうちに自分のものにしようと侵略してきた。玉音放送後、停戦命令が出ている日本軍は丸腰で白旗を持ってソ連軍のところへ出向いていくが、そこでなんと無残にも殺されてしまう。このあたりの実際にあったことなのか、フィクションなのかはちょっと分からない。とにかく、スターリンは最終的に北海道の獲得を目指して樺太に侵攻してきたということらしい。

樺太の電話交換手の女性たちは、北海道本島に避難するように命令を受けたにも関わらず、自分たちより北方に住む親せきを待つためや、仲間と一緒にいるためにこの地に残りたいと言う。彼女たちの代わりには地元の男子中学生が仕事をすることになっていたが、電話交換手という技術に誇りを持っていた彼女たちは、自分たちの責務を最後まで果たしたいと志願する。

結局、最終的に残った9名の若い女性たち。ソ連の侵攻は激しくなり、このような状況で女性が捕らえられればどうなるか、みな分かっていた。そのため隠し持っていた青酸カリで自らの命を絶った。

当時の女性たちとしては、あのような行動を取らざるを得なかったのだろうけど、自分たちがそのようなギリギリの状態にあるというのに、最後まで電話交換手の責務を果たした彼女たちに涙が止まらなかった。

ワタクシはソ連の樺太侵攻についてはおぼろげに知っている程度で、ましてやこの電話交換手の女性たちの話なんてまったく知らなかった。もしかしたら、北海道地方では有名な話なのかもしれないけど、全国的に知っている人ってどれくらいいるんだろう?全国の小さい映画館で順番に上映されているみたいなんだけど、この事実を知らない人が多いっていうのは残念だなぁと思う。実際の事実の考証などの関係でテレビでの放映は難しいのかな?もしそうなら、現在認識できる事実をベースにもう一度2時間ドラマなどで作り直して、もっと彼女たちの存在を世に知らしめてあげてほしいと感じた。