シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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チューブテイルズ

2006-08-29 | シネマ た行
イギリスの週刊誌「タイムアウト」で脚本を募集、寄せられた3000通の中から9人の監督がそれぞれ好きなストーリーを選んで映画化したという9つのオムニバス。

9人の監督の中にはボブホスキンスユアンマクレガージュードロウといった俳優も入っていて、キャストもケリーマクドナルドジェイソンフレミングレイチェルワイズレイウィンストンなどイギリスを代表する俳優が出演している。ロンドンの地下鉄(チューブ)が舞台ということで全編イギリスいろの作品である。上に挙げた中にはユアンやジュード、レイチェルワイズのようにハリウッドのメジャーに躍り出ている俳優もいるにはいるが、ここに出てくるのは同じイギリス人でもヒューグラントやルパートエベレット、オーランドブルームのような俳優たちとは一味違うマイナー色というかインディーズ系、インディペンデント系の匂いのする人たちが多い。

お話は9つあるが、ワタクシの好きなものを何篇か取り上げる。

まずは、ドあたまの「ミスタークール」。ジェイソンフレミングが超かっこつけの超かっこ悪い男を演じている。オチの部分でワタクシは映画館で大爆笑したのを覚えている。これからどんなにテンポのいい話が続くのかと期待させるに十分なお話で、これを1話目にもってきたのは本当に大正解である。

「ホーニー」はちょっとHな作品なんだけど、サラリーマンのおっさんの視線を浴びる女性デニースヴァンアウテンが面白半分に彼を刺激する話で、サラリーマンのおっさんがやらしいというよりも彼女のほうが確信犯的な感じだ。そのおっさんが彼女への欲情を抑えようと必死で想像するのがエリザベス女王とサッチャー元首相というのがイギリスいろ満開で笑える。そして、周りも面白がってそのおっさんを見ているところがまたふざけてていい。

「グラスホッパー」も最後のオチが面白く、主役のヤクの売人フランクハーパーが、犯罪者なんだけど、不憫にさえ思えちゃう。

「マウス」もオチが大切な話で、途中の一人の女性をめぐる車中のみんなの想像は面白いけど、オチはあまりにも汚らしすぎてちょっと見るに耐えない。これもイギリス流のブラックユーモアなのか。

「マイファーザー、ザ・ライヤー」は下町のあんまりガラがいいとは言えない、子どもに無賃乗車させるような父親レイウィンストンだけど、子どものことを思って最後にポツリとウソをつくところにホロリとさせられる。息子もきっと父親が言っていることはウソだということは分かっただろうけど、それでもきっと大きな安心を得たに違いないという気になる。9つの中でワタクシが一番好きな作品。

最後の「スティールアウェイ」は無鉄砲な若い恋人同士の「トレインスポッティング」的な話かと思いきや、実は宗教的で幻想的なファンタジーだったことに最後に気付かされる。悲しいお話なんだけど、なぜだか少しホッとさせられるような不思議な魅力のある作品。

ここまで、6つ紹介したけど、残りはジュードロウ監督作品の「手の中の鳥」、ユアンマクレガー監督作品の「ボーン」、レイチェルワイズ主演の「ローズバッド」。どれも心温まるいいお話だけど、ここでは割愛する。

それぞれの話の頭での題名やキャストなどの出し方もおしゃれな感じにしてあって、題名がどこに出されるか探しながら見るのも楽しいし、すべての話は全く関係ないのにチューブの雰囲気を守っているために全体に心地よい統一感が流れている。

イギリスいろだ、イギリス流だと書いているけど、ワタクシもそれを言葉で説明するのことはできない。ワタクシがイギリスいろだと勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。でも、普段ハリウッドのメジャースタジオの作品しか見ていない人ならば特にこういう作品を見れば、「何かが違う」と感じ取ってもらえると思う。
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エイリアン4

2006-08-28 | シネマ あ行
「3」からまた5年後の1997年の作品である。監督はジャン=ピエールジュネ。ワタクシは彼の作品が苦手である。「デリカテッセン」も「ロストチルドレン」も「アメリ」も。彼の表現する世界観がワタクシには理解できない。そんな彼の作品だったから見る前から不安だった。その上、怖い顔のロンパールマンも出ているし…

というワタクシの趣味は別として、「3」があんな終わり方だったんだからあれから続編を作るなんてどんな設定にするのかとそれは楽しみであった。それが、お決まりのクローンだったのは残念だけど、そりゃそうするしかないよね?実は生きてましたなんてできるわけないもんね。しかし、このリプリーナンバー8シガーニーウィーバーはただのクローンじゃなくて、エイリアンとのハイブリッドクローンなのね…おぉ…なんてこった…あれだけ、エイリアンを嫌悪してしかも人類のために自らが犠牲になってエイリアンの女王とともに死んだリプリーをエイリアンとのハイブリッドクローンとしてよみがえらせるなんて…リプリーが不憫でならないよ。

それにしても、「1」から200年経ったっていう設定の「4」だけど、「1」のイアンホルム演じるアンドロイド、「2」のポールライザー、「3」の救助船のランスヘンリクッセンと全員会社側の人間だったけど、そいつらの思惑はずーーーっと変わることなく、エイリアンを兵器として利用することだったよね。そして、この「4」ではそれをついに実行するための研究にまでこぎつけている。あれだけの人が犠牲になり、あれだけリプリーが危険だと叫び続けても200年経っても人間の愚かな欲望とうぬぼれは変わらない。それどころか、技術が進歩している分、現実にできるようになっていっているから余計タチが悪い。こういう部分は現実の人間社会を風刺しているんだろうね。

シリーズを見ているうちにリプリーに好感を持っていたワタクシとしては「4」のリプリーはリプリーであってリプリーでないっベンベン~なところがイマイチだったかなー。ウィノナライダーはロボットらしい感じがワザとなのか、彼女がもともと持っている雰囲気なのかかもし出されていた。

最後に出てくる人間とエイリアンがミックスされたニューボーンってやつはワタクシ的には完全にバツだった。なんか気持ち悪いだけで、怖くないっていうか、変なミイラの怪物みたいに見えてエイリアンの薄気味悪いそれでいて美しいというフォルムが完全になくなっていたから。リプリーを「お母ちゃーん」とばかりになでまわして気持ち悪いったらありゃしない。船外射出は原点に返ったようで良かったけど、そのやり方は汚らしくてイヤだった。

でも、200年も経ってやっと地球に帰ることができたリプリーにはクローンとは言え、おめでとうという気分になったよ。しかし、彼女が地球に帰ってきた以上、「5」の決戦地はいよいよ地球ということになるのかな?

オマケ1リプリーがウィノーナ扮するロボットが人間にどれだけヒドイ仕打ちをされても人間を守るように働くことについて「最新のロボットはアホ型なの?」っていうシーンに大笑いしてしまいました。「アホ型」て…思わず、ドラえもんの替え歌しちゃうよね?アホ型ロボォット~てさ。

オマケ2シリーズでレビューを書きましたが、「3」と「4」はあまりいいこと書いてませんね。「シネマ日記」は本来、新作以外はワタクシがいいと思ったものしか書かないというポリシーでやってますが、これはひとつのシリーズとしての価値が高いと思ったのですべて書きました。“エイリアン祭り”ということでお許しください。

オマケ3「エイリアンVSプレデター」ではエイリアンはただの“宇宙トカゲ”で、プレデターは“神”だったことがワタクシは気に入りませんでした。せっかくビショップ(ランスヘンリクセン)も出演していたのに、何のリンクもなかったし。エイリアンファンもプレデターファンも納得いかない作品だったのではないでしょうか?
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エイリアン3

2006-08-24 | シネマ あ行

「2」から6年後1992年の作品である。「セブン」で注目される前のデイヴィッドフィンチャーの初監督作品であった。彼の映像はCMやミュージックビデオなどで注目されていたから、そういう世界に詳しい人の間ではちょっとした注目株ではあっただろう。そんな彼が「エイリアン3」を手がけることになり、冒頭で「2」で生き残った人たちをリプリーシガーニーウィーバー以外皆殺しにしてしまったからさぁ、大変。たくさんのエイリアンファンからそっぽを向かれてしまったようだ。

今回初めてシリーズを一気に鑑賞したワタクシとしては「2」が終わった直後に立て続けに「3」を見たわけで、「え~“ついさっき”あんなに死ぬ思いをして助けたニュートやのに、ホンマに死んでしもたーん?あとから、実はなんちゃってって出てくるんちゃうん?」と思ったのだけど、どうやら本当に死んでしまっていたらしい。ワタクシにとっては“ついさっき”だったが、映画の中ではまた何十年だか何百年だかが過ぎているんだけどね。それに、現在の地球時間にしてみても6年経っていたのだから、ニュートの子役を使うことは不可能だったにしても、似たような子を探してくるとか、ニュートがだめならマイケルビーンだけでも生き残らせることはできたが、デイヴィッドフィンチャーはまるでその気はなかったようだ。ワタクシはよく「ファンへの裏切り」という言葉を使うが、これこそがファンへの裏切りというものだったんだろう。ワタクシ個人は今回シリーズを見て好きにはなったけど、ファンと言えるほどの思い入れがあるわけではないので、彼らの死を「残念」とは思ったが、そこまで深く傷つくようなことはなかった。

「1」のちょっと詩的なイメージと「2」の娯楽色が強いイメージでは相対するようでいて、全体的な色調を統一していた感があったけど、この「3」ではオレンジ色の光が多用されていてまったく別の作品のような印象だったことも残念だった。

今回リプリーが不時着したのは刑務所惑星で、女性を見るのは久しぶりの男ばかりということで緊張感が多少あったが、リプリーは超強い女性だということをワタクシたちは知っているので、その辺りはちょっと安心していたところもあったような気がする。最近、「Vフォーヴェンデッタ」でナタリーポートマンがぼうずにしたことが話題になったけど、元祖ハゲぼうずはこちらのシガーニーかなぁ。ワタクシの記憶にあるハゲぼうずでは。リプリーのハゲぼうずは「戦士」って感じが表れていて、刑務所にいる誰よりも強く見えたし、すごく似合ってたよね。

「3」のエイリアンは1匹だけで、なんだか動きがちょこまかとした感じで、四足でカサカサと迫ってくる姿はなんかかっこ悪かったな。エイリアンの映像として良かったのは、リプリーの顔のところにヌーッと迫ってくるんだけど、リプリーの体の中に仲間がいると察知して去るところの映像くらいだったな。でも、あそこんとこの映像はすんごくきれいだった。

なんで、リプリーの体の中にエイリアンが今まで生まれる方法とは違った形で寄生したのかっていうのはよく分からんかってんけど、「女王」はあんなふうにして生まれるものなのかな?

結末は「ターミネーター2」とソックリだったけど、エイリアンとの戦いにはからずも生涯を掛けるような形になってしまったリプリーがその運命を受け入れて最後まで人類のことを考え自らを犠牲にするというくだりには思いがけず感動してしまった。最後に「1」でノストロモ号の生き残りとしてリプリーが発したメッセージが流れるのも彼女が犠牲になったあとだったから感動した。

あんな終わり方をしたんだから、シリーズも完結かと思いきや「4」も作っちゃったんだよね。(そういえば、「ターミネーター2」もあんな終わり方だったわりに「3」が出来たしね)もしかしたら、「5」もできたりするのかな?

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エイリアン2

2006-08-23 | シネマ あ行

前作から7年後の1986年の作品。「ターミネーター」「ランボー~怒りの脱出」を監督したジェームズキャメロンが手がけたシリーズ第2作目だ。

原題を見ると「1」は「Alien」で、この「2」は「Aliens」になっている。日本人には単数複数の観念が言語的に薄いので、「2」の邦題を「エイリアンズ」にしちゃったら、「うお、前作では1匹だったエイリアンが複数になって襲い掛かってくるのかーっ」なんて恐怖が湧くどころか、「なんだこの映画?エイリアンのパクリか!?」って思っちゃうから素直に「エイリアン2」にして良かったんだと思う。(もしかしたら、英語圏の人でも「これはエイリアンのパクリ映画か?」と思った人もいたかもしれないが…)

とにかく、当時の人がどう思ったかは分からないけど、この「Aliens」そう、複数形なのだ。「1」では1匹だったエイリアンが複数になって襲い掛かってくるのだ。エイリアン探知機に映る映像の怖さが「1」と比べて格段に増している。だって、探知機に無数のエイリアンを示す光が迫ってくるんだよー。探知機を見ながら「あと何m」と言っていくシーンで「もう部屋の中よ」っていうところまで迫ってきてるとこなんて手に汗握りまくりでしたよ。

「1」の終わり方からすれば、リプリーシガーニーウィーバーがエイリアンを脱出用ポッドからおんだして、奴は宇宙の藻屑と消えた。でも、そもそもあの星ではジョンハートが大量のエイリアンのタマゴを発見していたから、そこからまた奴らが生まれて増えていてもまったく不自然ではない。それに、リプリーも60年近く冷凍睡眠のまま宇宙をさまよっていたのだから、その間に地球人たちがあの星の開発に乗り出していたことも全く不自然ではない。「1」がいかにもいかにも次に続きますよー、もし「1」の興行が成功すれば「2」もなんだったら「3」も作っちゃいますよーというイヤらしい終わり方はしていないにも関わらず、全く無理なく「2」を続編として見られるシチュエーションにできたのは元祖のリドリースコットが素晴らしいのかこちらのジェームズキャメロンが素晴らしいのか知らないけど、とにかくそこんとこが気に入った。

ジェームズキャメロンが監督ということで、キャメロン組のマイケルビーンビルパクストンが出ているのだが、彼らがキャメロン組だということを知っていると、軍隊の中で誰が生き残るのかが分かってしまって面白くはないのだけど、ビルパクストンに関してはおっさんになってからは落ち着いたリーダー的な役が多かったから、若くて落ち着きのない姿を見たのはちょっと貴重だった。しっかし、あんなに統制のとれてない軍隊でいいのかよって感じだったよね。

ジェームズキャメロンは強い女性を描くのがすごく得意だから、軍隊にいたバスケスもカッコよかったし、このシリーズはリプリーという強い強い女性が主役だから、本当に彼が監督するのにパーフェクトな素材だったと思う。それに加えて、「2」のみに登場する小さな子ども。この女の子ニュートと宇宙をさまよっている間に娘を亡くしてしまったリプリーの擬似母子的な描き方もストーリーに深みを加えていて良かったと思う。また、このニュートがすごくかわいいんだよねー。敬礼したり、みんなの作戦に加わろうとしたり、大人の口調を真似したり。

ランスヘンリクセン演じるアンドロイドとの確執と和解も静かな感動を呼ぶし、リプリーとマイケルビーン演じる伍長とのロマンスもうっすら匂わせて希望溢れるラストを迎えた「2」は(「1」への敬意は別として)シリーズで一番好きと言う人がもっとも多い作品だというのはとても頷ける。

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エイリアン

2006-08-22 | シネマ あ行
トムスケリットジョンハートイアンホルムハリーディーンスタントンシガーニーウィーバー…今見るとそうそうたるメンバーである。監督はリドリースコット。今でこそ、名監督と言われる彼が「ブレードランナー」を発表する前の作品にこれだけのメンバーが集まったということ自体がまずすごい。そして、みんな若い。それもそのはず、1979年の作品なのだ。1979年、、、そんなに古いのか?信じられない。

ワタクシはずっと怖がりで子どもの頃テレビでこの作品が放映されても見る勇気はなかった。大人になった今も怖がりなのは変わっていないが、こういう類のものは怖くなくなった。そして、今回ケーブルテレビで「エイリアンVSプレデター」を見たのをきっかけにずっと見ていなかった「エイリアン」シリーズを一気に見ようとにゃおと“エイリアン祭り”と称して「1」から「4」まですべてレンタルしてきた。

もちろん、これがSFの傑作シリーズであることは知っていたから大人になってからは見よう見ようと思っていたのだけど、この度やっと見ることができた。

1979年の作品であることが信じられないと書いたが、本当に今見ても色あせていない。「1」では、エイリアンの全体像はあまり映らないが、あのクリーチャーは2006年の視点で見ても気味悪い。

あの当時なら違和感はなかったのだろうが、現在では大御所の域に入ろうかというジョンハートがまず初めにエイリアンの餌食になるなんて想像もつかないし、イアンホルムがアンドロイドであんな情けない姿になっちゃうなんて…そして、きっとあのメンバーの中ではもっとも若いうちの一人だったシガーニーがしかも女性で一人生き残るというのは1979年ならば、なおのこと意外だっただろう。

この作品が他のエイリアンものと比べて傑作と言われているというのは長年知っているんだけど、実際のところあまりエイリアンものを見ないワタクシとしては“他のものに比べて”ということに関しては何も言えない。ただ、この作品を見ただけで言うと、宇宙船の中の静けさとかエイリアンの特性の設定、そして、クルーたちの関係がきちんと描かれているところが気に入った。エイリアンのデザインは気味悪いのになぜか魅かれる不思議な魅力を持っていると思う。ワタクシは戦隊物や怪獣系にまったく興味がないのだが、このエイリアンだけはフィギュアを持つ人の気持ちが分かる気がする。

宇宙で獰猛な地球外生物に出遭った人間たちが、その生物と戦い殺され、たったひとりだけが生き残るという、考えてみれば単純極まりない話なのに、30年近く経った今でも魅力ある作品として見られるということは、上に書いたようなことが細部まで丁寧に描かれているからだと思う。
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パイレーツオブカリビアン~デッドマンズチェスト

2006-08-21 | シネマ は行
多くのファンの方には申し訳ないが、ワタクシはジョニーデップが好きではない。オーランドブルームも特に好きな俳優ではない。その件については以前も書いたと思うので特には書かないけど、彼らが好きではないので特にこの作品を見に行くつもりはなかったのだけど、松竹の招待券をいただいたので折角だからとにゃおと行ってきた。

周りで見に行った人によると、結構今回の作品はコミカルに仕上がっていて面白いという前評判は聞いていた。実際、前作よりも笑えるシーンは増えていた。そして、残念なことにワタクシは「1」をあまり覚えていないのでリンクできなかったのだけど、おそらく「1」を覚えていたらリンクしているんだろうなぁと思わせるシーンも多く、ファンを裏切らないそういうやり方はワタクシは好きだ。

ジャックスパロウ船長やウィルにそんなに魅力を感じていないワタクシは、脇役の人のほうが結構気になったりした。

まずは、あの渋いコワモテのステランスカルスゲールドがあんな“フジツボ人間”になっちゃって、ビックリである。彼はもともと好きだったけど、今回で遊び心もある人なんだなーと嬉しいオドロキだった。

そして、もちろんデイヴィジョーンズ役のビルナイ。彼に遊び心があることは「ラブアクチュアリー」「アンダーグラウンド」などでも証明済みだから、(というか彼は遊び心だらけ?)彼がデイヴィジョーンズを演じたとしても驚くことはないのだけど、あれだけのメイクをしていてもビルナイらしさを見せれるところは素晴らしいと思うし、そして、そのメイクがまたまた素晴らしいし、彼の顔の周りの触手だかなんだかよく分からんけど、それがウニョウニョと始終動いているのはCGなんだろうけど、ワタクシはずっと見とれてしまった。あの触手(?)でピアノを弾くシーンなんぞはワタクシ個人的には映画史に残したいと思える名シーンだったと思う。

それから、彼らの名前が分からないんだけど、二人組の乗組員がいるでしょ?あの二人組のうちの一見マヌケそうに見える細い男のほうが実はすごく頭が切れて鋭いことを話しているシーンがワタクシはとーーーっても好き。あれって、「ライオンキング」のティモンとプンバみたい。いぼイノシシのプンバのほうがマヌケに見えて実は切れ者って奴なんだけど、みんな分かるかな?

ここからは、ちょっと余談なんだけど、この作品は「1」だけは独立してるけど、「2」と「3」は1本の映画を前編・後編に分けたもので勝手にワタクシは「ロードオブザリング方式」と呼んでいるけど、本当に壮大な物語だった「ロードオブザリング」はちょっと別格として、「キルビル」や「デスノート」にしてもそうだけど、こういう方式が増えるのはワタクシとしてはあんまり好ましい状況じゃないなー。「続編」というものとはちょっと毛色が違うよね。なんとなく、続きを作れるように終わらせるというのと、初めからひとつの物語を長いから切って公開するっていうのは全然違うよね。ひとつの物語を長いから切って公開するというのは「映画」という表現ジャンルとしては根本的にバツなような気がする。バシッと1本の限られた時間内で編集し、観客を魅了する映画がワタクシは好きだなぁ。

まま、とは言いつつ、次の後編ではキャプテンバルボッサジェフリーラッシュが活躍してくれるようなので楽しみにしておくとしましょうか。
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メメント

2006-08-18 | シネマ ま行
10分間しか記憶がもたない男ガイピアースの話である。この男の記憶に合わせて10分ごとにシーンが振り返られていく。”時間軸が交錯している”と表現するのとは少し違う手法だ。まずはA地点からB地点までのお話が10分間語られ、B地点まで到達すると今度はA地点よりさらに10分間さかのぼったZ地点から最初のA地点につながるところまでが語られる。そしてA地点まで到達すると今度はまたZ地点の10分前であるY地点から話が始まりZ地点までが語られる。という裁縫で言うと半返し縫いだか本返し縫だかのように物語が進んでいくというこれだけ読んでもワケが分からんと思うけど、見始めたときもなんだかワケが分からん。でも、懸命についていくとだんだんその手法にも慣れてくる。

この全身刺青だらけの男。記憶がもたないからメモを残すが、重要なことは自分の体に刻んでいる。気味の悪い男だ。それもそのはず、この男は妻を殺した犯人を殺すという復讐を目的とし、それだけを頼りに生きている。それに絡む刑事ジョーパントリアーノと女キャリーアンモス。彼らはそれぞれ何者なのか?それもこの変な男の変な記憶を変な手法でさかのぼる中で見えてくる。

物語もさることながら、やはりこの手法。これに尽きる。このように新しい手法というのは時として「実験的」だから許されたり、観客は途中から監督の自己満足を見せ付けられるだけということになりがちだが、この作品ではかつてないやり方で、きちんと観客をないがしろにせず、エンターテイメントとして成り立っているところが、クリストファーノーラン監督の素晴らしいところではないだろうか。

そして、その記憶をたどるという軸と平行してこの男が語るサミーという男の話にも観客は聞き入ってしまうし、後半は最初に話した10分ごとの軸を忠実に守ることもなくなって一気にクライマックスに進むんだけど、そこできちんとされるタネ明かしもワタクシには嬉しい誤算だった。だって、ほらこういう手合いのやつには多いでしょ?結局何だったの?ってやつ。でも、これはちゃーんとタネ明かしされますからね。安心して見てください。ただ、やっぱりボーッとしててはダメですよ。ほんとにワケ分かんなくなりますから。

キーワードは「やっぱりコイツ、ほんとに忘れます」です。

オマケ特にファンというわけではないけど、「L.A.コンフィデンシャル」から一気に活躍するかと思われたガイピアースがこの作品くらいまでは元気だったけど、ここんとこあんまり元気がないのが残念です。
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ニューオリンズトライヤル

2006-08-17 | シネマ な行
タイトルを見れば分かるように裁判ものなのだけど、映画が始まって原題を見ると「Runway Jury」“逃げる陪審員?”だったので、お、陪審員が中心の映画なのね。という心構えだけを持って見た。

イキナリ銃の乱射事件の様子が写されてそこに出ていたのがディランマクダーモットという俳優さんだったから、この人が中心になるのかと思いきやあっさり殺されてしまってどーゆーこと?と思っていると彼は本当にここで殺されるだけの役だった…

中心となる陪審員はジョンキューザック。前も書いたことがあるかもしれないが、この俳優さん好きなんだけど、下まつげが気になって仕方ない。あれさえなければもっと好きな俳優さんの中に入っていたのになぁ…ということは置いといてと。しばらくすると、このジョンキューザックの恋人がワタクシの大好きなレイチェルワイズだということが分かる。このイノセントな2人が裁判のドロドロに巻き込まれるのか、、、

と思いきやこの2人の動きがなんだかアヤシイ。なんかたくらんどる。でも、なんやろう?目的はお金?それにしても、なんかやり方が素人っぽいな。弁護士のダスティンホフマンや陪審員の選定をするエージェントのジーンハックマンのような曲者どもを向こうに回しているにしては随分頼りない感じだ。(ダスティンホフマンとジーンハックマンの演技はいつもどおりそつなく驚くところは何もなかったのが残念だった)

なんだろ?なんだろ?と思っているうちに敵さんが彼らの正体を暴いてくれる。ほほう、そういうことかいな。それなら彼らが素人っぽい理由もよく分かるし、こんなイノセントな感じの2人がしそうなことじゃないのにっていうのにも説明がつく。

裁判ものというのはワタクシの好きなジャンルであるが、ただ熱血漢の弁護士が正義を貫くというタイプのものではなくてこういうちょっとひねったテイストのもののほうが見ていて面白い。ここに出てくるジーンハックマンのように陪審員選定を仕事にしている人もアメリカには実際にいるのだろう。裁判で巨額のお金が動くアメリカでは当然の職業なのかもしれない。彼の職業についてもそうだし、このアメリカ色の強い裁判の裏側はあんまり映画などを見ない人には分かりにくいかもしれないが、すじ自体はそこまで入り組んでいないし、テンポのいいサスペンスとして楽しめると思う。
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十戒

2006-08-10 | シネマ さ行
1956年の作品。「十戒」というのは、ユダヤ教徒でなくても聞いたことのある言葉だろうし、モーゼというのも聖書を読んだことはなくても知っている人が多いでしょう。でも、本当にモーゼって何した人?十戒って何?って聞かれたらきちんと説明できる人はそんなに多くないのかも。そんなアナタもこの物語を見れば、この旧約聖書の「出エジプト記」に登場する「モーゼの十戒」のお話を知ることが出来るでしょう。

1956年の作品ですが、色使いなどはとても美しく、3時間40分という長丁場もモーゼの波乱万丈の人生に飽きることなく見ることができると思います。現在のCG技術でもって製作すればそれはそれはもの凄い迫力になるんだろうけど、この当時の特撮技術もなかなかのもの。50年前ということを考えるとこれが時代の最先端だったんだろうなということが分かります。

モーゼを演じるのはチャールトンヘストンで、これだけの長丁場を引っ張りきるだけの優れた度量のある俳優であることは、ワタクシのような若輩者が言うのはおこがましいといったところだろう。旧約聖書の中でもかなり初期に初めてユダヤ人たちをひとつにまとめた存在であるモーゼだから、チャールトンヘストンのような野性味と知性が混在した俳優が演じなければ説得力がなかっただろう。

そして、敵のエジプトのファラオをユルブリンナーが演じているが、この当時ハリウッドには彼ほど個性的でエキゾチックな魅力を持った俳優は他にいなかったのではないだろうか?観客の中には主役のモーゼよりも憎むべき敵である眼光鋭いファラオのほうに魅かれた人も多いのでは?

ここにも何度か書いていると思うけど、本当に旧約聖書って人間関係も神と人間の関係も本当に摩訶不思議なことがいっぱい起こって、読み物として最高に面白い。この「十戒」に出てくるエジプトにふりかかる10の災いとかだってすごくエグいし、宗教書でこんなにエグくていいの?って思っちゃう。そして、ここに出てくる「過ぎ越しの祭り」を今でもユダヤの人たちが祝ってるんだと思うと本当に生活に染み込んだ書なんだなということがまたすごい。

3時間40分がしんどいと言う人もいるだろうけど、途中で休憩があるので、1日目、2日目というふうに分けて見てもいいと思いますよ。
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トスカーナの休日

2006-08-09 | シネマ た行
ひょんなことから夫の浮気を知った作家ダイアンレインがひょんなことからイタリア観光ツアーに参加し、たいした決意もなく思いつきでトスカーナに家を買う。そんなところから始まるストーリー。原作はベストセラーだったそうだけど、こういうタイプの本がベストセラーになるということはやはり疲れている人が多いのかな?

西洋の人にとって、このトスカーナというところはすごくイメージのいい憧れの地であるらしく、特にお堅い人が少し力を抜いて静養し人生を見直すには絶好の場所のように扱われることが多い。ワタクシも一度トスカーナ地方の田舎のほうに行ったことがあるが、確かにあの美しい風景は疲れた心を癒したり自分の人生を振り返って見直すにはピッタリの場所と言えるだろう。

物語はアメリカ人のダイアンレインの目を通したイタリアなので、いかにもステレオタイプなイタリア人っぽい人が出てくる。ただ、イタリアと言ってもナポリのほうの南イタリアではないのでいかにもご陽気なイタリア人というのとはまたちょっとイメージが違うかもしれない。

家を買ったと言っても、改築が必要な古い屋敷で、ポーランド人職人を雇って自らも一緒になって家を改築していくようすはとても西洋の人たちらしい風景でこれにはとても憧れのまなざしで見てしまう。

「どうして自分ばかりが不幸なのか?」と嘆いているうちは幸せは訪れず、人のために幸せを願うとき自然に自分の手の中にも幸せが舞い込んでいるという一見ベタだけど、普遍的で実は奥の深いテーマが隠されているような作品。主演がダイアンレインということもあって大人な雰囲気の作品にできあがっているが、しっとりとするばかりではなく微笑ましいシーンや面白いシーンなども登場するので飽きずには見られると思う。ただ、大きな展開がある作品ではないので、派手な作品が好きな方にはおすすめしない。

オマケ「運命の女」のときは美しかったダイアンレインだが、この作品では随分頬がこけて疲れた印象だった。初めはこの映画のヒロインが疲れているからそれでも良かったのだけど。このお話が終わったあとからこのヒロインの頬も幸せでふっくらしてくるかな。
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オーシャンズ11

2006-08-08 | シネマ あ行
公開されたとき、ジョージクルーニーブラッドピットが出ていることもあって見に行った。スティーブンソダーバーグチームの作品ということで話題作でもあったしね。

けど、見に行ったときは恥ずかしながら途中から何が何だかだんだん分からなくなってきて、一番面白い部分がうーん、イマイチ分からないってな具合になってしまって、きっと分かっていれば面白いに違いないのになぁと悔しい思いをしたのであった。それ以来、なんかよう分からんままの映画だったのだけど、こないだテレビで放映していたので、見直してみた。今回は吹き替えということもあってか、展開にきちんとついていけたので、彼らのたくらみのカラクリをきちんと楽しめた。そう言っても、ワタクシが初めて見たときはなんだかポケッと見てしまったから分からなかっただけで、そこまでもの凄ーーくややこしいというワケではないからご心配なく。

ジョージクルーニーとブラッドピットともに好きなワタクシはこの2人のお茶目な共演を見るだけでもかなりお得感アリなので、その時点で贔屓目になっていることは書いておいたほうがいいかもしれないが、大掛かりなベガスのカジノの金庫破りの作戦を観客も騙しつつ進めていく過程はとても楽しめるものであると思う。途中で、自分も仲間な気分で楽しんでいるとまんまと彼らに騙されたりね。2人以外のキャストの中ではスリ一家のウブな息子を演じるマットデイモンがどんくさくて可愛らしかった。

ただ、ワタクシはジョージとアンディガルシアジュリアロバーツの三角関係の描き方はめちゃくちゃ納得がいかなかった。個人的には「なんでジュリアロバーツがディーバなワケ???」ってハナっから思っているのだから、この三角関係が面白いワケはなんやけど、ヒロインがジュリアロバーツということを抜きにしてもこの元女房がジョージのところに帰っていくシーンにはもうあきれて開いた口がふさがらない。

「12」のほうはドタバタ感が増えていて、ジュリアロバーツ本人が劇中でジュリアになりすますというビックリ楽しい展開やマットデイモンがまた新たにドンくささ満開で良かったりするのだけど、「11」で盗んだお金を返すための窃盗というのと、フランス人の芸術的強盗犯との腕比べなんていう部分がまどろっこしく、ここで取り上げるほどの作品ではなかったことは残念だ。
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ユナイテッド93

2006-08-07 | シネマ や行

まず、声を大にして言いたい。
この映画を見終わってエンドロールが流れ始めた直後にさっさと席を立って帰って行った人たちの気がワタクシにはまったく知れない。そんな人の気持ちはまったく分からないし、分かりたくもないし、自分がその人たちの気持ちを分かる人間じゃないことがむしろ嬉しいくらいだ。

9・11アメリカ同時多発テロ事件でハイジャックされた4機の旅客機のうち、ワールドトレードセンターに2機が激突、アメリカ国防総省ペンタゴンに1機が墜落、そしてその残りの1機のことを描いたこの作品。その機内で一体何があったのか?ボイスレコーダーや家族への電話からその真実を再構築した作品。

「映画」のデキとして言うならば、ポールグリーングラス監督の演出や全体の構成力は素晴らしい。この事実を映画にし、多くの人に伝えようという監督の真摯な態度が伝わってくるデキである。そして、「内容」について語るとなるとそれはかなり難しい作業になる。自分が自分の人生をどう受け止めているか、本当に心から純粋に愛する人がいるかなどによって衝撃の度合いは変わってくるような気はする。

ここで、イラクとアメリカについて語ることはやめにしておく。それは、複雑な背景があって、ワタクシも正確なことをすべて理解しているわけではないからということもあるが、むしろそれはメインの理由ではなく、それを語るのは少し違う気がするというのが、この作品を見た後の率直な感触だからだ。9・11そのものがアメリカの自作自演であるとか、そういう噂や検証が行われているが、この作品では誰が加害者であったのかということが問題になっているのではなく、この事件で実際に被害をこうむった人々がいることは確かなのである。このブログではアメリカの自作自演説についてはあえて触れないでおく。

それは、どちらが「悪」でどちらが「善」だとかいうことではなく、あの機内で起こったことは正に人間の根本的な生きるということへの情熱というか執念というものをまざまざと見たような感じがした。あの乗客たちにはテロリストたちは完全な悪であったには違いないのだけど、彼らが「悪」だから戦うとかそんな定義づけというか、大義名分めいたものはそこには一切存在せず、そのテロリストたちが自分たちの命に、人生に、愛する者に、自らの存在に立ちはだかるものであるから。だから、戦うのだ。そういう人間の生き様をそこに見た。

正義は勝つのか?「正義」とはいったい何のことか?そんなことがまったく分からなくなる中で、ただただ自分の人生を守り抜くこと。最後にはそれしかなくなるのかもしれない。

この作品はアメリカ擁護でも批判でもなく、ヒロイズムでもない。ただの人間の愚かさと傲慢さと強欲さ、そしてそれに反した優しさや無欲さや愛を観客は目撃するのだ。ワールドトレードセンターでの件でもそうであったが、救いのない事実の中で乗客たちが最後に家族に伝えたかったことはやはり「愛」であったということが唯一の救いだと薄っぺらい気持ちではなく心の奥深くで感じた。

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スーパーマンリターンズ

2006-08-04 | シネマ さ行
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