シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

沈黙を破る

2009-05-22 | シネマ た行
20年以上に渡り、パレスチナ・イスラエル問題を取材してきたフリージャーナリストの土井敏邦が監督したドキュメンタリー。

「沈黙を破る」とは占領地の任務についた経験のあるイスラエルの兵士たちによって作られたNGO。

彼らは、イスラエル軍が占領地で行っていることがどんなに自国を蝕んでいるかをイスラエルの一般市民に向き合ってもらうために、占領地で起こる残虐なこと、虐待、略奪、殺戮や、自分の中の変化を語るためにこのNGOを立ち上げ、2004年6月イスラエルの首都テルアビブで占領地での写真を展示する展示会を開いた。

土井氏は、この「沈黙を破る」のメンバーに話を聞くと同時に、パレスチナ側の住民にもインタビューを行い、ここで起こっていることを両サイドから見せている。

最初に占領される側のパレスチナの被害が語られる。ここで、印象に残ったのはボランティアで来ているアメリカ人女性が泣き崩れるシーンだ。ボランティアで来ている人が、こんなところで泣き崩れるなんて、多分厳しい地域でボランティアをしている人たちにとってはお笑い草なことなのかもしれないけど、ワタクシは彼女の行動に人間らしさを見出し、心を揺さぶられた。「こんなことが起こっているのはアメリカのせいだ。私はアメリカ人であることを恥じる」という彼女。そんな彼女に「私たちと同じように苦悩している」と現地の人は理解を示す。

圧倒的な軍事力を持つイスラエル。パレスチナは敵。若者は兵役につくのを当然のことと考え、占領地に向かう。彼らは兵士が怪物に変わるのは簡単な事だと言う。毎日、残虐な出来事を目にしていると、自分の気持ちをシャットアウトして、そのことについて深く考えないように努める。そしてついには、それに慣れてしまう。

「沈黙を破る」のメンバーが証言してくれる内容が、それぞれとても印象的だ。彼らは、占領地で起こることを告発して、まるで国に逆らっているように思えるが、実はそうではない。彼らこそ、自分の国の行く末を真剣に考え、このままではこの国は死んでしまうと懸念している。イスラエルの人全員が、この現実を直視しなければならないと。彼らは、左翼でも右翼でもなく、ただ自国民に現実を見つめることを求めている。

彼らの一人は言う。「“兵士たちはとても大変”と言うがそれは違う。軍隊の任務は大変なんかじゃない。人は簡単に怪物になれる。それが問題なのだ。兵士が大変と人事のように言っているが、問題はそこではなく、国民一人一人が自分のしていることを振り返って見なければいけない。我々はあなた方一人一人が“敵”に送った“兵士”なのです。我々はあなた方の“拳”なのです」そして、別の兵士はイスラエルの諺を引用してこう言う。「他人の過ちから学べ。すべての過ちを犯す時間はないのだから」つまり、彼らはイスラエルのことだけを言っているのではない。ここで起こっていることは世界中のどこにも当てはまることなのだと。

このNGO団体の顧問をしているラミエルハナン氏は、自らの14歳の娘をパレスチナの自爆テロで殺されたのにも関わらず、「すべての争いの解決には、結局は“話し合い”しかない」と言う。最愛の娘を殺されながら、その発言ができるエルハナン氏にとても感動した。

憎しみを憎しみで返しても何も解決しない。占領は自国民をも蝕む。それを知って欲しい。自分のしてきたことや、自分の息子のしたことを否定したくないばかりに、息子のしていることに反対する両親や、パレスチナの子供よりもイスラエルの子供のことを考えろという政治家にも彼らは冷静に話し、理解を深めようとする。彼らの言うとおり、これはイスラエルでだけ起こっていることではない。たくさんの国の国民が自分たちのしていることに目をつぶって生きている。そんなワタクシたちの目を覚まさせてくれるドキュメンタリー作品。見る人が少なすぎるのが残念だ。

子供の情景

2009-05-21 | シネマ か行
アフガニスタンのバーミヤン。2001年タリバンによって仏像が爆破されたところと言えば、多くの人があの事件を思い出すだろう。この物語はそのバーミヤンの近くに住む6歳の少女バクタイニクバクトノルーズが主役。隣に住む幼馴染の男の子アッバスアッバスアリジョメは小学校に通っているのに、バクタイは通えていない。アッバスに学校に通うにはノートが必要だと言われ、ノートを買うお金を得るために街に卵を売りに出かける。ほとんどの人に無視され、ぶつかって卵を割られるが、パンなら買ってやるというおじさんに残りの卵を売るために、卵をパンに替え、パンをお金に替え、そのお金でノートを買いに行った。そして、バクタイはアッバスと一緒に学校へ行くが、そこは男子校だから女子校へ行けと追い出されてしまう。

と、ここまでは同じイラン出身のアッバスキアロスタミ監督の「ジグザグ道3部作」のような雰囲気で、ノートを買うために卵を売ろうとするバクタイの姿がなんともかわいらしく健気で、なんか痛々しい。この辺まではね、普通にバクタイがんばれーとか、どうしてこういうアラブ系の映画に出てくる大人はいつも子供に妙に冷たいんだろう。それも文化の違いだろうか…とかそんなことを悠長に考えている暇があったんですがね。

それが中盤にきて、作品の雰囲気ががらっと変わる。学校を目指していたバクタイが、戦争ごっこをしている男の子たちに捕虜として捕まってしまうのだ。子供はどこの国の子も戦争ごっこぐらいはするだろう。まぁそれがいけないことだとしてもだ。でも、ここアフガンの子供たちの戦争ごっこは妙にリアルだ。捕虜を捕え、穴を掘りそこに埋めて“処刑”する。投石の刑に処す。ワタクシたちもテレビで見たことがある袋に目と口の部分に穴を開けたものを頭からかぶせられて。バクタイは抵抗する。「戦争ごっこは嫌いよ。処刑なんてイヤよ」と。それでも、男の子たちはまったく聞く耳を持たない。実際にバクタイを殴ったり、バクタイに石を投げたりはしないが、見ているこちらは恐ろしくてたまらない。

それでも、男の子たちはただ“ごっこ遊び”をしているだけなのだ。ただ、面白いから大人の真似をしているだけなのだ。殺すのはスパイかアメリカ人。だって、大人がそうしてるから。子供たちはなんの疑問も持っていない。バクタイがどんなにマトモなことを言って抵抗しようとも、聞く必要なんかない。バクタイのことをかわいそうだと思う子もいない。一緒に標的にされたアッバスが最後に言う。「バクタイ、死ぬんだよ。自由になりたいなら死ぬんだよ」アッバスは男の子たちの遊びを心得ている。死んだ振りさえすれば、あとは放っておいてくれる。死体には見向きもしないことを知っている。

子供たちのごっこ遊びがどれだけ現実社会を投影しているかと考えると、背筋が凍る思いがする。彼らの銃を持つ手つきや、扱い方、銃を撃つ真似をするときの音真似が日本の子供たちのそれとはまったく違うことが分かる。アフガンの子たちの物真似は格段にリアルなのだ。彼らが銃を撃つ真似をする「シューシュー」という声がしばらく耳から離れない。

監督はイランの映画一家の次女ハナマフマルバフ。脚本は彼女の母マルズィニメシュキニ。ハナは20歳になる前にこの作品を撮ったというからオドロキの才能である。さすがはモフセンマフマルバフを父に持ち、お姉さんもサミラマフマルバフという映画一家のサラブレットである。

この映画の原題は「Buddha Collapsed Out of Shame」「ブッダは恥辱のために崩壊した」といい、父親のモフセンマフマルバフの著書「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のために崩れ落ちたのだ」から取られたものだと思われる。この著の中でマフセンは「バーミヤンの仏像は世界のアフガニスタンに対する無知を恥じて倒れた。仏は貧困と、無知と、抑圧と、そして大量死を世界に伝えるために崩れ落ちたのだ。しかし無頓着な人類は、仏像の崩壊についてしか耳に入らない。こんな中国の諺がある。“あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている”」と語っている。仏像が倒れたことばかりに話題が集中して、そこにあるアフガニスタンの現状には誰も目を向けないというわけだ。指を見ていないで月を見なければいけない。それを娘のハナもこの作品を通してワタクシたちに訴えかけている。

BABY!BABY!BABY!

2009-05-20 | シネマ は行
試写会が当たったので、行ってきました。「ナースのお仕事」のスタッフ再結集ってことなんですが、「ナースのお仕事」は見てなかったし、あぁいうノリのドラマってあんまり好きじゃないし、観月ありさも別に好きじゃないし。ってだったら、試写会行くなよって話なんですけどね。沖縄映画祭でも話題になってたし、妊娠・出産コメディっていうのも日本映画ではいままでにはなかったなぁと行っちゃいました。

バリバリのキャリアウーマン佐々木陽子(観月)が仕事先の海外で、酔った勢いでカメラマン谷原章介とヤッちゃって、妊娠しちゃって、さてどうしましょうってな話なんだけど、このスタートからいきなりあまりにも現実離れっていうか、佐々木陽子ってバカか?みたいに冷めた目で見てしまって、あんまり入り込めず。いい歳した大人が酔った勢いで妊娠ってねぇ…カメラマンの谷原章介もろくに知りもしない女に「俺の子を産んでくれ」って土下座しちゃったりなんかして、しかも、なぜか結婚までしちゃうってわけ分からん。

コメディなんだから、そんなことに目くじら立てないで楽しまなくちゃいけないんだろうけどさ、映画を見る前に「少子化の日本を元気にしたい」みたいな製作者の声を聞かされたもんだから、もうちょっと期待しちゃったよ。

それに、そんなことを言うんだから、いくらコメディでも妊娠・出産についてはちょっとはリアルなのかなぁと思ってたら、全然違うしな。あのよくある陣痛が来て「う、産まれる~」みたいのとかさ、陣痛が普通に来ただけなのに救急車呼んじゃうとかさ、救急車が病院に連絡もなく産気づいた患者を連れてきちゃうとかさ、その他もろもろ、いままでの出産シーンとなんら変わらないアンリアルさ。

結局、劇中で佐々木陽子が言うように、出産で損をするのは女ばかりじゃんみたいなことが何もくつがえされず、中和さえされず、これじゃまた子供産みたくないっていう女性が増えちゃうんじゃないの?って思えてきた。とは言えワタクシ個人は少子化でもいいんじゃねぇの?と思っている人間だから、それはそれで構わないのだけれど。

まぁ、ところどころクスッと笑えるところは多少なりともありました。わざわざ映画にしないでも、連ドラかなんかで良かったんじゃないかな。

オマケ試写会は某百貨店で行われました。おそらく買い物に来た方にも応募箱とかが用意されていたんでしょう。客層がおばさまたが多くて、ほとんどが茶の間気分でべらべらしゃべっていて不快でした。どうして彼女たちは、思ったことを口にしないではいられないんでしょうか?

グラントリノ

2009-05-19 | シネマ か行

監督としてのクリントイーストウッドの手腕は疑う点は何一つないので、彼が監督した作品とあれば、見に行かないわけにはまいりません。

朝鮮戦争の帰還兵で、フォードの工場に長年勤めたミスターグッドオールドデイズなウォルトコワルスキー(イーストウッド)。偏屈で頑固で心を開かない彼は息子たちや孫たちからでさえ嫌われていた。そんな彼の近所には最近たくさんのアジア系モン族移民が越してきていた。アメリカ中西部の白人にとっておもしろいわけがない。

そんな彼の大切にしている愛車グラントリノを隣の少年タオビーヴァンが従兄のチンピラに命令されて盗みに入る。ウォルトは機関銃でタオを追い返し、そのお詫びにタオはウォルトの手伝いをすることになる。ウォルトとタオ、タオの姉のスーアーニーハーとの交流は心温まるものがあり、ウォルトもただの人種差別主義者などではなく、ただの偏屈親父だということが伝わってくる。イタリア系の理容師とのやりとりを見ても、彼が人種差別主義者というわけではないということが伝わってきて、こういう演出はうまく光っていた。そもそも彼が根っからの人種差別主義者なら、タオたちとの交流もあまりにも簡単に趣向変えした感じがして無理があるけど、ワタクシには彼が筋金入りの人種差別主義者には思えなかった。ウォルトはただ時代の流れについていけない時代遅れのじいさんなのだ。

チンピラどもからタオやスーを守ってやろうとするウォルトの姿はまさにアメリカンヒーローであり、「殴られたら殴り返せ」という典型的なアメリカのヒーロー像がそこにあるように感じていた。それだけに、武力では勝てない相手にどのように決着をつける気なのか、最後の展開が気になったのだけど、ウォルトのけじめのつけ方はそれはそれで彼の選択としては、最善のものだったのかもしれない。彼自身、思い残すことは何もないといったところだったんだろう。途中まで、イーストウッド演じるウォルトがまさに“アメリカ”そのものだと感じていたんだけど、最後の自己犠牲を見せることによって、保守派のイーストウッドも歳を取って少し「殴られたら殴り返せ」だけじゃダメだって思い始めているのかなという感じがした。

ただ、物語としてはそれだけではどうだろう?という感じはした。息子たちの親父の嫌いようは半端なものではなかったし、孫にまであそこまで嫌われるおじいちゃんって一体?って感じで、彼の家族が持つウォルト像と観客に見せられるウォルト像にギャップがありすぎて、それをこっちが想像で埋めるしかないというのは、ちょっとイーストウッド監督らしくない手落ちのような気がした。それならば、息子たちとの確執を神父クリストファーカーリーへの懺悔をいうだけで終わらせず、なにかしらの展開を加えたほうが良かったんじゃないかという気がする。

最初のほうで頻繁に登場する神父も途中ぱたっと登場しなくなったかと思えば、後半になってまたいきなり登場してきたり、ちょっと進行のもたつきは感じた。

それでも中西部の頑固な白人とニューウェーブとしてのアジア系移民とのぎこちなくも温かい交流の中でのセリフのやりとりなどは、さすがのユーモアが感じられたし、最後の展開もイーストウッドらしいなぁとうなずかずにはいられない、“いい映画”ではあった。

これで、イーストウッドの役者としての仕事は最後だとか言っちゃってるけど。あの「うぅ」といううなりだけで“オヤジ”を表現できてしまう役者としての彼を封印するのはもったいなすぎる。

オマケそれにしてもアメリカにはなんて帰還兵が多いんだろう。第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争…その他もろもろ合わせるとどの世代にも帰還兵がいると言っても過言ではないだろう。


スラムドッグ$ミリオネア

2009-05-18 | シネマ さ行

アカデミー賞作品賞を受賞したこの作品。どうしてアカデミー賞作品賞を獲った作品なのに、こんなに上映館数が少なく、上映しているのも小さい劇場ばかりなんでしょうか?配給会社の売り込みミス?日本に来るころにはもうすでに各国で賞を獲っていたはずなんですけどねぇ…

さて、誰もが知っている「クイズ$ミリオネア」のインド版。このテレビ番組はもともとイギリスの番組だったんだけど、世界中のテレビ局がこぞって製作した超人気クイズ番組。それに参加したジャマールデヴパテルはスラム育ちにも関わらず、次々と難問に正解していき、最後の1問というところで、時間切れで番組は次の日に持ち越される。その日の収録が終わるとジャマールは警察に連行され、お前なんかがこんなクイズに答えられるわけはない。なにか不正をしたんだろ。吐け。と拷問される。そこでジャマールは警部イルファンカーンに自分がどうしてクイズの答えを知りえたか、自分の生い立ちを語り始める。

クイズの答えを知りえた過程を話すことで、ジャマールの半生が少しずつ明らかになっていき、そこでの兄サリームマドゥルミッタルや初恋の人ラティカフリーダピントとの関係が語られる中で、インドにおける貧困、幼児虐待、宗教紛争、急速な近代化といった社会的な問題もからめて話は進んでいく。

ジャマールが問題の答えを知った過程と彼の生い立ちがうまくからまっていて、その語りの手法は見事というしかない。できすぎた話といえばそれまでだけど、そのへんは、ジャマールやラティカの少年時代を演じるアーユッシュマヘーシュケーデカールルビーナアリの可愛さでカバーできるというものだ。彼らの初々しい恋の物語はこのお話にとても爽やかな印象を残してくれる。

ダニーボイル監督って「ザ・ビーチ」までの作品しか見ていないんだけど、「シャロウグレイヴ」以降どんどん落ちるばっかりって感じがしていたけど、今回は起死回生、っていうのは言いすぎか「ミリオンズ」とか見てないし。やっぱり青春を描くのがうまい人だと思う。「シャロウグレイヴ」も「トレインスポッティング」もブラックな青春だったけど、それでもやっぱり独特の純粋さとかはあったと思う。今回はそれが、もっとストレートな形で表現された青春映画だった。

幼少時代は、興味深いエピソードが語られ、少年・青年期に入り、ラティカとの恋の行方が気になり、ハラハラドキドキさせられるシーンもあってハッピーエンドで言うことなし。って感じかな。最後にテレフォンでラティカが「(答えを)知らない」って答えるところがなぜか大好きなシーンだった。もうあの電話がつながった時点で二人にとってはクイズの答えなんてどうでも良かったんだよね。最初に観客に問題が出されていたことを最後には忘れていたけど、ちゃんと「運命だった」って答えを教えてくれて、それにもニンマリさせられた。

これで作品賞ノミネート作品は「愛を読むひと」以外は全部見たわけだけど、作品賞を獲るほどの映画なのかなという気もありながら、この不況の中、こういうハッピーエンドな作品が選ばれたのはなんとなく分かる気がする。

オマケボリウッド映画が好きではないワタクシとしては、エンドロールの映像はちょっといらないなって感じだったけど、ダニーボイル監督はボリウッド映画に敬意を示したかったんでしょうね。ま、良しとしましょうか。


ウォーロード~男たちの誓い

2009-05-15 | シネマ あ行
これもGW前に試写会で見てきました。

ワタクシの周りにはジェットリーのファンが多いので、大きな声では言えないのですが、この映画の中のジェットリーがほんこんにしか見えなかったのはワタクシだけでしょうか?映画自体も香港、台湾で映画賞を総ナメにしたそうだし、ジェットリー自身も主演男優賞を獲得しているということらしいので、ほんこんにしか見えなかったなんてワタクシだけなのかもしれない。

清朝末期を舞台した実話の映画化という本作。中国ではとても有名なお話なのだろう。日本で言うと幕末の薩長とか新撰組とかそういう感じ?

太平軍との戦いで1600人の兵士をなくした清朝軍の将軍パン(ジェットリー)は、途方に暮れてさ迷い歩いていたとき、一人の女性シュージンレイに出会い一夜を共にするが、次の朝女性は消えていた。街で盗賊のウーヤン金城武と出会い、兄貴分で盗賊の頭であるアルフアンディラウに紹介される。一夜を共にした女性がアルフの妻リィエンであることを知ってショックを受けるパンだが、アルフ、ウーヤンと“投名状”を交わし義兄弟の契りを結んで、清朝軍に参加し、太平軍と戦うことになる。

この“投名状”というのが、すさまじいもので、「義兄弟の命を狙う者は必ず殺す。それがたとえ義兄弟であっても」という誓いなのだけど、その誓いを立てるときにそれぞれが一人ずつまったく関係ない人を殺す。それだけ重い誓いなのだということなんだと思うけど、それで殺された人はたまったもんじゃないな。

アルフを演じたアンディラウが非常にカッコよくて、主役はパンなのに、ワタクシはアルフにかなり肩入れしてしまった。常に仲間を大切にし、死んでいった仲間を悼み、敵でさえ温情をかけるアルフ。そんなアルフの妻が彼に不満を持ち、パンに惹かれていったというのが全然納得できない。アルフが粗野だからみたいな感じで語られていたけど、そんなふうには全然見えなかったんだよねー。これは演出のミスって感じがするな。

ワタクシがアルフに肩入れしていたからなのかもしれないけど、敵の大将が自分の命はやるから、残された兵士たちは生かしてやってくれと約束して明け渡された蘇州で、結局兵士たちの食いぶちに困るからと皆殺しにしてしまったパンと、約束を果たそうとしたアルフの間に諍いが起こるが、そのときもかなりアルフの味方をして見てしまった。あのシーンでは、辛いけどこうするしかないというパンの気持ちに寄り添わなければいけないと思うんだけど、それができなかったのは演出が悪いのか、ほんこんにしか見えなかったワタクシが悪いのか。

3人のうち一番下の弟のウーヤンは2人の兄の間でオロオロするが、そんなちょっとどんくさそうで純粋なウーヤンに男前の金城武がとてもよく合っていた。この映画のために金城武も辮髪にしたとか書かれてあるけど、彼は劇中不自然なまでに一回も帽子やかぶとをとることはなかったので、おそらく他の仕事との兼ね合いで辮髪にはできなかったのだろう。

映像やセリフも良かったし、泥臭い男臭さがカッコよかったんだけど、ストーリーの流れがいまいち悪い感じがする作品だった。実話でみんなが話を知っているから、そんなに中国の人たちは流れの悪さは気にならなかったのかもしれない。

レイチェルの結婚

2009-05-14 | シネマ ら行

普通の高校生が突然一国のお姫様になったり、ダサいジャーナリスト志望の女の子が華やかなファッションの世界で変身したり。そんなアイドル女優としては王道の作品がお似合いだと思っていたアンハサウェイがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたっていうから、ちょっとビックリしたんだけど、考えてみたら「ブロークバックマウンテン」のときにただのお嬢様女優じゃないわよ、私。ってとこ見せていたなぁと。それなら、と、見に行く気になったこの作品。

確かにアンハサウェイの演技は素晴らしかった。麻薬から立ち直ろうとしているキム。更生施設から一時外出で、姉レイチェルローズマリーデウィットの結婚式のために実家に帰る。キムは気が強く思ったことをバンバン言うタイプの娘のようだけど、その心の底では家族の愛情を渇望していることがアンハサウェイの演技からよく分かる。彼女がどうしてこんなふうになってしまったのか、映画の導入部ではそのことに興味が湧き、これからの物語の展開が楽しみになる。

のだが、、、

「過去と向き合う家族像」というのは、映画の展開としては何もめずらしくもなんともない。それでもやっぱり感動しちゃうのは、そこに多かれ少なかれ観客が自分と重ねてしまうような物語があるからだと思うのだけど、こんなにも物語が語られない映画だったら、自分と重ねるもなにも、観客はすっかり肩透かしをくらった形になってしまうというものだ。

キムと姉はよく口論し、お父さんビルアーウィンはそれにオロオロ。離婚した母親デボラウィンガーが結婚式のために登場したことで、なにか展開があるのかと思いきや、このお母さんまでもが過去とは向き合わず、キムがこうなったのも、当然と言えば当然と思っていると、なんだ、キムってば、その事件の前からジャンキーだったんじゃん。なんじゃそら?これで一気にキムにも同情心が沸かなくなってしまい、結局誰にも感情移入できないまま、レイチェルの結婚式の様子がホームビデオでも見せられるかのように延々と続く。レイチェルの結婚式のダンスシーンなんかに時間を割いてるヒマがあったら、もっと語るべきことがあるでしょう?と言いたくなってしまう。お父さんやレイチェルの夫になるシドニートゥンデアデビンベが、音楽関係者ということで、劇中に素晴らしい音楽が流れるんだけど、そんなの実際の物語が素晴らしくなければ、余計なものにしかなりえない。

結局のところ、この家族は誰もまともに相手に向き合わないのね。まぁ考えようによっちゃそれはリアルって言えばリアルなのかもしれないんだけどさ。本物の家族ってそんなに真剣に問題に向き合わないまま生活しちゃったりするもんだし。でも、そんなもん映画でわざわざ見たくないというか、それ見せられてもなぁって感じだね。みんな別に悪い人じゃないんだけどさ、まぁお姉ちゃんもこの家族の中では「子供」の位置づけだからあれでも仕方ないにしても、お母さんがあれじゃ、キムはあの家族から思い切って離れたほうが幸せになれるかもね…

そんな物語でもアンハサウェイの演技は見るに値すると思うので、彼女のおかげで少しは救われたということかな。

オマケお姉ちゃんレイチェルを演じていたローズマリーデウィットがあまりにもデボラウィンガーに似ているので、なにか遠縁にあたる人?と思ってプロフィールを見ると、デボラウィンガーとはまったく何の関係もなくて、なんとあの「シンデレラマン」のジムブラドックがおじいさんというから驚いた。


GOEMON

2009-05-12 | シネマ か行

GW前から見ている映画が何本かたまっています。
徐々にUPしていこうと思います。

さて、もう3週間くらい前になってしまいましたが、試写会に行ってきました。もうすでに公開されていて、ウワサでは成績は上々らしいですね。

「CASSHERN」を見たあとに「あ~監督のマスターべーション見せられたな」(下ネタ失礼!)って思ったんですけど、この作品を見たあとの感想は、「あ~紀里谷妄想ワールド炸裂~」でした。あの映像の感じとかは前作を見ていたので、だいたい想像がついたから、もうそこは好き嫌いの問題かなと。ワタクシは嫌いですな。いや、あの感覚は嫌いじゃないですよ。時代劇なのにちょんまげ結ってないとことか、服装とか目の色、建物、背景、全部全部時代考証なんて無視っていうの。あれはあれであの世界が成り立っているし、全然問題ないんです。歴史好きな人なら文句を言うであろうストーリーについてもワタクシそんなに嫌いじゃないです。ただ、あの戦いのシーンがいただけない。どうして、いきなりテレビゲームみたいな映像にしちゃうの?現代のCG技術を考えれば、普通の映像みたいにもできるはずだよね?ということは、あれはわざとあんな映像なんだよね?なんで?あのテレビゲームみたいな映像になるといきなり別世界へワープしちゃう感じで、物語からそこだけ浮いちゃうんだよね。んー、まぁこれはほんと好き嫌いの問題だと思うんで、好きな人は全然気にならないのかもしれないけど。

あとは、中盤から後半にかけて、クライマックスが多すぎてしんどい。短い時間のプロモーションビデオを作ってきた人が前作でプロモーションビデオを2時間に引き伸ばしたような映画を作って、それでは“映画”というエンターテイメントではダメだということは勉強したのか、今回はより“映画”としての体をなしていたとは思うんだけど、映画ってね、盛り上がりがいっぱいあればいいってもんじゃない。結局どの部分が一番見せたいクライマックスだったのかが分からなくなっちゃってた。そのせいで、五右衛門の平和への願いみたいなものがピンボケしちゃってるんだよね。それが言いたいならもっとそこへ向かってきちんとベクトルを向けて物語を語っていかなくちゃ。あれもこれも欲張りすぎちゃったんだろうね。

キャストはねぇ、もうなんかこれ、なんでこんな人集まんの?っていうくらいイイ人たちが集まっちゃってますよね。ちょい役に、玉山鉄二佐藤江梨子鶴田真由りょう佐田真由美ですよ。紀里谷和明って人気あるんですかね。まぁ、業界ではこういうタイプのをおもんないとか言うと分かってない奴のレッテル貼られちゃいそうですからねー。主役の江口洋介はもちろんカッコよかったけど、今回それ以上に霧隠才蔵を演じた大沢たかおがめちゃくちゃカッコよかったですね。彼の処刑シーンで映画が終わってもいいくらいのカッコよさでした。個人的に広末涼子は嫌いじゃないですが、茶々の役には前作「CASSHERN」に出演していた麻生久美子のほうがイメージが合っていたような気がします。茶々にというよりも麻生久美子の神秘的な感じが、紀里谷の映像世界に合ってるからだと思いますが。
明智光秀の配役が決まらなくて急遽監督本人が演じたって言ってましたけど、彼自身もなかなかの男前で明智光秀役は結構キマってました。
五右衛門の青年時代を演じた田辺季正と才蔵の青年時代を演じた佐藤健がそれぞれなんとなく江口洋介と大沢たかおに似ていて、こういうところのキャスティングを丁寧にやっていたところには好感が持てた。

「CASSHERN」を見たときにはもう二度とこの人の映画なんか見るもんかと思っていたのに、今回試写会ということで見に行ってみて、まぁ前作よりも進歩はしているなと思えたので、この映画そのものの評価はあまり高くしていないですが、次の作品ではまたもう少し進歩してくれるのではないかと期待はできるようになりました。


ミルク

2009-05-08 | シネマ ま行
ショーンペンがアカデミー賞主演男優賞他数々の賞に輝いた作品。これは見に行かないわけにはいかないのだけども、テーマのせいか上映館数がとても少ない。んー、もうちょっと館数増やしてくれてもいいんちゃうかなーと思うんですけどね。

さて、ハーヴェイミルクは1970年代にアメリカで同性愛者であることを公表して、政治家になった初めての人。その彼の半生を描くこの作品。

ミルクは40歳の誕生日に20歳下のスコットジェームズフランコに出会う。彼とサンフランシスコに移住し、小さなカメラ店を開く。それまでは、同性愛者であることを隠し、こそこそ生きていたミルクだが、サンフランシスコに移り住んでからは、堂々とスコットと道端でキスをし、近所の店主にイヤがられたりもした。

そのうち、徐々に彼らの店は同性愛者のたまり場になっていき、少しずつ自分たちで団結して権利を主張しようとミルクは公職に立候補することになる。

ミルクがこのように考えを変えていったのには、当時のアメリカで同性愛者が意味もなく警察に逮捕されたり、暴行されたりというようなことが横行していたからだ。彼らは、常に身に危険を感じ、いつでも助けを呼べるようにホイッスルを持ち歩いていた。そして、同性愛者が殺されるという事件が起きても、警察は犯人を見つけようとさえしなかった。たった30~40年前にサンフランシスコでもそんな状況だったのだから、他の地域では押して知るべしといったところだろう。

この作品では、ミルクが自分が暗殺されたときに公表してほしいというテープを録音しているシーンで自らの半生を振り返るという形でミルク選挙活動、私生活での恋人との関係や仲間との関係がうまく順を追って語られる。映画の作りとしては、非常に分かりやすく丁寧に描かれていて好感が持てる。その辺はとてもガスヴァンサンド監督らしいと言えるだろう。

ゲイムービーを見るといつもいつも不思議に思うのは、(いつも思っているので、もしかしたらこのブログで以前にも書いたことがあるかもしれないが)まず一つ目は、自殺を考えている十代の同性愛者の若者に対してミルクが「神は君を愛している」と言うシーンがあるけど、キリスト教の聖書には「同性愛は罪である」と書いてあるというのに、どうして同性愛者の彼らがキリスト教を信じ、「神は君を愛している」なんて言えるんだろう?ワタクシは“キリストは君を愛してないじゃん”って思っちゃうんだけど。だから、キリストなんて信じないってワタクシならなっちゃうところなんだけど、どうしても子どものころからの刷り込みで自分のことは否定されてもキリスト様を否定することはできないのだろうか?そして、二つ目は、この映画にも取り上げられているような「同性愛の教師をクビにしよう」なんていう法案が通過しそうにまでなるという現実だ。日本では、一般的にゲイは西洋に比べて自由でないと思っている人が多いと思うけど、特に積極的に認めてはいなくても、こんな法案が通過しそうになるほど公に否定されることはない。まぁ、陰湿に避けられてるという現実はあるとしても政府までこぞって否定しようとまではしない。黒人に対する差別などでもそうだけど、「公民権」を認めないということをある種の人間のグループに対してできてしまう精神構造って一体どこから来ているの?と疑問に思う。一部保守の人は「聖書に書いてあるから」って言えばそれですべての理屈は通るのかもしれないけどね。ここで、またワタクシの疑問は一つ目に戻ってエンドレスに続く・・・

少しずれました。ミルクの話に戻すと、彼はマイノリティの代表としてゲイの人たち以外からも支持を受けることになる。これは人間の多様性を認めるうえでとても素晴らしいことに感じた。ただひとつ残念だったのは、彼と敵対するダンホワイト議員ジョッシュブローリンを蹴落とすために、モスコーニ市長ビクターガーバーに“ゲイの組織票”を使って脅しをかけたことだ。あんなに派閥政治を嫌っていたのに、力を持った途端“マイノリティ”が“マジョリティ”になったかのように数で脅しをかけたミルク。あのシーンでワタクシは結局みんな政治家になると腐っていくのかとガッカリした。彼は直後に暗殺されてしまうから、その後彼がどんな政治家になっていったのか知るよしもないのだが。

冒頭にも書いたが、数々の賞に輝いたショーンペンの演技は本当に素晴らしく、本当にこれからも役者は辞めるなんて言わないで、どんどん映画に出演してほしいものだ。そして、ショーンペンの恋人役を演じたジェームズフランコがこれまた素晴らしく、彼が助演男優賞にノミネートさえされなかったことが不思議でならない。抑えた演技で目立つ役柄ではなかったけど、彼の細かい表情などが物語の中で重要な役割を果たしていたと感じた。彼はどんな作品に出ても素晴らしい役者さんで、若手の中ではワタクシはもっとも注目している。だからといって、助演男優賞にノミネートされたジョッシュブローリンのほうの演技が素晴らしくなかったという意味ではない。彼も、同様に素晴らしかった。

この作品の公開を記念して1984年の「ハーヴェイミルク」というミルク氏のドキュメンタリー映画が同時に公開されたけど、スケジュールが合わなくて見に行くことができなかった。とても残念だ。どっかでまたやってくれないかなぁ?