シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

バーニー~みんなが愛した殺人者

2015-05-22 | シネマ は行

テキサス州の小さな町カーセージに流れてきたバーニージャックブラックは葬儀屋で働いていた。バーニーは誰に対しても親切で仕事ぶりも誠実で町の人みんなから愛されていた。家族を亡くした遺族たちにいつもとても親切にしているバーニーは、資産家の夫を亡くしたマージョリーニュージェント夫人シャーリーマクレーンにも優しくしていた。ニュージェント夫人に優しく接するのはバーニーただ一人。というのも、ニュージェント夫人は意地悪で町中の嫌われ者だったから。

唯一親切にしてくれるバーニーとどんどん仲良くなっていったニュージェント夫人。海外旅行に2人で出かけたり、お金の管理をバーニーに任せたり、ついにバーニーは葬儀屋を辞めてニュージェント夫人専属の何でも屋になっていった。初めは楽しそうにニュージェント夫人に寄り添っていたバーニーだったが、徐々にニュージェント夫人の束縛がきつくなり、外でボランティア活動をしていてもニュージェント夫人から電話がかかればすぐに飛んで行かないとガミガミと文句を言われるようになっていた。

お給料がいいからか、ただのお人よしだからなのか、バーニーはニュージェント夫人の元から離れられず、どんどんストレスは溜まるばかり。ある日、バーニーはニュージェント夫人のガレージで夫人の猟銃で背中から4発の銃弾を撃ち込んでしまう。ああああ、なんてことをしてしまったんだーーーーとパニックになった時にはもうすでに遅い。夫人の生活の管理を何もかも任されていたのをいいことに、夫人は生きているが体調が悪く人前に出て来られないということにしてバーニーはなんとか日々をやり過ごすことにしたが、数か月後にさすがに探しに来た親族に地下室の冷凍庫の中に眠らされているニュージェント夫人の遺体を見つけられバーニーはすぐに御用となり、速攻で自白。検事のデヴィッドソンマシューマコノヒーはバーニーが愛される過ぎているこの町では公正な裁判にならないと裁判は場所を移して行われることになる。

バーニーやニュージェント夫人の人柄をカーセージの町の人たちがカメラに向かって証言していくモキュメンタリー方式。その証言とジャックブラックたちの再現VTRのようなものが交互に流れます。ワタクシはモキュメンタリー方式が好きなので楽しめました。しかも、この証言に参加しているのが、実際のカーセージの町で本物のバーニーたちを知っている人々だというのだ。町の人の証言があまりにもナチュラルで普通に役者さんを集めてやったのかと思えるくらいで驚いた。

町の人たちはバーニーが好きでニュージェント夫人が嫌いだったもんだから、たとえ殺したにしてもバーニーが悪いんじゃない。あんなクソババァを殺して刑務所に入るなんてバーニーが可哀想だの大合唱。「たかが4発撃っただけじゃない。5発撃ったわけじゃないわ」と言ったウエイトレスには笑ってしまった。

閉鎖された小さなコミュニティの中で判断が狂うってことはよくあることだと思います。あの中でバーニーが悪いって思っていても言えない雰囲気もあっただろうし。あの町で裁判が行われていたらバーニーは無罪になっていたかもしれないと思うと怖いですね。撃った瞬間は心神喪失とも言える状況ではあったと思いますが。

ニュージェント夫人がクソババァだってことは見ていて分かったし、誰かがキレて殺されてもおかしくない人生を歩んできたのかもしれないとは思うのですが、バーニーだって果たしてみんなが言うような聖人だったのでしょうか?

証言によると、バーニーはお店で気に入ったものがあるとそれを何個も買って色んな人に配り歩いていたのだとか。それを見ていい人だって言う人もいるでしょうけど、ワタクシだったら気持ち悪い。自分のお金が有り余っているわけでもないのにわけもなく人に物をあげる人ってなんかうさんくさいし、自分が気に入ったものをお店でいくつも買ってしまうなんてちょっと何かの病気なんじゃないかと思ってしまう。

ニュージェント夫人と仲良くなっていったときだって、いくら夫人がそう望んだことだからといって葬儀屋の仕事をほっぽらかして、彼女のお金で贅沢な海外旅行に何度も行ったりするなんて、立派な大人がやることとも思えない。夫人を殺したあとは夫人の財布を好きに使って教会に寄付したりしてたし、寄付だったら良いとかっていう問題じゃないよね。他にもいっぱい贈り物とかしていたみたいだし。みんなは夫人が死んでるとは知らないから感謝はしていたけど、生きていると思っていたとしても夫人のお金ってことは知っていたんだよなぁ。なんか物くれるから良い人みたいなのってどうかと思う。もちろん、バーニーは人柄も良かったんだとは思うけど、そこに物を介在させるのはなぁ。寄付とかっていうのが染みついているキリスト教社会だと違和感ないのかな。

リチャードリンクレーター監督はジャックブラックと「スクールオブロック」で組んでいるから今回も彼を起用したんだろうけど、ワタクシの感覚的にはバーニーの役に彼はミスキャストだったような気がする。ジャックブラックは大好きなんですけど、彼って毒舌系のイメージがあって、バーニーがふっと振り返ってカメラに向かって「あのクソババァめ!」とか言うんじゃないかっていう気がしてならなかった。そう言わないまでも絶対心の中で思ってるだろって思っちゃう。あと讃美歌歌ってても、いきなりまゆ毛を釣り上げて「キエーーー!」って奇声を発してロックを歌いだしそうな気がしちゃう。

エンドロールで服役中の本物のバーニーが映るんだけど、ジャックブラックと違って本当に人の良さそうな優しそうな顔した人だった。あ~なるほど、こりゃ町の人も騙されるわ。と初めて納得。本物のバーニーがあれだったらなおさらもっと人の良さそうな顔の役者をキャスティングしたほうが良かったと思うけどなぁ。ブラックコメディっぽさを出すためのわざとのキャスティングだったのかな。

これが他人事なら冷静においおいおいと思える事件でも、自分の周りの人に置き換えて考えてみるとカーセージの町の人たちの気持ちも分かるような気がしてきたりして…人間心理ってコワイ

オマケ本物のバーニーは終身刑だったのですが、去年釈放されたようです。刑務所での態度が良かったことと、幼児期に性的虐待をされていて、ニュージェント夫人との関係が虐待を彷彿とさせたため殺害に至ったと弁護士が新たに主張したことが認められたようです。by wiki.


恋愛だけじゃダメかしら?

2015-05-20 | シネマ ら行

ケーブルテレビで見ました。ワタクシが好きなタイプの群像劇のラブコメです。

ラブコメと言ってもこのお話は妊娠がテーマ。全米でベストセラーとなった妊婦バイブル本が原作だそうです。

登場するのは5組のカップル。

ダイエット番組で有名なトレーナーのジュールスキャメロンディアスは恋人のダンス講師エヴァンマシューモリソンとの子を妊娠。ぎりぎりまで仕事を続けている。ジュールスとエヴァンは子供が男の子だったら割礼をするかどうかでもめている。エヴァンはユダヤ人なので当然割礼すると主張するがジュールスは必要ないと考えていて、結婚はしておらず自立しているジュールスはこんなことなら一人で産もうかと悩んでいる。

カメラマンのホリージェニファーロペスは子どもができない体で、夫のアレックスロドリゴサントロと一緒にアフリカから養子をもらおうとしている。アレックスは養子をもらう気満々の妻と違って少し気おくれしている。友人のアドバイスに従って公園に集うイクメン集団のところに話をしに行く。そこには子だくさんのヴィククリスロック以下4人のパパ達がいて、子育てと妻について「ここだけの話」を繰り広げる。

絵本を書いているウェンディエリザベスバンクスは子供が欲しくて欲しくて夫ゲイリーベンファルコーンと常に計画をしていたが、このたびついに妊娠する。妊娠を夢見ていたウェンディは、妊婦の現実がとても辛くて苦しいものだと分かりイライラめそめそ。ゲイリーのほうはやっと子どもができて、やっとこれまで劣等感を感じてきた父親に自慢できると思っていたのに、父親夫婦の子どもができていてがっかり。しかも向こうは双子。また負けたーとダメージを受けている。

ゲイリーの父ラムジーデニスクエイドは息子ゲイリーより年下の女性スカイラーブルックリンデッカーと再婚し、息子夫婦と同時期に妊娠。こちらは双子。ラムジーは元F1レーサーで華やかな世界に生き、常に勝つことを求めてきた。たとえ息子相手にさえも。再婚相手のスカイラーは少し天然さんといった感じなんだけど、とにかく何も悪気はないといったふうで、妊婦生活もウェンディと違ってはつらつとエンジョイしていた。

フードトラックを経営しているロージーアナケンドリックはライバルフードトラック経営者で高校の同級生のマルコチェイスクロフォードと一度寝ただけで妊娠してしまう。予期せぬ妊娠に戸惑うロージーとマルコだったが、実は高校時代からお互いを想っており順番は違うが妊娠をきっかけに急接近。しかし、ロージーは残念ながら流産してしまう。

ゲイリーがジュールスのダイエット番組に出演したことがあったり、ゲイリーの大好きなフードトラックがマルコのものだったり、ロージーとスカイラーがいとこだったり、スカイラーが家族のカメラマンとしてホリーを雇ったりと、ちょっとした関係がある人もいるけど、5組はゲイリーとラムジーの親子のところ以外そこまで深い結びつきはないので、それぞれの物語が独立して進むという感じです。これだけの面子が揃っていながら絡みはほとんどないというのはもったいない限り。

今回キャメロンは群像劇ということもあってか、いつものバタバタ感は少し抑え気味かな。何事にもコミットメント!といったふうに確かにどっかにいそうなアメリカ人女性を演じていました。

ホリーのカップルの養子の話とロージーの流産の話は少しほろっときました。ロージーとマルコは恋人にさえなる前に辛い経験をしてしまいますが、なんとかこの先もうまくやっていけそうで良かった。

一番面白かったのはゲイリーとラムジー親子のところかなぁ。よくもまぁラムジーみたいなお父さんからゲイリーみたいなぽっちゃり君が生まれたなぁというくらい正反対の親子。いつも競争心をむき出しにしてくるお父さんに辟易しているゲイリーが不憫でした。そして、さらに不憫なことに自分より年下のモデル級の女性が“ママ”を気取っていること。でも、このスカイラーの天然ぷりでなんだかそれも可愛げがあってワタクシは好きでした。ゲイリーを馬鹿にするラムジーに「私の息子にひどいことするなんて許さないわ。今すぐ謝って来なさい」なんて啖呵切っちゃうのがいいですね。

そして、張り合っていたお父さんにせっかく妻の妊娠を自慢できると思ったのに、向こうも妊娠。しかも双子でまた負けたーってのがあほらしいけどストレートでとほほな感じが笑えた。

ウェンディは夢のようなお花畑のような妊婦生活を想像していたのに、現実にげっそり。しかも、素晴らしい妊婦生活についての講演会まで頼まれちゃって。でもそこで全部吐き出したらかえってファンがついちゃったっても分かる気がしますね。楽しい妊婦生活、楽しい育児なんて幻想に囚われているから逆にノイローゼになっちゃう人もいるでしょうしね。

イクメン集団のシーンは全部がベタな笑いですが、それでも結構ウケました。筋肉バカの独身男に憧れながらも子供たちのことは愛してやまない彼ら。夫婦でパーティに行っても10時前には急いで帰る。なぜなら10時以降はシッター料金が跳ね上がるから!筋肉バカも最後にはパパになるようでしたね。

妊娠の話なのに邦題がワケ分からない。原題は「What to expect when you're expecting」で「妊娠しているときに待ち望むべきこと」といった感じでしょうか。もちろん直訳ではダメだし、邦題をつけるのは難しいと思いますが、これはないんじゃないかなぁ。


真夜中のゆりかご

2015-05-19 | シネマ ま行

刑事のアンドレアスニコライコスター=ワルドーと妻のアナマリアボネヴィーの間には赤ちゃんアレクサンダーが生まれたばかり。毎晩の夜泣きに悩まされてはいたがとても可愛がっていた。

ある日通報を受けてアンドレアスが踏み込んだ現場には昔逮捕して出所してきた凶暴な男トリスタンニコライリーコスと恋人のサネリッケマイアナスンが大声でケンカをしていた。2人ともジャンキーでハイになっていた現場には糞尿まみれの赤ん坊ソーフスがいた。明らかに育児放棄された状態の赤ん坊を福祉局に引き取ってもらおうとするアンドレアスと相棒のシモンウルリクトムセンだったが、ソーフスの栄養状態は悪くなく、両親が逮捕でもされない限り当局は介入してくれなかった。

ある夜アナが起きるとふとアレクサンダーの様子がおかしいことに気付く。その時にはもうアレクサンダーは息を引き取ってしまっていた。救急車を呼ぼうとするアンドレアスだが、アナはアレクサンダーと引き離されることを異常に嫌がり赤ん坊を離そうとしない。救急を呼んだら自殺すると騒ぐアナになんとか睡眠薬を飲ませて眠りにつかせたアンドレアスはアレクサンダーを連れて車を飛ばした。

アレクサンダーの遺体を抱えたアンドレアスはトリスタンとサネの家に入り込み、麻薬をやって眠りこけている2人の横を通り過ぎ、バスルームの床に寝かされていたソーフスとアレクサンダーを入れ替える。

いやー、ここがもう無茶苦茶だと思いましたね。いくらもう遺体だからって我が子の体をソーフスの糞尿にまみれさせて入れ替えたことがばれないようにしようなんて…ワタクシは無宗教な人間ですが、さすがにそんなワタクシでもそれはないだろうと思いました。たとえ死んでしまっていても我が子の体にそんなことができるものなのか?と。しかし、この時のアンドレアスは我が子を失った悲しみと取り乱して自殺するという妻をなんとか助けようという気持ちで、正気ではなかったのでしょうね。そうでなければあんなことができるわけがありません。

結局一度はソーフスを受け入れたかに見えた妻のアナは夜中に家を抜け出して自殺してしまいます。やはり別の赤ん坊をあてがえばいいという問題ではなかったのでしょう。

一方赤ん坊の遺体を見つけたトリスタンとサネは取り乱し、トリスタンは刑務所に戻されることを恐れ赤ん坊が誘拐されたことにしますが、サネは死んだ赤ん坊の顔がソーフスとは違うことに気付いていました。

誘拐事件を担当することになったアンドレアスと相棒のシモン。アンドレアスはもちろん誘拐が嘘だということを知っているので、トリスタンとサネに狂言だということを認めさせようと必死になります。

結局はサネが折れ赤ん坊が死んでいたことは認めますが、あれはソーフスではないと必死に主張します。しかし、ジャンキーのサネのことは信じてもらえません。サネが折れたことでトリスタンも赤ん坊を捨てたことを認め、警察が見つけた遺体は司法解剖に回されました。

検視の結果を聞きに行ったアンドレアスは、その真実を知り愕然とします。検察医は「脳内の出血、肋骨のヒビ、これは殺人事件よ。典型的な揺さぶられっこ症候群よ」とアンドレアスに告げました。アナ…育児は想像していたより大変とは言っていたけれど…

虐待されて可哀想だと思っていたソーフスは母親サネに実は愛されていた。糞尿まみれではあったけれど、それはトリスタンが無理やりサネを麻薬漬けにしていたからで、暴力的な虐待はなかった。一方そんなソーフスを救ってやれると思っていた自分たちは。自分の妻は。実は赤ん坊を殺していた。この時のアンドレアスのショックは言葉では言い表せないだろう。自殺した妻は、またソーフスが同じことになるのが怖かったのか。救急車を頑なに拒んだのはもしかしたらこのせいか。

さまざまな思いを抱えてアンドレアスが次にどうするのかと思っていたら、なぜかソーフスを連れて山の別荘に2人きりで引きこもってしまった。アンドレアスはどうするつもりだったのだろう?ソーフスとたった2人でそこで生きていきたい。そう思っていたのか。一生そんなことができるわけがないと分かっていながらも、一秒でも長くソーフスと共に過ごしたかったのか。それともどこかの時点で死を選ぼうとしていたのか。

酒浸りでいつもアンドレアスに頼ってばかりだった相棒のシモンが今度はアンドレアスを助けに来てくれた。どう見ても写真のアレクサンダーと赤ん坊の顔が似ているけど違うこと、トリスタンの取り調べのとき一度だけアンドレアスが「アレクサンダーはどこだ?」と言い間違えたこと、赤ん坊がバスルームの床で死んでいたんだろ?と自信ありげにカマをかけたこと。妻アナの自殺。すべてを総合して考え真相を導き出したシモンはアンドレアスを救いに別荘へ向かった。初めはアル中で情けないシモンがこの事件を通して刑事として父親として立ち直っていくサブストーリーも良かったです。

数年後、刑事は(当然)クビになったのだろう。ホームセンターで働くアンドレアスはサネを偶然見つける。立ち直った様子のサネ。少し離れて子供がいた。「おじさん迷子なの?」「おじさんここで働いているんだよ」「名前は?」「ソーフス」

最後に希望らしきものが提示されて重かったお話は終わります。いやー、途中にも書いたけどもう無茶苦茶だよ。よく思いついたな、こんな話。んな、バカなーと言いたくなるような展開ではあるんだけど、子供を愛する親の感情がそこに介在しているためにもう切なくて辛くて見ているのが息苦しかった。アンドレアスのことを何度「バカ、バカ、バカ」と思いながら見たことか。彼をそれほどバカな行動に走らせたのが愛ゆえだと思うとさらに息苦しかったです。

思い切りあらすじの説明を書いてしまいましたねー。でもこの物語は筋がとても大切だと思います。なんのからくりもないのに、まるでミステリーのようなスリラーのような物語です。
サネという女性が実はものすごく重要なキーパーソンだったと言えると思います。ジャンキーでサイテーな母親。子供を取り上げられても仕方ないと思える母親。本人は虐待はしていないと言っていたけれど、あれほど糞尿まみれのネグレクトは立派な虐待。ただ子供に暴力的なことはしてないという意味での虐待はしていないというセリフだったのでしょう。しかし、無理やり打たれた麻薬を断ち切ったとき、そこには純粋な子供への愛情だけが残った。赤ん坊をアンドレアスに取られたときの彼女のことは弁護の余地はないけれど、子供への愛は本物だった。

一方で完璧な母親に見えたアナの虐待。アナは完全に育児ノイローゼだったんでしょうね。それを見抜けなかったこれまた完璧に思えた夫婦の間柄。それでもそれぞれの愛は嘘だとは言えないんだとは思うのですが。一皮むけば何が潜んでいるのか分からないものです。

スサンネビア監督らしい人間の本性をえぐるような作品です。彼女らしく目のアップが今回も多用されていました。英語の題は「A Second Chance」(デンマーク語もおそらく同じ意味かな?)この物語に登場する主要人物すべてのセカンドチャンスが語られていると言っていいでしょう。


寄生獣

2015-05-15 | シネマ か行

先日テレビ放映があったので見ました。原作はまったく知りません。

漫画がとても面白いということで原作のファンの方はこんなんじゃない!と思った方もいるのかもしれませんが、映画(しかも前編だけ)を見た感想としては単純に面白かったです。

新一染谷将太の脳を乗っ取ることができず右手に寄生したミギー阿部サダヲがコミカルで見た目は気持ち悪いのになぜか妙に可愛らしかったです。ワタクシ普段阿部サダヲってそんなに好きじゃないんですが、ミギーは好きでした。

突如地球にやってきたパラサイトたちが人間に寄生して次々と人間を捕食していく。人間を乗っ取っているので見た目は普通の人間と変わらない彼らだが、新一はミギーが同種を検知するため彼らが本物の人間か寄生された人間か分かる。

このパラサイトたちが人間を喰う姿がすごい。頭がぱかっと開いたかと思うとでっかい口でばくり。なんの躊躇もない。彼らにしてみればただ食事をしているだけなので、躊躇があるはずもない。ワタクシたちが牛のステーキを食べるのと同じだ。

新一は人間を食べるなんてどうかしている!とミギーに訴えるが、そんな理屈がパラサイトたちに通用するわけない。「価値観違い過ぎるよー」と新一は嘆くがまさにその通り。ワタクシたち人間だって牛や豚を食べるなんて牛や豚からすれば「どうかしている!」のだろうから。それに考えてみればのほほんと歩いていたら突然食べられるっている状況にない生物というのはもしかしたら人間くらいのもんかもしれない。

しかし、ミギーは宿主である新一が死んでしまうと自分も死んでしまうため新一とは協力体制を取ることにする。

一方、田宮良子深津絵里という教師を乗っ取ったパラサイトは、人間を食べつくしてしまう自分たちのやり方では生き延びていけないと考えなんとかうまく人間と共存する方法を模索していた。彼女はAと呼ばれるパラサイト池内万作と人間の体を使って交尾し、体は人間、脳はパラサイトという状態の子をお腹に宿している。これも彼女の実験のうちのひとつというわけだ。この田宮良子という人が新一&ミギーとともにキーパーソン(パーソン?キーパラサイトか)と言えると思う。後半彼女がどんな活躍をするのか楽しみだ。

事の真相を知っている新一は攻撃的なパラサイトAや彼の高校に入ってきたパラサイト島田秀雄東出昌大と戦おうとするがAは新一の母親余貴美子の体を乗っ取り失踪してしまう。島田は高校で素性がばれてしまい大暴れ。新一の彼女・村野里美橋本愛も巻き込まれるが新一はなんとか助ける。

身体をパラサイトに乗っ取られた母親との対決はつらいものがあったな。新一はもっと全然攻撃できずにいるのかと思ったけど意外とちゃんと戦っていた。まぁあそこまで容赦なく攻撃されたら仕方ないけれど。しかし最後に新一を救ったのは母の愛だった。という予想できる展開だけど、やっぱりちょっとじーんとしちゃったな。

エグいシーンはテレビ版でもしかしたらカットされていたのかもしれません。でもミギーを始めとしてCGはとてもリアルでした。東出昌大や深津絵里のような美男美女の頭がぱかっと割れたりするのはなんだかとてもシュールな感じがしました。

染谷将太の演技はすごくうまいんだけど、なんだか鼻につく。いや、うまいんだけどねー。心臓突かれてから助かって血まみれで立ち上がるシーンなんかものすごくうまかったしな。なんだろ、彼の喋り方がワタクシが苦手なだけかもしれません。彼が人差し指をぴょこっと出して喋っているのはちょっと笑えました。

後半を見てからしか全体的な判断はできませんが、前半はとても面白くて後半見たい!と思わせる作りになっていました。


タイピスト!

2015-05-14 | シネマ た行

偶然にもフレンチコメディを2本連続で見ました。こちらは1950年代のフランスが舞台。女性の憧れの職業である秘書になろうと田舎から出てきたローズパンフィルデボラフランソワは面接でタイピングが速いことを買われて合格するがタイピング以外はドジで仕事ができず試用期間後に雇い主のルイエシャールロマンデュリスからクビにしようか悩むが、彼女をタイプ早打ちの大会で優勝すれば雇用を続けると言う。

なぜわざわざいま1950年代のタイプ早打ち大会のことを映画にしようと思ったのか、そして、本当にそういう大会があったのか分からないんだけど、作品全体の雰囲気が非常に50年代していて、ロマンデュリスとかベレニスベジョとか知った役者がいなければ、本当に50年代に製作された作品だと思ってしまったかもしれない。画面の色彩の印象をわざとそういう時代っぽく加工してあるのだとは思います。カラフルなんだけどレトロは雰囲気にまとまっています。

終始笑いがおこるコメディというよりもローズとルイが徐々に魅かれていくラブコメです。ロマンデュリスは実はワタクシあまり好きではなくていつも髪の毛がボサボサで無精ひげでなんだか不潔な印象がある人です。そして、そんな人なのになぜかモテるみたいなのが納得がいかず苦手なのですが、今回保険会社の役員役ということで髪を短く刈ってひげもちゃんと剃っていつもスーツを着ていていつもと全然印象が違いました。

自ルイがコーチとなってローズを特訓しタイプ早打ちフランス大会で優勝するまでが、なんだかちょっとスポ根ものみたい描かれます。マイフェアレディスポ根バージョンといった感じでしょうか。

その後世界大会を目指すローズにはタイプライターの大会社のスポンサーがついて、ルイが身を引いてしまい、、、とラブコメには絶対にある別れが一度はやってきてその後また最後にくっつくという王道のパターンです。ローズの打つ速さに印字がついていけるようにルイがゴルフボール印字型のタイプライターを発明したというオマケつきで。(この逸話はもちろんフィクションなのでしょうけれど)

世界大会ってそれぞれの言語が違うのに難易度を合わせてあるとか言ってたけど、そんなことできるのかなぁ。すごいなぁ。

全体的にシュガーコーティングしたようなキュートな世界観の中で、ローズとルイのベッドシーンだけが奇妙に濃厚だったのが、ちょっと違和感があったなぁ。それがアメリカンコメディとフレンチコメディの違うところか。

タイプライターを打つ独特の音がとても好きなので全編心地よい気持ちで見ることができました。

オマケキーボードの配列の一番上がtype writerと打てるようになっていると知った時は「おお~すげー」と何がすごいんだか分かりませんが思いました。キーボードがあんな変な配列になっているのはタイプライターが絡まないように打ちにくくするためと聞いたことがあるのですが、どうやらそれは完全な真実というわけではないそうです。


シェフ!~三ツ星レストランの舞台裏へようこそ

2015-05-13 | シネマ さ行

なんだかドキュメンタリー映画のような副題がついていますが、フランスのコメディ映画です。

スランプ気味の老舗レストランのシェフアレクサンドルラガルドジャンレノは次のミシュランで三ツ星を維持しなければクビだとオーナーに宣言され悩んでいる。(ただし映画の中ではっきり「ミシュラン」とは言われない。許可降りなかったのか?)一方天才的な舌を持ちラガルドに憧れて彼のレシピをすべて暗記しているジャッキーボノミカエルユーンはこだわりが強すぎてすぐに料理人の仕事を辞めてしまい、妊娠中の妻ベアトリスラファエルアゴゲが見つけてきたペンキ塗りの仕事をすることになった。

ペンキを塗っている建物の中に老人ホームがあり、そこの料理を作っているコックらと仲良くなるジャッキー。彼らに料理を教えてホームの老人たちにふるまうようになる。ある日、店の元オーナーを訪れたラガルドがその料理を口にし、自分が作ったレシピであることに気付く。これを作ったのは誰だ?とジャッキーを紹介されるラガルド。三ツ星を維持するためにジャッキーをアシスタントにすることにする。

ラガルドとジャッキーは三ツ星を維持するためには元来の料理ではダメで今はやりの分子料理を審査員に食べさせなければと分子料理の発祥の地スペインからコックを呼び寄せ勉強するがことごとく失敗。ライバルの店に偵察に行くが身元がバレてはいけないと、なんと日本人夫婦に変装して行くことに…

この日本人夫婦の扮装が酷すぎてもう怒りを通り越して笑えます。ジャンレノがチョンマゲでミカエルユーンが白塗りの芸者???だかなんだかよく分からない格好。まさかあれが本当の日本人だとダニエルコーエン監督が思っているとも思えないので、あれは“外国人のステレオタイプの日本人のイメージ”っていうのをわざとやってみせただけだと思うんだけどね。それでそんな無茶苦茶な格好のくせにミカエルユーンがやたらと日本語を喋っていてそれもまた笑えます。フランス語なまりがきついんだけど、言ってることはちゃんと日本語なんですよ。ちゃんと誰かに教えてもらったのかな。

途中からジャッキーがペンキ屋を勝手にやめてレストランで(最初)タダ働きしていたことを知って家出してしまったベアトリスを取り戻しに行ったり、家庭を顧みず仕事ばかりしてきたラガルドが大学生の娘サロメステヴナンのために論文発表会に行くと言いだしたりと、話が脱線してしまうのですが、まぁコメディ映画なので仕方ないかな。ベアトリスのところになぜかラガルドも一緒に行って、彼女の実家近くのレストランのオーナーに恋しちゃったりするところも良かったな。

全体的にアメリカ映画と何が違う?と言われると答えられないのだけど、フレンチコメディっぽい。フランス語ってだけでそう感じるのかなぁ。特にミカエルユーン演じるジャッキーがフレンチコメディっぽい雰囲気を醸し出している気がする。最近のアメリカ映画に多いおゲレツ系ではないですね。おゲレツ系もそれはそれで好きなのですが。かる~い気持ちで見られる作品です。ただ料理にもう少しスポットが当たっていたら嬉しかったのだけど。

ジャンレノが堅物でちょっとなんだかどんくさそうなシェフを演じていて、最初は少し違和感があったのですが、だんだんハマってくるのはミカエルユーンとの相性が良かったからなのかなー。

ワタクシは分子料理より昔ながらのフランス料理のほうがいいな。


あの日の声を探して

2015-05-08 | シネマ あ行

予告編を見て良さそうだと思ったので見に行きました。1948年のアメリカ映画「山河遥かなり」のリメイクということは最後のクレジットロールまで知りませんでした。原題は「The Search」で1948年版と同じです。

「山河遥かなり」は1948年の作品ということで第二次世界大戦後の世界が舞台だったようなのですが、それをチェチェンに移し「アーティスト」のミシェルアザナヴィシウス監督がリメイクしました。

1999年のチェチェン。ロシアが侵攻してきて両親が殺されるのを隠れて見ていた9歳の少年ハジアブドゥルカリフマムツィエフは姉も両親と一緒に死んでしまったと思い、まだ赤ん坊の弟を連れて自宅から逃げる。逃げる最中に赤ん坊は育てられないと思ったハジは民家の玄関に弟を捨て、そこの家の人が拾ってくれたのを見届けてから自分は国境を目指した。途中車で逃げる一行に助けられ車に乗せてもらって難民キャンプに行くハジだが、両親を亡くしたショックからか、誰が話しかけても言葉が出なくなってしまっていた。

赤十字に保護されたハジだが、銃を持った警備の人を見て怖くなりそこから逃げ出してしまう。町をさまよっていたハジはフランスから人権の調査に来ていたEUの職員キャロルベレニスベジョに出会う。初めは食べ物を渡し去ろうとしたキャロルだったが、ハジのことが気になり結局アパートに連れ帰る。

一方、実は生き残っていたハジの姉ライッサズフラドゥイシュビリは村で捨てられた赤ん坊がいるというウワサから一番下の弟と再会し、赤ん坊を連れてハジを探しに赤十字まで来ていた。赤十字のヘレンアネットベニングはハジと会っていたが、彼が逃げ出してしまってからどこにいるのか分からずにいた。

声を失ったハジと仕方なくハジの面倒を見つつ徐々に愛着が湧いてくるキャロルとの交流は心温まるものがありますが、やはりチェチェンの過酷な状況に胸が痛みました。キャロルもEUの人権委員会でスピーチなどしつつも世界がチェチェンの状況を無視していて苛立ちが募ります。そんなキャロルに対して赤十字のヘレンは人権委員会なんて口先だけで実際の行動をしているのは自分たちだという苛立ちがあり、キャロルに当たってしまうシーンがあります。それぞれがそれぞれの立場で状況を良くしようとしているのだけど、世界に置いて行かれ悪くなるばかりの状態でやるせない精神状態にあることがとても辛いです。

ハジを演じるアブドゥル君がすごく良かったなぁ。大きな瞳で少し困ったような眉で言葉を発しなくてもすべてを表現してみせる演技がとてもナチュラルでした。そして、おそらくお父さんに教えてもらったのであろう魂のダンス。詳しくは分からないけどきっと民族の伝統のダンスなんでしょう。セリフなどなくとも彼の悲しみや情熱がものすごく伝わってくる素晴らしいシーンでした。ハジが捨ててきた弟のことを語るシーンもワタクシはとても好きでした。僕は小さ過ぎて赤ん坊の弟を育てられないから、よその人任せてきた。弟はそれを許してくれると思うとハジは言うんです。陳腐な後悔の念を語られるよりもこの状況で最善のことをしたと分かっているハジがとても愛おしかった。一度話し出すと堰を切ったように話し始めたハジ。語っても語っても語り尽くせない気持ちがあったのでしょう。

終盤お姉ちゃんと再会できて無邪気に喜ぶハジを見て嬉しいんだけど、少し寂しいという表情をしていたベレニスベジョの演技も印象的でした。自分が養子にしようという決意までした子が生き残った肉親に会えてそちらで生きていくことを喜んであげないといけないんだけど、そう単純な気持ちではいられないというキャロルの気持ちがとても伝わってきました。

ハジとキャロルの交流やハジがお姉さんに無事会えるのかというスリルとともに、敵側のロシア兵の訓練の様子も描かれていきます。未成年なのにタバコを吸ったとか軽微の罪で刑務所行きを免れるために兵役につかされる少年コーリャマキシムエメリヤノフ。訓練では理不尽な暴力や先輩からのいじめに耐え向き、どこにでもいるちょっと生意気な少年が殺人マシーンに仕立て上げられていく様子が描かれていくのですが、こちらの話は一体どこへ向かっているのだろうと思っていると、作品の冒頭にあったハジの両親が殺される様子を楽しそうに撮影していた兵士が実はこのコーリャだったということが最後に分かり身の毛がよだつのです。不謹慎な言い方だと思いますが、映画的には非常にうまい作りです。

こういうふうに作ることによって侵攻される側だけではなく侵攻する側にとっても悲劇的な出来事である戦争を引き起こす国家を批判しているのでしょう。

監督がフランス人だからということもあるのでしょうが、世界市場を考えてやたらと不自然に英語を話す映画が多い中、キャロルが独り言のように話せないハジに話しかける時はちゃんとフランス語を使っていたり、チェチェン人なのに英語が話せるハジのお姉ちゃんにヘレンが「どうしてそんなに英語がうまいの?」と聞いたりするところがとても自然に感じました。

ヘヴィですが、たくさんの人が見るべき作品だと思います。