シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

否定と肯定

2017-12-19 | シネマ は行

何よりもまず最初に言っておきたいことがあります。いままでこのブログでは邦題のセンスが悪いとかミスリードなどを指摘しては来ましたが、今回ほど邦題に腹の立ったことはありません。原題は「Denial」(2016年の原作本の改編時に「History on Trial」から変更)です。原題は「否定」これはホロコースト否定論者の否定でもあるし、否定論者を否定するという意味も含まれているのではないかなと思うのですが、邦題は「否定と肯定」肯定って何?ホロコーストに否定も肯定もないよ?日本のメディアお得意の両論併記ってやつですか?これではまるでホロコーストに否定側と肯定側が存在するかのような書き方です。そんなものは存在しません。ただ事実を否定したい人たちがいるだけ。口に出すのもはばかられるような恥ずかしい邦題つけないで欲しい。

さて、映画の内容ですが。ワタクシはこの映画の存在を知った時に原作本をすぐ手に取って読みました。原作には事細かに裁判の様子やその前の資金集めや資料集めの様子が書かれていました。これが映画になると思うとワクワクして、主演が大好きなレイチェルワイズということもあり、映画を見るのを楽しみにしていたのですが、映画そのものはちょっと全体的に物足りなかった気がしました。

資金集めの部分はイギリスのユダヤ人コミュニティに示談を薦められた話と、スピルバーグが全額出そうとしたとリポーターが話したくらいで、その他の細かいところはカットされていました。アメリカのユダヤ人コミュニティにはスピルバーグ以外にも支援を申し出てくれた人がたくさんいましたし、その方たちとのやりとりもありました。

資料集めはおそらく一番大きなアウシュヴィッツへの訪問部分はきちんと描かれていました。あそこでエモーショナルになってしまうリプシュタット教授(ワイズ)と冷静に証拠を集めようとする弁護士ランプトントムウィルキンソンの姿が対照的に描かれていました。その他にも膨大な資料を集め読み込み、弁護の材料にしていった弁護士やパラリーガルの姿は時間的に入れることはできなかったのでしょう。

肝心の裁判部分ですが、原作を読んでいる者からすると、これ映画だけ見た人はなんで勝ったか分かったかな?と思ってしまいました。原作ではもっとたくさんのやりとりが描かれていたし、証人と否定論者であるデヴィッドアーヴィングティモシースポールとのやりとりも多くそこで少しずつアーヴィングが馬脚を現していく部分がスリリングだったのですが、ちょっと裁判部分にかける時間が短かったような気がします。

映画では裁判そのものよりも、リプシュタット教授と弁護士団の人と人との関係のほうがスポットライトが当たっていたような気がします。自分の良心を信じて突き進んできたリプシュタット教授が裁判では一言も発することを禁じられ他人に自分の運命をゆだねるはめになってしまう。そんな彼女が弁護士たちと信頼関係を築いていく姿をよく映し出していました。ダイアナ妃の離婚弁護士であり、周囲からは名声を求めていると思われがちだった弁護士アンソニージュリアスアンドリュースコットが実は信念の人であり、ホロコーストのサバイバーたちを証言台に立たせるというリプシュタット教授にそんなことをしたら、どんな酷い質問がアーヴィングから飛ぶか分からないとそれを拒否し続けていた姿が素敵でした。

裁判の判決が出てもまだ「内容的には自分は勝った」などとほざいていたアーヴィングのような歴史修正主義者がいまこの日本にもウヨウヨいてイヤになる。


オリエント急行殺人事件

2017-12-18 | シネマ あ行

1974年のシドニールメット版はテレビで大昔に見た記憶があるのですが、内容は完全に忘れていました。超がつくほどの有名な小説なのに、その内容も全然知らず、ケネスブラナー監督・主演作品はわりと好きなものが多いというのと、ペネロペクルスジュディディンチウィレムデフォーその他豪華キャスト目当てで行きました。

ミステリーなので、内容は書かずにおきますが、結論から言うとワタクシはとても楽しむことができました。まずこのメインの事件に入る前の導入部でエルキュールポアロ(ブラナー)が世界的に有名な探偵で、非常に優秀な人だということを端的に示していて、その後のメインの事件に入る部分もとてもスムーズ。

登場人物が多い作品なので、ぼーっとしていると誰が誰だか分からなくなってしまいそうですが、その辺りも少しずつ説明しながら観客に紹介していく手法はさすが。

立ち往生した豪華列車という所謂密室の中で殺人が起こり、一人一人の常客の正体をポアロが暴いていくわけですが、どうしてあんな限られたソースしかない場所でそこまで全部分かるの?と疑問に思う部分もありつつ、ポアロが指し示す事件の真相へ向かっていく疾走感と真相が明らかになったときのカタルシスが心地よい。

ケネスブラナーは古典作品に新しい解釈を加えて映画化するのが得意ですが、今回のポアロはやたらとアグレッシブな気がしました。杖をついている初老の男という感じなのに、被疑者と追いかけっこしてみせたり取り押さえたりするんですから。原作のポアロがどんな人だか知らないので、これが新解釈なのかどうかワタクシははっきりとは知らないのですが。

導入部でポアロは世の中には正義か悪かしかないと言っていましたが、この事件はポアロの人生観を変える出来事として大きな転機になったかもしれません。最後のポアロとハバート夫人ミシェルファイファーの熱演にふと涙が出そうになるとは驚きのミステリーでした。

シドニールメット版ももう一度見たくなりました。