シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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おっぱいバレー

2009-04-22 | シネマ あ行

「おっぱいバレー」って…もう題名だけで笑っちゃう。弱小バレー部(っていうか、一回もマトモに練習もしたことのない、ただただ部室にたむろしてるだけのバレー部)が新任顧問の若い先生寺嶋美香子綾瀬はるかに「試合に勝ったらおっぱいを見せる」という約束を取り付け、やっと真面目に(?)バレーに取り組み始めるというお話。舞台は1979年。最近流行りのノスタルジー溢れる作品だ。

ワタクシは原作は読んでいないので、映画だけを見た人の感想ということで読んで欲しいのですが、まず、年代を1979年にしたのは正解だったと思います。実話ということなので、単に本当にその頃のお話だったということかもしれないですが、これが現代のお話だと、ちょっとリアルさに欠けるようになっていたかなぁという気がします。だってほら、イマドキの中学生に「おっぱい」って言ってもなぁ。まぁ、実際には見たことないかもしれないし、そりゃ、実際に見たいものナンバーワンかもしれませんけど、1979年に比べたら断然メディアで女性のおっぱいなんて簡単に見れちゃいますもんね。この作品の子たちには、そんなもの存在しないし、野っ原に捨ててあるビニ本の切れっ端をドキドキしながら拾って友達同士で見るくらいが精一杯でしょ。(そんなようなシーンも作品中にもでてくるけど)だからこそ、先生のおっぱいを見るために必死っていうことに妙にリアリティが出てくるんだろうなと。

冒頭、バレー部の子たちは自転車で飛ばしながら、手のひらを空中へあげる。これ、分かる人はすぐ分かると思うんですけど、車から手を出して宙を掴むとそれがおっぱいの感覚だ!ってやつですね。自転車で飛ばしている彼らは「やっぱり時速60キロ以上じゃなきゃだめだ」とか言ってさらに頑張っちゃうんですよね。この冒頭のシーンだけで、もう掴みはバッチリ。この後が綾瀬はるかの「ドウテイ」発言連発シーンでしょ。ワタクシはこの先の映画の展開に期待せずにはいられませんでしたね。この辺の感覚は中学生くらいなら、現代の子でも同じかもしれないですね。上に書いたことと矛盾しますけどね。なんか同じであってほしいなぁって思うんです。

お話は、みなさんほぼ想像がつく通りだと思ってもらって間違いないです。おバカで楽しくて、爽快でほろっと来るってやつですね。教師と生徒ものの定番の去っていく先生を生徒がぎりぎり間に合って見送るっていうのもありますし。これは、なにか?もうドラマ作りのルールとして、このシーンを入れないと罰せられるのか?って思っちゃうくらいに絶対ありますね、このシーン。それでも、やっぱり感動しちゃうんですけど。

おっぱい目当てに頑張る中学生たちだけじゃなくて、ちゃんと先生側のドラマもあって、そっちのほうはマジでなかなかに感動させられちゃいました。

あんまり、細かいところに突っ込みは入れずに、軽い気持ちで難しいこと言わずに楽しめる人ならかなりオススメの映画です。登場人物がみんな可愛くて演技のウマさがどうとかそういうのはワタクシはどうでも良くなっちゃいました。見終わったら「ナイスおっぱい」って言いたくなると思いますよ

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ダイアナの選択

2009-04-17 | シネマ た行

高校での銃乱射事件が題材の作品で久々にウマサーマンの主演映画だし、見に行ってみるかという軽い気持ちでまったく予備知識もなく出かけてみると、小さな映画館だけど、思ったよりも人がいたので、そんなに話題になってったっけ?と思いながら鑑賞し始めました。

32歳のダイアナ(ウマ)は哲学教授であるポールブレットカレンと幸せな結婚生活を送っていたが、自分の子ども時代にソックリな娘エマのことを愛しつつも反抗的な態度に悩まされていた。そんな彼女の出身校では銃乱射事件から15年を迎え、慰霊祭がおこなわれるところだった。ダイアナは銃乱射事件の心の傷が癒えず、サバイバーの一人として慰霊祭に行くべきかどうか迷っていた。

17歳のダイアナエヴァンレイチェルウッド。銃乱射事件前。彼女は思春期特有のいらだちを抱え、反抗的ですぐに学校に母親を呼び出されるような生徒だった。そんな彼女にもモーリーンエヴァアムリという真面目な親友ができる。

17歳のダイアナはきっと誰もが少しは経験したことがある思春期の社会や大人に対する反抗的な態度を見せる。しかし、彼女は根っからの不良で勉強ができないタイプではなく、きっと頭の回転が早くスマートでこの年齢独特の純粋さを持っているがゆえに大人の汚さや要領の良さが耐えられずに反抗しているというのが分かる。そして、そんな彼女も信頼できる先生の助言によって、そんな時代を少しずつ卒業しようとしている過渡期で、自分に自信を持ち強くしなやかに飛び立つ寸前の若者だった。そんなとき、あの忌まわしい銃乱射事件が起こり、犯人の同級生はダイアナとモーリーンの二人に銃をつきつけ、「どちらかを殺すからどちらか選べ」と言う。

17歳のダイアナと32歳のダイアナを行き来しながら、物語は進む。32歳のダイアナは幸せな家庭生活を送り、美術の教師になり、自分の青春時代を投影するような生徒たちの力になろうと努力している。一方、15年経っても事件はダイアナの心に暗い影を落とし、トラウマに苦しんでいた。

途中から、32歳のダイアナの世界が少しずつおかしいことに気づいて、これは一体どうなっているんだろう?この物語はどこへ向かうわけ?と思っているとドーン!

あ、やられた。

そういうことか。こういう結末か。そう。途中から変やなと思ってるときに原題の「The Life Before Her Eyes」っていうのが気になってたんよね。それはどういう意味やろうって。んん。なるほど、そういう意味か。って、これラストシーンを書かないと何言ってるかさっぱり分からないと思うんやけど、このブログは基本ネタバレありでやってるブログなんやけど、この作品に関してははっきりは書かないでおきます。

見たあとの感想は、すごく良かったです。作品のキーワードは“良心”“選択”。それについて、考えずにはいられない。そして、あのときのダイアナの心の内と選択に思いを馳せずにいられない。そして、そんなダイアナを愛おしく思わずにいられない。あとから考えるとポールが哲学教授だったことや、生物の先生が教えてくれること、ダイアナとモーリーンが将来について語り合っていたことなど、意味深なことがいっぱい。なんてうまくできた作品なんだろう。いままでにない不思議な表現方法で、観客に人生とは?を問いかける。それと同時に、ワタクシ個人としては主人公ダイアナを愛しく思い始めていた矢先の出来事だっただけに、きっと彼女自身がちっぽけで取るに足らないものと思っていたであろう彼女の人生すべてを抱きしめてあげたくなった。

単館系でしか上映されていない作品だし、確かにシネコンでやるタイプの映画ではないけれど、少し映画に慣れている人には絶対に見て欲しい作品です。

オマケエヴァンレイチェルウッドは、いままでマリリンマンソンとのツーショットとかでは見ていたけど、まだエヴァンだとはっきり認識して映画を見たことがなくて、フィルモグラフィーを見ると「ミッシング」とか「シモーヌ」とかに出てるんだけど、覚えてないなぁ。そして、今回初めて彼女を認識して映画を見たら、演技もうまいし、なんせもうセクシーなことセクシーなこと。マリリンマンソンとつきあってるときの変な影響を受けたメイクのイメージしかなかったからビックリしてしまったなぁ。「インタビューウィズバンパイア」でキルステンダンストとクローディア役を最後まで争ったということに非常に納得。これから要注目の女優さんです。

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バーンアフターリーディング

2009-04-16 | シネマ は行
試写会に行ってきました。ブラッドピットがバカの役ということでどれだけはじけてくれちゃうのか楽しみにしていた作品です。

中身は完全に100%コーエン印。ジョエル&イーサンコーエン兄弟が好きな人にはたまらない作品でしょう。ワタクシはここには何度も書いていると思いますが、コーエン兄弟の作品にはとても面白いと思うものがあったり、さっぱり分からねぇっていうのがあったりという感じで、特に好きな監督というわけではありません。なので、プラピのバカ役ということとジョージクルーニーが出てくるというだけであとはたいして期待してなかったかなぁ。

今回のコーエン作品は、そんなコーエン好きではないワタクシには、そうですねぇ、まぁまぁ面白かったってとこでしょうか。だいたい面白いか面白くないか両極端なときが多いのでこういうまぁまぁというのはめずらしいかも。

CIAの機密の入ったCD-ROMを見つけた(と思った)スポーツインストラクターのチャド(ブラピ)とリンダフランシスマクドーマンドがその持ち主である元CIA諜報部員オズボーンジョンマルコヴィッチに脅しをかけに行く。オズボーンの妻ケイティティルダスウィントンは財務省連邦保安官ハリー(ジョージクルーニー)と不倫中。と、この辺の人間が何巴にもなって、絡まっていくわけですが、前半は結構面白いんですよ。この話どうなんの?って感じで。ただ、中盤から後半にかけてなんかダレるんですよね。演出が一辺倒なところがあって、それはそれでコーエンらしいんだけど。

これだけの人間を出して、面白そうなシチュエーションを考え付いたところで映画にしちゃってもやっぱりストーリーがしっかりしてないと、映画って面白くならないんじゃないの。っていう見本のような映画です。話を無駄にややこしくするだけで、複雑であればあるほど、おもしろいってわけでもないし、この作品の場合その複雑さもなんだか中途半端で。笑えるところはまぁまぁあるんだけど、痛快とまではいかない。

ブラピがアホで、マクドーマンドが整形中毒で、ジョージクルーニーがセックス中毒で、ジョージがブラピを撃っちゃうなんて、確かにそれだけで面白いかもしれないけど、映画というものにするにはそれだけじゃあね。という感じがします。一般人の評価はなかなか厳しいと思うけど、ハリウッドの中でこれだけの面子の映画をイマイチだったとちゃんと言ってくれる人がいるのかな。いないとしたら、それは逆に心配だな。

ブラピはもう少しハジけても良かったんじゃないかなー。なんだかバカな役なら、もっといっちゃってほしかった。なんか無理やり感あったし。フランシスマクドーマンドはさすが。「スタンドアップ」とかのキリリとした彼女とはすっかり別人っていう感じで、こういう役をやらせたら気持ち悪いことこの上ない。

一番おいしかったのはCIAのおエライさんを演じたJ.K.シモンズでしょうね。まぁ、あの最後の彼のひとことに映画全体が救われたという感じはありました。

コーエン兄弟の映画って、なんかこうワタクシの気に入らないと思って考えてみたら、彼らの映画にはキレイな女性ってほとんど登場しませんね。いや、もちろんマクドーマンドもスウィントンもいい女優さんだし、好きだけど。キレイな人っていままで「ディボースショウ」のキャサリンゼタジョーンズくらい?それだけ、生身の人間で勝負してるってことなんでしょうけど、もうちょっとキレイな人を起用してくれたらそれだけで評価少しあげちゃうかもなぁ。
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いとしい人

2009-04-15 | シネマ あ行

女優ヘレンハントが製作、脚本、監督、主演までやっちゃったこの作品。ヘレンハントは結構好きなので、見に行って来ました。彼女のことが好きな分、もし駄作だったらイヤだなぁという気持ちと期待と半々でした。

結果は、もうすべてがヘレンハントのイメージそのものという感じ。現実的で、それでいて夢見がちで、聡明で、真面目で、ちょっぴりセクシーで。そして、何よりも優しい。そんな彼女のキャラクターが映画全体に投影されているようでした。悩みを抱えながらも懸命に生きている女性の味方。まぁ、これらは全部ワタクシの勝手なイメージなんですけど。

演出家の父とボイストレーナーの母の間に生まれ、小さい頃からハリウッドという華やかな世界にいながら、「小学校の先生」という地味目な40代の女性にぴたっとはまってしまう。そんなヘレンの不思議な魅力がたくさん詰まった物語。

ユダヤ人の家庭に養女となって育てられたエイプリル(ヘレン)。幼馴染のベンマシューブロデリックと結婚したもののなかなか子宝に恵まれず、大人になりきれないベンは責任の伴う結婚生活から逃げ出してしまう。そんなとき、母親が亡くなり、実の母を名乗るテレビタレントのバーニスベットミドラーが現れ、父親はなんとスティーヴマックインだと言う。いろんなことでいっぱいいっぱいのエイプリルのいい話相手になったのは、自身もバツ一のクラスの父兄フランクコリンファースだった。

養子、結婚、子作り、離婚、実の親の出現、新しい恋人、妊娠、流産、人工授精とさまざまなテーマを盛り込んで、これだけ並べ立てるとちょっと詰め込みすぎなんじゃないのと心配になるところだけど、全然不自然でも目一杯な感じもなくストーリーは流れていく。それもヘレンハントの自然体のなせる業かも。

騒がしいテレビタレントの実の母に振り回されながらも、なんとかうまくやっていこうとする様子や、40代で元夫の子どもを身ごもってしまい、「産まない選択をするには遅すぎる」と新しい恋人に告白するところや、これはいけないことだったけれど、妊娠が分かって元夫と“浮気”をしてしまい、新恋人を傷つけてしまったこと。エイプリルの行動は、もちろん正しいことばかりではなかったけれど、その場面での彼女の気持ちには寄り添えると感じる人が多いのではないだろうか。何よりも彼女の“正直さ”は見ているワタクシたちをとても切ない気持ちにさせる。

そして、主人公が養子なだけに、養子として育った苦労などのほうにこちらの気持ちがいきがちだけれど、その後に生まれた弟が養子じゃない子は気を使いすぎてしんどくなるという本音の部分まで描かれていて好感が持てた。そんなふうでいながらもちゃんと愛し合っている姉と弟の姿にも心を打たれる。

実直な彼女の新恋人を演じるコリンファースも、役柄にピッタリな配役で、ともすれば消極的になりがちな彼女を励ます騒がしい母親にベットミドラーというのもピッタリで、昔からの映画好きなら彼女の登場に嬉しく思うに違いない。

ユダヤの家庭の子として育ち、神を信じてきたのに裏切られ続け、そんな彼女がそれでも流産のあとの人工授精の前に神に祈る歌を歌うシーンでは、歌詞の意味など分からないし、ワタクシ個人は神を信じはしないけれど、それでもなぜか涙が流れた。それもすべてエイプリルの頑張りを見てきた気持ちからだろう。

原作がある作品ということなので、セリフがどこまでヘレンの脚本によるものなのかは分からないけれど、ウィットに富んだ会話が随所に見られるし、なんだか鈍くさくて不器用でいごこちが悪い感じがするけれど、愛すべきユーモアに溢れていて、ヘレンがいままで一緒に仕事をしてきたジェームズL.ブルックス、ロバートアルトマン、ウッディアレンの影響が垣間見られるような気がする。

最後のシークエンスは、現在中国での一人っ子政策のため、プラス中国ではどうせ一人っ子ならば男の子を望むということから、アメリカで中国人の女の子を養子に迎えるケースが増えているという現実の問題にも少し触れてある。このあたりの事実を知らない人にとっては少し分かりにくいラストだったかもしれない。

オマケヘレンハントと言えば、アメリカで90年代にやっていた「Mad about You」というコメディドラマが最高に面白かったのだけど、7シーズン中最初の3シーズンの分しかDVD化していないらしい。あーまた見たいなぁ。

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ザ・バンク~堕ちた巨像

2009-04-09 | シネマ さ行
巨大銀行が武器取引をして、世界の情勢を動かし、その国の借金で儲けを得ようとしているというのを摘発しようとしているニューヨーク検事局のホイットマンナオミワッツと、インターポールのサリンジャークライヴオーウェン。事件が核心にせまるたびにその証人は次々と消され、上層部からの圧力もあり、いま一歩のところで真実を暴くことができない。

展開としては特に目新しいことはない。ちょっと退屈かな~と思い始めたところで、ニューヨーク、グッゲンハイム美術館での銃撃戦が始まって、一気に目が覚めた。基本的にはあんまりドンパチが好きではないんだけど、この銃撃戦はワタクシ個人の目が覚めたってこともあるけど、物語が単調になりそうなところでのいい時間での爆弾投下で、映画全体としても良くなったと思う。グッゲンハイム美術館の独特のらせん状の回廊を利用しての銃撃戦で、しかも行きがかり上、敵の暗殺者と協力せざるを得なくなって、次から次へと撃ってくる敵の中をかいくぐって脱出する、なんてかなりカッコよかったよ。結局、すべての権力が銀行とつながっているから、マトモにやってたんじゃ戦えないということで、最後にサリンジャーが法の外で戦うっていうのは、賛否両論あるところだと思うけど、ワタクシは結構好きだった。銀行の頭取も簡単に殺されちゃって、「それで、実のところ本当の悪者は誰よ?」って感じにはなっちゃったけど、裏の世界なんていくらでも代わりがいて、実際そんなもんかもしれないな。

クライヴオーウェンは主人公にするにはちょっと暗すぎると思うんだけど、そこまで超ハンサムでもない彼がここまでひとつの作品を引っ張れるっていうのもすごいと思う。しゃべり方もなんだか野暮ったい感じがするんだけど、男性的な魅力はすごくあるんだろうなと思う。クライヴオーウェンが暗い分、ナオミワッツに華やかなところを期待したんだけど、今回は検事局の実力者ということもあって、華やかさは封印ってとこですかね。まぁもともとそこにいるだけで華やかっていうタイプではないかもしれないけど、残念ながら、今回彼女の魅力は引き出されていなかったように思う。あの金髪のサラサラヘアをマフラーといっしょくたに巻いて颯爽と歩くシーンはカッコよかったね。アーミンミューラー=スタールは、ヨーロッパ系の悪者では欠かせない存在だと言えるだろう。彼は悪者ばかり演じてる役者さんではないんだけどね。彼が演じるとどんな役でも重みが増す。

ベタな展開だけど、ちゃんとホイットマンが権力者になって、サリンジャーの思いを晴らしてくれそうなラストはワタクシは好きでした。
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ある公爵夫人の生涯

2009-04-08 | シネマ あ行
ダイアナ妃の祖先にあたるデヴォンシャー公爵夫人キーラナイトレーの生涯を描いた作品。貴族の家に生まれ、さらに位の高い公爵家に嫁いだジョージアナスペンサー。美人で機知に富み、社交界の人気者となるも、肝心の夫だけは彼女を愛してはくれなかった。200年の時を越えて、ダイアナ妃とあまりにも境遇が似通った公爵夫人の物語。試写会が当たったので、行ってまいりました。

もちろん、初めからダイアナ妃との共通点を強調してあるから、どうしてもそこに目が行ってしまうのだけど、それを差っ引いて考えても、確かに二人の人生はどこかシンクロするところがある。ジョージアナが自らの結婚の失敗を嘆き、不幸そうな表情をするところなんか、よくメディアに出ていたダイアナ妃の不幸な時代のつまらなそうな表情にソックリでビックリしてしまった。キーラはそれを意識していたわけではないと思うんだけどね。もともとキーラとダイアナ妃って全然似ていないと思うんだけど、それでもすごく重なるところがあった。

ジョージアナと結婚するデヴォンシャー公爵レイフファインズは、妻には世継ぎを産ませるということでしか興味を示さず、生まれた子が女の子だったら、その赤ん坊にすら興味を示さない。彼も彼で貴族として生まれ育ち、それだけの価値観にがちがちに縛られ、社会からのプレッシャーに耐えながら暮らしていたであろうことは、推測することはできたけど、どうしてもジョージアナ目線で物語を見てしまって、好きなレイフファインズまで嫌いになってしまいそうなほど、ひどい奴と思ってしまった。それだけ、レイフファインズの演技はうまかったってことだろうけど。

友人のエリザベスヘイリーアトシェルのことはめちゃくちゃ腹が立ったけど、それもあの時代の女性にはあんな生き方しか残されていなかったのだなと思って許すことにした。ジョージアナ自身も許していたようだしね。

話としては、よくある貴族のお話というか、その中での男女のドロドロ物語で、特に目新しいことは何もないんだけど、キーラも非常に頑張って演じているし、彼女の健気さにどこか応援してしまう。実の母親にまで、世継ぎを産めってプレッシャーかけられるところなんかは、マリーアントワネットともよく似ていたね。

衣装もさすがのアカデミー賞受賞で、豪華絢爛で、よくマリーアントワネットの映画に出てくるような当時のヘンテコな流行りもの系も出てくるんだけど、ジョージアナがファッションは「権力のない女性が、自分を表現する唯一の方法」と言っていたのは、的を射ていてうなづけた。

「マンマミーア!」ではなんだか変な顔の子だなと思ったドミニククーパーが今回はカッコよく見えて、コスチュームもののほうがいいのかななんて思ったりした。

しかし、200年経っても世継ぎを!男の子を!なぁんて言ってる人たちがまだいるんだもんなぁ。全然成長してない人たちもいるもんだ。
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永遠のこどもたち

2009-04-07 | シネマ あ行
ワタクシ、こう見えて(ってどう見えて?知るか!ですね。ハイ、すみません)実はホラー映画は怖いので見ないたちでして。でも、この作品はホラーでありながら、単純にそれだけではないという感じだったので、見に行って来ました。ホラーはダメとは言っても「シックスセンス」や「アザーズ」くらいまでなら見れるので、そんな感じかなぁと思って行きました。

ホラー度としては、実際「シックスセンス」や「アザーズ」のようにワタクシの許容範囲内だったので、大丈夫でした。とは言え、途中ちょっと怖いよぉと思ったところはありましたけどね。まぁ、主人公が一人で夜暗い部屋の様子を見に行って、急に大きな音がするとかそういう古典的な感じでした。

お話は自分が育った孤児院を買い取り、夫カルロスフェルナンドカヨと病気の養子の子シモンロジェールプリンセプと障害児を預かる施設を始めようとするラウラベレンルエダが主人公。ラウラは養子であるシモンを深く愛していたが、シモンは屋敷に友達がいないせいか空想の友達と遊んでいる。それを子どもにはよくあることだと見守っていたラウラたちだが、入園希望者を集めたパーティの日にシモンが失踪してしまい、徐々に彼の空想の友達の正体が明らかになっていく。

彼らの正体が明らかになっていく過程は、ホラー嫌いとしてはちょっと怖かったのだけど、過去と現在を行き来する演出はサスペンスフルによくできていた。ラウラ自身が孤児だったこともあって、実子ではないけれども、シモンに対する愛情が深いということが非常にうまく表現されていて、シモンのために狂わんばかりに真実を追究していくラウラを観客は自然に後押ししたくなる。

そして、最後の展開は、こういった作品にありがちな、「なぁんや」という展開ではなく、きちんと伏線がつながっていて、納得の展開だった。

原題はスペイン語で「孤児院」となっているが、邦題の「永遠のこどもたち」のほうが、最後の展開をうまく言い表していてワタクシは好きだな。最後にラウラが「ウェンディみたい」だと子どもたちから言われるシーンは、ラウラの選択は道徳的ではないけれど、それでも、彼女の深い愛から静かな感動へとつながる。

オマケ1霊媒師の役でジェラルディンチャップリンが出演していて、彼女の顔のせいか、めちゃくちゃ怖いんだけど、それは置いといて、彼女ってあのチャップリンの娘なんだけど、スペイン語がべらべらなのはどうしてなんだろう?

オマケ2子どもたちとラウラが「Un Dos Tres Toca la Pared」「1,2,3ドアを叩け」でしたっけ?「だるまさんがころんだ」遊びをしていましたね。スペイン語でもあるんですね。(というか、色んな国であるようですね)この映画ではホラー感覚がすごくよく出ていました。ワタクシは大阪出身なので「ぼんさんがへをこいたぁ」と言って遊びますので、全然ホラー感が出ませんね。
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ブロークンイングリッシュ

2009-04-06 | シネマ は行
一般的には公開は終わっていると思うのですが、小さい館をいろいろと回って今回ちょうど見られるところに来たので行ってきました。この作品は映画館で見るかどうかボーダーだったのですが、ジョンカサヴェテスとジーナローランズの娘ゾエカサヴェテスが監督をしたということで、優秀なDNAを持つ彼女がどんな作品を撮るのか興味があって行きました。

テーマとしては、なかなか理想の人に出会えない30代の女性の恋愛を描くということで、いかにも現代的なイメージで、ままありがちなテーマではあるんですが、それだけにどのような切り口で描いていくのか気になるところ。

んー、見終わった感想としては残念ながらイマイチでした。話の展開も、主人公のノラパーカーポージーがお母さんジーナローランズから受けるアドバイスも友人ドレアドマッテオとの関係もすべてが思いっきりどっかで見たぞって感じで、目新しいことと言えば、映画の題名にもなっているノラが出会うジュリアンメルヴィルプポーが外国人(フランス人)ということくらい。その設定も彼がパリに帰って彼女が追いかけて行くというところでは活かされはするけれども、そこんとこの面白さもなんかテンポが悪くてイマイチ。

そして、何よりも残念だったのが、主役のノラという女性とジュリアンという男性のどちらも人間的な魅力が欠けていること。特にノラについては主人公であり、「こんなにいい人なのに、どうしていい男性が現れないの?それは男に見る目がないか、いままで運が悪かっただけ」くらいに思わせてくれないと彼女の恋愛を応援する気になれないもんだけど、実際のところ、ノラはいつも口をヘの字にして、不満げだし、一晩寝ただけの有名な俳優のことを即「恋人」なんて思っちゃうところは十代、二十代ならまだかわいいと思えるけど、あの歳でそれじゃ、ちょっとバカ?って感じに映ってしまう。ジュリアンについても、人生好きなことやって生きればいいじゃん、セラヴィ。みたいなところにフランス人的なものを演出していたのかもしれないけど、全然ノラに対する気持ちとか誠実さとかいうものがまったく見えてこない。逆にものすごく情熱的なフランス人に押されまくってくっついちゃうみたいなほうが面白かったかも。

なんとなぁく感覚だけで作っちゃった感じがするんですよね。等身大で作ったのはいいけど、もう少しきちんとした飾りつけも欲しかったような。ナチュラル~すぎて、なんか本当に普通に隣の人の恋愛を見せられているような気がしてしまった。別に隣の人の普通の恋愛なんて見たかないよ、みたいなね。デビュー作なので、少し大目に見ておくとして、次回に期待いたします。
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フロスト×ニクソン

2009-04-03 | シネマ は行

これは公開前から楽しみにしていた映画。基本的にアメリカのあのあたりの時代の映画が好きなんだけど、この1977年のデビッドフロストマイケルシーンとニクソンフランクランジェラのインタビュー対決のことはまったく知らなかったので、とても楽しみでした。フランクランジェラの演技が素晴らしいというウワサも聞いていたしね。
この作品を見るにあたって、ウォーターゲート事件とはなんぞやっていうことを知らない人は少し予習をしておいたほうがいいと思います。ちらっと最初に事件のことに触れられはするけれども、基本的に、みんな知ってるという前提でお話が進みますので。

さて、監督がロンハワードということである程度の信頼感はあるし、ワタクシ好みな感じがにじみ出ていたので、初めから安心感を持って見ていたのですが、冒頭ウォーターゲート事件でニクソンが失脚するニュースから、この番組に関係した人々のインタビューをドキュメンタリー調で挟んでいく。この手法には好き嫌いがあるかと思うんだけど、ワタクシは結構好きなんですよね。

デビッドフロストはかつてテレビ界で華々しい活躍をしていたけど、現在はちょっと落ち目。そんな彼が再起をかけてニクソンとのインタビューに挑む。一方ニクソンのほうはというと、大統領を辞職して以来、政界から遠ざかってはいるが、政治家として、罪の部分はあったが、功の部分も多くあり、それを民衆に正当に再評価させ、政界への復帰をこのインタビューにかけていた。フロストもそのブレーンたち(プロデューサーのジョンマシューマクファディン、ジャーナリストのボブオリバープラット、ノンフィクション作家のジェームズサムロックウェル)のほうは、ニクソンが手強い相手だと分かっていたが、ニクソンのほうはというと、フロストはただのトークショーの司会者とナメてかかっていた。

まずは、フロストがニクソンにインタビューを申し込み、承諾を得るところから始まるが、そこからしてまず笑顔でいながら水面下でのかけ引きが始まっている。ここでいきなりニクソンのほうは「この家は盗聴されてるかもしれないから」なんてキツいジョークを飛ばしてくるのだから恐れ入る。そして、お互いのチームによる材料集め、分析、戦術会議。ニクソンのほうも腹心のジャックブレナンケビンベーコンを中心に参謀を集め情報収集や、作戦会議を行っていた。その間、フロストはその番組を買ってくれるスポンサー探しにも奔走する。落ち目の司会者であるフロストの無謀な計画を買ってくれるテレビ局もスポンサーも思うように集まらないまま、フロストは私財を投じてこの番組を作ることになる。

そして、いよいよインタビュー初日。ニクソンを憎み、悪事を暴いてやろうと意気込んで、絶対あんな奴と握手なんかするかと言っていたジェームズまで思わず握手をしてしまうシーンが笑えるのだが、それだけニクソンには独特の雰囲気があったということなのだろう。インタビューが始まり、ニクソンの質問への答えの一般論化への仕方、自分に都合のいい話題へのすり替えには舌を巻く。良いか悪いかは別として、ニクソンがどれだけ優秀で頭の回転の早い人かが分かる。酸いも甘いもかぎ分けた政治家。そう簡単に崩せるわけはない。

最初の3日間、インタビューは思うように進まない。フロストの狙いはニクソンから謝罪を引き出すこと。ウォーターゲートの真相を暴き、国民に謝罪させられることができたら、フロストは一躍時の人に踊り出る。しかし、ニクソンは一枚も二枚も上手でフロストの願いとはほど遠いほうに流れは行ってしまっている。

資金も底を突き、もう進退窮まったかと思われた夜最後のインタビューの日を前にフロストにニクソンから電話がかかる。それまでのインタビューでもフロストに遮らせる隙を与えず、長々と話し続けたニクソンだが、この電話ではもう完全にニクソンの独壇場。相手が聞いているかどうかも気にせずとうとうと話し続ける。それはニクソンの人生への思いのたけをぶつけたものだった。自分はどんなにがんばっても人から好かれない。上流の連中から見下される。君も同じだろう、フロストくん。そんな連中を見返してやるんだよ。しかし、勝者になれるのはただ一人だ。もう一人は荒野に取り残される。この電話でのニクソンを演じるフランクランジェラの迫力がものすごい。ニクソンの独白に聞き入りながら、それと同時にフランクランジェラの役者としてのすごさにうならずにいられなかった。

ついに、最後のインタビュー。ニクソンからの電話で奮起したフロストはもう一度事件について分析をし、新しい証拠を持って最後の日に挑む。この日のフロストはそれ以前のインタビューとはまるで別人のようにニクソンを追い込んでいった。饒舌なニクソンもフロストに新証拠を突きつけられ、話を一般論化してごまかそうとするあまり、最終的に「犯罪行為を行っても大統領なら犯罪にならない」と言い切ってしまう。ニクソンの口からこのセリフが出たとき、映画館で見ていたアメリカ人女性が思わず“Wooow!”と言っていた。ワタクシも“Wooow!”と声にまでは出なかったかまさにそんな心境だった。

そこからのニクソンの告白。決して謝罪はしないけれど、これで自分の政治生命が終わったことを悟り、間違いを犯したことを話すニクソンに、ワタクシはなぜか涙が出そうになった。ワタクシは政治家なんてほとんど大嫌いなんだけど、自分の功績が犯した間違いによってすべて打ち消されたニクソンの悲しみをたたえた瞳にやられてしまった。フランクランジェラは決してニクソンに似てはいないけど、まるでそれが本物のニクソンのように錯覚してしまった。このときフロストのチームは完全に“勝った!”となったのだが、ワタクシはニクソンに同情してしまった。あのときのニクソンにウソはなかったと感じたからだ。それが事実そうかどうかは分からない。ただ、この作品を見た限りではそう感じた。

このインタビューを終え、最後にフロストはニクソン邸に挨拶に行く。そのときのニクソンのセリフがまた印象的だ。「君は人に好かれる。それがどれだけ素晴らしいことか分かるかね?」何の才能もないのに人気者になったと揶揄されていたフロストだが、それこそがまさに彼の才能そのものだったのかもしれない。何をしても嫌われ者の立場だったニクソンの口からそんな言葉を聞き、ワタクシはまたもやニクソンに同情し、彼の功績をもう一度見直したいという気持ちにさえなった。(って、ワタクシは別にアメリカ人でもないのに変だけど)

フランクランジェラと同等に渡り合ったマイケルシーンも、非常に素晴らしい演技をしていて、ものすごく眼力のある人だなぁという感じだった。「クイーン」でも素晴らしかったらしいけど、まだ見てないんですよねー。「アンダーワールド」のルシアンの役と言えば、「あぁ~」って思うんだけど、特に彼を意識して見たことはなかった。「クイーン」は早く見ないとな。フロスト側のサムロックウェルもどんどんいい役者さんになっていくなぁという感じだし、ニクソン側のケビンベーコンもあっぱれな演技。全員が落ち着いた中に熱い思いをたぎらせた素晴らしい演技合戦だった。

それにしても、ニクソン、あの夜フロストに電話したこと、覚えてないって言ってたけど、あれはどういうことかなぁ?酔ってたから?

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リリィ、はちみつ色の秘密

2009-04-02 | シネマ ら行
まったく見るつもりがなかったのですが、予告編を見て見に行きたくなりました。

舞台は1964年のアメリカ南部。公民権法が成立したとはいえ、まだまだ人種差別は激しい時代。主人公のリリィダコタファニングは4歳のとき、銃が暴発する事故で母親デボラヒラリーバートンを亡くし、自分に辛く当たる父親T.レイポールベタニーと暮らしている。母親は優しい女性だったが、死ぬ前に自分を捨てて家を出て行ったという経緯があり、リリィは誰にも愛されない悲しみを持ちながら、母親の残した形見にすがって生きていた。ある日、公民権法が成立したことで、黒人も選挙に参加できることになり、リリィの家の乳母兼お手伝いのような存在のロザリンジェニファーハドソンが選挙人登録に行こうとしたところを町の白人たちに妨害され、抵抗したロザリンは暴行を受けてしまう。そんなロザリンを病院から逃がし、一緒に町を出ようと誘うリリィ。リリィは母の面影を追って、母が小さいときに過ごした町へと向かう。

その町で出会うのが、養蜂場を営む黒人3姉妹。長女のオーガストクイーンラティファ。次女のジューンアリシアキーズ、三女のメイソフィーオコネド。(全員“月”の名前になっている)ジューンはリリィとロザリンを受け入れることに反対するが、長女のオーガストは彼女たちを事情もなにも聞かずに受け入れてくれた。

この出会いがリリィにもたらすもの。それは「愛」。言葉で言ってしまうと、ともすればチープになってしまうけど、自分は愛されない子だと思い込んできたリリィが初めて、素直に愛し、愛されることを知る。そのあたたかさに涙せずにはいられない。

ダコタファニングちゃんはもういいよーってずっと言い続けてたんだけど、今回、ワタクシちょっと反省。ダコタちゃん、歯矯正してずっと可愛くなった。役柄が14歳ということでちょうど実年齢に近かったと思うんだけど、確実に児童ではないし、と言って大人というには遠すぎる一番中途半端な年齢になって、役を選ぶのも難しいと思うんだけど、この役は本当にいまの彼女のために書かれたような役だった。

そして、とてもとても素晴らしいのが黒人3姉妹を演じる3人。
クイーンラティファは大好きな女優さんで、どんな役をやってもピッタリはまってしまうんだけど、今回のオーガストは本当に彼女の包み込むようなあたたかさがあってこそ。この映画の成功もほとんどそこにかかっていると言っても過言ではないと思う。そして、ジューンを演じるアリシアキーズ。彼女は本当に美しくてビックリしちゃうんだけど、歌も演技もできちゃうんだよねー。ここに登場する黒人さんはほぼ全員そうか。黒人さんって本当に才能溢れるスターが多い。彼女の美しさは少し気が強いジューンにピッタリだったし、ただ気が強いのではなく、内面に弱さや優しさを持った女性だというのが出てくる後半、とても素敵に輝いていた。
双子の妹エイプリルを亡くしてから精神のバランスを少し失っている三女を演じるソフィーオコネドは、ちょっとしたことで動揺し、“嘆きの壁”へと避難してしまったり、楽しいことがあるとすぐに小さな子供のようにはしゃいでしまうメイを非常に自然に演じていた。

お話はよくある単純な母子愛的なものなんだけど、そこに人種差別を絡ませて、うまく描いている。物語の中の様々な小さいエピソードに考えさせられたり、じーんときたり、優しい気持ちになれたり。欲を言えば、お父さんのT.レイが実はもうちょっとイイ人だったら良かったな。でも彼も彼なりに傷ついていて、それを克服できなかっただけというふうに描かれていて、それはそれで正直な感じでお涙頂戴にならないで良かったのかもしれないな。

最後の本当の母親像のところは、最初っからそうなんだろうなぁと分かりきってはいるんだけど、それはそれでいいんだと思う。見ている側にそう思わせるだけの“いい話”のパワーがこの作品には最初からにじみ出ているから。原作をじっくり読んでもう一度この世界に浸りたいなと思わせるような映画だった。
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ワルキューレ

2009-04-01 | シネマ わ行

ドイツでは誰もが知っている英雄シュタウフェンベルク大佐トムクルーズのヒトラー暗殺計画「ワルキューレ作戦」の映画化。

うん、そうですね。これ、ちょっと映画としてはどうかな。ヒトラーが暗殺されたんじゃないってことは誰もが知っていることだしな。ということはこの作戦が失敗に終わるって分かってて見ないといけないわけだ。たとえそうでも観客を惹きつける作品を作ることはできるだろう。でも、この作品はそこまで惹きつけられるものではなかったな。悪くはないけど、もう一声ってとこですかね。

なんで、トムクルーズが?ハリウッドが?英語で?みたいなことはこの際置いときます。世界市場を考えれば、そういうことも普通に行われるのだということでしょうし。トムクルーズがシュタウフェンベルク大佐を演じることに関してはドイツでは意見が分かれ、遺族は反対していたということだけど、ならばなぜドイツ人がドイツ語で彼を題材に映画を作らない?と思ったらドイツでテレビ映画が2004年に作られているのね。ドイツがこれを大々的に世界市場の映画として作らないのは、ヒトラーを否定はしていてもドイツ軍の将校をドイツ自身が肯定的に描くことに、批難が出ることを恐れているからなのかな?あ、これは単なるワタクシの憶測です。

映画としては、生真面目に作られている感じはするし、好感は持てるのだけど、もう少し将校同士の人間関係とか、仲間を見つけるまでのスリリングさとかを描いてほしかったなと思います。あんなふうに反ヒトラーの仲間がたくさんいたのは事実なんだろうけど、誰が反ヒトラーで誰が親ヒトラーなのか、あの体制の中で反ヒトラーの仲間を見つけるのはそう簡単ではなかったろうし、下手すれば話を持ちかけた相手に密告とかされちゃってそのまま死刑とかになりかねないのに、結構簡単に仲間がゾロゾロと集まってくるところがなんだか簡単に見え過ぎたような気がする。この作戦が失敗することは分かっているんだから、そういうところに重点を置いても良かったような。

会議中に爆弾をしかけ、爆発はさせたものの爆弾も1個しか仕掛けられなかったし、爆破は密室ではなかったし、ヒトラーが死んだことを確認できたわけでもないのに、シュタウフェンベルク大佐がムキになって作戦を推し進めようとしたところが、それまでの焦燥感などが描ききれていなかったがために、「えっ?なんでそんな無理すんのさ」って感じに思えて、意地だけで進めるには犠牲になる命が多すぎやしないか?と思ってしまった。実際にはどうだったかは知らないけど、映画を見るとそう感じてしまう。もちろん、これは結果論でそのときはイチかバチかやってみるしかなかったのかもしれない。だからこそ、そのあたりをうまく描き出して欲しかった。

ヒトラーが死んだかどうか報告する役目だった人がどうしてあんな中途半端な報告をしてしまったのかっていうのがどうにもよく分からなかったし、通信部と予備隊を味方につけられなかったのは失敗だったけど、時間が足りなかったことを考えると仕方なかったのか。ここでも反ヒトラー派と親ヒトラー派の攻防みたいなものをもう少し描いて欲しかった。

この作品を2時間ちょうどに収めたことはかなり評価できますね。最近は長い映画が多いからね。それにトムクルーズの大作ですから、脇役もいい人が集まってるし。ビルナイの演技も良かったし、ケネスブラナーがこの作戦が失敗したことを知って自決するシーンはこの映画で唯一うるっときたシーンでした。

ドイツでは超有名なシュタウフェンベルク大佐ですが、国外では知らない人が多いだろうし、それを誰も見ないようなドイツ映画(失礼!ワタクシなら見ますが一般的にという意味です)で作るよりハリウッドがビッグバジェットで作ったほうが世界的にナチスに対抗したドイツ人兵士がたくさんいたということを知れるいい機会になると思うので、それに関してはいい評価をしてもいいんじゃないでしょうか。

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