シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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ジョニーマッドドッグ

2010-06-29 | シネマ さ行

カンヌ映画祭の「ある視点」部門でHOPE賞を受賞したということと、“いまサッカーワールドカップが開催されているアフリカで”という宣伝文句に踊らされて見に行ったのだけど…ちゃんと見る前に調べなかったワタクシが悪いんだけど、“ワールドカップが開催されている”なんて言うから、南アフリカ共和国の話かと思ったら見ているうちに「ん?これ、南アフリカの話じゃないよな~」と思えてきて、あとでもう一回コピーを見てみたら「~が開催されているアフリカで」って書いてあった。あ、アフリカっていっしょくたにしちゃったのか。「ワールドカップの」っていう宣伝文句で食いつくようなワタクシみたいなバカを狙って…ヤラレタ。

ま、いいけど。

HOPE賞か。それはやっぱり最後の最後の展開があったからかな。残忍な殺戮や強盗、レイプなどを繰り返す少年兵たちとは対照的に苦しい現実の中にあってさえも自分の家族を守り、見知らぬ幼い子供を守ろうとする少女ラオコレデジーヴィクトリアヴァンディの存在こそがHOPEだったのかもしれない。

少年兵ジョニーマッドドッグクリストフミニーやノーグッドアドヴァイスダグベストゥウェ、バタフライモハメッドセセイたちと少女ラオコレの違いは一体なんだったんだろう。もうこれは紙一重の運としか言いようがない気がする。彼らはみな幼いころから非情な境遇にさらされてきた。その中で決定的に彼らを憎悪の世界に引きずり込む何か(大人の存在)と出会ってしまったかどうか。その違いだけのような気がする。彼らだって凶暴に生まれついたわけではない。そうしなければ生きていけなかった。大人から麻薬、凶器、脅しを突きつけられてそうならざるを得なかった。ただそれだけなのかもしれない。

ジョニーの部隊の中でもっとも凶暴と言ってもいいようなノーグッドアドヴァイスが略奪したブタをペットのように想い、みんなで食べること拒否するシーンはとても複雑な気がした。殺人もレイプも平気でやってのけるノーグッドアドヴァイスにもそんな心はあるのだと。やっぱり彼も「子供」なのだと認識させられるシーンだが、だからと言って彼の罪がなくなるわけでもない。ジョニーも同じように自分の彼女が殺されたときに流した涙は嘘ではない。彼らの中にこんな矛盾を生み出した罪も大人にある。

結局ジョニーが信頼していた上官はあっさりと政府軍に雇われ鞍替えする。もうお前らに用はない。彼らのような反政府軍に信念などあったはずもなかった。内戦のためにむりやり人間性を奪われた彼らは新しい世界でどうやって生きていくというのだろう。

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ビルマVJ~消された革命

2010-06-28 | シネマ は行
軍事政府が支配するビルマ(ミャンマー)で、小型ハンディカムを用いて撮影した映像を衛星放送で国内で放映したり、国外のメディアに提供する若者たち。彼らはもし、当局に捕まれば、拷問、投獄される可能性に怯えながらも真の自由を信じて撮影を続ける。題名のVJとはビデオジャーナリストのこと。

批難を覚悟で書くとワタクシはこの作品を見るまで、戦場ジャーナリストのことを「すごいな」とは思っていたけど、たとえ彼らが亡くなったとしてもそれは彼らが好きでやってることだから仕方がないと思っていた。

この作品を通して見える彼らの「伝えたい」という気持ち、「世界の人々よ、僕たちはここにいる。僕たちの現実を知って。僕たちのことを忘れないで」という想いに、いままで自分が戦場ジャーナリストたちに抱いていた気持ちが変わった。

ここに登場するVJたちは、戦場ジャーナリストとは違う。彼らは自分の国の現状を世界の人々に知ってもらおうと命を懸けて撮影をしている。だが、彼らのスピリットを通して、ワタクシは初めて戦場ジャーナリストのスピリットを感じることができたのかもしれない。

2007年日本人ジャーナリスト長井健司さんが射殺された僧侶たちが先頭に立ったデモの様子が撮影されている。当時、長井さんが射殺されたことももちろんショッキングな出来事だったが、軍事政権が僧侶に対してさえも暴力を行使したことがもの凄くショックだった。そのときに見たニュース映像がこの作品に登場する若者たちによって撮影されたものだったことはまったく知らなかった。この様子を撮影しているビルマ人でさえ、日本人ジャーナリストが射殺されたことや、軍が僧侶にまで暴力を行使したことはショックな出来事であったということがこの作品を見て分かった。おそらく、彼らにとっては自分たちの政府がそこまでのことをやるということの再認識ということがかなりのダメージになったのではないかと思う。

このデモの中で僧侶たちがスローガンを掲げるのだが、それが「いまこそ和解を!」というものだったことがすごく印象的だった。「打倒、軍事政権」ではなく、「和解」を求める僧侶たちにさえ暴力を行使する政府。こんなにやりきれないことはない。

アウンサンスーチーさんは言う。「あなたの持っている自由を持たない人のために用いて下さい」ワタクシたちが普段大して感謝もせずに享受している自由。そのことについて大いに考えさせられる作品だった。

最後にもうひとつ。「ビルマVJ」という題名を聞いて、「ん?ビルマってミャンマーに変わったんじゃなかったんやっけ?」と思っていたんだけど、この作品に登場する人たちはみんな「ビルマ」を使っていたから、これはなんかあるなと思って調べてみたら、「ミャンマー」という名称は元々ビルマで使われていた名称ではあり、「ビルマ」はイギリス植民地時代に使われていた名称であるものの、「ミャンマー」に変更したのが軍事政権だったため、軍事政権に反対する気持ちを込めて現在でも「ビルマ」と呼び続けているということだった。日本のニュースなどでは当たり前に「ミャンマー」が使用されているが、アメリカやイギリスなどでは「ビルマ」を使い続けているということだ。たかが、呼び名かもしれないけど、やはりどちらを使用するかに大きな意味があるということだろう。
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シルク

2010-06-18 | シネマ さ行
1860年代にフランスから蚕の卵を求めて日本に向かった青年エルヴェマイケルピット。彼は日本である女性芦名星に想いを寄せ、帰国して妻エレーヌキーラナイトレーの元に戻ったあともずっとその女性のことが頭から離れなかった。

エルヴェがなぜこの女性に惹かれたのかっていうのはまぁぁぁったく分かりませんでした。遠く離れた異国の地で、神秘的な雰囲気を持った女性に惹かれるっていうのは分からなくはないけど、なんか彼女はそんなに魅力的に描かれてなかった気がするんですよねー。彼女のほうもエルヴェに惹かれてたようなんだけど、彼女は商売人ハラジュウベイ役所広司の妻で、(妻っていうより愛人って感じだったけど?)本当は日本人じゃないって言ってたから、エルヴェに連れ去って助けてほしかったっていうことだったのかなぁ?

外国映画に登場する日本ということで、ご多聞にもれずとっても変な感じだったんですが、これはエルヴェの目線で描かれた日本だから、エルヴェにしてみたらとっても奇異に映っただろうなと思うとそのエルヴェが感じた「変なのー」っていう感覚を共有していると思えばこの変テコさも許せるかも。それは日本人以外には通用しない理論なんだけど。

エルヴェがその女性に恋したことと、その女性がなぜかエルヴェに他の女性をあてがってきたこと(自分の代わり?)っていうのは不可解な出来事だったんだけど、彼が妻を愛していたこと自体は事実だろうし、妻も彼が心ここにあらずなことを知っていながら彼を愛し続けたことも事実だったんだろう。最後の妻の手紙は一種の賭けのようなものであったか、彼を楽にさせるためのものであったか、その辺りの真意も確かではないけど、そこに愛があったということだけは確かに分かった。

「レッドバイオリン」のフランソワジラール監督ということで、映像はすごく美しかったです。マイケルピットはハンサムじゃないけど、なんだか魅力的な青年で、この作品の雰囲気にとても合っていました。キーラはコスプレ系が似合うので、言うことなし。

全体的になんだかぼやーっと進む感じで大した事件も起こらないので、寝てしまう人はいるかもしれません。ワタクシは幻想的な物語を読んでいるような感じに浸れたので良かったです。

オマケ作品とは全然関係ないんですが、蚕って完全に家畜化された昆虫で自然に放したとしても生きていけないそうですね。知ってました?これって常識なのかな?ワタクシはつい最近まで知りませんでした
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マイブルーベリーナイツ

2010-06-16 | シネマ ま行
これはウォンカーワイ監督の「恋する惑星」とか「天使の涙」と雰囲気が似てるような気がする。なんかオサレ映画って感じですかね。

ニューヨークに住むリジーノラジョーンズは彼氏が他の女と来ていたというカフェのオーナー、ジェレミージュードロウに彼氏との話をしているうちに親しくなり、失恋をなぐさめてもらうが、自分で立ち直ろうとニューヨークを離れアメリカのあちこちでウエートレスの仕事をしながら過ごしていた。

この旅でリジーは二人の女性と出会う。

夫アーニーデビットストラザーンに異常なまでに愛されているスー・リンレイチェルワイズ。父親に小さいときから博打を仕込まれたレスリーナタリーポートマン

この二人に出会ったことからリジーが何かを学んだのか、そこんとこよく分かりません。アーニーとスー・リンは典型的なDV系夫と共依存妻ってとこだったんだけど、レスリーに関しては父親の愛に飢える突っ張って生きている女性ってワケで、アーニーとスー・リンのエピソードのあと、色んな恋愛模様を見せていくのかなと思っていたワタクシはちょっと拍子抜けというか、それで、どうしてリジーがまたニューヨークに戻ろうと思ったのかとかよく分からんかったけど、まぁいいかって思いました。

ワタクシがどうしてまいいかと思ったかというと、多分それは最初のリジーとジェレミーの会話が素敵だったことと、ワタクシの好きなレイチェルワイズとナタリーポートマンがなかなか普段は見せないような役柄をしてくれていたことで満足したからかな。

レイチェルワイズもナタリーポートマンも普段わりとお堅い系の役が多めだと思うんですが、この作品ではいつもと違う顔を見せてくれました。それでいて、二人ともやっぱうまい。

逆に言えば、レイチェルワイズもナタリーポートマンも好きでもなんでもない人は、本当に「で?」っていう感想を持つかもしれませんね。特にジュードロウのファンだからということでこの作品を見た人なら「もっとジュードを出せ!」と怒っちゃうかも。最初と最後のほうしか登場しないので。でも、とっても素敵な役ですよ。

何も悪いわけじゃないけど、売れ残ってしまうブルーベリーパイと恋愛をかけたところとか「鍵」にまつわるエピソードとかがオサレな感じで、ワタクシはなんとなく好きな作品でした。
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歩いても歩いても

2010-06-15 | シネマ あ行
是枝裕和監督の作品は「誰も知らない」しか見たことがないのですが、この「歩いても歩いても」も手法的には「誰も知らない」とよく似ていました。役者の自然な一面を捉えるのが得意な監督なのかなという感じです。

とにかく、YOU演じる娘と樹木希林演じる母親の会話が自然過ぎてスゴイ。もうこの二人のやり取りを見るだけでもこの作品を見る価値があると言えるほど。会話のテンポから、内容からすべてが超リアル。あ~、母と娘ってこんなんだよなぁと思わせてくれる。ほんとにずっと見ていたいと思わせるような会話のテンポで、後半YOUはまったく出演しないので、とても残念だった。

そこに入ってくる父親原田秀雄、娘の夫高橋和也、息子阿部寛、息子の妻夏川結衣、それぞれがYOUと樹木希林とまではいかないまでも自然な雰囲気。

初めはこの家族の集まりが何のためのものなのかよく分からない。ただの夏休みのひとコマ?と思っていると少しずつ全容が分かってくる。15年前見知らぬ子供を助けて海で溺れ死んだ長男の命日にみんな実家に集まっているのだ。

娘は子供二人と夫を連れて。そろそろ個人病院を引退した父親の診察室を2世帯住宅にしようと計画中だが、両親はなかなか「Yes」と言わない。かと言って、ハッキリ「No」とは言わない。診察室を壊されたくない父親と長男の部屋をいじられたくない母親といったところか。

次男は妻とその連れ子を連れて。失業中だが、そのことは絶対に親にはバレたくない。特に父親には。個人病院を継ぐはずだった長男とは違い、父親の願いに反抗して絵の修復師になった次男はいまでも父親との確執を持ったままだ。やもめと結婚したことで母親も表面には出さないが、良く思ってはいない。

母と娘、母と息子、父と娘、父と息子、姉と弟、それぞれの夫婦でなされる会話の中でちらっと見え隠れする本音。家族とはいかにややこしいものか。まさに親の心、子知らず、子の心、親知らずで、それぞれの思惑は伝えられないまま、叶えられないまま終わることのほうが多いのかもしれない。

長男を亡くしたことから来る母親のどす黒い本音が見える場面もあったりして少しドキッとさせられるが、子供を亡くした母親ということを考えれば同情もする。姑の立場で嫁に言うチクっという言葉も強烈だったなぁ。

ワタクシは子供がいないせいか、どちらかと言えばやはり娘息子の気持ちに寄り添うことのほうが多かったように思う。「死んだ兄さんより、生きてる私たちを大切にしてほしい」という娘の言葉も辛辣だけど、本当にその通りと思ってしまった。

それで、結局大した事件が起こるわけでもなんでもないんですがね。それで、ここまでグイグイ見せてしまうってものすごい演出力だなぁと思わされる作品でした。
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闇の子供たち

2010-06-11 | シネマ や行
公開のときから話題になっていたので興味はあったのですが、見に行くことができず、今回ケーブルテレビで見ました。

タイの人身売買、児童買春についてのお話。取材をする現地記者の南部浩行江口洋介、現地NGOでボランティアをする音羽恵子宮崎あおい

どこから書き始めればいいかなかなか難しい。まず、現地の生きたまま心臓移植をされるということに関してはちょっと現実味が薄い、というかおそらくこれはフィクションだろうと思われる。が、児童買春については完全にノンフィクションなんだろうなと。

映画を見終わってから、少しネットサーフィンをして色んな人の感想なんかも読んじゃったんだけど、宮崎あおい演じる音羽恵子がこれから息子の心臓移植をしようとしている梶川夫婦佐藤浩市鈴木砂羽に会ったときに、「他の子の命を犠牲にするんですか。考え直してください」というシーンについて、キレイ事ばかり言ってむかつくみたいな意見が多かったのですが、確かに“取材”という名目で家にあがったのに、あんなふうに意見をまくしたてたことはフェアではないし、ルール違反だと思うけど、彼女の言ってることって全然間違ってないじゃないって思う。ワタクシは子供がいないから、確かに病気の子を持った親の苦悩っていうのは分からないけど、自分の子供が病気だからってお金を払って他の子を殺して助けてもらうっていう行為に「仕方ない」とは言えない。「親だから」っていう理由でなんでも許されるということじゃない。「その気持ちは分かる」っていうスタンスなら分かるんだけど、「実際にそうする人を支持する」っていう気持ちにはさらさらなれない。恵子のしたことは間違っていたけど、言ったこと自体は全然間違ってないと思うし、恵子の言っていることを「甘い」と言うことなんてワタクシにはできない。

一方で、実際自分の子供を売っぱらっちゃう親もいるわけで。それは貧困という社会の悪がそうさせるということはもちろん分かるんだけど。その親側の苦悩というのは今回描かれてはいなかったけど、どうなんだろう?もちろん、苦悩している人もいると思うけど、子供は親に尽くして当然という考え方の人もいるし、現に日本でだって、昭和初期くらいまで貧困層ではこんなことが普通に行なわれていたりもしたんだし。お金持ちの家では跡取りとして男の子の誕生が喜ばれたけど、貧困層では女の子が生まれたほうが喜ばれたなんて話もある。10年もしないうちかそこらでよそに売ればお金になるからだ。当時はペドファイルのためではなかったんだろうけど。しばらくは下働きをして時が来れば女郎になった。つまり、ここで語られる人身売買の話は異国の遠い遠い話では決してない。

異国の話ではないって書いたけど、買春ツアーとかしてる厚顔無恥な奴らが日本にウヨウヨいるんだよね…相手が子供じゃなくても最悪なのに、子供を買うってどういう神経してんだか。性癖は本人が選べるものではなくて持って生まれたものだろうから、それに関してはどう言えばいいのか分からないけど、やっぱりどういう性癖にしても相手があって、その相手が同意の上ではないならやっぱりダメなんだよっていう基本的なところかな。大人同士の売買春は「同意の上」と言えるからいいじゃんとも言えませんけどね…この作品に登場する子供を買う奴らに日本人が少なかった(実質一人?)のはなんらかの配慮だったのか?なんか欧米人ばっかだったのが気になった。

そういうのを取り締まる警察も汚染されてるんだろうね。買春ツアーの日本人なんて全部まとめて検挙してくれって思うけど。大した罪にもならないのかな。そういうのが普通に会社行って真面目に働いてるとか言ってると思うとヘドが出るね。

映画に登場するマフィアの下で働き、子供を売り買いする仲介をしている男も実は子どもの頃母親に売られた過去を持っているというのが興味深かった。自分がそんな目に遭っていたのに、どうして子供たちに同じ目を遭わせるんだっていうのもあるけど、やっぱそんなふうにしか生きていけない境遇になってしまったんだよね。彼が生きたまま心臓移植をされて殺される女の子を最後にキレイにシャンプーをしてあげて、可愛い服を着させて、「今日は可愛いよ」と言って送り出すのは彼なりの懺悔の気持ちがあるのかもしれない。彼のような境遇なら、これから辛いだけの人生を歩むならここで麻酔にかかったまま死ぬほうがよっぽどマシだという考えもあったのかもしれない。劣悪な状況におかれ続けてきた人間は、すべての運命に無気力にならざるをえないのだろう。それに抗う気力などきっとどこにも残らないのだろう。

この作品は衝撃のラストっていうもののひとつになるのかな。こういう作品だからこそ、なんかそんな商業主義的な「衝撃のラスト」になんかして欲しくなかったなぁと見終わった直後にはそう感じました。

でも、何日か経つとあれはあれで良かったのかなという気にもなってきました。よく分からないけど、映画を見終わってからも色々と考え続けることになったから。南部は本当に臓器売買される子供たちを救いたいという気持ちはあったんだろな。でもそれと自分の性癖とは最初は結びつけていなかったのかな。彼にとってタイが天国だったのは、簡単に自分の性癖が満たされるからだったのか。

確かにペドファイルの人の中には自分の性癖について悩んでいる人もいるだろう。相手の子供も喜んでいるんだなんて考えてる奴らもいるようだけど、南部はそうではなかったんだろう。だからこそ、鏡の周りにペドファイルで捕まった奴らの記事を貼り付けて自分の顔を見つめていたんだろうね。だからって南部が許されるわけではないと思うけど。彼は過去に子供を買ったという事実を悔やんでいたわけではなく、その性癖そのものに関して苦悩していたのだろうから、彼が最後に取った選択は不幸だけど、そうするしかなかったのかもと思った。連続殺人犯が「早く僕を捕まえてくれ」と思うのと同じような心境だったのかな。もっと言えば、彼のせいで不幸になる子供が増えるなら、彼が死んでくれたほうが良かったとワタクシは思う。自分でも酷い考え方なのかもとは思うけど、そう思わずにいられない。

んー、なんかまとまりのないレビューになってしまいました。というかこれはレビューではないですね。思ったことをただただ書いた感じですね。どうしてこんなふうになってしまうのかは映画を見ていただければ分かると思います。映画のデキとしての賛否は分かれるところだとは思いますが、見る価値はある作品だと思います。
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マンデラの名もなき看守

2010-06-10 | シネマ ま行

1968年南アフリカ。がちがちの人種差別主義者で刑務所の看守を務めるグレゴリージョセフファインズは、マンデラデニスヘイスバートが収容されているロベン島の看守となる。黒人たちが話すコーサ語を話せるグレゴリーは囚人たちの手紙を検閲するポストを与えられ、諜報部に報告をあげるという任務を負い、出世街道を進むはずだったし、妻のグロリアダイアンクルーガーもそのことを非常に喜んでいた。

しかし、グレゴリーはネルソンマンデラという偉大なリーダーに接するようになり、少しずつ彼の中の何かが変化していくのを感じていた。囚人たちの手紙を読み、マンデラの妻との面会での内容を諜報部に流し、お国のために役に立ってはいたものの、何か釈然としないものが常にとり憑くようになる。彼が流した情報によって、マンデラの息子が、元囚人が政府によって殺されていく。一方でマンデラはどんなときも顔をあげ、穏やかにそれでも強い信念をグレゴリーに語りかけた。

マンデラの影響を受け、政府の禁制品であるマンデラの自由憲章を読んでみることにしたグレゴリー。そこには、すべての民族の平等と平和を願う信条が綴られていた。

「インビクタス」のときにも感じたが、マンデラの強烈なカリスマ性というのは、すべての人種、民族、世代を超えて影響を及ぼすものなのだろう。グレゴリーだけではなく、その息子や妻にまで少しずつ影響を及ぼすようになっていく過程がうまく描かれている。

この物語はマンデラという偉大な人物の陰にいた(当時の)ごく普通の南アフリカ人を描くことで、より一層マンデラ氏の偉大さを理解することができるお話だと思う。それと同時にグレゴリーの夫婦愛、家族愛を描いたものでもある。

マンデラをかばい肩入れしすぎたために、マンデラの妻に内緒で夫からのプレゼントを渡したことがバレて、家族ともども肩身の狭い思いをしなければならなくなったとき、グレゴリーは自分の職務に執着することなく、家族を連れて別の刑務所に赴任する。妻や子供たちを愛するがゆえの選択だったと思う。

そして、また時代が巡りマンデラと直接接する機会に恵まれたとき、グレゴリーは躊躇なくその職を受けようと考え、このときには妻もグレゴリーを応援してくれる。初めは夫の出世ばかり興味を示していた妻のように思えたが、きちんと夫を支えるところもある良い奥さんだった。

グレゴリーは積極的にアパルトヘイトの廃止のために運動を起こしたわけでもなんでもないんですけどね。それでも、確実にマンデラはグレゴリーの心を変えた。「他人を変えることはできない。だから自分が変わらなきゃ」って言うのが好き人がいますがね、ワタクシはちょっとそれには疑問です。人間って誰かから影響を受けて変わるってことあるし、そうじゃなきゃ独裁もないし、逆にマンデラのような崇高な思想だって広まることはないじゃないって。

もう少しマンデラとグレゴリーの個人的な対話が見たかったなという思いはありますが、27年間という時間の流れを描かないといけないので、仕方ないとしましょう。グレゴリーの育った環境からくる黒人への思いともうまく絡めてあって、ところどころじーんとくるシーンがあって泣けました。こういう形でグレゴリーの家族にスポットが当たって良かったなぁと思います。

オマケ1アパルトヘイトと聞くと、小学校のときの校長先生が朝礼でアパルトヘイトの話をしたことです。その中で「南アフリカではいままでは日本人は黄色人種だから黒人と同じ扱いを受けてきましたが、最近では白人と同じ扱いを受けるようになってきたようです」となんかそのことが嬉しいことのように話したことを真っ先に思い出すんです。子供ながらに「ん~、それって喜ぶべきこと???」と思ったことを覚えています。

オマケ2明日から南アフリカでサッカーワールドカップが開催されるということで期せずしてタイムリーな作品を取り上げることになりました。日本が果たして1勝でもできるのか、どこが優勝するのか気になるところです。でも、それよりも現地での犯罪の状況のほうが気になりますね。

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マイブラザー

2010-06-08 | シネマ ま行

アフガニスタンに赴任が決まったサムトビーマグワイアには美しい妻グレースナタリーポートマンと可愛い娘が2人。サムの弟のトビージェイクギレンホールは強盗をして刑務所から出所してきたばかり。ベトナム戦争の英雄の父親サムシェパードは自分の後を継いで軍人になった兄を英雄だと讃え、弟は一家の鼻つまみ者だ。

サムとグレースはフットボール部の花形クオーターバックとチアリーダーという絵に書いたようなカップル。学生のときからワルだったトビーのことはグレースも嫌っている。サムが戦場に行ってしまい、トビーは酔っ払ってグレースに迷惑をかけたりしていた。そんな中サム戦死のニュースが届く。

それまでグレースに迷惑をかけていたトビーはお詫びのしるしとグレースを慰めるために仲間を呼んでグレースの家の古くて使い勝手の悪いキッチンのリフォームを始めた。頼もしくて陽気なトビーおじさんに娘たちも懐いていく。サムを亡くして落ち込むばかりのグレースもトビーと娘たちが遊ぶ姿に少しずつ笑顔が戻り始め、グレースとトビーはお互いに惹かれあっていった。

そんなある日のこと、実はサムは戦死ではなく戦場で捕虜となっていて、救助され帰国することになった。帰国したサムは戦場での過酷な経験によって別人のようになっていた。

弟と妻との関係を疑うサム。弟トビーは「バカなこと言うなよ」と言い、妻グレースは「キスはしたわ。でもそれだけよ」と言ったがサムは信じられなかった。ここでトビーもグレースもどうしてもっとハッキリと何度でも「私たちは何でもない」と言ってやらなかったんだろう。やっぱりキスは実際したし、肉体的にはそれだけだったけど、お互いに心惹かれていた部分があったから強く否定することができなかったのかな。戦死したはずの夫が帰って来て嬉しいはずの妻も、実は心の中は複雑な気持ちっていうか。それって人としてはもちろん最低なことなのかもしれないけど、ワタクシはちょっとトビーとグレースのほうに肩入れしてしまった。

それはサムの愛国心にちょっと引いていたからかもなぁ。あんなふうに「妻と娘のことを考えて頑張ってやってきたのに」と言うなら、アフガニスタンで「アメリカはここにいるべきじゃないとVTRに向かって言え」と強要されたときに言っちゃえば良かったのに。って思っちゃう。それを頑なに言わなかったことはアメリカ的には最高なのかな?でもその結果同朋の兵士を殴り殺してしまうなんて本末転倒じゃないのか?と。戦争というものが人間性を奪ってしまうということを表現したかったんだろうし、サムの状況にはもちろん同情もするし、サムが悪かったとは思わないけど、ちょっとワタクシにはその辺の心情としてサムの味方になれなかった。サムには申し訳ないけどな~、ごめん。

家族の絆の話と、反戦的な話が織り交ざっているんだけど、トビーマグワイア、ナタリーポートマン、ジェイクギレンホールそれぞれの演技が素晴らしいんだよねー。どちらかというとストーリーよりも演技の素晴らしさのほうが見終わってから残るかも。

トビーマグワイアは戦争に行く前と帰ってきた後がまさに別人。げっそり痩せて、目つきも全然違う。傷ついた兵士の演技は圧巻だった。

ナタリーポートマンは劇中何度も「美人だ」って言われているけど、本当に美しくなったなぁという感じ。これまで彼女は確かに美人だけど、ちょっと幼すぎて役を選ぶよね、と思っていたんだけど今回は2人の子供のお母さんを演じても違和感なかった。ただ、彼女について個人的に残念だと思うのは泣き顔が美しくないところかな。これは演技としてはリアルで良いと思うんだけど、女優の魅力としては少し残念なところです。

ジェイクギレンホールはワタクシはそんなにカッコイイとは思わないんだけど、あの甘いマスクが優しいトビーによく合っていた。彼がムショ帰りってちょっと合わないなぁと思っていたんだけど、更生した優しいトビーおじさんにはピッタリだった。

そしてなんと言っても長女のイザベルを演じたベイリーマディソンちゃんが泣かせるんだー。小学校1,2年生くらいの設定かな。パパが戦場に行くことにもハッキリ反対していたし、小さいながらも心を痛めている様子がすごくよく分かる。豹変したパパに戸惑い、ママだっておじさんのほうが好きよと言っちゃう気持ちもよーく分かる。天真爛漫な妹マギーテイラーギアに少し嫉妬しつつも、いざというときにはちゃんと妹を守ってあげる健気なお姉ちゃんをしっかりと演じています。

「17歳の肖像」のキャリーマリガンは出番は少なかったですが、印象に残る働きをしていましたね。やっぱりこれから期待が持てる女優さんだと思わされました。そして、大昔「セントエルモスファイヤー」という青春映画に出ていたメアウィニンガムが兄弟の継母役で登場していて、またまた自分の映画ファンとしてのキャリア(?)を実感させられました。

グレースとトビーのカップルが美しかったので、どうも戦争映画というより恋愛映画として見てしまい、二人を応援してしまったのですが、やはり「16歳のときからずっと愛している」というグレースのサムへの愛が最後には勝つのかな。それはそれでとても美しいことだと感じました。

オマケさすがはアイリッシュのジムシェリダン監督。グレースとトビーを結びつける材料としてU2を使っていましたね。

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カリフォルニアトレジャー

2010-06-02 | シネマ か行

「カリフォルニアトレジャー」っていう題名でマイケルダグラス?「ロマンシングストーン」「ナイルの宝石」のさらに続編みたいなお話か?って思ったワタクシ。マイケルダグラスのアドベンチャーものでこの2作を思い浮かべるワタクシも年季の入った映画ファンになってきたなぁって感じでしょうかねぇ…この題名から勝手にアドベンチャーものを想像しちゃったんですが、全然違ってました。

頭がイカレて精神病院に入院していた父チャーリー(ダグラス)が退院してきた。すでに母は出て行っていて、父が入院した15歳のときからミランダエヴァンレイチェルウッドは歳をごまかしてアルバイトしながら独りで生活してきた。そこへ退院してきたチャーリーは、さんざんミランダの生活を乱してくれる。存在しているだけでもミランダの生活をかき乱してくれるチャーリーが、さらに病院で読んだ本に17世紀にスペインからアメリカにやって来た宣教師がカリフォルニアに宝物を埋めていると書いてあったと、その宝物を探し始める。

イヤイヤながらもチャーリーの宝探しに付き合うミランダ。この辺りがなかなかに17歳の少女の複雑な心境を表していてGOOD。こんな頭のイカレた親父なんていらない、独りで暮らしていたときのほうがよっぽど幸せだった。そう思う反面、やっぱり自分のお父さん。どんなダメ親父でも信じてあげたい気持ちもある。もし、この宝物の話が本当なら、もしかしたらお父さんは全然頭がおかしくなんかなくて、父娘二人普通に暮らせるかもしれない。そんな万にひとつの希望を捨て去ることはできないミランダ。その複雑な気持ちを切ない表情とセリフに乗せてエヴァンレイチェルウッドが見事に表現している。やっぱり演技のしっかりした女優さんです。

さて、その宝物が埋まっているはずのところに建っているのはなんと「COSTCO」だから笑っちゃう。「COSTCO」に行ったことはある人は知っていると思うんだけど、この「COSTCO」ってとこ、本当に何でも売っている。チャーリーが宝物を掘るための道具が全部揃っているお店。ウォルマートに隠れて暮らしてた妊婦さんをナタリーポートマンが演じた「あなたのために」っていう映画がありましたね。まさにそんな感じで、「COSTCO」でも間違いなく生活できちゃうね。

最後はなんだか切ない終わり方だったけど、チャーリーにとってはとてもハッピーな終わり方だったんだろうな。そして、ミランダにとっても。最後の最後に父親を信じることができて、彼女のこれからの人生が明るいものになると思えるラストで、心があったかくなりました。

エヴァンレイチェルウッドって本当にキレイな顔だちをしているなぁと映画を見ている最中にでもつくづくそう思って見てしまう。なんか見とれるというより、まじまじと見つめてしまう感じ。そんな彼女、「ダイアナの選択」の記事のときにはマリリンマンソンと別れたって書いたんですが、最近復活&婚約らしいです。あー、またゴスファッションに戻っちゃうのかぁぁぁ。

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