シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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ドリーム

2017-10-11 | シネマ た行

これは絶対に見に行くと決めていた作品です。

1960年代、宇宙への有人飛行をソ連と競っていたアメリカ。その輝かしい実績の陰に活躍を隠されていた人々がいた。「Hidden Figures」それが彼女たち、黒人女性の計算係たちだ。人種隔離政策がまかり通っていた時代。彼女たちの西計算室はメインの建物から遥か遠い場所の地下に設けられていた。

天才的な計算頭脳を持つキャサリンタラジP.ヘンソン、管理職的な役割を果たしているのに黒人女性ということで管理職にしてもらえないドロシーオクタヴィアスペンサー、エンジニア志望だが同じく黒人女性ということでエンジニアになれないメアリージャネールモネイ。この3人がお話の中心だが、西計算室には他にもたくさんの黒人女性たちが働いている。

ある日ソ連に先を越されてばかりのアメリカは計算に長けた人物が必要だと、人種を越えてキャサリンを計算室からメインの作戦室へ呼び寄せる。しかし、そこでは白人たちに冷たくあしらわれ、有色人種用のトイレに行くために西計算室までの片道800メートルの道を一日数回往復しなければならず、コーヒーポットも同じものは使わせてもらえない。この部署の誰よりも優秀なのに。そのキャサリンの優秀さがハリソン部長ケヴィンコスナーに買われ、NASAでは人種隔離などやめるよう働きかけてもらえたり少しずつキャサリンにとっての状況は良くなる。

ドロシーは管理職にはしてもらえないが、新しく来たIBMコンピュータの言語を覚えることで新しいポジションをゲットしていく。彼女は自分だけではなく西計算室にいる全員にコンピュータ言語を教え、みながIBMの部屋へ上がれるようになる。キャサリンが毎日苦労してトイレに駆けていた800メートルを今度は西計算室から黒人女性たち全員が隊列をなして行進していく姿が圧巻だった。

最終的にドロシーは管理職に格上げされる。彼女に辞令を渡すのは東計算室(白人女性たちの計算室)の管理職ヴィヴィアンミッチェルキルステンダンスト。ヴィヴィアンがドロシーに「私は偏見などないわ」と言うとドロシーが「知っています。あなたがそう思いこんでいることは」と言うシーンが非常に印象的に胸にどすんと来る。ヴィヴィアンはそう言われて、きちんと考え方を改めた。

エンジニアになるためには白人オンリーの高校で授業を受けないといけないという規則を知ったメアリーは、そこに通えるように裁判所に訴え出る。到底認めてくれそうにない白人男性の裁判官に向かって「今日あなたが出す判決で100年後も意味のあるものはどれ?あなたが“初めて”黒人女性に白人の高校に通う許可を出した裁判官と言われるのよ」と言って説得するシーンもめちゃくちゃ気持ちがいい。

彼女たち3人の私生活もほどよい配分で描かれ、すべてにおいて気持ちのいい作品。もちろん、テーマは重いし、現実にはもっと苦しいこともたくさんあったとは思いますが。映画作品としては素晴らしい出来栄えで、昨年アカデミー賞作品賞にノミネートされた作品の中でワタクシは見たものの中ではこれが一番良かったです。

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帝銀事件 死刑囚

2017-08-25 | シネマ た行

ケーブルテレビで見ました。1964年の作品です。戦後間もない1948年に起きた帝銀事件という有名な事件をドキュメンタリータッチで描いています。

1948年東京の帝国銀行に役所から来たという男が近所で赤痢が出て、そのうちの一人がこの銀行を訪れていたため、予防のために行員全員に薬を飲んでもらうと言い、その場にいた16人に毒薬を飲ませ、うち12名が死亡、行員たちが苦しんでいる間に男は現金と小切手を奪って逃走した。

苦しみもだえながらもなんとか銀行の外に出た行員がいたため事件が発覚するが、すでに犯人は姿をくらましていた。

生き残った人たちの証言から作成した似顔絵と犯人が銀行で渡した名刺を持っていたことがあった平沢という人物が捕まるが、生存者たちは彼が犯人とは言い切れないとした。しかし、警察は平沢を犯人と決め付け連日の拷問のような取り調べで自白を強要し、平沢は裁判で死刑が確定してしまう。

この事件を追っていた新聞記者たちが毒物の特殊性や飲ませ方の専門性などから元731部隊の関与を疑うが、当時日本を統治していたGHQによって731部隊について調べることを禁じられてしまう。

冤罪事件の例に漏れず、警察は証拠を捏造し、自分たちが作り上げた事件のストーリーに沿うように平沢に自白を強要していく。自殺未遂をするほど精神的に追い詰められた平沢は自白するしかなくなっていく。

1948年当時のことだから現在とは事情が違うことが沢山あって、知ってはいてもやはり驚く。事件現場や病院で新聞記者が大量に押し寄せズカズカと好き勝手に動き回っているし、いったん犯人が捕まったということが分かると犯人を輸送する電車の車両にまで押し寄せるし、沿道では一般の人たちも犯人を人目見ようとものすごい群衆が押し寄せている。現代のテレビで犯人逮捕のニュースの後ろでピースをしている学生が不謹慎とか袋叩きに遭うことがあるけど、昔の日本じゃそんなの比べ物にならないくらいの野次馬根性っぷりだ。

新聞記者や刑事たちもいつでもどこでもタバコをぷかぷかやっていたり、夏場はもちろんエアコンなどないから会社に氷柱を買っていてそこに布巾をたくさん乗せておいて外から帰った人が涼を取っているのなんてものすごく時代を感じる。あぁ、昔はそうやって涼んでいたのか。新聞記者たちが料亭みたいなところで会議をしているときはみんなほぼ下着姿だった。さすがに社内ではちゃんとスーツを着ていたけど。

まぁそんな時代背景を映画的に楽しみつつも、平沢さんが辿った運命は悲しすぎる。娘さんも日本にいられなくなってアメリカに移住したようだし。この作品は平沢さんは冤罪であるという立場に立って作られていて、映画の最後では昔の日本の制度ではこんなことも起こったという表現をしていたけど、この映画で語られている時代背景は変わっても、警察や検察の犯人を決めつける姿勢は現在も何も変わっていない。この事件にはやはりおそらく731部隊が絡んでいたのだろうと考えざるを得ないし、GHQからの圧力もあったのだろうけど、だからと言って平沢さんを犯人に仕立て上げた言い訳にはならない。

白黒の古い映画ですが、あ、この役者さん昔よく見たなぁという方たちもたくさん登場しますのでそういう点でもオススメします。

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チャッピー

2017-02-17 | シネマ た行

ギャングに拉致されたロボット研究者ディオンデヴパテルは、ギャングに脅され廃棄されるはずだった警官ロボットに自分が開発した人工知能を搭載させて起動させる。こうして誕生したチャッピーシャールトコプリーはギャングのカップルをニンジャニンジャとヨーランディヨ=ランディヴィッサーをパパ、ママと慕って成長していく。

予告編を見ていたときはよくあるAI系の話かと思ったんですが、さすがはニールブロムカンプ監督。やっぱり独特の世界観を持っています。今回のロボットはなんとギャングに育てられ、うまく口車に乗せられて窃盗したりしてしまいます。犯罪的なことをしでかすだけではなくて、ギャングっぽい歩き方とか挨拶の仕方とかそういうのを覚えていきがっているチャッピーがやけに可愛かったりします。

チャッピーはまるで反抗期を迎えた子供のように作り手であるディオンが自分のバッテリーが5日しか持たないことを黙っていたと、ディオンに怒ってしまうけど、途中でニンジャはパパなんかじゃなく自分を犯罪に利用していただけだったと知り、最後には結局ディオンを助けてくれました。

ヨーランディはニンジャの恋人で彼女もろくでもない人間なんでしょうけど、チャッピーへの母親的な愛情を見ていると、自然に彼女を応援したくなってしまいました。

このお話って善vs悪ではなくて、それどころが「善」にあたる人が誰も出てこないというところが独特で面白いです。ディオンは会社に逆らって勝手にAIを搭載したロボットを作り、アップデートするためのマスターキーを取っちゃうし、ギャングはギャングだし、ディオンの上司でライバルのヴィンセントヒュージャックマンは自分が開発した戦闘ロボが優秀だということを証明するためになんだってやる。(後ろ髪を伸ばして変な髪型のジャックマン)

結局のところ、善でも悪でもなくチャッピーはただ「生きたい」という本能的な欲求にただまっすぐに突き進んでいきます。自分のバッテリーが切れてしまう前に代わりのボディを探す。または別の生き残る方法を探す。それが結果自分の意識をコンピュータに移すということだったわけだけど、それでギャングの抗争やらヴィンセントの攻撃やらで最終的にディオンもヨーランディもロボットの体を得て3人(3体?)で生きていくことになります。

このラストの脚本のひねりがとてもブロムガンプ監督らしいです。主人公たちがロボットとして生きていくなんて昔の日本の漫画ならありそうな感じがしますが、ハリウッドのメインストリームでやれる人はかなり少ないだろうなぁと思います。そういう死生観に抵抗のある人は拒否反応を起こしそう。

まぁとにかくチャッピーが可愛いのと、ニンジャやヨーランディの武器が黄色やピンクだったりして映像的にも独特で楽しいです。ブロムカンプ監督は「第9区」「エリジウム」、本作とかなり似た雰囲気の作品を撮っていますが、これからは少しここから変化して行かないと苦しいのではないかなーと思います。

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沈黙~サイレンス

2017-01-23 | シネマ た行

キリシタンが弾圧を受けていた江戸時代。師匠のフェレイラ神父リーアムニースンが弾圧された結果、棄教し、日本名を名乗り日本で暮らしているというウワサを聞いた弟子のロドリゴ神父アンドリューガーフィールドとガルペ神父アダムドライヴァーはその真相を確かめるべく日本へ向かう。マカオでキリシタンだという日本人キチジロー窪塚洋介の案内を受け日本に上陸する。そこには隠れキリシタンたちがひっそりと信仰を守りながら暮らしており、神父の到着を歓迎する。神父たちの存在がバレてしまうと弾圧を受けるため、村のはずれの石炭小屋に昼の間はずっと隠れて、夜の間に村でミサを開いた。

キチジローは、かつて踏絵を迫られキリストの絵を踏んでいた。その時家族は踏むことを拒否し生きたまま焼かれた。キチジローはそのことについてロドリゴに懺悔し、ロドリゴも神は赦してくださると考える。

ついに村に井上筑後守イッセー尾形たちがやって来て、村人たちのうち4人が捕らえられる。ロドリゴは絵を踏みなさいと言い、ガルペはそんなことは赦されないと言う。村人たちは絵を踏むことはできたが、十字架に唾をかけろと言われキチジロー以外の3人は唾をかけることができず処刑台に乗せられ荒波の海へ放置される。ロドリゴの見ている前で、信仰を貫いた村人たちは死んでいき、最後に残ったモキチ塚本晋也も讃美歌を歌いながら4日目に死んでいった。

奉行所の追求から逃れてきたロドリゴだったが、キチジローの裏切りで奉行所に捕らえられてしまう。キチジローはキリストを裏切ったユダのごとくロドリゴを銀で売ってしまうのだ。

他の信者たちと共に捕らえられたロドリゴ。筑後守は狡猾にも殉教者を出すわけにはいかないとロドリゴを丁重に扱いながら、目の前で踏絵をしない信者を無残に殺していく。神を信じここまで苦しみぬいている信者たちを前に神は「沈黙」を通すばかりで、ロドリゴの信仰は大いに揺らぐ。信仰が揺らぎつつも、捕まえられた信者たちには絵を踏みなさいと言ったロドリゴでも自分の棄教となるとそう簡単ではない。

ロドリゴを売ったキチジローは自らキリシタンだと申告し同じ牢に入ってくる。何度でも踏絵をし、神父を裏切り、その都度何度でも懺悔するこの男にロドリゴは軽蔑しか感じられなかった。

そんな時筑後守はロドリゴに棄教したフェレイラを会わせる。自然を信仰するこの国において彼らが信仰するキリスト教は自分たちが布教したものとは形が違うものだと諭される。

夜中に牢にいたロドリゴに聞こえてくるイビキの音。うるさくて仕方がない。止めてくれと言うロドリゴが牢の外に出される。それはイビキなどではなく、耳の後ろを切られ逆さづりにされ時間をたっぷりかけて殺されようとしている信者たちだった。彼らは棄教している。しかし筑後守はロドリゴが棄教するまで彼らを許さないと言う。ついにロドリゴが絵を踏む時が来る。

神は「沈黙」していたのではなく、「苦しんでいた自分と共にあったのだ」ということを知るロドリゴ。彼はその後の人生を棄教した神父としてフェレイラと共に日本で幕府に仕えて暮らすのだった。

信仰を貫いて逝ったモキチを始めとする信者たち、信者を助けようと死んでいったガルペ神父、何度神を裏切っても信仰を続けるキチジロー、信者を助けるために棄教したフェレイラ、踏絵とともにロドリゴの周りで何度も何度もロドリゴの信仰を試す存在が現れる。

たかが絵を踏んでも心の中で神を信じていれば神様は分かってくれるはず。そう思えたらどんなに楽だろうか。キリスト教の神は「愛の神」であると同時に「試す神」でもあると思う。このお話の中では最終的にロドリゴは絵を踏み、棄教しても心の中の信仰は続けたと解釈すれば良いのだろうけど、それが本当に彼が信じてすがる神に許される行為なのかどうかは分からない。

どんな試練を与えられても、どんなに救いがなく神が「沈黙」を通しているように思えても、「神の計画」を人間が推し量ることはキリスト教では許されていない。それでもイエスは自らと共にあったと思えたロドリゴはある意味では心の平安を得ることはできたのかもしれない。

信仰を守り抜くことが人間の強さなのか、目の前の命のために棄教することは弱さだというのか、キリスト教的に正しいとされることと他の価値観で正しいとされることの違い、弱い人間を踏みつぶす権力の恐ろしさ、色々なことを一気に投げかけられ心に重いものをズシーンと抱えさせられる。

アメリカ人が描いたとは思えない日本の風景と、丁寧なストーリーテリング、マーチンスコセッシ監督の技量に改めて感服せずにいられない。

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筑波海軍航空隊

2017-01-18 | シネマ た行

太平洋戦争時、筑波海軍航空隊に所属した神風特攻隊のドキュメンタリーです。

生き残った方たちへのインタビューを交えながら、当時の隊員の日記や写真など貴重な資料が綴られていきます。

なんかね、何度か書いていると思いますが、このブログを書き始めたころと全然情勢が変わって来てしまっていますね。いまはこういう作品を語るのも、ものすごく不安定な気持ちで書かないといけなくなっている気がします。ブログを始めた10年以上前なら、「もう二度とこういうことを起こしちゃいけない。戦争をしちゃいけない」とその決意を固めながらも、この国のその地盤は固く揺るぎないものであると信じていました。でもいまは違う。権力者が「戦争を繰り返さないために」次々に打ち出してくる政策はどう見ても戦争したくてたまらない狂人のよう。この作品のようなドキュメンタリーでさえ、もしかしたら憧れのまなざしで見る者が増えているのでは?と感じてしまう。

特攻隊員は学徒動員で集められた学生たちの中でもエリート中のエリートでした。間違いなく日本を担う大きな役割を果たしたであろう優秀な学生たちの命をこの国は特攻隊員として奪いました。彼らには選択肢というものは存在しなかった。家の名誉、学校の名誉、村の名誉、様々なものを背負って彼らは死んでいきました。

そして、ここに証言を残している生き残った隊員は、自分が生き残ってしまったことに生涯苦しみながら生きていく。「戦争なんて勝った方も負けた方も誰も得なんかしない」そう言う元特攻隊員の木名瀬信也さんはいま現在のこの国をどんな気持ちで見つめているのだろう。

ワタクシの中で意外だったのは柳井和臣さんが語っていた、特攻隊員になったからにはすでに覚悟が決まっていて、死に対して割り切っていたというものだった。特攻隊員は出発の直前まで死の恐怖におびえていたと思っていた。でも、柳井さん曰く、特攻隊員には選択肢がない。だから悩まない。ということだった。生きるか死ぬかではなく、死ぬしかない。それが特攻隊員だったのだ。人間の心理とはそういうものなのか…

どのように感じるかは人それぞれだと思いますが、こういう作品は見られる機会も少ないというのも残念なところです。

コメント

手紙は憶えている

2016-11-04 | シネマ た行

これから見に行かれる方は読まないほうがいいかもしれません。

ワタクシは見ちゃったんですよねー。「ラスト5分の衝撃。すべての謎が解き明かされるとき、あなたの見ていた世界は一転する」という宣伝文句を…あ~これを見ていなかったらもっと楽しめたと思うのですが、、、この表現を見て、オチはアレかなぁと予想してしまって、それが当たってしまったので全然衝撃でもなんでもなかった。残念。まぁ、この宣伝文句を見ていなくても途中で予想がつくくらいのことはあったかなぁと思うんですけどね。

老人ホームに住む認知症の老人ゼヴクリストファープラマー。目を覚ますたびに妻のルースがすでに亡くなっていることを忘れてしまう。同じ老人ホームにいる車イス生活のマックスマーティンランドーはある日ゼヴに手紙を渡す。その手紙を読んだゼヴは夜中にホームを抜け出しタクシーに乗り込んだ。

ゼヴが目指すのは「ルディコランダー」という人がいる町。第二次大戦後、ナチスの兵士たちは名前を変えてアメリカに入国し素知らぬ顔で暮らしてきた。ルディコランダー。マックスとゼヴの家族をアウシュヴィッツで殺した男。その男を探し出して殺す。ゼヴは妻のルースが死んだらそれを実行すると言っていたとマックスの手紙に書いてある。認知症のゼヴに乗る列車、泊まるホテル、お金、など必要なものをすべて準備し手紙にすべて書き出して送り出すマックス。車イスの自分にはできないことをやってもらおうというわけだ。

マックスのリストに載っている「ルディコランダー」は4人。一人ずつ訪ねていくゼヴ。このゼヴの旅がゼヴが認知症を患っていることや彼の穏やかな気性のためか、途中見知らぬ子供との交流なんかもあったりして、なんだかのんびりとしたロードムービーのような錯覚を起こしそうになるのだけど、バックには終始平穏ではない音楽が鳴っていた。

オチは想像していた通りで正直あ~やっぱりと落胆する面はあったのだけど、途中の旅はまったく退屈することなく見ることができた。1人目はナチの兵士だったことを誇りにしているような男ブルーノガンツだったが、彼は戦時中北アフリカに従軍していたということでアウシュヴィッツのブロック長とは別人だった。2人目は病床にいる男だったが「アウシュヴィッツにいた」と話したので、もしやと思いきやナチとしてではなく同性愛者だったために収容されたほうの人だった。3人目はすでに死んでいたが、その息子ディーンノリスがナチの信奉者だったため、これまたもしやと思ったが、彼の父親は年齢的に戦時中まだ子供だった。しかし、このナチの信奉者の息子にアウシュヴィッツの収容者の番号のタトゥーを見られてしまいユダヤ人であることがバレて逆上されゼヴは彼を殺してしまう。突然やってきた知らない男に殺されたこの息子も悲劇なのだが、ナチの信奉者をアウシュヴィッツの生存者が殺したということで見ているこちらはそんなに罪悪感を感じなかった。

そしていよいよ4人目のおそらく本物であろうルディコランダーユルゲンプロホノフを訪ねる時がきた。この家のピアノでワーグナーを見事に演奏してみせるゼヴ。「生存者はワーグナーなど嫌いなはずだが」と言うルディコランダーに、「音楽に罪はないよ」と話すゼヴだったが、、、オチを分かってから考えると“生存者”として生きている彼にとってゼヴがワーグナーを弾くのは冷や汗ものだったことだろう。それを嫌って生きないと素性がバレてしまうから。彼の素性もゼヴの素性も…

結局のところ、「ルディコランダーを殺す」という当初のゼヴとマックスの目的は果たされた。正確にはマックスの目的は果たされたわけだ。それにしてもどこまで入念にゼヴに全人生を吹き込んだのだろう。ゼヴはマックスが吹き込んだ嘘の人生を実際に生きてきたわけだから、それを本当だと思いこませるのはもはや赤子の手を捻るようなものだったのかもしれないな。ゼヴが「嘘の生活なんて本物の人生じゃない」と最後の“ルディコランダー”に言いますが、それがなんとも皮肉なセリフとなってしまいました。

クリストファープラマーの飄々とした認知症老人の演技を見られるだけでも結構贅沢な時間でした。そこにマーチンランドー、ブルーノガンツ、ユルゲンプロホノフもいるわけですから映画ファンにとっては豪華な顔ぶれと言えるでしょう。

オマケ1アメリカの映画やドラマを見ているといつも思うのですが、彼らは結構簡単に知らない人を家に入れますね。この物語もその習慣があるからこそ成り立つのですが、急に全然知らない人が訪ねてきて家に入れるのって怖くないのかなと不思議に思います。

オマケ2ゼヴがホームを出てすぐに拳銃を手に入れるシーンがありますが、あんなに簡単に認知症の老人に銃が売られるって怖いですね。カナダとの国境も簡単に越えてたし、スーパーで銃を持っていることを警備員に見られても「僕の最初の銃もこれだったよ」とかなんとか思い出話されちゃうなんて、やはり日本人としてはカルチャーショックですね。

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終の信託

2016-08-17 | シネマ た行

尊厳死をテーマに周防正行監督が自身の過去の作品「Shall we ダンス?」と同じ主演2人役所広司草刈民代を迎えて描く。

江木(役所)はぜんそく発作で何度も入退院を繰り返している。主治医の折井(草刈)は彼に重度のぜんそくに移行しつつあることを告げる。

折井は同僚の医師・高井浅野忠信と不倫している。2人はあろうことか病院内のベッドで密会をしている。2人は周囲にはうまく隠しているつもりのようだが、周囲にはしっかりばれているようだ。折井は独身で高井がいつか自分と結婚してくれると勝手に思っているようだが、高井はそんな気はさらさらないし、折井の他にも愛人がいる。そんな高井の気持ちを知った折井は落ち込み、病院の当直室で酒と睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こす。

自殺未遂から回復した折井は普段の診察に戻ったが、江木は依然として入退院を繰り返していた。この病院の周辺は工業地帯であり、折井は江木に空気の良いところへの転居を薦めるも妻中村久美への負担を考え江木はイエスとは言わず、息子の態度も今更転居など面倒だといったふうだった。

折井は自分自身の精神的なよりどころを江木に求めているようなところがあり、江木も主治医としてかそれ以上か、折井に絶対的な信頼を寄せるようになっていた。江木はもしもの時には延命処置をせず逝かせてほしいと折井に話す。妻は弱い女だからこんな話はできないと。そして、最後まで聴覚はあると思うから子供の時に聞いた子守唄を歌って欲しいと。

この折井という医師の描き方に賛否が分かれるところではないだろうか。不倫のあげく自殺未遂、その後1人の患者にやたらと肩入れし、自分の精神的支柱にしてしまい、その患者から死ぬ間際には子守唄を歌って欲しいと頼まれそれを実行する女医。ちょっと設定が甘過ぎる気がした。ただ、社会派な作品を正面から撮る周防監督がこの設定にしたのであればそこに何らかの意図があるはずだろうと考えた。医者も1人の人間である。私生活は医者としての資質と関係がないだろうし、人間なのだから患者とは言え肩入れしてしまう人だっているはずだ。尊厳死を語るこの作品でこの医者を完璧な医師像として描かなかったのは、「正義」のあり方や立ち位置を曖昧にするという意図があったのではないかと思う。

江木が心肺停止状態で救急搬送して来られ、心臓マッサージで鼓動は戻り、自発呼吸はあるとはいえ人工呼吸器を外せない状態に陥ってしまったとき、折井は江木に頼まれていたように、家族に人工呼吸器を外すことを提案する。家族もそれを受け入れたのだったが、折井はその後告訴されてしまう。

折井を追及する塚原検事大沢たかおの尋問ぶりは、周防監督が「それでもボクはやってない」で日本の司法制度に投げかけた疑問の続きを見ているようだった。折井の反論は一切聞かず、決めつけばかりの塚原の尋問。最後に自分で勝手に作り上げたストーリーを調書に書き、詳しいことは後でまた聞くからとごまかしサインをさせる。追い詰められた被疑者はその言葉を信じ、とりあげずサインしてしまう。始めから有罪ありきで薬が致死量だったかどうかなど当事者の記憶が食い違っていようとおかまいなしだ。

恐らくこの女医に嫌悪感を抱いていた観客にとっては塚原はまさに「正義」であり、細かい事実などどうでも良い、この女医を罰することができればそれで、という心境だろう。しかし、どちらに味方するかなど関係なく事実をきちんと精査するのが本来の裁判の役割のはずなのだが、、、ワタクシはどちらの味方とか言うより、尊厳死や安楽死を支持する側なので、塚原の物言いには腹が立ったが、それでもやはりこの折井という女医の詰めの甘さには呆れてしまった。自分だけに最期の時を任されたことに少し優越感でも覚えていたのだろうか?江木にそんな話をされた時点できちんと法的に対処できるよう文書などを残させておくべきだったし、江木にしても「あいつは弱い女だから」などと奥さんを差し置いて女医だけにそんなことを頼むなんて、はっきり言ってダメな男だ。奥さんでなくとも息子でも良かったんだし、でも息子とは関係が悪そうだったんだよね。それも含めてやっぱりダメな男だと思う。もう少し家族側の物語も描いて欲しかったな。

あまり褒めているレビューではないのですが、やはりとても考えさせられる話で、こういう作品を真っ向から撮れる監督っていまの日本のメインストリームではあんまりいないように感じます。だからこそチェックしておいて損はない作品だと思います。

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トランボ~ハリウッドに最も嫌われた男

2016-08-05 | シネマ た行

ハリウッドの赤狩り時代を描いた作品。当時売れっ子脚本家だったダルトントランボブライアンクランストンは共産党員であることを理由にハリウッドから追放される。下院非米活動委員会の召喚に対して非協力的だったために投獄までされた彼は偽名を使って脚本を書き続け、正体を明かさないまま「ローマの休日」や「黒い牡牛」などでアカデミー賞を受賞した。

米ソ冷戦のまっただ中、アメリカには赤狩りという思想弾圧があった。ワタクシはこの歴史を1991年の映画「真実の瞬間」というロバートデニーロ主演の作品で知り、チャップリンも赤狩りに遭ってハリウッドを追い出された人の1人だったということに非常に驚いた覚えがある。

ダルトントランボは共産党員であり、それを隠す気などさらさらなかった。彼は同じような思想を持った仲間たちの中でも急進的で、彼らを弾圧しようとする団体に対しても堂々と自らの理論をぶつけた。彼はどこにいても自分の意見をはっきりと言う。「空気を読む」なんて絶対にしない。そんな彼がめちゃくちゃカッコ良かった。(特に当時のスーパースター・ジョンウェインデヴィッドジェイムズエリオットに君がいつどの戦争で勝ったんだ?と迫るシーンが良かった)

しかし、現実にはカッコいいでは済まされないことばかり。投獄され、出所しても近所からは嫌がらせを受け、ハリウッドでは誰も雇ってくれない。家族も酷い目に遭う。それでもトランボは負けなかった。自分の名前さえ出さなければ、安いギャラしかもらわなければ雇ってくれるところはある。三流映画ばかり撮っているフランクキングジョングッドマンのところへ売り込みに行き書いて書いて書きまくった。一緒に追放された仲間たちの分まで仕事をもらって書きまくるトランボ。そのかたわらでビッグスタジオ用の脚本(「ローマの休日」など)も書き別の人が書いたことにして売り込んでもらった。家族のことをかえりみる時間などない。彼はイヤなお父さんに成り下がってしまうほどに書きまくったが、それもこれもすべて家族の生活を守るためだった。

この作品のすべてがいま現在の時代とリンクしているように思えた。自分たちと違う考えは許さない政府。自分たちと異なる意見を否定するというその言論の自由の否定そのものがいつか自分たちを否定することになるかもしれないということに気付かない。人々が疑心暗鬼に陥り、お互いを監視し合う世の中。世界で日本でまた同じことを繰り返そうとしているように思えてならない。

映画の作りとしては非常にテンポが良く、トランボを演じるブライアンクランストンが非常にうまく最初から最後までとても引き込まれる。実際の当時の映像と現在製作した映像をうまく融合させてあり、どこからがいま別に作ったものかもう一度じっくり見たい気になった。ヘビーなテーマながらところどころに笑いの要素もあって娯楽としても楽しめるようになっているところが優秀な作品だと思う。

カークダグラスを演じたディーンオゴーマンが似てるような似てないような…だったけど、とにかくカッコ良かった。今ではマイケルダグラスのお父さんと説明したほうが分かる人も多いかもしれないけど、カークダグラスってこんな骨のある人だったんだなぁと改めて知ることができて嬉しかったです。

トランボはあの時代を振り返り、自分たちを傷つけあったあの時代を許そうと話した。やはり大切なのはその寛容さである。密告した隣人を憐みこそすれ恨みはしない。と、ひとくちに言うのは簡単だが、トランボとてその心情に至るまでには多くの時間が必要だったことと思う。振り返って許す以前にこんな時代が二度と来ないようにすることが何より重要なのだと感じた。いまの時代空気を読みまくっているマスコミの方々にこの作品を見てもらいたい。

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ダークプレイス

2016-06-28 | シネマ た行

これも予告編を見て面白そうだと思って行きました。シャーリーズセロンってこういう暗い物語が好きだよねぇ。

8歳のときに家で母親クリスティナヘンドリクスと姉妹2人を殺されたリビー(セロン)。28年の時が過ぎ、世間の寄付だけで仕事もせずに生きてきたリビーの貯金もそろそろ底をつき始める。そんな時「殺人クラブ」という昔の未解決事件などを話し合ったり捜査したりするのが趣味のグループの会計係ライルニコラスホルトにお金をあげるから一度「殺人クラブ」の集まりに来てみんなの質問に答えてほしいと言われお金目的で参加することに。

当時リビーは15歳の兄ベンタイシェリダンが母と姉妹を殺したのだと証言し、彼女の証言が決定的となって兄は有罪判決を受ける。兄は控訴もせず服役しているが、「殺人クラブ」の面々は事件に不審な点があるとしてベンの無罪を信じている。リビーは兄は有罪だと主張するが、自分でもこの事件を調べることにする。

美しいシャーリーズは自分の風貌をわざわざ汚くして役を演じるのがよっぽど好きなようで、この作品でもだらしないTシャツに革ジャン、毎日同じ古臭いキャップをかぶっている。ま、それでも「モンスター」のときくらい変身しないと彼女の美しさは隠せない。この作品ではそんな格好はしていても顔は美人という設定みたいだったから違和感はありませんでしたが。それにしても現役の女優でここまでショートカットが似合う人って他に思いつかないなぁ。

もう一度事件のことを調べてみようと昔の関係者に会いに行くリビー。ここで少しずつ真相が分かってくるのですが、、、

現在と過去を行き来しながら事件の真相が知らされていくというよくあるパターンの構成です。色々な人に話を聞いてはいるけれども、当時の事実をなぞっているだけで証言によって過去が変わるというような羅生門的な展開ではないので徐々に少しワンパターンな感じになって来ました。

結局のところ、リビーは自分がベンの犯行を見てはいないということを一番知っているわけで、自分の証言が嘘にならないように控訴しなかったベンはやっぱり有罪なんだと思いこもうとしていたのかな。過去に実際に何があったのかというのはきちんと種明かしされるんだけど、じゃあどうしてリビーが嘘を言ったのかというところは説明しきれていなかった気がする。他の姉妹はそうでもなかったけど、リビーはベンと仲良かったみたいだったのになぜ?と疑問が湧いてしまう。ただ幼かったからという理由だけで良かったのかな。

実際に犯罪を犯したベンの恋人だったディアンドラクロエグレースモーリッツもまだ17歳で、ベンも15歳、嘘の証言をしたリビーが8歳と、子供が起こしてしまった悲劇というのが悲しいお話だったんだけど、ディアンドラっていう子がなんだか同情できないタイプの子だったのがちょっと惜しかったかな。ベンはディアンドラにぞっこんだったし、あれくらいの年ごろの子があーゆー女の子に夢中になってしまうのも仕方ないとは思うんだけどね。ベンの子供までみごもっちゃってたし。ドラッグやったり悪魔崇拝の真似事をしてみたりっていうのは若気の至りで殺人までしちゃうのはまた別の話だよね。ベンは心優しい子だったのに、やっぱりこういう年頃の恋って馬鹿なことさせちゃうんだよな。

いま現在のディアンドラが出てきて当時事件のあと生んだベンとの子供が登場するんだけど、この子がどう見ても28歳に見えなくて喋り方も19、20歳そこそこの感じで変だった。もっと慎重にキャスティングしてほしかったところ。

ベンがディアンドラと子供を守るために刑務所に入ったというのは納得できるんだけど、その真相が明かされるに至るまでがイマイチだったかな。ただ映像でそれを見せただけって感じがした。せっかく「殺人クラブ」という面白いグループを登場させたわりにリビーにこの事件をもう一度調べさせる動機になる以外はまったくと言っていいほど活躍しないのが残念でした。ディアンドラがベンの妹の一人を殺したたまたま同じ夜にお母さんがお金に困って「負債の天使」という借金に困った人を自殺に見せかけて殺す連続殺人犯に依頼をしたんだという事実も電話であっさりとリビーに告げられるだけで「殺人クラブ」の存在感が薄過ぎた。

晴れてベンの無罪が証明されてリビーの人生もここから始まるみたいな感じで終わっていたけど、36歳までろくに働いたこともない彼女がこれからどうやって食っていくんだろ、ってのは余計な詮索か。

もう少し面白い構成にできそうな作品だっただけに少し惜しい出来でした。事の真相に終始するよりもう少しベンとリビーの関係やそれぞれの心の奥を見せたほうが良かったかも。ワタクシはシャーリーズセロンが好きなので最後まで緊張感を持って見ることはできました。

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デッドプール

2016-06-10 | シネマ た行

面白そうだなと思いつつも見に行く気はなかったのですが、タダ券があったので見に行ってきました。結果、見に行って良かったです。面白かったー。

全体的な感想としてはオバカで下品でエロいと聞いていたので、結構えげつないのを想像していたのですが、ワタクシの想像よりはマイルドでした。でもこれもダメな人はダメかも~というタイプの作品です。

まず始まり方からしてふざけている。Some Douchbag's Film(おバカな映画)主演God's Perfect Idiot(神が作った最高のバカ)と続いて、セクシーなオンナ、イギリス人の悪役、お笑い担当の脇役、といったふうに出演者スタッフを紹介。ティムミラー監督は自分自身のことは給料もらい過ぎのヤツ(toolって言葉は「手先」とかって意味?「ペニス」っていう意味とかけているのかも)と書いていて脚本家たちのことは「本当のヒーローは彼らだ」と自虐的に紹介していて、ふざけた中にも脚本家たちに敬意を示している。

いきなりド派手なアクションからスタートしてそのアクション中にデッドプールライアンレイノルズの回想として彼がなんでこんなマスクをして悪党と戦う羽目になったのかが語られる。回想っていうか、本当にこちら側にいる観客に話しかけて説明してくるところがまた面白い。彼は自分がコミックの主人公ということを自覚していてこちらに話しかけてきたり、映画の製作費が足りないとかぼやいてきたりします。こういう「第四の壁を破ってくる系」のって好みが分かれるところだと思うのですがワタクシは好きです。

その回想に登場するデッドプールはウェイドウィルソンという元傭兵。いまは適当に悪い奴を懲らしめて小銭を稼いでいる。そんな彼がバーで出会ったのが娼婦のヴァネッサモリーナバッカリン。ヴァネッサはウェイドと同じくらいクレイジーなキャラクター。2人は相性バッチリですぐに付き合い始め同棲して婚約に至った幸せの絶頂の時にウェイドは倒れてしまい、末期ガンだと診断される。

絶望した彼に近づいてきた男は彼にガンを治せると話す。ヴァネッサとの未来を考えガンを治したいウェイドはその男の施設に行くが、実はそこは奴隷を作るために人体実験をしている施設で、ウェイドはエイジャックスと名乗る男エドスクラインからミュータントの能力を覚醒させるためと拷問を受ける。壮絶な拷問の末に覚醒したウェイドだったが、拷問のため体中の皮膚が焼けただれたような姿になり、ヴァネッサの元に帰れなくなってしまう。

なんとか施設を逃げ出したウェイドは皮膚を隠すため全身タイツとマスクを手作りし、エイジャックス(本名フランシス)に復讐すべく行動を起こす。で、ここで最初のアクションシーンの意味が分かるのだけど、この説明中もアクション中もずーーーーっとずーーーーーっとデッドプールは喋りまくりのギャグ言いまくりの下ネタ言いまくり。ギャグの中には映画やコミックを元にしたものがたくさんあって映画ファンやコミックファンにはたまらない面白さ。ワタクシはコミックが元ネタのほうは分からなかったけど、映画が元ネタのほうはかなりウケました。

ライアンレイノルズが自分自身が演じたグリーンランタンや俳優としての自分自身を自虐的にネタにしてみせたりするのもなかなかに面白かった。ライアンレイノルズってこんなにいいセンスしてるとは思わなかったなぁ。見た目も(まぁほとんどがただれたような顔なんだけど)今回が一番カッコ良かった。ただれ顔になる前ね。彼は短い髪型のほうが似合うんですね。ずっとウェイドの髪型してるほうがいいと思うな。

ヴァネッサを演じたモリーナバッカリンは最近注目している女優さんで。ドラマ「ゴッサム」の中でもちょっと気の強い女性を演じているけど、今回ここまでぶっ飛んだ女性もできるんだーってなんだか嬉しくなってしまいました。勝手にちょっと優等生的なイメージがあったので。

ウェイドが好きな音楽がワム!だったりエンドロールが終わってからの格好が「フェリスはある朝突然に…」だったりと、80年代回帰みたいなのってここんとこ映画界での流行なのかなー。なんだかよく見かける気がします。

ここんとこヒーロー映画花盛り、食傷気味の中、私情の復讐のために悪者をバーン!って撃っちゃうデッドプールにワタクシは超スッキリしました。

アクションシーンは最初のやつが一番すごかったです。もうちょっとすごいやつを入れて来てくれても良かったと思うんですが、今回はウェイドがデッドプールになるまでのエピソードを語らないといけなかったからいっぱいいっぱいだったのかも。続編製作が決定しているようですので、続編ではもう少しアクションが見られるかも。続編だと過去を振り返るシーンを作る必要がないからウェイドはずっとただれ顔のままなのかなぁ。それはちょっと寂しいな。

オマケちなみに「第四の壁を破る」というのは「第四の壁」というのが劇場と観客を隔てる方向の透明な壁のことで、登場人物がその壁を破って、観客に話しかけたりすることを言います。

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大脱出

2016-02-18 | シネマ た行

往年のアクションスター、シルベスタースタローンアーノルドシュワツェネッガーの共演作品。

しょっぱなからレイブレスリン(スタローン)が受刑者でとある刑務所を脱走し、あっさり捕まってしまって、なんじゃこりゃ?と思っていたらなんと刑務所のセキュリティーを調べるコンサルタントで、自分が脱走することによってその刑務所のセキュリティーの穴を指摘し、自らも刑務所の設計に携わるというなかなかユニークな脚本だなぁと感心させられました。

そのレイがCIAから極秘の任務を受け、とある刑務所のチェックに入るはずだったのだが、今回の任務は内部の協力者もいないとか、刑務所の場所を教えてもらえないとか秘密事項が多過ぎていつもの任務とは全然違っていた。レイのチームは彼の腕にGPSのチップを埋め込むが、それもレイが“逮捕”されてすぐに除去されてしまい、入所してからも聞かされていた所長とは別人ジムカーヴィゼルで、合言葉を言っても通じない。レイはどうやら何かのワナにはめられたらしい。

いつもと違う状況に焦るレイだが、すぐに冷静さを取戻しいつものように脱走のために囚人や看守の状況を把握することから始める。ここは普通の刑務所とは違い、囚人の牢屋はガラス張りでハイテクが駆使されていた。

そんなレイに近づいてきたのは囚人たちの中でもボス的な存在らしいロットマイヤー(シュワ)。レイはロットマイヤーと協力し合いながら脱出の方法を考える。

ワタクシは小さい時からスタローンが好きで、シュワちゃんが登場した時は、「何この人、スタローンの真似やん」と思っていました。それでもシュワちゃんの作品はずっと見ていますが、この作品のシュワちゃんがいままでで一番カッコ良かったかも。後半のクライマックスまではほとんどアクション的なものはなく、レイが知恵を絞って2人で色々と下準備をするんですが、今回のシュワちゃんはインテリっぽい雰囲気で白髪のヒゲもすごく似合っていてカッコ良かったです。

この2人の共演ということで相当派手なアクションを期待された方はがっかりするかもしれません。派手なアクションはクライマックスに一回あるだけです。ワタクシは派手なアクションより頭脳プレー的なほうが好きなので、今回はインテリっぽいスタローンとシュワちゃんが見られて大満足でした。

最後のひねりはえー、そんなんやったらレイもっと怒らへん?と思いましたが、インテリだけに実は気付いていたのかな。ありえない脚本ながらうまくできた作品だと思いました。

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ティモシーの小さな奇跡

2015-12-17 | シネマ た行

今日もショートバージョンです。

子どもができない夫婦ジムジョエルエドガートンとシンディジェニファーガーナーが、自分たちにもし息子がいたらこんな子になっただろうと2人で意見を出し合いそれを書いたメモを庭に埋めたところ、そのメモ通りの男の子ティモシーCJアダムスが現れたというおとぎ話。

ディズニーのファンタジーですから堅いことは言わずに楽しむしかないかなー。こういうお話に突っ込みを入れていたらキリがないので。

ともすれば“パーフェクトチャイルドシンドローム”と紙一重になりそうな気もするけど、このジムとシンディの夫婦とティモシーがとても可愛らしいので許してしまう。

ジムとシンディが自分たちの子どもならこんなふうになっていたと意見を出し合うところもただただパーフェクトな子を望んでいるというふうではなくて、本当に自分たちの血を受け継いだらこんなふうになるだろうと考えていたところも良かった。「彼はrockする」とか「運動は苦手だけど奇跡のゴールを一度だけ決める」とか、なかなかユーモアに溢れていました。

ティモシーが現れたからこそ親としてだけではなくてジムもシンディも家の外でもいままで勇気を出せずにいた部分で出せるようになったりするとかそういう変化も良かったですね。

最後は妖精のような存在のティモシーが消えて、養子を迎えることになるのだけど、それが女の子だったところにちょっとしたひねりを感じました。男の子だったらティモシーと比べてしまうかもしれないし、女の子のほうが良かったのかも。都合よくシンディが妊娠するとかいうオチではなくてワタクシは逆に良かったと思いました。

デヴィッドモースがジムのお父さん役で登場してビックリしました。そんな歳かなぁ?

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テッド2

2015-09-03 | シネマ た行

1作目が面白かったのと、アマンダサイフリッドが出ているので見に行くことにしました。

今回はなんと職場のタミリンジェシカバースと結婚したテッドセスマクファーレン。1年後に倦怠期を迎えた2人は子供を作ることでまた愛情を取り戻そうとする。とは言えテッドはぬいぐるみ。精子ドナーを探すがタミリンのほうが過去のドラッグ使用のせいで子供が産めない体だと判明し、養子をもらうことに。その申請をしたところ、テッドは「人」ではなく「所有物」であるから養子をもらうことはできないとされてしまう。

これまで存在を見逃されてきたテッドだったが、この件で政府の目に留まり「所有物」と決定されてしまったことで職も失い、婚姻も無効とされ、親友のジョンマークウォルバーグとともに新米弁護士サム(アマンダ)の手を借りて政府を相手に人権を勝ち取る裁判を起こす。

とまぁストーリーはこんなところですが、もちろんご存知「テッド」の続編なので、下品な下ネタやらドラッグネタやら不謹慎なネタが次々息つく暇もないほどに投げつけられてきます。映倫のレートはR-15ですが、前回同様R-生真面目さん、そして一番気を付けてほしいのがR-初デートです。初デートでこんな映画見に行ってしまった日にゃあ、もう気まずい気まずい。逆に初デートでこれで一緒に笑えたら相性抜群かもしれないですけど、それはもう大きな賭けです。覚悟して行ってください。

ギャグの一個一個は書かないですが、もうオエーってくらいの下ネタもあります。アメリカのテレビ界を知っていないと面白くないギャグも多いですね。吹き替えだとなんとかうまく分かるように変えられているのかもしれません。それにしても、オタクを再三いじめる奴とかジョギングする人にリンゴ投げつけたりとか不謹慎極まりないよー。弁護士であるサムもジョンやテッドと一緒になっておちょけまくってますが、本来のアマンダサイフリッドもかなりふざけたことが好きなようなのでこの役はピッタリだったかもしれません。ゴラムに似てるとか言われても受け入れる女優はそうそういません。マークウォルバーグとのキスシーンはワタクシ個人的にオエーってなりましたけどね。彼女がギターを持って歌うシーンは、監督でもあるセスマクファーレンからのそういうのが得意な彼女へのサービスだったかもしれないですね。

ジョンは前回の恋人と結婚してもう離婚しているという設定で、前回のミラクニスでも十分若すぎたのに、今回はアマンダってさらに若なっとるがな。ハリウッドの男連中はやりたい放題ですな。(いや、下ネタ的な意味ではなくて…)

今回も悪者はテッドのストーカー・ドニージョヴァンニリビシで、それはちょいと手抜きじゃないかなーと感じました。前回から繋がっているジョークとかもあったんだろうけど、それはちょっと忘れているので分かりません。

前回同様色んな人がカメオ出演していますが、何と言ってもリーアムニースンがセルフパロディ的に登場したのとモーガンフリーマンが最後の方に満を持して登場するのがでかかったですね。モーガンフリーマンは裁判に負けたテッドたちの新たな弁護士として登場でしたが、特にサムがした弁論とそんなに変わらなかったから、何のために出たのかな?という気はしますが、多分ただただモーガンフリーマンに出て欲しかったのでしょうね。

これで「3」も作っちゃうというウワサなんですよねー。今回の最後にテッドとタミが養子にした子供も加わっての騒動を描くのでしょうか?

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チャイルド44

2015-07-08 | シネマ た行

旧ソ連の連続殺人ものということでぱっとチカチーロを思い出す日本人はどれくらいいるのか分かりませんが、実在した連続殺人犯チカチーロの事件を元にしたフィクション。年代もチカチーロが実際にいた70~90年代ではなく1950年代に変わっています。

秘密警察の捜査官レオトムハーディの戦友で同僚の幼い息子が鉄道沿いで亡くなり、公式発表は列車に轢かれた事故ということになった。だが同僚とその家族は息子は殺されたのだと主張する。犯罪は資本主義国家の堕落によって存在するものであり、ソ連邦には存在しないという建前のせいで誰も取り合ってはくれない。取り合ってくれないどころか党の意向に反したことを主張し続ければ西側のスパイとして連行されてしまう。レオも同僚を無理やり納得させるしかなかった。

そんなある日、スパイ容疑で逮捕した男を匿っていた農民夫婦をレオの後輩ワシーリが子供の前で射殺したことでレオが激怒し、ワシーリを殴ったことからレオ自身も上司であるクズミン少佐ヴァンサンカッセルから疑いの目を持って見られることになる。

それが理由なのか、レオの妻ライーサノオミラパスにスパイ容疑がかかり、レオはクズミン少佐に捜査を命じられる。レオは自分の家を徹底的に捜査し何の証拠も出なかったが、一度スパイの容疑をかけられればどんな運命が待っているのか一番よく知っているのはレオ自身だったし、孤児院から逃げたレオを幼いときに引き取った養父も「家族がどんな目に遭うか分かっているな。私たち全員の命より一人の命で済むんだぞ」と話す。しかし、レオは結局ライーサを売ることはできずエリート街道を外れて地方に飛ばされてしまう。

飛ばされた田舎町でも同様に子どもの死体が発見されレオはモスクワでの事件と関連があると考える。中央のエリートコースを外れたレオは、この事件を追及することに決めた。田舎町での上司であるネステロフ将軍ゲーリーオールドマンは最初はレオの意見に反対するが「将軍の子どもたちは大人の付き添いなしで森を通って学校に行っても平気ね」とライーサに指摘されレオに協力することに。

連続殺人犯を追う元秘密警察という構図が一応の軸にはなってはいるのだけど、物語全体としては、レオの秘密警察としての立場や、踏絵のように妻を差し出せと暗に強要される恐怖、妻自身もレオに求婚されたときに秘密警察からの求婚を断ればどんな目に遭うかと恐れていたことなど、ソ連の全体主義国家としての不気味さを物語る部分が多くを占めている。これがどのような社会を基にして描かれた物語かということを知らずにただ警察vs連続殺人犯的なサスペンスを期待して見るとわけの分からない部分があるかもしれません。

レオは初め一見冷酷な秘密警察に見えたのだけど、ワシーリが両親を殺した子どもたちに対する態度などを見ていると、自分自身が孤児だったためか子どもたちには優しい一面も見せていたし、妻のライーサに一目惚れした話を同僚たちにしているときなども少年のような姿を見せていて、朴訥だけど冷酷ではなくトムハーディはこのレオという役にとても合っていたと思う。

恐怖のためにレオと結婚したライーサが、スパイ容疑をかけられても自分を売らずエリート街道から外れ、党に逆らってまで連続殺人犯を捕まえようとしているレオに対して信頼を寄せるようになり、後半に行くに従って徐々に夫婦の話にスポットが当たるようになっていったように思えた。

レオらの捜査により容疑者が浮かび上がり逮捕に至るのだが、その男が殺人を犯したのは戦後ドイツにいたためで、やはりこういう犯罪は西側の腐敗が原因だということにしたソ連幹部の猿知恵には苦笑するしかなかったが、上司が変わり中央に戻ることができたレオもさすがにこれにまで反対するほどの気力は残っていなかったようだった。党に反対して散々な目に遭ったレオだからそれくらいはもう許してあげたい気分になった。

原作はもっと色々と深く描かれているのかなぁと想像ができるような内容でした。共産圏ものが好きなワタクシとしてはまぁ満足かな。

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タイピスト!

2015-05-14 | シネマ た行

偶然にもフレンチコメディを2本連続で見ました。こちらは1950年代のフランスが舞台。女性の憧れの職業である秘書になろうと田舎から出てきたローズパンフィルデボラフランソワは面接でタイピングが速いことを買われて合格するがタイピング以外はドジで仕事ができず試用期間後に雇い主のルイエシャールロマンデュリスからクビにしようか悩むが、彼女をタイプ早打ちの大会で優勝すれば雇用を続けると言う。

なぜわざわざいま1950年代のタイプ早打ち大会のことを映画にしようと思ったのか、そして、本当にそういう大会があったのか分からないんだけど、作品全体の雰囲気が非常に50年代していて、ロマンデュリスとかベレニスベジョとか知った役者がいなければ、本当に50年代に製作された作品だと思ってしまったかもしれない。画面の色彩の印象をわざとそういう時代っぽく加工してあるのだとは思います。カラフルなんだけどレトロは雰囲気にまとまっています。

終始笑いがおこるコメディというよりもローズとルイが徐々に魅かれていくラブコメです。ロマンデュリスは実はワタクシあまり好きではなくていつも髪の毛がボサボサで無精ひげでなんだか不潔な印象がある人です。そして、そんな人なのになぜかモテるみたいなのが納得がいかず苦手なのですが、今回保険会社の役員役ということで髪を短く刈ってひげもちゃんと剃っていつもスーツを着ていていつもと全然印象が違いました。

自ルイがコーチとなってローズを特訓しタイプ早打ちフランス大会で優勝するまでが、なんだかちょっとスポ根ものみたい描かれます。マイフェアレディスポ根バージョンといった感じでしょうか。

その後世界大会を目指すローズにはタイプライターの大会社のスポンサーがついて、ルイが身を引いてしまい、、、とラブコメには絶対にある別れが一度はやってきてその後また最後にくっつくという王道のパターンです。ローズの打つ速さに印字がついていけるようにルイがゴルフボール印字型のタイプライターを発明したというオマケつきで。(この逸話はもちろんフィクションなのでしょうけれど)

世界大会ってそれぞれの言語が違うのに難易度を合わせてあるとか言ってたけど、そんなことできるのかなぁ。すごいなぁ。

全体的にシュガーコーティングしたようなキュートな世界観の中で、ローズとルイのベッドシーンだけが奇妙に濃厚だったのが、ちょっと違和感があったなぁ。それがアメリカンコメディとフレンチコメディの違うところか。

タイプライターを打つ独特の音がとても好きなので全編心地よい気持ちで見ることができました。

オマケキーボードの配列の一番上がtype writerと打てるようになっていると知った時は「おお~すげー」と何がすごいんだか分かりませんが思いました。キーボードがあんな変な配列になっているのはタイプライターが絡まないように打ちにくくするためと聞いたことがあるのですが、どうやらそれは完全な真実というわけではないそうです。

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