シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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ウォンテッド

2008-09-30 | シネマ あ行
まず始めに、この映画R-15ですよね?それなのに、「日本語吹き替え版」なんて必要ですか?おかげで、朝イチの上映時間を吹き替え版に取られちゃってるし。朝イチに見ようと思ってたのにな。どーせ朝イチは人が入らないからそこをDAIGOのファンに埋めてもらおうってことですかね。なんかなー。くだらないねー。

とイキナリ愚痴から入ってしまいましたが、待ってましたよ、アンジェリーナジョリーの最新作!予告を見ただけで鳥肌ぞぞぞーのアンジーのカッコよさ。これ2時間見せられたらどーなんのーなぁんて思ってたけどさ、ハイ、アンジー主役じゃありません当然出番も少ないです。そーなんですよねー。映画の後半はおらーもっとアンジー出さんかいぃぃぃってスクリーンに生卵投げつけそうになりましたけどね。ワタクシ良い子なのでそんなことはしませんよ。そんなことどころか映画館ではポツリともしゃべったりもしませんよ。だから、みんなも映画館では静かにしてね。

って話が思いっきりズレました。ストーリーが薄っぺらいんだからさぁ、もうちょっとアンジーの見せ場を増やしてくれても良かったんじゃない?ってしつこいですか。すみません。しつこいついでにもうひとつだけ。アンジーの見せ場はアクションもすごいんですが、ウェズリージェームズマカヴォイがこの秘密結社のアジトに拉致られて、怒って帰る!ってなったときに「そうなの?どうせアナタはここに戻ってくるわよ」とでも言いたげなアンジーの魅惑的な微笑みがたまらんかったぁぁぁ

主役のジェームズマカヴォイくんね。このところハリウッドでは赤丸急上昇中ですね。でもなー、彼はやっぱりタムナスさんタイプの役がいいかもーなぁんかちょっと違うんですよねー。後半はほとんど彼しか活躍しないでしょ。それを引っ張っていくにはちょっとパンチがゆるいかなぁと。ファンの方ごめんなさい。

アクション映像はね、かなりすごい。特に前半は本当にすごい。でもね、予告編で見せすぎです。ほとんどあれで全部じゃん。予告編で見せすぎるの、もういい加減やめてくれないかなぁ。宣伝部としては、CM見て、この映画見たいと思ってもらえて映画館に足を運んでくれた時点で、もうその後の感想なんてどーでもいいのかもしれないけどねぇ…もうちょっとうまい予告編の作り方してほしいなぁと思うことが多々ありますなぁ。

モーガンフリーマンももちろんカッコよかったけどね。やっぱり彼には“いいもん”のほうが似合うなぁ。
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ゲットスマート

2008-09-29 | シネマ か行
試写会に行ってきました。

60年代にアメリカで人気のあったドラマのリメイクっていうんですよね。主役はジョンカレル。なんとか相手役にアンハサウェイをもってはきたものの、彼女も「プラダを着た悪魔」の子と言えば分かる人も多いだろうけど、まだまだ日本での知名度はどこまでかな?って感じだし、その上コメディなんですよね。アメリカのこういうタイプのコメディって日本での興業的にはどうかしらねぇ?って感じですよね。内容的にも、すごくアメリカンだったらちょっと笑えないなぁって思ってたんですが。

いろいろとコマコマした笑いが随所にあって、それがアメリカン過ぎなくて適度なハズし具合。5分に1回はクスってしてたんじゃないかなぁと思うほど。そんな大爆笑するようなことはないんだけど、小さなジャブで笑わせてくれます。ドタバタもありつつ、それがオーバー過ぎず、セリフの面白さで笑わせるところも結構あって良かったです。ジョンカレル演じるスマートがどこまでも真面目で全然人のことなんか笑わせようとしていないところが逆に良かったのかなー。

ストーリーもこういうコメディものにしてはしっかりとスパイエージェントが敵をやっつけるっていう話になっていたところも気に入ったな。だいたいこういうのって話が最後はグダグダで終わっちゃうっていうパターンが多いけど、この作品はスパイものとしてのストーリーはきちんと成り立っていますからね。

ジョンカレルって「リトルミスサンシャイン」のお兄ちゃんだなーと思って見ていると、エージェントのボスが同じく「リトルミスサンシャイン」おじいちゃんアランアーキンだったから、意味なく彼の登場シーンでプッと笑ってしまったのは会場広しと言えどもワタクシだけだったかもしれないな…アンハサウェイの衣装も結構楽しかったかな。彼女って美人なんだかそうじゃないんだかよくわかんないけど、今回のパリッとした衣装はとてもよく似合っていましたね。

ピーターシーガル監督と言えば、「50回目のファーストキス」「NY式ハッピーセラピー」の人だから、それを考えるとワタクシも最初からもうちょっと期待しても良かったでしょうね。
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コレラの時代の愛

2008-09-19 | シネマ か行
なぜこの映画を見たいと思ったのかよく分からんのですが…原作がガブリエル=ガルシアマルケスだから?…ってワタクシ、マルケスは気になる作家でありながら一度も読んだことないんですよねー。今度こそ読むぞ「百年の孤独」と思いつつ。なぜかこういうラテン系の文学物に惹かれるんですよね、ワタクシ。ハビエルバルデムにもずっと注目してますしね。

というわけでこの物語。一目惚れから半世紀にわたって一人の女性への思いを貫いた男フロレンティーノアリーサ(バルデム)の話?一目惚れした女性フェルミナジョヴァンナメッツォジョルノとの手紙での愛の交換を経て、彼女の父親ジョンレグイザモに引き離され、しばらく会わないでいる間に彼女の気持ちも冷めてしまい再会したときに見事振られる。それ以来、622人の女性と肉体関係を持ちながらも彼女に誓った心の貞節は守り続けた男?
心の貞節ねぇ。。。それってとっても都合のいい男の論理じゃない?なんか、人妻とちょっぴり本気っぽくなってたじゃない?それに来るもの拒まずだっただけじゃなくて“時間をかけて信頼を勝ち得た”とか言って若い女をたらしこんだりしてたじゃん?しかも50年間も陰から日なたから見ていたりしてストーカーじゃない?んんん…ノーベル文学賞取ったおエライ作家さんの小説にそんなこと言っちゃダメ?

それにしてもフェルミナさん、どうして急に愛が冷めちゃったんだろう?本当にあれは幻想だったって思ったの?そのわりにはなんか金持ちの医者ベンジャミンブラッドと結婚して、愛されはしたけどでもなんか不満だったって感じで、結局最後にはフロレンティーノと一緒になるの?なんか、なんかよく分からーーーんっ。これがマルケスの描いた女心とやらなのか?

お話全体的にはね、悪くはないんだけどね。そこここに笑えるシーンもあったりなんかして。このフロレンティーノもなんだか憎めない奴なんだよねー。あんなふうに浮世離れしてふわふわ生きれたらいいなぁみたいな。恋に恋焦がれて、仕事はおじさんからあっさりもらえちゃうしな。申し訳ないけど、ちょっともうオツムが足りない人みたいに見えちゃうんだよねー。だから仕方ないみたいな。あ、これちょっとヤバいこと言ってるかもしれないな。。。そんな彼の書くビジネスレターが最高ね。仕事の相手なのに“愛する○○株式会社の方々へ”とか“この商品は優しくローストして…”とかラブレターみたいに書いちゃうんだよね。そんな才能を生かして手紙書き屋さんをして、カップルを成立させちゃったりもする。

映画的には、フロレンティーノの若いときをウナクスウガルテという青年が演じていて、フェルミナと再会して振られるときからハビエルバルデムに変わるんだけどさ、ちょっとこの辺のキャストを変えるタイミングに無理があったなぁ。あの青年から急に再会してあんな顔の怖いおっさんに変わってたら、そりゃ拒否したくもなるよって、、、それはちょっと違うけどフェルミナのほうはずっと同じ女優さんが演じてるんだよね。男優を変えるなら女優も変えたほうが自然だったかも。しかも、このお話は中高年になってからのほうがメインなんだから、そっちに俳優の年齢を合わせてキャスティングして、若いときをどちらも違う俳優がやったほうが良かったんじゃないかなーと。バルデムはこのちょっと気持ち悪い男を非常にうまく演じていたし、(彼はいつも何をやらせてもうまい)、ジョヴァンナメッツォジョルノも20代から70代までを頑張って演じていたとは思う。

「コレラの時代の愛」って原作の和訳そのままだけどなんか変な題名で、コレラってそんなに関係あっか?って気もするけど、原作ではいろいろ関わってくるんでしょうか?コレラの時代だからこそのエンディングシークエンスっていうのはあったけどね。

音楽はマルケスの出身地でもありこの作品の舞台となっているコロンビアを代表するポップシンガーのシャキーラが担当しています。ワタクシ、シャキーラのファンなのでありますが、この映画にはそんなにフィットしていなかったような気がします。

これを評価するには原作を読まないといけないのかなー?そろそろワタクシもマルケスに手を出してみようかな。

オマケ関係を持った女性についてメモっていく主人公フロレンティーノ。ジェームス三木を思い出したのはワタクシだけ
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おくりびと

2008-09-10 | シネマ あ行

(9月10日、「オマケ2」追記しました)

試写会が当たったので昨日行って参りました。ちょうど、昨日のお昼にモントリオール映画祭でグランプリを獲得したというニュースを聞きますます楽しみにして行きました。

幼いころからの夢だったチェロ奏者になり、オーケストラで演奏していた小林大悟本木雅弘。しかし、そのオーケストラが解散になり、自分の才能にも限界を感じ、東京から故郷の仙台へ妻広末涼子とともに帰って来る。仙台で職探しをしていた大悟の目に入ったのは「年齢問わず、高給保証、実質労働時間わずか、未経験者歓迎。旅のお手伝い」という好条件の求人を見つけ、すっかり旅行代理店だと勘違いしNKエージェンジーへ。面接に行き、社長山崎努に会うなり即採用となるが。実はそこはNK(納棺)エージェンシーだった。とまどいながらも次から次へと舞い込む仕事に取り組む大悟。しかし、妻にも仕事のことは言えないでいた。

納棺のお仕事というのは、遺体が寝かされている布団で、遺体をきれいに消毒薬で拭き、穴という穴に詰め物をし、衣装を着せ、死に化粧をほどこし、棺に納めるという仕事だ。ときには、腐敗した死体や、自殺、子供の死などにも遭遇するが、尊厳を守って遺体に接し、きれいにしてあげることで遺族から感謝されることもある。

が、そこはやはり「死」を扱う職業ということで忌み嫌う人たちもいるのだろう。
大悟が仕事のことを正直に妻に話せないでいることや、妻が大悟の職業を知ったときに「何を考えているの?」「汚らわしい」「きちんと働いて」なんていう発言をするところ、幼馴染杉本哲太にも「もっとマトモな仕事がいくらでもあるだろう?」と言われたり、遺族からも「あの人のような仕事を一生したいか?」と娘を死なせた暴走族への説教に使われたりするといったようなことは、ワタクシにはまったく理解できなかった。遺体を粗末に扱うのなら、そんなことを言われても仕方がないかもしれないけど、遺体をきれいな姿にしてあげて、棺に入れてあげるのに、どうしてそんな言われ方をしなければいけないのだろうか?昔、“卑しい身分”とされていた人たちがそういった職業についていたからということが関わっているのかな。葬儀にまつわる職業の方みなさんがこういう経験をしているのかもしれないけど、ワタクシには納得のできない理不尽な扱いだ。特に妻の過剰な反応ぶりにはちょっと「そこまで?」と思ってしまった。でも、この作品の基となったのは実際の納棺師の方々のエピソードからだろうから、そういうことも本当にあることなんだろう。
「死化粧師」という漫画があって、これは西洋の“エンバーミング”というのを題材にしていて、厳密に言うと納棺師とは違うけれど、共通するような職業で、その話の中でも主人公は忌み嫌われているという描写が随所に登場する。

物語は主人公の小林大悟を中心に、納棺を通して見る人と人とのつながりや愛情、世の中の温かさや非情さがさまざまなエピソードを通して語られていく。大悟自身の物語ではあるが、それだけではないさまざまな人間模様を見ることができる。少々お涙頂戴的な部分があることは否めないが、それでも入り込んで涙してしまう。

本木雅弘や山崎努の納棺師としての所作がすごくよくできていて、実際に納棺の作業は見たことはないのだけど、こんなことを言うと不謹慎なのかもしれないが一種の形式美のようなものを感じた。ある意味で、忌み嫌われるどころかとても崇高な職業な気がしてくる。それは映画の中でも、実際に夫が仕事をする場面を見て、妻が誇らしげに「夫は納棺師です」という場面に表されていると思う。

2時間10分と少々長めの作品であるが、ちょこちょこ笑える場面も出てきてほとんどその長さを感じさせず、非常に良い作品です。モントリオール映画祭で見た外国人たちは、「サムライ」「ハラキリ」「オタク」ではない日本の文化の一端に触れてくれたんじゃないかな。

オマケ1チェロをマスターしたり、納棺師の所作をマスターしたりと、めちゃくちゃ頑張ってたモッくんはすごいですが、山崎努のゾクゾクするようなしびれる演技にはかなわなかったなぁ。

オマケ2この映画のコピーは「人はいつか誰もが“おくりびと”“おくられびと”」先日テレビでも、この映画の紹介のあとに、大阪の某司会者が「人間が最後に絶対に通る道ですからねぇ」と言っていた。この発言を聞いてふと思ったのだけど、確かに多くの場合、ワタクシたちはこの映画のように最後は棺に入れられて火葬なり、土葬なりされる。がしかし、それをされずに死んでいく人たちがどんなにこの世界には多いことだろう。先日記事にした「ひめゆり」のように戦争の中で亡くなった方たちはこんなふうに埋葬されることもなく、何十年も経ってやっと骨を拾ってもらった。そして、いまだにそのままの骨もある。それは世界中どこででも起きていることだ。こういう発言が“普通に”出てくるというのは、日本が現在平和だからに他ならないけれど、そんなふうに当たり前に“おくられびと”にならない人たちのことも忘れないでいたい。

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「アイアムレジェンド」(原作本)と「流血鬼」

2008-09-05 | 

映画「アイアムレジェンド」のコメント欄で、原作本と藤子不二雄の「流血鬼」についてのコメントがあり、ワタクシも興味を持ちましたので読んでみました。他の本を読んでいたので随分時間があいてしまいましたが。

さて、まず「アイアムレジェンド」の原作本ですが、ワタクシは映画のほうが好きでした。映画のほうが動きが激しかったし、ロバートネヴィルが医師という設定になっていて、彼の研究が進んでいたので、その部分の面白さがあったと思います。犬と行動をともにしているという点と、最後に登場する女性の部分は原作にインスパイアされてはいるものの、方向性はまったく逆と言ってもいいくらいに変更されていますね。「犬」と「女性」のエピソードは原作のほうが良かったかなと思いますが、それも原作での“動き”がほとんどその2つのエピソードにしかないからそう思うのかなとも思います。「地球最後の男」が原作に忠実なのかどうか知らないんですが、もし忠実だったとしたら、前半で寝てしまったという人がいるのもうなずけます。(原作が面白くないという意味ではなく動きが少ないので)今回の「アイアムレジェンド」のほうは原作本を完全に現代のハリウッド映画に変更したということかと思います。その分原作のもつ雰囲気は壊れてしまったのかなと。心理サスペンスをアクション映画に変えた感じですね。原作のファンの人にとっては悲しい変更だったのかもしれません。ラストも全然違いますしね。ラストに関しては特にどちらが好きというのはありません。原作のラストにはどう考えてもハッピーな気はしませんが、もしかしたら、そこから新しい人類が始まり、ロバートネヴィルのような旧人類が悲観する必要のない世界が生まれるのかもしれません。

「流血鬼」ですが、これもコメント欄で書かれていますが、ワタクシはカルト的なものの怖さを感じました。あれを“ハッピーエンド”と称する方もいらっしゃるのかもしれませんが、ワタクシには“ゾッとするエンディング”でしかありませんでした。コメント欄で通りすがりの藤子ファンさんが書かれているように能力が進化した新人類の仲間に入れた主人公のハッピーエンドというふうに捉えることはできませんでした。もちろん、色んな解釈があってしかるべきですし、作者の意図からすればワタクシの解釈は間違っているのかもしれませんが、やはり、カルトに入らされて、洗脳されると“この集団は素晴らしい”となってしまうというように受け取りました。

どちらも興味深い作品ではありました。今度は映画「地球最後の男」を見てみないといけないですね。

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敵こそ、我が友~戦犯クラウスバルビーの3つの人生

2008-09-04 | シネマ た行
クラウスバルビーという人のことはまったく知らなかったんですが、予告を見ておもしろそうだったので見に行ってきました。思ったより、観客は多かったです。

常々「戦犯」というものの定義はとてもむずかしいなと思っています。彼らは戦争というイカレタ状況の中で国に洗脳され上官に命令されるがまま非人道的な行為を行ってしまったのか?それとも、自分から率先してそんな行為におよんだのか?その罪は誰が償うべきものなのか?これを的確に定義することは人類には不可能だとは思いますが、このクラウスバルビーという人個人の場合はどうだったのでしょうか?

彼はナチスの親衛隊でフランスのリヨンでレジスタンスを殲滅する任務につき、“リヨンの虐殺者(ブッチャー)”と呼ばれた。また、(本人は否定していたが)孤児院にいた44人のユダヤ人の子供たちを収容所送りにした。そんな彼が戦後、戦犯として裁かれることはなかった。それはなぜか?

第二次世界大戦直後から、アメリカとソ連は対立を始め冷戦の幕開けとなる。“敵の敵は友人”という言葉がある通り、大戦中にソ連と戦ったナチスはアメリカよりもソ連の内情に詳しかった。そんなナチスをアメリカは対ソ連の戦略を立てるために保護し雇った。その中心人物がクラウスバルビーだった。彼はスパイ活動に詳しく、有効な拷問の方法の知識が深く、ソ連の情報を持っていたので、アメリカからしてみるとものすごく有益な人物だったわけだ。アメリカの上層部はもちろん彼が戦犯に値する人物だということは知っていたが、自国の利益のためにそれをもみ消し、バルビーが名前を変え、南米に逃れる手伝いをした。アメリカのスパイとして働いたナチスの残党たちは、自分たちの存在価値を高めるため、事実以上にソ連の脅威を高めるような情報をアメリカに流し、それによってさらに冷戦状態がひどくなっていったと語っていたアメリカの元議員がいた。世界を二分した冷戦にもナチスの影響があったなんていままで考えもしなかった。

南米に逃れてからもバルビーは政治の世界に近づき、そこにヒトラーがなしえなかった第三帝国の夢の続きである“第四帝国”を築くことを夢見たという。南米ボリビアで彼はチェゲバラの暗殺に関わったということだが、この映画の中ではこの部分はさして詳しくは語られなかった。見に行く前にワタクシがもっとも興味を抱いたのはこの部分だったので、それに関しては残念だった。

世界の左翼化、共産化を恐れるアメリカ、西欧がバルビーたちを操って南米に軍事政権を誕生させたりと、世界政治の裏に大国の思惑がひしめいているという事実が明らかにされる。

そして、ついに大戦終結から約40年が過ぎた1987年にバルビーはフランスで“人道に対する罪”で終身刑に処される。おそらく、このときにはすでに冷戦は終結しており、アメリカにとっても西欧にとってもバルビーの利用価値はまったくなくなっていたのだろう。バルビーをかくまってくれる政府はどこもなく、彼はフランスに突き出され、裁判の場へと引きずり出される。ここで、数々の証人が登場し、バルビーの罪を告発するが、バルビーは「あれは戦争だった。そして、戦争はもう終わった」と主張する。最初に書いたように、戦犯という定義は難しい。バルビーが主張するようにあれは戦争だったからなのか?この映画を見て勝手に思ったことだけれど、あれは確かに戦争でその中でバルビーは“するべきこと”をしただけかもしれない。だが、実際彼がそこに快楽を感じていたことは否定できないんじゃないかと思った。それが、彼の人間性なのか、それとも誰しもが陥ってしまうようなことなのかは分からない。そういうことができる人間という生き物を国家が承認してしまうとそういうことが起こるということなのかもしれない。

バルビーの言う「みんなが私を必要としたのに、裁かれるのは私一人だけだ」という言葉は、確かにそうだなぁと思う。だからといって、彼の罪が消えるわけではないし彼を正当化することはできないけど、大国の政府は彼を利用するだけ利用してポイした。結局は、利用できるものはすべて利用して、自分たちの思惑を実現させるのが、大国の政府というものなんだろうな。そういう部分を明らかにするという意味で彼の人生をこのようにドキュメンタリーにすることには大いに意味があると感じた。
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