製作は1972年だが、当時まだベトナム戦争のさなかであり、ニューヨークで1日だけ公開されベルリンやカンヌ映画祭で高評価を得たもののアメリカのマスコミからは抹殺された作品。その後2005年にアメリカでリバイバル上映され、日本でも2010年に公開された。
1971年、戦争に反対するベトナム戦争帰還兵の会が行った公聴会。元兵士たちが集まって自分たちが実際に行ったり、目撃した残虐行為を告白した。
ヘリコプターから捕虜を落とすゲームをするため、乗せるときには捕虜の数は数えない。降ろす時に数えれば良いと上官から言われる。途中で何人も落として遊ぶから乗せるときに数を数えても無駄だと言う。
ベトコンか民間人かの区別がまったくつかなかったが、殺してしまえば、それはもうベトコンということで処理された。死んでいるベトナム人はみなベトコン。ベトコンだから殺されたのだからという理屈がまかり通る。
殺した人数を競うため、その証拠に殺した人たちの耳を削いで集める。その勝負に勝てば一日の終わりにビールをいっぱいもらえる。
ベトコンを匿っている疑いのある村を焼き払う。本当に匿っているかどうかはこの際問題ではない。
少女を家族の前で輪姦し、体を引き裂いて殺し焼き払う。
ここに挙げた以上のたくさんの証言が記録されている。
次々に暴露される残虐行為。彼らはベトナム人を差別していたのではないと言う。差別というところにさえいかない、ベトナム人のことは同じ人間ではない。特に価値のないものとして気にもかけない。そんな心情だったそうだ。
彼らをそうさせたものは戦場の狂気と、軍隊方式の訓練&洗脳だと彼らは言う。まだベトナム戦争が続く中での実名&顔出しの告白だから、相当の勇気がいったと思う。それでも彼らにそうさせたのはやはりこんなことを二度と繰り返してはならないという気持ちからだろう。
あれから40年以上。彼らが勇気を出してしてくれたことはなんだっただろうという歴史を世界は繰り返している。アメリカだけではない。この不毛さ。ベトナム帰還兵たちが勇気を持って証言してくれたことをアメリカ人だけではなく世界中の人たちが無駄にしてはいけないはずなのに、実際にはどうだ。
ここのところ、日本でもきな臭い動きが起こっているが、戦争と聞くと自分の息子が死ぬかもしれない、とか自分の家が爆撃されるかもしれない、とかそういう発想にすぐ行きつくと思うのだけど、それだけではない。もし自分の息子が戦争に行けば、戦争に参加していない敵地の民間人を虐殺し、そこにいる女性をレイプして帰ってくる。そういう発想にはなかなか行きつきにくいと思うけど、それが戦争の事実だということを認識しておかないといけない。
「1」に続いてケーブルテレビで放映していたので、続けて見ました。
公開は「1」が2007年、「2」が2011年と4年の歳月が流れているので、テレビで見ても分かるくらいCGがキレイになっていました。
前作で龍の戦士となったパンダのポー山口達也はマスターファイブ(タイガー木村圭乃、ツル真殿光昭、ヘビMEGUMI、モンキー石丸博也、カマキリ桐本琢也)と共にシーフー老師(レッサーパンダ)笹野高史の下で暮らしていた。
そこへカンフーを抹殺し中国全土を支配することを目論むシェン大老(クジャク)藤原啓治が大砲を使って攻撃をしかけてくる。シェン大老の軍隊であるオオカミたちに襲われた村を助けにいったマスターファイブとポー。ウルフ隊長森川智之と対峙したポーはウルフ隊長が身に着けているシェン軍隊のマークである赤い目を見て突如悲しい記憶の断片が蘇り、その隙にウルフ隊長に逃げられてしまう。
あの悲しい記憶はなんだったのか。赤ちゃんのときの悲しい記憶の正体を探るためポーはミスターピン(ガチョウ)龍田直樹の元へと向かう。そこでポーは初めて自分の出生の秘密を知るのだった。
ポーがお父さんの本当の子どもじゃないと知るシーンは、笑っちゃいけないんだけど、笑えるシーンでしたね。ポーもガチョウの子どもではないことはうすうすは感じていたようなんですが、、、そんな告白を聞いてタイガーもどんなリアクション取っていいんだか、困っていたところも笑えました。でも、ポーの育ての親ミスターピンの愛には真剣にほろっと来ちゃいました。
CGもですが、アクションも「1」と比べるとかなりパワーアップしていて、最初からポーがカンフーマスターだから当然と言えば当然なのですが、戦いに次ぐ戦いで結構ドキドキの展開が続いて楽しいです。
その赤い目の秘密っていうのが、ちょっとハリーポッター風でしたね。ポーもある意味選ばれた子だし。そのあたりのポーとシェン大老の過去の因縁っていうのがうまく話にフィットしていて良かったと思います。
最後のシェン大老とポーの戦いは劇場で3Dで見たらキレイだっただろうなというのが分かる映像でした。
最後に実はポーの両親やパンダ仲間は生きているっていう映像があったので、これが「3」に繋がるということなのでしょう。と言っても「3」のアメリカ公開は来年のクリスマスってことなので、まだまだ待たないといけないようです。
ケーブルテレビで見ました。ドリームワークスの作品なのに、ディズニーチャンネルで放映するのは不思議な気がしますが…子供向けの放映なので吹き替えだったのが残念です。本当はアンジェリーナジョリーとジャックブラックの声で見たかった。
平和の谷が極悪人タイラン(ユキヒョウ)中尾彬に狙われ、伝説の「龍の戦士」を選び出すことに。当然、シーフー老師(レッサーパンダ)笹野高史の元で修業に励んでいるマスターファイブ(タイガー木村圭乃、ツル真殿光昭、ヘビMEGUMI、モンキー石丸博也、カマキリ桐本琢也)の中から選ばれるはずだったが、ひょんなことから紛れ込んでいた太っちょパンダのポー山口達也がウーグウェイ導師(カメ)富田耕生によって選ばれてしまう。
ポーは大のカンフーファンで、龍の戦士が選ばれる儀式をひと目見たかっただけだった。まさか自分が選ばれるなんて本人も夢にも思っていなかったし、ポーが選ばれたあとも誰一人としてポーを龍の戦士と認める者はいなかった。しかし、ウーグウェイ導師は物事に偶然などないと運命に選ばれたポーを龍の戦士に育てるようシーフー老師に告げる。
ラーメン屋を営むミスターピン(ガチョウ)龍田直樹に甘やかされて育ったメタボ体型のポーにカンフーなどできるはずもないが、食べ物で釣るというシーフー老師の作戦勝ちでポーは知らないうちに進歩していった。
このポーの修行のシーンが昔のジャッキーチェンの映画を彷彿とさせるような内容で、コミカルでありながら、カンフー独特の流線的な動きをうまくアニメで表現していてとても楽しい。ジャッキーチェンはオリジナルのほうではマスターモンキーの声優として参加していますね。
マスターファイブたちもポーが選ばれて反発は覚えているものの、そこはさすがカンフーのマスターたちで、ポーをいじめたりせず、導師の選んだ道を信じている様子だったのが、なかなか素敵な展開でした。ポーがマスターファイブのファンでそれぞれのフィギュアを宝物にしているところなんかも可愛かった。
マスターファイブの戦いっぷりはみんなそれぞれの動物の特徴を生かしていて、それもとてもうまいなと感じました。特にヘビの滑らかな動きが良かったし、5人プラスポーで協力して戦うところも爽快でした。敵役のタイランもカッコ良かったし。このタイランが実はシーフー老師に育てられた孤児だったというのも興味深い設定でした。
龍の戦士だけが手に出来る奥義が書かれているという巻物には実は何も書かれておらず、自分の姿が映るのみ。ポーのお父さんのおいしいラーメンにも秘密の材料があると思っていたが実は特別な材料なんてなかった。そう。何事も成功するのに、特別な材料なんてない。あるのは自分自身。自分自身を信じるのみってことかな。これは子どもたちには良いメッセージとなるのでしょう。
ディズニーアニメが大好きなワタクシとしては、どうしてもやっぱりディズニーには敵わないなと思ってしまう部分はありましたが、それでもドリームワークスのアニメの中では一番面白かったな。「シュレック」よりもこちらのほうが好きです。
予告編を見て面白そうだと思いネットでの評判も上々のようだったので見に行きました。「灼熱の魂」のドゥニヴィルヌーヴ監督ということもあり、濃密なドラマを期待していました。
ですが、、、んー、どうなのかなぁ。ワタクシは消化不良に感じました。
感謝祭の日、近所の友人家族同士でお祝いをしていたところ、ドーヴァー家とパーチ家のそれぞれの末娘たちがパーチ家からドーヴァー家に一緒に戻ったまま忽然と姿を消した。その前に不審なキャンピングカーが近所に停まっており、すぐにその車の持ち主アレックスジョーンズポールダノが警察に拘束されるが、彼は10歳ほどの知能しかなく、物的証拠は何も出ずすぐに釈放されてしまう。
アレックスが釈放される警察署の前でアレックスに掴みかかったドーヴァー家の父親ケラーヒュージャックマンにアレックスは「僕が一緒にいたときには泣かなかったよ」と聞かされ、アレックスが犯人だと確信したケラーは、こっそりアレックスを拉致し今は無人の実家に監禁し、拷問にかけ娘たちの居場所を聞き出そうとしていた。パーチ家の父フランクリンテレンスハワードも監禁場所に連れて行ったが、フランクリンはケラーのやり方に賛成はできなかったが、ケラーを警察に突き出すこともできなかった。
このケラーという人物像は、最初の数分で見事に説明されていると思う。息子に鹿撃ちを教え、信心深く、常に非常事態に備えよと息子に説くアメリカのタフな父親。こういう人物は頼もしい反面ちょっとひとりよがり的なところもあるのだろう。そんな父親が娘を誘拐され、あのような行動に出るのはそんなに不自然なことではないと感じるし、物語の運びとしてこれがどのような帰結を迎えるのか導入部としては強烈に観客を惹きつける。
が、しかしだ、、、
一方の警察の捜査っていうのがなぁ、、、描かれ方があまりにも生ぬるい。担当のロキ刑事ジェイクギレンホールは非常に優秀な刑事という設定なのだけど、具体的な捜査としてはネットでポチポチ何かを調べているシーンしかほとんど映らない。少女たちが失踪した時点で誘拐かどうかはまだ分からないけど、少女の失踪事件なんて初動捜査がものすごく重要になるというのは常識だと思うのだけど、森林を捜索する以外何かしている様子が映されない。逆探知の用意とかしないの?しかも、捜査に当たっているのが制服警官以外ではロキだけっぽく見えてそれも不自然。最低でもロキにはパートナーがいると思うし、幼い少女の失踪ならチームが組まれないかな?アレックスの車から何一つ証拠が出なかったのもおかしいし、アレックスの家の捜索も非常に手ぬるい感じがしたなぁ。
それで、何?あの牧師に連続殺人を告白に来て、牧師に殺された男?あれが伏線ってのもなぁ。連続殺人を告白して殺された犯人ならもっと詳しく遺体を調べて身元とか割り出さない?すぐに例の犯人の夫だと分かるかどうかは別としてもいまいちその辺の突っ込みも甘いような…
警察の動きと犯人の動きとかそういう刑事ドラマ的な楽しみではなく、少女を誘拐された(と思っている)父親の行動を追うドラマだとして見るべきということかな。ヒュージャックマンの演技はすごかったと思うけど。アレックス拉致→拷問、拷問、拷問の一本やりでいまいちどの方向にも進展しない。アレックスが「僕はアレックスじゃない」とか言ってたけど、声が小さくてケラーには届かず…
ケラーの信心深さというのが彼の心情にリンクして語られています。犯人のほうの信心についても語られるので宗教的な一面を持った物語だとは思うのですが、信じる方も信じない方もむごいことをしているのがなんか皮肉だったな。それが物語の核?途中で捕まる犯人モドキと犯人の共通点に「ヘビ」があったけど、あれもキリスト教における「ヘビ」が象徴するものと関連があるのかな。よく分からなかったけど。
シーンシーンがブツ切りされるような編集方法は「灼熱の魂」でもそうだったな。この監督の特徴なのか。
最初にも書いたようにネットでの評判は良いので、ワタクシが監督の意図を拾いきれなかっただけかもしれません。
大好きなケイトブランシェットがアカデミー賞主演女優賞他、たくさんの主演女優賞を受賞した作品なので、ご祝儀鑑賞です。まぁウディアレン監督だしぃ、だいたい内容というか作品の雰囲気もオチらしいオチがないであろうことも折り込み済みで見に行きました。
ジャスミン(ブランシェット)はニューヨークでお金持ちの夫ハルアレックボールドウィンと贅沢な暮らしをしていたが、ハルが詐欺罪で逮捕され自殺。生活は一転自らも借金に追われてしまう。サンフランシスコに住む妹ジンジャーサリーホーキンスの元に身を寄せることにするジャスミンだったが、羽振りの良かったころのころが忘れられずお金がないのに、ヴィトンのスーツケース持ってファーストクラスに乗ってやってきた。
ハルと結婚するために大学を中退したジャスミンは、きちんと働いたことがなかったが、生活のために仕方なくジンジャーの友達の紹介で歯医者の受付を始める。それと同時にネットで得意なインテリアコーディネイトの資格を取ろうと考えるが、パソコンが苦手なジャスミンはその前にまずパソコン教室に通い始める。
しかし、やはり自分がもう一度贅沢な世界へ返り咲くにはそれ相応の男性を見つけるのが近道と、友達のパーティに出かけると、お金持ちで外交官のドワイトピーターサースガードと出会いいい感じになる。ドワイトに良い印象を与えたい一心のジャスミンは、自分はインテリアコーディネイターで亡くなった元夫は外科医だったと大嘘を吐くのだが、、、
このジャスミンという女性、まずこのジャスミンっていう名前からして嘘なのよねー。ジャネットって名前だったらしいけど、自分で変えたんだって。ジャネットなんて普通でダサいからでしょうね。まぁ、そんな嘘並べた人生でも夫の事業が順調なうちは良かったんでしょうけどねぇ。お金持ちの生活の中ではうまくやっていたみたいだし。あーいうお金持ちの世界にもそれはそれで大変なことがありそうだけど、そのあたりはそつなくこなしてたっぽい。夫の連れ子のことも割と大事にしていたみたいだし、決して悪い人ではないと思うんだけどなぁ。とは言え、夫の事業がちょっと怪しいと思っても自分の地位と贅沢な生活を守るために目はつぶってきてたわけだけれども。
いまはすっかり頭がピーポー状態で、一人で突然空中に向かって話し始めたりなんかしちゃってねぇ、、、なんだか憐れ。それを演じるケイトブランシェットが絶妙なんですよねー。ミシェルファイファーやジュリアンムーア辺りがやっても良かったと思うけど、ちょっとやさぐれ感が出過ぎるかなという気がする。その点、ケイトはお金持ちの雰囲気を保ちつつ、頭がイカレちゃった主婦を完璧に演じてる。あの目の座り具合なんてほんとすごいもんね。確かに主演女優賞に納得。なんかこう、熱血演技ではウディの作品の雰囲気を壊しちゃうと思うし、その辺のバランス感覚が非常に優れた演技だったと思います。
ジャスミンとはまったく相容れるところのない妹(それもそのはず、どちらも養子で血は繋がっていない)ジンジャーやその周辺の人たち、元夫のオーギーアンドリューダイスクレイや彼氏のチリボビーカナヴェイルが悪い人ではないけど決定的に下品なのは、やはりウディが西海岸の人間が嫌いだからか?と穿った見方もしつつ…
ウディの話だしオチはないだろうと書いたけど、実際はクライマックスに大きなオチがあった。実はジャスミンの夫が捕まったのは夫の浮気に腹を立てたジャスミンが仕返しに夫の会社の不正をFBIにタレこんだからだった!多分ジャスミン自身もここまで大きなことになるとは思っていなかったんでしょうけどねぇ…このオチは結構笑えた。シニカル過ぎる笑いだけどね。あ、知り合ったお金持ちのドワイトにももちろん嘘がばれちゃって、どこまでも憐れな女ジャスミン。最後はベンチで一人またブツブツとお話していましたとさ。
以前から楽しみにしていた作品でした。賞レースにもかかっていたし、コリンファースと真田広之の共演ということで。
1980年代、鉄道愛好家のエリックローマクス(ファース)はパトリシアニコールキッドマンと電車の中で出会い、恋に落ち結婚する。エリックは大人しく、誠実な人柄だったが、夜中になると突然大きな声を挙げて暴れだし、パトリシアを困惑させる。
まだPTSDなんていう言葉が一般的でなかった当時、エリックは明らかに第二次世界大戦に従事したころのことでトラウマに悩まされていたが、どうしてもパトリシアにはその時のことを話してはくれなかった。エリックの悩みを知ろうと、パトリシアは退役軍人仲間のフィンレイステランスカルスガルドに話を聞きに行く。フィンレイとエリックは当時日本軍の捕虜となり、タイとビルマを結ぶ鉄道建設のために強制労働させられ、エリックが日本の憲兵隊から拷問を受けたことを語る。
そんな時、フィンレイはエリックを拷問した永瀬(真田)という憲兵隊が当時の場所でガイドをしているという新聞記事を発見し、「復讐の時が来た」とエリックに記事を渡す。現地に行く勇気はエリックにはないだろうと思っていたフィンレイは自殺をしてしまう。フィンレイもまた当時のトラウマに苦しみながら生きていて、最後の望みをエリックに賭けたのだった。
フィンレイの自殺を受けて現地へ向かう決心をしたエリック。一日の現地ガイドを終えて、当時の憲兵隊の基地がそのまま残されている歴史博物館を閉めるところの永瀬のもとへとエリックは近づく。「本日は終了ですよ」そう言った永瀬だったが、エリックの顔を見て凍りつく。「ミスターローマクス…」永瀬はエリックのことを覚えていた。
捕虜にならず自害することが軍人としての誇りであるにも関わらず、日本軍の捕虜となった英国人たちを侮辱していた永瀬たちが、戦争に負けたのになぜ生きている?その質問が永瀬に突き刺さる。永瀬は自害どころか、ただの通訳だったと主張することで戦犯としての罪も逃れて生き延びていた。
復讐に来たエリックと贖罪に生きてきた永瀬。この2人の対峙。コリンファースと真田広之という素晴らしい役者を使っているにもかかわらず、この一連のやりとりの脚本と演出がイマイチだったように思えた。永瀬の贖罪は本物なのか、エリックの復讐を止めるだけの納得できる要素があるか、エリックがただ人を傷つけるのがイヤで止めただけなのか、この辺りの追及が物足りなかった。無抵抗にエリックに自分を差し出す永瀬を見ただけで、ただエリックが納得したと考えるべきなのかな。この一連のシーンの作り込みに物足りなさを感じた。
前半のパトリシアとの恋愛話に時間を割くならこちらにもっと時間を割いて欲しかった。前半パトリシアとのことに時間が割かれていたので、戦争のトラウマを乗り越えた夫婦の絆を描きたいのかと思ってしまったし。
実際にはエリックと永瀬が会う前に1年以上文通を続けていたという話がこの映画の公式サイトに書いてありました。どうせなら、その話も入れてくれたほうが良かったんじゃないかなーと思ったりします。それがあれば2人が「親友」と呼ぶ間柄になるまでに唐突感がなかったんじゃないかな。
題材が題材だけのもう少し丁寧に描いて欲しかったという気がします。映画ファン的には単純に、このテーマとこのキャストでこのデキではもったいない、という気も。悪くはないけど、もっと良い作品になれたんじゃないかなぁと。
オマケニコールキッドマンの顔にシワひとつなくて、1980年代のイギリスの40代の女性には到底見えません。美しくあることも大切かもしれませんが、役者なのにリアリティがなくなっちゃダメですね。
1979年カリフォルニア。歌手を目指しているドラァグクイーンのルディアランカミングは毎日アパートの隣の部屋から聞こえてくる大音量の音楽に悩まされていた。ある日仕事から帰ると管理人がその隣の部屋に入っていて、家庭局の人間がその家の子どもであるダウン症の少年マルコアイザックレイヴァを連れ出すところだった。その子の母親ジェイミーアンオールマンは麻薬使用で捕まったと言う。ルディはなんとか止めようとするがもちろんできるわけはなくマルコは施設に連れて行かれてしまう。
その夜、仕事の帰り道ルディは施設を抜け出しとぼとぼと町を歩くマルコを発見する。自分のアパートへ連れ帰り、最近バーで知り合った弁護士のポールギャレットディハラントに助言を求める。ポールは始めマルコが施設に送られるのは仕方のないことと言っていたが、ルディの「麻薬中毒の母親の元に生まれたことも、ダウン症に生まれたことも全部マルコのせいじゃない。それなのに、どうしてマルコが辛い思いをしなくちゃいけないの?」という言葉に打たれ、弁護士として何とか方法を考える。その方法とは、刑務所に収監中のマルコの母親から出所までの監督権を譲り受けるというもので、面会に行き正式に手続きを済ませた。
ポールは裁判所に納得させるためには、きちんとした住環境が必要だとルディとマルコを自分の家に住むように誘う。同棲の誘いに有頂天になるルディ。表向きは“いとこ”と偽ってではあったが、3人の幸せな生活が始まった。マルコが初めて与えられたキレイな自分の部屋に涙するシーンが印象的。
母親からほぼネグレクト状態で育てられてきたマルコのために2人は医者に診せ、メガネを買ってやり、特別学級がある学校に入学させた。食事を作り、宿題を手伝い、祝日を祝い、寝る前にはマルコの大好きなハッピーエンドのお話を聞かせ、時々は健康には悪いけどマルコの大好きなチョコレートドーナツを一緒に食べた。マルコの成長は目覚ましく、2人からたっぷり愛情を受けとても幸せな1年が過ぎた。
ルディは目指していた本物の歌手になるべく、デモテープを送り、週に数回ではあるがバーで歌うようにもなっていた。そんな幸せな日々は永遠に続くかのように思えたのだが、、、
2人がゲイのカップルであるということがバレ、ポールは仕事をクビになり、マルコは家庭局に連れて行かれてしまう。絶望の中で2人はマルコを取り返すべく裁判に訴えることにした。ポールは自分が同性愛者であることをカミングアウトせずに人生を過ごしてきていたが、愛するマルコとルディのため勇気を出してクローゼットから出る決心をする。
ここからが見ているのがとても辛い。学校の先生ケリーウィリアムズや3人の家庭生活の視察に来た家庭局の職員は、2人は最高の両親であり、マルコは2人の元で暮らすべきだと証言してくれるのだが、ゲイに偏見のある、というか偏見しかない検察官のランバートグレッグヘンリーは重箱の隅をつつくような底意地の悪い質問で、3人を引き裂くことに全力を注いでいた。
ハロウィーンにフランケンシュタインの花嫁に扮したルディのことを、マルコに女装を見せた、だの、マルコの前でキスしたことがあるか、だの、開店準備の仕事場に連れて行っただけでゲイバーに連れて行ったことがある、だの、マルコのお気に入りのおもちゃは女の子の人形だ、だの、それはルディに出会う前からマルコがずっと大切にしていたものなのに、マルコに悪影響を与えている、とか言って、本当にムカつくおっさんだった。これが当時の世間の大方の見方だったのかもしれないけど、ルディのくやしさを考えると本当に腹が立った。
ルディにはマルコが受けてきたであろう理不尽な差別や彼の孤独がとてもよく分かったのだろう。だから、始めから何の抵抗もなくマルコを引き受ける気持ちになったのだと思う。検察官から放たれる攻撃的な言葉や侮辱も、自分に向けられるものならルディなら我慢できただろうし、普段ならひねりの効いた返しもできたかもしれない。でも、マルコとの生活がかかった裁判で、何をどう言い返そうが理解しようともしない検察官を前にルディがどんなに悔しい気持ちでいたか。ルディが証言台に立つシーンは涙が止まりませんでした。
興味深いのは学校の先生と家庭局の職員の実際に3人が家族として過ごしている姿を目にした人たちは「3人が一緒に暮らすべき」という結論を出していて、実際には何も知らない、ただゲイのカップルが他人のダウン症の子どもを育てようとしているという事実だけを見ている検察官や裁判官が3人を引き離そうとしているということなんですよね。親としての2人を実際にちゃんと見た人なら彼らがマルコにとって最高の親だと分かるのに。
それでも執拗に世間の枠から外れる3人を引き離そうとする検察側は、マルコの母親の刑期を短くしてまで出所させ母親の監督権の復権を申請させる。当然、実の母親が監督権の復権を求めてくればポールとルディに勝ち目はなかった。マルコをネグレクトし、アパートに男を引き込んでドラッグ三昧の母親にダウン症の子を引き渡す検察。ゲイのカップルの要望を通させないためなら、一人の子どもの福祉など彼らにはどうでもいいことだった。これは法律の問題じゃない。本当にただゲイのカップルが許せないだけの行動としか思えない。むしろ、そんな取引で母親を出所させた検察のほうが法律を捻じ曲げていると言ってもいいだろう。
法律の下結婚した“夫婦”でもなく、血のつながった家族でもない。でもそこには間違いなく愛があって、その愛はそんじょそこらの誰にも負けないものだった。でもそれを許さない人たちがいる。彼らの何を邪魔したわけでもない、ただ世界の端っこにひっそりと幸せに暮らしたいだけの人たちのことを絶対に許せない人たちが存在している。同性愛だけではない。ダウン症だけでもない。様々なマイノリティについて。自分の考える枠からはみ出す人たちを一切許さない、その狭量さにどう立ち向かえばいいのだろう。
このブログを書くために調べるまで知らなかったのですが、このお話実話がベースだそうです。どこまでが実話なんだろう?マルコがルディとポールを求めて彷徨い歩き死んでしまうラストまで実話なのかなぁ。だとしたら悲し過ぎる。マルコは母親のアパートに連れて行かれるとき「僕の家じゃない。僕の家じゃない」ってずっと言っていました。誰一人としてその言葉に耳を傾けてやる大人はいなかった。ハッピーエンディングが大好きだったマルコ。彼にこそハッピーエンディングが訪れてほしかったのに。
最後にルディが歌う「I Shall Be Released」に心を揺さぶられました。単館上映ですが、たくさんの方にぜひご覧になってほしい作品です。
「別離」のアスガーファルハディ監督の作品ということで、見に行って来ました。それが理由で見に行ったと言いつつ、正直「別離」もよくは分からなかったのですけどね。でも作品全体の雰囲気は好きだったので。今回は切り口は似ているけど違うテーマって感じなのかなぁと想像して行きました。
4年前に別れた妻マリーベレニスベジョから正式な離婚手続きを依頼され、イランからパリにやってくるアーマドアリモサファ。長女リュシーポリーヌビュルレと次女(どちらもマリーのアーマドよりさらに前の夫の子)はアーマドを歓迎してくれるが、家には知らない小さな男の子も住んでいて、マリーはいま子連れの男性サミールタハールラヒムと半同棲状態で、近く再婚するつもりだと言う。
長女のリュシーは思春期を迎え、マリーには反抗的。マリーが子連れの男性と再婚することに抵抗があるらしい。リュシーはアーマドにはなついているので、マリーはリュシーの話し相手になってくれるようアーマドに頼む。
リュシーが言うには、サミールには自殺未遂をして植物状態の奥さんがいて、その奥さんが自殺を図ったのはマリーとの不倫が原因だということだった。リュシーはさらなる秘密を隠していて、その事実に苦しんでマリーに反抗的な態度を取っていたことが分かるのだが、、、
作品の雰囲気は本当に「別離」によく似ています。なんか登場人物同士がよくケンカするし。あと、なんでそういう行動を取るの?ってよく分からないところがあるのも似ていたかな。
サミールの奥さんが自殺した理由ってのが、リュシーがマリーとサミールのメールのやりとりを奥さんに転送したことだとリュシーは思っていて、それをマリーに告白したときにマリーがリュシーに怒り狂うシーンがあるんだけど、マリーってどこまで自分勝手なんだろうと腹が立った。確かにリュシーのしたことは良いことではないけど、自分のしたことを棚に上げてばらしたリュシーに怒るってどういう神経かね。リュシーなんて多感な15歳なんだから、親の不倫に嫌悪感を覚えて当たり前だし、相手の奥さんにばらすという行動を取っても全然おかしくない。しかも、それで奥さんが自殺しちゃってものすごい罪悪感に苛まれているというのに、マリーはそんなリュシーの気持ちを全然考えずにヒステリー起こして。なんなんだ、この母親。自分のことしか考えてないね。
この家族のためにアーマドが一人奮闘してる感じなんだけど、それもこれもリュシーを大切に思っているからだよね。自分の子じゃないけど、昔一緒に暮らしてて可愛がっていたみたいだし。でも、マリーが言うには、アーマドはいい加減な人間で4年前はこの家族を捨ててイランに帰っちゃったっぽい。でも、いまのアーマドは子どもたちにも優しくて誠実な人物っぽく見えたから、昔のアーマドがどんな人だったのかさっぱり分からなかった。物語のかなり後半で「僕がどうしてイランに帰ったか、言おうか?」とアーマドが言って、マリーが「そんなこといまさらどうでもいいわ」って言っちゃって、結局聞けないままだったんだけど、え?いやいやいや、あんたはどうでも良くてもワタクシはめっちゃ気になるんですけどーーーーっ!!!って思いました。なんでやったんやろ?監督がイラン人だから、イランうんぬんの話も出てきてたけど、この物語にイラン社会のことって関係あったんかなぁ。アーマドが帰った理由に何か関係していたのか?
結局リュシーの告白によって、マリーとサミールの関係もぎくしゃくしちゃうんだけどさ、なんかマリーとサミールの初めのツーショットシーンの時から特にラブラブっていう雰囲気はなくって、なんか殺伐とした感じだったから、この事実によって壊れた2人っていう感じが薄かったです。その辺もよく分からんかった。この不倫の2人が壊れようがサミールが奥さんの元へ戻って行こうがどうでもいいけどさー、せめてリュシーには、リュシーが思っている理由で奥さんが自殺したんじゃないってことは伝えてあげて欲しいな。あんな母親やわ、アーマドはイランにまた帰っちゃうわ、罪悪感抱えてるわ、でリュシーが可哀想過ぎるもの。「別離」のときも実は10歳の娘がキーポイントだったりして、監督は家族の中の子どもの意味するものとかっていうことに重要性を感じているのかなと思ったりしました。
なんかどうにも自己中女の話ってとこから離れられなくて、ベレニスベジョがちょっと気の毒な気も。リュシーを演じたポリーヌビュルレがキレイな顔立ちでこれから楽しみです。
Glee Season 5 第7話~第9話の曲リストです。
第7話 Puppet Master
「Into the Groove」 by Madonna
できればレイチェルリアミシェルとサンタナナヤリベラのリードで聴きたかった曲。
「You're My Best Friend」 by Queen
「Nasty / Rhythm Nation」 by Janet Jackson
これは非常にうまくできたマッシュアップ。と言ってもジャネットの曲が似たようなのが多いからかな?
「Cheek to Cheek」 by Fred Astire
「The Fox」 by Ylvis
面白い曲ですねー。色んなキツネの鳴き声が頭を離れません。
この回はブレインダレンクリスがみんなのパペットを作るんですが。超キモいんですけどー!って言ってたサンタナに笑った。あれ、キャストたちは後からもらえたのかなぁ。うらやまし~。
第8話 Previously Unaired Christmas
「Here Comes Santa Claus (Down Santa Claus Lane)」 by Gene Autry
「Rockin' Around the Christmas Tree」 by Brenda Lee
「Mary's Little Boy Child」 by Boney M.
「The Chipmunk Song (Chistmas Don't Be Late)」 by Alvin and the Chipmunks
「Love Child」 by The Supremes
これ大丈夫?って思うようなキリスト教徒の人にとっては罰当たりな感じのパフォーマンスでしたが、ユニークアレックスニューウェルが面白かったです。
「Away in a Manger」 Traditional
第9話 Frenemies
「Whenever I Call You Friend」 by Kenny Logins & Stevie Nicks
「Brave」 by Sara Bareilles
サビのところがケイティペリーの「Roar」に似てる気がします。
「My Lovin' (You're Never Gonna Get It)」 by En Vogue
懐かしいなぁ。アーティケヴィンマクヘイルの声がとても合っています。
「Don't Rain on My Parade」 by the Cast of "Funny Girl"
サンタナが歌っちゃいましたねー。ナヤとしてはリアと同じ曲で張り合わないといけないのって辛くなかったかなぁ。もちろん、ナヤも歌唱力はありますが、リアはずば抜けてるからなぁ。
「I Believe in a Thing Called Love」 by The Darkness
「Every Breath You Take」 by The Police
ストーカーの歌とよく言われるこの曲ですが、非常にうまい使い方がされてましたね。フレネミーのラヴ&ヘイト的な雰囲気になぜかぴったりでした。
「Breakaway」 by Kelly Clarkson
レイチェルとサンタナ、どうなっちゃうんでしょー?来週にはあっけらかんと仲直りかな?
普段完全な恋愛映画というのはそんなに見ないほうなのですが、これは大好きなケイトウィンスレット主演ということで見に行くつもりにしていたら、何かで応募したらムビチケが当たったので超ラッキーでした。
9月初め新学期が始まる直前の週末、シングルマザーのアデル(ウィンスレット)と13歳の一人息子ヘンリーガトリングリフィスがスーパーで買い物をしていると、お腹から血を流した男・フランクジョッシュブローリンがヘンリーに俺を車に乗せて家まで行けと脅して来る。ヘンリーを守りたい一心でアデルはフランクを車に乗せ自宅へと連れて行く。ニュースでは盲腸の手術直後に窓から飛び降りて脱走した男のことを報じていた。男は殺人の罪で服役中の重罪犯だと言う。
フランクは脱獄は本当だが、自分が犯した罪はテレビが言うような酷いものではないと言い、親子には危害は加えないから明日電車に乗って遠くの町へ行くまで今晩一晩だけ泊めてくれと言う。そして、自分をかくまったことがバレたとき罪に問われないようにアデルをイスに縛り、フランクは料理を始めた。イスにしばりつけたアデルの口にスプーンで料理を運ぶフランク。
出て行く約束の次の朝になったが祝日で電車が通らない。フランクは親子に朝ごはんを作り、男手がなくほったらかしだった家や車の修理を始めた。
ヘンリーの父親と離婚する前から情緒不安定気味だった母のアデル。ヘンリーはその分しっかりしなくては、とアデルの夫の役割も果たそうとしてきたが、やはり13歳の少年にはそれはまだ重荷だった。そんなところへやってきた頼りがいのあるフランク。家の修理だけでなく、タイヤの交換に仕方や野球の仕方も教えてくれた。
しかも、このフランク、そういう男らしい側面だけではなくて料理が上手。最初に作ってくれた昼ご飯も朝ご飯も絶品で、近所の人がくれた大量のモモを使ってピーチパイの作り方までこの親子に伝授。ずっと一人で不安を隠しながらヘンリーを育ててきたアデルが魅かれるのも当然である。このピーチパイのシーンがめちゃくちゃベタなんだけど、アデルとフランクの2人っきりではなくてそこにヘンリーもいるから、ちょっと変則的なベタになっていていいですね。アデルとフランクが魅かれて行くのは必然で、そんなにじっくりは描かれないのですが、仕方ないのよ、だってフランク脱獄犯だから、なんせ時間がないのですよ。
この13歳の少年ヘンリーが、自分も性の目覚めを感じつつ、母が女としてもう一度開花するのを目の当たりにしていくという、ちょっぴり複雑な気持ちになる設定なのですが、それを開花させるのがフランクというヘンリーも憧れを抱く男性だったのでうまくいったんでしょうね。そうでなければ、同級生のおませな女子に焚き付けられたヘンリーが警察にちくったりしちゃうところだったんだろうけど、そうはならないのを説得力を持って描くためにはやはりフランクの魅力を存分に見せる必要がありました。そして、それは大成功していたと思います。正直、ジョッシュブローリンがあんなにかっこよく見える日が来ようとは予想だにしていませんでしたよ。だいたい刑事かワル役が多い彼。ここまでロマンティックな役は最初で最後ではないでしょうか?と言ったらファンの人に怒られるかな。
こういう繊細でちょっと小ダサイおばさんを演じさせたらこの世代でケイトウィンスレットの右に出る者はいません。それでいて、色気もある部分も演じなければいけませんから難しい役だと思いますが、やはりそこは彼女の得意とする分野と言っていいでしょう。彼女にはいまのまま自然に年を取って行ってほしいと思います。
アデルとフランクはヘンリーを連れてカナダに逃げようと決意します。しかし、近所の人にフランクのことを通報され・・・
ここでの展開の可能性は2つ。蜂の巣になるか捕まるか。ですよね。よくある映画の展開では蜂の巣パターンだと思うのですよ。でもこのお話はそうじゃない。そうじゃないところがすごく良かったなぁ。やっぱりアデルとフランクには幸せになってほしかったから。
フランクと過ごしたたった5日間。これがアデルとヘンリーの人生を変えました。アデルはもちろんなんですが、ヘンリーの人生を大きく変えたというところがとても良かったと思います。その後のヘンリーの人生を流しているシーンではなんだか涙が止まりませんでした。
最後、アデルはもう死んじゃってるとかそういうのなのかなぁと思ってドキドキしながら見ていたら、ちゃんとハッピーエンドだったから良かったー。ロマンチックな作品がお好きな方にはオススメです。