シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

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感染列島

2008-12-19 | シネマ か行

まず、エボラ出血熱のようなウィルス「BLAME」に感染してもキレイな女優さんは血を吐かないんですね。

そして、外国で伝染病の治療をしていたお医者さんがそれを分かっていて、黙って日本に来て黙って帰っていくなんてバカ過ぎます。

それから、いくら国連に加盟していない国だからって、民間人二人しかそこに乗り込まないなんて日本政府はなにをしているのでしょうか?彼らも日本政府に通達する義務があったと思うんですが…

あと、、、

ってもう突っ込みはこれくらいにしときましょうかね。
いや、まだまだ突っ込みたいところはたっくさんありますね…国中が感染してるんやからちゃんとマスクして歩こうやーとか、感染源の島やねんから最初からマスクとゴーグルしとこーやーとか、病院に患者を連れてきた人も感染者と接触してるんやから検査しようやーとか、医者が簡単に持ち場離れて200キロも離れた場所へ勝手に行くのんやめよーやー、ほんでそこでガス欠かいっ!とか、病院がWHOに抵抗しすぎじゃない?とかもろもろもろもろありますが!

でもでも、この作品キライじゃないです。
もう一回見たいなぁとかそういうタイプの作品ではないけど、純粋に映画としてエンターテイメントとしてはまーOKじゃないでしょうか?パニックものとしてはこれでいいんじゃないかと。

妻武木聡檀れいの恋愛物語は別にどうでもいいとして、(雨の中抱きあうとか無駄なシーンが多い)感染源だと疑われる養鶏場の娘さん神倉茜夏緒とボーイフレンド本橋研一太賀(なんや、いまどきの中学生タレントは名字がないのか?)の中学生の淡い恋と、看護師三田多佳子国仲涼子とその夫田中裕二とその娘のエピソードには涙させられた。二人の恋愛のことはどうでもいいと書いたけど、元ボーイフレンドのブッキーと再会して、檀れいが患者や仲間の気持ちが分かる医者へと変わっていく姿にも感動したし、一人でも多くの患者を助けるためにときには苦渋の選択をしなければならない医者という立場もよく描かれていたと思う。

以前にも何かの作品で書いたけど、こういうディザスターもの(パンデミックもディザスターものに入れていいのかな?)に登場する群衆ってどうしてあんなにバカばっかなんでしょう?実際大きな災害やパンデミックが起こったとき、群衆ってあんなふうになるのかなー?もちろん、いろんなところで小競り合いはあると思うけど、略奪とか自衛隊の制止を振り切って車で突っ切るとかするかなー?ワタクシがのんきなだけか?でもそういう人がいると、災害系よりもパンデミックのときのほうがよっぽど怖いよね。自分がウィルスを保有してるかもしれないのに、勝手に田舎に避難とかされたら、そっからまた拡がるかもとか考えないのかなー?まー自分勝手な人はそんなこと考えないんでしょうね…そういうときってウソばっかりのウワサがまことしやかに流れたりもするし、そういうのを信じて盲目的に動いちゃうんだろうね。誰もが自分だけは助かりたいんだし、その心理は分からなくはないけど。

ブッキーってもう28歳なんだけど、なんかいつまで経っても中学生みたいな顔してて、どうも彼のラブシーンってなんか引いちゃうんですよね、ワタクシ。今回は檀れいが年上の設定だったからまだ大丈夫だったかな。

檀れいはあんまり好きな女優さんじゃないし、金麦のCMもすごく鼻につくから、この人が主演ってどーよって思ってたけど、今回の作品では悪くなかったな。てきぱきと動く役だったからそれが良かったのかもしれない。

国仲涼子ちゃんはあいかわらず可愛くて、爆笑の田中が夫っていうのがちょっと笑けたけど、看護師さんの中で国仲涼子ちゃんだけが名前の通った女優さんだったから、最初から「あーこの人死ぬな」っていうのが分かっちゃったのがちょっと残念だった。

最後に檀れい演じる医師が「たとえ明日地球が滅ぶとも、今日君はりんごの木を植える」という言葉を言う。これは彼女の病死した弟が好きだった言葉という設定だった。実際はゲオルギュという人が残した「たとえ世界の終末が明日であろうとも、私は、今日、リンゴの木を植える」という言葉らしいが、そこには人間は成すべきことを成すべきだという自分の務めを果たすことの大切さが書かれているのか、それともそのような状況であっても希望を見出すということが書かれているのか、どちらの解釈もできると思うが、どちらの解釈をするにしても素晴らしい言葉であることには違いない。こういう系のパニックムービーには、怖いもの見たさという人間の心理をうまく利用した商業的価値が大きいと思うが、そういう作品の中にもヒューマニズムを垣間見ることができる。

オマケ試写会でこの映画の宣伝を感染列島だけに口コミで感染させていこう、みたいな呼びかけがあったが、感染していくのが殺人ウィルスだけにあまりいい気はしなかったね。

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ヤング@ハート

2008-12-17 | シネマ や行
アメリカのマサチューセッツに実在する平均年齢80歳のコーラスグループ「ヤング@ハート」を追ったドキュメンタリー。

最近のドキュメンタリーのレビューでずっと書いてきたけど、このところ黙って映像だけを見せられたり、ほぼインタビューオンリーで形成されているドキュメンタリーが多かっただけに、今回のスティーブンウォーカー監督のこの作品は、まるでテレビを見ているかのような説明のナレーションがきっちり入っていたので、とても見やすい作品だった。

平均年齢80歳のコーラスグループ。これだけでも十分驚きなんだけど、彼らが歌うのはロックとかポップス。ときにはパンクロック系のものまである。このコーラスグループのディレクターのボブシルマンはおじいちゃん、おばあちゃんたちにソニックユースの「スキッツォフレニア」とかコールドプレイ、クラッシュの「Should I Stay or Should I Go?」なんかを歌わせたりする。中には「can」という単語が71回も出てきて老人たちを悩ませる「We Can Can」なんかもあったりする。ディレクターのボブはおじいちゃん、おばあちゃんが相手だからと言って容赦はしない。できない曲は舞台の発表曲から外すし、指名した人がそのパートをできない場合もやめたりする。それが、逆にボブの彼らに対するリスペクトを感じたな。老人だからという理由でコーラスに妥協を許さないプロ意識的なものがお互いに存在していて、双方がリスペクトしあっている感じがいいな。ボブは厳しいし、変な曲ばかり持ってくるけど、みんなボブのことが大好きだ。ボブも歌に関しては厳しいけど、一人一人の体調のことなども常に気に掛けている。

彼らは、とにかくこのコーラスグループがとても好きだ。個人の好みはクラッシックやミュージカルソングなどなのに、みんなで歌うロックがとても好きなのだ。もちろん、彼らは常に体調がいいわけではない。それでもできる限りコーラスの練習には参加してくる。何度か入院しても体調が良くなればすぐに帰って来る。それほどまでにこのコーラスが大好きなのだ。実際、見ていると彼らのバイタリティーには驚かされる。これはアメリカ社会と日本社会の違いももちろんあるけど、自分で車を運転して来る人もとても多い。その運転が若者並みにスピード狂だったりして、ちょっとヒヤヒヤしてしまったけど。そうかと思えばCDをかけるときにプレイヤーにどっちの面を上にしたらいいか分かんなかったりと、ほのぼのするシーンもある。

メンバーが高齢なだけに、ときには悲しいニュースが飛び込んでくることもある。それでも、彼らは歌うのをやめない。コンサートの日にメンバーの一人が亡くなったことを聞いても必ずコンサートはやる。もちろん、悲しいに決まっている。でも、その亡くなったメンバーのためにも、彼らは歌う。なぜなら、自分が亡くなったときにも必ずみんなに歌っていてほしいからだ。自分はいなくなっても、仲間を見守り続ける。だから、自分たちもいま歌うんだという彼らの姿に涙せずにいられなかった。

この作品を見た人は、自分が年をとったとき、彼らのように生き生きしていられるだろうか?と自問自答せずにはいられないだろう。体がいうことを利かないこともあるだろう。でも彼らの一人が言っていたように、関節の痛みも背中の痛みも忘れられるくらい夢中になるものを自分が持つことができるだろうか?

この映画には「人が老いてもなお生き生きとして生きる姿」がどれだけ感動的なものであるかを教えてくれる。ありきたりだけど、生きがいがあるということ。それだけで人生がどんなに輝いたものになるかということ。大それた夢なんかなくてもいい。見た夢が全部叶わなかったとしても、それもいい。ただ、人がその日その日に夢を持って生きられたら(それはこの曲をマスターするといったような小さな夢や目標でいい)こんなに素晴らしいことはないのだということをこの作品は教えてくれる。
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トロピックサンダー/史上最低の作戦

2008-12-16 | シネマ た行
正直、ベンスティーラージャックブラックロバートダウニーJr.も全員好きとは言えちょっと飽き気味だったので、この作品も見ようか見まいか迷ったんですが、一応アメリカではそこそこ客が入ったみたいだし、見てもいいかなーと行って来ました。

結果は、、、うーん、残念。ですね。

ロバートダウニーJr.はコメディ俳優というわけではないし、今回かなり頑張ってたんで、もう麻薬からもクリーンになってこれからも頑張ってほしいなぁというところですが、ベンスティーラーとジャックブラックはまだ再評価ってワケにはいかなかった。特にベンスティーラーの超アメリカンは笑いは正直ついていけないやね。いや、おもしろいところももちろんあったけどね、それは主役の彼らじゃなくて脇役が面白かったわけで…あ、でも「アルパ・チーノ」は笑った。ジャックブラックはなんでこの映画に出ちゃったんだろう?ベンは監督としてジャックの良さをまーーーーったく表現できてなかった。ジャックがやったおもしろいことは全部編集で落とされちゃったんじゃないの?っていうくらいつまんなかった。

この映画の面白いところはズバリ脇役です。(これ言っちゃうとすごいネタバレなんだけど)マシューマコノヒーニックノルティトムクルーズ!がそんな役で出ちゃうの?って感じだし、それぞれにかなり笑いのウェイトを占めていて主役3人の存在感まったくナシって感じなんだよねー。特にトム様はすごいよー。あんなハリウッドの大物、ほんとにいそうだし。変なダンス踊っちゃうし。なんか悪ノリ?完全にこの映画を独り占めしちゃった感あるもんなー。結局トム様の変装とダンスしか頭に残らなかったみないなね。でも、せめてこれがあって良かったな。これがなかったら、本当の本当にどこで笑えばいいワケ?ってなってたし。あとはジェイバルチルくんがなかなか良かったなぁ。これからも脇役で結構いい評価を受けそうな若手です。(「ミリオンダラーベイビー」でもやしっ子のボクサーを演じてた子なんですね)

でも、アメリカのヤホーを見ると評価は「B」なんですよね。やっぱアメリカではそんなに最悪だと思われたわけじゃないんだな。ベンの超アメリカンジョークはやっぱりアメリカ人にしか分かんないんすかね。
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WALL・E/ウォーリー

2008-12-10 | シネマ あ行
ここんとこ、ピクサーの作品はそんなに魅力を感じなかったんだけど、このウォーリーは初めて見たときからなぜかビビッととっても魅かれてしまって、絶対に映画館で見ようと思っていた作品だった。そして、ワタクシのそのビビビは大正解だった。

この作品、なにがすごいってセリフのほとんどが「ウォ~リ~」「イ~ヴァ」だけなんだよね。旧式ロボットのウォーリーは、ほとんど話すことができないし、新型ロボットのイヴだって、たいしたヴォキャブラリーは持っていない。もちろん、他にも人間もロボットも登場するし、いろいろセリフはあるけれど、8割くらいは主役であるこの2人(?)のロボットがお話を引っ張っていくからセリフの数はかなり少ない。それでいて、ほとんど目の動きと体全体の雰囲気だけなのにウォーリーもイヴもめちゃくちゃ表情豊かで、2人の感情が完全に観客に理解されるようになっているのだから素晴らしい。ウォーリーは21世紀のバスターキートンだっって見てる最中に思いました。

この目と体の動きだけで感情を表すウォーリーがめっちゃくちゃかわいい。そして、予告編で見ていたときは冷たい新型ロボットかと思えたイヴもめっちゃイイ子でかわいいの。ここで、ワタクシのお気に入りのシーンを挙げているとかなりキリがなくなっちゃうなぁ。つまりキリがなくなるほどいっぱいいっぱいかわいいシーンがあるということです。特にお気に入りのシーンはウォーリーがゴミの中から宝物を集めていたり、それをおうちに持って帰って棚に整理してるところ。あと、イヴがなぜか動かなくなっちゃって、ウォーリーが必死で看病(?)するところかな。ウォーリーはソーラーパワーで動くからイヴのことも一生懸命日光浴に連れて行ってあげたり、雨から守ったり健気なウォーリーがすごくかわいかった。こんなに無機質でフラッフィーじゃない主人公にここまで感情移入させるなんて、ほんとにピクサーって偉大。

物語は単純なもんですが、未来の地球がゴミだらけになって、ゴミ掃除ロボットを残して宇宙空間へ逃げるとか、それをすべて大企業が牛耳っていて、消費者を洗脳しているところとか、現代社会への警鐘とか皮肉っていうふうにも受け取れる。その未来の人間たちはみな歩くことがなくなっているからぶくぶく太って手足は赤ちゃんのようで発達していない。そして、その人間が地球に戻ろうと一念発起するところなんかは結構おもしろかったですね。「2001年宇宙の旅」のハルのパロディみたいなロボットもいて、大人でも十分楽しめるお話にできています。

ウォーリーもイヴもどちらもかわいくて愛おしいのですが、ワタクシはなんと言っても断然ウォーリー派ですね。一緒に見に行ったにゃおはイヴ派みたいです。みなさんはどちら派ですか?
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この自由な世界で

2008-12-09 | シネマ か行
「この自由な世界で」原題も「It's a Free World」

“自由”ってなんだろう?

それを鋭く問いかける社会派ケンローチ監督作品。

シングルマザーのアンジーカーストンウェアリングは、息子を養うために働いているがもうすでに30もの職を転々としている。これがすでにイギリスの雇用者の厳しい現状を物語っている。今回は移民労働者の職業紹介をしている会社でセクハラを受け辞めてしまう。そして、その会社での経験を生かし、女友達ローズジュリエットエリスとともに自分たちで職業紹介をする会社を立ち上げる。

女性二人で始めた新しい会社。やめとけと止める人もいたが、アンジーはこの男社会でどうやったら受け入れられるか知っていた。つまり、お色気作戦。お色気作戦と言ってもそんなヘヴィーなもんではない。女の色香をほんの少しだけ漂わせることで、男の無意識に働きかけ、どんどん仕事を取っていく。

息子のためにお金をいっぱい儲けたい。そんなアンジーは両親に息子を預けっぱなしで飲みにも行くし、男をひっかけたりもする、決して模範的な母親とは言えないが、それでもお金を儲けたいのはやはり息子のため。このアンジーという女性が模範的な母親でもなく、良い人でも悪い人でもないところが社会派ケンローチらしいという感じがした。ただ、ワタクシは残念ながらそこの部分がちょっと感情移入しにくかったんですよね。善良な市民が一線を越えるって感じじゃなかったからかなー。アンジーだって十分善良な市民といえるとは思うんですけどね。しかも、この映画に登場する主人公のほうがずっとリアルなんやとは思うんですけどね。

いわゆる普通の人間がいわゆる“自由な”世界で生き抜いていこうとする。それだけのハズがうまくはいかない。現代の資本主義社会の中で、“自由に”やっていこうとすると必ず誰かの生活を犠牲にすることになる。アンジーは言う。「It's a free world!」そう。この世界はそれさえも“自由”なのだ。

ケンローチはこんなふうになってしまった社会をアンジーを通して見せるとともに、アンジーとは反対の選択をしたローズの姿を見せることによって、“個人の選択の自由”というものも見せ付けている気がした。ローズだってもちろん、移民労働者たちの家賃を搾取したりしていたわけだから、完全に善良とは言えないけど、こちらのほうはまだ善良な市民が一線を越えたって感じはしたな。

彼女たちが斡旋した移民労働者たちには選択の自由などなかったが、彼女たちにはいくつかの選択肢が目の前にあった。そのとき、一個人がどのような選択をするか。社会を告発するだけではなく、個人の良心にも問いかける作品である。
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