擬似ドキュメンタリーってなんとも感想を書きにくいんだけど、まず、純粋にこの映画に出てきた人物たちを見ての感想を書くと、このレイプ事件が突発的に現場で発生したものではなくて、計画があって実行されたというところにかなりの違和感を覚えた。計画した奴らフレークパトリックキャロルとBBダニエルスチュワートシャーマンは脳みそがどっか欠落していて、いかにも“そういう奴ら”って感じで、そして、その計画を聞いたサラサールがまったく迷うこともなくその映像を撮るために同行すると言ったのも狂気の沙汰ではあるけれども、映像作家を目指すものとしてはそういう歪んだ好奇心みたいなものがあるのかもしれないと思えるのだが、その計画を聞いたマッコイロブデヴァニーとゲイブケルオニールが「なんてことを言い出すんだ!」とかなんとか言いながら、上官にチクることもなく、ゲイブは基地で震えていただけでマッコイに至ってはのこのこ現地まで着いて行って、その場でフレークに銃を向けられたからと言っておずおずとその被害者宅から出て行くというのが、ものすごく納得がいかなかった。ゲイブもマッコイも少なからずとも、上官を爆弾で吹っ飛ばされた憎しみの感情でフレークとBBの暴走を本気で止める気はなかったんじゃないとさえ思える。
そして、サラサールは報復と称して拉致され殺害される。これはメディアに対するブライアンデパルマ監督の皮肉なのか?マッコイは結局良心の痛みに耐えられず告発することになるが、実際のレイプ場面を目撃したわけではないマッコイに軍の当たりは厳しい。この辺りは、今しがた事件を目にした観客には腹立たしく映るが、実際に事件の立証となれば、マッコイがあんなふうに攻められるのはいた仕方ないことなのかもしれない。
帰国したマッコイに戦争体験を話してくれとせがむアメリカ人たち。そして、このレイプ事件のことを聞いたその後に「WAR HERO(戦争の英雄)の生還に乾杯」と言えてしまうアメリカ人の精神構造には心底胸くそが悪くなったが、なんだかもう脱力というか完敗した気分だった。
ブライアンデパルマと言えばベトナム戦争での集団レイプ殺人を描いた「カジュアリティーズ」があるが、実際のところこの「リダクテッド」も手法はまったく違うが、ほぼ同じことを描いていると言えるだろう。結局何年経ってもアメリカのやっていることは何も変わっていない。そして、この映画に多くのアメリカ人が拒否反応を示したというのも、彼らが何も変わっていないことを示しているような気がする。我らがWAR HEROに対して、こんなことするなんて失礼!ってワケですかね。この作品自体はフィクションでも、この事件そのものは本当にあったんだけどねー。この事件やアブグレイブやグァンタナモは“例外”だと?沖縄で頻発するレイプ事件は“例外”だと?(あ、沖縄でアメリカ兵が少女をレイプしていることなんてアメリカ人は知らないでしょうね)どんだけ例外と思えば気が済むねん!って感じです。
もちろん、テロを容認するつもりは毛頭ないけれど、イラクのテロ組織を倒して、イラクを民主化して“あげよう”という“崇高な”精神をお持ちのアメリカ。もういい加減にしてくれないだろうか?「大いなる陰謀」のところでも書いたが、「テロとの戦争に勝ちたいか?Yes or No?」という質問を世界に投げかけることそのものをもうやめないといけないんじゃないかと思うのだけれど。期待の星オバマ次期大統領もイラクからは兵を減らすが、アフガニスタンは増兵すると言ってるし。中東に居座り続けることで憎悪が憎悪を呼んでいるのなら、ワタクシなんかはもういっそのことせーので一回全員アメリカに帰ったら?って思うけど。
映画から話が逸れてしまいました。デパルマは挑戦的で挑発的なテーマを扱うことが多く、ある意味で偉大な監督だとは思いますが、残念ながら良い映画ばかり作っているとは言えない監督です。この作品も彼独特の雑さがあって、映画的にはイマイチと言えるところもあるのですが、映画ファンとしてはそういう雑さも含めてデパルマらしいなぁと思ってしまう作品でした。