電脳筆写『 心超臨界 』

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不都合な真実 《 田中の「ご迷惑スピーチ」を利用した周恩来——藤岡信勝 》

2024-06-22 | 05-真相・背景・経緯
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田中は挨拶(あいさつ)の中でこう述べた。「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどってまいりました。この間、わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」。この「ご迷惑」(中国語訳は「添了麻煩」)という言葉に周恩来は凍り付いた。翌日の会議でも周はこの問題を持ち出し、田中を批判し、怒りを露(あら)わにした。


◆田中の「ご迷惑スピーチ」を利用した周恩来(しゅうおんらい)

『条約で読む日本の近現代史』
( 藤岡信勝[編著]、祥伝社 (2014/8/2)、p302 )

〈 日中共同声明をめぐるエピソード 〉

1972年9月25日、北京を訪れた田中角栄総理一行は、その日の夕、人民大会堂で開かれた周恩来主宰の晩餐会(ばんさんかい)に臨(のぞ)んだ。田中は挨拶(あいさつ)の中でこう述べた。

「過去数十年にわたって日中関係は遺憾ながら不幸な経過をたどってまいりました。この間、わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」

この「ご迷惑」(中国語訳は「添了麻煩」)という言葉に周恩来は凍り付いた。翌日の会議でも周はこの問題を持ち出し、田中を批判し、怒りを露(あら)わにした。「ご迷惑」という表現は、中国語では女性のスカートにコーヒーをちょっとこぼしてしまったような程度の被害について言う言葉だそうである。

しかし、奇妙なことがある。田中のスピーチの翻訳はあらかじめ中国に渡されており中国側がタイプして会場に配布していた(服部龍二、『日中国交正常化』)。田中は、日本ではこれが心からの謝罪を表現する言葉であると弁明し、撤回しなかった。いやしくも相手国のトップは、田中の無礼を一喝(いっかつ)することで、道徳的に相手を劣位に立たせ、交渉を自己のペースで有利に進めるために一芝居打ったのかもしれない。

周恩来は田中に「言必信(げんかならずしん) 行必果(ぎょうかならずか)」(その言葉は必ず真実であり、やるべき事はやり遂げる)という色紙を贈った。田中は素直に喜んだが、出典である『論語』(子路二十)には、その先に「硜硜然小人哉(こうこうぜんとしてしょうじんなるかな)」(もしそれだけの人だとしたら、人間として小さい)という言葉が続いており、田中は大いに侮辱されたのである。周恩来はどこまでいっても食えない人物だった。
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