§5-3 戦後の言論界を牛耳った「進歩的文化人」という名の敗戦利得者たち
◆「進歩的文化人」という名の国賊《 安江良介——金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人 》
安江良介が最も尊敬していた、と言うよりも尊敬以上に私淑し、崇拝していたのが金日成でありました。昭和51年3月、平壌(ピョンヤン)で金日成に会った時、もちろん安江良介は「金日成主席」と呼びます。安江良介は大韓民国をけっして韓国と呼ばず、金日成による敵対侮蔑(ぶべつ)語の口真似をして「南朝鮮当局者」と言うのですが、その「南朝鮮当局者」に対する金日成の論難をうやうやしく承(うけたま)わって、心から「感動」します。
『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p155 )
進歩的文化人の差配人・安江良介(やすえりょうすけ)への告発状
第6章 金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人
安江良介
昭和10年生まれ。金沢大卒。東京都知事特別秘書、『世界』編集
長を経て、現・岩波書店社長。大赤字の美濃部都政の黒幕。
北朝鮮は第18富士山丸の船員2人を捕えて帰国を許しませんでし
た。これはまったくの言い掛かりによる不当な抑留であったこと言
うまでもありません。そのとき安江良介は北朝鮮の非人道的な無法
については一切の批判を避けました。そして二人が故国に帰れない
本当の原因は日本の側にあると言い立てます。すなわち日本政府が
本当に解決しようと努力しないからである、というわけです。つま
り北朝鮮の言いなりになれ、という意味ですね。安江良介は金日成
を崇拝し、心情的には金日成の代理人(エージェント)でした。
■金日成の暴言に感動する第四代岩波書店社長
安江良介、といっても、必ずしも一般によく知られていないようなので、まずは、彼がみずから経歴を語った一節を、その著書『孤立する日本 多層危機のなかで』(昭和63年4月25日・影書房)から引用して紹介に代えましょう。
私は1958年に岩波書店に入社し『世界』編集長に配属された。
ちょうど30年前になる。緑川亨(みどりかわとおる)・岩波書店社
長は、そのときの『世界』編集部の先輩であり、『世界』編集長に
なられたときも、私はその編集部員であった。
(344頁)
ちかごろは日本社会のどこでも敬語を用いる風習が薄れ、殊に言論(ジャーナリズム)の世界では誰方(どなた)かが「編集長になられた」というふうに改まった表現を聞くことがなくなったようですが、そのざっくばらんに流れた風潮の中にあって、安江良介の小腰をかがめた敬虔な姿勢はとくに印象的です。ちなみに安江良介は平成2年に至って、岩波茂雄、岩波雄二郎、緑川亨につぐ、第四代岩波書店社長に就任しました。その間には外部へ出向した経歴があります。
私は、十数年前になりますが、はじめて革新都政ができた時、たま
たま3年半、東京都の政策その他を担当したことがあります。従っ
て、口はばったいことは言えませんが少しは政治の何たるかを知っ
ているつもりであります。
(78頁)
したがって、安江良介は金沢大学の法文学部出身という文化系の学識だけでなく、また編集者としての日本ジャーナリスト会議奨励賞を受けた輝かしい経歴だけではなく、加えて、東京都の特別職秘書を務めたゆえ「政治の何たるかを知っている」と自認する、隅におけぬ異能の逸材であるわけです。その安江良介が最も尊敬していた、と言うよりも尊敬以上に私淑し、崇拝していたのが金日成でありました。昭和51年3月、平壌(ピョンヤン)で金日成に会った時、もちろん安江良介は「金日成主席」と呼びますが、その金日成を描く筆致は次のごとくです。安江良介は大韓民国をけっして韓国と呼ばず、金日成による敵対侮蔑(ぶべつ)語の口真似をして「南朝鮮当局者」と言うのですが、その「南朝鮮当局者」に対する金日成の論難をうやうやしく承(うけたま)わって、心から「感動」します。
自分たちに反対する者には誰にでも共産主義者というレッテルをは
って手当り次第に投獄し、残酷に虐殺している。(中略)――指を
一つ一つ折るようにその弾圧を数えたて、「このように愛国的人士
と青年学生を苛酷に弾圧しているのに、どうして彼らとひざをまじ
えて話ができますか」「彼らには民族も人間も眼中にない。論理も
ない」と語った時には、主席の語調はきびしく顔は紅潮していまし
た。そして、「こんな連中と、なおもあなたは話をしなければなら
ないというのですか?」と私に迫るように語りかけられた時、私は、
金大中氏をはじめ、南で抑圧の下にある私の知人の顔を胸中に思い
描きながら、ある感動を覚えました。
(173頁~174頁)
まるで教祖のご託宣(たくせん)を聴聞(ちょうもん)するように「語りかけられた」金日成を仰ぎ見る拳々服膺(けんけんふくよう)の姿勢は珍奇としか言いようがありません。この二人が、ともに「南」と蔑称する韓国で沢山の人びとがかたっぱしから「残酷に虐殺」されたという証拠を知りたいものです。そもそも「自分たちに反対する者」を「手当たり次第に投獄」してきたのは金日成自身ではありませんか。盗人猛々(たけだけ)しいなどと評しては甘すぎるくらいでしょう。その言いたい放題の暴言に「感動」する安江良介には、実証精神のひとかけらもありません。
◆「進歩的文化人」という名の国賊《 安江良介——金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人 》
安江良介が最も尊敬していた、と言うよりも尊敬以上に私淑し、崇拝していたのが金日成でありました。昭和51年3月、平壌(ピョンヤン)で金日成に会った時、もちろん安江良介は「金日成主席」と呼びます。安江良介は大韓民国をけっして韓国と呼ばず、金日成による敵対侮蔑(ぶべつ)語の口真似をして「南朝鮮当局者」と言うのですが、その「南朝鮮当局者」に対する金日成の論難をうやうやしく承(うけたま)わって、心から「感動」します。
『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p155 )
進歩的文化人の差配人・安江良介(やすえりょうすけ)への告発状
第6章 金日成に無条件降伏の似非(えせ)出版人
安江良介
昭和10年生まれ。金沢大卒。東京都知事特別秘書、『世界』編集
長を経て、現・岩波書店社長。大赤字の美濃部都政の黒幕。
北朝鮮は第18富士山丸の船員2人を捕えて帰国を許しませんでし
た。これはまったくの言い掛かりによる不当な抑留であったこと言
うまでもありません。そのとき安江良介は北朝鮮の非人道的な無法
については一切の批判を避けました。そして二人が故国に帰れない
本当の原因は日本の側にあると言い立てます。すなわち日本政府が
本当に解決しようと努力しないからである、というわけです。つま
り北朝鮮の言いなりになれ、という意味ですね。安江良介は金日成
を崇拝し、心情的には金日成の代理人(エージェント)でした。
■金日成の暴言に感動する第四代岩波書店社長
安江良介、といっても、必ずしも一般によく知られていないようなので、まずは、彼がみずから経歴を語った一節を、その著書『孤立する日本 多層危機のなかで』(昭和63年4月25日・影書房)から引用して紹介に代えましょう。
私は1958年に岩波書店に入社し『世界』編集長に配属された。
ちょうど30年前になる。緑川亨(みどりかわとおる)・岩波書店社
長は、そのときの『世界』編集部の先輩であり、『世界』編集長に
なられたときも、私はその編集部員であった。
(344頁)
ちかごろは日本社会のどこでも敬語を用いる風習が薄れ、殊に言論(ジャーナリズム)の世界では誰方(どなた)かが「編集長になられた」というふうに改まった表現を聞くことがなくなったようですが、そのざっくばらんに流れた風潮の中にあって、安江良介の小腰をかがめた敬虔な姿勢はとくに印象的です。ちなみに安江良介は平成2年に至って、岩波茂雄、岩波雄二郎、緑川亨につぐ、第四代岩波書店社長に就任しました。その間には外部へ出向した経歴があります。
私は、十数年前になりますが、はじめて革新都政ができた時、たま
たま3年半、東京都の政策その他を担当したことがあります。従っ
て、口はばったいことは言えませんが少しは政治の何たるかを知っ
ているつもりであります。
(78頁)
したがって、安江良介は金沢大学の法文学部出身という文化系の学識だけでなく、また編集者としての日本ジャーナリスト会議奨励賞を受けた輝かしい経歴だけではなく、加えて、東京都の特別職秘書を務めたゆえ「政治の何たるかを知っている」と自認する、隅におけぬ異能の逸材であるわけです。その安江良介が最も尊敬していた、と言うよりも尊敬以上に私淑し、崇拝していたのが金日成でありました。昭和51年3月、平壌(ピョンヤン)で金日成に会った時、もちろん安江良介は「金日成主席」と呼びますが、その金日成を描く筆致は次のごとくです。安江良介は大韓民国をけっして韓国と呼ばず、金日成による敵対侮蔑(ぶべつ)語の口真似をして「南朝鮮当局者」と言うのですが、その「南朝鮮当局者」に対する金日成の論難をうやうやしく承(うけたま)わって、心から「感動」します。
自分たちに反対する者には誰にでも共産主義者というレッテルをは
って手当り次第に投獄し、残酷に虐殺している。(中略)――指を
一つ一つ折るようにその弾圧を数えたて、「このように愛国的人士
と青年学生を苛酷に弾圧しているのに、どうして彼らとひざをまじ
えて話ができますか」「彼らには民族も人間も眼中にない。論理も
ない」と語った時には、主席の語調はきびしく顔は紅潮していまし
た。そして、「こんな連中と、なおもあなたは話をしなければなら
ないというのですか?」と私に迫るように語りかけられた時、私は、
金大中氏をはじめ、南で抑圧の下にある私の知人の顔を胸中に思い
描きながら、ある感動を覚えました。
(173頁~174頁)
まるで教祖のご託宣(たくせん)を聴聞(ちょうもん)するように「語りかけられた」金日成を仰ぎ見る拳々服膺(けんけんふくよう)の姿勢は珍奇としか言いようがありません。この二人が、ともに「南」と蔑称する韓国で沢山の人びとがかたっぱしから「残酷に虐殺」されたという証拠を知りたいものです。そもそも「自分たちに反対する者」を「手当たり次第に投獄」してきたのは金日成自身ではありませんか。盗人猛々(たけだけ)しいなどと評しては甘すぎるくらいでしょう。その言いたい放題の暴言に「感動」する安江良介には、実証精神のひとかけらもありません。