電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆娘の忘れ物
日本経済新聞社賞「娘の忘れ物」――長谷川昌司・47歳(会社員)大阪府
( かおり風景第23回「香・大賞」入賞作品 08.11.14日経新聞(朝刊))
大阪への単身赴任が、2年過ぎた。いつも夜10時頃、一人寂しくマンションに帰っていた。
8月上旬の夏休み。週末の3日間、横浜から小学5年の娘が遊びに来た。4ヶ月ぶりの再会だった。
寂しい部屋に笑い声が響き、急に明るくなった。夜遅くまで、学校のこと、友達のこと、そして家族のことなどを話し合った。二人でこんなに多くの時間を過ごしたのは、初めてだった。
夜中、そっと隣の部屋のドアを開け、娘の寝顔を眺めた。指先で頬を少し撫でてみた。
「大きくなったなー」
「よく来てくれたなー」
と呟いた。自然と涙が溢れてきた。横浜では帰宅は遅く、朝も早かった。すれ違いの生活だった。休日、顔を見合わしても会話も無かった。父親として失格だった。
三日後の日曜日、夕方。両手いっぱいのお土産を抱えて、新大阪駅まで見送りに行った。
「忘れ物は無いか?」
「また来いよー」
私は車窓の向こうに見える娘を追い続けた。
娘が帰った夜、隣の部屋を開けてみた。心地よいミカンの香りがした。何でするのか? 不思議だった。灯りを点けて、謎を探してみた。テーブルの下に匂い付き消しゴムが一つ転んでいた。手にとって眺めていると、楽しそうに笑っている娘の姿が浮かんできた。
私は、しばらくの間、消しゴムをそのまま部屋に置いていた。そこは、いつもミカンの香りに満たされていた。
時折、1人寂しい夜。ドアを開け、その部屋に入ると、何だか心癒され、疲れた気持ちが少し楽になってくる。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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世の中でいちばん大切なものは家族と愛
( ジョン・ウッドン )
The most important thing in the world is family and love.
( John Wooden )
◆娘の忘れ物
日本経済新聞社賞「娘の忘れ物」――長谷川昌司・47歳(会社員)大阪府
( かおり風景第23回「香・大賞」入賞作品 08.11.14日経新聞(朝刊))
大阪への単身赴任が、2年過ぎた。いつも夜10時頃、一人寂しくマンションに帰っていた。
8月上旬の夏休み。週末の3日間、横浜から小学5年の娘が遊びに来た。4ヶ月ぶりの再会だった。
寂しい部屋に笑い声が響き、急に明るくなった。夜遅くまで、学校のこと、友達のこと、そして家族のことなどを話し合った。二人でこんなに多くの時間を過ごしたのは、初めてだった。
夜中、そっと隣の部屋のドアを開け、娘の寝顔を眺めた。指先で頬を少し撫でてみた。
「大きくなったなー」
「よく来てくれたなー」
と呟いた。自然と涙が溢れてきた。横浜では帰宅は遅く、朝も早かった。すれ違いの生活だった。休日、顔を見合わしても会話も無かった。父親として失格だった。
三日後の日曜日、夕方。両手いっぱいのお土産を抱えて、新大阪駅まで見送りに行った。
「忘れ物は無いか?」
「また来いよー」
私は車窓の向こうに見える娘を追い続けた。
娘が帰った夜、隣の部屋を開けてみた。心地よいミカンの香りがした。何でするのか? 不思議だった。灯りを点けて、謎を探してみた。テーブルの下に匂い付き消しゴムが一つ転んでいた。手にとって眺めていると、楽しそうに笑っている娘の姿が浮かんできた。
私は、しばらくの間、消しゴムをそのまま部屋に置いていた。そこは、いつもミカンの香りに満たされていた。
時折、1人寂しい夜。ドアを開け、その部屋に入ると、何だか心癒され、疲れた気持ちが少し楽になってくる。