結局のところ、学術会議が政府の組織でありながら、政府から一切自由な活動を求めるから、ボタンのかけ違いが生じているのだ。学術と政府は適切な距離を取る必要がある。政府が学術に介入すべきでないことはもちろんだが、学術の側も、国民から選ばれた政府の行政に過度に干渉することは慎むべきだ。「政学分離」がきちんとできていないことが問題であり、現在の組織構造は学術の側が政府の領域に踏み込みすぎている。 . . . 本文を読む
忘年会のシーズンになって、何かと飲む機会が多い。つい飲みすぎて終電車に乗りおくれたり、乗りはしても、居眠りをして乗り越す人もいる。寒風の吹きつける駅のベンチで、正体なく眠りこけている酔っぱらいもよく見かける。意識不明になるまで酔っぱらうことを、「泥酔」という。酒仙として有名な李白は、しばしば「酔いて泥の如し」という表現で自分の酔態を描く。 . . . 本文を読む
12歳のとき、詰め将棋と出会った。たまたま古本屋で手にした本で、江戸時代の名棋士、伊藤看寿が残した詰め将棋を見つけた。天才だと思った。音楽でいえば、モーツァルトのような存在だと思う。以来、自分でも詰め将棋を作るようになった。 . . . 本文を読む
本書巻頭の扉の文で、宇宙の高みから見た地球の光景を述べている人物は、宇宙飛行士ではない。20世紀心理学の最高レベルにあるだけでなく、人間のもつ深層意識の探求者として世界的に名を知られる、カール・グスタフ・ユングが、1944年――アポロ計画の20年も前に、自分自身の臨死体験のなかで、宇宙から眺めた地球の光景なのである。 . . . 本文を読む
トイレ掃除の縁で出逢ったことで、社長さんからお葉書をいただいた。そこで、「袖振り合うも多生の縁」、掃除のこころがこのご縁につながったものと思います、と返信した。すると社長さんからは、「多少」の縁どころではない、掃除の取り持つ縁ははるかに偉大なものであるとのお叱りにも近い葉書が返ってきた。
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1980年、ソマリアの難民センターで出会った少女の笑顔が忘れられない。国境からトラックで運ばれてきたばかりで、炎天下の地面に座りこんでいた手足の痩せ細った少女。「難民らしい絵になる」と思った私が彼女にカメラを向けた時、その少女がこちらを見て、ニコリと笑った。「厳しい写真」、「難民らしい写真」ばかりを撮ろうとしていた私は、そんな自分が恥ずかしくなった。そんな多くの戸惑いが、私のハイエナのような感覚を変えていった。 . . . 本文を読む
映画や演劇は現実の生活ではないのに、あたかも現実の生活が展開するように演技をする。初めは現実を模倣することにより真実と同様であることを目指す。ところが模倣が極地に到達すると、真実以上の感動を生む本物が生まれることがある。黒澤監督の映画づくりというのは、実はそうした本物さがしであったのではないだろうか。 . . . 本文を読む
二世、三世議員たちが成功したのは、親の光、お祖父さんの光のおかげです。その光は、日本国にとって非常に邪悪な光でした。そこで、「お祖父さんは政策で間違ったけれども、私はやりません」というようなことをいってくれたら、まだ信頼できるけれども、邪悪な光だけに頼っていますね。
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日米修好通商条約 第五条 外国通貨と日本通貨は同種・同量で通用する。金は金と、銀は銀と交換できる。取引は日本通貨、外国通貨どちらでも行うことができる。開港後1年間は原則として日本通貨で取引を行なう。日本貨幣は銅銭を除き輸出できる。外国の通貨も輸出できる。 . . . 本文を読む
この論理を以てすれば、世界中の静まりかえっているあらゆる国と国とが、すべて戦争を「現にしている」と「見るわけ」にもなるでしょう。ここで竹内好の言わんとするところがはっきりします。つまり、アメリカがシナに攻め入るべく戦争の準備をしている、という言いがかりは、実は、日本がシナと戦争を「現にしている」という架空の判定をみちびきだすための前提だったのですね。 . . . 本文を読む
日本人が自分で自分を貶(おとし)めるだけで済む分にはいいが、自分のことを棚に上げたドイツ人にまで威丈高に言いつのられて、それをまた日本人が鸚鵡(おうむ)返しに、同じような論理で同じようなことを言っている図は、何という愚鈍な光景であろう。ウヴェ・シュミットと坂本義和氏の論の立て方が口裏を合わせたように似ていることに、問題の深刻さの真の姿がある。 . . . 本文を読む
人間の自己実現の段階について世阿弥の考え方は、幼年・青少年の場合はゆるやかで、年取るほど厳しくなる。若いころの才能には、いつも「早熟」の要素が入るので、無理に伸ばしてもいけないし、めざましいことをやってもいつ萎(しぼ)むかわからない、というおそれがある。しかし34、5歳からの10年間の仕事には、もはや早熟の要素がない。このときに駄目なら、その後も駄目だという。 . . . 本文を読む
蘇我入鹿(そがのいるか)や恵美押勝(えみのおしかつ)が亡(ほろ)びたのは、自分が皇位に即こうという野心を示したからであり、道鏡の失敗も、まったく同じ原因であった。藤原氏は、鎌足も不比等も、平安朝になってからの有力者も、誰一人として自分が皇位に即こうとした者はいない。 . . . 本文を読む
現代および近未来の主要人物(キー・パースン)は特技の人である必要はない。極言するなら人間の器量としては凡人でもよいのだ。世に尽くす誠意と熱情があればそれで十分である。誠意と熱情ならあながち天賦(てんぷ)の才はなくとも、心を傾け身を努める心働きによって誰でも達すること可能である。
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人格は財産である。しかもいちばん高尚なものだ。普遍的な善意と、人びとの尊敬に囲まれた自分だけの所有地である。これに投資しようとする人は、いわゆる利益は上げられないかもしれないが、尊敬という報酬は正当な手段でまちがいなく受けとることができるだろう。 . . . 本文を読む