電脳筆写『 心超臨界 』

人があきらめないと決心すれば
後は努力のみがその報酬を約束する
( ナポレオン・ヒル )

かけがえのない家族 《 父の安曇野——大竹収 》

2024-07-27 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  世の中でいちばん大切なものは家族と愛
  ( ジョン・ウッドン )
  The most important thing in the world is family and love.
  ( John Wooden )


◆父の安曇野

『木工ひとつばなし』
( 大竹収、プレアデス出版 (2009/03)、p144 )

私の工房は、安曇野の真ん中辺り、穂高と呼ばれる地域にあります。観光地として有名な所で、北アルプス登山の玄関口でもあります。

東京で生まれ育った人が何故この場所を選んだのですか、と聞かれることがよくあります。それに対して一言で答えるのは難しいのですが、だいたい次のようなストーリーをお話しすることが多かったと思います。

私の父は若い頃、旧制松本高校に通っていました。実家は東京にありましたが、ある種のあこがれがあって、松本に来たとのことでした。その松高(旧制松本高校のこと)における生活は、実に楽しかったようです。古き良き時代の青春群像と言ったところでしょうか。父から聞かされる思い出話には、よく「マツコー」が登場しました。

父は松高在学中に、しばしば安曇野に足を伸ばしたそうです。そして安曇野の風物がすっかり気に入り、行く行くは安曇野に住みたいという気持ちを持つようになったとか。しかし、東京での会社員生活が続き、年齢も進んでしまって、その夢は実現できそうもない状況になりました。

そこに突然現われたのが、私の転職劇だったのです。私は、転職をして新しい生活を始めるに当たり、両親と一緒に住むことを考えました。私が社会人になって家を出てから10年あまり、両親は二人だけで暮らしていました。遅ればせながら、三人の孫と一つ屋根の下に暮らす生活を、父と母の残りの人生で楽しんで貰おうと思ったのです。

一緒に住むとなれば、父が昔から夢に描いていた安曇野が、第一候補となりました。安曇野を選んだ理由は他にも有りますが、これが最も大きな理由であったのは、間違いありません。

安曇野に移った父は、隣りの農地を借りて、以前から好きだった野菜作りに精を出しました。獲れた野菜を家族に食べさせるのが、大きな楽しみだったようです。家族全員で、バケツ一杯のイチゴを摘んだことなどが、懐かしく思い出されます。

夏の夕暮れ時、野良仕事を終えて家に上がり、ひと風呂浴びるのが父の日課でした。それから屋外のテラスに出て椅子に座り、ビールを飲みながら安曇野の夕景色を眺めるのが、父のお気に入りのひと時でした。

その父は先年、松本で昼食を取っている最中に倒れ、約2ヶ月間病床に伏した後、思い出深い松本高校に程近い病院で、86年の生涯を閉じました。
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