電脳筆写『 心超臨界 』

ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である
( ウジェーヌ・イヨネスコ )

キイロナメクジの動向を探る――狩野泰則

2024-05-08 | 09-生物・生命・自然
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戦争中、食うものがなくなってナメクジを食べたという。蝸牛(かたつむり)などはフランス料理の最たるものだから、ナメクジだって同じようなものだ。

吸いものに出てくる蓴菜(じゅんさい)みたいな味がするのではないかと思って、「どんな味がしましたか」ときいたら、大まじめな顔でやられた。

「うんあまり、うまそうなので、貴重品の食塩をふりかけて、すすってみようと思ったら、残念だったねえ。ナメクジのやつ、とけちゃって、影も形もなくなってしまったよ」

これは『人間学』の著者、伊藤肇さんがユーモアの達人、日本鋼管会長だった松尾金蔵氏にまんまとかつがれたときの話。(p70)

きょうは、ナメクジのなかでもキイロナメクジの話。幕末に日本に持ち込まれ、勢力をふるったキイロナメクジは1980年代に忽然と姿を消す。果たしてその原因は?


◆キイロナメクジの動向を探る――狩野泰則

「妙なお話――彼らの消息」(特別編集委員・足立則夫)
( 2006.06.24 日経新聞 NIKKEIプラス1 )

陸地で殻(から)を作るのが大変なことから、その昔、カタツムリと袂(たもと)を分かったナメクジ。彼らの日本での最大の謎、キイロナメクジの消息が最近、明るみに出てきた。

日本が開国した幕末のころ、ヨーロッパの文化とともに上陸し勢力を広げたキイロナメクジは、1980年代に忽然(こつぜん)と姿を消す。今、庭先やベランダで夜な夜な徘徊(はいかい)するのは、第二次大戦後、アメリカの文化とともにやってきたとみられるチャコウラナメクジと、国産のフタスジナメクジだ。

このつかみどころのない軟体動物の動向につて詳しいのが宮崎大学農学部助手、狩野(かのう)泰則さん(32)。研究室で資料を眺めながら解説する。

キイロナメクジについての最初の日本語文献は「貝類学雑誌17号」(1952年)。貿易商の店員から日本貝類学会創立者に転身した黒田徳米(とくべい)がコラムで触れている。

1920年より前に神戸にいたと伝え聞いた。これが東京や奈良へ。36年には京都市内の知人の住宅厨房(ちゅうぼう)に出現。52年には京都の自宅庭で発見。「約5㌔攻略するのに15年を費やしたことになる」と当時のキイロの勢力伸長ぶりを記す。

70年代にはチャコウラの台頭とともにキイロは衰退。狩野さんのところでは、85年の香川県大野原町(当時)、矢野重文さんからの捕獲情報を最後に全く途絶えた。

ロシアの研究者の文献によると、キイロの原産地は地中海沿岸。これば列強のアジア進出とともに日本にも到来。

チャコウラはイベリア半島が原産地。コロンブスが運んだのかどうかは不確かだが、北米、南米など南極を除くあらゆる陸地に生息域を拡大中。

キイロが日本から消えたのは、チャコウラとの競争に敗れたためか、病気のためか、確かな原因は分からない。はっきりしているのは、人間の不用意な行動がナメクジの勢力に加担しているということだ。
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