電脳筆写『 心超臨界 』

敵を知り、己を知れば百戦殆うからず
( 孫子 )

用意ができたとき師が現われる 《 川端康成さんとの邂逅――伊波敏男 》

2024-06-23 | 06-愛・家族・幸福
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


【伊波】 驚きましたね。当時ハンセン病療養所に外来者が入るにはマスクをして消毒済みの長靴を履いて、と完全防備するのが普通でしたが、川端さんはワイシャツ一枚。「関口君、作文を読みましたよ」と言って、手を握ろうとしたから、慌てて手を引いたんです。そうしたら悲しそうな顔をしてね、今度はご自分の椅子を引き寄せ、私の両太腿(もも)をはさみ、唾(つばき)がかかるほどの近さでお話されました。


◆川端康成さんとの邂逅(かいこう)

〈インタビュー(3)〉
 真の悲しみを知る者は他に喜びの種を与える
 伊波敏男・作家・ハンセン病回復者
『致知』 2012年4月号、p47 )

【伊波】 ……、私の人生を振り返ると、人との出会いに恵まれたと思いますね。

出会いということでは、私が作家になった原点は川端康成さんとの邂逅(かいこう)だと思います。

――どのような出会いでしたか。

【伊波】 川端さんは『雪国』を発表した昭和10年頃、ハンセン病療養所に収容されていた一人の青年と出会うんです。

彼は自身の魂の葛藤(かっとう)を原稿にするのですが、世に発表していいレベルか分からない。それで売れっ子作家だった川端さんに原稿を送りつけるんです。それを読んだ川端さんは大変感動して、『文学界』に掲載するための仲介の労を取った。それが北条民雄の『いのちの初夜』といって、増刷に増刷を重ねるベストセラーとなりました。

そういう繋(つな)がりを持っていたことから、川端さんは昭和33年に沖縄に講演で招かれた時、沖縄のハンセン病の子供たちに会いたいとリクエストされたんです。小中学生合わせて56人の作文の中から私が選ばれ、お会いする機会を得ました。中学3年の時です。

――どんな印象でしたか。

【伊波】 驚きましたね。当時ハンセン病療養所に外来者が入るにはマスクをして消毒済みの長靴を履いて、と完全防備するのが普通でしたが、川端さんはワイシャツ一枚。

「関口君、作文を読みましたよ」

と言って、手を握ろうとしたから、慌てて手を引いたんです。そうしたら悲しそうな顔をしてね、今度はご自分の椅子を引き寄せ、私の両太腿(もも)をはさみ、唾(つばき)がかかるほどの近さでお話されました。

私は北条民雄の全集に掲載されていた川端さん宛ての手紙文を覚えていたんです。

「僕には、何よりも、生きるか死ぬか、この問題が大切だったのです。文学するよりも根本問題だったのです。生きる態度はその次からだったのです」

「人間が信じられるならば耐えていくことも出来ると思います。人間を信ずるか、信じないか」

諳(そら)んじていた北条の手紙の一部を口にすると、川端さんはふわーっとシャボン玉のような涙を浮かべ、「……君は分かっています、北条民雄の悲しみが分かっていますよ」と。そして、「いっぱい蓄えなさい。そしていっぱい書きなさい」と言われました。

随行の方々から時間だと促され、川端さんは部屋を出ていかれました。しかしもう一度戻ってこられて、「関口君、欲しいものはありますか」と聞くんです。「本が欲しいです」と答えたら、1か月後、木箱でたくさんの本が送られてきました。本を読むことによって夢をたくさん描くことができたと思っています。
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