電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

飄逸味を感じる――茨木のり子

2024-07-02 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


言葉の概念を理解することは難しい。たとえば、日本語では「恨む」は「怨む」とも書き、ほとんど区別せずに使っています。ところが韓国の「恨(ハン)」には、単に「うらむ」だけの感情ではなく、民族全体を貫く「悲願」にも似た感情を包含するといいます。日本人がいくら考えても永遠に理解はできないのかもしれません。でもそれがどんなものなのか、状況証拠を積み重ねて、実態に迫ることは可能です。

茨木のり子さんは、韓国語にしかない「멋(モッ)」という言葉に興味を抱き、詩人らしい感性でその実態に迫ってみせます。


◆飄逸味を感じる――茨木のり子

『ハングルへの旅』
( 茨木のり子、朝日新聞出版 (1989/3/1)、p204 )

멋(モッ)という名詞がある。

これがなかなか訳しにくい。辞書によれば「風流、おしゃれ、物事の真味」などと出てくるが、どうもぴったりしない。

맛(マッ)は「味」であり、멋(モッ)は「味わい」とも言える。아버지(アボジ=父)、어머니(オモニ=母)に見られるように、棒が右へ突き出ているのが陽母音、左へ出るのが陰母音だから、

「味わいと言ってもいいんでしょう?」

と尋ねても、韓国人は首をかしげ、それともちょっと違うという表情をする。

言葉における멋(モッ)は、前に書いたように、俗談(諺)の中に一番はつらつと現れているし、日常語のなかにも、アッ! と立ちどまる面白い表現は多い。

この멋(モッ)は、隣国びとの心情の核心であり、美意識であり、しかも無意識のうちに発動し、揺曳するところのもの。

私の友人で、韓国からの団体旅行のガイドをしている日本人女性がいる。よく知られているように団体行動の苦手な人達で、てんでばらばら個人主義、百家争鳴、企業見学の男性一行だったのだが、ほとほと参ってしまう終わり頃、その中でも道中一番おさわがせの中年男性が、

「ガールフレンドにネックレスのお土産を買って行きたいから一緒に選んでほしい」
と言い、デパートのアクセサリー売り場で、
「韓国の人は派手ごのみだから、こんなのはどうかしら?」
「あなただったら、やってみたいと思うのはどれですか? うむ、これ? じゃあなたのセンスを信じて、これに決めた!」
かなり高価なメタリックのネックレスを選んだ。大阪空港で別れる時、
「実はあなたへのプレゼントよ。お世話になりました」
と渡して、さっさと搭乗口へ消えてしまった。この話を聞いた時、行動における멋(モッ)を感じたのである。

멋(モッ)がある――というのが最高の賛辞のようで、いくら立派でも멋(モッ)がなければ取るに足りないという感性。

それは完璧さにさして重きを置かない。
荒けずりで、勢いがあって、生まれるべくして生まれた。
無作為。
どこかで突き抜けている。
いたずらっ気。おかしみ。
迫力と洗練の微妙なバランス。
そんなもの一切が含まれているようだ。

「멋있군요(멋(モッ)がありますねぇ)という褒めことばは、

しゃれてますねぇ、
味がありますねぇ、
すてきですねぇ、

という意味を含み、それがあんまり連発されたために、今ではかえって、

「좋아요(チョアヨ)・좋군요(チョークニョー)=(いいですねぇ)」

という、あっさりした言いかたのほうが好まれているようだ。

いずれにしても멋(モッ)を一言で定義づけられないのは、「わび」や「さび」や「しぶい」にも似ている。外国人に対してこれを理解できるように説明するのは大層難しい。

멋(モッ)のことをいろいろ考えてきて、もし仮に日本語で一口で言うと「飄逸味」かもしれないと思う。

「飄逸味がぴったりでしょう?」

と言っても、またもや首をかしげられるかもしれないけれど。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 不都合な真実 《 中国の対日... | トップ | 85万人のニートを活用して... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事