電脳筆写『 心超臨界 』

感謝を表わすのに忘れてはならないこと
最高の感謝は言葉ではなく
感謝をもとに生きることである
J・F・ケネディ

シンクロニシティがドラッカーをNYUに導く――ピーター・ドラッカー

2024-07-04 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ニューヨークのコロンビア大学で教えることに決め、契約を交わした。後は、当時の学長で、数年後に米国大統領へ就任するドワイト・アイゼンハワーが署名するだけ。授業の下準備をするためにコロンビアを訪れると、なんとアイゼンハワーは財政難を理由に署名を拒否したことを知ったのである。突然失業の身になって茫然(ぼうぜん)としながら地下鉄の駅へ向かうと、ニューヨーク大学(NYU)のビジネススクールで教えている顔見知りの男に出くわした。


◆シンクロニシティがドラッカーをNYUに導く

「私の履歴書 ピーター・ドラッカー (24)――NY大の初代学部長」 
( 2005.02.25日経新聞(朝刊))

1949年のことだ。それまで7年間暮らしていた田舎町バーモントを離れ、ニューヨークへ戻ることになった。妻も子供たち(娘3人と息子1人)もみんなバーモントを気に入っていたけれども、地元の寄宿学校へ入りたがらない長女キャスリーンの教育を考えれば仕方なかった。

そのためにニューヨークのコロンビア大学で教えることに決め、契約を交わした。後は、当時の学長で、数年後に米国大統領へ就任するドワイト・アイゼンハワーが署名するだけ。授業の下準備をするためにコロンビアを訪れると、なんとアイゼンハワーは財政難を理由に署名を拒否したことを知ったのである。

突然失業の身になって茫然(ぼうぜん)としながら地下鉄の駅へ向かうと、ニューヨーク大学(NYU)のビジネススクールで教えている顔見知りの男に出くわした。

「こんなところで何をしているのです?」

「コロンビアでマネジメント(経営)を教えるはずだったのに断られてね」

「偶然ですが、ちょうどマネジメント科を立ち上げるので、教授陣を探しているところなのです」

またしても幸運の女神が味方してくれた。その場で私は採用され、1週間後には早くもNYUで働き始めた。そこでマネジメント科を創設し、学部長に就くことになる。

正式科目としてマネジメントを教える大学としては、NYUはバーバード大学、マサチューセッツ工科大学に次いで世界3番目。私はここで、1971年にクレアモント大学へ移籍するまで22年間にわたり教壇に立つことになる。
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