電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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宮崎県の幸島で、1950年=昭和25年から京都大学の霊長類研究所が猿に芋で餌づけを始めたことから、「百匹目の猿現象」が起こりました。芋による餌づけは、今西錦司さんの「正しい環境下では競争は起きない」という仮設を検証するためのものでした。
その後、昭和40年代になってからのことです。幸島をまったくといっていいほどの自然のままの環境にしようと、人間も観察などを兼ねて島にときどきイモを持っていってやるとき以外は行かないようにしました。幸島は離れ小島ですから、人から上手に切り離すことができました。その結果、いまでは、猿同士で争うということがなくなりました。そうして、みんなで助け合い分かち合うようになっています。
正しい環境とは、和をもってすべての人々が平等で安寧に暮らせる平和な社会を指します。聖徳太子は、乱世の時代にあって正しい環境を築くためには、悟りを開いた仏、仏の教えである法、法を実践する僧の『仏法僧』を貴べ、と説いています。
◆自分の仏法僧を持て――大野玄妙
日本を磨く――美と徳をみつめて [3]
「自分の『仏法僧』を育てよ」
2006.06.28 日経新聞(朝刊)
……………………………………………………………………………………
大野玄妙(おおの・げんみょう)
1947年大阪生まれ。龍谷大学大学院修士課程修了。法隆寺執事長な
どをへて、99年に聖徳宗管長・法隆寺住職に就任。58歳
……………………………………………………………………………………
――日本人が拠(よ)って立つ判断や行動の基準がゆがんできたような気がします。
「日本人の精神に根を張り、連綿と受け継がれてきた価値観があった。和を尊び、謙虚で、争いを嫌う精神で、それが判断や行為の規範だった。だが明治維新以降、何度かの価値観の大転換がきた結果、規範自体に重きが置かれなくなった」
「明治維新で新政府が西洋文明の摂取に懸命になったのはいいが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で日本人の心の根底に染み込んでいた仏教の心、とりわけ慈しみの気持ちが薄らいだ」
「やがて戦争を始め、敗戦を迎えて、復興、高度経済成長、バブル、その崩壊と続くうちに、次第に他人を顧みずに競争に勝ち抜くことばかりが強調されるようになり、生き方の基準になる徳目が忘れられた」
――どうしたらいいのでしょう。
「慈悲の心を取り戻すのに全力を挙げればいい。弱い者への慈しみや哀れみだけが慈悲ではない。動物や虫や草木なども含め、生けるものすべてと共に生きる謙虚で、優しく、強い気持ちだ」
「和を尊ぶ精神と言い換えてもいい。特定の組織や党派や、日本の中だけで仲良くするのではなく、揺るぎない、共通の目標と同じ価値観を持って世界の和合、つまり平和をめざすべきだ。世界各国と強調して安寧を希求する過程で、規範や道理は必ずよみがえる」
――イデオロギーと利害が激しくぶつかり合う国際社会では、理想論ではありませんか。
「仲良しクラブの中でさえ、信頼が損なわれ、摩擦が生じて、争いが起きやすくなっている。国際社会でもナショナリズムが民族間の不信をかき立て、宗教観の価値観の相違から紛争が頻発している。それが現実だ」
「だからこそ、激しい現実から目をそらさずに、強く理想を求め、現実を理想に近づける努力を厭(いと)わない土壌をはぐくむことだ」
「謙虚で優しくては敗者になるとか、和や信頼は競争の邪魔になるとか、自分の会社や日本だけが良くなればいいとか、そういう狭い了見では本物の強さは生まれない。世界を視野に普遍的な和合をどう実現するのか、それを一生懸命に考える人材を育てなければいけない」
――法隆寺を建立した聖徳太子は十七条憲法で、まず「和をもって尊しとす」と説いています。
「太子が生きた6世紀末から7世紀初めは、権力の座を巡って骨肉合い食(は)む殺戮(さつりく)が繰り返され、官吏の汚職が横行して、庶民は苦しんでいた」
「乱世の中で、和をもってすべての人々が平等で安寧に暮らせる平和な社会の実現を説いた。義や信、すなわち道理にかなった正しい道や言葉と心が一致した誠の大切さを説いた。悟りを開いた仏、仏の教えである法、法を実践する僧の『仏法僧』を貴べと説いた」
「私は『自分の仏法僧を持て』と提唱している。平和運動に参加したり、無理せずできることから始めて、長く誠実に続けることが大事なのだ」
(聞き手は大阪文化担当・中沢義則)
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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宮崎県の幸島で、1950年=昭和25年から京都大学の霊長類研究所が猿に芋で餌づけを始めたことから、「百匹目の猿現象」が起こりました。芋による餌づけは、今西錦司さんの「正しい環境下では競争は起きない」という仮設を検証するためのものでした。
その後、昭和40年代になってからのことです。幸島をまったくといっていいほどの自然のままの環境にしようと、人間も観察などを兼ねて島にときどきイモを持っていってやるとき以外は行かないようにしました。幸島は離れ小島ですから、人から上手に切り離すことができました。その結果、いまでは、猿同士で争うということがなくなりました。そうして、みんなで助け合い分かち合うようになっています。
正しい環境とは、和をもってすべての人々が平等で安寧に暮らせる平和な社会を指します。聖徳太子は、乱世の時代にあって正しい環境を築くためには、悟りを開いた仏、仏の教えである法、法を実践する僧の『仏法僧』を貴べ、と説いています。
◆自分の仏法僧を持て――大野玄妙
日本を磨く――美と徳をみつめて [3]
「自分の『仏法僧』を育てよ」
2006.06.28 日経新聞(朝刊)
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大野玄妙(おおの・げんみょう)
1947年大阪生まれ。龍谷大学大学院修士課程修了。法隆寺執事長な
どをへて、99年に聖徳宗管長・法隆寺住職に就任。58歳
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――日本人が拠(よ)って立つ判断や行動の基準がゆがんできたような気がします。
「日本人の精神に根を張り、連綿と受け継がれてきた価値観があった。和を尊び、謙虚で、争いを嫌う精神で、それが判断や行為の規範だった。だが明治維新以降、何度かの価値観の大転換がきた結果、規範自体に重きが置かれなくなった」
「明治維新で新政府が西洋文明の摂取に懸命になったのはいいが、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で日本人の心の根底に染み込んでいた仏教の心、とりわけ慈しみの気持ちが薄らいだ」
「やがて戦争を始め、敗戦を迎えて、復興、高度経済成長、バブル、その崩壊と続くうちに、次第に他人を顧みずに競争に勝ち抜くことばかりが強調されるようになり、生き方の基準になる徳目が忘れられた」
――どうしたらいいのでしょう。
「慈悲の心を取り戻すのに全力を挙げればいい。弱い者への慈しみや哀れみだけが慈悲ではない。動物や虫や草木なども含め、生けるものすべてと共に生きる謙虚で、優しく、強い気持ちだ」
「和を尊ぶ精神と言い換えてもいい。特定の組織や党派や、日本の中だけで仲良くするのではなく、揺るぎない、共通の目標と同じ価値観を持って世界の和合、つまり平和をめざすべきだ。世界各国と強調して安寧を希求する過程で、規範や道理は必ずよみがえる」
――イデオロギーと利害が激しくぶつかり合う国際社会では、理想論ではありませんか。
「仲良しクラブの中でさえ、信頼が損なわれ、摩擦が生じて、争いが起きやすくなっている。国際社会でもナショナリズムが民族間の不信をかき立て、宗教観の価値観の相違から紛争が頻発している。それが現実だ」
「だからこそ、激しい現実から目をそらさずに、強く理想を求め、現実を理想に近づける努力を厭(いと)わない土壌をはぐくむことだ」
「謙虚で優しくては敗者になるとか、和や信頼は競争の邪魔になるとか、自分の会社や日本だけが良くなればいいとか、そういう狭い了見では本物の強さは生まれない。世界を視野に普遍的な和合をどう実現するのか、それを一生懸命に考える人材を育てなければいけない」
――法隆寺を建立した聖徳太子は十七条憲法で、まず「和をもって尊しとす」と説いています。
「太子が生きた6世紀末から7世紀初めは、権力の座を巡って骨肉合い食(は)む殺戮(さつりく)が繰り返され、官吏の汚職が横行して、庶民は苦しんでいた」
「乱世の中で、和をもってすべての人々が平等で安寧に暮らせる平和な社会の実現を説いた。義や信、すなわち道理にかなった正しい道や言葉と心が一致した誠の大切さを説いた。悟りを開いた仏、仏の教えである法、法を実践する僧の『仏法僧』を貴べと説いた」
「私は『自分の仏法僧を持て』と提唱している。平和運動に参加したり、無理せずできることから始めて、長く誠実に続けることが大事なのだ」
(聞き手は大阪文化担当・中沢義則)
戦後教育は長年にわたって子供たちの心を無視してきたといっても過言ではないと思われます。
今になって根がはびこっていることに世の中が気づいてきたというように思うのです。
子供の心を大切にする気持ちが世の中全体に形成されて欲しいものです。
これからの教育を充実させるためには、とりあえずなじみやすいところから、子供たちの心を大切にするように心がける必要があると思います。
子供たちの言いなりになることでは決してありません。大人として子供たちの心を守る心がけが大切だと思います。
ただ法律を変えればよいというものではないと思います。
乱文にて失礼しました。
お許しください。