ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

日春展

2011-05-31 09:17:00 | 身辺雑事

友人の息子さんが、日春展に初入選した、というので、名古屋の松坂屋まで見に出かけました。

日春展というのは、日展の新人版登竜門のようなところだそうです。

友人の息子さんは晴れて入選したので、内定していた就職先もあったけれど、それを蹴って、これから絵画の道を歩むことをご自分でも決意されたとか。

私はその世界のことはよくわかりませんが、素人が考えても、芸術で生きていく、生計をたてていく、ということがいかに厳しいか、というのは想像がつきます。

彼にはまだこれからがいばらの道なのかもしれませんが、頑張って欲しいものです。

さて、私はこのようにして「絵画展を見に行く」というのは実に久しぶりでした。

パステルアートをやって、参加した全員の絵を眺めながらシェアしあう、ということはありますが、自分が「鑑賞者」としてだけの立場でわざわざ「絵を見にいく」、というのは3,4年前、岐阜の県美術館で、ちょっと昔から好きだった作家の展覧会をこっそりと見に行ったとき以来でしょうか。

友人である、入選した息子さんの母親は、「日展と比べると、号数も小さいのが多くて、見ごたえとしてはイマイチかもしれないけれど・・・」と言っていましたが、なんのその!

まったくそんなことはありませんでした。

実に見ごたえのある数々の作品たち。

それに惹かれて多くの方がたが見に来ていらっしゃいました。

選に入った方のものばかりでなく、選考委員の作品も飾られていましたから、作品の数も非常に多く、ちょっといいな、と思った作品の前にじっくり見たい、と佇んでいるスペースもないほどでした。平日なのに!

とはいえ、ざっと見て回るだけでも1時間弱かかるほどで、ところどころ足をとめていましたから、私は約2時間近くも会場にいることになりました。
友人や気の置けない仲間と「あら、ちょっとあの作品がすてきじゃない。」とか「あれってどうやって描いてあるのかしらねぇ。」などとおしゃべりしながら見るのも楽しいですが、久しぶりにひとりきりでゆったりとこうして絵を鑑賞するのも良いものです。

久しぶりに純粋な「鑑賞者」として絵を眺めていたら、ひとつのことに気付きました。

“優秀な作品”と“そうでない作品”との違いです。

以前は、絵を見ていても、「ふぅ~ん、どうしてこれが文部大臣賞なのかねぇ。私はこっちの絵のほうが好きだけど。」なんて思っていることが多くて、「ま、そういうもんでしょ。絵なんて最終的には個人の好みよねぇ。選考委員のお偉方の好みに合ったのよ、この作品が。」ですませていました。

しかし、今回見ていて、「いや、そうではない。やはり賞をとった作品というものには明らかにひとつの共通点がある。」と思いました。

それは、「ひとりよがりでないこと。」

このようにその世界で生きていく人がみな目指すような最高峰の選考会に出品するような方がたの作品というのは、すでに皆さん、技術的な部分では一定水準以上のものをクリアされたものばかりだというのは見ていてわかります。

では、何が賞をとって、何がそれから洩れるのか、というとその絵にこめた情熱というかテーマ性に自分で酔ってしまって完結してしまっているか、第三者の眼を意識して極限まで“伝える”ということに心血を注いだか、だなぁ、と感じたのです。

たとえば、奨励賞をとった作品のひとつに3匹のワニをリアルに描いたものがありました。

そのワニはそれぞれあらぬ方向に顔を向けていて、眼もそれぞれ違う方向を見ているようなのですが、それでいて、どれもこちらを見ているような気もする・・・

ワニの目って縦に細く瞳孔が開いているようになっていて、いかにも爬虫類的な冷血そうで何を考えているかわからないような目をしています。

でも、それが何かを考えているかのように見える・・・

ちょっと角度を変えて立ってみていても、こちらを見ているような気がする・・・

近寄ってよくよく見てみましたが、この瞳孔はある程度「えいやっ!」で覚悟を決めて勢いよく描かないと描けないように思えました。

もたもた時間をかけて筆を運んでいてはこの鋭さが出ない。

よく3匹の、計6つの瞳孔をこれだけ完璧に描けたなぁ、と思うと同時に、ひょっとするとこの人はこのために何枚も何枚も、いや何十枚もこの瞳に命を吹き込むために同じ絵を描いたのかもしれない、と思いました。

そこには自分が「まぁ、このくらいでいいや。」という妥協があったらできないことでしょう。

何をその瞳にこめたいのか、でこの絵が生きるか死ぬかが決まる、というとき、その瞳にこめたいものが100人この絵を見たら、100人に伝わらないと意味がないということを知っていて描いた、ということが伝わってきました。

それは伊藤若冲の「群鶏図」を思わせるような作品でした。

かと思うと、ひととおりのものは描けているから、まぁ、あとは観る人でどうとでも受け取ってくださいな、と投げ出している、というように感じる作品もあるのです。

そういう作品はやはり入選を果たしていませんでした。

確かに、作品が作者から離れたとたん、観る人がどう受け取るかは勝手でしょう。

しかし、昔萩本欽一さんが「欽ちゃんのどこまでやるの!?」などのお茶の間とテレビをつないだような人気番組をやっていたときに「極限まで台本どおりに練習して、そしていざ本番となったときには台本を忘れて飛び出すアドリブに賭ける。」というようなことをおっしゃっていましたが、それと同じことで、絵画も最初からその作者が、「まぁ、どう受け取ってもらってもいいですよ。」と思っていたのか、作者としてのメッセージを極限まで伝える努力をしたけれど、それを飛び越えて鑑賞した方がまだそのほかに感じるメッセージがあればそれはそれでいいのです、としている作品かどうかなのかは全然違うと思います。


芸術にいそしむ人というのは、ある意味わがままでいい、と思っています。

ひとりよがりでいいと思っています。

またそうでないとオリジナリティのある作品なんて生み出せるものではないだろう、とも思います。

けれど、それが1つの作品となった時点で、それはその人から離れて独立した存在をもつものとなるのだ、と思いますから、描き終わればその時点で、描いたその本人もその作品を鑑賞する「他人」となるのだ、と思うのです。

その「他人」に対して、メッセージ性の発信が弱いものではどうしようもないでしょう。

私はふとまた、「オーラソーマのコンサルテーションも同じだなぁ。」と思いました。

最初の頃私は、すべての色の意味、ボトルの名前の意味などを覚えたときは、それをつらつらと並べてたて、4本のボトルを見たときにピピーンと「つながった!」と思うストーリーが頭のなかで組み立てられたとき、それが嬉しくて東陶とそれをクライアントに話していた、と思います。

それは、すべてのヒントを与えられないまま事件解決に挑んだ探偵が、「そうか! こう考えるとすべて辻褄が合うぞ!」と犯人を発見したときのような気分でした。


でも、クライアントにしてみれば、4本のボトルの辻褄が見事に合っていようが(というか、どんな組み合わせであろうともちろん辻褄は合うんですけれどね。)、合っていまいが、私が今日一番話したかったのは、今の私のこの焦燥感がどこから来ているのか、ということだけなんだよ、というときもあるでしょう。

本来の私がどんな使命や魅力を持っているのか、ということが知りたかっただけ、という人もいるでしょう。

そういう人には辻褄なんか合っていようが合っていまいが、そこに特化してコンサルテーションを進めればいいのですよね。

それが最近やっとわかってきました。

初期の頃の私のコンサルテーションを受けた方、ごめんなさい、と言いたいところですが、生のコンサルテーションというものは、そのときに私とクライアントの間に流れている波長というものをお互いが受け取り、そのときに必要なメッセージがちゃんと降りてきていたはずだ、と信じられるので、そのときはそれでよかったはずだ、と思います。(思おう・・・ 思うべき・・・ 思えば・・・)


いずれにしてもコンサルテーションは、私がひとりでドラマを完結しようったってそうはいきません。

あくまでも主役はボトルの説明じゃなくて、クライアントの方、そのものですからね。

日春展でもわかったように、一流か一流でないか、というのは“技術”の差なんかじゃない、いかに極限まで「お客様本位」になれるか、ということなんだなぁ、ということを改めて思ったのでした。




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