レビを見ていたら、72歳というお年で、原発事故の最前線の作業に志願している、という方のことをやっていました。
その人は、「恐くないですか?」と聞かれ、こう答えました。
「恐いですが、ためらいはまったくないんです。」
その人は、原発事故が起こった直後から、原発を作り、推進してきたのは私たちの世代なのだから、私たちが責任を取らなければならない、と思っていたそうです。
そして今、事故が起きてから2ヶ月が経過して、最前線で作業している人たちが過酷な状況のなかにいるのを見て、「誰かが被爆線量を超えても作業しなくてはいけないのであれば、それは私がやる。」という意志を強くもったそうです。
彼は事故直後から最前線志願プロジェクトを立ち上げ、何千通というメールを知人に送り、現在では海外にも呼びかけ、プロジェクト詳細のとりまとめと政府への働きかけを行い、実施待ち、という段階だそうです。
元大学教授、元電力会社作業員、福島原発を作ったときの建屋の建設に加わったという元鳶職人など、だいたい72歳の彼と同じような年齢の方が集まっています。
これはもう究極のボランティアですよね・・・
自分が死ぬかもしれない、という命をかけたプロジェクトですから。
その72歳の彼にテレビ局の30歳ほどと思われるインタビュアーが、
「僕ならそれがお前に出来るか、と言われたらちょっとためらっちゃうんですけど・・」とおそるおそる切り出すと、72歳の彼は微笑みを浮かべながらこう言いました。
「失礼ながら、あなたがそのお年でそんなことを考えたり思ったりする必要がないのは当たり前です。私があなたの年だったら、とてもじゃないが、こんな決断はできなかったでしょう。この年齢になったからできることなんです。」
この言葉に私は非常に胸を打たれると同時に、勇気をもらいました。
そしてその後、考え込みました。
今まで私は、自分が年を重ねるにつれ、若い頃と比べ「出来なくなった」ことばかりにフォーカスして、ため息をついていました。
無理が利かない・・・
寝不足がこたえる。
すぐに疲れる。
そして疲れると風邪を引いたような症状が出るときがあるけれど、それが風邪なのか、単に黄砂とかで喉が痛いだけなのか、疲れからきているのかよくわからない。
若い頃のようにぱあっと熱があがって、さーっと下がる、というふうにならないから症状だけで病名が決められずに何日か悶々とする・・・
けれど、年を取ったからこそ出来ること、割り切れること、決断できること、というものがあるのだなぁ、と思いました。
今までは“若い”ということが常に前を向いていられることだ、と思っていました。それゆえに無防備なところもあるかもしれないけれど、前しか見ていないからこそ前に進めた、ということもあるでしょう。それは若いからこそできることだ、と思っていたのです。
けれど、“年を重ねた”からこそ、前しか見ずに進める、ということもあるのだなぁ、ということがわかりました。
これが勇気をもらった、という部分です。
しかし、その後に考え込んだ、というのは、「もう自分の人生に悔いはない。後の人生はこれまで若い頃にしでかしたことの罪滅ぼしをしよう。」と考えて、自分の肉体は社会にささげよう、そのことに後悔はすまい、と思ったとしてもですよ。
人は自分ひとりで生きているわけではありません。
家族や大切な友人たちがいます。
その人たちを残して、自分が先に死んだ場合、残された家族や友人を悲しませることが果たして良いのだろうか。
テレビで見た72歳の彼にも、家族がいらっしゃいました。
なんと42歳という若い奥様でした。
そのことはテーマとは関係ないので全く触れられませんでしたが、30歳の年齢の開きを超えて夫婦になったのには、大ロマンスがあったことでしょう。
その奥様をひょっとしたらひとりでこの世に残すことになってもいいのか? 残すことになった場合の責任を彼はどう考えているのだろう?と思いました。
私が自分のことを考えた場合、一番気がかりなのはダーリンや娘のことではありませんでした。
自分と同じか年若いものはいっとき悲しんでも必ず立ち直り、乗り越えてくれるだろう、という気がしたからです。
けれど、親はどうだろう?
もし親より先に自分が死ぬことになったら、両親はそれでも立ち直って前を向いてその後の自分の人生を天から自然にお迎えが来るまでまっとうしてくれるだろうか?と考えたとき、そうはならないような気がするのです。
ただただひたすら奈落の底に突き落とされたようなところから、もう這い上がってはこれないような気がする・・・
それは私が一人娘だ、ということもあるのかもしれません。
親より先に死ぬことはもっとも親不孝、と言いますが、たとえそれが自分の命を粗末にした結果からではなく、非常に立派な命のささげ方だったとしても、やはり私は親よりは先に死ぬことは出来ない。
たった1日でもいいから、長生きせねば、と思います。
どんなに息が苦しくても平気な顔をして、そして次の日に息を引き取ってもいい。気付かれなければ。
でも、たとえ1秒でも親より先に死んではいけない、という意識が私には非常に強い。
これがもし、まだ未成年のお子さんを抱えていらっしゃる親御さんであれば、「子供のため」「子どもが一人前になるまでは」死ねない、と思って当然でしょうし、成人をとっくに越えているような年齢であっても、定職にもつけず、結婚もしていないこどもを持っている親であれば、「この子がきちんと生活しているのを見届けるまでは」という気持ちになるでしょうし。
こういうのを“絆”と呼んだほうがいいのか“しがらみ”と呼んだほうがいいのかは私にはよくわかりませんが、いずれにしてもこういったつながりがあってこそ、人は何とかこの世に生きながらえているのだとしたら、その気持ちはやはり尊いものです。
誰も原発処理の最前線に行ってよいような人はいないでしょう。
結局、「私が行く」と決意されるような立派な方は、自分だって行きたくはない、けれど、誰も行かないのであれば私が行く、という強い気持ちを持った方なのでしょうね。
行く、という決断をした人がどれほどのものを乗り越えて決断したのかは、誰にでも大事な人はいる、ということの想像力をたくましく働かせれば働かせるほどわかります。
けれど、「いくら考えてもやっぱり私は行かれない。」という決断をした人もやっぱり立派だ、と思うのです。
そこまで突き詰めて考えてみた、ということだけでも。
そしてそのいろいろと考えることがある、という、“世間にしがらみ”を積んできたこともある意味、年を取った楽しみのひとつでもあるよなぁ、と思うのでした。
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