朝早く、母親から電話が入りました。
用件というのは、ご主人を亡くされた私の友人に自家製のらっきょうをあげたいのだけれど、あんた、渡してきてくれない?というものでした。
ご主人を亡くした友人のことについては、何度もこのブログに書いていますが、その友人とは母も親しいのです。
友人は私に会いに来るときは必ず約束の時間より30分も1時間も早く来て、うちの母と話し込んでいました。
その友人はちょうどご主人が亡くなって1年がたとうとしていますが、いまだに悲しみは募る一方で、まったく癒えない、と言います。
仕事場では何事もなかったように普通にしているけれど、私生活では誰にも会いたくない、と言います。
だから、私は言いました。
「会う予定はないし、家に届けに行ったって、ちょうど在宅かどうかわからないから、前もって在宅を確かめるための電話は入れることになるわけでしょう? そうしたら、そのときに結構です、お気遣いなく、って言われるだけだと思うよ。」
「そのときには、でも、もう近くまで来ているから、って言えばいいじゃないの。」
ま、そりゃそうだけど・・・とグッと詰まるわたし。
「自宅まで届けに行ったら行ったで、彼女だって玄関先ではい、さようなら、はあんまりだ、と思って本当はそうしたくもないのに、ちょっとおあがりください、と言うしかなくなるじゃないの。」
「そのときは、いいえ、こちらも急いでいますので、って言えばいいじゃないの。」
またもグッと詰まるわたし。
八つ当たりなのか、母に腹を立てること自体が的を得ているのかわからない怒りがこみあげてきて、
「とにかくぅ! らっきょう、そうまでして渡さなくてはいけないものだとは思えない。」と言うと、
「ふぅん。じゃあ、まぁ、その件はいいわ。」と母親は妙に落ち着き払った口調で言うと、次の話題に移りました。
電話を切ってからもなぜか虫がおさまらないわたし。
ダーリンが、「どうした? えっこちゃんはお母さんと会話するとそのあと、いつもそういうふうになるね。」と一言。
そうなんです。
誰と話してもここまで切れやすくない私なのに、どうして母親にはこうもむかっ腹が立つんだろう。
今日の場合は、少し考えたら理由がはっきりしました。
1つには、母親の押し付けがましさ。
母親はらっきょうをつけることに命をかけているようなところがあって、そして友人がご主人を亡くす前までは母のそのらっきょうを手放しで褒めちぎり、そんなに好きなら、と彼女のためにも一瓶作るようになり、毎年この時期になると彼女にもおすそわけをしていたのですが、「今はまだ誰にも会いたくない。」という彼女に、「らっきょうあげるくらいならいいだろう。」と思うのは母の勝手な思い込みにすぎないわけでしょう。
そのらっきょうをあげるためにわざわざ「近くまで来ただけだから」「急いでいるから」とか小さな嘘を重ねた小芝居を打ってまで渡したい、という気持ちが私にはわからない。
それはもう彼女のため、というより、自分がよかれ、と思っているものの押し売りにすぎないように思えるからです。
そしてもうひとつ、大きく引っかかったのは、母が私の友人である彼女に対して母がしてあげよう、と思っていることに対しては当然あんたも協力的であるべきでしょう? あんたもそう思うでしょう?という勘違い。
私は私で彼女と友人であるけれど、友人と私の母が私がいないときに30分や1時間ほど話し込んで培った友情関係というものについては私は一切関知しない。
母と友人の間で芽生えた友情というものと、私と彼女との間のものとをいっしょくたにしないで欲しい、という嫌悪感。
何だか私と友人の間で培ってきたものにまで母が土足で踏み入ってきて、大鍋でそれらをごった煮にされてしまったような気がしたのでした。
らっきょう渡すために会うぐらいのことで、彼女だって「人には会いたくない、いやだ、いやだ。」と言い続けるはずがないじゃないの、と信じきっている様子にも何だか腹が立ちました。
母との関係という点で、わたしと友人は似たようなことを感じていて、会うとよくその話をしたものでした。
でも友人は結婚して別々に暮らすようになったら、それほどでもなくなったけれど、たまにふと口にする母の言葉にあぁ、この人は何も変っていないな、と感じるときがある、などと言っていました。
わたしは当時まだ結婚していませんでしたから、ふぅん、そういうものかなぁ、と聞いていましたが、今、わたしも結婚して、母との軋轢が格段に減ったのを感じています。
ただそれは物理的に離れて暮らすようになったからであって、ちょっと話すとあぁ、以前の関係のままで何も解決しているわけではないな、という彼女の言う意味がすごくわかったりしていました。
そして、今回、彼女はご主人が亡くなってから、その母の圧力が怒涛のように押し寄せてきた、と手紙で言っていました。
わかるような気がしました。
彼女のお母さんは、ご主人を亡くして落ち込んでいる彼女を励まそうとして、なだめたり、すかしたり、時にはわざと叱咤激励調を交えたりして接触してきているのでしょう。
でもそれが彼女にとってはいつも的はずれのような気がして神経がささくれだつ。
わたしが彼女だとしても、そういうふうになるだろうな、と思いました。
とにかく総合的に一口で言って、母は無神経だ。
無神経なくせに、電話をしてきてある程度わたしの性格ならこう言うだろう、というのを推し量ったうえで、そう言ったらこう言おう、と準備をしてきたような気配も許しがたい、などとどんどんわたしの妄想は膨らむのでした。
そして、ふと我に立ち返り思うのでした。
昨日は自宅介護、在宅緩和のテレビを見て、あれほどにもし、これが自分の親だったらどうするかなぁ、ということについて、優しい気持ちで考えたではないか。
それが朝一番、母親の声を一言聞いただけでもう、そんな思いはどこへやら、むかむかと腹を立てている自分がいる。
立てなくてもいいようなことで。
こんな小さなことでチクチク神経をとがらせる自分自身が許せない。
果てにはこんな小さなことで自分を許せなくした母がまた許せない。
・・とまぁ、このように悪い循環で思考は広がっていくのでした。
この思考回路は母と娘の宿命なんでしょうか。
父親の言うことには、はぁ~、これまたなんとわたしとは考えが違うことよ、と思うことはあっても、こうも腹を立てることはありませんからねぇ。
まぁ、こんなことで腹を立てていられるうちが華かもしれません。
これからもいろんなことがあるだろうけれど、それらをみな、面白がれるような自分であろう、と思いました。
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