ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

上原美優さんが亡くなって考えたこと

2011-05-17 09:26:00 | 精神世界

上原美優さんの衝撃的な死からもはや1週間。

衝撃的、といっても私は彼女のファンだったわけではありません。

でもすごくショックを受けました。

だから今でも、私は頭から離れないことがあります。

「神様は、その人が耐えられる試練しか与えないっていうけど、ほんとなんだろうか?」

っていうことについて、です。

そもそも私は、タレントとしての上原美優さんのほとんどを知りません。

テレビで、1,2度みかけたことがある人だな、くらいの感じです。

確か初めてみたのは、「サンデージャポン」かなんかで、「小さい頃にどうしてもブランコに乗りたいって言ったら、お父さんが家のなかで天井に釘打って、ブランコを作ってくれたんですよ。で、喜んで乗って遊んでたら、いきなりダ~ン!って天井が落っこちてきちゃって・・・」という、皆が「ええ~っつ」とのけぞる話をしているところをたまたま見て、そのときに初めて、「貧乏子沢山タレント」というジャンルがあることを知ったのでした。(なんかこう言うと彼女自身がたくさん子どもを産んだみたいだね。)


それくらいしか見た覚えがないのに、そのときになぜか、(あぁ、この子は芸能界には来ちゃいけない子だったんじゃないかなぁ。)とふと感じたことを覚えています。

ほら、笑っていても、子犬のように怯えたような目をしている人っているでしょ。そんでもって頬の上のあたりの筋肉がこわばっちゃってるような人。

彼女もそんな表情をしていたからです。

私はそんな彼女になぜか強烈な「イエロー」と「ピンク」を感じたのでした。


オーラソーマでイエローとピンクの組み合わせと言えば、B59「レディポルシャ」とB61「サナトクマラ&レディヴィーナスクマラ」。

彼女に感じたのは、B61「サナトクマラ&レディヴィーナスクマラ」の方でした。

このボトルを選ぶ人というのは(何も彼女が選んだわけじゃないですよ。勝手に私がイメージしただけで)、普遍的な父性と母性の象徴ですから、自己の中にある役割モデルとの最も深いレベルにおける調和がテーマとなる人です。
それが、良い個性となって現れたときには、深い養育と温かさで喜びや幸せを感じていられるし、すべてのものごとには相互に良い意味での依存が成り立っていることを知っている、となりますが、いったんドツボにハマってしまうとひとりになることに不安や恐れを抱き、両親との関係から自己喪失感を抱き、常に愛に飢え、不安を感じ、何かあると自分のせいだと思ってしまうようになる。

単に、彼女に「子どもっぽさ」「無邪気さ」と「家族愛」をみたから、「イエロー」と「ピンク」の人だな、と思っただけなんですけど、こういうことになってみて改めてこうしてB61「サナトクマラ&レディヴィーナスクマラ」のメッセージを紐解いてみるとあまりに当たっている気がするのでびっくりです。

話は戻りますが、そんなテレビで1,2度しか見たこともない人にそれほど思いいれがあったわけではないのですが、彼女が亡くなった、という報道を知り、たまたま見ていた番組で、彼女が以前に出していた本のなかの話を引用しながら、彼女の生い立ちを振り返っていたのを見たら、なぜか涙が止まらなくなってしまったのでした。

最近、年齢のせいかほんと、涙もろいわ~

特に、親のほうの立場から感じる年齢になったからかしら・・・


そこで知ったのが、彼女の出身は種子島で、彼女の家では中学を出たら独立する、ということが家族のなかでの掟のようになっていたんだそうです。

やはり、家計が苦しかったからですかね。

それに反発して高校に行きたい、と思った彼女はその日から親とろくに口をきかなくなり、勝手に鹿児島市内の高校を受験して入学を決め、勝手に家を飛び出したそうです。

船に乗り、「あぁ、この島にももう帰ってくることはないんだなぁ。」と思ってふと後ろを振り返るとお母さんが港で一生懸命手を振っているのが見えたそうです。

びっくりした彼女は手を振り返すことも、まばたきをすることもできなかったんだとか。

そうしてお母さんの姿が見えなくなったときに今度はバッグのなかに手を突っ込むと自分が入れた記憶もない茶封筒が・・・

中を開けると、3万円という見たこともない大金が入っていたそうです。

お母さんは働き者で、10人の子どもを育てながら、近所で芋ほりのアルバイトをしていたそうですが、そのアルバイト代が月に3万円。

その全額を入れてくれたんだ、と思うと涙が止まらなかったそうです。

    ・・というところをきいていて、私も涙が止まらなかったのでした。


と同時に、いろんな事情を抱えた家庭があるでしょうが、今のこの日本の中で親のほうから、うちは中学出たら働くのが当たり前よ、家からは高校に行かせてやるお金は出せんよ、行くな、という家は圧倒的に少ないことでしょう。

むしろ、子どもがそう言い出したら、泣いてすがって「お前、なんとか高校ぐらいは出てくれ。」と頼む親のほうが多いんじゃないでしょうか。

そんななか、彼女は自分だけの力で高校に通おうとしました。

生活が大変で、彼女だけが中学のときのままの制服で高校に通ったそうです。

それだけでも浮いているから、友達ができなかったそうですが、授業が終わると働きに行く彼女にいつしかクラス内で「あいつは夜遊んでいる。」という噂がたちはじめ、学校にいづらくなって、やめてしまったそうです。

ここまで聞いたときにふと思ったのです。

私が22歳で大学を出てからようやく社会に出て、10年働き、最初の会社をやめ独立した、という頃の、社会的にはようやく一人前になりました、という精神状態が24歳で死んだ彼女の状態だったのか、と。

15歳でひとりで社会に出て、約10年働いたんですものね。

テレビで彼女がやたらと結婚願望が強かった、というのを聞いて最初は、「ふぅん。24歳なんてまだ焦るような年齢でもなんでもないのになぁ。」と不思議でしたが、彼女が社会に出てから10年たっているんだ、ということに思いを馳せると納得できました。

私の場合は10年働いたとき、ひとつの達成感がありましたが、彼女にとってはそれがひとつの喪失感となってしまったのかもしれません。

確かにちょっとここいらでピリオドを打ちたくなるようなときだね。

彼女は永遠に後がつづかないピリオドを打ってしまったけれど・・・

そして、もし彼女が東京へ出てタレントにならずに、種子島に残るか、せいぜい鹿児島で就職していたとしたら、こんな結末になっただろうか、と思うとならなかったような気がするんですよね。

どんなことがあったか知らないけれど、種子島を出てくるときには3万円が今まで見たこともない大金だった子に対して、そりゃあ東京は刺激が強すぎたと思うよ。

貧乏だったことだって、そりゃもう笑って話せる、ってことも中にはあるかもしれないけれど、何から何までが笑って話せることではなかったと思う。

ましてや、20歳やそこそこでデビューしているんなら、自分がまだほんの子どもで親が貧乏と奮闘しているさまを見ていたのって、たかが3~5年前のことじゃないですか。

それほど「もう過去のことですからね~」なんて昔でもないし。

だから、自分の泣きたいような出来事をテレビという公共の電波で売り物にしなければ食べていけなかった、ということも辛かったと思うよ。


でも、これが天の配慮、彼女に与えたギフト&チャレンジだったとしたら・・?

最初の疑問に戻りますが、「神様はその人が耐えられないような試練は決してお与えにならないというけれど、それは本当だろうか?」

中には例外もあるよ、で片付けていいの?

神様も時には采配ミスがあるよ、ってこと?

どんな小さなミスであろうとミスなんて犯さない全能の存在が神ではないの?

ここで私の中で現れる結論というのが、「神は、人間にも自由意志をお与えになった。」です。

アダムとイブが善悪の木の実を食べた、ということそのものから始まっているこの自由意志。

神は「自分に似たように人をお創りになった。」と聖書のはじめにも書かれていますが、「まったくコピーとして創られた」とは書かれていません。

そもそもコピーなら創る必要なんてないじゃんね。

神は自分と“本質的には”似ている愛の存在として人をお創りになったけれど、「似ている」ものは「どこかが違う」ということ。

それがそれぞれの個性=思考→物事に対する決断のくだしかた、だったということなのではないかと思いました。

だから、自分の命をどう扱うかも自由なのだ、というのは飛躍にすぎるでしょうが、少なくとも私は、選択はあくまでひとつの選択以上のなにものでもないのであって、そこに正誤も善悪もないのではないか、とふとそのような気になったのでした。

以前、私は「生きがいの創造」の中に書かれていた、「自殺した魂だけは、みんながいる光の源に還ることはできない。ただひとりだけ闇の虚空をさまようことになる。だから自殺はいけないのだ。」という説をなるほど、と思っていました。

けれど、人が究極の選択として採択した結論に対して、神様は「ハイ、あんたの出した結論はまちがい~。だから天に帰ってきてから罰を与えます。」というようなことをするだろうか?と思うと、神はそんなことはしない、と思うのです。

ま、確かに、ちょっとほかの人より大目に休ませてあげよう、とは思うかもしれませんけど。

永遠に闇に葬り去る、なんてことはなさらない、と思えます。

ということで、「神様はその人が耐えられないような試練は決してお与えにならないというけれど、それは本当だろうか?」にまた戻りますと、今までの話から導きますとNOということになります。

耐えられないことだってあるんだ、ってことですね。(神様は耐えられるだろうと思って与えたかもしれないけど、結果的には、ってことね)

でも、ほんとうにそうなのかな?

耐えられないことも時に人生には配置されているかもしれませんが、耐える必要もないようには本来、配慮されているんじゃないでしょうか。

だから、「神様はその人が耐えられないような試練は与えない」という言い方は、「神様は耐えられないかもしれない試練も中には入れるけれど、耐える必要があるとは言っていないよ。」がしっくりきます。

その人が自分に厳しくて、いい加減なところで「ごめんね、ごめんね~」とドロップアウトすれば済むことをそれを罪悪と考えてしまうから、どうしたらいいのかわからなくなってしまうんだろうね。


私は耐えられないことには無理に耐えずにいこうと思います。

ぶざまだと言われてもいいから、そのときにはドロップアウトを宣言します。

ディズニーランドのスプラッシュマウンテンをはじめ、スピード系のアトラクションに並んでいるとところどころで「いいですかぁ~?」「ほんとに大丈夫ですかぁ~?」というように、心臓の弱い人のために脇へそれて「ここでやっぱり私はやめる」というドロップアウトのための道が用意されていますね。

あれです。

あれに、さっさと逃げ込むことにします。

でも、実際にはディズニーランドでも、人生においても、さっさとドロップアウト道を選んだこと、って言うのは実は今までにないんだよね・・・

性分だと思うけれど。

でも、ディズニーランドのドロップアウト道を選ぶのも、また勇気いることだと思うよ~

せっかく2時間も3時間も並んでもったいない、って思っちゃうもんね、やっぱ。


でも、自分がほんとに「もう無理」ってときには、勇気を出してドロップアウトの道をこれからは選ぼう、と思いました。

しかし、そのドロップアウトするときも、「この試練に立ち向かえるだけの準備とパワーと智恵を積んでから出直します。」と再チャレンジを胸に誓えるといいですね。




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