昨日の感動を反芻しながら、今日もスペクトラム関連の記事です。「西慎嗣物語」という、たいそうなものが書ければいいのですが、そこまで詳しくないので知らない人のためにちょこっと書きましょう。ワシはもっと詳しい!という人は読まなくてもいいです。
西慎嗣さんというと、簡単な経歴としてはキャンディーズのバックバンドであったMMPのメンバーとしてプロデビューし、その後スーパーブラスロックグループのスペクトラムに参加。スペクトラム活動中にソロアルバムを1枚発表。スペクトラム解散後は…いろいろですが、私はその辺は詳しくありません。チャーの江戸屋関連のオムニバスとか、ライトニング・ブルースフェスティバルとか、ジョンレノントリビュートライブの出演、スライ&ロビーとのコラボ、若手アーティストのプロデュースなど本当にいろいろで。
なので、スペクトラム加入までの話をしましょう。基本的にはスペクトラム在籍当時の雑誌インタビューを基にします。最初は大阪でミューテーションというバンドでやってたのだとか。メンバーは元サウス・トゥ・サウスのクンチョーとかシーチャンとかだそうです。が、シーチャンとは誰なのかよくわからないです(笑)
高校は入ってすぐやめたそうで、キャンディーズのコンサートの楽屋にギターを持って押しかけていき「僕の歌を聞いてくれ」といったとか。MMPは彼に対し最初はかなり厳しい態度で接し、ローディ半分ギタリスト半分という扱いであったという記事を見たことがあります。もちろん門前払いでなかったあたり只者ではなかったのでしょう。そのあたりの記事は今は手元にないのですが、ん~あれは何の雑誌だったでしょう。
MMPに入ったのは1976~77年ごろでしょうが、その当時のMMPには西村コージさんというギタリストがいました。あの「普通の女の子に戻りたい」宣言の日比谷野音の映像を見ると、ギターが二人いるのが確認できますので片方が西さんのようです。その当時にはステージに立ってたんですね。
その解散騒動のドタバタで西村さんが脱退し今度は山田直毅さんが加入。77年秋というと「アンドゥトロワ」くらいの頃ですが、それからファイナルの後楽園などの映像でギタリストが二人確認できるのは、西さんと山田さんですね。キャンディーズのアルバムに「早春譜」というのがあって、これは全曲MMPが演奏を担当しており、歌詞カードでお二人の写真も確認できます。ただし、どちらも長髪で背格好も似ているので私は長年どっちがどっちかよくわかりませんでした。この当時山田さんも10代だったそうですが、この人はその後歌手の石川ひとみさんと結婚されました。彼女の「キャンパスライブ」というアルバムでそのプレーも聞けます。
西さんの話に戻りますが、MMP時代にはキャンディーズの曲でいくつかの共作があるのと、シングル「スーパーキャンディーズ」「悲しき願い」などでヴォーカルを努めてます。ちなみに西さんの「ハイ、みんなのってるか!」という雄叫びは、キャンディーズのファイナルカーニバルが最初です。スペクトラムの武道館ライブであの声を聞いた時、私なんぞは「お、変わらぬ芸風」と思いました。 そして、キャンディーズ解散と同時にMMPも解散して(「悲しき願い」は解散後の発売のような気がしますが?)、西さんは渡米します。2~3年はいるつもりだったそうで、楽器は全部売っていったのだとか。キャンディーズのステージではファイアーバードとかファイナルの後楽園ではストラトとレスポールを持ってましたが、その辺は全部売っちゃったってことでしょうか。
そして向こうで楽器を探してたまたま入ったハリウッド・ミュージック・ストアというところの社長が日本人で、いろいろ話しているうちに雇ってもらうことになり、そこで働きながら色々セッションしてたのだとか。店にはデイブ・メイソンとかジム・クリューガーとかシーウインドのメンバーが来てて、店内のスタジオでしょっちゅうセッションしてたそうです。おまけに、毎週ベイクドポテトにラリー・カールトンを見に行ってたのだとか。楽しそうですね。
が、結局半年ほどで観光ビザで働いてるのがばれて強制送還されてしまったのだとか。半年ほど働いてたということですから、英語もしゃべれるんでしょうか。って、もしかして奥さんはアメリカの方だったかなぁ…。勘違いかなぁ。う~む。誰か詳しい人いたらおせーて下さい。
帰国後はスタジオの仕事を細々とやったりしたそうです。なお、キャンディーズの後釜としてデビューしたトライアングルというアイドルグループのコンサートで、西さんと渡辺直樹さんが演奏してたという目撃談もありましたが、これが渡米前か帰国後かはわかりません。
帰国後は諸般の事情でスタジオ仕事にはやや不便な場所に住んでいたため、段々仕事がなくなって極貧生活になったのは昨日書いた通り。その後、新田一郎さんに誘われてスペクトラムに参加したと。
昨日も書きましたがスペクトラムに入るまで本格的にカッティングをやったことなかったというのが本当に意外で、ファーストアルバムなんて本当に激しいウンチャカばかりなので、私はそれをかわれて加入したものだとばかり思ってました。ファーストアルバムなんてソロが皆無ですから。もっとも、数年前に発売されたライブビデオのおまけインタビューにて新田さんが「慎嗣にカッティングを40分くらいぶっ通しでやらせて、よく腱鞘炎になってた」といってました。鬼リーダーだったんですね。
ちなみに、昨日の30周年記念祭で「スペクトラムで好きな曲は?」と聞かれ、西さんは「侍ズと夜明け」と答えてました。実は私もこの曲は大好きです。ギターソロがかっこいいのはもちろんですが、曲自体最高にかっこいいので。なので、昨日はその話を聞いて結構嬉しかったです。関係ないけど、同じ質問で奥さんが「Questionが結構好き」といってたのも嬉しかったです。(曲名忘れてたけど) 私もあれが結構好きなので。
ということで、西慎嗣さんの話でした。写真は昨年のライブでいただいたサインです。それにしても、これだけ思いっきり知ったかぶりするとスッキリしました。ただし、あくまでも雑誌のインタビューを信用しての話ですから「オー!ソレハ チガイマース」という指摘は謹んでお受けします。というか、詳しい方は存分に突っ込んで下さ~い。
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https://www.youtube.com/watch?v=gHSY5xgYQC0&t=1293s
22分32秒目あたりで登場。キャンディーズのミキ、ラン、スーにいじられているのが面白い。
あ、最初の奥さんですか…。いや~知らなかったです。ありがとうございます。
>きよっさんさん
いや、この元の記事がイマイチわかりにくいんですよ。それにしても、ミュージシャンは「音楽やりたい!」と思うと細かいこと考えないんでしょうね。そういう人は頼もしいというか、やりたいことがハッキリしてて面白いです。
POLYさん、ご教示ありがとうございました。
ところで、ホトケさんの知り合いのミュージシャンで有吉須美人という方がおられまして、西サン同様、『観光ビザ入国で就労→国外退去』を食らったクチです。結構巷ではあるようですねぇ。
ロスに住んでたんですって。
西氏曰く・・・
で、この元にした雑誌記事の書き方に問題があるようで、後の方で塩次伸二さんの名前も出てくるんですね。が、そちらはシーチャンとなってなかったので、結局どっちがどうだかわかりません。
それにしても、いきなりチャッピーさんちに居候ですか。…すごい。
西氏曰く「75年にミューテーションに参加した!!」との事ですから、塩次シィちゃんじゃなくてDrの井上Cちゃん茂さんのことかもですね。
MMPのリーダーだったチャッピーさんに伺ったところ、その当時渡辺プロのスポンサーだった企業のイベント会場に尋ねてきて、そのまま東京まで付いてきたんだとか(笑)
知り合いが居ないからとチャッピーさんの家に転がり込んで、そのままお世話になっていたそうですよ。
シーチャンは先日お亡くなりになった塩次伸二様という超偉大なブルースギターリストでございます。
山岸”紫スーツ”潤史サンでさえ彼のサイドギターでありました。
この辺の詳しいことはウェストロードブルースバンドで検索していただければよいかと思います。
何度か、伸二サンの演奏を聴きましたが、憂歌団、ウエストロードB・B、サウスの三組で行われた、京大の西部講堂でのライブが最高でした。
それにしても強制送還されたミュージシャンっていうのはあまりいないのではないでしょうか? なんにしても凄い行動力です。
いつかサインしてもらいたいです。
ところで"強制送還"とは凄いですね。
ある意味「武勇伝」でしょうか?
という話はおいといて、私もリスペに呼ばれたはいいけど、それまで1曲ちゃんとカッティングやり通したことなんかなかったし、そもそもやりながら歌えるのか?と悩んで結構特訓したもんです。今ならなんとか人並みには…って感じですが、なんとかやれるかなぁと思ったのが最初のライブの時くらいでしたでしょうか。
なんにしても、昨日の西さんの話を聞いて、「お~、ワシと同じ~」と思って結構嬉しかったです。
それはそうと今回はお疲れ様でした。このイベントは真剣に評価します。素晴らしい!
西さんと逆ですな(爆)