ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

天才「啄木」に思う

2018年06月15日 | 随筆
 「あの頃」を偲んで、今も私の本だなの「啄木歌集」(昭和28年4月15日 第14刷 岩波書店)を手にしています。すっかり茶色に変色していますが、まだ角川の印紙も貼ってあるものです。
 もう遠い遠い昔のことですが、父につれられて、地方の中心都市とでも言いますか、そんな市の本屋へ行った時に買った、私の大切な想い出の一冊です。父は良く私をつれて、本やその他の買いものに、少し離れた市へ列車で行ったのです。
 この本は、私が短歌に親しむきっかけとなった本として、忘れられない一冊です。石川啄木は今でも憧れの歌人です。夫と二人で東北6県へ車で旅行した時にも(1999年の秋 )啄木が暮らして居た住居を見るのに、東北道を滝沢インターから入って、啄木の記念館や啄木が生活していた木造の家に立ち寄りました。
 木造の煤けた部屋の隅に、古い机が置いてあって、「ここで貧しかった啄木は、あの優れた短歌を紡いだのか」と思うと、涙が溢れそうになりました。記念館の女性職員に「良くおいで下さいました」とお茶をご馳走になった事も忘れません。
 これをブログに書くに当たって、現在はどうなっているのかネットで調べましたら、たまたまその日(2018年6月9日)は、啄木の生誕記念100周年の行事の一環で、ロジャー・パルバース氏と啄木記念館長の対談等が行われる日でありました。何という偶然なのでしょう。すっかり感激してしまいました。
 湯川秀樹はその著書「天才の世界」(小学館 昭和60年)に日本人の天才として『弘法大師と石川啄木と宗達・光琳と世阿弥』を挙げています
 啄木の項では『「一握の砂」は五百何十首かありますけれども、全部好きですね。好きというだけでなく、全部がうまいです。』と書いています。更に『「いのちなき砂のかなしさよ、さらさらと、握れば指のあひだより落つ」というのが、私のいちばん好きな歌ですね』と語っています。
 私は毎日寝る前に読む短歌や詩を、私の裸眼で読める大きさに拡大して印刷して、ポリのポケットのあるノートに整理しています。勿論啄木も1ページあります。
 このノートの詩や短歌を数ページ読んで、最後は何時も「丁度よい」という藤場美津路の詩を読みます。不思議に先ほどまでパソコンにかじりついていたりして、チラチラした目も、落ち着かない心も静まって、ベッドの頭上の間接照明を消すと、そのまま静かに眠りに入って行けるのです。
 湯川秀樹は『この世界というものは、生きた人間が寄ってつくっている。いかにも楽しいこと、悲しいこと、いろいろあって、そこに人間が生きているというふうにもみることができる。しかし、そういう世界というのは、人間だけの世界ではなくて、その背後には、動物があり、植物があり、石もあり、山もあり川もある。あるいは地球以外の星もある、そういう世界に住んでいるわけですね。そうすると、そこに命のないものもたくさんあるわけです。人間もまた逆にいうと、命のない物質からできていて、たまたまそれが命ある人間らしきものになっているけれども、そういう人間というものが、人生のいろんなことを経験する。
 私などはどう感ずるかというと、やはり「いのちなき砂のかなしさよ、さらさらと、握れば指のあひだより落つ」という感じが、ひじょうに近いわけやね。とくに物理学のような学問をやっておりまして、そういう自然法則とか、素粒子とは何であるかというようなことを、研究しておりますと、そういうものはつかもうと思ってもなかなかつかめぬ。握ったつもりでおったのが、指の間からさらさらと落ちていく。これは何度でも経験することですね。そういういろいろのことが実に見事に集約されて、一つの歌に表現されているという意味合いから、私はこの歌がとくに好きですね。ーーー好きというのには、そういう意味がこもっている。』
と書いています。私はこの部分にとても引かれました。
 私の最も尊敬している歌人石川啄木を、天才である湯川秀樹が「天才」だと評価して下さっていることに、まるで我がことのように嬉しく思います。
 啄木は実に平易な言葉を使って短歌を詠んでいますが、その非凡な才能と、そして多くの人々に共感を与える力を歌に籠めています。
 湯川秀樹のような素粒子という命なき世界に取り組んでいると、今度こそ掴んだと思っても、いつの間にか抜け落ちている哀しさの繰り返しだったのでしょう。
 私達のような平凡な人生にあっても、掴んだ筈の幸せが何時の間にかこぼれてしまう哀しさを、何度も体験しながら、終末点へと近づいて行く。そんな人生を歌っているように思えて哀しくなるのです。
 
 呼吸(いき)すれば胸の中(うち)にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音

 さりげなく言ひし言葉はさりげなく君も聞きつらむそれだけのこと

かにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川

 どれもこれも皆皆啄木の秀作で、奥の深い歌です。「かにかくに」の五文字の中に、どれ程の思いが込めらているのでしょう。渋民村と同じような日本人のそれぞれの故郷は、誰にとっても懐かしく忘れがたいところです。
 岩手県盛岡市渋民の啄木記念館を訪れられることをお勧めしたいです。
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