やっと過去形で、救急車のお世話になった体験を書くことが出来るような気分になりました。それは1月下旬のある日のことです。
真夜中に気分が悪くなり、隣に休んでいる夫を起こすべきかどうか迷っていたのですが、なかなか良くならず、意を決して呼び起こし、吐き気止めのくすりを薬箱から探してもらいました。お医者さんにかかつた時に、飲み残した薬を大切にしていて、こんな時に使っているのです。
それを飲んで寝ていたのですが、中々良くならず、熱はないのに寒気がして、私はうかつにも電気毛布のダイヤルをどんどん上げて、最高にしてしまいました。朝5時頃だったでしょうか、気分が悪くなって、トイレに立ったまでは覚えているのですが、トイレの前で仰向けざまに卒倒してしまったのです。
廊下の壁に大きなへこみを付けて、とても大きな音を立てて倒れたものですから、夫が驚いたのも無理ありません。駆けつけてみると、私は目を開いたままゴウゴウと高いびきで意識が無く、幾らゆすっても中々気が付かず、夫は「ひょっとしてこのまま死ぬのか」と思ったそうです。
しかし、やがて気付いた私は、そろそろと這って蒲団に潜り込み、朝食を食べずにそのまま寝てしまいました。しかし気分の悪さは一向に変わらず、家族が朝食をとっている間に、私はもう一度トイレに立ちました。ところが再びドスンと倒れて、意識が無くなってしまったのです。おろおろする夫に、息子がテキパキと指示して、救急車を呼びました。私はすっかりぐったりしてしまって、意識が朦朧としたまま病院に搬送されました。
土曜の朝でしたので、当直医がCT撮影をして下さって、脳梗塞ではないことが分かりホットしました。しかし、倒れた時に打ったらしく、腰が痛くて歩けませんでしたので、整形外科で腰椎のレントゲン検査を受けました。異常は無かったのですが痛みが烈しいので、痛み止めの注射をして頂ました。けれども何故か立てず歩けずで、今度は内科に受診して、点滴して頂きましたら、何とか力が出てきてタクシーに自分の足で乗って帰って来ることが出来ました。
要するに単なる起立性低血圧に依る脳貧血だったのです。けれども電気毛布のダイヤルを上げて長い時間が経っていましたから、脱水症状も加わって、うまく歩けなかったのではないかと私自身は推測しています。
後日掛かり付けの循環器内科の医師に、この場合、救急車を呼ぶのがベストだったと伺って、少しホットしました。最近一寸したことで、救急車を呼ぶということが問題になっていますので、私のような起立性低血圧程度で救急車を使ったりしては、申し訳ないことです。 けれども素人には判断がつかないことなので、あの場合は仕方が無かったと思っています。この度つくづく思ったことは、救急車を有料化 してもらう方が頼みやすいということです。命を救って頂くのですから、医療行為の一部として、自己負担があって当然だと思いました。いろいろと難しい面もあるのかも知れませんが、少なくとも私はそう感じています。
我が家では、娘が小さい頃海水浴に連れて行って、毒クラゲに刺されて呼吸困難になった時、義母と義父がそれぞれ倒れて入院した時に救急車を頼んでいます。いつもとても有り難く感謝してきました。
急病に襲われて、動けなくなった時は、救急車ほど有り難いものはないとしみじみと感じました。以来今日までかかって、ようやく腰の状態や身体のあちこちも良くなりました。
救急隊の皆さんのキビキビした対応や、患者である私に対する優しく温かい接し方に深い感動を覚えました。意識レベルを測るのに声を掛けながらの血圧や脈拍の様子の測定、そして酸素マスクと、朦朧とした意識の中でも、救急隊の方には、とても親切に対処して頂き、何とお礼申し上げて良いのか解らないくらいでした。
医療にも介護にも受益者負担がありますが、救急車の利用についても同様に考えても良いのではないでしょうか。さもないと、このたび頂いたご親切に対するお礼が不十分のようで心苦しいです。
救急車の有り難さと、人間の真心の温かさに直接触れたこの冬の経験でした。
真夜中に気分が悪くなり、隣に休んでいる夫を起こすべきかどうか迷っていたのですが、なかなか良くならず、意を決して呼び起こし、吐き気止めのくすりを薬箱から探してもらいました。お医者さんにかかつた時に、飲み残した薬を大切にしていて、こんな時に使っているのです。
それを飲んで寝ていたのですが、中々良くならず、熱はないのに寒気がして、私はうかつにも電気毛布のダイヤルをどんどん上げて、最高にしてしまいました。朝5時頃だったでしょうか、気分が悪くなって、トイレに立ったまでは覚えているのですが、トイレの前で仰向けざまに卒倒してしまったのです。
廊下の壁に大きなへこみを付けて、とても大きな音を立てて倒れたものですから、夫が驚いたのも無理ありません。駆けつけてみると、私は目を開いたままゴウゴウと高いびきで意識が無く、幾らゆすっても中々気が付かず、夫は「ひょっとしてこのまま死ぬのか」と思ったそうです。
しかし、やがて気付いた私は、そろそろと這って蒲団に潜り込み、朝食を食べずにそのまま寝てしまいました。しかし気分の悪さは一向に変わらず、家族が朝食をとっている間に、私はもう一度トイレに立ちました。ところが再びドスンと倒れて、意識が無くなってしまったのです。おろおろする夫に、息子がテキパキと指示して、救急車を呼びました。私はすっかりぐったりしてしまって、意識が朦朧としたまま病院に搬送されました。
土曜の朝でしたので、当直医がCT撮影をして下さって、脳梗塞ではないことが分かりホットしました。しかし、倒れた時に打ったらしく、腰が痛くて歩けませんでしたので、整形外科で腰椎のレントゲン検査を受けました。異常は無かったのですが痛みが烈しいので、痛み止めの注射をして頂ました。けれども何故か立てず歩けずで、今度は内科に受診して、点滴して頂きましたら、何とか力が出てきてタクシーに自分の足で乗って帰って来ることが出来ました。
要するに単なる起立性低血圧に依る脳貧血だったのです。けれども電気毛布のダイヤルを上げて長い時間が経っていましたから、脱水症状も加わって、うまく歩けなかったのではないかと私自身は推測しています。
後日掛かり付けの循環器内科の医師に、この場合、救急車を呼ぶのがベストだったと伺って、少しホットしました。最近一寸したことで、救急車を呼ぶということが問題になっていますので、私のような起立性低血圧程度で救急車を使ったりしては、申し訳ないことです。 けれども素人には判断がつかないことなので、あの場合は仕方が無かったと思っています。この度つくづく思ったことは、救急車を有料化 してもらう方が頼みやすいということです。命を救って頂くのですから、医療行為の一部として、自己負担があって当然だと思いました。いろいろと難しい面もあるのかも知れませんが、少なくとも私はそう感じています。
我が家では、娘が小さい頃海水浴に連れて行って、毒クラゲに刺されて呼吸困難になった時、義母と義父がそれぞれ倒れて入院した時に救急車を頼んでいます。いつもとても有り難く感謝してきました。
急病に襲われて、動けなくなった時は、救急車ほど有り難いものはないとしみじみと感じました。以来今日までかかって、ようやく腰の状態や身体のあちこちも良くなりました。
救急隊の皆さんのキビキビした対応や、患者である私に対する優しく温かい接し方に深い感動を覚えました。意識レベルを測るのに声を掛けながらの血圧や脈拍の様子の測定、そして酸素マスクと、朦朧とした意識の中でも、救急隊の方には、とても親切に対処して頂き、何とお礼申し上げて良いのか解らないくらいでした。
医療にも介護にも受益者負担がありますが、救急車の利用についても同様に考えても良いのではないでしょうか。さもないと、このたび頂いたご親切に対するお礼が不十分のようで心苦しいです。
救急車の有り難さと、人間の真心の温かさに直接触れたこの冬の経験でした。