ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

報道のレベルアップを

2010年03月17日 | 随筆・短歌
 近頃は歳のせいか、嫌なことはなるべく避けて、心を平らなところに置こうとするようになって来ました。テレビも例外ではありません。最近は余りに酷いと言われ、特に下品なバラエティーという番組が、少し影を潜めて来たと聞きます。私達夫婦が現在、毎日決まって見る番組は、お天気予報とニュースが一日一回程度、それに私がクラシック倶楽部を可能な日だけ見るといったところです。
 不定期に見る番組を前もって検討するのは、ほとんど夫の仕事ですが、見たい番組に印を付けて、その時間のみテレビを付けますが、終わると必ず消しています。ニュースや社説などはネットと新聞で読んでいます。
 今はそのように暮らしていますが、やがて歳を取って家にばかり籠もるようになれば、テレビを全く見ないでは済まされなくなるでしょう。ですから各テレビ局には、国民が見たい、聞きたい、知りたいもっともっと良質の番組を提供して欲しいのです。国民の知識や良識、健康の向上を図り、また時には癒しに役立つ内容をお願いしたいです。それには、赤ちゃんからお年寄りまでを、ある程度年代別層別にすれば、相応な優れた放送が出来ると信じています。いずれにしても現在のように、見たり聞いたりすることにより、ストレスが増すようなものは、避けたいと思う人は大勢いらっしやるのではないでしょうか。
 政治討論の番組でも、様々な意見があるのは当然のことであり、それなりに勉強になりますが、司会者が余りにも横柄で高圧的だと、不快感が高まって、見る気がしなくなります。私達もとうとう我慢しきれなくなって、今では見るのを止めてしまったものが有りますが、司会者たる人は公平であり、品格のある紳士であって欲しいと思います。やがてある民放では司会者が交代するそうですが、後任となる人も又期待薄です。人材起用を見ていますと、その局の放送に対する意識まで透けて見えて来る気がします。
 公平といえば、最近の雑誌や週刊誌なども見出しを見ただけで、余りに興味本位に偏っていて、このような記事をあたかも真実のように書いて良いものかと、気が気でない思いをします。例を一つあげますと、夫の墓に入りたくない、夫と旅行なんて考えても身震いする・・・という記事の週刊誌の広告が新聞に出ていました。それは真実でしょうか。私の地域では周りのご夫婦は、仲の良い方がほとんどで、とてもそのデータが真実とは思えません。亡くなられて別のお墓に入ったと言う話も聞きませんし、この手の記事はただ売れさえすればそれで良い、と言う心理が働いている気がしてならないのです。しかし、根拠のない数字であっても、データはやがて一人歩きし始めて、あたかも真実のように思えたり、だったら私も、と考える人が増えて来るとしたら怖いことです。
 良くも悪くも放送や新聞雑誌類は、世論を知らず知らず誘導してしまいます。その点をしっかりと認識して、公正な報道に今以上に注意を払っていただきたいと思っています。 また報道を受け取る私達も、商業意識に汚染された記事や、自分達に都合の良い報道を盲信することなく、どれが真実か、しっかりと見極めるだけの努力をしなければならないと思っています。ともすると視聴率に動かされて、どんどん低俗化して行く傾向すら見えて、このまま行ったらこの国の未来はどうなるのでしょう。愛と希望に満ちた国家はますます遠のいて、乾ききった殺伐とした国に向かって行っているようで不安を覚えます。最近の男女の区別なく、むごい事件が頻発する世の中を見ていても、報道のあり方をも見直す必要さえ感じます。
 間もなく地デジでないとテレビが見られなくなるそうです。国が一方的に決めたことですが、地デジになって何が良くなるかと言うと、今より鮮明に画像が見られる、双方向に通信が出来る等だそうですが、今でも充分に綺麗に見えますし、双方向になったとして、それにどれ程の価値があるというのでしょうか。無知な私には良く理解出来ません。このことによって、多大な支出を強いられる国民のことを考えているのか、その方が心配です。
 私達か気に入って時折訪れる鄙びた温泉宿がありますが、その女将さんが、各部屋に地デジを入れるには、莫大な費用がかかり、この時期にその費用を負担して、その後やっていけるかどうか悩んでいます、ととても切なそうでした。地デジはこのように一生懸命生きている人達を更に苦境に追い込むことを初めて知りました。
 問題は綺麗な映像を見せることより、いかに優れた番組を作るか、安心して信頼出来る公平な放送を如何に安上がりに提供するか、ということが問題なのではないでしょうか。現在のような内容ならば、まずは見ないことが多く、従って視聴料は高すぎます。ほとんど見ない公共放送に、毎年高い代金を支払っています。アナウンサーは独りでニュースを伝えられる筈なのに、何故か二人で二倍の経費を使ったりしています。自局に優れたアナウンサーがいるのに、高い人件費を払ってタレントや元職員を連れてくるというのも如何なものでしょう。諸外国には無い現象です。
 災害があれば、民放では直ちに現場に駆けつけますが、公共放送のアナウンサーが局内から、忙殺されている現場市役所の幹部に、電話でインタビューをしているなど、ハラハラしながら見ています。被災地の方々より高い位置に立って、横柄な態度で取材しているようで、驕っているようにさえ思えます。現場ではきっと猫の手も借りたい位でしょう。
 また、マスコミには報道の自由と責任があると言っても、容疑者の両親の顔を写して感想を聞くシーンに出会うことがままありますが、ましてや加害者が成人している場合は、そこまでするのは如何かと思います。在る意味では加害者の親御さんも被害者なのです。 又我が子を失って悲しみのどん底に居る人などに、無神経にマイクを突きつけて、感想を聞く姿を見ると、記者の人間性すら疑いたくなります。
 私達には、見る、見ないの意志決定の権利がある訳ですが、視聴率を気にせずに、放送出来る局もある訳ですから、せめてそういう所が、率先して放送内容のレベル向上に一層勤め、健やかな心を育むために、もっともっと努力して欲しいのです。
 この歳になると多くの人は、抱えきれない程の哀しみや苦しみを乗り越えて生きて来ているのです。未来の子供達の為にも、もう少し生きている私達の為にも、健康で明るく、希望に満ちた将来への先達として、しっかりした番組や記事を提供したり、公正な報道に心掛けていただきたいと切望しています。
 そうでなければもっと良い放送へ、という地デジのキヤンペーンに対しても、納得出来ませんし、これから出費しなくてはならない沢山の方達にも気の毒です。せめて切り替え時期を、もう少し国民の経済状態が良くなるまで先延ばししても、一向に構わないのではないでしょうか。

  未知の空へ憧れゆくか雛鳥の羽根震わせ今し飛び立つ 
                      (実名で某誌に掲載)

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