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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

好奇心ー私を支えてくれるもの

2009年11月01日 | 随筆・短歌
 私はとても好奇心の強い人間の部類だと思っています。好奇心は私をとても楽しくさせてくれ、見るもの聞くもの全てが楽しく、今日は何が起こるか、ワクワクさせてくれます。 けれどもそのせいで、時折周囲の人を振り回してしまうこともあります。自分では意識していないのですが、例えば、夫と毎朝のウォーキングに出ると、新しい家の工事が進んでいる所では、つい足が止まって中をのぞき込み、間取りを見ていたり、見かけない小鳥が居たとか、花が綺麗だとか、直ぐに足が止まってしまいます。夫が直ぐ後を私が歩いて来ていると思って話し掛けてもそこに誰も居ません。立ち止まったり、ずっと離れたところを歩いていたりして、しばしば夫に注意されています。
 旅行計画では、あれも見たいこれも見たいで、つい盛り沢山にして、夫の査定でビシビシ切られて、やっとまともな計画になることは以前書きました。
 好奇心に駆られて何にでも手を出して、それはそれは楽しい思いもし、夢中にもなるのですが、反面失敗も多く、充分考えもせずに始めてしまいますから、途中で投げ出す事も多くなります。 お花、お琴、お茶、など花嫁修業で始めたものは、就職した為に頓挫し、退職後に始めた日本画、水墨画、焼き物、書道、写経、コーラス等は、義父母が病で倒れたり、介護のために中断、太極拳等も家族のスケジュールと会わなくなったりして、途中で投げ出しました。そして結局家にいて出来る通信講座による学習が残った訳です。
 これも次々と手当たり次第に2~3講座ずつ並行して沢山学習しました。しかし、何時もリポートを書くのに追われて、四苦八苦の連続でした。これは今でも講座数を減らして、何とか続けている状態です。
 やっと自分の考える通りの日程が組めるようになった時には、以前学んでいた教室に戻る気持ちは失せていて、結局一道に徹することもなく、一人前に上達したものは何もありません。
 話は変わりますが、私が長女を出産した時、実家には帰らず、退院してから約一ヶ月、泊まり込みの家政婦さんを頼んで過ごしました。その家政婦さんが、とても好奇心の強い人で、あの頃70歳近くなっておられたと思いますが、毎日、新聞は隅から隅まで読み、読書家で常に本を離さず、文学や政治にも詳しく、私とのどんな話にも直ぐにそれなりの会話が発展するのです。
 それでいて決して出しゃばらず、いつも控えめで立派な人でした。あのように好奇心が強いから、考え方が柔軟で若いのだと、私達もすっかり感心していました。私も歳老いたら、あのように好奇心の強い人間でありたいと願ったものです。
 実際に歳よりずっと若く見えましたし、まだまだ知りたいことが沢山あると仰って、自分が知らない話になると、熱心に聞きたがりました。そのどん欲なまでの好奇心が、若さを保ち、教養を身に付けさせていたのだと思います。
 今考えても、私達のように未熟な夫婦を教育してくださる為に、神が遣わせて下さった方のようにも思える程、不思議な出会いでした。時折寂しそうな表情を見せることがあったので、悲しい過去をお持ちだったのかも知れませんが、礼儀だと思ってお聞きしませんでしたし、今でも知りません。
 私達が親に、長い期間を教育して貰う最大の目的は、学ぶことによって、一生をかけて学び続けるテーマを見つけたり、その方法を見出す為だと考えています。身の回りにある無数の本は、読み切ることは出来ませんが、学び続ける力さえ身につけば、後は自ずと自分で生涯学んで行けるものだと思うのです。ですから、今在ることも父や母によって受けさせてもらった教育の賜だと感謝しています。
 今日は、何だか偉そうなことを言ってしまって、今更ながら恥じ入っています。
 或るところで次のような言葉を見つけました。

 好奇心は希望の別名に他ならない   チャールス・ヘーア
 好奇心は力強い知性のもっとも永久的な特性の一つである  サミュエル・ジヨンソン
 

  花吹雪に今在ることも父母の授け給ひし命なりけむ
  われに似て風に運ばれしタンポポの着地しさうでしないもどかしさ
                          (実名で某誌、紙に掲載)