ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

みんな違ってみんないい

2019年01月09日 | 随筆
皆様明けましておめでとう御座います。今年は平成天皇のご退位と新天皇のご即位という、歴史の節目の年となります。昨年のような災害に遭うこともなく、平和な年でありますように祈りつつ、私も心を引き締めて努力したいと思っています。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

金子みすずの詩に「わたしと小鳥とすずと」があります。多くの人が知っているものですが、次に掲載させて下さい。

  わたしと小鳥とすずと 金子みすず(1903~1929)

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

 温かく清らかな詩で、私の大好きな詩です。最近のニュースを見聞きして、しみじみと感じることがあります。人間は、誰しも自分を大切に思い、家族を友人を知人を大切にしています。それはこの地球に生きとし生けるもの全てに共通するものだと思われます。
 例えば、百獣の王といわれるライオンも、空駈ける小鳥も、土の下に住むモグラやミミズも同じです。それぞれにふさわしい所で生きて、何かの役に立って、結果としてみんなで地球を支えています。
 それぞれの生物は、それぞれ別の生物を食して生きています。AがBをBがCをCがAをと言うように、丁度円を描くように回っていて、終わりがありません。特別の事が起きない限り、種は絶えることなく永久に次々と命のバトンタッチをして行っているのです。
 人間社会も、一見バラバラな人間の集まりの様ですが、それぞれが自分に出来る範囲の役割を果たして、この社会は保たれています。健康な人、病気の人、気の強い人、弱い人、スポーツが得意の人、芸術家、政治家などなど。
 もっと言えば、社会の人々に迷惑を掛けたりする人もいれば、多くの人々の役に立つ人が居て、それぞれみな社会の中でバラバラに存在しているようですが、良く考えると、お互いにその役割を果たして、社会が成り立っていると言えそうです。
 私達は相手の人間性を観察して、自らの足りない点をそこから学んで成長して行きます。罪を犯した人を見て己を律したり、相手に哀れみをかけたりする、犯罪を犯した人もそうでない人の心の清らかさに打たれて反省する、そう考えてゆくと、この世に不要な人は一人もいない事になります。
 今、此処に100人の、全員知能の高い人ばかり揃えて何か同じことをさせたら、しばらくすると、その集団はどうなると思われますか。何時か何かで読んだのですが、必ずその集団の中で、更に頭角を現す人が出てくる一方、優秀であった筈なのに落ち零れたりする人もあって、デコボコの100人になるというのです。それだけ揃えば、立派な成果をあげるに違いないと誰しも思うのですが、そうは行かないと言うから不思議です。
 大勢の集団には、優れている人とはみ出したり遅れてしまう人が出て来て、初めて人間同士、支え合い助け合って良いチームとなっていくと云うのですが、それは私にも解る気がします。
 上手く仕事が出来ない人を見て、「私はあの人よりは仕事が出来る」と思って自信が生まれる。「私は不器用だけれど真面目な人間だ」「仕事は優れている訳ではないが、笑わせて周囲を和ませている」等々、不思議なことですが、このようにして社会が円満に成り立つもののようです。落ち零れることも人の役に立っていると言えます。
 マラソンでもトップもあればビリも居て成り立っていますし、コーチのような人、競技役員、応援する人など、一つの競技でも、それぞれ別の役割を分担して、その役割を誇りとして協力し、大会を成功させています。それぞれが出来る事、出来ない事があり、お互い補い合っています。
 金子みすゞの詩のように、みんな違った役割を果たしていて、その行いを肯定してよしとする人間の心の美しさを、ひしひしと感じます。
 リーダーになる人は、落ち零れた経験を持つことによって、より優しくより強いリーダーに育ちます。切磋琢磨と言いますか、玉や石を磨くように、学問や道徳を身につける事に勉め、日々励んでやまないとか、仲間どうし互いに励まし合って生きて行くことを大切にしたいものです。
 人間の能力を学力だけで計ったりせず、スポーツや芸術などや、優しさや厳しさなど、様々な方向から眺めたいものです。全ての人間は様々な能力の芽を内に潜め持っているのですから、それに早く気付いて、伸びるべき芽を伸ばせたら幸せですね。
 恐らく人間は沢山の能力を持ちながら、気づかないまま、一生を終えることも方が多いのではないか、と私は思っています。実に勿体ないことではあります。
 一方何かの拍子に誰かと出会い、それが契機となって前途が開ける人も多いようです。自分の良い所を探したり、「好きこそ物の上手なれ」で好きな事に力を注ぐとか、備え持つ能力を考えたり、「自分は何も出来ない。駄目人間だ。」などと決めつけないで、のんびりした休日などには、長所探しをしたらどうでしょう。
 たとえ何歳になっても、そのように考えることが、それから先の生き方を一層充実させてくれるように思えます。
 きっと「みんな違ってみんないい」と詠うみすゞの心が、ひたひたと浸み込んで来て、満ち足りた日々が送れるのではないでしょうか。