ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

古い音楽に蘇る記憶

2015年12月20日 | 随筆
 ハープ奏者の内田奈織の曲を聴きながら書いています。音楽を聴きながらメールやブログや何かの原稿を書いているということは、私の何時ものことです。ウォークマンのこともあれば、パソコンで聞きながら書くこともあります。沢山のCDの中から、その日目に止まった1~2枚を出して来て、聞きながら書くのです。
 心が癒やされて、仕事がはかどります。でも書くことに熱中すれば、もう何も聞こえてはこないのです。ふと手を休めると、急に聞こえてアッあの曲だ、と意識します。
 今さだまさしの「北の国から」が始まりました。ドラマ「北の国から」をDVDで何度も見ましたから、いつも心に残る美しいメロディーです。
 そういえばさっき「大きな古時計」が聞こえていましたが、先日祖父が或銀行の椅子(後ろにとても大きな柱時計が掛かっている)に腰を下ろし、真正面から撮った写真を見付けました。
 元気だった祖父は、明治時代からの銀行の頭取(衆議院議員であり、後に貴族院議員になった人)から、留守を頼まれてずっとその人の代わりに頭取代行をしていました。後に現在の地銀に合併になりましたが、ふる里へ帰ると今もその地銀は、元気であった祖父を思い出す懐かしい建物です。
 祖父は私が大学1年の秋の、そろそろ学生寮に戻らなくては、と言う日に突然倒れて、数時間大きいいびきをかいてそのまま亡くなったのです。お葬儀には、その議員の方は都合が付かなかったそうで、弔辞をテープに吹き込んで届けて下さって、参列者一同静かに拝聴しました。その切々とした涙声の長い弔辞には、一同感動して聞き入ったものです。
 人は何処でどのような出会いがあるのか、解りませんが、議員の方と祖父とは、古くからのお付き合いだったようです。
 祖父は夏は明石縮を愛用して着ていましたので、祖父の姿を偲ぶ時は、何時も白地の明石縮姿です。着心地が良いと気に入っていたのです。
 鉢植えを趣味にして、木に鋏を入れたり水をやったりして、見事な鉢を並べて育てていました。大戦前のあの時代なのに、カメラも趣味で、着物姿の父母と幼かった私達の写真も、私の入試の願書に貼った写真も皆祖父の手製でした。暗室も持って居て、現像や引き延ばしもするのです。当時はガラスの原板だったのですが、着物姿でやっとお座りしている、私一人の写真も残っています。
 今はもう見る影も無い「お壺」と呼ばれていたお庭に、家族全員が一列に並んで撮った写真もあり、その頃の若い父母を見ると、私より年下であることに、不思議な感慨を覚えます。
 イエスタデイが聞こえて来ました。娘が勤め始めた頃に私が退職し、やっと東京に居る娘にゆっくり会いに行くことが出来るようになり、二人で良く聞いた曲です。エデンの東、そして枯れ葉、それらはみな私には懐かしい曲です。
 楽器の好みも次々に代わり、ギターでは、クロード・チアリが好きだったり、今は、ジプシイ・キングスのインスピレイションが好きで、繰り返し聞いています。これは映画好きの夫と二人で、DVDを借りて来て見る「鬼平犯科帳」のエンディングの音楽です。何時もしみじみと鬼平の人間性を思い出させてくれる名曲です。ジプシーキングスの奏でるギターの音色がとても好きで、CDを5枚セットで買いました。
 音楽は折に触れて、それを好んで聞いた頃の様子を、はっきりと思い出させてくれる有り難い存在です。勿論一つの曲に何人もの人達や情景があったり、悲しさや苦しさや楽しさを蘇らせてくれる、誠に不思議な力もっています。
 去年亡くなられた夫の友人も音楽が好きで、あれこれ頼まれてコピーして上げたこともありました。どうしても手に入らなかったのが、フルトヴェングラー指揮のベートーベンの第6という注文でした。カラヤンなら私も持っていたのですが、つい手に入りませんでした。インターネットで探せば見つかったかも知れないと、今も心残りになっています。
 来年は夫婦で、何とか頑張って一・二泊の予定で彼のお墓参りに行こうと話しています。それまで元気でいたいと思っているのですが、果たして実現出来るかどうか自信はありません。 
  
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