ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

響き合う心

2018年04月12日 | 随筆
 フォレスタというコーラスグループをご存じの方は多いと思います。一年ぶりに私の住む市で公演がありました。毎年の公演は欠かさずに出かけていますが、チケットを去年の12月に購入して、待つこと4ヶ月、ようやく公演会の日がやって来ました。この度の公演は、今迄に比較してステージと客席の一体感が強く、格段の盛り上がりでした。何時もは直立不動の姿勢で歌うフォレスタのメンバーが、動き回るユーモラスな演出もあり、それでいて確かな音と調和した響きで実に上手く、このような楽しく素晴らしいステージは初めてでした。
 バイオリンや他のクラシック音楽やバレーの公演の時は、皆さん礼儀正しく見聞きし、最後まで熱烈な拍手で、何時も満足感に浸って帰るのですが、今回ほど盛り上がりが楽しく、心の底から音楽の楽しさを実感し、興奮して帰途についた事は初めてだったのです。
 「来年迄元気で生きていて、又この感動を味わいたい」と切に願いました。良い公演があった時には、声をかけ合って情報のやり取りをしているご近所の友達も、全く同じ感想を言っていましたから、参加された人達はみなそう感じて帰られたのだと思います。
 来年の公演を待つ心に、「元気で生きていて」と願ったりする事も初めてですし、それほど今回のフォレスタの歌声が素晴らしかったとも言えます。
 日常はTVの「BS日本こころの歌」を楽しみに聞いています。ところが最近どうも童謡が多く、もう少し大人の歌が聴きたいと思いましたが、友人も同じ意見でした。それからまだ日が浅いのですが、今週は「ちんちん千鳥」一曲が童謡でしたが、他は何時もの叙情歌などで、とても楽しませて頂きました。きっと可成りの人達が同じ意見を寄せたのでしょう。ホームページへの意見は必ず目を通しています、とありました。
 人間は様々なものに興味を持ち、それぞれその道にドップリ浸かって、幸せを追求するもののようです。私は1991年からNHKの生涯学習講座で短歌を学んでいますが、何時も自分の力のなさを情けなく思いつつ、それでも短歌を学ぶ事が好きなので、新聞の投稿なども含めて、たまにしか載らないのですが、あちこち投稿しては結果的に何時も忙しい思いをしています。しかし、短歌はペンと紙があれば、作れる良さがあって、私の終生の趣味として楽しんでいきたいと思っています。
 また少し異なりますが、私は西郷隆盛に心を寄せるところがあって、鹿児島へ行き、南州終焉の地や尚古館・墓地などに行ったり、又「南州翁遺訓集」を買って解説付きですが読んだりして、深く考え、人には温かい心で接し、行動する様子に、すっかり心酔しています。
 最近は、小泉純一郎の「決断のとき」(集英社)を買い求めて、あの東日本大震災の救援活動で、アメリカの原子力空母「ロナルド・レーガン」の兵士達の「トモダチ作戦」を、当時を思い出して胸のつまる思いで読んだところです。
 偉大な人は、何処か破天荒でもあり、即行動に移す素早さが見事な気がします。小泉元総理も拉致被害者に対して、即決で出かけて一部の人達を救い出しました。
 私はトモダチ作戦で放射能と知らずに被爆した「ロナルド・レーガン」の兵士達が、後のインタビューで、日本を恨むことなく過ごしている様子を知って、本当に頭の下がる思いをしています。
 私の長兄も、原子力工学を専門としていて、日本やアメリカの原子力研究所に数年ずついたり、世界各国の原発を視察させて貰っていたようですが、やがて白血病を発症して早世しました。学生時代からの長い期間にわたる被爆が想定されますが、因果関係をとやかく言う積もりもありません。それだけに、トモダチ作戦の兵士の気持ちもわかる気がするのです。
 何か一生懸命にしようとする人達には、それなりの熱い心があって、やむにやまれぬ心で一心に突き進む姿を、歴史を通して教えられていますし、それに響き合う心の尊さも素晴らしいと思うのです。
 一つのことを成し遂げるにも、幾多の困難があり、それを乗り越えるために動く人達の響き合う心が、偉大な力を生み出し、その渦の中に周囲の人々を巻きこんで行くのだと思います。
 今年の春は気温が激しく乱高下して、自律神経が対応に苦慮しているのが、体調を通して良く分かります。そんな中で、フォレスタの美しく爽やかな音楽の世界に、全てを忘れてドップリと浸かる時間を持てた事はとても幸せでした。
 これも又気持ちを切り替えて、新たな目標に進む足がかりにして、人生は多難だけれども楽しい、と思いながら生きて行けたら、人間として一歩成長したと言ってもいいでしょうか。