ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

引き継がれ来しもの

2010年01月04日 | 随筆・短歌
 明けましておめでとうございます。年が改まり、清々しい気持でPCに向かっています。どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
 年頭に当たって、仁左衛門に引き継がれてきたものに思いを馳せてみたいと考えています。日本の何処にでもある渓谷から流れ出した、清らかな水を集めた河のほとりに仁左衛門の家はありました。家から海岸まで直線距離で約7キロほどの所でした。義父は次男で、兄は医師だったことは以前書きました。教育熱心だった義父の父が、子供に高等教育を受けさせたのですが、長兄が、患者さんの腸チフスに感染して亡くなり、次男であった義父が家督相続をしました。義父には他に姉が一人と弟が二人いました。
 義父はその頃には珍しい二階建ての家を新築し、先祖代々のお墓も整理して、昔は子供が亡くなると一人に一つ小さなお墓があったようですが、それらも纏めて、立派なお墓を建てました。
 ところが私達が現在住んでいる市に家を建て、義父母と同居するようになったので、義父は自分の建てた家を一番下の弟に譲り、お墓も弟に管理して貰うようにしました。付随して田畑も、すっかり弟に継いでもらいました。義母の話に依ると弟達の学費も、義父は自分の給料から援助していたそうで、なかなか苦労も多かったと当時を偲んでいました。
 義父母は現在の家に移る時に、少しばかり想い出の品を持って来ました。それは蒔絵の三段重ねの重箱、蒔絵の長方形のお盆二枚組、河に流れ着いた埋もれ木を磨いたという、仏像のような置物、太い榧(かや)の擂り粉木、漆塗りの流し箱、掛け軸二本、アルマイトの大鍋、そして手頃な漬け物石二個です。市街地に行けば、漬け物石に困るだろうと考えたのでしょう。
 義母は漬け物がとても上手で、太い大根を毎年美味しく漬けてくれました。勿論例の漬け物石が役立ちました。それはそっくり私に受け継がれて、私も沢庵漬けをつくりました。 義父母を送り、夫も退職して暇な時間が持てるようになった私達は、秘湯と言われる山奥に日帰り入浴に通い始めました。鶯やカジカが鳴き、ヒグラシやツクツク法師の聞こえる秘湯で、渓谷にあるその温泉がすっかり気に入りました。
 帰りに産地直販のお店で、四季折々の山菜や野菜を買って来るのが、また楽しみでもありました。秋も深まり、スーパーの店頭に漬物用の大根が並び始めた頃、その店主が貴方がたの住んでいる所は海の近くなので、大根は全て砂丘大根で水分が多く、漬け物には向かないと言うのです。ここで取れた大根は土地も良いし、美味しい漬け物になるから、一度試して見なさいと言われました。それがきっかけとなって、以来十年位でしょうか、毎年秋には大根を頼み、何時もとても美味しい沢庵漬けを食べて来ました。
 山菜が出る4月から11月まで毎月二回ほど通っていましたが、3年前からは、夫が車での日帰りが困難になり、残念ながらその美味しい沢庵漬けとは縁が切れてしまいました。 大根よりも何倍も残念だったのは、店主と、そのご子息のお嫁さんとの誠実で温かなお二人に会えなくなったということです。いつも明るいお二人で、夫との間に止めどなく冗談が飛び交うこともしばしばでした。
 その時青首大根にもいろいろあるのだということを知ったのでしたが、昨年の暮れに、再びとても美味しい大根に巡り合うことになりました。それはキッチンで同時に使えるアンペア数を増やす為に、配電盤からすっかり新しく工事をして貰った時です。工事に見えた職人さんが、とても人なつっこい感じの良い人で、「これは自家製の、おでん大根と呼んでいるとても美味しい大根なので、食べて見てください」と二本持って来て下さったのです。早速煮てたべましたら、とても甘くて柔らかく美味しいのです。工事の代金を支払いにお宅に立ち寄りましたら、とても感じの良い優しそうな奥様が丁寧に応対して下さいました。このご主人にしてこの奥様有りと納得しました。おでん大根の美味しかったことを感謝してお礼を述べてきましたら、翌日またご主人が例の大根二本と、一人では抱えられない程の大きい白菜を二つも持って来て下さったのでした。この白菜も無農薬の自家製とのことでした。それが早速おせちの煮しめや、お雑煮の材料になって、私達は心の中まで温めて頂きました。
 話がそれてしまいました。新年を迎えるに当たって、夫は仏壇の掃除をし、床の間に置いてあるその仏像のような置物を磨き、私は義母が持ってきた大鍋に煮しめを作ったりしました。先祖の位牌はすっかり田舎の家に引き継いできましたから、我が家の仏壇には義父母の位牌と、夫の弟の位牌、そして娘の位牌しかありません。毎年男性が仏壇の掃除をするのが伝統なので、夫がこつこつと仏具を磨き、息子がお飾りを飾って門松を取り付けました。
 幾つもない形見のような品々ですが、半分位にすり減った擂り粉木や、使い古した流し木箱、漬け物石、どれも置いてくるには愛しすぎるものだったのでしょう。私もそれらを大切な物として今も丁寧に使っています。あの田舎の大きな家の中にあったものがこうして、私達に引き継がれて来ていると思うと、何だかそれらの品が、仁左衛門のDNAの一部であるかのように思えて、とても愛しく思えます。
 年の初めにこの受け継いだ愛しき物を大切に、そして先祖から夫、息子へと連綿と繋がるDNAを愛しみながら、心豊かに過ごしたいと願っています。
 どうか皆様には「今年は幸せであった」と実感出来る年でありますようにお祈りしています。「自分は幸せな人間だ」と思えば、本当に幸せに思えてくる、人間とはそんな不思議な生き物なのですね。

  焼き付けし「仁(カクニ)の文字も懐かしく榧(かや)の擂り粉木で胡麻だれを摺る
                             (実名で某誌に掲載)
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