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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

高僧を偲んで

2024年11月14日 | 随筆
 私はもうすっかり高齢者ですから、夫との残り少ない人生を「少しでも有意義に過ごせたら」等と考える事は、私には少し贅沢なことの様です。今日は過去に経験した思い出深い出来事から、私の心を育ててくれた有り難い経験について振り返ってみたいと思います。
 私が現在住んでいる家から少し離れたお宅に、以前東京外国語大学の学生さんが住んでおられました。我が家の娘より少し先輩に当たりますが、しっかりした女性でした。或る時お逢いしたら「考えるところがあって」と京都の花園大学へ進路を変えられたと聞きました。きっと深いお考えがあっての事かと思われましたが、その後のご様子は知らないままに年月が流れ、今は妹さんがお一人で住んで居られる様です。
 思えば私達がこの家で子育てした頃は、ご近所には沢山の子供達がいて、あちこちの家に集団で「お邪魔しまーす」と数人で子供部屋で遊び、庭のブランコや滑り台で遊んで「お邪魔しました」と集団でサッと来てサッと帰る一時期がありましたが、最近はどの家からも子供の声は聞こえて来なくなりました。子供が居ないと言うわけではないのですが外で徒党を組んで遊ぶ姿は見えなくなりました。
 大人の方は車社会ですから、「○○へ行って来ました」と紅葉を堪能して来られたらしく、もぎたての大きな林檎をご近所の親しい友人夫妻に頂きました。

 可成り遠い昔ですが、或る時私は夫と二人で京都旅行に出掛て、一度は行って見たいと思っていた妙心寺に立ち寄りました。妙心寺は、京都市右京区花園妙心寺町にある臨済宗妙心寺派の大本山の寺院です。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。日本にある臨済宗寺院約5,650寺のうち、約3,350寺を妙心寺派で占めているそうです。
 沢山の塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成していて、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれているそうです。花園大学もこの地にあります。
 当時はそのような事も知らずに、立派な寺院に感動しながら見学させて頂いて、中央の斜面になっている庭園を囲んだ回廊を巡り、最下段にあったベンチから壮観な寺院の様子を回廊の下から眺めて、その後右側の登りの通路へと行きました。
 当時はそこでお茶を頂くことが出来ました。一人の学僧さんがお茶を出して下さいました。そして「花園大学の教授には、山田無文老師に憧れて来られた人も多かった」と云うお話をその学僧さんからお聞きしたのです。とてもおっとりと優しそうな温かみのある学僧さんでしたし、しばらくお話が弾みました。この経験が後々まで残って、とても良い思い出になりました。
 思い立った様に今又我が家にある無文老師法話集「禅を聴く」(1~6巻)を少し聴いてみました。明治以降では希代の名僧と法話集のケースにも書いてありますが、いかにも落ち着いた老僧らしいお言葉で、嚙んで含めるようなお説教でした。
 かつてフランスの大統領が訪日された際、「日本一の高僧に会いたい」と希望されたそうです。その時お相手に選ばれた高僧が山田無文老師(当時花園大学の学長でもあられた )だったそうです。

 フランスの大統領が無文老師の待つ場所に行かれた時に、静かに待って居られた老師に気(け)おされて「恐怖さえ感じた」と、当時の様子を示していた記事を微かに記憶しています。立派な人格を持って居られる人は、ただならぬ気を発するらしいです。ましてや昭和の時代の最高の高僧といわれる山田無文老師の発する凄まじいばかりの念の気迫に気圧(けお)されて、恐怖さえ覚えられたらしいです。
 そのような気迫とは、どのようにして生まれて来るものであろうかと、私は思わず緊張して読みました。京都から帰って早速我が家の書棚にあった「山田無文老師」のお説教を改めて聞きました。
 人間とはいかにあるべきかと、淡々と述べておられるお説教なのですが、今のこの時代に人間本来のあるべき姿を述べておられる・・・と心の底から感動しました。今も大切な我が家の家宝の一つです。
 11月も半ばになり苔庭にも少し枯れ葉が散っています。庭の落ち葉は掃くより拾うだけの日が多いです。今日は木曜日ですが、居間にいると聞こえるのは雀の声だけです。我が家の雀も夕方にならないとお米を食べにランンマ窓には来ません。
 苔庭に囲まれた石池と、その向こうの庭木々とブロック塀、お隣の苔庭の低めの木々も、紅葉がきれいに見えます。
 防寒具を纏った重装備の兵士の姿をテレビで見ながら、平和な日本に住んで居られることを感謝しています。

 生あるものも無きものも染めて陽は落つ平和な海に (あずさ)