ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

仲良きことは

2018年12月17日 | 随筆
「仲良きことは美しき哉」これはずっと以前、武者小路実篤が好んで色紙に書いていた言葉です。私も随分以前ですが、数人のグループから最後のお別れの時に、記念にこの色紙を頂いたことがありした。それは和気あいあいの集まりでした。
 度重なる住所移転で無くしたものか、額に入れて飾っていたのですが、今は手元に在りません。当時そのグループのお仲間だった人達も、殆ど鬼籍に入られたり離散して、気が付けばもう誰も居られません。
 私達は夫の両親と共に暮らした三世帯家族でしたから、その両親を最後までお世話して見送った時は、ご恩返しが無事に出来たという安堵感がありました。夫の単身赴任も多かった暮らしでしたから、子育てには本当に長い年月を大変お世話になりました。
 義父母は夕方良く二人で歩きに出て、帰路の公園のベンチで暫く休みを取っていました。其処がやはり歩きに出て来る老いた人達との社交の場でもありました。二人共亡くなる一ヶ月前までは、自分の足で元気に歩けました。夕方の公園の二人は、ご近所でもかなり有名だったようで、私達も後々までいろんな方達から往時をお聞きしました。
 義母は倒れて後、一ヶ月近く入院しましたが、亡くなる前日まで意識があり、お見舞いに見える友達などと親しく話しをしていました。義母の処へ来られるお友達は、義父のお友達でもありました。義母が逝って4年後に、義父が朝食後に突然倒れて入院して、そのまま翌日に亡くなりました。
 どちらも苦しい日々を長く強いられた訳ではなく、「あのように死にたいものだ」と親戚や知人達も言うくらいでした。
 義父はとても愛妻家でしたから、義母の部屋に布団を敷いてあげて、横になると布団の回りを手で押さえて回り、肩からも冷たい空気が入らないようにして、電気を暗くしてから自室に引き上げていました。外地への赴任や引き上げの苦労もあり、様々な苦楽を共にした夫婦らしい晩年でした。
 義母が亡くなってからは、概ね自室で過ごしていた義父には、広めの廊下から季節の花を咲かせる庭を、気分良く眺められるように、椅子とテーブルを置いて、そこが義父のお気に入りでした。
 毎日必ずせっせと町内をウォーキングして、最晩年の雨や雪の日は、応接間の端から廊下に出て、キッチンまでを何度も行ったり来たりして、根気良く足を鍛えていました。その根気良さは、感動に値するくらいでした。
 夜は肩の回りに寒気が入りこまないように、襟元をU字形に深めにくり抜いた毛布を手作りしましたら、喜んでくれました。
 お粥が大好きだった義父には、晩年は別にお粥が炊ける電気釜で、三食共お粥を炊きました。義父は孫(私達の子)を可愛がり、お小遣いを余るほどに与えましたから、それらはみな高価な書籍等をあがなうのに役に立ったようです。今でもその時の喜びを聞くことがあります。
 ところで私達夫婦は、二人共職を退いてから、毎朝のウォーキングが日課になりました。帰りはスーパーへ回って、その日の買い物をします。一周約3キロくらいでしょうか、わざわざ遠回りして歩くのです。
 先日も行きつけのスーパーの外で、二人で買い物をリュックにまとめ直していましたら、見知らぬ男性(年齢が近いと覚しき高齢者)が、突然「いつも仲がいいですね。」と声をかけられました。夫が「外見だけですよ。」と返しましたら「それでも仲よきことは美しいです。」と仰られて、私達はドッキリしました。このような場所でこのような言葉を掛けられる事が意外だったのです。
 その人は私達が何時もリュックを背負って、二人で買い物をする習慣を度々見かけておられたのでしょう。私達は何時も話しながら歩いて居る事が多いので、(私の方が遙かにお喋りです)目立ったのでしょうか。毎日同じコースを歩いていても、話題も・風景も・行き交う人も日々違うので、これがストレス解消に結構役立ちます。
 しかし、四六時中一緒に居るわけではありません。朝朝の仏壇への読経、ラジオ体操、庭に出て掃き掃除や草取りをした後に (夫はとてもきれい好きで、雨の日も僅かな小降りの時には掃除に出ます。)、共に歩きに出ますから、そこ迄は一緒ですが、午後はそれぞれ別々の部屋に居て、自分の為だけの時間を確保しています。夜も週4日くらいは居間で一緒にDVDを見たりして過ごしますが、他は個々の時間です。
 夫は趣味の読書か、イヤホンで好みの映画や政治番組など、私は短歌を作ったり、ブログを書いたり、時には共に録画を観て過ごしています。それで丁度お互いに満ち足りた一日になっているのです。
 願わくばもう少しの年月を、お互いに元気で自分の足で歩き、自由な生活がしたいものだと考えているのですが。果たしてそのように都合良く行くものでしょうか。
 スーパーで出会った老人の「いつも仲がいいですね」という言葉は、様々な人達に言われる言葉なのですが、続いて「仲良きことは美しい」と云われた老人の感性に胸を打たれる思いでした。
 度々目にする「手押し車」に買い物を入れて、老いたご夫婦が代わる代わる押して通られる姿や、幼稚園児などが、仲よく遊び戯れている姿を「美しい」と捕らえる心の豊かさを、私も持ちたいものだと思いました。
 

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