定年後の人生を、楽しく生き生きと過ごして居られるような方でも、おそらく「私には不安が全く無い」と言い切る方は少ないのではないでしょうか。
南こうせつの「神田川」と言う歌に「若かったあの頃何も怖くなかった」というフレーズがありますが、私にも「確かに何も怖くなかった時代が在った」と半分は懐かしく、半分は失われた時間を惜しんで、過去を振り返ることがあります。この先の人生を見据えた時に、いささかの不安が兆すのは、当然のことでしょう。
『「私はたえず、漠然と悩み恐れ、ふるえ、おどおどし、何であるか自分にもわからないものを案じていた」トイフェルスドロックのことばは、不安というものの姿を良くあらわしています。
不安とは「何であるか自分にもわからないもの」を案じているところにその特徴がある』と神谷美恵子は、「生きがいについて」(みすず書房)に書いています。
「何であるか自分にもわからないものを案じる」ことは、果てしない自問自答の渦に、身を投じたようなものです。際限なく湧き起こる様々な不安を抱えながら、人生を全うした先人のことを考える時、日頃から不安を感じやすい私は、それらの人々に畏敬の念さえ感じます。
ティリッヒによると『「実存的」不安には、三種類ある。第一は死の不安、第二は無意味さの不安、第三には罪の不安である。これらの不安は、平生は生活の忙しさや、もっと浅いよろこびや悩みによって覆い隠されている。それが生きがいを失うような限界状況において、あらわされる』と言います。
私に最も身近なものとしては、やがて訪れるであろう「死の不安」があげられるでしょう。しかし、私は「人間誰しも死の不安を抱えていても、老いて自然に死を迎えた時には、苦しみや恐怖は恐らく無いだろう」と思っています。
生む人に苦痛があっても生まれる人(赤ちゃん)には苦痛がありません。病気であっても、死を迎える最後は、恐らく安らかで不安は無い、と私は看取りの経験からそう感じています。(アメリカの精神科医であるキューブラ・ロス博士も「死ぬ瞬間」で同じことを言っています)
一番身近に見送った義父母や父母の場合も、朝にバッタリ倒れてそのまま亡くなった義父以外は、病の床に着いていましたが、最後の最後はみな苦しまず安らかでありました。この三人は多分自分は間もなく死ぬであろう、と気付いていたと思われます。(その証拠に義母も母も最後の日に「有り難う」と看病していた私に言い、私には忘れられない感動の記憶として残っています)
「生まれ出づる苦痛も死にゆく苦痛も無く、人間の生死は上手く出来ているのだなあ」と思います。
そこへ行き着く間の介護や看病の時間に、「有り難う」とか「すまないね」とか「あなたと結婚して良かった」とか、口にする家族は可成りあるようですし、私も「有り難う」だけは前記の記憶から是非言って死にたいと願っています。
しかし、これからは未婚の単身者が増えたり、離婚や死別によって、人生の後半をたった独りで過ごす人が増えて来ると言われています。人生の最終章を「孤独に、或いは家族以外の人に見取って貰う」ことになりそうです。
家族ほど良く自分を理解し、無償の愛を持って尽くしてくれる者は居ません。現代の日本人の家族の形から、家族揃って見取るような家庭は少なくなりました。
神谷美恵子はまた、「精神的苦悩は他人に打ち明けることによって軽くなる。――聴いてくれる相手の理解や愛情にふれて、慰めや励ましをうけるということもあろう。しかし、なによりも苦しみの感情を概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。――いい加減な同情のことばよりも、ただ黙って悩みをきいてくれるひとが必要なのである。そういう聴き手が誰もいないとき、または苦しみを秘めておかなくてはならないとき。苦悩は表出の道をとざされる。――文章に書くと言うのも安全弁の役に立つ。――苦悩をまぎらしたり、そこから逃げたりする方法は沢山ある。酒・麻薬・かけごと・・・しかし逃げただけでは、苦悩と正面から対決したわけではないから、何も解決したことにはならない」と。
人間はもともと孤独な生き物ですから、孤独に耐えられなければ、生き続けて行くわけにはいきません。日頃からそういうことについて考えたりして、自己をしっかりと保てるようにしたいと私も常日頃から思っています。
良寛禅師は「草堂集」に
独りで生まれ
独りで死に
独りで座り
独りで思う
そもそもの始めそれは知られぬもの
いよいよの終わりそれも知られぬ
この今とはそれもまた知られぬもの
展転するもの全て空
空の流れにしばらく我がいる
まして是もなければ非もないはず
そんなふうにわしは悟って
こころゆったりまかせている
と言っています。良寛禅師にして初めて到達した人生観です。極限まで自我を捨て切った人の人生観です。このようにしてゆったりと暮らせたらさぞ心は穏やかでしょう。私も大いに学びたいと思っていますが、なかなか難しいです。
柳沢桂子(生命科学者1938年~)は「癒やされて生きる」(岩波書店)の中で、
私は苦しみの中で苦しさを感じないで生きて行く道を体得した。苦しみも悲しみも私の中にあるものである。苦しみを苦しみにしているのは、ほかならぬこの私なのである。
何でもないことであった。この一つのことに気づいたことで、私の心はすっとほどけた。悲しいと思う心も、恥ずかしいと思う心も、すべて私が作り出している。それを作りさえしなければ、そのような心にしばられなければ、私はいつも安らかでいられる。
今回は私自身が日頃とらわれやすい不安から、どのような心で生きて行ったらよいかを考えて、少し本も読み資料から引いて、考えてみました。
完全癖や、過去へのこだわりや不安など、私自身のこだわり性格を知っている家族から、そのこだわりから解放されることが大切だと言われて、簡単に実行できる解決方法の一つを教えて貰いました。
それは「いけない」と思った時に、腹式呼吸をする事です。そうする事によって、気分が落ち着く、と教えられたのですが、確かにこれも有効な手段だと思いました。
世の中には、坐禅によって自己コントロールする人も居られるようですが、仏典を学んで居た頃に、曹洞宗の道元の「只管打坐」に共感して、座ってみたりしましたが、私のように思いが乱れる人間には、結論として不向きでありました。続かなかったのです。
ゆったりと過ごしたいと思いつつも、常に何かしなければ・・・という気持ちに駆られて、つい「忙しい日々」にしてしまう私です。
全て自分の心が苦しみを造っているのですから、それを捨て、そこから離れる工夫も、みずから努力しなければならない、と自戒を込めて思っています。
不安を作り出す根源を自ら断ち切って行く以外に、不安をなくする方法は無いとすれば、先ず大きく息を吸って静かにはき出してみることに致しましょう。
南こうせつの「神田川」と言う歌に「若かったあの頃何も怖くなかった」というフレーズがありますが、私にも「確かに何も怖くなかった時代が在った」と半分は懐かしく、半分は失われた時間を惜しんで、過去を振り返ることがあります。この先の人生を見据えた時に、いささかの不安が兆すのは、当然のことでしょう。
『「私はたえず、漠然と悩み恐れ、ふるえ、おどおどし、何であるか自分にもわからないものを案じていた」トイフェルスドロックのことばは、不安というものの姿を良くあらわしています。
不安とは「何であるか自分にもわからないもの」を案じているところにその特徴がある』と神谷美恵子は、「生きがいについて」(みすず書房)に書いています。
「何であるか自分にもわからないものを案じる」ことは、果てしない自問自答の渦に、身を投じたようなものです。際限なく湧き起こる様々な不安を抱えながら、人生を全うした先人のことを考える時、日頃から不安を感じやすい私は、それらの人々に畏敬の念さえ感じます。
ティリッヒによると『「実存的」不安には、三種類ある。第一は死の不安、第二は無意味さの不安、第三には罪の不安である。これらの不安は、平生は生活の忙しさや、もっと浅いよろこびや悩みによって覆い隠されている。それが生きがいを失うような限界状況において、あらわされる』と言います。
私に最も身近なものとしては、やがて訪れるであろう「死の不安」があげられるでしょう。しかし、私は「人間誰しも死の不安を抱えていても、老いて自然に死を迎えた時には、苦しみや恐怖は恐らく無いだろう」と思っています。
生む人に苦痛があっても生まれる人(赤ちゃん)には苦痛がありません。病気であっても、死を迎える最後は、恐らく安らかで不安は無い、と私は看取りの経験からそう感じています。(アメリカの精神科医であるキューブラ・ロス博士も「死ぬ瞬間」で同じことを言っています)
一番身近に見送った義父母や父母の場合も、朝にバッタリ倒れてそのまま亡くなった義父以外は、病の床に着いていましたが、最後の最後はみな苦しまず安らかでありました。この三人は多分自分は間もなく死ぬであろう、と気付いていたと思われます。(その証拠に義母も母も最後の日に「有り難う」と看病していた私に言い、私には忘れられない感動の記憶として残っています)
「生まれ出づる苦痛も死にゆく苦痛も無く、人間の生死は上手く出来ているのだなあ」と思います。
そこへ行き着く間の介護や看病の時間に、「有り難う」とか「すまないね」とか「あなたと結婚して良かった」とか、口にする家族は可成りあるようですし、私も「有り難う」だけは前記の記憶から是非言って死にたいと願っています。
しかし、これからは未婚の単身者が増えたり、離婚や死別によって、人生の後半をたった独りで過ごす人が増えて来ると言われています。人生の最終章を「孤独に、或いは家族以外の人に見取って貰う」ことになりそうです。
家族ほど良く自分を理解し、無償の愛を持って尽くしてくれる者は居ません。現代の日本人の家族の形から、家族揃って見取るような家庭は少なくなりました。
神谷美恵子はまた、「精神的苦悩は他人に打ち明けることによって軽くなる。――聴いてくれる相手の理解や愛情にふれて、慰めや励ましをうけるということもあろう。しかし、なによりも苦しみの感情を概念化し、ことばの形にして表出するということが、苦悩と自己との間に距離をつくるからではなかろうか。――いい加減な同情のことばよりも、ただ黙って悩みをきいてくれるひとが必要なのである。そういう聴き手が誰もいないとき、または苦しみを秘めておかなくてはならないとき。苦悩は表出の道をとざされる。――文章に書くと言うのも安全弁の役に立つ。――苦悩をまぎらしたり、そこから逃げたりする方法は沢山ある。酒・麻薬・かけごと・・・しかし逃げただけでは、苦悩と正面から対決したわけではないから、何も解決したことにはならない」と。
人間はもともと孤独な生き物ですから、孤独に耐えられなければ、生き続けて行くわけにはいきません。日頃からそういうことについて考えたりして、自己をしっかりと保てるようにしたいと私も常日頃から思っています。
良寛禅師は「草堂集」に
独りで生まれ
独りで死に
独りで座り
独りで思う
そもそもの始めそれは知られぬもの
いよいよの終わりそれも知られぬ
この今とはそれもまた知られぬもの
展転するもの全て空
空の流れにしばらく我がいる
まして是もなければ非もないはず
そんなふうにわしは悟って
こころゆったりまかせている
と言っています。良寛禅師にして初めて到達した人生観です。極限まで自我を捨て切った人の人生観です。このようにしてゆったりと暮らせたらさぞ心は穏やかでしょう。私も大いに学びたいと思っていますが、なかなか難しいです。
柳沢桂子(生命科学者1938年~)は「癒やされて生きる」(岩波書店)の中で、
私は苦しみの中で苦しさを感じないで生きて行く道を体得した。苦しみも悲しみも私の中にあるものである。苦しみを苦しみにしているのは、ほかならぬこの私なのである。
何でもないことであった。この一つのことに気づいたことで、私の心はすっとほどけた。悲しいと思う心も、恥ずかしいと思う心も、すべて私が作り出している。それを作りさえしなければ、そのような心にしばられなければ、私はいつも安らかでいられる。
今回は私自身が日頃とらわれやすい不安から、どのような心で生きて行ったらよいかを考えて、少し本も読み資料から引いて、考えてみました。
完全癖や、過去へのこだわりや不安など、私自身のこだわり性格を知っている家族から、そのこだわりから解放されることが大切だと言われて、簡単に実行できる解決方法の一つを教えて貰いました。
それは「いけない」と思った時に、腹式呼吸をする事です。そうする事によって、気分が落ち着く、と教えられたのですが、確かにこれも有効な手段だと思いました。
世の中には、坐禅によって自己コントロールする人も居られるようですが、仏典を学んで居た頃に、曹洞宗の道元の「只管打坐」に共感して、座ってみたりしましたが、私のように思いが乱れる人間には、結論として不向きでありました。続かなかったのです。
ゆったりと過ごしたいと思いつつも、常に何かしなければ・・・という気持ちに駆られて、つい「忙しい日々」にしてしまう私です。
全て自分の心が苦しみを造っているのですから、それを捨て、そこから離れる工夫も、みずから努力しなければならない、と自戒を込めて思っています。
不安を作り出す根源を自ら断ち切って行く以外に、不安をなくする方法は無いとすれば、先ず大きく息を吸って静かにはき出してみることに致しましょう。