ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

心に太陽を唇に歌を

2015年03月15日 | 随筆
 東北大震災から4年が経って、最近は、その後の被災者がどのように暮らして、復興がどの程度進み又滞り、私達は何をしなければならないのか、幾度か考えさせられる場面がありました。
 聴くところによると、この規模の地震は、千年に一回程度の発生率だそうです。およそ千年前と言うと、平安時代に貞観(じょうかん)地震(869年)というのがあったそうです。やはり今回と同じような規模の地震と津波が東北を中心にして起こりました。地震の規模は、今回はM9.0で、869年にはM8.4でした。
 しかし、残念な事に、当時のしっかりした記録がなく、その災害から5年後に富士山が爆発したとか、やがて南海・東南海地震が起きたと言われていますが、人々がどのようにして復興を果たしたか、良く解っていません。
 ネットで様々検索して読んで行くと、祇園祭りは、貞観地震で1000万人の人口の内、1000人が亡くなり、都は不衛生や飢餓から来る疫病が蔓延し、その供養に祇園祭りが始まったのではないか、とありました。
 又貞観地震の5年後には、富士山が爆発していますが、地震や津波は農地を荒廃させ、たちまち飢饉に結びつきます。富士山の大爆発でも、降灰により、日照不足、農地への降砂で作物が取れず、深刻な飢饉となったようです。富士山の麓の青木ヶ原の樹海を見ると、およその想像は出来ます。浅間山の鬼押し出しも、鹿児島県の桜島の回りも、共に不毛の土地で、とても耕せるものではありません。
 貞観地震の9年後には、関東、相模、武蔵のM7.4の地震が起きています。1923年の(大正の)関東大震災は、M7.9だったそうですから、もし類似した地殻の変動が起きているとしたら、間もなく富士山が爆発し、関東地方に大正の関東大震災に近い地震がくるかも知れないということになります。
 その時私達はどのように行動し、又日頃の備えをどうしておくか、やはり真剣に考えなくてはなりません。
 今回の困難を上手く乗り越えることが出来た市町村や地域は、何をどのようにしたか、身近な困難に対処して来られた人達に、学ぶところは大でありましょう。
 現在は、万一に対して、食料や水は取りあえず3日分くらいあれば、自衛隊が空輸してれるので大丈夫、等と言われたりします。しかし、余りに虫の良い考えではないか、とも思います。
 今回の災害で、まだ本当に必要な手が伸びていないのは、私は衣・食・住よりも、人の傷付いた心を如何に救うか、だと思っています。傷付いた心が完全に癒えない限り、被災者は災害から立ち直ることが出来たとは言えません。そしてそれができるのは、優しく温かい人間の心以外にはないのです。
 人間が窮極に追い詰められた時、衣食住に困らないようにすることは基本ではありますが、傍にいて共に涙を流し、苦しみに耳を傾けて、手を握り肩を撫でて上げることは、何も特別なことではありません。本気でそうしようと思えば、誰にも出来ることではないでしょうか。
 かつて私は、泣くことも笑うことも出来ない一時期がありました。泣けば涙と共に少しずつ苦しみが流れていくことを知りました。泣く事さえ出来ない人もいるのです。
 何年も経って、フト小声で歌を歌っている自分に気付いた時、私は、「何と私は歌を歌った」と思わず感動ました。「日にち薬」という言葉がありますが、月日が解決してくれる処もあります。それからは、努めて歌う事をし、心に辛い思いがのさばって来たと思ったら、「旅先の何処の夕日が美しかったか」等と良い想い出ばかりを思い出す。取り憑かれて苦しい心を切り替える為には、「あいうえお・かきくけこ」また「南無阿弥陀仏」等と取り憑かれた心と無関係な言葉を心の中でくりかえします。すると不思議な事に、引っかかっていた事を忘れてしまい、穏やかな気分に変わるのです。日々沢山の事故で亡くなる家族を持つ人も多い世の中です。この方法も覚えて置けば役に立ちます。
 被害者になることも辛いですが、交通事故に見られるように、予期せず加害者になることもあります。生きている限り思い掛けない事故に出会うことが多いのです。それを思うと、私達のこのささやかな生活も、如何に幸福か、しみじみと有り難く思えます。
 幸せを心の外に探したら何処まで行っても見つからないでしょう。幸せは自分の心の中に育てるものだと思います。小さな美しい幸せの花が、今や四回目の春の陽に温められて咲こうとしています。心の太陽と唇の歌とに育まれた花々が、日本中のあちこちに咲き乱れたら、被害者の心を救う何よりの慰めになることでしょう。


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