ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

認知症と共に生きよう

2015年03月04日 | 随筆・短歌
 高齢者の多くの人が、認知症になりたくないと、考えていると思います。私もその一人でした。少しばかり大事な事を忘れていたのに気が付いたり、昨夜観た映画の題名が思い出せなかったりすると「ひょっとして認知症の始まりではないか」と思って心配になってしまう、こういうことは高齢者であれば、誰もが経験することでしょう。
 人間ですから、いつまでも記憶がしっかりしているわけではなく、歳と共に忘れる能力が高まって、死が全ての人に訪れるように、忘却もその勢力を広げていく筈です。
 私の家で購読している地方紙に「認知症を幸せに生きる」という記事が載っていました。週一回(火)の連載ですが、その第一回2月12日を読んで、私はとても感動し、共感を覚えました。
 『認知症と言われる中でも半数以上を占めるアルツハイマー病は、物忘れ、家事が出来ない、道に迷う、が三大症状ですが、治らない病気である。抗認知症薬は、数ヶ月~1年半くらい「悪化させない」効用がせいぜい。治らないものを治そうとするのは、本人にも家族にもつらいこと。物忘れなど治そうとせず、元気で生き生きとした生活を取り戻すことが大切』と執筆者の精神科医の上田諭医師が書いておられます。
「忘れてもいい。出来なくていい。認知症になっても構わない。治さなくていいし、治らなくていいのです。」とあって、私はホッとしました。
 「本人が自信を持って、元気で楽しみと充実感を得て生活することが、本人を幸せにし、介護する人人々をも幸せにする」とありました。
 高齢化社会では、誰もが認知症を患う可能性を否定出来ません。
私の身の回りにも、現在認知症を患って居られる人も、認知症の家族の介護をされた人もいます。そんな人達から学んだ、より望ましい生き方が、先の文の通りなのです。
 私の学生時代の友人は、ご夫婦で散歩中にご主人が転倒され、開頭手術をされ、長いリハビリ生活を送られて、やがて認知機能が衰えていかれたのですが、ずっとご自宅で介護をされて、最後を看取られました。
 記憶の薄れゆくご主人が、「有り難う」といつも感謝の言葉を口にすることは忘れなかったようで、後に声が出せなくなった頃にも、眼で伝えたと聞きました。この言葉を聴いただけで、ご夫婦の日常の様子が察しられます。「価値観が同じだったから、幸せだった」と振り返って彼女は言いましたが、私はお二人の生き方をとても尊敬しています。
 又、現役時代は可成り高い地位に就いておられた人が、近くに住んでいるのですが、夫と出会えば、何時もざっくばらんな冗談を飛ばし気さくな人でした。やがてアルツハイマー病に罹って、外出先から家に帰れなくなりました。家族が気付いて医師に診て頂いた頃は、病状は中等度といわれたそうです。
 しかし、我が家の夫に会えば遠くからでも手を振り、すれ違う時は相変わらず冗談を言って笑わせる明るい方です。病気だと知らなければ解らない程です。夫は最近、その方が「まるでほとけ様のように柔和な笑顔をたたえて、人間本来の姿に戻っていっているようだ」と言います。とても屈託なく明るいのは、やはり二人暮らしの奥様の対応が良いことも、原因の一つなのでしょう。
 もう一人、これも夫の趣味の会の友人ですが、認知症の人を介護している施設に入居されました。施設に確認しご家族にも許可を得た上で、指定された日に面会に行きました。私も良く一緒にお付き合いした人でしたので、同道しました。「良い病院だ、と言われて来たら、こんな所で・・・」とその女性は顔を暗くして仰いました。やがて談話室で少しお話する内にお元気になられ「娘家族も忙しいから仕方が無いのです」と仰って微笑まれました。
 談話室に集まっている人が数人いましたが、みな一人一人、別の方向を眺めながら、自分の思いに耽っているようでした。しかし、その表情は決して暗くはなく、とても穏やかでした。私達は少しホッとして帰途に就きました。
 三回目の記事は「叱られると不安大きく」と題がついていて、認知症の人の徘徊や行方不明の対策として、 地域での声かけ、見守り、携帯電話の位置確認機能を活用する等が、講じられてきていますが、一番大切なものが欠落しているとありました。
 それは心情や生活を考えることだと言います。認知症の人は、自分の変化に不安と戸惑いを感じている。それを指摘したり叱ったりすれば、ますます不安は大きくなり、反発心も生まれます。
 「自分はこれで良いのだ」という自己肯定感や自尊心が、叱られることによって薄れて行きます。周囲はそれに気付かないことが殆どだそうです。
 徘徊して困る.と言う息子さんに、この医師のアドバイスの言葉は「お母さんの唯一の頼りはあなたです。怒られて居場所が無くなってしまい、徘徊するのではないでしょうか?」でした。
 我が家が建った時に家を建てた人達の多くは、年齢が近いため、あちこちに一人暮らしや二人暮らしが多く、認知症で施設に行かれた人、デイサービスを使いながら、何とか家族の介護で過ごして居られる人もいます。
 テレビなど観ていますと、暴力を振るったり、夜中に奇声を上げたりと、悪い面が強調されているように思います。介護の人も患者さんも戸惑ったり困っているのです。
 3月3日の新聞記事には『認知症を速く見付ける本当の理由は、早期発見・早期治療に繋げることではなく、根治療法が今のところないことを周囲の人が認識し、「治らなくていい、治さなくていいと早期に認識すること」にほかなりません。』とありました。不安を先取りして自ら苦しむことのないように、『認知症の人の不安な思いや、生活がうまくできなくなるつらさに付いて理解し「慰め、助け、共にする」姿勢を持つ事が大切』とこの回は結論付けられていました。
 認知症の人が、こちらの話しかけに、穏やかに楽しそうな表情で応えてくれた時には、私までが幸せな気分になって来ます。嬰児が時折見せる、あの周囲を幸せにする微笑みに近い心を、認知症の人は潜在的に心の奥に育てているのではないでしょうか。
 介護する人ばかりでなく、地域社会の人達が、対等に、且つ理解ある温かい心で接してあげたら、きっとこの人達も充実感を感じつつ生きて行けるのではないでしょうか。

友の記憶薄るるらしも幼児に還りゆくごと吾を和ます(某誌に掲載)

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