ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

日だまりのように

2015年02月12日 | 随筆
 現在40~50代以上の人達は、幼少期に太陽の下で走り回り、大勢の友達と遊び、ケンカし、仲直りする、という人間関係の基本を自ら学んだのではないかと思います。草野球や公園でのメンコやボール遊びが男子の遊びで、ごっこ遊びとか縄跳びや柔らかいボール遊びなどが女子の遊びだったのでしょうか。少なくとも家の中ばかりで遊ぶようなことはしなかったと思います。
 しかし、現在10代~30代に近い人達は、下校後に遊ぶにしても、約束しないで突然「遊ぼう」では駄目で、それも一つの家に集まった仲間が、皆個個にピコピコとゲームを楽しみ、友達の会話が殆ど無い状態だったとも聞いています。ゲーム機でバーチャルな世界に浸り、残虐な殺し合いも平気、リセットすれば元通りになる、という遊びが多かったように思います。
 その頃私は、身近な人には、「こんな状態では、この人達が大人になったらどうなるのでしょう。怖いようですね。鍵っ子も増えたし」と言っていました。最近は、以前は考えも及ばなかったような事件が次々と起こり、心配していた事が現実になってきているようで、胸が締め付けられるようです。
 リセットしたくても出来ないのが人生です。困った時に助け合える友達は大切です。携帯やスマホで繋がっている気になっていても、現実には絆はしっかりとは繋がっていないのです。相手の目を真正面から見つめて話し、対話を深めて理解し合い、反対意見も謙虚に聞いて、良く消化して、初めて自分の意見が固まるのであって、これは実体験する事で育つ、大切な基本だと思います。それは塾通いよりも、もっと大切なことではないてせしょうか。
 そのことを良く理解し、育てる仕事に適しているのは、何時の時代でも、やはり先ず母親でしょう。私は「女性の自立」といって、全ての女性が社会で仕事をするのは反対です。子供は母親によって愛され、抱きしめられるのが、最も心安らかになって、伸び伸びと生きることが出来るのです。結果として当然立派な成人に成長すると思うのです。
 全ての母親が、そう出来ないのが現実ではありますが、可能な限りそのように努力するのが、母親の務めであろうと思いますし、国の努めでもあります。労働力不足を補う為に、女性を駆り出すのは、間違っています。両親が揃って協力して家庭は築かれるものですから、勿論父親も深い愛情を持って、妻と子供を守らねばなりません。男女平等というのは、それぞれの特性を生かして、支え合うことで、男と女が同じことをするということでは無い筈です。
 子供たちは、この生きづらい世の中を生き抜いていく為に、欠かせない愛情の交流を育くむ場が不十分なまま、成人になってしまう恐れがあります。母親が家にいて、「おかえりなさい」と抱きしめてやれた子供は、どれ程幸福感を覚えることでしょうか。
 最近私は、共働きで子育てして来られた人に、折があるとお聞きしています。皆さんは親も子も立派な人達ですが、やはり幼い子供を育てている間位は、せめて家に居たかったと言います。それが出来なければ、せめて祖父母に育てられるのが、好ましいと、私と同じことを言っておられました。
 何事も、完璧にいく訳ではありませんし、身分不相応を望むのではありませんが、せめてもう少しゆとりを持って、子供を育てたかったと、振り返って反省しています。職業によっても違うでしょうが、家に仕事を持ち帰る場合がある職業の人は、四六時中が仕事になっていく場合もあります。止むを得ない事情からとは言え、子供たちから母親を引き離して育てれば、必ず後悔することになるでしょう。それは一家族の問題ではなく、幸せな国を創る為の基本的な問題でもあります。
 勿論父親も、企業戦士として、家を不在にして良いものではありません。妻や子とのふれ合いを今以上に大切にしなければならないと思います。
 いつでしたか、テレビでサルでの実験を見ました。小猿だけで集団を作り、育てられたサルたちは、何時も固まって不安そうで、自由に伸び伸びと遊びません。一方母親にぶら下がって移動し、群の中の多くのサルと遊んだサルは、元気に大きくなり、やがて子育てもしました。幼い頃からの育て方が如何に大切かを、しみじみとと感じました。
 最近私は、私や家族の遺伝子が如何に人間の性格や行動を左右しているか、良きに付け悪しきに付け、感じています。
 子育てに全て原因があるのではなく、素質と環境の両方が相まって個性が出来るのだと、改めて学生時代に教わったことが思い出されます。
 子供達は、やがて成人して国を支えます。ですから、子供を如何に育て上げるかは、国の興亡を決める最も重要な事業だと思っています。社会の最小の単位である家庭が、温かく、幸せでないと、国家の繁栄はあり得ないでしょう。
 三つ子の魂百までも、と言われるように、少なくとも三歳までは母親を子供の傍に居させて欲しいと思っています。
 多様な働き方を女性にもと言う前に、先ず第一に、母親が子育てする家庭の父親の給料を二倍にして、半分近くを妻の収入にして、子育てする主婦を高く評価してやれば、母親は今の生き方に自信と誇りを持つことが出来るのではないでしょうか。せめて子供が幼少期の間だけでも、母親を子供たちの元に返してあげて下さい。加えて働きたい女性も、安心して子供の面倒を見て貰えるような充実した育児施設に、国は真剣に取り組んで下さい。
 定年で退職された人達の中や、ご自分の子育てが終わった人で、幼い子供たちの遊び相手を希望する人は、男女を問わずきっと多く居られると思います。そういう場所をもうけてあげて欲しいのです。 子供は国の宝です。愛情豊かに育てられた子供達が、次代の日本や世界を背負うわけです。より一層心の教育をしっかりとする必要があります。恐らく皆さんも同じように感じておられると思います。
 専業主婦の方は子育ては崇高な仕事だと誇りを持って下さい。とても立派な主婦が、ある会で「私は収入が無いから、自立していない」と言っておられて私は驚きました。とてもしっかのりした方なのに、働いて収入がないと自立出来ていないなどとは思えません。
 マスコミも、離婚の勧めのようなテレビ番組は造らないで下さい。離婚は親にとって都合が良くても、子供が最大の犠牲者となります。アメリカの映画「クレーマー・クレーマー」を観て欲しいです。まずは子供の立場でしっかり考えたいものです。何事も、相手の立場で考えられるようにと、私も何時もそう思っています。それは決してやさしいことではありませんが。問題解決には、欠かせないことです。
 少なくとも、経済的に不安定だつたり、精神的に追い詰められた暮らしからは、良いアイディアも、ゆとりある心も、生まれて来ないことは、言える筈です。
 母親は、家庭にあって、太陽であって欲しいと思います。母親の居る所が、まるで日だまりのような温かい家庭を、夫婦協力して、造って行きたいものですね。
 平沢興元京都大学総長が「社会の中で、何が尊いとか、何がすばらしいとか言っても、恐らく幼児の教育に携わることほど、尊い仕事はなかろうと思います」と書いておられます。(心に響く全言集)今日はこの言葉で締めくくりたいと思います。 
 

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